『卑弥呼』第130話「駆け引き」

 『ビッグコミックオリジナル』2024年6月5日号掲載分の感想です。前号は休載だったので、この間が長く感じました。前回は、馬韓の蘇塗(ソト)の邑で、ヤノハがゴリと名乗る倭人から、浮屠(ブット)の教え、つまり仏教の教義を聞いたところで終了しました。今回は、ヤノハがヌカデに自分の想いを語る場面の回想から始まります。最初、自分を守るためだけに日見子(ヒミコ)と嘘をつき、次は赤子を産むために千穂で大嘘をついて、その大切な子供もけっきょくは手放し、守るべきは筑紫島(ツクシノシマ、九州を指すと思われます)の人々だけになってしまった、というわけです。

 場面は現在に戻り、ヤノハは馬韓の蘇塗(ソト)の邑で、ゴリと名乗る大柄な倭人と対峙し、自分の率直な想いを語ります。自分は今まで、自国の人々の命を守ることだけ考えていたが、心を救おうとまで考えていなかった、というわけです。国とは人の集まりで、人の本質は心なので、民の心を救わなくては上に立つ意味がない、とヤノハは考えます。ゴリは、ヤノハがどこかの国の王ではないか、と問いかけますが、ヤノハは、ただの祈祷女(イノリメ)の頭にすぎない、と答えます。ゴリから蘇塗に来た理由を問われたヤノハは、馬韓の湖南(コナム)国の王から、倭人の責任において同じ倭人のゴリを成敗するよう命じられた、と率直に答えます。するとゴリは、成敗すべきは湖南王で、民の心どころか命すら何とも思っていない、とヤノハに指摘します。ヤノハは、ゴリと湖南王のどちらを信じてよいのか、悩みます。

 トメ将軍とヒホコとイセキは、ヤノハとゴリの話し合いを離れた丘の上から見ていました。ヒホコは、目達(メタ)国のスイショウ王の指示により朝鮮半島に残った人々の子孫が暮らす邑の長で、イセキは、伊岐(イキ、現在の壱岐諸島でしょう)国の日守(ヒマモ)りでトメ将軍一行の伊岐から黒島までの航海で示齊を務めたアシナカの縁戚のようです。トメ将軍は、ヤノハが戦を望んでいないようだ、と推測しますが、イセキは、あの大男(ゴリ)が話し合いで引き下がるとは思えない、と主張します。しかしトメ将軍は、ゴリが真の賊なのか、疑問を呈します。すると、ヒホコが地面に耳をつけ、何頭もの馬の蹄が聴こえる、とトメ将軍に伝えます。イセキは、大男に謀られた、油断させ、後から手下を差し向けたに違いない、と考えて、戦闘態勢に就くよう知らせるために下ろうとしますが、トメ将軍は、正体が分かるまで攻撃しないように伝えろ、と指示します。逃げるのが得策とヒホコに進言されたトメ将軍は、敵は馬なので、逃げてもすぐ追いつかれる、と指摘します。トメ将軍は、ゴリが自ら靭(矢筒)と弓を門外に置き、敵陣に乗り込んだことを不可解に思っていました。いかに豪の者でも、死をあえて選ぶようなもの、というわけです。

 ゴリはヤノハに、自分は浮屠(ブット)の信徒なので、その教えに賭けて嘘を言わない、と主張します。では、なぜ湖南王は己の民を殺すのか、とヤノハに問われたゴリは、王の兵になることを拒んだからだ、と答えます。湖南王は弁韓と辰韓と倭を統一するため多数の兵が必要になったのか、とヤノハに問われたゴリは肯定し、その昔、楽浪郡と帯方郡の地には衛という一族を王とする国があり、漢の武帝に滅ぼされ、衛一族は命からがらこの地に逃げ延び、湖南王はその衛一族の末裔だ、と説明します。つまり、湖南王は憎き漢を継いだ魏とは手を組めないが、公孫一族となら共存できる、とヤノハは悟ります。公孫氏の目的をヤノハから問われたゴリは、領土の拡張および兵力の確保と答えます。つまり、魏と戦う準備です。三韓を湖南王に征服させ、倭国まで手中に収めれば、兵力では魏に勝る、というわけです。当時、華北の人口は大きく減少していたというか、魏の人口掌握力が大きく減少していたでしょうが、だからといって、朝鮮半島と日本列島(西日本のみ?)で魏よりも優勢な兵力を得られるのか、疑問にも思いますが、ともかくゴリはそう認識しているのでしょう。同時に隣国の呉が魏に攻めかかれば、挟み撃ちで公孫氏の勝利は確実というわけです。自分はヤノハ一行と戦うつもりはないと信じてもらいたい、とゴリはヤノハに懇願し、ヤノハは、多数の馬が近づいてきたのを察したのか、ゴリと湖南王のどちらが嘘をついているのか、分かる時がきたようだ、と言います。

