ドイツの初期現生人類の環境と生活
取り上げるのが遅れてしまいましたが、ドイツで発見された初期現生人類(Homo sapiens)の環境と生活に関する二つの研究が公表されました。この二つの研究は、ドイツのテューリンゲン州(Thuringia)のオーラ川(Orla River)流域に位置するラニス(Ranis)のイルゼン洞窟(Ilsenhöhle)で発見された、中部旧石器時代~上部旧石器時代の移行期の頃(47000~45000年前頃)となる、LRJ(Lincombian–Ranisian–Jerzmanowician、リンコンビアン・ラニシアン・エルツマノウィッチ)の担い手である現生人類の環境と生活を検証しており、この現生人類のミトコンドリアDNA(mtDNA)を報告した研究(関連記事)とともに、ヨーロッパの比較的高緯度の地帯に45000年前頃には現生人類が存在し、その環境に適応していたことを示している点で、たいへん重要だと思います。なお、まだ論文では公表されていませんが、イルゼン洞窟のLRJ遺物群と関連する人類遺骸の核ゲノムも解析されており、現代人には遺伝的影響をほぼ残しておらず、実質的に絶滅した現生人類集団を表している、と示されています(関連記事)。
一方の研究(Smith et al., 2024)は、イルゼン洞窟の45000年前頃となる現生人類の生態系と生計と食性を検証しています。イルゼン洞窟での最近の発掘により、45000年前頃までのヨーロッパの高緯度地帯への現生人類の初期の拡散が確認されました。本論文は、動物考古学と古プロテオミクスと堆積物DNAと安定同位体の結果を統合し、これら初期現生人類の生態系と生計と食性を特徴づけます。形態(1218点)もしくはZooMS(Zooarchaeology by Mass Spectrometry、質量分光測定による動物考古学)536点あるいはプロテオーム(タンパク質の総体)調査による種同定212点の古プロテオミクスを通じての2016~2022年の発掘から、全ての骨遺骸(1754点)が評価されました。主要な分類群には、トナカイやホラアナグマやケブカサイやウマが含まれ、寒冷な気候条件が示唆されます。多くの肉食獣の変形は、疎らな解体痕があり焼けた骨とともに、冬眠するホラアナグマと巣作りをするハイエにより遺跡がおもに使用され、ヒトの存在の変動が伴うことを示しています。動物相の多様性と肉食獣の侵入の多さは、26点の堆積物から回収された古代の哺乳類のDNAによりさらに裏づけられました。52点の非ヒト動物遺骸と10点のヒト遺骸から得られた大量のコラーゲンの炭素と窒素の安定同位体データは、寒冷な草原地帯/ツンドラ環境を確証し、大型陸生哺乳類に依存した均一なヒトの食性を示唆しています。このより低密度の考古学的痕跡は、他のLRJ遺跡と一致しており、先駆的な現生人類の小さく遊動的な集団による短期間の便宜的訪問によって最適に説明されます。
もう一方の研究(Pederzani et al., 2024)は、初期現生人類が存在した頃のイルゼン洞窟の環境を安定同位体分析に基づいて検証しています。ユーラシア全域における45000年前頃となる新たな生息地への現生人類の拡大と、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の同時に起きた消滅は、現生人類の歴史における重要な進化的転換期を表しています。LRJなど「移行期的」技術複合体は、この期間のヨーロッパの記録を特徴づけますが、その製作者や進化的異議は長い間不明なままでした。イルゼン洞窟から得られた新たな証拠は今や、LRJと45000年前頃の現生人類遺骸との確実なつながりを提供し、この45000年前頃の現生人類遺骸は、ヨーロッパ中央部への現生人類の最初の襲撃の一つなります。本論文は、ラニスにおけるLRJと上部旧石器時代のヒトの居住の約12500年間にまたがる連続的に標本抽出された16点のウマ科の歯の多くの安定同位体記録を用いて、初期の現生人類のさまざまな気候および生息条件への適応の能力を調べます。その結果、LRJの全期間にわたって寒冷な気候が多く、気温低下は45000~43000年前頃の顕著な寒冷可動域において頂点に達した、と示されます。直接的に年代測定された現生人類遺骸から、現生人類はこのひじょうに寒冷な段階においてもこの遺跡を使用していた、と確証されます。初期上部旧石器(Initial Upper Paleolithic、略してIUP)から得られた最近の証拠と合わせると、これが論証するのは、ヒトがヨーロッパへの多くの異なる初期拡散において厳しい寒冷な条件下で活動しており、顕著な適応性を示唆している、ということです。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
考古学:初期のヨーロッパ人がアルプスを越えた時期
現生人類が約4万5000年前にアルプス山脈の北側に拡散したことを示唆する証拠を示した複数の論文が、NatureとNature Ecology & Evolutionに掲載される。この知見は、初期人類の先駆的な集団が北ヨーロッパに急拡大したことを示唆している。
