アヴァール人の社会的慣行
アヴァール人の社会的慣行を分析した学際的研究(Gnecchi-Ruscone et al., 2024)が公表されました。本論文は、6~9世紀にヨーロッパ中央部東方に存在したアヴァール人の社会的慣行を、遺伝学(古代ゲノム解析)と考古学と人類学と歴史学と組み合わせて分析しています。その結果、9世代にまたがり、約300個体から構成される大規模な系図が再構築され、父方(夫方)居住と女性族外婚が規範とされており、複婚やレビレート婚(逆縁婚、女性が死亡した夫の兄弟と再婚すること)が一般的だった、厳密な父系親族関係が明らかになりました。こうした厳密な父系親族関係の社会は、ユーラシア内陸部、とくに草原地帯の遊牧民的集団で発達したようです。こうした過去の人類集団に関する大規模な学際的研究は、本論文でも示されているようにやはりヨーロッパが最も進んでいる、と言えるでしょうが、今後はアジア東部など他地域でも研究が進展するよう、期待されます。
●要約
アヴァール期が始まった567~568年以降、ユーラシア草原地帯起源の人口集団が、約250年間にわたってカルパチア盆地に定住しました。考古ゲノミクス(424個体)と同位体の広範な標本抽出が、アヴァール期の4ヶ所の墓地の考古学と人類学と歴史学の文脈化と組み合わされることで、これらの共同体とその親族関係および社会的慣行の詳細な描写が可能となりました。本論文は、9世代にまたがり、約300個体から構成される古代DNAを用いて再構築された、大規模な系図を提示します。本論文は厳密な父系親族関係制度を明らかにし、この父系制では、父方居住と女性族外婚が規範とされ、複婚やレビレート婚が一般的でした。近親婚の欠如から、この社会は何世代にもわたって家系の詳細な記憶を維持していた、と示唆されます。これらの親族関係慣行は、歴史資料から得られた以前の証拠およびユーラシア草原地帯社会に関する人類学的研究と一致します。
同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)のDNAのつながりの網状解析から、共同体間の社会的結合は女性族外婚を介して維持されていた、と示唆されます。最後に、主要な祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の変化はないにも関わらず、本論文の分析の解像度の水準により、遺跡群のうち1ヶ所における共同体の置換に起因する遺伝的不連続性の検出が可能となりました。これは、考古学的記録における変化と一致しており、恐らくは局所的な政治的再編の結果でした。
●研究史
過去の社会の親族関係慣行と社会組織は、現代まで残った断片的な考古学および歴史学の情報をだけの使用では、評価が困難です。生物学的近縁性は社会的親族関係と必ずしも対応していませんが、それにも関わらず、過去の親族関係慣行の要素を推測する強力な手法を提供します。古代DNAは系図の推測に用いられてきましたが(関連記事1および関連記事2および関連記事3)、古代の人口集団における親族関係の程度の把握を可能とするには、かなりの規模の墓地全体に焦点を当てる標本抽出手法が必要です。近縁性構造の同じ種類の複数の観察のみが、無作為の発生を排除し、信頼できるパターンを示すことができます。考古学的文脈化は社会的意味を追加し、生物学的金運性とヒトの行動との間の複雑な相互作用を解明でき、研究者がより大きな規模で親族関係慣行を推測するのに役立ちます。
6世紀後期から9世紀初期にかけて、アヴァールはヨーロッパ中央部東方の支配的勢力でした。アヴァールは、アジア中央部東方、おそらくは突厥に滅ぼされた柔然(Rouran)可汗国に起源があり、草原地帯騎馬戦士とその家族の中核集団は557~558年頃にコーカサスの北側に到来し、567~568年頃にそこでさらに集団がカルパチア盆地への進軍に加わりました。こり地域はアヴァール帝国の中心となり、アヴァール人はゲピド王国やランゴバルド王国がその後に続いた、以前のローマ期に由来する多様な人口集団の間に居住しました。ビザンチン帝国のバルカン半島人への広範な侵入が626年に終わった後で、アヴァール社会は多くの点で変わりました。考古学的記録から、新たな安定した集落における定住生活様式が出現し、数百基の墓を含むより巨大な墓地があり、文化的表現はより均質になった、と示唆されています。アヴァール王国は、800年頃にシャルルマーニュ(カール大帝)のフランク軍に征服されるまで存続しました。可汗やイウグルス(iugurrus)やトゥドン(tudun)やタルカン(tarkhan)など文字資料に記載されているテュルク語の階級称号は、政治的構造のアジア中央部的特色がアヴァールの支配の終わりまで維持されていたことを記録しています。社会構造の観点では、ユーラシア牧畜民の草原地帯の民族では父系組織が標準的ですが、歴史資料の不足のため、これまでアヴァールの社会慣行を調査できませんでした。
現在のハンガリーの完全に発掘された4ヶ所の墓地の徹底的な標本抽出から新たなゲノムデータを生成し、新たな同位体データと詳細な考古学的および人類学的特徴づけを組み合わせることにより、本論文は高解像度でのこれらの共同体の人口構造と親族関係と社会組織の調査を目的としました。生物学的に密接な親族関係にある298個体が同定されたことにより、広範な系図の再構築と、大ハンガリー平原全体にわたる遠い近縁性の交流網の構築が可能となりました。親族慣例および社会慣行の追跡、男女の移動性への洞察、遺跡の年表の精密化を可能とする、反復的パターンの顕著な証拠が見つかりました。最大の墓地では、考古学的記録および食性習慣の変化と関連した共同体の置換を特定でき、局所的な政治再編が示唆されます。この置換には祖先系統の変化が伴わず、生物学的近縁性パターンの変化によってのみ検出されました。
●墓地全体の分析
大ハンガリー平原は、アヴァール期の草原地帯人口集団にとって主要な定住地でした。ティサ(Tisza)川により区分される2ヶ所の主要な地域、つまりティサ川の東側のトランスティサ(Transtisza、略してTT)地域、西方のドナウ川とティサ川の河間(Danube–Tisza interfluve、略してDTI)地域を等しく網羅する、4ヶ所の墓地が選択されました(図1)。DTIは可汗国(アヴァール帝国)の権力の中心地で、そこでは、たとえばクンバドニー(Kunbábony)など最高位のアヴァール人エリートの埋葬が発見されており、これらの埋葬は以前のゲノム研究でも調査されました(関連記事)。この地域からは、豊富な副葬品と精巧な金銀で装飾された剣と帯と装身具類を伴う初期アヴァールのエリート墓地群と、貧しい後期アヴァールの埋葬の第二の墓地群から構成される、クンペザー(Kunpeszér、略してKUP)遺跡(33ヶ所の埋葬)が標本抽出されました。同じ地域のクンスザラス(Kunszállás、略してKFJ)遺跡(63ヶ所の埋葬)は7世紀半ばに創設され、すでに中期および後期アヴァール期のより均一な物質文化に属しています。
TT地域は、死者の近くの動物や動物の皮や馬具の配置など、草原地帯と関連する埋葬慣行でよく知られています。ラコクズィファルヴァ(Rákóczifalva、略してRK)が選択されたのは、この地域の最大級の墓地の一つで(308基の墓のうち279基が標本抽出されました)、570年頃から9世紀半ばまで連続的に居住されていたからです。ハイドゥーナーナーシュ(Hajdúnánás、略してHNJ)遺跡(18ヶ所の埋葬)の墓地が、TT地域の北部を網羅するため選択されました。以下は本論文の図1です。
品質管理後に、平均網羅率2.6倍の424個体では、約124万ヶ所の一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)を網羅するゲノム規模データが得られました。さらに、RKとKUPとKFJの154個体について新たなストロンチウム(Sr)と炭素(C)と窒素(N)の同位体データ(⁸⁷Sr/⁸⁶Sr、δ¹³C、δ¹⁵N)が、RKでは57点の新たな放射性炭素年代が生成されました。
●系図:遺跡内の厳密な父系制
