玉木俊明『16世紀「世界史」のはじまり』
文春新書の一冊として、文藝春秋社より2021年4月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書は、ヨーロッパの優位がいかに確立したのか、世界史的観点から検証します。本書は、ヨーロッパの近代の幕開けを象徴するのは「ルネサンス」と「宗教改革」とされているものの、それは近代ヨーロッパ人の理想的な自画像であり、両者ともに中世的要素が多分に含まれていた、と指摘します。本書が強調するのは、交易と航海によりもたらされた「グローバル化」で、プロテスタントよりもカトリック、イタリアよりもポルトガルとスペインを重視します。ヨーロッパの対外拡張が重視されているわけですが、これと関連して軍事革命と宗教改革と科学革命が進行します。本書は16世紀を対象としていますが、中世の残滓が強く見られた前半と、近代化の始まった後半で要素が大きく異なる、と指摘します。本書はこの近代化において、国家の根幹として徴税体系を重視しています。
ヨーロッパの「大航海時代」の前提として、本書はイスラム教勢力が築いた交易網を重視します。ポルトガルがアフリカ西部の金などをイスラム教徒経由ではなく直接輸入しようとしたことなどが、ヨーロッパによる対外拡張の重要な契機となり、それはアフリカから喜望峰を経由してインド洋へと拡大します。ポルトガルは、イスラム教勢力の交易網を、制海権奪取によって掌握し、インド洋からモルッカ諸島にまで到達し、ヨーロッパ勢力が直接的に香辛料を輸入することも可能となりました。こうしてポルトガルがアジアまで交易網を確立できたのは、イスラム教勢力などによる既存の交易網が存在したからでした。一方同じくイベリア半島に位置するスペインは、アメリカ大陸への侵出と征服で他のヨーロッパ勢力に先行します。
この16世紀に本格化するヨーロッパ勢力の拡大において、カトリック勢力は大きな役割を果たしました。宗教改革について本書は、世界史的観点ではプロテスタントの意義が過大評価されている、と指摘します。宗教改革には、ヨーロッパの局所的影響と、世界的な影響という二つの側面があり、前者ではプロテスタントの成立、とくに宗教戦争の影響は大きかったものの、後者ではカトリックの影響が大きく、本書は後者を軸にする、というわけです。プロテスタントの影響が高く評価されるようになったのは、後にヨーロッパでもプロテスタントの優勢な地域が世界で大きな影響力を有したからでした。本書は宗教改革について、グレゴリウス7世が、ローマ・カトリック教会の、神の恩寵の独占供給機関という地位を、意図せず自ら否定したことが遠因になっている、と指摘します。また本書は、宗教改革と市場化が大きく関連していたことも重視します。
プロテスタントによる宗教改革に対して、カトリック側では「対抗宗教改革」が行なわれ、とくに重要なのが、1534年に結成されたイエズス会です。16世紀において、イエズス会が世界中で布教したのに対して、プロテスタントの布教範囲がヨーロッパを越えることはありませんでした。本書はその点でも、16世紀におけるカトリックの重要性を強調します。イエズス会は創設者が軍人だったこともあり、規律を重んじる軍隊的な組織で、経済団体でもあり、武器も輸出していました。イエズス会の布教は多くの場合、ポルトガルによる軍事支配と結びついていました。
ヨーロッパにおいて「近代科学」が確立してくるのは16世紀以降で、とくに天文学が発展していました。本格的に「科学革命」が進展するのは17世紀以降です。本書が科学革命で重視するのは観察と実験で、このうち当初大きな役割を果したのは観察でした。科学革命はキリスト教と無縁ではなく、イエズス会は科学を学ぶ機関でもあり、その成果は中国など世界中の非ヨーロッパ世界にも伝えられました。本書は、イエズス会がヨーロッパのソフトパワー輸出の優れた担い手だったことも指摘します。
本書は中世と近代の違いとして、国家の政治形態にも注目します。中世の権力は基本的に王個人に由来しており、王が領地を巡回しながら統治したのに対して、近代には王は一ヶ所に留まり、組織による統治が行なわれました。中世には官僚機構が発達しておらず、領地の支配は王個人に負う場合が多かった、というわけです。この点で、「万能人」を理想としたルネサンスは中世的であり、近代の特徴は「専門人」だった、と本書は指摘します。もちろん、ルネサンスに近代につながる要素があったことも否定できないのでしょうが。
本書はこの時代における日本列島の位置づけも検証しています。ポルトガルやスペインなどにより、ヨーロッパとアジアやアフリカだけではなく、アメリカ大陸も含めた世界規模の交易網に日本も組み込まれた、というわけです。この交易網の形成においてイエズス会が果たした役割は大きく、日本にもイエズス会は到来しました。本書は、世界規模の交易網に関わっていたのが西日本の大名や寺社だったことを指摘します。本書は世界史的観点から、16世紀の日本における石見銀山の役割を重視します。日本では灰吹法が伝わったことで銀生産量は飛躍的に増え、日本の銀生産量は一時世界の1/3に達した、との説もあります。本書は、西日本の戦国大名に「天下取り」の意思が薄いのは、国際的交易網に開かれていたからだろう、と推測します。一方で、東日本は海外からの影響を西日本ほど受けず、国際的交易網の束縛から相対的に自由だった、と本書は指摘します。イギリスやロシアが辺境だった故に神聖ローマ帝国やスペインよりも中世的世界からの脱却を図れたように、東日本の大名は西日本の大名よりも中世的世界からの脱却を図れた、と本書は指摘します。本書はその代表例として、伊勢宗瑞(北条早雲)と織田信長を挙げます。
