キプロス島の初期人類の起源

 古代ゲノムデータに基づいてキプロス島の初期人類の起源を推測した研究(Heraclides et al., 2024)が公表されました。本論文は、キプロス島の初期完新世の3個体のゲノムデータを、アナトリア半島やレヴァントなど近隣地域の後期更新世から初期完新世の人類のゲノムデータと比較しました。その結果、キプロス島の初期完新世の3個体のゲノムは、その約80%がアナトリア半島中央部の無土器新石器時代集団的構成要素、残りが基底部レヴァント人口集団的構成要素でモデル化できる、と分かりました。さらに、この混合事象は紀元前14000~紀元前10000年頃に起きた、と推測されています。


●要約

 考古学的証拠は、12000年以上前に続旧石器時代狩猟採集民による地中海東部のキプロス島への散発的な航海での到来と、初期新石器時代における恒久的な定住が続いたことを裏づけます。これら初期の船乗りの地理的起源は、これまで分かりにくいままでした。本論文は後期更新世から初期完新世(紀元前14000~紀元前7000年頃)の近東から得られた利用可能な全ゲノムの体系的分析により、初期新石器時代の肥沃な三日月地帯およびアナトリア半島の遺伝的景観の包括的な概要を提供し、紀元前7600~紀元前6800年頃となるキプロス島先土器新石器時代B(Pre-Pottery Neolithic B、略してPPNB)のキッソネルガ・ミルトキア(Kissonerga-Mylouthkia)から得られた、最近刊行された3点のゲノム可能性の高い起源を推測します。

 これらは、コンヤ(Konya)平原もしくはその近くに居住していた無土器新石器時代アナトリア半島中央部人にその祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の約80%が、残りの祖先系統が遺伝的に基底部のレヴァント人口集団に由来するようです。ゲノム規模加重祖先系統共分散分析に基づいて、この混合事象は紀元前14000~紀元前10000年頃に起きたと推測され、それはキプロス島の後期続旧石器時代から先土器新石器時代A(Pre-Pottery Neolithic A、略してPPNA)の移行と一致します。さらに、検証されたキプロス島後期PPNB(Late PPNB、略してキプロス島LPPNB)個体群とその後のアナトリア半島北西部人および最初期ヨーロッパ新石器時代農耕民との間で、強い遺伝的類似性が確認されます。本論文の結果は、地中海東部の先史時代の人口統計学的過程に関する考古学的証拠をもたらし、初期の航海や海洋のつながりや島嶼部の定住への重要な洞察を提供します。


●研究史

 レヴァント南部からアナトリア半島東部、さらには上メソポタミア(メソポタミア北部)およびザグロス山脈中央部へと広がる肥沃な三日月地帯は、ユーラシア西部において更新世から完新世への移行期に農耕と有蹄類の家畜化が初めて出現した(12000年前頃)地域です。ヒトの生計戦略におけるこれらの大きな変化に先行して、考古学的証拠は、肥沃な三日月地帯の中核部から地中海東部のキプロス島への狩猟採集民による散発的な海上移動(紀元前10500年頃)を証明しています。その後の2000年間に、初期近東農耕民集団がキプロス島に農耕をもたらし、これは、最初期/前期無土器新石器時代もしくはキプロス島の先土器新石器時代(本論文では、キプロス島PPNAおよびキプロス島PPNBという用語が使われます)のキプロス島の遺跡における、道具や作物や家畜や家畜化された野生動物(たとえば、ネコやイヌ)により証明されています。

 キプロス島PPN(先土器新石器時代)の発展は考古学的によく記録されていますが、キプロス島における最初の移住者の地理的起源は分かりにくいままです。12500年以上前となる続旧石器時代のアクトプラクリク・アエトクレムノス(Akrotiri-Aetokremnos)遺跡と、最初の新石器時代の動物考古学的記録と、最初期のキプロス島PPNA遺跡群で証明されている加工された石および建築物群の存在は、レヴァント集団の文化的現れと解釈されてきました。しかし、初期キプロス島PPN遺跡群(とくに、キプロス島PPNB期)で発見された輸入黒曜石は、アナトリア半島中央部に由来すると地球化学的に特徴づけられてきており、海洋接触が示唆されます。古代の海洋航行データも、周囲の本土からキプロス島への、およびキプロス島からの初期の航海の旅最も妥当性の高い出発点として、アナトリア半島南部中央部とレヴァント北西部を提唱します。

 考古遺伝学は、考古学的および歴史的過程の長きにわたる議論に、追加の一連の証拠を提供します。近東の状況では、古代DNAの証拠は、初期新石器時代のレヴァント(Lazaridis et al., 2016)とアナトリア半島(Feldman et al., 2019、Yaka et al., 2021)とメソポタミア(Lazaridis et al., 2022A、Wang X et al., 2023、Altinişık et al., 2022)と、さらに東方のザグロス山脈中央部(Broushaki et al., 2016)における顕著な遺伝的異質性を明らかにしており、アナトリア半島からヨーロッパ本土への農耕拡大について人口拡散モデルへの重要な裏づけを追加しました(Lazaridis et al., 2014)。対照的に、地中海東部における続旧石器時代および新石器時代人口集団の海洋拡散は間接的にしか推測されてきておらず、これは最近まで地中海東部島嶼部の古代人のゲノムが不足していたからです。結果として、続旧石器時代および初期新石器時代地中海の船乗りの遺伝的影響や農耕の海洋伝播は、考古遺伝学的にほぼ研究されてこないままでした。