系図を再構築するため、最近公開されたソフトウェアであるKINを用いて、密接な生物学的近縁性が推定されました。KINは、低網羅率の古代DNAで1親等か2親等か3親等の親族関係にある個体(密接な遺伝的近縁性と定義されます)を特定するよう設計されました。遺跡間で密接な遺伝的近縁性は見つかりませんでしたが、各遺跡のほとんどの個体は密接に関連しており、合計で373組の1親等(235組の親子と138組のキョウダイ)と500組以上の2親等の親族を構成しています。そのような多数、とくに1親等の組み合わせの多さにより、2個体から146個体の範囲まで、さまざまな規模の合計で31系統の系図再構築が可能となりました(図2a)。これらの拡張された系図は、ほぼ例外なく厳密な父系を示します。この調査結果は、父方居住と女性族外婚の説得力のある証拠を提供し、それは近縁な個体間で観察されるY染色体とミトコンドリアDNA(mtDNA)の多様性における顕著な違いを説明します。以下は本論文の図2です。
RK(ラコクズィファルヴァ)内では、202個体に同遺跡で少なくとも1人の親族がおり、親族関係になかったのは64個体だけでした。親族関係にある個体のうち、146個体は最大で連続した9世代にまたがる拡張「大」系図を形成していました。これが、創始者の男性11個体の子孫である、つながった5系図(1~5の番号が付されています)に区分されました。さらに34個体が、年代順にしょきアヴァール期にさかのぼる追加の複数世代の4系図(6~8と12の番号が付されています)を形成し(図2a)、残りはより小さな単位を形成しました。
成人(18歳以上)はRKの墓地全体の83%を占めており、男女の個体数はほぼ同じです。しかし、RKの系図には男性の個体数が女性の2倍含まれていまするこの男性への偏りは、娘に対する息子のより高い比率に起因し、102個体の息子(成人77個体と未成年25個体)と、ほぼ未成年の20個体の娘(成人5個体と未成年15個体)が見つかりました。系図の血統構造から、厳密な父系制が観察できます。成人女性1個体(RKC024)のみに、墓地に埋葬された子供がおり、その息子(RKC012)は欠落した父親を通じて系図の他の構成員と2親等の親族関係にあります。したがって、RKC024とその欠落した配偶者は、6親等の親族関係にあります。全ての他の母親には遺跡では両親が欠けており、族外婚の配偶者と考えられます。代わりに、全ての父親は各系図の創始者男性(複数)個体の子孫で、例外はありません(図2a)。共同体の創始者の役割は、とくに重要だったかもしれません。いくつかの事例では、創始者の男性個体(もしくは、男性個体のうち1人の、兄弟の事例)は、地位の象徴と考えられる貴重な副葬品とともに埋葬されており、それは、初期アヴァール期における馬具や帯一式と、後期アヴァール期における帯一式です。
KFJ(クンスザラス)遺跡の系図は、遺伝的近縁性の同じパターンを示します。KFJ遺跡では、二番目に大きな系図を形成する45個体のうち、21個体が息子(そのうち10個体が未成年)で、13個体が娘(そのうち11個体が未成年)です。KUP(クンペザー)遺跡とHNJ(ハイドゥーナーナーシュ)遺跡の墓地では同様の傾向が観察されますが、個体数は少なくなっています。
これらのパターンは、女性系統、つまりmtDNAとハプログループ(mtHg)と、男性系統、つまりY染色体ハプログループ(YHg)との間の顕著な違いに反映されています。約50の異なるmtHg と比較して、Y染色体の2系統、つまりJ1a2a1a2d2b2b2~(Z2317)とJ2b2a1a1a1a1a1a1e~(CTS11760)のみ(以下、それぞれJ1aおよびJ2bと表記されます)が、RKの家系1~8と12で見つかります。KFJとKUPの両遺跡において、親族関係にある個体とない個体でY染色体の1系統、つまりN1a1a1a1a3a2(Y16220)のみ(以下、N1aと表記されます)が見つかり、それと比較して、mtHgは約20あります。別のYHgであるQ1a2a1(L715)は、HNJ遺跡の家系1の全男性個体間で共有されています(以下、Q1aと表記されます)。
系図と墓および墓群の空間配置の比較から、生物学的近縁性と社会的近縁性がどの程度対応しているのか、評価が可能となり、血統の概念が埋葬地の構成の中心だった、と論証されます。少ない例外がありますが、同じ系図の全個体は同じ埋葬クラスタ(まとまり)で見つかります(図2b)。
より密接な血統単位の観点では、両親と乳児と学童期(6~7歳から12~13歳頃)と成人男性のキョウダイでさえ、相互に近くに埋葬され、密接な親族のクラスタを形成する、と分かりました。これらの集団内では、親族関係にない女性個体がよく見つかります。じっさい、RK遺跡の親族関係にない64個体では強い性別の偏りがあり、それは女性が51個体なのに、男性はわずか13個体だからです。これらの女性個体のほとんどは、若い成人です。男性個体はより均衡のとれた年齢分布を示し、親族関係にある女性個体では、より年長の成人の頻度がより高くなります。年齢分布と系図クラスタでの位置と年表と埋葬慣行と副葬品から、親族関係にない女性個体は、系統の男性個体の族外婚の配偶者で、まだ繁殖をしていなかったか、子供が遺跡では発見されていない可能性が高い、と示唆されます。したがって、そうした女性は生物学的に親族関係にあるとは検出されませんが、依然として社会単位の一部かもしれません。
系図に基づくと、女性の繁殖年齢の開始は18~20歳だった、と推測できます。最も若い母親は死亡時に18~22歳でしたが、最も若い父親は死亡時に24~29歳でした。これは、学童期がその両親の隣に埋葬され(死亡時に、16~19歳の女性個体と、18~22歳の男性個体)、系統の女性個体は学童期後期~成人初期に系図から消える、という観察と一致します。
●結婚戦略とレビレート婚
遺跡間のもう一つの一貫したパターンは、複数の繁殖相手を有する男女の個体が多いことです。RKのみで、男性配偶者1人を含む15事例と、女性配偶者1人を含む7事例が発見されました。男性個体は10事例で2人の配偶者が、4事例で3人の配偶者が、1事例(RKF042))で4人の配偶者がおり、これらの個体の約85%はより年長(35~59歳)の男性でした。死亡時に最も若い年齢の女性配偶者(RKC011)は連続的な一夫一婦を示唆しているかもしれませんが、複数の結婚におけるより年長の女性配偶者の存在は、一夫多妻を示唆します(RKF042とRKF180)。複数の繁殖相手は、HNJ遺跡(1事例)とKFJ遺跡(4事例)でも発見されました。これは、一夫多妻が、歴史資料から知られている社会の最上層に限定されなかったかもしれず、一般人口でも起きたかもしれないことを意味しています。
同じ女性配偶者との間に子供のいる密接な親族関係にある男性個体の、複数の事例と、間接的な証拠を通じての別の事例も特定され、それは、父親と息子の3組、全兄弟(両親が同じ兄弟)の2組、半兄弟の1組(両親の一方のみが同じ兄弟)、父方のオジと姪の1組です。これらの結婚はレビレート婚だった(ものの、一部の事例では繰り返しの一夫多妻だった可能性を除外できません)、と本論文は推測します。レビレートという言葉は聖書起源ですが、歴史学と人類学の研究では、この用語はより広く適用されており、死者の未亡人と男系の親戚との間の結婚を指します。父系で女性族外婚が観察される牧畜社会ではよく見られますが、レビレート慣行はアジア中央部とコーカサスでは最近まで一般的でした。アヴァールについては言及されていませんが、レビレートの関係はいくつかの草原地帯の人々についての同時代の文字資料で証明されており、系図で見られるのは恐らく正式なレビレートで、婚外関係ではなかった、と示唆されます。
情報源によると、レビレート婚は、死者の男系の親戚が未亡人と血縁で親族関係にある場合には起こり得ません。じっさい、分析された全個体における同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)断片の欠如に基づくと、生物学的近親婚の事例は見つかりません。レビレートおよび複数配偶者との結婚の発生率が高いにも関わらず、2親等水準の結婚など、より遠い近親婚と一致するROHパターンさえ検出されません。ユーラシア草原地帯の人々では、父系内での近親婚は、一定の世代数を経た後でのみ許可され、それは5~9世代の範囲かもしれません。そうした規則は、さらに遠い生物学的近親婚の欠如を説明するでしょう。親族関係にある繁殖相手の唯一検出された事例が6親等(そうした規則と依然として一致しているでしょう)で、RKでは唯一の非族外婚女性個体を含んでいるのは、興味深いことです。これは、この単一の事例の独自性をさらに示唆します。
