現生人類のアフリカからの拡散におけるイラン高原の重要性
現生人類(Homo sapiens)のアフリカからの拡散におけるイラン高原(ペルシア高原)の重要性を示した学際的研究(Vallini et al., 2024)が公表されました。本論文は、私が大いに参考にしてきた2年前(2022年)の論文(Vallini et al., 2022)の改訂版とも言えそうで、現生人類のアフリカからの拡散を学際的に検証しており、現生人類の拡散についてさまざまな分野の最新の研究成果を把握するのにたいへん有益だと思います。現生人類の拡散について、形態や考古資料や古気候や遺伝子など、多くの分野で検証が進められていますが、そうした成果がどう統合されるべきなのか、本論文のように学際的に検証することが、今後は重要になると思います。なお、2年前の論文(Vallini et al., 2022)でも本論文でも重要な概念となる「Hub」について、これまで悩んだものの「接続地」と訳してきましたが、今回は「拠点」と訳します。
●要約
遺伝学と化石考古学的発見に基づく証拠の組み合わせから、現生人類は7万~6万年前頃にアフリカから拡大した、と示唆されています。しかし、現生人類集団はアフリカから一旦出ると、ユーラシア全域に45000年前頃まで拡大しなかったようです。7万~6万年前頃から45000年前頃の間の時間枠で、これら初期の移住者が地理的にどこにいたのかについては、一致が困難でした。本論文は、遺伝学的証拠と古生態学的モデルを組み合わせて、ユーラシアの植民の初期段階における現生人類にとっての拠点として機能した地理的位置を推測します。本論文が利用可能なゲノム証拠を活用して示すのは、イラン高原の人口集団がアフリカ外の拠点に居住した人口集団と密接に一致する祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)構成要素を有している、ということです。本論文はこれまでに利用可能な古気候データを用いて、生態学的モデルを構築し、イラン高原がヒトの居住に適しており、アジア西部の他地域と比較してより多くの人口を維持できたかもしれない、と示し、この主張を強化します。
●研究史
増加しつつある証拠から、化石および考古学的調査結果が、中期更新世後期以降および後期更新世全体にわたるアフリカからの複数回の移住モデルを裏づけているように、移住現生人類によるユーラシアの植民は単純な過程ではなかった、と示唆されています(Hershkovitz et al., 2018、Groucut et al., 2018、Harvati et al., 2019、Groucutt et al., 2021、Freidline et al., 2023)。これら初期拡散の痕跡は、現生人類の近縁であるネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)のゲノムでも証明されており、ヒトがユーラシアへと移動したさいの、交雑事象を示しています(Kuhlwilm et al., 2016、Posth et al., 2017、Petr et al., 2020)。現生人類の初期拡散は人口縮小および消滅を伴っていた可能性が高そうですが、7万~6万年前頃となるその後の大規模な波(Pagani et al., 2015、Malaspinas et al., 2016、Mallick et al., 2016)が続き、非アフリカ系現代人は全員その子孫です(Bergström et al., 2021)。
ユーラシアの地理的に広範で安定した植民は、さまざまな石器技術と関連する複数回の人口拡大を通じて、45000年前頃に起きたようです(Vallini et al., 2022、Slimak., 2023)。ヨーロッパへのそれ以前の侵入が記録されてきましたが(Slimak et al., 2022、Prüfer et al., 2021、Benazzi et al., 2011)、それはその後の人口集団に大きな寄与を残せませんでした。出アフリカ移住(7万~6万年前頃)とユーラシア東西の安定した植民(45000年前頃)との間の約2万年間の時間的空隙を特定できますが、この人口集団の地理的位置と遺伝的特徴はよく分かっていません。