 本論文は、キプロス島西部のキッソネルガ・ミルトキアのキプロス島LPPNB遺跡の最近刊行された3個体のゲノム(Lazaridis et al., 2022B)に焦点を当て、それは、これらキプロス島LPPNBの標本3点の最初の刊行時(Lazaridis et al., 2022A)には利用できなかったゲノムを含めて、現在の古代DNA記録(Wang X et al., 2023、Altinişık et al., 2022、Koptekin et al., 2023、Marchi et al., 2022)において利用可能な続旧石器時代および新石器時代近東の全人口集団の包括的な時空間的ゲノム再評価に組み込まれます。本論文は、キプロス島の最初の航海移住者あり得る祖先供給源を検出し、検証されたキプロス島LPPNBを生み出した最も可能性の高い混合事象について推測された時間枠を提供し、後期更新世から前期完新世の地中海東部における人口動態と海洋のつながりへの重要な洞察を与えます。


●キプロス島LPPNBのキッソネルガ・ミルトキア遺跡標本の年代測定再評価と親族関係分析

 対象となる3個体(I4207/KMY1、I4209/KMYL2、I4210/KMYL3)のゲノムは、キッソネルガ・ミルトキア遺跡の井戸133号で発見されたヒト遺骸から抽出されました。これら3個体は直接的な放射性炭素年代測定がされず、キプロス島LPPNBと年代測定された井戸133号の放射性炭素年代測定された充填物(堆積物)と関連して発見されたわけでもありません。本論文は、複数のキプロス島LPPNB遺跡からの較正された放射性炭素年代に基づいて、キプロス島の全体的な期間の年代を使用し、井戸133号の年代測定されていなかった標本のおおよその年代を、紀元前7600~紀元前6800年頃に割り当てます。この年代は、生物考古学的文献におけるこれら3個体の標本について、以前に報告された年代よりも約500年遅くなります。年代測定の理論的根拠の詳細は、手法と補足情報で見ることができます。

 発掘において相互に近くで発見された関節の切断したヒト遺骸さまざまな標本で、考古学的背景から生じる検証されたキッソネルガ・ミルトキア遺跡標本の遺伝的独立性を解明するため、およびあり得る密接な親族関係の検出のため、READ(Relationship Estimation from Ancient DNA、古代DNAの関係推定)手法が用いられました。本論文の分析から、検証された標本3点【I4207/KMY1、I4209/KMYL2、I4210/KMYL3】は密接な(2親等もしくはそれ以上)の親族ではない、と明らかになります。