上述の現象は、本論文で調査されたアヴァール社会の一部には、ユーラシア遊牧民の草原地帯の人々に匹敵する構造があった、との推測につながります。その基本的な社会単位は、父系で組織された家族です。父系の系図はユーラシア草原地帯遊牧民の構成要素で、その家系はさかのぼり、男性創始者の出生順にしたがって位置づけられます。この概念は、さまざまな地位の指標により考古学的資料で証明されているように、社会のより小さな単位でもより大きな単位でも厳密に階層化された構造をもたらします。本論文はアヴァール社会を、8世紀のオルホン(Orkhon)碑文に基づいて再構築された古いテュルクの親族関係制度と類似した同時代のものとして考えることができます。
●女性族外婚を通じた共同体のつながり
族外婚の女性個体は、RK(ラコクズィファルヴァ)遺跡内と遺跡間の両方で、さまざまな創始者父系のつながりにおいて中心的役割を担っている、と観察されます。独特な一事例は女性個体RKF140により表され、RKF140は2組の異なるレビレート婚の一部で、異なる2系図の合計4人の繁殖相手がおり、中期~後期のアヴァール期の2組の大規模な父系単位(父系3と父系4~5)をつなぎます。じっさい、大きなRK系図のほとんどは女性系統を投じてつながっており、1親等の親族関係の女性個体(姉妹もしくは母親)を欠いている1個体は父系1と父系2をつなぎ、残りの2個体は父系2と父系3をつなぎます。
族外婚の女性個体の役割は、アヴァールの4ヶ所の遺跡の個体内および個体間での対でのancIBDとhaplotype-IBDのパターンを分析すると、さらに明らかになります(図3)。IBD共有の網状解析(図3a)では、RK遺跡とKFJ(クンスザラス)遺跡の大規模な系図内で予測される、密接な遺伝的近縁性を反映する、緊密なクラスタ(まとまり)を観察できます。成人のみのつながり(図3b)では、多くの女性個体は各遺跡のクラスタ外に位置し、男性個体よりもIBDのつながりが有意に少ない、と推定され、これはより低次の中心性分布により反映されており、各個体のつながりの数に対応しています(図3c)。女性個体は代わりに、遺跡間の有意により高い比率のつながりを示します。さらに、他の遺跡とのIBDのつながりを示す、遺跡内で親族関係にない女性個体の7事例が見つかり、男性個体ではそうした事例が見つかりません(図3a・b)。まとめると、本論文の証拠は、父系を中心に密接に集中し、族外婚の女性個体により他の共同体と関連している共同体網の存在を示します。以下は本論文の図3です。
IBD網における以前に刊行されたアヴァール期遺跡群から得られたデータ(関連記事1および関連記事2)が含められましたが、本論文の全体的な墓地標本抽出手法と、以前の疎らな標本抽出手法との間には標本抽出戦略に偏りがあり、以前の手法では、1ヶ所の遺跡あたりわずか数個体が分析され、つながりの完全な程度の観察が妨げられました。それにも関わらず、地理的構造化の観察は可能で、それは、DTI(西方のドナウ川とティサ川の河間地域)とTT(ティサ川の東側のトランスティサ地域)の遺跡での地域間のつながりよりも多くの地域内のつながりが見つかるからです。
さらに、ホルトバージ=アルクス(Hortobágy-Árkus、略してARK)とHNJ(ハイドゥーナーナーシュ)の2ヶ所の近隣の遺跡(約50km離れています)はとくに高度につながっており、同じYHgを共有しています。YHg-N1aのDTIの男性個体はともにクラスタ化する(まとまる)傾向にあることも、観察されます。この系統【YHg-N1a】はKUP(クンペザー)とKFJの遺跡間で一般的であるだけではなく、初期アヴァール期DTIエリート遺跡で共有もされています。興味深いことに、これらの遺跡で最高位と推定される個体、つまり墓で見つかった豊かな地位の象徴に基づいて可汗の埋葬かもしれないと解釈されたクンバドニー遺跡の単葬は、新規および以前に刊行された分析対象の個体全員で、最高数の遺跡間のIBDのつながりを有しています。
●地域権力の再編
考古学的には、RK(ラコクズィファルヴァ)遺跡はアヴァールの全期間にまたがっています。最大60%まで年代の不確実性を減らす、放射性炭素(¹⁴C)年代のベイズモデル化における系図の世代により提供される相対的な年代の枠組みを組み込むことにより、大きな3系図の開始および終了事象を改定し(約300年間の最大幅)、それらを相対的な順序で配置できます。年表と系図の統合により、7世紀後半における局所的な共同体の変化の観察が可能となります。まず、アヴァール期初期にはより小さな10の系図が見つかりますが、つながっている3系図のみが中期および後期の段階では優勢になります(図2)。
驚くべきことに、YHg-J1aの男性系統が初期の系図でほとんど見られるのに対して、YHg-J2bは後期の系図に現れ、優勢な男性系統になります(系図3と4と5の男性は全員YHg-J2bです)。この変化が起きた時期を明確に特定でき、家系2から家系3にかけての、一方がYHg-J1aの家系2、系図異母兄弟間のつながりを介してです。じっさい、家系2は初期段階から後期段階にまたがる唯一の家系で、この変化後に残っているYHg-J1aの系統を存続させています。RKにおけるハプロタイプIBD網はさらに明確なパターンを示し、共同体の変化を示唆しており、それは、異なるYHg-J1aを有する家系とYHg-J2bを有する家系の全てが、それらの間よりもそれらの内部で多くのIBDを共有し、YHg-J1aとYHg-J2bの男性個体を分離する、明確に異なるクラスタを形成するからです(図3a)。
興味深いことに、家系2の上の1世代(アヴァール期中期の第4世代)では、親族関係にある男性12個体が存在し、そのうち3個体のみに遺跡に埋葬された子供がいました。少年の2個体(18~22歳と15~17歳)を除いて残りの男性個体は、墓地で子供が見つからなかった成人でした。この証拠は、RKで埋葬された共同体における父系の置換をさらに裏づけます。関連する骨格外傷はこれらの個体で観察されなかったので、男性系統における変化は明らかに暴力行為に起因するものではあり得ません【直接的な身体攻撃ではなく、威嚇や脅迫が用いられたかもしれませんが】。分析された全遺跡で観察された強い父系制を考えると、この変化は強い社会的影響を及ぼしたに違いありません。
この変化は考古学的証拠を反映しています(図2b)。まず、RK遺跡の西側の墓群は、アヴァール期初期の大きな家系2といくつかのより小さな家系で構成されています。埋葬地のこの部分は放棄されており、家系2の子孫の多くはその時点で去った、と考えられます。数ヶ所の散在する初期の埋葬を除いて、墓地の中心部はその後アヴァール期中期に東部とともに、家系4および5の創始者により設立され、東部は家系3と家系2の個体群の最新の集団でほぼ構成されており、家系2の最新の個体群は生物学的に家系3と親族関係にあります。木製の墓の建設など新たな埋葬慣行が新たに定住した家族の墓を区別するのに対して、死者の頭の隣に置かれる馬具もしくは壺など古い埋葬慣行は段階的に廃止されました(図2b)。
RKでは、初期アヴァール期においてその後の段階より有意に高いδ¹³C値と低いδ¹⁵N値も見つかりました。とくに初期段階では、炭素同位体データは食性組成におけるC₄植物組成のかなりの寄与からの漸進的変化を明らかにしており、恐らくはアジア東部の主要な穀物であるキビ(関連記事)からC₃植物の優勢へと変わりました。キビはその後の段階でも消費されていましたが、顕著に高いδ¹³C値の個体群は、アヴァール期の中期と後期には存在しません。後期段階におけるより高いδ¹⁵N値は、肉と乳製品の消費の増加を示唆します。しかし、ほぼ重なっている範囲から、これは個体の一部にしか影響を及ぼさなかった、と示唆されます。初期段階に始まるものの、とくに中期および後期段階では、顕著に高いδ¹⁵N値の男性個体の多数の埋葬が観察されます。
まとめると、これらの調査結果から、アヴァール期中期のRKにおいて、埋葬された、つまり生きていた可能性の高い共同体の置換があったので、と示唆されます。個体群の祖先系統と相続制度はこの変化の前後で変わらなかったものの(図4)、その後の共同体は埋葬慣行と食生活の点で異なっていました。HNJ(ハイドゥーナーナーシュ)遺跡とKFJ(クンスザラス)遺跡の墓地がこの後半の期間に設立されたことは注目に値し、7世紀後半にカルパチア盆地でより大きな変容が起きた、と示唆されます。以下は本論文の図4です。
●ヨーロッパにおける草原地帯の子孫の共同体