ヨーロッパにおける中期/後期旧石器時代移行期(約4万7000~4万2000年前)は、ネアンデルタール人の地域的絶滅と現生人類の拡大に関連している。後期ネアンデルタール人は、現生人類が東ヨーロッパに到達してから数千年わたり西ヨーロッパで生き残っており、現生人類との交雑も起きていた。考古学的証拠から、この移行期にいくつかの異なる文化が勃興したことが示されているが、そのために特定のヒト族集団と行動適応の関連性が複雑化し、理解することが難しくなっている。例えば、北西ヨーロッパと中央ヨーロッパの石器産業の一種であるリンコンビアン・ラニシアン・エルツマノウィッチ(LRJ)の担い手が誰だったかが正確には分かっておらず、その候補としてネアンデルタール人と現生人類の両方が挙がっている。LRJは北ヨーロッパ(ドイツから英国まで)に広く分布していたため、LRJの担い手を解明することは、人類の移動を解明する上で重要な意味を持っている。
Natureに掲載される論文で、Jean-Jacques Hublinらは、ドイツのラニスにあるイルセンヘーレ洞窟で出土したLRJの遺物に直接関連する4万5000年前のものとされるヒト遺骸を調べたことを報告している。これらのヒト遺骸は、直接的な年代測定が行われたユーラシア大陸の後期旧石器時代の現生人類の遺骸の中でも最も古い年代のものとされる。解析の結果、LRJに関連した初期現生人類は、南西ヨーロッパで後期ネアンデルタール人が絶滅するよりもずっと前から、中央ヨーロッパと北西ヨーロッパに存在していたことが判明した。これらの知見は、中期/後期旧石器時代のヨーロッパが異なるヒト集団と文化のパッチワーク状態だったとする説を裏付けている。
一方、Nature Ecology & Evolutionに掲載される論文では、Geoff Smithらが、ドイツのラニスで出土した遺骸を分析したことを報告している。ラニスの遺跡は、寒冷なステップ・ツンドラ地帯に位置しており、移動生活をしていた現生人類の先駆的な小集団が、短期間の滞在のために便利な場所として使用して、ウマ、ケサイ、トナカイなどの大型陸生哺乳類を食べていたという見解が示されている。また、Nature Ecology & Evolutionに掲載される別の論文では、Sarah Pederzaniらが、この時代を生きた現生人類が異なる気候や生活環境に適応する能力を有していたことを示す証拠を調べたと報告している。Pederzaniらは、現生人類が4万5000~4万3000年前の極寒期においてもこの遺跡の場所を使用していたことを発見し、現生人類が初期の数回のヨーロッパへの拡散において厳しい寒さの中で活動していたことを明らかにし、特に寒冷環境に適応する能力を有していたという見方を示している。
参考文献:
Pederzani S. et al.(2024): Stable isotopes show Homo sapiens dispersed into cold steppes ~45,000 years ago at Ilsenhöhle in Ranis, Germany, Germany. Nature Ecology & Evolution, 8, 3, 578–588.
https://doi.org/10.1038/s41559-023-02318-z
Smith GM. et al.(2024): The ecology, subsistence and diet of ~45,000-year-old Homo sapiens at Ilsenhöhle in Ranis, Germany. Nature Ecology & Evolution, 8, 3, 564–577.
https://doi.org/10.1038/s41559-023-02303-6
一方の研究(Smith et al., 2024)は、イルゼン洞窟の45000年前頃となる現生人類の生態系と生計と食性を検証しています。イルゼン洞窟での最近の発掘により、45000年前頃までのヨーロッパの高緯度地帯への現生人類の初期の拡散が確認されました。本論文は、動物考古学と古プロテオミクスと堆積物DNAと安定同位体の結果を統合し、これら初期現生人類の生態系と生計と食性を特徴づけます。形態(1218点)もしくはZooMS(Zooarchaeology by Mass Spectrometry、質量分光測定による動物考古学)536点あるいはプロテオーム(タンパク質の総体)調査による種同定212点の古プロテオミクスを通じての2016~2022年の発掘から、全ての骨遺骸(1754点)が評価されました。主要な分類群には、トナカイやホラアナグマやケブカサイやウマが含まれ、寒冷な気候条件が示唆されます。多くの肉食獣の変形は、疎らな解体痕があり焼けた骨とともに、冬眠するホラアナグマと巣作りをするハイエにより遺跡がおもに使用され、ヒトの存在の変動が伴うことを示しています。動物相の多様性と肉食獣の侵入の多さは、26点の堆積物から回収された古代の哺乳類のDNAによりさらに裏づけられました。52点の非ヒト動物遺骸と10点のヒト遺骸から得られた大量のコラーゲンの炭素と窒素の安定同位体データは、寒冷な草原地帯/ツンドラ環境を確証し、大型陸生哺乳類に依存した均一なヒトの食性を示唆しています。このより低密度の考古学的痕跡は、他のLRJ遺跡と一致しており、先駆的な現生人類の小さく遊動的な集団による短期間の便宜的訪問によって最適に説明されます。