●後期更新世から初期完新世の近東の遺伝的景観の状況における新石器時代キプロス島の遠位祖先系統

 分析されたキプロス島LPPNBの正確な祖先供給源を判断するため、続旧石器時代(アナトリア半島およびレヴァント)もしくは中石器時代(ザグロス山脈およびコーカサス山脈)、および初期無土器時代(アナトリア半島)もしくは先土器新石器時代(レヴァントと上メソポタミアとザグロス山脈)や最初期土器新石器時代にまたがる、後期更新世および初期完新世におけるキプロス島の周辺地域から得られた全ての利用可能なゲノムが調べられました。これらには、アナトリア半島中央部無土器新石器時代のムスラール(Musular)遺跡(Koptekin et al., 2023)や、アナトリア半島南東部/上メソポタミアのネヴァル・チョリ(Nevalı Çori)遺跡(Wang X et al., 2023)や、土器新石器時代アナトリア半島北西部のアクトプラクルク(Aktopraklık、Aktopraklik)遺跡(Marchi et al., 2022)など、中央部キプロス島LPPNBのキッソネルガ・ミルトキア遺跡標本が初めて刊行された時には利用可能ではなかった重要なゲノムが含まれています。表1には、分析された古代の人口集団が掲載され、図1はそれらの時空間的状況を視覚化しています。以下は本論文の図1です。
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 分析されたメタ個体群(アレルの交換といった、ある水準で相互作用をしている、空間的に分離している同種の個体群の集団)間の関係への洞察を得るため、ユーラシア西部現代人の遺伝的差異へと上述の古代人標本一覧を投影することにより、主成分分析(principal component analysis、略してPCA)が実行されました。本論文のPCA図(図2)は、後期更新世と初期完新世における近東とヨーロッパ南東部とアフリカ北部の時空間的な古代の遺伝的差異を上手く把握しており、以前の考古遺伝学的分析(Lazaridis et al., 2016、Feldman et al., 2019、Lazaridis et al., 2014、Mathieson et al., 2018、Mathieson et al., 2015)と一致します。キプロス島LPPNBの3個体は中核アナトリア半島クラスタ(まとまり)に明らかに位置しており、1個体は完全に先土器新石器時代アナトリア半島およびVEEF(Very Early European farmers、最初期ヨーロッパ農耕民)と完全にクラスタ化する一方で、他の2個体はわずかにレヴァント集団の方へと動いていますが、依然として特定のアナトリア半島クラスタに明らかに属しています(図2拡大図)。ここで注意すべきなのは、正確なPCAでの位置づけは注意深く解釈されねばならず、それはクラスタ化が一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)の網羅率に依存しているから、ということです(Wang K et al., 2023)。以下は本論文の図2です。
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 PCA図で把握された人口集団間の遺伝的近さが共有されて祖先系統を反映し、投影の人工的効果の結果ではないのかどうか、判断するため、対象のキプロス島LPPNB標本の祖先系統を明らかにする文脈では以前に分析されなかった、最近刊行された近東人口集団を含めて、表1に記載された全ての先土器新石器時代および土器新石器時代人口集団の遠位祖先系統が形式的に検証されました。循環qpAdmモデルの適用と、あり得る供給源としての関連する続旧石器時代/中石器時代人口集団混合構成要素の決定により、3方向遠位混合モデルが特定され、それは続旧石器時代アナトリア半島中央部構成要素(Feldman et al., 2019、Yaka et al., 2021)と、続旧石器時代レヴァント構成要素(Lazaridis et al., 2016)と、中石器時代/新石器時代ザグロス山脈(Lazaridis et al., 2016、Broushaki et al., 2016)および中石器時代コーカサス構成要素(Jones et al., 2015)で構成され、全ての近東および最初期新石器時代ヨーロッパ人口集団の祖先組成を効率的に特徴づけます(図3)。このモデルは続旧石器時代および初期新石器時代近東における複雑な遺伝的景観および動的な時空間的混合を明らかにし、無土器アナトリア半島中央部人における差次的な以前には報告されていなかった局所的現象が含まれます。すべての分析された近東人口集団における遺伝的差異と混合動態に関する詳細な考察は、補足情報(第2項)で提供されます。以下は本論文の図3です。
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 この複雑な遺伝的景観の状況では、キプロス島LPPNBのキッソネルガ・ミルトキア遺跡個体群は、その遠位祖先系統の約68%が続旧石器時代プナルバシュ(Pınarbaşı)遺跡個体関連供給源に、約20%が続旧石器時代レヴァント関連供給源に、約12%が中石器時代/新石器時代ザグロス関連供給源に由来します。類似の遠位遺伝的特性は、これらの標本を最初に報告した文献でも示唆されましたが、供給源人口集団はわずかに異なります(Lazaridis et al., 2022A)。顕著な基底部アナトリア半島構成要素により特徴づけられるキプロス島LPPNBの新たに特定された深い祖先特性は、かなりのレヴァント関連祖先系統と相対的に低いザグロス関連祖先系統の追加の存在を伴い、本土の他の祖先かもしれない先土器新石器時代農耕民の間では独特で、キプロス島に固有の人口統計学的過程か、あるいは明らかなアナトリア半島/レヴァント/ザグロス山脈勾配における標本抽出されていない多様性を示唆しているかもしれません。最初のアナトリア半島クラスタに含まれている人口集団から、続旧石器時代プナルバシュ遺跡と無土器新石器時代ボンクル(Boncuklu)遺跡およびアシュクル・ヒュユク(Aşıklı Höyük)遺跡の個体のみが、キプロス島LPPNBのキッソネルガ・ミルトキア遺跡個体群の祖先かもしれない、と検討することができ、それは、含められた土器新石器時代マルマラ(Marmara)地域集団がキプロス島LPPNBに約500年遅れるからです(図1)。


●キプロス島LPPNBキッソネルガ・ミルトキア遺跡と近隣の人口集団間の遺伝的類似性

 図4aは、f3形式(ムブティ人;キプロス島LPPNB、比較対象の古代の人口集団)の外群f3統計を用いてのアレル(対立遺伝子)共有に基づいて、キプロス島LPPNBキッソネルガ・ミルトキア遺跡と、他の続旧石器時代/中石器時代および新石器時代近東人口集団とヨーロッパ南東部人口集団との間の遺伝的類似性を示しています。図4bは、さまざまな年代範囲による、最も近位の人口集団から最も遠位の人口集団への階層的に同じ情報を提示しています。アナトリア半島中央部のプナルバシュ遺跡狩猟採集民(hunter-gatherer、略してHG)は、すべての他の続旧石器時代/中石器時代人口集団と比較して、キプロス島LPPNBと最高のアレル共有を示します。これは、本論文のPCA(図2)および遠位混合分析(図3)への裏づけをさらに追加し、検証されたキッソネルガ・ミルトキア遺跡集団の祖先系統はおもにアナトリア半島に由来する、と示唆されます。PCA図ではキッソネルガ・ミルトキア遺跡集団と同じクラスタに現れる無土器新石器時代アナトリア半島のボンクル・ヒュユク(Boncuklu Höyük)遺跡個体も、キッソネルガ・ミルトキア遺跡集団との高いアレル共有を示します。以下は本論文の図4です。
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 対象となるすべての近東とヨーロッパの人口集団間の1~f3(ムブティ人;人口集団1、人口集団2)の対の距離の多次元尺度構成法(multidimensional scaling、略してMDS)図は、上述の調査結果へのさらなる裏づけを追加し、本論文のPCA図を裏づけており、本論文のqpAdmモデルに基づいて予測されるようにわずかにレヴァント集団へと動く、アナトリア半島および最初期ヨーロッパ新石器時代農耕民とのクラスタ化としてキプロス島LPPNBを示します。