集団ゲノム解析(図4)から、4ヶ所の墓地は草原地帯の子孫である共同体に属していた、と確証されます。個体のほとんど(88%)は、最終的にはユーラシア東部草原地帯にたどれるアジア北東部祖先系統特性(関連記事1および関連記事2および関連記事3)を、ユーラシア西部供給源とのさまざまな程度の混合で有しています。アジア北東部祖先系統の割合の範囲は、DTI(西方のドナウ川とティサ川の河間地域)のKUP(クンペザー)遺跡での中央値約100%から、TT(ティサ川の東側のトランスティサ地域)のRK(ラコクズィファルヴァ)遺跡のわずか32%までとなります。
qpWave/qpAdmの混合モデル化(拡張図8)とDATES(Distribution of Ancestry Tracts of Evolutionary Signals、進化兆候の祖先系統区域の分布)の混合年代測定からの独立した証拠は、アヴァール期、したがってカルパチア盆地におけるこれらの人口集団の到来にほぼ先行し、おそらくは草原地帯で起きた、何世紀にもわたるユーラシア東西の供給源間の継続的な混合の過程を明らかにします。これらの分析から、在来の同時代(6世紀以後)のカルパチア盆地人口集団との到来後の混合は約20%だった、と示唆されます。以下は本論文の拡張図8です。
これらの人口集団の最近の草原地帯起源を確証する明確なパターンにも関わらず、ストロンチウム同位体組成(⁸⁷Sr/⁸⁶Sr)はほぼ同様で、その値は局所的および地域的差異と一致します。KUPおよびKFJ(クンスザラス)遺跡のデータセットが相互と同位体的には区別できなかったのに対して、RK遺跡ではかなり多い放射性ストロンチウムが得られ、局所的な基準値の差異が小さい、と示唆されます。この均一性から、局所的な移動(たとえば、大ハンガリー平原内)が妥当ではあるものの、遠い地域間(ユーラシア草原地帯全域など)の移動は、同位体的に区別できる必要があることから、可能性は低い、と示唆されます。これが示唆するのは、例外かもしれない1事例を除いて、移民の第一世代は墓地に埋葬されず、アヴァール期全体にわたる高度な地域的連続性があった、ということです。
標本抽出の密度により、先行研究では気づかれなかったゲノム祖先系統の地理的構造化のパターンの解明が可能となりました。これはDTI遺跡(KUPとKFJ)とTTのRK遺跡との間で最も明らかであり、アヴァールの全期間を網羅します。しかし、その混合特性はほぼ区別できず、重複していません(図4b)。じっさい、KFJ個体群はアヴァール期後期において大量のアジア北東部祖先系統を有していますが、RK個体群はその初期段階でさえ混合祖先系統を有しており、その95%は到来前の年代でした。これは、DTIとTTとの間よりもDTIとTT内で高いIBD共有という観察と一致します。これらの違いは、考古学的記録で見られる文化的違いを反映しています。TT地域の遺跡、とくにRK遺跡でのいくつかの特徴は、シヴァショフカ(Sivashovka)層準として知られるポントス草原地帯の6~7世紀の遊牧民の埋葬と顕著に類似しています。代わりに、KUP 遺跡の初期の墓を含むDTI地域のエリートの一部の文化的要素は、ユーラシア東部草原地帯にたどることができます。
結論として、本論文は草原地帯の子孫の共同体全体のカルパチア盆地における到来と定着を確証します。本論文は、遺伝的および文化的に異なる草原地帯共同体がこの地域に定住し、在来人口集団とのいくらかの混合にも関わらず、アヴァール期を通じて独特なままだった、と明らかにします。このかなりの到来後の遺伝的連続性は、経時的なかなりの同位体の均一性とともに、草原地帯からの連続的な大規模移住があった、という長きにわたる考古学的仮説に疑問を提起し、代わりに一度定着した局所的で近距離の移動性を示唆します。
●まとめ
アヴァール期の4ヶ所の遺跡から得られた拡張多世代系図の再構築は、父系制と父方居住と女性族外婚と近親婚の厳密な回避と、一部の事例では複数の繁殖相手とレビレート婚だったと思われる慣行に基づく、一貫した繁殖戦略を示唆します。社会的および生物学的近縁性はかなりの程度重複している、という兆候が見つかり、それは、生物学的近縁性のパターンが墓と副葬品の空間分布に対応しているからです。これらの社会的慣行は6世紀後期から9世紀初期まで、政治的変化や物質文化に反映されている生活様式の変化や食性変化や在来の人口集団との相互作用を生き残りました。家系単位は父系を中心に厳密に組織されていましたが、より大規模に族外婚の女性個体でつながっており、これらのつながりはアヴァール社会の主要な結合要素の一つだったかもしれません。
初期段階で見つかったのは2世代から4世代の小さな家系がほとんどで、4世代から7世代のより大きな家系は7世紀後半に始まりました。この変化はアヴァール期中期以降の墓地および集落の規模拡大と、カルパチア盆地における中世初期の集落制度の発達を反映しています。本論文で分析された遺跡のうち最大となるRK(ラコクズィファルヴァ)は、7世紀後半に共同体の変化を経ており、それは恐らく、局所的権力の再編により起きましたが、社会組織もしくは一般的な祖先系統のパターンには影響を及ぼしませんでした。この変化の検出には墓地全体の生物学的近縁性網の再構築が必要で、祖先系統水準での遺伝的連続性は、共同体全体の置換を依然として隠しているかもしれない、と示されます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。
考古学:古代のゲノムからアバール人コミュニティーの社会組織と権力の再編が明らかになった
6~9世紀に中央ヨーロッパ東部に定住していたアバール人(古代ユーラシアの遊牧民集団)の詳細な系図が作成され、この集団の社会構造の詳細が明らかになり、政治権力の再編が起こっていた可能性を示す証拠が得られた。このことを報告する論文が、今週、Natureに掲載される。今回の研究では、9世代にわたる約300人を対象とした古代DNAの大規模なサンプリングが行われ、アバール人の集団構造、親族関係、および社会組織が再構築された。
アバール人は、6~9世紀の中央ヨーロッパ東部で強大な勢力を誇っていた。中央アジア東部(ユーラシア・ステップ)を起源とし、西暦567~568年の間にカルパチア盆地に到達したと考えられている。アバ―ル人社会の社会的慣習については、考古学的情報と歴史的情報が十分に集まっておらず、包括的な古代DNA試料もないという状況が制約となって解明が進んでいない。
今回、Guido Gnecchi-Ruscone、Johannes Krause、Zuzana Hofmanová、Zsófia Ráczらは、現在のハンガリー国内に位置する4カ所の墓地で得られたゲノムデータに加えて、新たに取得した同位体データ、詳細な考古学的特徴と人類学的特徴の分析結果を合わせることで、アバ―ル人コミュニティーの集団構造、親族関係社会組織を洞察する手掛かりが得られたことを報告している。著者らは4カ所の墓地に埋葬されていた424人のDNAをサンプリングし、そのうちの298人のデータを用いて系図を再構築し、コミュニティー間のつながりを調べることができた。その結果、アバ―ル人の社会が父系制であり、出自が父子関係を通じてのみたどることができ、男性が生まれ故郷のコミュニティーを離れることなく一生を終えることが明らかになった。これに対して女性は、移動性が高く、異なるコミュニティーを結び付けていた可能性がある。また、一夫多妻制(男性が2人以上の生殖パートナーを持つ制度)とレビレート婚(夫と死別した女性が故人の兄弟のパートナーになる制度)があったことを示す証拠がいくつか明らかにされている。こうした親族慣習は、いずれもユーラシア・ステップ社会に関する既存の研究とも矛盾がない。
調査対象となった墓地の1つは、アバ―ル時代を通じて存在していた。著者らは、7世紀末にかけて遺伝的変化があったことを発見した。この地域で支配的な地位にあった父系が別の父系に置き換わっており、このことはこの地域で政治権力の再編があったことを示している。
古遺伝学:大規模な家系図のネットワークから明らかになった、アバール人コミュニティーの社会的慣行
古遺伝学:古代ゲノムが示すアバール人の家族・社会システム
今回、アバール時代の424人の古DNAの詳細な解析から、多世代にわたる大規模な家系図が再構築され、6~9世紀の中央ヨーロッパ東部の社会構造が推論されている。
参考文献:
Gnecchi-Ruscone GA. et al.(2024): Network of large pedigrees reveals social practices of Avar communities. Nature, 629, 8011, 376–383.
