ユーラシア中央部青銅器時代人類集団の社会構造
取り上げるのが遅れてしまいましたが、ユーラシア中央部青銅器時代人類集団の社会構造に関する研究(Blöcher et al., 2023)が公表されました。これまで、先史時代の社会における家族組織の生物学的側面に関する知識は限られていました。とくに、村落もしくは家族水準でのユーラシアにおける青銅器時代社会の構造についてはほとんど知られていません。本論文では、ユーラシア中央部に位置するウラル南部のネプルイエフスキー(Nepluyevsky)遺跡の古墳1基から発見された人類遺骸が、考古学と人類学と古ゲノミクスの分野の統合的手法を用いて調べられました。青銅器時代のスルブナヤ・アラクル文化(Srubnaya-Alakul)に分類されるネプルイエフスキーにおける3800年前頃の牧畜民は父系で、おもに兄弟間の親族関係により決定されていた、と示唆されました。一夫一婦が結婚の規範で、結婚後の居住は父方で、女性の構成員は夫の集団に移動させられました。
●要約
家族水準での先史時代社会組織に関する理解は、まだ限られています。本論文では、ユーラシア中央部のウラル南部地域に位置する、ネプルイエフスキー遺跡における青銅器時代のスルブナヤ・アラクル文化伝統に分類される3800年前頃の古墳1基で発見された、32個体のゲノムデータが生成されました。その結果、平均余命は一般的にひじょうに低く、成人男性は女性より平均して8年長く生きる、と分かりました。調査対象の個体のうち23個体において合計で、35組の1親等、40組の2親等、48組の3親等の生物学的関係があり、その中心に6人の兄弟がいる3世代にまたがる家系図を提案できました。
これらのうち最古の兄弟には女性2人との間に8人の子供がおり、全体的には最多の子供となりますが、他の関係は一夫一婦でした。注目すべきことに、5歳以上の親族関係にある女性の子供はネプルイエフスキーにおいてほぼ存在せず、成人女性は遺伝的に男性よりも多様でした。これらの結果から、兄弟間の生物学的関係が社会において構造的役割を果たしており、家系集団の構成員は父系性に基づいていた、と示唆されます。女性はより大きな配偶網に起源があり、男性と結婚するために移動し、男性とともに埋葬されました。最後に、最古の兄弟はより高い社会的地位を保っていた可能性が高く、それは生殖の観点に現れていました。
●研究史
先史時代ヨーロッパにおける家族構造の発展は19世紀後半以来、大きな関心が寄せられてきた問題で、多くの推測があります。より古い手法(マルクス主義、ウェーバー主義、ヨーロッパ中心主義)は、東洋と西洋との間の家族構造における初期の分岐を強調しましたが、より最近の民族史学的研究は、類似の生産体系と財産の保持および継承の同等の様式に起因する、青銅器時代ユーラシア全域の連続性を示唆しています。親族関係パターンと家族組織における変化は、生計と生産活動における大きな変化の文脈でも議論されてきました。
最も注目すべきは、新石器時代における農耕経済の出現と、青銅器時代の牧畜エリートの発展です。科学的手法により、先史時代のデータの観点から、親族関係の3側面(家系と結婚と居住)に関して、これらの言説の妥当性の評価が可能になったのは、ごく最近でした。生物学的親族関係、つまり集団の構成員間の実際の血のつながりを前提とする家系制度は一般的ですが、普遍的ではありません。古ゲノミクスの分野における最近の発展は、生物学的親族関係を判断し、古代の家系と遠い過去におけるあり得る家系を再構築するための、高解像度の手法を提供します。
これまで、親族関係に関する生物考古学と人類学と古遺伝学の証拠を組み合わせた研究は、上部旧石器時代の採食民(関連記事)や新石器時代および青銅器時代の牧畜民と定住農耕民(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4および関連記事5および関連記事6および関連記事7および関連記事8および関連記事9)や、より最近の中世初期人口集団(関連記事1および関連記事2および関連記事3)における家族構造を推測してきました。
一部の例外(関連記事)を除いて、これらの研究のほとんどはユーラシア西部の遺跡から得られたゲノムのみに基づいていました。アナトリア半島とヨーロッパにおける初期新石器時代の親族制度は多様な結婚後の居住慣行と共埋葬における生物学的親族関係の時折の欠如を反映していましたが(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4および関連記事5)、後期新石器時代および青銅器時代の親族関係パターンはある程度反復的だったようで、父系子孫と父方居住慣行が優占していました。
●この研究の背景
本論文は、ユーラシア草原地帯の中心、より正確には地質構造のヨーロッパとアジアとの間の境界であるウラル南部地域に位置する、ネプルイエフスキー古墳ネクロポリス(大規模共同墓地)の3800年前頃の埋葬群を調べました(図1)。このネクロポリスは2015年~2017年の間に発掘され、ヤンディルカ(Yandyrka)川の右岸に位置しています。ヤンディルカ川は、アクムラ(Akmulla)川の小さな支流で、現代ロシアのカルタルイ(Kartaly)地区のネプルイエフスキー村の近くにあります。以下は本論文の図1です。
調査中の古墳であるネプルイエフスキーのクルガン(Kurgan、墳墓、墳丘)1号は、38基の局所的なクラスタ(まとまり)のうち最大級の一つで、大まかに南北のまとまりに分かれており、合計で少なくとも44個体が含まれます。クルガン1号の墓と回収された資料の放射性炭素14(¹⁴C)年代測定は、遠く現代のウクライナにまで広がるウラル西方の「スルブナヤ」文化とウラル東方にさらに広がるアラクル文化との間の相互作用地帯でおもに見つかる、いわゆるスルブナヤ・アラクル異形に分類されてきました。
ウラル南部の社会は、前期青銅器時代となる紀元前3000年頃にまず確立された、より広範なユーラシアの交流網の一部を形成した人口集団の子孫だったようです(関連記事)。ウラル南部の社会ユーラシア西部草原地帯に起源があると考えられており、この地域では、縄目文土器(Corded Ware、略してCW)およびファチャノヴォ(Fatyanovo)の物質および物質的慣行と関連した、文化ヨーロッパ中央部および東部の人口集団の流入がありました。以前の古ゲノミクス研究は、地域を越えた水準で時間的なゲノムパターンを特徴づけてきましたが(関連記事)、局所的もしくは共同体規模でのこれら青銅器時代社会の社会および家族組織についてはほとんど知られていません。
定住もしくは半定住生活様式と関連する集落居住の痕跡は、ヤンディルカ川の反対側の、ネクロポリスからやや離れた距離(約1.6km)で見つかります。窪地と収集された発見物から、家屋は周囲の川岸近くの集落にまとまっており、恐らくはウシの放牧地として用いられていました。より広範囲の地域におけるいくつかの家屋での金属加工の痕跡は、よく確立された局所的な金属産業を示唆します。
畜産とウシの牧畜が、主要な生活様式だったようです。ウシとヒツジから得られた乳タンパク質の痕跡が、クルガン1号に埋葬された個体のうち2個体(b5-1、b9-1)の歯石で最近発見されました。逆に、ネプルイエフスキーでは穀物農耕の証拠はなく、ネプルイエフスキーで発見された人類遺骸の歯の病理は、動物性タンパク質が豊富で、炭水化物の乏しい食性と一致します。牧畜は大規模な群によりもたらされる富の蓄積の差に起因する社会的不平等につながる傾向があるものの、クルガン1号など大規模な古墳の築造を除いて、スルブナヤ・アラクル集団における強い階層の証拠は現時点ではありません。家系制度は生計慣行および生産経済と相関している、と示されてきました。たとえば、大型の家畜を飼っているヒト社会では、母系は稀です。したがって本論文は、ネプルイエフスキーにおける家系の父系的制度を仮定しました。
●人類学と死亡特性と居住期間
遺骸の人類学的調査は、持続的な戦いもしくは集団間暴力の外傷の顕著な証拠を明らかにせず、唯一の兆候は、女性5個体と男性2個体の軽度の骨折の治癒だけです。遺伝性の歯の形質の分布は、クルガンの下に埋葬された個体間の密接な生物学的近縁性いくつかの証拠を提供します。人類学的年齢群における不均等な分布が観察されました。すべての識別可能な個体(44個体)の生命統計表から、女性(15個体)の割合は0~5歳群では男性(12個体)と有意には異ならない、と示されました。しかし、子供期と思春期(5~20歳の年齢群)では、男性(9個体)は女性(1個体)より高頻度でした。成人では、性比1は却下できませんでした(男性6個体、女性9個体)。全ての識別可能な個体のうち、推定39%は5歳前に、推定57は生殖年齢に達する前に死亡/失踪しました。平均余命は誕生時に14年、成人到達時に31.6年歳と推定されました。別々に分析すると、新生児(女性は12歳、男性は13.4歳)と成人(女性は27.8歳、男性は36.2歳)の両方で、女性男性と比較して平均余命が短かった、と示されました。
放射性炭素データは、クルガン1号の使用期間のモデル化のため使用されました。26個体で得られた年代は、紀元前1914~紀元前1751年頃から紀元前1744~紀元前1626年頃でした。OxCalを用いて、使用期間の上限は52年間と推定されました(99.7%の確率)。しかし、b2a-1およびj15-2個体の一致指数から、この2個体はおそらくわずかに異なる時期に埋葬された、と示唆されます。次に、埋葬された個体がほぼ同時に死亡したのか、小さな時間枠内(2年か3年か10年)だったのか、直接的に検証する手法が考案されました。全ての個体が、2年の時間枠内で死亡した、とのモデルは却下できますが、3年もしくは10年以内で死亡した、とのモデルは却下できません。まとめると、この結果は、埋葬された全人口の比較的みじかい堆積器官の可能性を残しています。しかし、ほぼ同時に死亡した、とのモデルを却下する検出力は、その期間の¹⁴C較正曲線の小刻みに動いている較正年代の広範な事後分布のため低い、と認識すべきです。