 本論文の調査結果は、相対的なアレル共有に基づいて、に基づいて、キプロス島LPPNBについて潜在的な祖先供給源を正確に示すのに役立つ、f4形式(ムブティ人、キプロス島LPPNB;比較対象の古代の人口集団A、比較対象の古代の人口集団B)のf4統計を通じて、追加の裏づけを受けます。より詳しくは、キプロス島LPPNBと祖先かもしれない近東供給源との間でのアレル共有は、ザグロス山脈の中央部から北東部や上メソポタミアやレヴァントにかけてじょじょに増加し、アナトリア半島で頂点に達します。アナトリア半島内では、続旧石器時代プナルバシュ遺跡および無土器新石器時代ボンクルおよびアシュクル・ヒュユク(Aşıklı Höyük)遺跡個体が、ほぼ同じ数のアレルをキプロス島LPPNBと共有しているように見える一方で、アレル共有はより高いザグロス山脈個体との混合の存在では、PPNムスラール(Musular)遺跡個体で明らかなように(図3)、有意に減少しています。ザグロス山脈と上メソポタミアとレヴァントの人口集団のうち、キプロス島LPPNBとのアレル共有はアナトリア半島個体関連混合の増加とザグロス山脈個体関連混合の減少により起きているようです(図3)。

 これらの調査結果から、キプロス島LPPNBのキッソネルガ・ミルトキア個体群へのアナトリア半島からの流入は、無土器新石器時代アナトリア半島アシュクル・ヒュユク遺跡およびムスラール遺跡個体ではすでに明らかで、チャタルヒュユク(Çatalhöyük)遺跡やテペシク・シフトリク(Tepecik-Çiftlik)遺跡個体などその後の土地新石器時代アナトリア半島集団も特徴づける、かなりのザグロス山脈中央部関連混合の影響をまだ受けていない人口集団、と示唆されます。無土器新石器時代ボンクル遺跡個体は、約15%と中程度のザグロス山脈関連祖先系統を有しており、そうした人口集団の一例です。

●キプロス島LPPNBキッソネルガ・ミルトキア遺跡個体群の近位祖先系統

 さまざまな続旧石器時代およびPPN集団のキプロス島LPPNBへの遺伝的流入を形式的に検証するため、qpAdmで循環モデル手法が用いられ、標的としてキッソネルガ・ミルトキア遺跡個体群について混合割合が導き出され、供給源として全ての近東の続旧石器時代およびPPN人口集団の全てのあり得る組み合わせが「盲目的に」検証されました。キッソネルガ・ミルトキア遺跡個体群と有意なアレル共有を示す(図4)、その祖先かもしれない人口集団から、qpAdmは単一の供給源としてどの人口集団も統計的に許容せず(p値<0.05)、キッソネルガ・ミルトキア遺跡個体群について単一の供給源としてアシュクル・ヒュユク遺跡個体が機能するかもしれない、と示唆した以前の調査結果とは対照的です。この不一致のあり得る理由は、本論文の分析で用いられたアシュクル・ヒュユク遺跡個体一式(ASH136とASH129と最高の網羅率のASH128)が、以前に用いられた個体群(ASH129とASH131とASH136で、後二者はキョウダイであり全個体のゲノムは低網羅率でした)と異なることです。本論文の結果は、キプロス島LPPNB(68%の続旧石器時代アナトリア半島集団、20%の続旧石器時代レヴァント集団、12%の中石器時代/新石器時代ザグロス山脈集団)とアシュクル・ヒュユク遺跡個体(69%の続旧石器時代アナトリア半島集団、31%の中石器時代/新石器時代ザグロス山脈集団)の遠位遺伝的組成によりさらに裏づけられます(図3)。

 本論文の循環外群手法は、キプロス島LPPNBキッソネルガ・ミルトキア遺跡個体群について、4通りの妥当な2方向混合モデルを検出します。それは、(1)無土器新石器時代アナトリア半島ボンクル遺跡個体の主要な(83%)構成要素と続旧石器時代レヴァントのナトゥーフィアン(Natufian、ナトゥーフ文化)集団のわずかな(13%)構成要素(p値0.463=、標準誤差=0.052)、(2)無土器新石器時代アナトリア半島ボンクル遺跡個体の主要な(74%)構成要素とPPNBレヴァント供給源からのわずかな(26%)構成要素(p値=0.413、標準誤差=0.072)、(3)無土器新石器時代アナトリア半島土器新石器時代アナトリア半島アシュクル・ヒュユク遺跡個体の主要な(95%)構成要素と続旧石器時代レヴァントのナトゥーフィアン集団のわずかな(5%)構成要素(p値=0.420、標準誤差=0.071)、(4)続旧石器時代アナトリア半島プナルバシュ遺跡個体の主要な(65%)構成要素とPPNBレヴァント供給源からのわずかな(35%)構成要素(p値=0.065、標準誤差=0.062)です(図5b)。少数の追加の3方向モデルはいくぶんの統計的裏づけを受け取りますが、その適合は上述の2方向モデルより優れていないので、節約を根拠に後者【2方向モデル】が維持されます。以下は本論文の図5です。
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 上述の2方向モデルのいずれかから最も妥当なものを選び出すことは、とくに低網羅率のゲノムにより信頼性が低くなっている場合には困難ですが、統計的観点では、近位供給源としてアナトリア半島中央部ボンクル遺跡個体と続旧石器時代レヴァントのナトゥーフィアン集団で構成される最初のモデルが、2番目と3番目のモデルの比較的高い標準誤差と4番目のモデルの限界を考慮すると、他の三者よりわずかに優れている、と本論文は主張します。最初のモデルはキプロス島LPPNBのキッソネルガ・ミルトキア遺跡個体群についての本論文の遠位混合推定値とも一致し、おもにアナトリア半島とレヴァントからの祖先系統(図3)と、ザグロス山脈集団関連供給源からの追加のわずかな構成要素(12%)を明らかにし、このわずかな構成要素はじっさい、ボンクル遺跡農耕民にすでに存在します(84%の続旧石器時代アナトリア半島集団に加えて16%の中石器時代/新石器時代ザグロス山脈集団で上手くモデル化されます)。対照的に、近隣のアシュクル・ヒュユク遺跡農耕民はずっと高い割合のザグロス山脈集団との混合を有しており、キッソネルガ・ミルトキア個体群に存在する混合と一致しません。