https://doi.org/10.1038/s41586-024-07312-4
●要約
アヴァール期が始まった567~568年以降、ユーラシア草原地帯起源の人口集団が、約250年間にわたってカルパチア盆地に定住しました。考古ゲノミクス(424個体)と同位体の広範な標本抽出が、アヴァール期の4ヶ所の墓地の考古学と人類学と歴史学の文脈化と組み合わされることで、これらの共同体とその親族関係および社会的慣行の詳細な描写が可能となりました。本論文は、9世代にまたがり、約300個体から構成される古代DNAを用いて再構築された、大規模な系図を提示します。本論文は厳密な父系親族関係制度を明らかにし、この父系制では、父方居住と女性族外婚が規範とされ、複婚やレビレート婚が一般的でした。近親婚の欠如から、この社会は何世代にもわたって家系の詳細な記憶を維持していた、と示唆されます。これらの親族関係慣行は、歴史資料から得られた以前の証拠およびユーラシア草原地帯社会に関する人類学的研究と一致します。
同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)のDNAのつながりの網状解析から、共同体間の社会的結合は女性族外婚を介して維持されていた、と示唆されます。最後に、主要な祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の変化はないにも関わらず、本論文の分析の解像度の水準により、遺跡群のうち1ヶ所における共同体の置換に起因する遺伝的不連続性の検出が可能となりました。これは、考古学的記録における変化と一致しており、恐らくは局所的な政治的再編の結果でした。
●研究史
過去の社会の親族関係慣行と社会組織は、現代まで残った断片的な考古学および歴史学の情報をだけの使用では、評価が困難です。生物学的近縁性は社会的親族関係と必ずしも対応していませんが、それにも関わらず、過去の親族関係慣行の要素を推測する強力な手法を提供します。古代DNAは系図の推測に用いられてきましたが(関連記事1および関連記事2および関連記事3)、古代の人口集団における親族関係の程度の把握を可能とするには、かなりの規模の墓地全体に焦点を当てる標本抽出手法が必要です。近縁性構造の同じ種類の複数の観察のみが、無作為の発生を排除し、信頼できるパターンを示すことができます。考古学的文脈化は社会的意味を追加し、生物学的金運性とヒトの行動との間の複雑な相互作用を解明でき、研究者がより大きな規模で親族関係慣行を推測するのに役立ちます。
6世紀後期から9世紀初期にかけて、アヴァールはヨーロッパ中央部東方の支配的勢力でした。アヴァールは、アジア中央部東方、おそらくは突厥に滅ぼされた柔然(Rouran)可汗国に起源があり、草原地帯騎馬戦士とその家族の中核集団は557~558年頃にコーカサスの北側に到来し、567~568年頃にそこでさらに集団がカルパチア盆地への進軍に加わりました。こり地域はアヴァール帝国の中心となり、アヴァール人はゲピド王国やランゴバルド王国がその後に続いた、以前のローマ期に由来する多様な人口集団の間に居住しました。ビザンチン帝国のバルカン半島人への広範な侵入が626年に終わった後で、アヴァール社会は多くの点で変わりました。考古学的記録から、新たな安定した集落における定住生活様式が出現し、数百基の墓を含むより巨大な墓地があり、文化的表現はより均質になった、と示唆されています。アヴァール王国は、800年頃にシャルルマーニュ(カール大帝)のフランク軍に征服されるまで存続しました。可汗やイウグルス(iugurrus)やトゥドン(tudun)やタルカン(tarkhan)など文字資料に記載されているテュルク語の階級称号は、政治的構造のアジア中央部的特色がアヴァールの支配の終わりまで維持されていたことを記録しています。社会構造の観点では、ユーラシア牧畜民の草原地帯の民族では父系組織が標準的ですが、歴史資料の不足のため、これまでアヴァールの社会慣行を調査できませんでした。
現在のハンガリーの完全に発掘された4ヶ所の墓地の徹底的な標本抽出から新たなゲノムデータを生成し、新たな同位体データと詳細な考古学的および人類学的特徴づけを組み合わせることにより、本論文は高解像度でのこれらの共同体の人口構造と親族関係と社会組織の調査を目的としました。生物学的に密接な親族関係にある298個体が同定されたことにより、広範な系図の再構築と、大ハンガリー平原全体にわたる遠い近縁性の交流網の構築が可能となりました。親族慣例および社会慣行の追跡、男女の移動性への洞察、遺跡の年表の精密化を可能とする、反復的パターンの顕著な証拠が見つかりました。最大の墓地では、考古学的記録および食性習慣の変化と関連した共同体の置換を特定でき、局所的な政治再編が示唆されます。この置換には祖先系統の変化が伴わず、生物学的近縁性パターンの変化によってのみ検出されました。
●墓地全体の分析
大ハンガリー平原は、アヴァール期の草原地帯人口集団にとって主要な定住地でした。ティサ(Tisza)川により区分される2ヶ所の主要な地域、つまりティサ川の東側のトランスティサ(Transtisza、略してTT)地域、西方のドナウ川とティサ川の河間(Danube–Tisza interfluve、略してDTI)地域を等しく網羅する、4ヶ所の墓地が選択されました(図1)。DTIは可汗国(アヴァール帝国)の権力の中心地で、そこでは、たとえばクンバドニー(Kunbábony)など最高位のアヴァール人エリートの埋葬が発見されており、これらの埋葬は以前のゲノム研究でも調査されました(関連記事)。この地域からは、豊富な副葬品と精巧な金銀で装飾された剣と帯と装身具類を伴う初期アヴァールのエリート墓地群と、貧しい後期アヴァールの埋葬の第二の墓地群から構成される、クンペザー(Kunpeszér、略してKUP)遺跡(33ヶ所の埋葬)が標本抽出されました。同じ地域のクンスザラス(Kunszállás、略してKFJ)遺跡(63ヶ所の埋葬)は7世紀半ばに創設され、すでに中期および後期アヴァール期のより均一な物質文化に属しています。
TT地域は、死者の近くの動物や動物の皮や馬具の配置など、草原地帯と関連する埋葬慣行でよく知られています。ラコクズィファルヴァ(Rákóczifalva、略してRK)が選択されたのは、この地域の最大級の墓地の一つで(308基の墓のうち279基が標本抽出されました)、570年頃から9世紀半ばまで連続的に居住されていたからです。ハイドゥーナーナーシュ(Hajdúnánás、略してHNJ)遺跡(18ヶ所の埋葬)の墓地が、TT地域の北部を網羅するため選択されました。以下は本論文の図1です。
品質管理後に、平均網羅率2.6倍の424個体では、約124万ヶ所の一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)を網羅するゲノム規模データが得られました。さらに、RKとKUPとKFJの154個体について新たなストロンチウム(Sr)と炭素(C)と窒素(N)の同位体データ(⁸⁷Sr/⁸⁶Sr、δ¹³C、δ¹⁵N)が、RKでは57点の新たな放射性炭素年代が生成されました。
●系図:遺跡内の厳密な父系制
系図を再構築するため、最近公開されたソフトウェアであるKINを用いて、密接な生物学的近縁性が推定されました。KINは、低網羅率の古代DNAで1親等か2親等か3親等の親族関係にある個体(密接な遺伝的近縁性と定義されます)を特定するよう設計されました。遺跡間で密接な遺伝的近縁性は見つかりませんでしたが、各遺跡のほとんどの個体は密接に関連しており、合計で373組の1親等(235組の親子と138組のキョウダイ)と500組以上の2親等の親族を構成しています。そのような多数、とくに1親等の組み合わせの多さにより、2個体から146個体の範囲まで、さまざまな規模の合計で31系統の系図再構築が可能となりました(図2a)。これらの拡張された系図は、ほぼ例外なく厳密な父系を示します。この調査結果は、父方居住と女性族外婚の説得力のある証拠を提供し、それは近縁な個体間で観察されるY染色体とミトコンドリアDNA(mtDNA)の多様性における顕著な違いを説明します。以下は本論文の図2です。