 多数の騎馬兵を見たトメ将軍とヒホコは、その武装から賊ではなく、湖南王の正規兵と推測します。自分たちだけでは心もとないと考えて、加勢に来たのだろうか、とヒホコに問われたトメ将軍は、あるいは、湖南王が自分たちもあの大男(ゴリ)も、倭人を一網打尽にしようと考えているのではないか、と推測します。実は、ヤノハはそう疑っており、蘇塗の近くでトメ将軍に、先回りして丘に登るよう、指示していました。まず蘇塗に人がいるのか確認し、ヤノハが蘇塗に入った後に、誰か来ないか監視してもらいたい、というわけです。ヤノハは、湖南王が胡散臭いと考えていました。一昨日、自分たちが見た邑では、多数の人が殺されていたが、本当に蘇塗の賊を率いる倭人の仕業なのか、疑問を呈します。最初に邑で見つけた屍は、酒盛りをしていた若い戦人で、小屋に置かれた老人や男女や子供こそ真の邑人だったのではないか、とヤノハは推測します。つまり、邑人を殺したのは蘇塗の賊ではなく、湖南王の可能性もある、というわけです。湖南王に裏があるなら、自分たちがその倭人と会った途端に、湖南王は兵を差し向けるはずだ、とヤノハは推測します。騎馬兵にどう対処するのか、イセキに問われたトメ将軍は、何をするか分からないので、出方を待つしかない、と答えます。騎馬兵を倒すのは容易ではない、と進言するヒホコに、蘇塗には馬は入れない、とトメ将軍は指摘します。表門には多数の乱立した棒があり、裏門は馬が亨には狭すぎる、というわけです。逃げるべきでは、と進言するヒホコに、日見子様(ヤノハ)はまず湖南王の真意を試すつもりで、我々も戦いに備えて丘を降りよう、とトメ将軍は言います。

 湖南王の兵が押し寄せてきたことをヤノハもゴリも察し、湖南王は自分たちだけではなく、ヤノハ一行も含めて倭人全員を殺すつもりなので逃げるよう、ゴリはヤノハに忠告しますが、ヤノハは、戦の準備をする、と言って立ち上がります。湖南王が自分たちにも戦を仕掛けるのか見たい、と言うヤノハに、勝てると思うのか、とゴリは問いかけます。蘇塗には馬が入れないから五分の戦いになるし、もし敵が予想外に強ければ一目散に退却する、とヤノハは答えます。するとゴリは、ヤノハが加羅で聞いた山社(ヤマト)の日見子ではない、と察しますが、ヤノハはゴリに、自分が何者かは生き残ってからでよい、と言います。ヤノハは、湖南王の兵にゴリを引き渡すと申し出るつもりだが、ゴリは逃げ延びる策を持っているようだ、と悟ります。ゴリは自信ありげに、門の外に置いた弓と靭を取ってくる、自分のことは心配無用だ、とヤノハに伝えます。近づいてきた湖南王の兵は、蘇塗の邑の門の外で下馬し、中に入ってきます。湖南王の兵にゴリが矢を向け、それをヤノハが見守っているところで、今回は終了です。


 今回は、湖南王の出自および思惑とともに、ヤノハが仏教(浮屠)を信仰するゴリとの出会いにより、為政者としてさらに成長することが示唆されました。湖南王はいわゆる衛氏朝鮮の末裔のようで、ヤノハ一行に韓の言葉ではなく漢の言葉で挨拶したこと(第127話)は、その設定を踏まえた描写だったわけです。ゴリが湖南王の兵からどう逃れるのか、ヤノハはこの難局をどう脱し、遼東公孫氏の現在の支配者である公孫淵と会うのか、注目されます。また、ゴリはおそらく『三国志』に見える都市牛利で、難升米(おそらく本作のトメ将軍)とともに、倭国から魏へと派遣されるのでしょうが、仏教の信者であるゴリを配下として、ヤノハが民の心をどう救おうとするのかも、気になるところです。朝鮮半島でのヤノハの経験は、今後の展開に大きく関わってきそうですし、近いうちに魏も本格的に描かれそうなので、ますます壮大な話になってきて、たいへん楽しみです。

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