 わずかなレヴァント構成要素に関して、本論文の調査結果は、続旧石器時代ではなく新石器時代の流入を決定的に除外できません。しかし、その後のPPNB人口集団は、ナトゥーフィアン集団をキプロス島LPPNBのキッソネルガ・ミルトキア個体群の供給源とするモデルよりわずかに劣る適合を提供します。検証されたPPNBレヴァント代理のうち、バジャ(Ba'ja)遺跡個体は最良の適合を提供し、この集団は2個体のゲノムから構成され、そのうち1個体はPCA図ではナトゥーフィアン集団とクラスタ化します(図2)。さらに、本論文の循環遠位祖先系統モデルでは、後期旧石器時代アフリカ北部のイベロモーラシアン(Iberomaurusian)集団が、レヴァント供給源の位置においてキッソネルガ・ミルトキア個体群の代替的な境界線上の許容可能な供給源として浮上し、ナトゥーフィアン集団とイベロモーラシアン集団との間で共有される高度の深い祖先系統により示唆されるように(Loosdrecht et al., 2018)、キプロス島LPPNBにおけるより基底的なレヴァント構成要素が再度裏づけられます。

 あらゆるPPN/無土器近東人口集団を含む妥当な単一供給源モデルがキプロス島LPPNBで特定できないことを考えて、キッソネルガ・ミルトキア遺跡個体群(紀元前7600~紀元前6800年頃)とクラスタ化すると分かったその後(キプロス島LPPNBの後)のアナトリア半島集団、つまり土器新石器時代アナトリア半島北西部アクトプラクルク遺跡個体(紀元前6700~紀元前6500年頃)およびバルシン(Barcin)遺跡個体(紀元前6500~紀元前5900年頃)や、アナトリア半島中央部のチャタルヒュユク遺跡個体(紀元前7100~紀元前6000年頃)が、潜在的供給源としてさらに検証されました。これらの分析から、土器新石器時代バルシン遺跡個体およびチャタルヒュユク遺跡個体がキッソネルガ・ミルトキア遺跡個体群にとって単一の供給源として機能できるものの、前者【バルシン遺跡個体】の事例では、95%のバルシン遺跡個体と5%のナトゥーフィアン集団で構成される2方向モデルも統計的に許容可能と示されます。類似のモデルは、キッソネルガ・ミルトキア遺跡標本に関する以前の文献でも報告されました(Lazaridis et al., 2022A)。

 これらのモデルへの統計的裏づけにも関わらず、本論文は、そうしたモデルが検証されたキプロス島LPPNB個体群の実際の祖先系統を表すものとみなすことには警告します。主要な理由は以下の通りで、(1)標本抽出されたキプロス島LPPNBは上述の土器アナトリア半島集団に少なくとも500年先行し、(2)土器新石器時代アナトリア半島中央部個体群に関して、チャタルヒュユク遺跡個体の遠位遺伝的特性(47%の続旧石器時代アナトリア半島集団と、18%の続旧石器時代レヴァント集団と、35%の中石器時代/新石器時代ザグロス山脈集団)は、キプロス島LPPNBとかなり異なっており、(3)アクトプラクルク遺跡個体などバルシン遺跡個体に、およびボンクル遺跡個体などチャタルヒュユク遺跡個体に先行する同じ地域(アナトリア半島北西部および中央部)の人口集団は、妥当な単一供給源として本論文の分析により特定されず、(4)土器新石器時代アナトリア半島北西部集団に関して、さまざまな考古学的再調査、および後期更新世から初期完新世におけるキプロス島とその周辺の本土との間の古代の海洋のつながりの模擬実験のいずれも、マルマラ地域を妥当な起源として検出しておらず、これは明らかに、長距離で不向きな風のパターンおよび海流に起因します。


●混合図に基づく追加の証拠

 キプロス島LPPNBのキッソネルガ・ミルトキア個体群を生み出した古代の混合動態をさらに調べ、最も可能性の高い直接的な祖先供給源に関する追加の一連の証拠を提供するため、findGraphsとqpGraphが適用され、1000以上のあり得る図を自動的に適合させ検証する厳密な調査により、自動的に導き出される混合図一式が検出され、それには、含まれた人口集団間の4回の混合事象が含まれ、良好な適合と図の形態は、以前の考古遺伝学的証拠により明らかにされた全体的な混合動態や本論文のqpAdmの結果と一致します。本論文は、より多くの混合事象(5回)が含まれる追加の良好な適合図を提示しますが、最も節約的なモデルに焦点を当て(たとえば、本論文の事例では4回の混合事象のある図)、それは、より複雑なモデルが、ありそうにない混合事象に過剰適合し、それを含む傾向にあり、本論文の分析でも当てはまるからです。

 派生的な混合図は、キプロス島LPPNBのキッソネルガ・ミルトキア個体群の直接的祖先として、アナトリア半島中央部のボンクル遺跡個体と密接に関連する人口集団の関わりを裏づけており、レヴァントPPNBではなく、続旧石器時代ナトゥーフィアン集団と関連する、わずかでより遠位のレヴァントからの流入も検出します。アナトリア半島中央部のアシュクル・ヒュユク遺跡個体も統計的に妥当な混合モデルをもたらしたので、ボンクル遺跡個体の位置でアナトリア半島中央部供給源としてこれを含めて、上述の分析が繰り返されました。ボンクル遺跡個体の事例とは異なり、シュクル・ヒュユク遺跡個体はキッソネルガ・ミルトキア個体群の潜在的な祖先供給源として自動的に検出されませんでした。