RK(ラコクズィファルヴァ)内では、202個体に同遺跡で少なくとも1人の親族がおり、親族関係になかったのは64個体だけでした。親族関係にある個体のうち、146個体は最大で連続した9世代にまたがる拡張「大」系図を形成していました。これが、創始者の男性11個体の子孫である、つながった5系図(1~5の番号が付されています)に区分されました。さらに34個体が、年代順にしょきアヴァール期にさかのぼる追加の複数世代の4系図(6~8と12の番号が付されています)を形成し(図2a)、残りはより小さな単位を形成しました。
成人(18歳以上)はRKの墓地全体の83%を占めており、男女の個体数はほぼ同じです。しかし、RKの系図には男性の個体数が女性の2倍含まれていまするこの男性への偏りは、娘に対する息子のより高い比率に起因し、102個体の息子(成人77個体と未成年25個体)と、ほぼ未成年の20個体の娘(成人5個体と未成年15個体)が見つかりました。系図の血統構造から、厳密な父系制が観察できます。成人女性1個体(RKC024)のみに、墓地に埋葬された子供がおり、その息子(RKC012)は欠落した父親を通じて系図の他の構成員と2親等の親族関係にあります。したがって、RKC024とその欠落した配偶者は、6親等の親族関係にあります。全ての他の母親には遺跡では両親が欠けており、族外婚の配偶者と考えられます。代わりに、全ての父親は各系図の創始者男性(複数)個体の子孫で、例外はありません(図2a)。共同体の創始者の役割は、とくに重要だったかもしれません。いくつかの事例では、創始者の男性個体(もしくは、男性個体のうち1人の、兄弟の事例)は、地位の象徴と考えられる貴重な副葬品とともに埋葬されており、それは、初期アヴァール期における馬具や帯一式と、後期アヴァール期における帯一式です。
KFJ(クンスザラス)遺跡の系図は、遺伝的近縁性の同じパターンを示します。KFJ遺跡では、二番目に大きな系図を形成する45個体のうち、21個体が息子(そのうち10個体が未成年)で、13個体が娘(そのうち11個体が未成年)です。KUP(クンペザー)遺跡とHNJ(ハイドゥーナーナーシュ)遺跡の墓地では同様の傾向が観察されますが、個体数は少なくなっています。
これらのパターンは、女性系統、つまりmtDNAとハプログループ(mtHg)と、男性系統、つまりY染色体ハプログループ(YHg)との間の顕著な違いに反映されています。約50の異なるmtHg と比較して、Y染色体の2系統、つまりJ1a2a1a2d2b2b2~(Z2317)とJ2b2a1a1a1a1a1a1e~(CTS11760)のみ(以下、それぞれJ1aおよびJ2bと表記されます)が、RKの家系1~8と12で見つかります。KFJとKUPの両遺跡において、親族関係にある個体とない個体でY染色体の1系統、つまりN1a1a1a1a3a2(Y16220)のみ(以下、N1aと表記されます)が見つかり、それと比較して、mtHgは約20あります。別のYHgであるQ1a2a1(L715)は、HNJ遺跡の家系1の全男性個体間で共有されています(以下、Q1aと表記されます)。
系図と墓および墓群の空間配置の比較から、生物学的近縁性と社会的近縁性がどの程度対応しているのか、評価が可能となり、血統の概念が埋葬地の構成の中心だった、と論証されます。少ない例外がありますが、同じ系図の全個体は同じ埋葬クラスタ(まとまり)で見つかります(図2b)。
より密接な血統単位の観点では、両親と乳児と学童期(6~7歳から12~13歳頃)と成人男性のキョウダイでさえ、相互に近くに埋葬され、密接な親族のクラスタを形成する、と分かりました。これらの集団内では、親族関係にない女性個体がよく見つかります。じっさい、RK遺跡の親族関係にない64個体では強い性別の偏りがあり、それは女性が51個体なのに、男性はわずか13個体だからです。これらの女性個体のほとんどは、若い成人です。男性個体はより均衡のとれた年齢分布を示し、親族関係にある女性個体では、より年長の成人の頻度がより高くなります。年齢分布と系図クラスタでの位置と年表と埋葬慣行と副葬品から、親族関係にない女性個体は、系統の男性個体の族外婚の配偶者で、まだ繁殖をしていなかったか、子供が遺跡では発見されていない可能性が高い、と示唆されます。したがって、そうした女性は生物学的に親族関係にあるとは検出されませんが、依然として社会単位の一部かもしれません。
系図に基づくと、女性の繁殖年齢の開始は18~20歳だった、と推測できます。最も若い母親は死亡時に18~22歳でしたが、最も若い父親は死亡時に24~29歳でした。これは、学童期がその両親の隣に埋葬され(死亡時に、16~19歳の女性個体と、18~22歳の男性個体)、系統の女性個体は学童期後期~成人初期に系図から消える、という観察と一致します。
●結婚戦略とレビレート婚
遺跡間のもう一つの一貫したパターンは、複数の繁殖相手を有する男女の個体が多いことです。RKのみで、男性配偶者1人を含む15事例と、女性配偶者1人を含む7事例が発見されました。男性個体は10事例で2人の配偶者が、4事例で3人の配偶者が、1事例(RKF042))で4人の配偶者がおり、これらの個体の約85%はより年長(35~59歳)の男性でした。死亡時に最も若い年齢の女性配偶者(RKC011)は連続的な一夫一婦を示唆しているかもしれませんが、複数の結婚におけるより年長の女性配偶者の存在は、一夫多妻を示唆します(RKF042とRKF180)。複数の繁殖相手は、HNJ遺跡(1事例)とKFJ遺跡(4事例)でも発見されました。これは、一夫多妻が、歴史資料から知られている社会の最上層に限定されなかったかもしれず、一般人口でも起きたかもしれないことを意味しています。
同じ女性配偶者との間に子供のいる密接な親族関係にある男性個体の、複数の事例と、間接的な証拠を通じての別の事例も特定され、それは、父親と息子の3組、全兄弟(両親が同じ兄弟)の2組、半兄弟の1組(両親の一方のみが同じ兄弟)、父方のオジと姪の1組です。これらの結婚はレビレート婚だった(ものの、一部の事例では繰り返しの一夫多妻だった可能性を除外できません)、と本論文は推測します。レビレートという言葉は聖書起源ですが、歴史学と人類学の研究では、この用語はより広く適用されており、死者の未亡人と男系の親戚との間の結婚を指します。父系で女性族外婚が観察される牧畜社会ではよく見られますが、レビレート慣行はアジア中央部とコーカサスでは最近まで一般的でした。アヴァールについては言及されていませんが、レビレートの関係はいくつかの草原地帯の人々についての同時代の文字資料で証明されており、系図で見られるのは恐らく正式なレビレートで、婚外関係ではなかった、と示唆されます。
情報源によると、レビレート婚は、死者の男系の親戚が未亡人と血縁で親族関係にある場合には起こり得ません。じっさい、分析された全個体における同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)断片の欠如に基づくと、生物学的近親婚の事例は見つかりません。レビレートおよび複数配偶者との結婚の発生率が高いにも関わらず、2親等水準の結婚など、より遠い近親婚と一致するROHパターンさえ検出されません。ユーラシア草原地帯の人々では、父系内での近親婚は、一定の世代数を経た後でのみ許可され、それは5~9世代の範囲かもしれません。そうした規則は、さらに遠い生物学的近親婚の欠如を説明するでしょう。親族関係にある繁殖相手の唯一検出された事例が6親等(そうした規則と依然として一致しているでしょう)で、RKでは唯一の非族外婚女性個体を含んでいるのは、興味深いことです。これは、この単一の事例の独自性をさらに示唆します。
上述の現象は、本論文で調査されたアヴァール社会の一部には、ユーラシア遊牧民の草原地帯の人々に匹敵する構造があった、との推測につながります。その基本的な社会単位は、父系で組織された家族です。父系の系図はユーラシア草原地帯遊牧民の構成要素で、その家系はさかのぼり、男性創始者の出生順にしたがって位置づけられます。この概念は、さまざまな地位の指標により考古学的資料で証明されているように、社会のより小さな単位でもより大きな単位でも厳密に階層化された構造をもたらします。本論文はアヴァール社会を、8世紀のオルホン(Orkhon)碑文に基づいて再構築された古いテュルクの親族関係制度と類似した同時代のものとして考えることができます。
●女性族外婚を通じた共同体のつながり