ヨーロッパの「大航海時代」の前提として、本書はイスラム教勢力が築いた交易網を重視します。ポルトガルがアフリカ西部の金などをイスラム教徒経由ではなく直接輸入しようとしたことなどが、ヨーロッパによる対外拡張の重要な契機となり、それはアフリカから喜望峰を経由してインド洋へと拡大します。ポルトガルは、イスラム教勢力の交易網を、制海権奪取によって掌握し、インド洋からモルッカ諸島にまで到達し、ヨーロッパ勢力が直接的に香辛料を輸入することも可能となりました。こうしてポルトガルがアジアまで交易網を確立できたのは、イスラム教勢力などによる既存の交易網が存在したからでした。一方同じくイベリア半島に位置するスペインは、アメリカ大陸への侵出と征服で他のヨーロッパ勢力に先行します。
この16世紀に本格化するヨーロッパ勢力の拡大において、カトリック勢力は大きな役割を果たしました。宗教改革について本書は、世界史的観点ではプロテスタントの意義が過大評価されている、と指摘します。宗教改革には、ヨーロッパの局所的影響と、世界的な影響という二つの側面があり、前者ではプロテスタントの成立、とくに宗教戦争の影響は大きかったものの、後者ではカトリックの影響が大きく、本書は後者を軸にする、というわけです。プロテスタントの影響が高く評価されるようになったのは、後にヨーロッパでもプロテスタントの優勢な地域が世界で大きな影響力を有したからでした。本書は宗教改革について、グレゴリウス7世が、ローマ・カトリック教会の、神の恩寵の独占供給機関という地位を、意図せず自ら否定したことが遠因になっている、と指摘します。また本書は、宗教改革と市場化が大きく関連していたことも重視します。
プロテスタントによる宗教改革に対して、カトリック側では「対抗宗教改革」が行なわれ、とくに重要なのが、1534年に結成されたイエズス会です。16世紀において、イエズス会が世界中で布教したのに対して、プロテスタントの布教範囲がヨーロッパを越えることはありませんでした。本書はその点でも、16世紀におけるカトリックの重要性を強調します。イエズス会は創設者が軍人だったこともあり、規律を重んじる軍隊的な組織で、経済団体でもあり、武器も輸出していました。イエズス会の布教は多くの場合、ポルトガルによる軍事支配と結びついていました。
ヨーロッパにおいて「近代科学」が確立してくるのは16世紀以降で、とくに天文学が発展していました。本格的に「科学革命」が進展するのは17世紀以降です。本書が科学革命で重視するのは観察と実験で、このうち当初大きな役割を果したのは観察でした。科学革命はキリスト教と無縁ではなく、イエズス会は科学を学ぶ機関でもあり、その成果は中国など世界中の非ヨーロッパ世界にも伝えられました。本書は、イエズス会がヨーロッパのソフトパワー輸出の優れた担い手だったことも指摘します。
本書は中世と近代の違いとして、国家の政治形態にも注目します。中世の権力は基本的に王個人に由来しており、王が領地を巡回しながら統治したのに対して、近代には王は一ヶ所に留まり、組織による統治が行なわれました。中世には官僚機構が発達しておらず、領地の支配は王個人に負う場合が多かった、というわけです。この点で、「万能人」を理想としたルネサンスは中世的であり、近代の特徴は「専門人」だった、と本書は指摘します。もちろん、ルネサンスに近代につながる要素があったことも否定できないのでしょうが。
本書はこの時代における日本列島の位置づけも検証しています。ポルトガルやスペインなどにより、ヨーロッパとアジアやアフリカだけではなく、アメリカ大陸も含めた世界規模の交易網に日本も組み込まれた、というわけです。この交易網の形成においてイエズス会が果たした役割は大きく、日本にもイエズス会は到来しました。本書は、世界規模の交易網に関わっていたのが西日本の大名や寺社だったことを指摘します。本書は世界史的観点から、16世紀の日本における石見銀山の役割を重視します。日本では灰吹法が伝わったことで銀生産量は飛躍的に増え、日本の銀生産量は一時世界の1/3に達した、との説もあります。本書は、西日本の戦国大名に「天下取り」の意思が薄いのは、国際的交易網に開かれていたからだろう、と推測します。一方で、東日本は海外からの影響を西日本ほど受けず、国際的交易網の束縛から相対的に自由だった、と本書は指摘します。イギリスやロシアが辺境だった故に神聖ローマ帝国やスペインよりも中世的世界からの脱却を図れたように、東日本の大名は西日本の大名よりも中世的世界からの脱却を図れた、と本書は指摘します。本書はその代表例として、伊勢宗瑞(北条早雲)と織田信長を挙げます。
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