●本土の同時代の人口集団の祖先系統との比較

 上述の調査結果の堅牢性を検証し、本論文の分析で推測された2方向混合モデルがキプロス島LPPNBのキッソネルガ・ミルトキア個体群に固有なのかどうか、あるいは類似の遺伝的組成を有するほぼ同時代の新石器時代集団も特徴づけるのかどうか判断するため、標的としてバルシン遺跡やメンテシェ(Menteşe)遺跡やイリピナル(Ilipinar 、Ilıpınar)遺跡など土器新石器時代マルマラ地域集団qpAdmについて、循環モデルが実行されました。これらの分析は、キッソネルガ・ミルトキア個体群と比較して、こうした集団についてさまざまな理想的モデルを明らかにし、土器新石器時代マルマラ地域集団は、主要な続旧石器時代アナトリア半島集団的構成要素と、とくにトルコ南東部のマルディン(Mardin)近くのボンクル・タルラ(Boncuklu Tarla)遺跡など上メソポタミア集団のわずかな構成要素で上手くモデル化され、キッソネルガ・ミルトキア個体群は、アシュクル・ヒュユク遺跡個体とPPNBレヴァント集団との間の2方向混合としてわずかにモデル化されます。

 興味深いことに、土器新石器時代アナトリア半島マルマラ地域集団とアナトリア半島中央部チャタルヒュユク遺跡個体の最適モデルは、キプロス島LPPNBについては標的としても逆方向でも却下され、他の同時代の本土集団を特徴づけず、キッソネルガ・ミルトキア個体群を生み出した、明確な混合事象のさらなる証拠を提供します。この調査結果も、キッソネルガ・ミルトキア個体群は土器新石器時代アナトリア半島集団の直接的子孫かもしれない、との見解に反する証拠を提供し、少なくとも、現在の考古遺伝学的文献で利用可能な集団の子孫ではありません。

 同様に、findGraphsを用いて、キプロス島LPPNBのキッソネルガ・ミルトキア個体群を含む派生的な混合図が、独特で固有な混合動態を明らかにするのかどうか、図の形態のアキッソネルガ・ミルトキア個体群の位置におけるナトリア半島中央部(チャタルヒュユク遺跡)集団やアナトリア半島マルマラ地域(バルシン遺跡)集団を含めて、上述の自動化手法の繰り返しにより判断されました。これはモデル適合度の低下、および現在の考古遺伝学的証拠と一致しない混合事象をもたらしました。これは、本論文の最適な自動化混合図で明らかになったキプロス島LPPNBのキッソネルガ・ミルトキア個体群を生み出した特定の混合動態が独特で、その祖先系統について妥当な仮定的状況を提供する、との見解をさらに裏づけます。


●混合年代の推測

 キプロス島LPPNBのキッソネルガ・ミルトキア個体群を生み出した混合事象によりお多くの光を当てるため、DATES(Distribution of Ancestry Tracts of Evolutionary Signals、進化兆候の祖先系統区域の分布)手法が適用され、上述の4通りの妥当な2方向混合モデルの年代が推測されました。キッソネルガ・ミルトキア個体群のゲノムが低網羅率のため、この手法は広範囲の年代を返したものの、それは依然として、ある程度は祖先系統の解明に役立ちます。とくに、アナトリア半島中央部土器新石器時代ボンクル遺跡個体の主要な構成要素と、それぞれ続旧石器時代もしくはPPNBレヴァントのわずかな構成要素を含む二つの妥当な混合モデルは、紀元前14000±4000年の範囲の妥当な混合年代を提供します。この範囲は、続旧石器時代ナトゥーフィアンかPPNB集団もしくはその組み合わせが選択のレヴァント祖先供給源として使用されるのかどうかに関係なく提供され、特定の代理祖先人口集団に基づく、潜在的に未知の過去の混合上の年代推定におけるDATESの堅牢性を浮き彫りにします。

 主要な続旧石器時代アナトリア半島集団構成要素とわずかなPPNBレヴァント集団構成要素で構成される別のモデルは、紀元前20000±5000年に混合が起きた、と推定され、この年代範囲が新石器時代レヴァント集団の存在に先行することを考えると、これは可能性が低そうです。無土器新石器時代アシュクル・ヒュユク遺跡個体と続旧石器時代ナトゥーフィアン集団で構成される、キッソネルガ・ミルトキア個体群についての追加の良好な適合混合モデルは、有効な混合年代(たとえば、負の世代数)を提供しませんでした。

 周辺の本土におけるキプロス島LPPNBの祖先系統と関連する混合事象のより包括的な時間枠を導き出すために、標的として関連する近東の初期新石器時代人口集団で上述のDATES分析が繰り返されました。以前の調査結果と一致して、本論文の分析で明らかになったのは、ザグロス山脈からアナトリア半島中央部への新石器時代集団の最初の流入は紀元前12500±1700年に始まり、当初はボンクル遺跡などコンヤ平原に現れ、その数千年後にアシュクル・ヒュユクやムスラールといったカッパドキア(Cappadocian)遺跡群が続いた、ということです。本論文の分析から、この混合したアナトリア半島およびザグロス山脈特性はレヴァントに紀元前10000±700年に到達し、ナトゥーフィアン集団的な人口集団と混合し、現在標本抽出されているレヴァントPPNB集団を生み出した、と推定されます。