族外婚の女性個体は、RK(ラコクズィファルヴァ)遺跡内と遺跡間の両方で、さまざまな創始者父系のつながりにおいて中心的役割を担っている、と観察されます。独特な一事例は女性個体RKF140により表され、RKF140は2組の異なるレビレート婚の一部で、異なる2系図の合計4人の繁殖相手がおり、中期~後期のアヴァール期の2組の大規模な父系単位(父系3と父系4~5)をつなぎます。じっさい、大きなRK系図のほとんどは女性系統を投じてつながっており、1親等の親族関係の女性個体(姉妹もしくは母親)を欠いている1個体は父系1と父系2をつなぎ、残りの2個体は父系2と父系3をつなぎます。
族外婚の女性個体の役割は、アヴァールの4ヶ所の遺跡の個体内および個体間での対でのancIBDとhaplotype-IBDのパターンを分析すると、さらに明らかになります(図3)。IBD共有の網状解析(図3a)では、RK遺跡とKFJ(クンスザラス)遺跡の大規模な系図内で予測される、密接な遺伝的近縁性を反映する、緊密なクラスタ(まとまり)を観察できます。成人のみのつながり(図3b)では、多くの女性個体は各遺跡のクラスタ外に位置し、男性個体よりもIBDのつながりが有意に少ない、と推定され、これはより低次の中心性分布により反映されており、各個体のつながりの数に対応しています(図3c)。女性個体は代わりに、遺跡間の有意により高い比率のつながりを示します。さらに、他の遺跡とのIBDのつながりを示す、遺跡内で親族関係にない女性個体の7事例が見つかり、男性個体ではそうした事例が見つかりません(図3a・b)。まとめると、本論文の証拠は、父系を中心に密接に集中し、族外婚の女性個体により他の共同体と関連している共同体網の存在を示します。以下は本論文の図3です。
IBD網における以前に刊行されたアヴァール期遺跡群から得られたデータ(関連記事1および関連記事2)が含められましたが、本論文の全体的な墓地標本抽出手法と、以前の疎らな標本抽出手法との間には標本抽出戦略に偏りがあり、以前の手法では、1ヶ所の遺跡あたりわずか数個体が分析され、つながりの完全な程度の観察が妨げられました。それにも関わらず、地理的構造化の観察は可能で、それは、DTI(西方のドナウ川とティサ川の河間地域)とTT(ティサ川の東側のトランスティサ地域)の遺跡での地域間のつながりよりも多くの地域内のつながりが見つかるからです。
さらに、ホルトバージ=アルクス(Hortobágy-Árkus、略してARK)とHNJ(ハイドゥーナーナーシュ)の2ヶ所の近隣の遺跡(約50km離れています)はとくに高度につながっており、同じYHgを共有しています。YHg-N1aのDTIの男性個体はともにクラスタ化する(まとまる)傾向にあることも、観察されます。この系統【YHg-N1a】はKUP(クンペザー)とKFJの遺跡間で一般的であるだけではなく、初期アヴァール期DTIエリート遺跡で共有もされています。興味深いことに、これらの遺跡で最高位と推定される個体、つまり墓で見つかった豊かな地位の象徴に基づいて可汗の埋葬かもしれないと解釈されたクンバドニー遺跡の単葬は、新規および以前に刊行された分析対象の個体全員で、最高数の遺跡間のIBDのつながりを有しています。
●地域権力の再編
考古学的には、RK(ラコクズィファルヴァ)遺跡はアヴァールの全期間にまたがっています。最大60%まで年代の不確実性を減らす、放射性炭素(¹⁴C)年代のベイズモデル化における系図の世代により提供される相対的な年代の枠組みを組み込むことにより、大きな3系図の開始および終了事象を改定し(約300年間の最大幅)、それらを相対的な順序で配置できます。年表と系図の統合により、7世紀後半における局所的な共同体の変化の観察が可能となります。まず、アヴァール期初期にはより小さな10の系図が見つかりますが、つながっている3系図のみが中期および後期の段階では優勢になります(図2)。
驚くべきことに、YHg-J1aの男性系統が初期の系図でほとんど見られるのに対して、YHg-J2bは後期の系図に現れ、優勢な男性系統になります(系図3と4と5の男性は全員YHg-J2bです)。この変化が起きた時期を明確に特定でき、家系2から家系3にかけての、一方がYHg-J1aの家系2、系図異母兄弟間のつながりを介してです。じっさい、家系2は初期段階から後期段階にまたがる唯一の家系で、この変化後に残っているYHg-J1aの系統を存続させています。RKにおけるハプロタイプIBD網はさらに明確なパターンを示し、共同体の変化を示唆しており、それは、異なるYHg-J1aを有する家系とYHg-J2bを有する家系の全てが、それらの間よりもそれらの内部で多くのIBDを共有し、YHg-J1aとYHg-J2bの男性個体を分離する、明確に異なるクラスタを形成するからです(図3a)。
興味深いことに、家系2の上の1世代(アヴァール期中期の第4世代)では、親族関係にある男性12個体が存在し、そのうち3個体のみに遺跡に埋葬された子供がいました。少年の2個体(18~22歳と15~17歳)を除いて残りの男性個体は、墓地で子供が見つからなかった成人でした。この証拠は、RKで埋葬された共同体における父系の置換をさらに裏づけます。関連する骨格外傷はこれらの個体で観察されなかったので、男性系統における変化は明らかに暴力行為に起因するものではあり得ません【直接的な身体攻撃ではなく、威嚇や脅迫が用いられたかもしれませんが】。分析された全遺跡で観察された強い父系制を考えると、この変化は強い社会的影響を及ぼしたに違いありません。
この変化は考古学的証拠を反映しています(図2b)。まず、RK遺跡の西側の墓群は、アヴァール期初期の大きな家系2といくつかのより小さな家系で構成されています。埋葬地のこの部分は放棄されており、家系2の子孫の多くはその時点で去った、と考えられます。数ヶ所の散在する初期の埋葬を除いて、墓地の中心部はその後アヴァール期中期に東部とともに、家系4および5の創始者により設立され、東部は家系3と家系2の個体群の最新の集団でほぼ構成されており、家系2の最新の個体群は生物学的に家系3と親族関係にあります。木製の墓の建設など新たな埋葬慣行が新たに定住した家族の墓を区別するのに対して、死者の頭の隣に置かれる馬具もしくは壺など古い埋葬慣行は段階的に廃止されました(図2b)。
RKでは、初期アヴァール期においてその後の段階より有意に高いδ¹³C値と低いδ¹⁵N値も見つかりました。とくに初期段階では、炭素同位体データは食性組成におけるC₄植物組成のかなりの寄与からの漸進的変化を明らかにしており、恐らくはアジア東部の主要な穀物であるキビ(関連記事)からC₃植物の優勢へと変わりました。キビはその後の段階でも消費されていましたが、顕著に高いδ¹³C値の個体群は、アヴァール期の中期と後期には存在しません。後期段階におけるより高いδ¹⁵N値は、肉と乳製品の消費の増加を示唆します。しかし、ほぼ重なっている範囲から、これは個体の一部にしか影響を及ぼさなかった、と示唆されます。初期段階に始まるものの、とくに中期および後期段階では、顕著に高いδ¹⁵N値の男性個体の多数の埋葬が観察されます。
まとめると、これらの調査結果から、アヴァール期中期のRKにおいて、埋葬された、つまり生きていた可能性の高い共同体の置換があったので、と示唆されます。個体群の祖先系統と相続制度はこの変化の前後で変わらなかったものの(図4)、その後の共同体は埋葬慣行と食生活の点で異なっていました。HNJ(ハイドゥーナーナーシュ)遺跡とKFJ(クンスザラス)遺跡の墓地がこの後半の期間に設立されたことは注目に値し、7世紀後半にカルパチア盆地でより大きな変容が起きた、と示唆されます。以下は本論文の図4です。
●ヨーロッパにおける草原地帯の子孫の共同体
集団ゲノム解析(図4)から、4ヶ所の墓地は草原地帯の子孫である共同体に属していた、と確証されます。個体のほとんど(88%)は、最終的にはユーラシア東部草原地帯にたどれるアジア北東部祖先系統特性(関連記事1および関連記事2および関連記事3)を、ユーラシア西部供給源とのさまざまな程度の混合で有しています。アジア北東部祖先系統の割合の範囲は、DTI(西方のドナウ川とティサ川の河間地域)のKUP(クンペザー)遺跡での中央値約100%から、TT(ティサ川の東側のトランスティサ地域)のRK(ラコクズィファルヴァ)遺跡のわずか32%までとなります。