●古ゲノム
30点のヒト錐体骨に由来する完全なゲノムが、平均常染色体深度1.46倍(0.8~2.3倍)で配列決定されました。さらに、25点の歯からのDNA抽出が124万の一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)で濃縮され、そのうち24点では充分なヒトDNAデータが得られました。合計で、32個体のデータがさらなる分析で利用可能でした(10点はショットガンのみ、3点は捕獲のみ、19点はショットガンと捕獲)。古代DNAと一致するDNA損傷パターンは、全ライブラリに存在しました。
ミトコンドリアDNA(mtDNA)配列における汚染水準は全ゲノムにおいて1%未満と推定され、常染色体の読み取りに基づく推定と一致し、例外は、15%以上の常染色体汚染推定値を示したので、さらなる分析から除外された個体b7-1の1点のライブラリです。2点の錐体骨同じ個体(b6)に由来する、と分かりました。先行研究に記載された手法に従った分子性別は、男性(XY)18個体と女性(XX)14個体を明らかにし、女性と最初に分類された個体b4-1を除いて、利用可能な骨格要素で行なうことができる限り、形態学的/人類学的評価と一致しました。
●片親性遺伝標識の多様性
mtDNAハプログループ(mtHg)の多様性は、ネプルイエフスキー遺跡のクルガン1号の個体間で高かった、と示されました。分類されたmtDNA系統は、ユーラシア西部人口集団と通常は関連するmtHg-H・N・K・T・Uに属していました。対照的に、Y染色体ハプログループ(YHg)の多様性は低く、YHg-R1aに分類された個体b8-2およびb24-1を除いて、全男性個体はYHg-Q1bに属していました。YHg-R1a分枝のハプログループは、以前にはウラル南部のスルブナヤ・アラクル個体群では報告されており(関連記事)、ユーラシア草原地帯とヨーロッパ東部の青銅器時代個体群において高頻度でした。対照的に、YHg-Q1b系統の一般的なハプログループは、同時代のシベリア南部およびモンゴルの人口集団でより一般的に見られます(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。
●親族関係と家系の再構築
最近の近親交配を示唆する同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)の過剰(関連記事)は、検出されませんでした。先行研究(関連記事)で報告された結果と同様に、この地域における経時的なROHの長さと数の一般的な減少が観察されました。データセットにKIN を適用すると、35組の1親等、40組の2親等、48組の3親等の関係が検出されました。全ての対の関係は、先行研究(関連記事)で用いられた手法の使用により、さらに確証されました。
対での近縁性係数(r)は、とくに成人個体のみで評価した場合、女性と比較して男性間でより高くなりました。この調査結果は、コマニ人(Khomani)を用いたf₃(コマニ人;検証X、検証Y)形式の性別固有の外群f₃統計と一致し、検証Xと検証Yは、ネプルイエフスキー遺跡の成人個体の全ての可能な組み合わせで、女性個体(0.1169±0.0011)と比較して男性個体(0.1345±0.0176)で、有意により高い平均の対でのf₃値が得られました。この結果は、女性間よりも男性間でのより高い平均関連性を示唆しており、mtDNAの多様性と比較しての低い全体的なY染色体系統の多様性の観察と一致します。
遺伝的性別と死亡時年齢と¹⁴C年代とミトコンドリアおよびY染色体系統により課される全ての制約を考慮して、生物学的近縁性に基づいて多世代家族の家系が再構築されました(図2)。再構築された家系は3世代にまたがっており、33個体を結びつけ、そのうち21個体が本論文で配列決定されました。残りの12個体の存在は、家系図の間隙から間接的に推測されました。家系の中心には妻と子と孫のいる6人の兄弟がいました。この6人の兄弟の創始者の両親は、クルガン1号に埋葬された個体では特定できませんでした。3人の兄弟とその妻が配列決定された個体群で直接的に検出されたのに対して、残りの兄弟3人はその子供から間接的に推測されました。以下は本論文の図2です。
50歳以上の男性個体b32-1は、複数の女性との間に子供を儲けた、とわかった唯一の男性でした。個体b32-1は25~35歳の女性個体(b32-2)とともに埋葬されており、b32-1はb32-2との間に少なくとも7人の子供がいて、その内訳は娘2人(b27-1とj15-2)息子5人でした。クルガンでは4人の息子(b1-1、b1-2、成人の息子であるb28-1とb4-1)を発見でき、息子1人は孫息子(b6-1)の存在を通じて推測されました。さらに、同じ男性(b32-1)は女性個体(b28-2)と別の息子(b10-2)を儲けた、と分かり、b28-2はその成人の息子(b28-1)の近くに埋葬されました。
個体b2b-1(成人男性)とb25-1(成人女性)は息子1人(b7-1)を通じてつながっていました。追加の成人のキョウダイであるb2a-1は成人女性1人(b2a-2)と埋葬されていましたが、2人に共通の子供はいませんでした。さらに、r推定値から、ともに左側錐体部から標本抽出された個体j11-1とb17-1は一卵性双生児で、第2世代において存在する3兄弟の姪として家系図に位置づけることができる、と明らかになりました。同様に、個体b30-1とb22-1も本論文のデータセットにおいて3人の兄弟の姪と分かりました。b22-1については、追加の親族が特定され、兄弟を通じて甥(j3-1)、姉妹を通じて姪(b33-1)が含まれます。
利用可能な情報に基づくと、11個体は家系図に位置づけることができませんでした。しかし、そのうち4個体、つまり男性乳児のb13-1およびb31-1や男性乳児j6-1およびその姉のb3-1は、3親等もしくは4親等でこの家系の個体群と関連していました。残りの7個体、つまり成人女性2個体(b8-1とb2a-2)と学童期(6~7歳から12~13歳頃)の女性1個体(b26-1)と女性乳児2個体(j9-1とj15-1)と学童期の男性2個体(b8-2とb24-1)は、5親等以内の親族関係の他個体はいませんでした。しかし、それらの各個体と家族の構成員の1もしくは複数の構成員との間には、12 cM(センチモルガン)以上の共有された同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)断片がありました。これら5親等以内の親族関係の他個体がいない7個体は、密接な生物学的親族とみなすことができませんが、少なくとも同じ人口集団の構成員でした。遠い関係のこの1群の男性2個体は、YHg-Q1b以外のYHg、つまりR1a1a1b2を有する唯一の個体でした。
ancIBD手法をより広範な草原地帯地域から得られた1000個体以上の同時代のゲノムのより大規模な一式に拡張することにより、ネプルイエフスキーの1もしくは複数個体と、2個もしくはそれ以上の12 cM以上のIBD断片を共有する、いくつかの追加の個体が特定されました。これらの個体は21ヶ所の遺跡に由来し、その多くは近隣、つまりカメンニー・アンバー(Kamennyi Ambar)遺跡もしくはボルシェカラガンスキー(Bolshekaraganski)遺跡でした。しかし、いくつかの遺跡は数百km、あるいは数千kmさえ離れた地域に由来しました(図1)。
●ゲノム差異の概要パターン
常染色体遺伝標識の投影主成分分析(principal component analysis、略してPCA)では、ネプルイエフスキー個体の大半は、刊行されているスルブナヤ・アラクル関連個体群(関連記事)の近くでクラスタ化する(まとまる)、と示されました。この「主要クラスタ」は中期青銅器時代シンタシュタ(Sintashta)文化個体群や、現代のロシアに位置するファチャノヴォ文化の個体群(関連記事)の近くに位置しました。この主要クラスタ外では2個体のみが見つかり、それは、図3において鉄器時代サルマティア人(Sarmatian)の近くでより右側へとさらに位置する女性個体(b28-2)と、b28-2と主要クラスタとの間に位置する若い男性個体(b10-2)です。主要クラスタの位置は、スルブナヤ・アラクル個体群が、その祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の大半は先行するシンタシュタ文化の個体群と類似しているヨーロッパ東部供給源に由来する、という仮説と一致するものの、同じクルガンに埋葬されたこの外れ値2個体【b28-2とb10-2】の位置は、東方からのユーラシア人口集団との接触を示唆します。以下は本論文の図3です。
スルブナヤ・アラクル個体群がウラルの東方の人口集団から追加の祖先系統を受け取ったのかどうか検証するため、シャマンカ(Shamanka)遺跡の金石併用時代(銅器時代)個体も用いて、D形式(コマニ人、金石併用時代シャマンカ個体;シンタシュタ文化個体、検証対象)のD統計が計算され、「検証対象」はネプルイエフスキー遺跡の個体群です。この分析では、ネプルイエフスキー遺跡の5個体(b10-2、b13-1、b17-1、b27-1、b28-2)で有意な正のD値が得られ、金石併用時代シャマンカ遺跡個体と類似した人口集団に由来する東方供給源から標本抽出された個体群の祖先への少なくともいくらかの遺伝子流動を示唆しています。