 アナトリア半島もしくはレヴァントにおけるザグロス山脈集団関連の混合の流入が紀元前14000年頃より前には起きなかった、と推定されていることを考えると、これは、この遺伝的構成要素を有する、キプロス島LPPNBのキッソネルガ・ミルトキア個体群を生み出した混合事象の年代の最初の限界として使用できます。キッソネルガ・ミルトキア個体群の推定される混合年代がこの人口集団に固有なのかどうか検証するため、標的として新石器時代マルマラ地域集団について、これらの集団がキッソネルガ・ミルトキア個体群と類似の遺伝的特性を有し、高い遺伝的類似性を有している、ということを考慮して、同じ2方向混合モデルが検証されました。この分析は、ずっと後となる紀元前9600±780年の混合年代をもたらし、この2人口集団(キプロス島LPPNBとマルマラ地域土器新石器時代集団)が異なる混合事象からレヴァントおよびザグロス山脈祖先系統を獲得し、混合はアナトリア半島北西部と比較してキプロス島北部の方が早かった、と示唆されます。

 全体的に、本論文の分析で推定されたキプロス島LPPNB(紀元前14000~紀元前10000年頃)の妥当な混合時間枠は、近東の続旧石器時代(紀元前18000~紀元前10000年頃)およびレヴァントのPPNA(紀元前10000~紀元前8500年頃)によく収まり、これはキプロス島PPNA(紀元前9000~紀元前8500/8400年頃)の開始の直前です。これらの調査結果を考慮すると、キプロス島LPPNBについてあり得るわずかな祖先供給源としてその後のPPNBレヴァント個体群(紀元前8500~紀元前6500年頃)を含む混合モデルは、さほど裏づけを得られず、レヴァント続旧石器時代(もしくは現時点で標本抽出されていないPPNA)集団を含むモデルが支持されます。


●キプロス島LPPNB最初のヨーロッパ新石器時代農耕民との間の遺伝的類似性

 上述の外群f3分析(図4)は初めて、キプロス島LPPNBとバルカン半島(アルバニア、ブルガリア、クロアチア、北マケドニア、ルーマニア、セルバア)やヨーロッパ中央部(ハンガリー)や地中海東部/中央部(ギリシアとイタリア)のVEEF(最初期ヨーロッパ農耕民)との間の高い遺伝的類似性を明らかにしました。キプロス島LPPNBもしくは続旧石器時代/新石器時代アナトリア半島人口集団がVEEFとより密接に遺伝的に関連しているのかどうか、および/もしくは以前に特定されていないかった共有される遺伝的浮動がこれらの人口集団間でのアレル共有を通じて起きていたのかどうか、判断するため、f4形式(ムブティ人、VEEF;キプロス島LPPNB、アナトリア半島人口集団)のf4統計が適用されました。

 その結果、キプロス島LPPNBはアナトリア半島人口集団の大半よりもVEEFとの高いアレル共有を示し、例外はプナルバシュ遺跡のHGと土器新石器時代マルマラ地域集団(バルシン遺跡とメンテシェ遺跡とイリピナル遺跡)で、すべてVEEFとはキッソネルガ・ミルトキア個体群とほぼ同じ数のアレルを共有している、と分かりました。全体的に、本論文のf4分析は、キプロス島LPPNBとヨーロッパの最初の新石器時代農耕民との間の高い遺伝的類似性を裏づけており、それはこれらの集団の類似の遠位祖先系統組成によっても浮き彫りになります。


●考察

 本論文における、後期更新世から初期完新世の肥沃な三日月地帯とアナトリア半島の全ての利用可能な古代ゲノムの包括的分析は、キプロス島西部のキッソネルガ・ミルトキア遺跡(紀元前7600~紀元前6800年頃)のキプロス島LPPNB標本の最近刊行された集団のあり得る祖先の起源を正確に示します。これらの標本の低網羅率にも関わらず、本論文の分析は、これら初期の島嶼部移住者のアナトリア半島とレヴァントの二重起源との以前の提案を確証し、現在の古代DNA記録で利用可能な、あらゆる単一の続旧石器時代もしくは先土器新石器時代の近東供給源からの妥当な直接的祖先系統を裏づけません。

 本論文の分析は、これら初期新石器時代キプロス島農耕民の近位祖先系統を、無土器新石器時代アナトリア半島中央部供給源(恐らくコンヤ平原もしくはその近くに居住していました)とそれ以前(続旧石器時代もしくは最初期新石器時代)のレヴァント供給源との間の2方向混合モデルに由来する可能性が高いものとして、正確に示します(図5)。本論文の分析に基づいて、これら2供給源間の混合事象は紀元前14000~紀元前10000年頃の間に起きた、と推定され、これは後期更新世から初期完新世の移行を含んでおり、周辺の本土におけるその後の続旧石器時代および最初の無土器(先土器)新石器時代と一致します。検証されたキプロス島LPPNBのおもに無土器新石器時代アナトリア半島祖先系統は、本論文の補足情報で再調査されたように、片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアDNAと父系のY染色体)の証拠によっても裏づけられます。