qpWave/qpAdmの混合モデル化(拡張図8)とDATES(Distribution of Ancestry Tracts of Evolutionary Signals、進化兆候の祖先系統区域の分布)の混合年代測定からの独立した証拠は、アヴァール期、したがってカルパチア盆地におけるこれらの人口集団の到来にほぼ先行し、おそらくは草原地帯で起きた、何世紀にもわたるユーラシア東西の供給源間の継続的な混合の過程を明らかにします。これらの分析から、在来の同時代(6世紀以後)のカルパチア盆地人口集団との到来後の混合は約20%だった、と示唆されます。以下は本論文の拡張図8です。
これらの人口集団の最近の草原地帯起源を確証する明確なパターンにも関わらず、ストロンチウム同位体組成(⁸⁷Sr/⁸⁶Sr)はほぼ同様で、その値は局所的および地域的差異と一致します。KUPおよびKFJ(クンスザラス)遺跡のデータセットが相互と同位体的には区別できなかったのに対して、RK遺跡ではかなり多い放射性ストロンチウムが得られ、局所的な基準値の差異が小さい、と示唆されます。この均一性から、局所的な移動(たとえば、大ハンガリー平原内)が妥当ではあるものの、遠い地域間(ユーラシア草原地帯全域など)の移動は、同位体的に区別できる必要があることから、可能性は低い、と示唆されます。これが示唆するのは、例外かもしれない1事例を除いて、移民の第一世代は墓地に埋葬されず、アヴァール期全体にわたる高度な地域的連続性があった、ということです。
標本抽出の密度により、先行研究では気づかれなかったゲノム祖先系統の地理的構造化のパターンの解明が可能となりました。これはDTI遺跡(KUPとKFJ)とTTのRK遺跡との間で最も明らかであり、アヴァールの全期間を網羅します。しかし、その混合特性はほぼ区別できず、重複していません(図4b)。じっさい、KFJ個体群はアヴァール期後期において大量のアジア北東部祖先系統を有していますが、RK個体群はその初期段階でさえ混合祖先系統を有しており、その95%は到来前の年代でした。これは、DTIとTTとの間よりもDTIとTT内で高いIBD共有という観察と一致します。これらの違いは、考古学的記録で見られる文化的違いを反映しています。TT地域の遺跡、とくにRK遺跡でのいくつかの特徴は、シヴァショフカ(Sivashovka)層準として知られるポントス草原地帯の6~7世紀の遊牧民の埋葬と顕著に類似しています。代わりに、KUP 遺跡の初期の墓を含むDTI地域のエリートの一部の文化的要素は、ユーラシア東部草原地帯にたどることができます。
結論として、本論文は草原地帯の子孫の共同体全体のカルパチア盆地における到来と定着を確証します。本論文は、遺伝的および文化的に異なる草原地帯共同体がこの地域に定住し、在来人口集団とのいくらかの混合にも関わらず、アヴァール期を通じて独特なままだった、と明らかにします。このかなりの到来後の遺伝的連続性は、経時的なかなりの同位体の均一性とともに、草原地帯からの連続的な大規模移住があった、という長きにわたる考古学的仮説に疑問を提起し、代わりに一度定着した局所的で近距離の移動性を示唆します。
●まとめ
アヴァール期の4ヶ所の遺跡から得られた拡張多世代系図の再構築は、父系制と父方居住と女性族外婚と近親婚の厳密な回避と、一部の事例では複数の繁殖相手とレビレート婚だったと思われる慣行に基づく、一貫した繁殖戦略を示唆します。社会的および生物学的近縁性はかなりの程度重複している、という兆候が見つかり、それは、生物学的近縁性のパターンが墓と副葬品の空間分布に対応しているからです。これらの社会的慣行は6世紀後期から9世紀初期まで、政治的変化や物質文化に反映されている生活様式の変化や食性変化や在来の人口集団との相互作用を生き残りました。家系単位は父系を中心に厳密に組織されていましたが、より大規模に族外婚の女性個体でつながっており、これらのつながりはアヴァール社会の主要な結合要素の一つだったかもしれません。
初期段階で見つかったのは2世代から4世代の小さな家系がほとんどで、4世代から7世代のより大きな家系は7世紀後半に始まりました。この変化はアヴァール期中期以降の墓地および集落の規模拡大と、カルパチア盆地における中世初期の集落制度の発達を反映しています。本論文で分析された遺跡のうち最大となるRK(ラコクズィファルヴァ)は、7世紀後半に共同体の変化を経ており、それは恐らく、局所的権力の再編により起きましたが、社会組織もしくは一般的な祖先系統のパターンには影響を及ぼしませんでした。この変化の検出には墓地全体の生物学的近縁性網の再構築が必要で、祖先系統水準での遺伝的連続性は、共同体全体の置換を依然として隠しているかもしれない、と示されます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。
考古学:古代のゲノムからアバール人コミュニティーの社会組織と権力の再編が明らかになった
6~9世紀に中央ヨーロッパ東部に定住していたアバール人(古代ユーラシアの遊牧民集団)の詳細な系図が作成され、この集団の社会構造の詳細が明らかになり、政治権力の再編が起こっていた可能性を示す証拠が得られた。このことを報告する論文が、今週、Natureに掲載される。今回の研究では、9世代にわたる約300人を対象とした古代DNAの大規模なサンプリングが行われ、アバール人の集団構造、親族関係、および社会組織が再構築された。
アバール人は、6~9世紀の中央ヨーロッパ東部で強大な勢力を誇っていた。中央アジア東部(ユーラシア・ステップ)を起源とし、西暦567~568年の間にカルパチア盆地に到達したと考えられている。アバ―ル人社会の社会的慣習については、考古学的情報と歴史的情報が十分に集まっておらず、包括的な古代DNA試料もないという状況が制約となって解明が進んでいない。
今回、Guido Gnecchi-Ruscone、Johannes Krause、Zuzana Hofmanová、Zsófia Ráczらは、現在のハンガリー国内に位置する4カ所の墓地で得られたゲノムデータに加えて、新たに取得した同位体データ、詳細な考古学的特徴と人類学的特徴の分析結果を合わせることで、アバ―ル人コミュニティーの集団構造、親族関係社会組織を洞察する手掛かりが得られたことを報告している。著者らは4カ所の墓地に埋葬されていた424人のDNAをサンプリングし、そのうちの298人のデータを用いて系図を再構築し、コミュニティー間のつながりを調べることができた。その結果、アバ―ル人の社会が父系制であり、出自が父子関係を通じてのみたどることができ、男性が生まれ故郷のコミュニティーを離れることなく一生を終えることが明らかになった。これに対して女性は、移動性が高く、異なるコミュニティーを結び付けていた可能性がある。また、一夫多妻制(男性が2人以上の生殖パートナーを持つ制度)とレビレート婚(夫と死別した女性が故人の兄弟のパートナーになる制度)があったことを示す証拠がいくつか明らかにされている。こうした親族慣習は、いずれもユーラシア・ステップ社会に関する既存の研究とも矛盾がない。
調査対象となった墓地の1つは、アバ―ル時代を通じて存在していた。著者らは、7世紀末にかけて遺伝的変化があったことを発見した。この地域で支配的な地位にあった父系が別の父系に置き換わっており、このことはこの地域で政治権力の再編があったことを示している。
古遺伝学:大規模な家系図のネットワークから明らかになった、アバール人コミュニティーの社会的慣行
古遺伝学:古代ゲノムが示すアバール人の家族・社会システム
今回、アバール時代の424人の古DNAの詳細な解析から、多世代にわたる大規模な家系図が再構築され、6~9世紀の中央ヨーロッパ東部の社会構造が推論されている。
参考文献:
Gnecchi-Ruscone GA. et al.(2024): Network of large pedigrees reveals social practices of Avar communities. Nature, 629, 8011, 376–383.
https://doi.org/10.1038/s41586-024-07312-4
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