もう一方の研究(Pederzani et al., 2024)は、初期現生人類が存在した頃のイルゼン洞窟の環境を安定同位体分析に基づいて検証しています。ユーラシア全域における45000年前頃となる新たな生息地への現生人類の拡大と、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の同時に起きた消滅は、現生人類の歴史における重要な進化的転換期を表しています。LRJなど「移行期的」技術複合体は、この期間のヨーロッパの記録を特徴づけますが、その製作者や進化的異議は長い間不明なままでした。イルゼン洞窟から得られた新たな証拠は今や、LRJと45000年前頃の現生人類遺骸との確実なつながりを提供し、この45000年前頃の現生人類遺骸は、ヨーロッパ中央部への現生人類の最初の襲撃の一つなります。本論文は、ラニスにおけるLRJと上部旧石器時代のヒトの居住の約12500年間にまたがる連続的に標本抽出された16点のウマ科の歯の多くの安定同位体記録を用いて、初期の現生人類のさまざまな気候および生息条件への適応の能力を調べます。その結果、LRJの全期間にわたって寒冷な気候が多く、気温低下は45000~43000年前頃の顕著な寒冷可動域において頂点に達した、と示されます。直接的に年代測定された現生人類遺骸から、現生人類はこのひじょうに寒冷な段階においてもこの遺跡を使用していた、と確証されます。初期上部旧石器(Initial Upper Paleolithic、略してIUP)から得られた最近の証拠と合わせると、これが論証するのは、ヒトがヨーロッパへの多くの異なる初期拡散において厳しい寒冷な条件下で活動しており、顕著な適応性を示唆している、ということです。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
考古学:初期のヨーロッパ人がアルプスを越えた時期
現生人類が約4万5000年前にアルプス山脈の北側に拡散したことを示唆する証拠を示した複数の論文が、NatureとNature Ecology & Evolutionに掲載される。この知見は、初期人類の先駆的な集団が北ヨーロッパに急拡大したことを示唆している。
ヨーロッパにおける中期/後期旧石器時代移行期(約4万7000~4万2000年前)は、ネアンデルタール人の地域的絶滅と現生人類の拡大に関連している。後期ネアンデルタール人は、現生人類が東ヨーロッパに到達してから数千年わたり西ヨーロッパで生き残っており、現生人類との交雑も起きていた。考古学的証拠から、この移行期にいくつかの異なる文化が勃興したことが示されているが、そのために特定のヒト族集団と行動適応の関連性が複雑化し、理解することが難しくなっている。例えば、北西ヨーロッパと中央ヨーロッパの石器産業の一種であるリンコンビアン・ラニシアン・エルツマノウィッチ(LRJ)の担い手が誰だったかが正確には分かっておらず、その候補としてネアンデルタール人と現生人類の両方が挙がっている。LRJは北ヨーロッパ(ドイツから英国まで)に広く分布していたため、LRJの担い手を解明することは、人類の移動を解明する上で重要な意味を持っている。
Natureに掲載される論文で、Jean-Jacques Hublinらは、ドイツのラニスにあるイルセンヘーレ洞窟で出土したLRJの遺物に直接関連する4万5000年前のものとされるヒト遺骸を調べたことを報告している。これらのヒト遺骸は、直接的な年代測定が行われたユーラシア大陸の後期旧石器時代の現生人類の遺骸の中でも最も古い年代のものとされる。解析の結果、LRJに関連した初期現生人類は、南西ヨーロッパで後期ネアンデルタール人が絶滅するよりもずっと前から、中央ヨーロッパと北西ヨーロッパに存在していたことが判明した。これらの知見は、中期/後期旧石器時代のヨーロッパが異なるヒト集団と文化のパッチワーク状態だったとする説を裏付けている。
一方、Nature Ecology & Evolutionに掲載される論文では、Geoff Smithらが、ドイツのラニスで出土した遺骸を分析したことを報告している。ラニスの遺跡は、寒冷なステップ・ツンドラ地帯に位置しており、移動生活をしていた現生人類の先駆的な小集団が、短期間の滞在のために便利な場所として使用して、ウマ、ケサイ、トナカイなどの大型陸生哺乳類を食べていたという見解が示されている。また、Nature Ecology & Evolutionに掲載される別の論文では、Sarah Pederzaniらが、この時代を生きた現生人類が異なる気候や生活環境に適応する能力を有していたことを示す証拠を調べたと報告している。Pederzaniらは、現生人類が4万5000~4万3000年前の極寒期においてもこの遺跡の場所を使用していたことを発見し、現生人類が初期の数回のヨーロッパへの拡散において厳しい寒さの中で活動していたことを明らかにし、特に寒冷環境に適応する能力を有していたという見方を示している。
参考文献:
Pederzani S. et al.(2024): Stable isotopes show Homo sapiens dispersed into cold steppes ~45,000 years ago at Ilsenhöhle in Ranis, Germany, Germany. Nature Ecology & Evolution, 8, 3, 578–588.
https://doi.org/10.1038/s41559-023-02318-z
Smith GM. et al.(2024): The ecology, subsistence and diet of ~45,000-year-old Homo sapiens at Ilsenhöhle in Ranis, Germany. Nature Ecology & Evolution, 8, 3, 564–577.
https://doi.org/10.1038/s41559-023-02303-6
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