遺伝学と考古学の証拠に基づいて、アフリカ外で7万~6万年前頃以後に最初に安定した地域集団を形成したユーラシア人口集団は拠点人口集団として特徴づけることができ(Vallini et al., 2022)、そこから複数の人口集団の波がユーラシアの植民へと拡散し、それは異なる年代と遺伝と文化の特徴を有していただろう、と示唆されてきました。拠点人口集団は、東西のユーラシア人が分岐した幹として単純に理解できないことも推測されてきました。代わりに、これはより複雑な仮定的状況で、複数の拡大と局所絶滅が含まれます(Vallini et al., 2022)。しかし先行研究は、この拠点人口集団の潜在的な地理的位置の調査に失敗してきており、ユーラシア全体のどこでも60000~45000年前頃の現生人類の化石証拠が全体的に不足しています。
上述の仮定的状況は、ユーラシア西部および中央部(Hajdinjak et al., 2021、Fu et al., 2014)と中国(Yang et al., 2017)の古代ゲノムに由来する証拠に基づいており、ユーラシア現代人の祖先は拠点から45000年前頃、と示唆されています(図1Aの赤い枝)。これら新興集団はその後、ユーラシアとオセアニアの大半に植民しましたが、ユーラシア西部(Posth et al., 2023)では38000年前頃までに起きたより新しい拡大により、これらの人口集団はほぼ消滅し、同化されました(図1Aの青い枝)。これら2回のうち最初の拡大は、その祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)が本論文ではユーラシア東部中核(East Eurasian Core、略してEEC)と命名され、ブルガリアのバチョキロ洞窟(Bacho Kiro Cave)個体群や、北京の南西56km にある田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃の男性1個体(田園個体)や、ほとんどのアジア東部およびオセアニアの現代人に子孫を残しました。第二の拡大は、本論文ではユーラシア西部中核(West Eurasian Core、略してWEC)と命名され、ロシア西部のコステンキ・ボルシェヴォ(Kostenki-Borshchevo)遺跡群の一つであるコステンキ14(Kostenki 14)遺跡で発見された38000年前頃の1個体(コステンキ14号)や、ロシアのスンギール(Sunghir)遺跡や、その後のユーラシア西部人と、旧石器時代シベリア人のゲノムに子孫を残しました(Sikora et al., 2019)。
重要なことに、拠点人口集団はEECとWECの拡大の間に経過した数千年間に、WECとともにいくらかの浮動を蓄積したことです(図1Aの灰色の領域)。ユーラシアの移住期における重要な役割にも関わらず、拠点人口集団の地理的位置と遺伝的特徴は曖昧なままです。概略された仮定的状況は、基底部ユーラシア人口集団を考慮する要性により複雑になっています。基底部ユーラシア人とは、主要な出アフリカ拡大の直後、したがってユーラシア東西の人々の分岐前に他のユーラシア人と分岐した集団です(Lazaridis et al., 2016)。この人口集団は他のユーラシア人から隔離されており、その後、遅くとも25000年前頃以降(Allentoft et al., 2024)、中東の人口集団と混合しました。基底部ユーラシア人の祖先系統はその後、新石器時代革命と関連する人口拡大により、ユーラシア西部の全域にもたらされました。以下は本論文の図1です。
本論文は、現時点では化石遺骸から拠点人口集団の故地を直接的に推測できないことを考慮して、利用可能な遺伝学的証拠(古代人と現代人両方のゲノム)と古生態学的モデルを組み合わせて、ユーラシアの最初の植民期における非アフリカ系現代人全員の祖先にとっての拠点として機能した地理的地域を推測します。本論文では、イラン高原の人口集団が、アフリカ外の拠点に居住した人口集団と密接に一致する祖先系統構成要素を有しているので、6万~4万年前頃を通じてイラン高原がヒトの居住に適していた、と示され、現生人類とネアンデルタール人との初期の相互作用および混合(Green et al., 2010)と、主要なユーラシア人口集団と理解しにくい基底部ユーラシア人口集団(Lazaridis et al., 2016)との間の関係に間接的に光を当て、将来の考古学的調査が焦点を当てるべき場所についての情報も提供します。