同様に、ネプルイエフスキー遺跡個体群の祖先系統は、シンタシュタ文化に属するロシアの中期青銅器時代個体群とバイカル湖の金石併用時代シャマンカ遺跡狩猟採集民とロシア草原地帯の金石併用時代の人々との間の、3方向混合としてモデル化されました。ネプルイエフスキー遺跡個体群の半数(16個体)については、シンタシュタ文化個体群がその祖先系統を説明するのに充分でした。残りの15個体については、モデルへの少なくとも1つのさらなる構成要素の追加が、P値をかなり増加させました。9個体の祖先系統は、シンタシュタ文化個体群的祖先系統と、追加の20~60%のロシア金石併用時代草原地帯個体群的祖先系統で構成される2方向モデルにより説明できますが、4個体は、金石併用時代シャマンカ遺跡狩猟採集民と類似した1供給源からの最大10%の追加の祖先系統を伴う、シンタシュタ文化個体群的祖先系統として最適にモデル化されました。
主要なPCAクラスタ外の2個体(b28-2とb10-2)については、祖先系統は、シンタシュタ文化個体群で見られるような祖先系統25~35%、金石併用時代草原地帯個体群的祖先系統50~60%、シャマンカ遺跡狩猟採集民祖先系統の少ない割合(10%未満)の追加で構成される、3構成要素モデルにより最適に説明されました(図3)。これらのモデルのどれも、個体b13-1について充分な適合に至りませんでした。これらの結果は、先行するシンタシュタ文化個体群的な人々の基層に由来するスルブナヤ・アラクル文化と関連する人々と一致し、ロシア草原地帯在来の人口集団やさらに東方の人口集団からの追加の混合が伴います。
●ユーラシア草原地帯における祖先系統の地域的連続性と時折の長距離配偶者獲得
ネプルイエフスキー遺跡の古墳はウラル南部のより広範な文化的層準に属しており、考古学者はスルブナヤ・アラクル文化として記載し、紀元前1800~紀元前1200年頃と年代測定されています。スルブナヤ・アラクル文化的層準は伝統的に、埋葬および物質慣行の類似性に基づいて、紀元前2100~紀元前1800年頃の先行するシンタシュタ文化とのつながりにおいて発展した、と推測されています。本論文におけるネプルイエフスキー墓地から得られた古代人のゲノムの分析はこの仮説を裏づけており、それは、シンタシュタ文化関連個体群とスルブナヤ・アラクル文化関連個体群との間で、類似の祖先系統特性と共有されたIBD断片が見つかったからです。
じっさい、ネプルイエフスキー遺跡の配列決定されたゲノムのほとんどは、シンタシュタ文化関連個体群的な祖先の単純な混合としてモデル化でき、PCAでは、それ以前(ファチャノヴォおよびシンタシュタ文化的層準)およびスルブナヤ文化背景の同時代の草原地帯人口集団の近くに投影されます。ネプルイエフスキー遺跡の数個体は、金石併用時代草原地帯人口集団(9個体)か、バイカル湖の金石併用時代狩猟採集民(4個体)か、その両方(2個体)からの少量の追加の遺伝子流動の兆候を示しました。クルガンから得られたゲノムデータは、東方からの遺伝子流動が家族水準でどのように起きたのか、ということへの洞察を提供し、具体的には、「アジア中央部」的な成人女性個体(b28-2)は、6人の兄弟のうち1人(b32-1)と息子を1人(b10-2)儲けました。この3個体【b28-2、b32-1、b10-2】は全員、埋葬慣行もしくは副葬品の観点では顕著な違いの証拠なしに、クルガンの下に埋葬されました。
したがって本論文は、比較的安定しているスルブナヤ・アラクル遺伝子プールへの、はるか遠方のアジア中央部の個体群の結婚もしくは提携による統合を実証します。遺伝子流動のそうした時折の出来事は、すでに先行するシンタシュタ文化期に起きていました。D形式(コマニ人、金石併用時代シャマンカ個体;シンタシュタ文化個体、ネプルイエフスキー遺跡個体)の正のD統計は、ウラルの東側の人口集団からネプルイエフスキー遺跡に埋葬された人々の祖先の少なくとも一部への遺伝子流動を示唆しました。さらに、ネプルイエフスキー遺跡の男性が2個体を除いて全員YHg-Q1bを有していた事実は、スルブナヤ・アラクル遺人口集団の祖先への男性系統に沿ったアジア中央部祖先系統の寄与と一致します。YHg-Q1bはウラルの東側の同時代の人口集団において一般的です。さらに、2個体(b32-2とj6-1)のエクトジスプラシンA受容体(ectodysplasin A receptor、略してEDAR)遺伝子(SNPはrs3827760)で派生的なグアニン(G)アレル(対立遺伝子)が見つかり、これはアジア東部およびアメリカ大陸先住民人口集団で一般的に見られる多様体です。
アジア中央部もしくは東部祖先系統は、その後の歴史時代にこの地域に押し寄せ、つまり、サルマティア人のような鉄器時代人口集団、あるいは広く言えば、スキタイ文化複合と関連する集団です(関連記事)。本論文は、アジア中央部からの低水準の遺伝子流動が、紀元前1800年頃となる後期青銅器時代の開始までにすでに起きていた、と示唆します。さまざまなゲノム特性に応じて広範な人口集団が存在する、ユーラシア草原地帯の範囲と限りない性質を考えると、ユーラシア東部人口集団からの遺伝子流動が偶発的にのみ起きた、という事実は驚くべきことで、地理的状況と矛盾します。本論文の調査結果から、文化および/もしくは民族的境界が東方からネプルイエフスキー共同体への無作為の配偶を制約した、と示唆されます。対照的に、IBD共有の観察されたパターンから、ネプルイエフスキー集団と関連する人口集団は中期~後期青銅器時代において、ネプルイエフスキー遺跡の東西両方で数百km~数千kmの地域に分布していた、と示唆されます(図1)。
●父系的家系と社会で構造的役割を果たす兄弟間の血縁関係
再構築された家系(図2)は33個体(配列決定された21個体と推測された12個体)を3世代にわたってつなぎ、6人の兄弟とその妻や子供や孫で始まりました。創始者夫婦と6人の兄弟の両親は不明です。若いキョウダイを含む別の4個体は、クルガン1号の他の数個体と3~4親等の親族関係にあると確認されましたが、家系と性格に結びつけることはできませんでした。配列決定された32個体のうち7個体のみが、より狭い家族の意味で親族関係になく(ここでは4親等を超えた全ての関係として定義されます)、ネプルイエフスキー遺跡の家系はおもに、ほぼ排他的に生物学的親族関係により決定されていた、と示唆されます。
いくつかの仮説は、血縁関係が密接ではないクルガン1号の個体群の存在を説明できるかもしれません。これらの人々は非生物学的親族を表しているかもしれず、つまりは同盟者になるなどして、社会的理由で家系集団に受け入れられた個体群です。あるいは、これらの個体は姻戚関係のつながり(つまり結婚)により他者と関係していたかもしれないものの、共通の子供の欠如のため家系から除外されます。これらの個体は、生物学的近縁性推定のため、現在の手法を用いてのそうした配列決定深度で検出できないより遠い血縁関係を有していたか、あるいは、非親族で、たとえば、嵌入もしくは異なる家系集団による古墳の再使用から生じた近さかもしれません。現時点では、本論文のデータはこれらの仮説を区別できません。副葬品ネプルイエフスキー遺跡の埋葬地間で大きく違っているわけではなく、地位の違いもしくは宗族についての結論を導き出す能力が制約されます。家系の一部ではなかった若い男性2個体(b26-1とb8-2)のみが、青銅器製品を含めて副葬品の増加を示しました。
親族関係にない共埋葬が一般的である初期新石器時代遺跡群(関連記事)とは異なり、クルガン1号の使者のほとんどは単一の父系血縁集団の3世代に属していました。兄弟間の生物学的親族関係は、子供期(2~3歳から6~7歳頃)を超えて構造的役割を果たしたようです。6人の兄弟とその子供および孫のこの観察されて推測された存在と、ネプルイエフスキー遺跡における成人姉妹の不在から、家系集団への所属が父系に基づいていた、と示唆されます。しかし、注目に値する例外が一つあり、女性1個体(b33-1)は、厳密な父系血縁制度で予測されるかもしれないような父親ではなく、母親を通じて他の個体とつながっているにも関わらず、ネプルイエフスキー遺跡に埋葬されていました。ほとんどの親族関係制度は柔軟で、例外を許容します。たとえば、父系血縁制度では、生き残っている男児がいなかった場合、結婚を介して親族関係にない男性を家系に迎えることは一般的でしょう。
●明らかな一夫一婦の規範ではあるもの除外できない一夫多妻関係
クルガン内の墓の位置と副葬品の分布と使者の栄養状態は明らかな家族内階層を示唆しませんが、成人男性1個体(b32-1)は際立っています。アジア中央部祖先系統背景が推定されている女性を含めて母親2人から生まれた少なくとも8人の子供は、この個体【b32-1】に帰属するかもしれません。対照的に、他の5人の兄弟には3人以上の子供がおらず、全員妻はそれぞれ1人です。標本抽出の偏りの可能性はありますが、両親に対する子供の比率がこの基本的な解釈を変えるほど充分に大きく変化する可能性はひじょうに低そうです。したがって、この男性個体(b32-1)は、一夫多妻もしくは遷移的一夫一婦の証拠を示す唯一の兄弟です。
この男性個体【b32-1】が2人の女性およびその子供たちと同時に関係を持って暮らしていたのかどうか、判断できません。b32-1の死亡時年齢(50歳超)と家系内のその地位を考えると、兄弟6人の最年長だったか、長子(息子)だった可能性が単相で、誕生順特権に基づく優遇措置および/もしくは生殖能力の差を示唆しています。一夫一婦の関係はネプルイエフスキー遺跡では規範だったようですが、一夫多妻の関係は一般的に除外できず、2番目もしくは3番目の夫婦関係は墓で異なる扱いを受けたか、あるいは単に共通の子供が設けられなかったのかもしれません。