 キプロス島におけるレヴァント集団の初期の存在は、アクトプラクリク・アエトクレムノス(Akrotiri-Aetokremnos)遺跡で記録されているように、レヴァントを少なくとも紀元前11千年紀以降にキプロス島に到来した続旧石器時代狩猟採集民の最も可能性の高い正確に示す以前の考古学的証拠(さらなる詳細は補足情報の第5項)により裏づけられます。これら初期の冒険に続いて、初期完新世(紀元前九千年紀前半)にキプロス島への定住があり、アイオス・ティチョナス=クリモナス(Ayios Tychonas-Klimonas)遺跡など狩猟耕作者の組織化されたPPNA村落群が出現し、PPNAレヴァントとの文化的類似性(惰性石器群や関連する道具や家庭建築)を示します。レヴァントの石器群はキッソネルガ・ミルトキア遺跡でも報告されました。さらに、動物考古学的証拠は、初期先土器新石器時代キプロス島における、管理されたイノシシ(続旧石器時代以降すでにキプロス島に存在していました)やイヌやネコやイエハツカネズミ(commensal house mouse)のレヴァント起源を裏づけます。キッソネルガ・ミルトキア遺跡では、ハツカネズミの存在は初期中核地帯(レヴァント)外の共生的性質における最初の出現の一つと考えられます。

 同様に、キプロス島におけるアナトリア半島中央部初期新石器時代の存在も、最初期キプロス島PPNA集落群で報告されている、アナトリア半島中央部起源と確証された少量の輸入黒曜石によって考古学的に裏づけられており、その後の数世紀でかなり増加し、キプロス島LPPNBのキッソネルガ・ミルトキア遺跡でも証明されています。これらの考古学的調査結果は、推定される交換網の一部として、初期新石器時代におけるキプロス島とアナトリア半島との間の海洋接触として解釈されてきました。

 したがって、利用可能な考古学的証拠はと現在の遺伝学的調査結果は、アナトリア半島中央部農耕民の1集団がおそらく、黒曜石輸入など既存の海洋のつながりを利用して、キプロス島に定住し、それは本論文で再分析された特定の無土器新石器時代集団(たとえば、アシュクル・ヒュユク遺跡やムスラール遺跡)で明らかなように、ザグロス山脈関連祖先系統がその起源地域からほとんどの人口集団に拡大する前のことだった、という仮定的状況を裏づけます。キッソネルガ・ミルトキア個体群を生み出した混合事象がキプロス島で起きた、と仮定すると、妥当な仮説は、侵入してきた新石器時代アナトリア半島人が、続旧石器時代および/もしくはPPNA以降にキプロス島にそれ以前から存明らかに在ししより小さなレヴァント集団と混合した、となるでしょう。これが島全体の現象だったのか、あるいはキプロス島西部のキッソネルガ・ミルトキア遺跡のキプロス島LPPNB個体群に特有だったのかは、まだ判断できません。

 キプロス島に直接的に移住してきた分析されたキプロス島LPPNBとの類似の遺伝的特性を有する標本抽出されていない本土近東人口集団の可能性を除外できませんが、この仮説を裏づける証拠は現時点で限定的です。キプロス島LPPNBの妥当かもしれない他の単一の祖先供給源は、おそらく無土器新石器時代アナトリア半島に南部中央部(たとえば、プナルバシュ遺跡の新石器時代段階)か、ムレイベット(Mureybet)遺跡やアブ・フレイラ(Abu Hureyra)遺跡などレヴァント北部に起源があるかもしれませんが、そうした仮定的状況は現時点で遺伝的データの不足のため評価できません。

 本論文の第二の調査結果として、キプロス島LPPNBのキッソネルガ・ミルトキア個体群と、これら新石器時代キプロス島個体群の後となる最初期ヨーロッパ農耕民の選択された1集団との間の高いアレル共有について新たな証拠が提供されます。調べられたキプロス島LPPNB個体群は、比較的広範囲の外海の横断のための技術的な実際的知識と技能を有しており、本土とキプロス島の間の繰り返しの体系的な航海遠征に明らかで、新石器時代を通じてキプロス島で存続可能な家畜と貴重な物資(たとえば、黒曜石)の維持に必要だった、強い海洋のつながりを維持していた可能性がひじょうに高そうです。

 キプロス島LPPNBと最初期ヨーロッパ新石器時代農耕民との間の遺伝的類似性は、ヨーロッパへの農耕の仮定できる海洋拡大の文脈で解釈できるかもしれませんか、アナトリア半島からヨーロッパ南東部への直接的な陸上移動を含むより節約的なモデルが提案されてきました。さらに裏づける証拠の現時点での不足のため、キッソネルガ・ミルトキア個体群とVEEF(最初期ヨーロッパ農耕民)との間の高い遺伝的類似性は、キプロス島LPPNBとアナトリア半島北西部土器新石器時代集団の両方に祖先系統の大半をもたらし、その後でヨーロッパ南東部に拡大した、共有される基底部アナトリア半島人口集団に起因するかもしれません(Lazaridis et al., 2014、Mathieson et al., 2015)。

 貴重な洞察を提供し、キプロス島の最初の定住と新石器化に関する研究状況を改善するうえで情報をもたらすものの、全ての新石器時代キプロス島農耕集団の全体的な祖先系統と遺伝的類似性に関する結論は、本論文から導き出せません。しかし、本論文の調査結果は、キプロス島の最初の航海移住者の最も妥当な起源について重要な一連の考古遺伝学的証拠を提供し、後期更新世から初期完新世の移行における地中海東部の複雑な航海移住と農耕の初期の海洋拡大についての、長きにわたる考古学的議論に情報をもたらします。


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