歴史的社会における配偶者と子供の数は富および地位と相関する、と仮定すると、男性個体b32-1とその2人の妻により表される三者の結婚の可能性は、家族内の指揮的役割のためでしょう。また、一夫多妻(連続的もしくは同時)と子供の数の多さとの間の関連が、この事例では確証出来るかもしれません。一夫多妻は移動する園耕民もしくは牧畜民共同体では一般的ですが、耕作地農耕民ではほぼ存在しません。この民族誌的に記録された傾向は、穀物栽培の証拠がほとんどなく、ほぼ家畜に依存していたネプルイエフスキー遺跡人口集団の生活様式の考古学的に再構築された証拠と一致します。
●ネプルイエフスキー遺跡の異常な人口統計学的特性から示唆される若い女性の不在
クルガンにおいて5~14歳の間の年齢女性が完全に存在しないことは、明らかに異常です。全年齢の男性個体がネプルイエフスキー遺跡に存在することを考えると、この調査結果は、この年齢区分における女性の異なる扱いを示唆するので、異常です。若い年齢での非婚はこれに関する可能性の低そうな説明で、それは次に、観察されなかった親族関係にない若い女性の存在を必要とするからです。この観察された人口統計学的パターンは、他の遺跡の子供に関して知られているように、他の女性の子供の異なる埋葬慣行を反映している可能性がより高そうです。
ネプルイエフスキー遺跡のクルガン5号および9号や、トランスウラル地域のユルリー8(Yulaly-8)遺跡のクルガン2号など、未成年遺骸のみ、もしくはプレウラル地域のニコラエフスキー(Nikolayevsky)遺跡のクルガン1号における未成年に成人女性遺骸を含んでいる埋葬遺跡は、より広範な地域で発見されてきました。未成年個体の性別決定は骨学的には困難なので、これらの遺跡における体系的な遺伝学的調査が、子供の分子的性別の解明により洞察を提供できます。
出生時平均余命は男女両方で低いと分かりましたが、女性の推定値は埋葬慣行など文化的要因により偏っているかもしれません。低い出生時平均余命は、若い女性における高い出生率や高い新生児死亡率を反映している、と考えられています。高水準の子供の死亡率は産業化以前の社会において一般的でしたが、ネプルイエフスキー遺跡人口集団での子供の死亡率の推定値は、ウラル地域外の他の青銅器時代社会と比較して高くなっています。それにも関わらず、本論文で観察されたパターンは、ウラル地域の他の草原地帯人口集団での観察と一致します。
非成人の高い割合は、カメンニー・アンバー(Kamennyi Ambar)遺跡のクルガン5号もしくはボルシェカラガンスキー(Bolshekaraganski)遺跡のクルガン25号のシンタシュタ文化遺跡や、ウラル南部地域の他のシンタシュタ文化遺跡やペトロフカ(Petrovka)文化やアラクル文化の墓地で発見されてきました。ネプルイエフスキー遺跡における成人の平均余命は、他の先史時代人口集団と比較して短い者でした。これはとくに女性に当てはまり、女性(27.8歳)の平均余命は男性(36.2歳)より8年短い、と推定されました。長寿を社会健康の指標と考えるならば、ネプルイエフスキー遺跡やウラル地域の他の同時代の遺跡における平均余命値は、ヒト家畜の疾患の再発などの健康上の制約の可能性を示唆します。
●結婚後の父方居住と夫方集団に移る女性の帰属
クルガン1号では、埋葬された男性間の高度の近縁性にも関わらず、近親交配は検出されませんでした。長いROHの欠如と、ネプルイエフスキー遺跡第1世代の妻と母親が生物学的に相互と親族関係になかった事実は、より広範な配偶網の存在を示唆します。父方居住族外婚は、小さな社会において近親交配を避ける効率的な方法とみなすことができます。ネプルイエフスキー遺跡では、女性の構成員資格はその夫側の集団を通じて移され、女性が出生集団の墓地に埋葬された仮定的状況を除外できます。ヒト社会において、女性族外婚は高頻度で行なわれていますが、普遍的ではありません。
最近のストロンチウム同位体および古代DNA研究では、新生児社会は多様な結婚後居住慣行を有しており、時には、厳密ではないものの、父方居住が含まれるので、密接な親族間で観察される一連の明確な特徴がある、と示されてきました(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4および関連記事5)。父方居住制度の証拠は、ヨーロッパ中央部(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4)およびヨーロッパ東部(関連記事)の金石併用時代および青銅器時代社会で頻繁に明らかにされてきており、より最近の時代まで存続していたようです(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。
しかし、本論文で確認された父系パターンの注目すべき例外があります。たとえば、先行研究(関連記事)では、現代のセルビアにおける青銅器時代マロス(Maros)文化と関連するモクリン(Mokrin)遺跡墓地で、父系性の証拠は見つかりませんでした。その研究では、地元の女性系統を通じての富の相続の証拠が見つかりました。中世バイエルンの別の事例は混合形態を示しており、地元の男女と、遠方地域からの民族的および文化的に多様な女性の追加の移民が含まれます(関連記事)。
●自然消滅パターンとしては短すぎるクルガン1号の使用とこの家系の突然の終焉
OxCalでの¹⁴Cに基づく居住時間のモデル化は52年間未満のクルガン1号の使用期間を示唆しますが、本論文で開発された模擬実験手法はあり得る最小限界として3年間を示唆します。あるいは、再構築された家系の状況における死亡時年齢推定値も検討できます。死亡時年齢分布、とくに第2世代と第3世代は、成人の個体数の全体的な少なさにより特徴づけられ、クルガン1号の使用について、自然な消滅パターンではなく、突然の終了を示唆します。使用の可能性がある期間は、25~35歳の死亡時推定年齢の個体b32-2周辺の家族と、その息子で死亡時年齢が35~45歳である個体b28-1に焦点を当てることにより、さらに絞り込むことができます。b32-2の出産時の年齢を15歳と仮定すると、母親と息子それぞれの死亡時の推定される最大年齢と最小年齢に基づいて、クルガン1号の使用期間の下限は15年間と推定できるかもしれません。第3世代の個体の若い年齢と第2世代の成人個体数の少なさは、クルガン1号の全体的な使用期間が15年間より大幅に長くはなかった、と示唆しているかもしれません。
●まとめ
死者の埋葬慣行と扱いは、先史時代共同体の生活について、限られた情報しか提供しません。真に「過去への直接的な窓」を提供する手法はありませんが、本論文では、埋葬位置や年齢決定や¹⁴C年代など、伝統的な考古学および人類学的代理と組み合わされる高解像度の遺伝的「親族関係」分析は、過去の家族構造および社会組織の理解を顕著に深めるかもしれない、と論証されます。生物学的近縁性のパターンは、社会人類学者により作成された親族関係図表と顕著な類似性を有する、家系の再構築を可能とします。
ネプルイエフスキー遺跡における推測された家系図は3世代にまたがり、6人の兄弟とその妻と子供と孫が中心となっています。これら全員がクルガン1号の下に埋葬されており、青銅器時代ユーラシアのこの地域において、生物学的近縁性が親族関係制度の中心的構成要素だった、と示唆されます。図1で示されるIBD網から、ネプルイエフスキー遺跡個体群と関連する人口集団はユーラシア草原地帯の大半に居住していたので、本論文から導かれる洞察はより大きな地理的地域への示唆を有しているかもしれない、と示唆されます。
家畜の飼育に依存していたネプルイエフスキー遺跡の人々は、その祖先系統の大半が「シンタシュタ文化個体群的」祖先に由来しました。この遺伝学的全体像は、草原地帯の広く開かれた性質にも関わらず、顕著に安定しています。本論文の調査結果から、ネプルイエフスキー遺跡共同体はより広範な配偶網の参加者で、地元の遺伝子プールに寄与したアジア中央部祖先系統の個体はごくわずかだった、と示唆されます。ネプルイエフスキー遺跡では、女性族外婚が一般的で、女性は死後にその出生集団へと戻されず、代わりにその夫および子供とともに埋葬されました。全体的に高水準の子供の死亡率は、ネプルイエフスキー遺跡やウラル地域の他の遺跡における短い平均余命と組み合わされて、局所的な生活条件が過酷だったことを示唆します。
本論文の結果から、ヨーロッパ中央部および東部のより古いおよび同時代の遺跡群で以前に観察された特定の親族関係パターン(父系性、女性族外婚)は、数千km東方のウラル南部でも行なわれていた、と示唆され、ユーラシア青銅器時代の連続性の見解への裏づけを提供します。さらなる研究は、兄弟の共存や推定される長男の生殖率の高さや、地元系統の娘の不在など、ネプルイエフスキー遺跡社会の観察された特徴や属性が、局所的な地域に特有なのか、それともより一般的な空間を横断した青銅器時代のパターンかを表しているのかどうか、明らかにするでしょう。
参考文献:
Blöcher J. et al.(2023): Descent, marriage, and residence practices of a 3,800-year-old pastoral community in Central Eurasia. PNAS, 120, 36, e2303574120.
https://doi.org/10.1073/pnas.2303574120
●要約
家族水準での先史時代社会組織に関する理解は、まだ限られています。本論文では、ユーラシア中央部のウラル南部地域に位置する、ネプルイエフスキー遺跡における青銅器時代のスルブナヤ・アラクル文化伝統に分類される3800年前頃の古墳1基で発見された、32個体のゲノムデータが生成されました。その結果、平均余命は一般的にひじょうに低く、成人男性は女性より平均して8年長く生きる、と分かりました。調査対象の個体のうち23個体において合計で、35組の1親等、40組の2親等、48組の3親等の生物学的関係があり、その中心に6人の兄弟がいる3世代にまたがる家系図を提案できました。
これらのうち最古の兄弟には女性2人との間に8人の子供がおり、全体的には最多の子供となりますが、他の関係は一夫一婦でした。注目すべきことに、5歳以上の親族関係にある女性の子供はネプルイエフスキーにおいてほぼ存在せず、成人女性は遺伝的に男性よりも多様でした。これらの結果から、兄弟間の生物学的関係が社会において構造的役割を果たしており、家系集団の構成員は父系性に基づいていた、と示唆されます。女性はより大きな配偶網に起源があり、男性と結婚するために移動し、男性とともに埋葬されました。最後に、最古の兄弟はより高い社会的地位を保っていた可能性が高く、それは生殖の観点に現れていました。
●研究史
先史時代ヨーロッパにおける家族構造の発展は19世紀後半以来、大きな関心が寄せられてきた問題で、多くの推測があります。より古い手法(マルクス主義、ウェーバー主義、ヨーロッパ中心主義)は、東洋と西洋との間の家族構造における初期の分岐を強調しましたが、より最近の民族史学的研究は、類似の生産体系と財産の保持および継承の同等の様式に起因する、青銅器時代ユーラシア全域の連続性を示唆しています。親族関係パターンと家族組織における変化は、生計と生産活動における大きな変化の文脈でも議論されてきました。
最も注目すべきは、新石器時代における農耕経済の出現と、青銅器時代の牧畜エリートの発展です。科学的手法により、先史時代のデータの観点から、親族関係の3側面(家系と結婚と居住)に関して、これらの言説の妥当性の評価が可能になったのは、ごく最近でした。生物学的親族関係、つまり集団の構成員間の実際の血のつながりを前提とする家系制度は一般的ですが、普遍的ではありません。古ゲノミクスの分野における最近の発展は、生物学的親族関係を判断し、古代の家系と遠い過去におけるあり得る家系を再構築するための、高解像度の手法を提供します。
これまで、親族関係に関する生物考古学と人類学と古遺伝学の証拠を組み合わせた研究は、上部旧石器時代の採食民(関連記事)や新石器時代および青銅器時代の牧畜民と定住農耕民(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4および関連記事5および関連記事6および関連記事7および関連記事8および関連記事9)や、より最近の中世初期人口集団(関連記事1および関連記事2および関連記事3)における家族構造を推測してきました。
一部の例外(関連記事)を除いて、これらの研究のほとんどはユーラシア西部の遺跡から得られたゲノムのみに基づいていました。アナトリア半島とヨーロッパにおける初期新石器時代の親族制度は多様な結婚後の居住慣行と共埋葬における生物学的親族関係の時折の欠如を反映していましたが(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4および関連記事5)、後期新石器時代および青銅器時代の親族関係パターンはある程度反復的だったようで、父系子孫と父方居住慣行が優占していました。
●この研究の背景
本論文は、ユーラシア草原地帯の中心、より正確には地質構造のヨーロッパとアジアとの間の境界であるウラル南部地域に位置する、ネプルイエフスキー古墳ネクロポリス(大規模共同墓地)の3800年前頃の埋葬群を調べました(図1)。このネクロポリスは2015年~2017年の間に発掘され、ヤンディルカ(Yandyrka)川の右岸に位置しています。ヤンディルカ川は、アクムラ(Akmulla)川の小さな支流で、現代ロシアのカルタルイ(Kartaly)地区のネプルイエフスキー村の近くにあります。以下は本論文の図1です。
調査中の古墳であるネプルイエフスキーのクルガン(Kurgan、墳墓、墳丘)1号は、38基の局所的なクラスタ(まとまり)のうち最大級の一つで、大まかに南北のまとまりに分かれており、合計で少なくとも44個体が含まれます。クルガン1号の墓と回収された資料の放射性炭素14(¹⁴C)年代測定は、遠く現代のウクライナにまで広がるウラル西方の「スルブナヤ」文化とウラル東方にさらに広がるアラクル文化との間の相互作用地帯でおもに見つかる、いわゆるスルブナヤ・アラクル異形に分類されてきました。
ウラル南部の社会は、前期青銅器時代となる紀元前3000年頃にまず確立された、より広範なユーラシアの交流網の一部を形成した人口集団の子孫だったようです(関連記事)。ウラル南部の社会ユーラシア西部草原地帯に起源があると考えられており、この地域では、縄目文土器(Corded Ware、略してCW)およびファチャノヴォ(Fatyanovo)の物質および物質的慣行と関連した、文化ヨーロッパ中央部および東部の人口集団の流入がありました。以前の古ゲノミクス研究は、地域を越えた水準で時間的なゲノムパターンを特徴づけてきましたが(関連記事)、局所的もしくは共同体規模でのこれら青銅器時代社会の社会および家族組織についてはほとんど知られていません。
定住もしくは半定住生活様式と関連する集落居住の痕跡は、ヤンディルカ川の反対側の、ネクロポリスからやや離れた距離(約1.6km)で見つかります。窪地と収集された発見物から、家屋は周囲の川岸近くの集落にまとまっており、恐らくはウシの放牧地として用いられていました。より広範囲の地域におけるいくつかの家屋での金属加工の痕跡は、よく確立された局所的な金属産業を示唆します。
畜産とウシの牧畜が、主要な生活様式だったようです。ウシとヒツジから得られた乳タンパク質の痕跡が、クルガン1号に埋葬された個体のうち2個体(b5-1、b9-1)の歯石で最近発見されました。逆に、ネプルイエフスキーでは穀物農耕の証拠はなく、ネプルイエフスキーで発見された人類遺骸の歯の病理は、動物性タンパク質が豊富で、炭水化物の乏しい食性と一致します。牧畜は大規模な群によりもたらされる富の蓄積の差に起因する社会的不平等につながる傾向があるものの、クルガン1号など大規模な古墳の築造を除いて、スルブナヤ・アラクル集団における強い階層の証拠は現時点ではありません。家系制度は生計慣行および生産経済と相関している、と示されてきました。たとえば、大型の家畜を飼っているヒト社会では、母系は稀です。したがって本論文は、ネプルイエフスキーにおける家系の父系的制度を仮定しました。
●人類学と死亡特性と居住期間
遺骸の人類学的調査は、持続的な戦いもしくは集団間暴力の外傷の顕著な証拠を明らかにせず、唯一の兆候は、女性5個体と男性2個体の軽度の骨折の治癒だけです。遺伝性の歯の形質の分布は、クルガンの下に埋葬された個体間の密接な生物学的近縁性いくつかの証拠を提供します。人類学的年齢群における不均等な分布が観察されました。すべての識別可能な個体(44個体)の生命統計表から、女性(15個体)の割合は0~5歳群では男性(12個体)と有意には異ならない、と示されました。しかし、子供期と思春期(5~20歳の年齢群)では、男性(9個体)は女性(1個体)より高頻度でした。成人では、性比1は却下できませんでした(男性6個体、女性9個体)。全ての識別可能な個体のうち、推定39%は5歳前に、推定57は生殖年齢に達する前に死亡/失踪しました。平均余命は誕生時に14年、成人到達時に31.6年歳と推定されました。別々に分析すると、新生児(女性は12歳、男性は13.4歳)と成人(女性は27.8歳、男性は36.2歳)の両方で、女性男性と比較して平均余命が短かった、と示されました。
放射性炭素データは、クルガン1号の使用期間のモデル化のため使用されました。26個体で得られた年代は、紀元前1914~紀元前1751年頃から紀元前1744~紀元前1626年頃でした。OxCalを用いて、使用期間の上限は52年間と推定されました(99.7%の確率)。しかし、b2a-1およびj15-2個体の一致指数から、この2個体はおそらくわずかに異なる時期に埋葬された、と示唆されます。次に、埋葬された個体がほぼ同時に死亡したのか、小さな時間枠内(2年か3年か10年)だったのか、直接的に検証する手法が考案されました。全ての個体が、2年の時間枠内で死亡した、とのモデルは却下できますが、3年もしくは10年以内で死亡した、とのモデルは却下できません。まとめると、この結果は、埋葬された全人口の比較的みじかい堆積器官の可能性を残しています。しかし、ほぼ同時に死亡した、とのモデルを却下する検出力は、その期間の¹⁴C較正曲線の小刻みに動いている較正年代の広範な事後分布のため低い、と認識すべきです。
●古ゲノム
30点のヒト錐体骨に由来する完全なゲノムが、平均常染色体深度1.46倍(0.8~2.3倍)で配列決定されました。さらに、25点の歯からのDNA抽出が124万の一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)で濃縮され、そのうち24点では充分なヒトDNAデータが得られました。合計で、32個体のデータがさらなる分析で利用可能でした(10点はショットガンのみ、3点は捕獲のみ、19点はショットガンと捕獲)。古代DNAと一致するDNA損傷パターンは、全ライブラリに存在しました。
ミトコンドリアDNA(mtDNA)配列における汚染水準は全ゲノムにおいて1%未満と推定され、常染色体の読み取りに基づく推定と一致し、例外は、15%以上の常染色体汚染推定値を示したので、さらなる分析から除外された個体b7-1の1点のライブラリです。2点の錐体骨同じ個体(b6)に由来する、と分かりました。先行研究に記載された手法に従った分子性別は、男性(XY)18個体と女性(XX)14個体を明らかにし、女性と最初に分類された個体b4-1を除いて、利用可能な骨格要素で行なうことができる限り、形態学的/人類学的評価と一致しました。
●片親性遺伝標識の多様性
mtDNAハプログループ(mtHg)の多様性は、ネプルイエフスキー遺跡のクルガン1号の個体間で高かった、と示されました。分類されたmtDNA系統は、ユーラシア西部人口集団と通常は関連するmtHg-H・N・K・T・Uに属していました。対照的に、Y染色体ハプログループ(YHg)の多様性は低く、YHg-R1aに分類された個体b8-2およびb24-1を除いて、全男性個体はYHg-Q1bに属していました。YHg-R1a分枝のハプログループは、以前にはウラル南部のスルブナヤ・アラクル個体群では報告されており(関連記事)、ユーラシア草原地帯とヨーロッパ東部の青銅器時代個体群において高頻度でした。対照的に、YHg-Q1b系統の一般的なハプログループは、同時代のシベリア南部およびモンゴルの人口集団でより一般的に見られます(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。
●親族関係と家系の再構築
最近の近親交配を示唆する同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)の過剰(関連記事)は、検出されませんでした。先行研究(関連記事)で報告された結果と同様に、この地域における経時的なROHの長さと数の一般的な減少が観察されました。データセットにKIN を適用すると、35組の1親等、40組の2親等、48組の3親等の関係が検出されました。全ての対の関係は、先行研究(関連記事)で用いられた手法の使用により、さらに確証されました。
対での近縁性係数(r)は、とくに成人個体のみで評価した場合、女性と比較して男性間でより高くなりました。この調査結果は、コマニ人(Khomani)を用いたf₃(コマニ人;検証X、検証Y)形式の性別固有の外群f₃統計と一致し、検証Xと検証Yは、ネプルイエフスキー遺跡の成人個体の全ての可能な組み合わせで、女性個体(0.1169±0.0011)と比較して男性個体(0.1345±0.0176)で、有意により高い平均の対でのf₃値が得られました。この結果は、女性間よりも男性間でのより高い平均関連性を示唆しており、mtDNAの多様性と比較しての低い全体的なY染色体系統の多様性の観察と一致します。
遺伝的性別と死亡時年齢と¹⁴C年代とミトコンドリアおよびY染色体系統により課される全ての制約を考慮して、生物学的近縁性に基づいて多世代家族の家系が再構築されました(図2)。再構築された家系は3世代にまたがっており、33個体を結びつけ、そのうち21個体が本論文で配列決定されました。残りの12個体の存在は、家系図の間隙から間接的に推測されました。家系の中心には妻と子と孫のいる6人の兄弟がいました。この6人の兄弟の創始者の両親は、クルガン1号に埋葬された個体では特定できませんでした。3人の兄弟とその妻が配列決定された個体群で直接的に検出されたのに対して、残りの兄弟3人はその子供から間接的に推測されました。以下は本論文の図2です。
50歳以上の男性個体b32-1は、複数の女性との間に子供を儲けた、とわかった唯一の男性でした。個体b32-1は25~35歳の女性個体(b32-2)とともに埋葬されており、b32-1はb32-2との間に少なくとも7人の子供がいて、その内訳は娘2人(b27-1とj15-2)息子5人でした。クルガンでは4人の息子(b1-1、b1-2、成人の息子であるb28-1とb4-1)を発見でき、息子1人は孫息子(b6-1)の存在を通じて推測されました。さらに、同じ男性(b32-1)は女性個体(b28-2)と別の息子(b10-2)を儲けた、と分かり、b28-2はその成人の息子(b28-1)の近くに埋葬されました。
個体b2b-1(成人男性)とb25-1(成人女性)は息子1人(b7-1)を通じてつながっていました。追加の成人のキョウダイであるb2a-1は成人女性1人(b2a-2)と埋葬されていましたが、2人に共通の子供はいませんでした。さらに、r推定値から、ともに左側錐体部から標本抽出された個体j11-1とb17-1は一卵性双生児で、第2世代において存在する3兄弟の姪として家系図に位置づけることができる、と明らかになりました。同様に、個体b30-1とb22-1も本論文のデータセットにおいて3人の兄弟の姪と分かりました。b22-1については、追加の親族が特定され、兄弟を通じて甥(j3-1)、姉妹を通じて姪(b33-1)が含まれます。
利用可能な情報に基づくと、11個体は家系図に位置づけることができませんでした。しかし、そのうち4個体、つまり男性乳児のb13-1およびb31-1や男性乳児j6-1およびその姉のb3-1は、3親等もしくは4親等でこの家系の個体群と関連していました。残りの7個体、つまり成人女性2個体(b8-1とb2a-2)と学童期(6~7歳から12~13歳頃)の女性1個体(b26-1)と女性乳児2個体(j9-1とj15-1)と学童期の男性2個体(b8-2とb24-1)は、5親等以内の親族関係の他個体はいませんでした。しかし、それらの各個体と家族の構成員の1もしくは複数の構成員との間には、12 cM(センチモルガン)以上の共有された同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)断片がありました。これら5親等以内の親族関係の他個体がいない7個体は、密接な生物学的親族とみなすことができませんが、少なくとも同じ人口集団の構成員でした。遠い関係のこの1群の男性2個体は、YHg-Q1b以外のYHg、つまりR1a1a1b2を有する唯一の個体でした。
ancIBD手法をより広範な草原地帯地域から得られた1000個体以上の同時代のゲノムのより大規模な一式に拡張することにより、ネプルイエフスキーの1もしくは複数個体と、2個もしくはそれ以上の12 cM以上のIBD断片を共有する、いくつかの追加の個体が特定されました。これらの個体は21ヶ所の遺跡に由来し、その多くは近隣、つまりカメンニー・アンバー(Kamennyi Ambar)遺跡もしくはボルシェカラガンスキー(Bolshekaraganski)遺跡でした。しかし、いくつかの遺跡は数百km、あるいは数千kmさえ離れた地域に由来しました(図1)。
●ゲノム差異の概要パターン
常染色体遺伝標識の投影主成分分析(principal component analysis、略してPCA)では、ネプルイエフスキー個体の大半は、刊行されているスルブナヤ・アラクル関連個体群(関連記事)の近くでクラスタ化する(まとまる)、と示されました。この「主要クラスタ」は中期青銅器時代シンタシュタ(Sintashta)文化個体群や、現代のロシアに位置するファチャノヴォ文化の個体群(関連記事)の近くに位置しました。この主要クラスタ外では2個体のみが見つかり、それは、図3において鉄器時代サルマティア人(Sarmatian)の近くでより右側へとさらに位置する女性個体(b28-2)と、b28-2と主要クラスタとの間に位置する若い男性個体(b10-2)です。主要クラスタの位置は、スルブナヤ・アラクル個体群が、その祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の大半は先行するシンタシュタ文化の個体群と類似しているヨーロッパ東部供給源に由来する、という仮説と一致するものの、同じクルガンに埋葬されたこの外れ値2個体【b28-2とb10-2】の位置は、東方からのユーラシア人口集団との接触を示唆します。以下は本論文の図3です。
スルブナヤ・アラクル個体群がウラルの東方の人口集団から追加の祖先系統を受け取ったのかどうか検証するため、シャマンカ(Shamanka)遺跡の金石併用時代(銅器時代)個体も用いて、D形式(コマニ人、金石併用時代シャマンカ個体;シンタシュタ文化個体、検証対象)のD統計が計算され、「検証対象」はネプルイエフスキー遺跡の個体群です。この分析では、ネプルイエフスキー遺跡の5個体(b10-2、b13-1、b17-1、b27-1、b28-2)で有意な正のD値が得られ、金石併用時代シャマンカ遺跡個体と類似した人口集団に由来する東方供給源から標本抽出された個体群の祖先への少なくともいくらかの遺伝子流動を示唆しています。
同様に、ネプルイエフスキー遺跡個体群の祖先系統は、シンタシュタ文化に属するロシアの中期青銅器時代個体群とバイカル湖の金石併用時代シャマンカ遺跡狩猟採集民とロシア草原地帯の金石併用時代の人々との間の、3方向混合としてモデル化されました。ネプルイエフスキー遺跡個体群の半数(16個体)については、シンタシュタ文化個体群がその祖先系統を説明するのに充分でした。残りの15個体については、モデルへの少なくとも1つのさらなる構成要素の追加が、P値をかなり増加させました。9個体の祖先系統は、シンタシュタ文化個体群的祖先系統と、追加の20~60%のロシア金石併用時代草原地帯個体群的祖先系統で構成される2方向モデルにより説明できますが、4個体は、金石併用時代シャマンカ遺跡狩猟採集民と類似した1供給源からの最大10%の追加の祖先系統を伴う、シンタシュタ文化個体群的祖先系統として最適にモデル化されました。
主要なPCAクラスタ外の2個体(b28-2とb10-2)については、祖先系統は、シンタシュタ文化個体群で見られるような祖先系統25~35%、金石併用時代草原地帯個体群的祖先系統50~60%、シャマンカ遺跡狩猟採集民祖先系統の少ない割合(10%未満)の追加で構成される、3構成要素モデルにより最適に説明されました(図3)。これらのモデルのどれも、個体b13-1について充分な適合に至りませんでした。これらの結果は、先行するシンタシュタ文化個体群的な人々の基層に由来するスルブナヤ・アラクル文化と関連する人々と一致し、ロシア草原地帯在来の人口集団やさらに東方の人口集団からの追加の混合が伴います。
●ユーラシア草原地帯における祖先系統の地域的連続性と時折の長距離配偶者獲得
ネプルイエフスキー遺跡の古墳はウラル南部のより広範な文化的層準に属しており、考古学者はスルブナヤ・アラクル文化として記載し、紀元前1800~紀元前1200年頃と年代測定されています。スルブナヤ・アラクル文化的層準は伝統的に、埋葬および物質慣行の類似性に基づいて、紀元前2100~紀元前1800年頃の先行するシンタシュタ文化とのつながりにおいて発展した、と推測されています。本論文におけるネプルイエフスキー墓地から得られた古代人のゲノムの分析はこの仮説を裏づけており、それは、シンタシュタ文化関連個体群とスルブナヤ・アラクル文化関連個体群との間で、類似の祖先系統特性と共有されたIBD断片が見つかったからです。
じっさい、ネプルイエフスキー遺跡の配列決定されたゲノムのほとんどは、シンタシュタ文化関連個体群的な祖先の単純な混合としてモデル化でき、PCAでは、それ以前(ファチャノヴォおよびシンタシュタ文化的層準)およびスルブナヤ文化背景の同時代の草原地帯人口集団の近くに投影されます。ネプルイエフスキー遺跡の数個体は、金石併用時代草原地帯人口集団(9個体)か、バイカル湖の金石併用時代狩猟採集民(4個体)か、その両方(2個体)からの少量の追加の遺伝子流動の兆候を示しました。クルガンから得られたゲノムデータは、東方からの遺伝子流動が家族水準でどのように起きたのか、ということへの洞察を提供し、具体的には、「アジア中央部」的な成人女性個体(b28-2)は、6人の兄弟のうち1人(b32-1)と息子を1人(b10-2)儲けました。この3個体【b28-2、b32-1、b10-2】は全員、埋葬慣行もしくは副葬品の観点では顕著な違いの証拠なしに、クルガンの下に埋葬されました。
したがって本論文は、比較的安定しているスルブナヤ・アラクル遺伝子プールへの、はるか遠方のアジア中央部の個体群の結婚もしくは提携による統合を実証します。遺伝子流動のそうした時折の出来事は、すでに先行するシンタシュタ文化期に起きていました。D形式(コマニ人、金石併用時代シャマンカ個体;シンタシュタ文化個体、ネプルイエフスキー遺跡個体)の正のD統計は、ウラルの東側の人口集団からネプルイエフスキー遺跡に埋葬された人々の祖先の少なくとも一部への遺伝子流動を示唆しました。さらに、ネプルイエフスキー遺跡の男性が2個体を除いて全員YHg-Q1bを有していた事実は、スルブナヤ・アラクル遺人口集団の祖先への男性系統に沿ったアジア中央部祖先系統の寄与と一致します。YHg-Q1bはウラルの東側の同時代の人口集団において一般的です。さらに、2個体(b32-2とj6-1)のエクトジスプラシンA受容体(ectodysplasin A receptor、略してEDAR)遺伝子(SNPはrs3827760)で派生的なグアニン(G)アレル(対立遺伝子)が見つかり、これはアジア東部およびアメリカ大陸先住民人口集団で一般的に見られる多様体です。
アジア中央部もしくは東部祖先系統は、その後の歴史時代にこの地域に押し寄せ、つまり、サルマティア人のような鉄器時代人口集団、あるいは広く言えば、スキタイ文化複合と関連する集団です(関連記事)。本論文は、アジア中央部からの低水準の遺伝子流動が、紀元前1800年頃となる後期青銅器時代の開始までにすでに起きていた、と示唆します。さまざまなゲノム特性に応じて広範な人口集団が存在する、ユーラシア草原地帯の範囲と限りない性質を考えると、ユーラシア東部人口集団からの遺伝子流動が偶発的にのみ起きた、という事実は驚くべきことで、地理的状況と矛盾します。本論文の調査結果から、文化および/もしくは民族的境界が東方からネプルイエフスキー共同体への無作為の配偶を制約した、と示唆されます。対照的に、IBD共有の観察されたパターンから、ネプルイエフスキー集団と関連する人口集団は中期~後期青銅器時代において、ネプルイエフスキー遺跡の東西両方で数百km~数千kmの地域に分布していた、と示唆されます(図1)。
●父系的家系と社会で構造的役割を果たす兄弟間の血縁関係
再構築された家系(図2)は33個体(配列決定された21個体と推測された12個体)を3世代にわたってつなぎ、6人の兄弟とその妻や子供や孫で始まりました。創始者夫婦と6人の兄弟の両親は不明です。若いキョウダイを含む別の4個体は、クルガン1号の他の数個体と3~4親等の親族関係にあると確認されましたが、家系と性格に結びつけることはできませんでした。配列決定された32個体のうち7個体のみが、より狭い家族の意味で親族関係になく(ここでは4親等を超えた全ての関係として定義されます)、ネプルイエフスキー遺跡の家系はおもに、ほぼ排他的に生物学的親族関係により決定されていた、と示唆されます。
いくつかの仮説は、血縁関係が密接ではないクルガン1号の個体群の存在を説明できるかもしれません。これらの人々は非生物学的親族を表しているかもしれず、つまりは同盟者になるなどして、社会的理由で家系集団に受け入れられた個体群です。あるいは、これらの個体は姻戚関係のつながり(つまり結婚)により他者と関係していたかもしれないものの、共通の子供の欠如のため家系から除外されます。これらの個体は、生物学的近縁性推定のため、現在の手法を用いてのそうした配列決定深度で検出できないより遠い血縁関係を有していたか、あるいは、非親族で、たとえば、嵌入もしくは異なる家系集団による古墳の再使用から生じた近さかもしれません。現時点では、本論文のデータはこれらの仮説を区別できません。副葬品ネプルイエフスキー遺跡の埋葬地間で大きく違っているわけではなく、地位の違いもしくは宗族についての結論を導き出す能力が制約されます。家系の一部ではなかった若い男性2個体(b26-1とb8-2)のみが、青銅器製品を含めて副葬品の増加を示しました。
親族関係にない共埋葬が一般的である初期新石器時代遺跡群(関連記事)とは異なり、クルガン1号の使者のほとんどは単一の父系血縁集団の3世代に属していました。兄弟間の生物学的親族関係は、子供期(2~3歳から6~7歳頃)を超えて構造的役割を果たしたようです。6人の兄弟とその子供および孫のこの観察されて推測された存在と、ネプルイエフスキー遺跡における成人姉妹の不在から、家系集団への所属が父系に基づいていた、と示唆されます。しかし、注目に値する例外が一つあり、女性1個体(b33-1)は、厳密な父系血縁制度で予測されるかもしれないような父親ではなく、母親を通じて他の個体とつながっているにも関わらず、ネプルイエフスキー遺跡に埋葬されていました。ほとんどの親族関係制度は柔軟で、例外を許容します。たとえば、父系血縁制度では、生き残っている男児がいなかった場合、結婚を介して親族関係にない男性を家系に迎えることは一般的でしょう。
●明らかな一夫一婦の規範ではあるもの除外できない一夫多妻関係
クルガン内の墓の位置と副葬品の分布と使者の栄養状態は明らかな家族内階層を示唆しませんが、成人男性1個体(b32-1)は際立っています。アジア中央部祖先系統背景が推定されている女性を含めて母親2人から生まれた少なくとも8人の子供は、この個体【b32-1】に帰属するかもしれません。対照的に、他の5人の兄弟には3人以上の子供がおらず、全員妻はそれぞれ1人です。標本抽出の偏りの可能性はありますが、両親に対する子供の比率がこの基本的な解釈を変えるほど充分に大きく変化する可能性はひじょうに低そうです。したがって、この男性個体(b32-1)は、一夫多妻もしくは遷移的一夫一婦の証拠を示す唯一の兄弟です。
この男性個体【b32-1】が2人の女性およびその子供たちと同時に関係を持って暮らしていたのかどうか、判断できません。b32-1の死亡時年齢(50歳超)と家系内のその地位を考えると、兄弟6人の最年長だったか、長子(息子)だった可能性が単相で、誕生順特権に基づく優遇措置および/もしくは生殖能力の差を示唆しています。一夫一婦の関係はネプルイエフスキー遺跡では規範だったようですが、一夫多妻の関係は一般的に除外できず、2番目もしくは3番目の夫婦関係は墓で異なる扱いを受けたか、あるいは単に共通の子供が設けられなかったのかもしれません。
歴史的社会における配偶者と子供の数は富および地位と相関する、と仮定すると、男性個体b32-1とその2人の妻により表される三者の結婚の可能性は、家族内の指揮的役割のためでしょう。また、一夫多妻(連続的もしくは同時)と子供の数の多さとの間の関連が、この事例では確証出来るかもしれません。一夫多妻は移動する園耕民もしくは牧畜民共同体では一般的ですが、耕作地農耕民ではほぼ存在しません。この民族誌的に記録された傾向は、穀物栽培の証拠がほとんどなく、ほぼ家畜に依存していたネプルイエフスキー遺跡人口集団の生活様式の考古学的に再構築された証拠と一致します。
●ネプルイエフスキー遺跡の異常な人口統計学的特性から示唆される若い女性の不在
クルガンにおいて5~14歳の間の年齢女性が完全に存在しないことは、明らかに異常です。全年齢の男性個体がネプルイエフスキー遺跡に存在することを考えると、この調査結果は、この年齢区分における女性の異なる扱いを示唆するので、異常です。若い年齢での非婚はこれに関する可能性の低そうな説明で、それは次に、観察されなかった親族関係にない若い女性の存在を必要とするからです。この観察された人口統計学的パターンは、他の遺跡の子供に関して知られているように、他の女性の子供の異なる埋葬慣行を反映している可能性がより高そうです。
ネプルイエフスキー遺跡のクルガン5号および9号や、トランスウラル地域のユルリー8(Yulaly-8)遺跡のクルガン2号など、未成年遺骸のみ、もしくはプレウラル地域のニコラエフスキー(Nikolayevsky)遺跡のクルガン1号における未成年に成人女性遺骸を含んでいる埋葬遺跡は、より広範な地域で発見されてきました。未成年個体の性別決定は骨学的には困難なので、これらの遺跡における体系的な遺伝学的調査が、子供の分子的性別の解明により洞察を提供できます。
出生時平均余命は男女両方で低いと分かりましたが、女性の推定値は埋葬慣行など文化的要因により偏っているかもしれません。低い出生時平均余命は、若い女性における高い出生率や高い新生児死亡率を反映している、と考えられています。高水準の子供の死亡率は産業化以前の社会において一般的でしたが、ネプルイエフスキー遺跡人口集団での子供の死亡率の推定値は、ウラル地域外の他の青銅器時代社会と比較して高くなっています。それにも関わらず、本論文で観察されたパターンは、ウラル地域の他の草原地帯人口集団での観察と一致します。
非成人の高い割合は、カメンニー・アンバー(Kamennyi Ambar)遺跡のクルガン5号もしくはボルシェカラガンスキー(Bolshekaraganski)遺跡のクルガン25号のシンタシュタ文化遺跡や、ウラル南部地域の他のシンタシュタ文化遺跡やペトロフカ(Petrovka)文化やアラクル文化の墓地で発見されてきました。ネプルイエフスキー遺跡における成人の平均余命は、他の先史時代人口集団と比較して短い者でした。これはとくに女性に当てはまり、女性(27.8歳)の平均余命は男性(36.2歳)より8年短い、と推定されました。長寿を社会健康の指標と考えるならば、ネプルイエフスキー遺跡やウラル地域の他の同時代の遺跡における平均余命値は、ヒト家畜の疾患の再発などの健康上の制約の可能性を示唆します。
●結婚後の父方居住と夫方集団に移る女性の帰属
クルガン1号では、埋葬された男性間の高度の近縁性にも関わらず、近親交配は検出されませんでした。長いROHの欠如と、ネプルイエフスキー遺跡第1世代の妻と母親が生物学的に相互と親族関係になかった事実は、より広範な配偶網の存在を示唆します。父方居住族外婚は、小さな社会において近親交配を避ける効率的な方法とみなすことができます。ネプルイエフスキー遺跡では、女性の構成員資格はその夫側の集団を通じて移され、女性が出生集団の墓地に埋葬された仮定的状況を除外できます。ヒト社会において、女性族外婚は高頻度で行なわれていますが、普遍的ではありません。
最近のストロンチウム同位体および古代DNA研究では、新生児社会は多様な結婚後居住慣行を有しており、時には、厳密ではないものの、父方居住が含まれるので、密接な親族間で観察される一連の明確な特徴がある、と示されてきました(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4および関連記事5)。父方居住制度の証拠は、ヨーロッパ中央部(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4)およびヨーロッパ東部(関連記事)の金石併用時代および青銅器時代社会で頻繁に明らかにされてきており、より最近の時代まで存続していたようです(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。
しかし、本論文で確認された父系パターンの注目すべき例外があります。たとえば、先行研究(関連記事)では、現代のセルビアにおける青銅器時代マロス(Maros)文化と関連するモクリン(Mokrin)遺跡墓地で、父系性の証拠は見つかりませんでした。その研究では、地元の女性系統を通じての富の相続の証拠が見つかりました。中世バイエルンの別の事例は混合形態を示しており、地元の男女と、遠方地域からの民族的および文化的に多様な女性の追加の移民が含まれます(関連記事)。
●自然消滅パターンとしては短すぎるクルガン1号の使用とこの家系の突然の終焉
OxCalでの¹⁴Cに基づく居住時間のモデル化は52年間未満のクルガン1号の使用期間を示唆しますが、本論文で開発された模擬実験手法はあり得る最小限界として3年間を示唆します。あるいは、再構築された家系の状況における死亡時年齢推定値も検討できます。死亡時年齢分布、とくに第2世代と第3世代は、成人の個体数の全体的な少なさにより特徴づけられ、クルガン1号の使用について、自然な消滅パターンではなく、突然の終了を示唆します。使用の可能性がある期間は、25~35歳の死亡時推定年齢の個体b32-2周辺の家族と、その息子で死亡時年齢が35~45歳である個体b28-1に焦点を当てることにより、さらに絞り込むことができます。b32-2の出産時の年齢を15歳と仮定すると、母親と息子それぞれの死亡時の推定される最大年齢と最小年齢に基づいて、クルガン1号の使用期間の下限は15年間と推定できるかもしれません。第3世代の個体の若い年齢と第2世代の成人個体数の少なさは、クルガン1号の全体的な使用期間が15年間より大幅に長くはなかった、と示唆しているかもしれません。
●まとめ
死者の埋葬慣行と扱いは、先史時代共同体の生活について、限られた情報しか提供しません。真に「過去への直接的な窓」を提供する手法はありませんが、本論文では、埋葬位置や年齢決定や¹⁴C年代など、伝統的な考古学および人類学的代理と組み合わされる高解像度の遺伝的「親族関係」分析は、過去の家族構造および社会組織の理解を顕著に深めるかもしれない、と論証されます。生物学的近縁性のパターンは、社会人類学者により作成された親族関係図表と顕著な類似性を有する、家系の再構築を可能とします。
ネプルイエフスキー遺跡における推測された家系図は3世代にまたがり、6人の兄弟とその妻と子供と孫が中心となっています。これら全員がクルガン1号の下に埋葬されており、青銅器時代ユーラシアのこの地域において、生物学的近縁性が親族関係制度の中心的構成要素だった、と示唆されます。図1で示されるIBD網から、ネプルイエフスキー遺跡個体群と関連する人口集団はユーラシア草原地帯の大半に居住していたので、本論文から導かれる洞察はより大きな地理的地域への示唆を有しているかもしれない、と示唆されます。
家畜の飼育に依存していたネプルイエフスキー遺跡の人々は、その祖先系統の大半が「シンタシュタ文化個体群的」祖先に由来しました。この遺伝学的全体像は、草原地帯の広く開かれた性質にも関わらず、顕著に安定しています。本論文の調査結果から、ネプルイエフスキー遺跡共同体はより広範な配偶網の参加者で、地元の遺伝子プールに寄与したアジア中央部祖先系統の個体はごくわずかだった、と示唆されます。ネプルイエフスキー遺跡では、女性族外婚が一般的で、女性は死後にその出生集団へと戻されず、代わりにその夫および子供とともに埋葬されました。全体的に高水準の子供の死亡率は、ネプルイエフスキー遺跡やウラル地域の他の遺跡における短い平均余命と組み合わされて、局所的な生活条件が過酷だったことを示唆します。
本論文の結果から、ヨーロッパ中央部および東部のより古いおよび同時代の遺跡群で以前に観察された特定の親族関係パターン(父系性、女性族外婚)は、数千km東方のウラル南部でも行なわれていた、と示唆され、ユーラシア青銅器時代の連続性の見解への裏づけを提供します。さらなる研究は、兄弟の共存や推定される長男の生殖率の高さや、地元系統の娘の不在など、ネプルイエフスキー遺跡社会の観察された特徴や属性が、局所的な地域に特有なのか、それともより一般的な空間を横断した青銅器時代のパターンかを表しているのかどうか、明らかにするでしょう。
参考文献:
Blöcher J. et al.(2023): Descent, marriage, and residence practices of a 3,800-year-old pastoral community in Central Eurasia. PNAS, 120, 36, e2303574120.
https://doi.org/10.1073/pnas.2303574120
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