●理論的根拠
拠点人口集団の特徴は、現代および古代の人口集団から利用可能なデータを含めて、遺伝学的観点から概説されました。本論文は拠点人口集団とEECおよびWECの拡大との間の複雑な関係を考慮して、WECと最小限の浮動を共有していただろうEEC(図1Aの赤色)との分離後に拠点の位置に留まった、この拠点人口集団の遺伝的特性(図1Aの灰色)の回収を目的としました。本論文は共有された浮動のパターンを考慮して、ユーラシアの景観内では、拠点人口集団は、WEC拡大の代表内で最小の共有された浮動を伴うにも関わらず、ユーラシア西部の痕跡を示す人口集団内で見つかるはずである、と仮定しました。
本論文は、EECおよびWECの波の少なくとも2点の最古級の混合していない代表を有する派生的なアレル(対立遺伝子)共有(derived allele sharing、略してDAS)の観点で、古代および現在の人口集団の記述により、枠組みを構築します。本論文が検証したこの2点の参照標本は、アジア東部の4万年前頃の1個体である田園個体(Yang et al., 2017)と、ロシア西部の38000年前頃の1個体であるコステンキ14号(eguin-Orlando et al., 2014)です。田園個体でのDASは図1Bの赤色の縦軸(T単位)を定義する一方で、コステンキ14号のDASは図1Bの青色の横軸(K単位)を定義します。混合および他の交絡因子がない場合、ほとんどの古代および現代のユーラシア人のゲノムは、田園個体もしくはコステンキ14号とともに経過した進化時間に比例した位置で、赤もしくは青の軸のどちらかに収まるはずです(図1BのRおよびB)。これらの理想的な状況下では、これら2軸の交点(図1Bの黒い点)に位置する人口集団は、EECの波が出発した時点では拠点人口集団の遺伝的特徴と似るでしょうが、この点のすぐ右側に位置する人口集団は青い軸に沿って、EEC拡大後の拠点人口集団の遺産を示すでしょう。
しかし、この研究を複雑にする少なくとも3点の交絡因子があり、それは、拠点地を離れた後のEECとWECの波の間の相互作用(図1Aのの青色と赤色の破線)、および基底部ユーラシア人との混合(図1Aの青色と緑色の破線)です。古代型人類【非現生人類ホモ属、絶滅ホモ属】からの遺伝的寄与(Green et al., 2010、Reich et al., 2010)は、浄化選択に起因する時間の関数として減少し(Sankararaman et al., 2014)、古代がの共有を通じて、古代の標本間の類似性を偏らせる可能性が高そうです。これは、ネアンデルタール人もしくは種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)が、本論文で検証された他の人口集団と同じ派生的アレルを共有している部位の除去により克服できます。一方で、古代型人類から追加の遺伝子流動(Hajdinjak et al., 2021)を受けた集団(オセアニア人やバチョキロ洞窟個体群)は、KとTの座標において減少を経るでしょう。他の2点の交絡因子は図1のAとBで示されており、過去4万年間に起きた混合事象の結果です。一方で、EEC(図1Bの赤色)とWEC(図1Bの青色)の子孫間の混合と拡大は、これら2供給源人口集団間の中間の位置を占める、混合人口集団をもたらすでしょう(図1BのBR)。
また一方で、25000年前頃以降(Allentoft et al., 2024)に始まる、いわゆる基底部ユーラシア人口集団との特定の集団の報告されている混合(Lazaridis et al., 2016)は、そのTとK両方の座標を減少させるでしょう。基底部ユーラシア人は、EECとWECとの間の分岐の前、おそらくは拠点人口集団の確立前に他のユーラシア人から分岐した、と考えられている集団です。したがって、これは図1Bにおける青軸と赤軸の交点の前であり、図1Bの底部左側の緑色の点として表されます。したがって、分析された各ゲノムがこれら全ての交絡因子により影響を受けると推定される、と仮定すると、その結果として観察される点(図1BのObs)は、拠点の遺産として推定される役割の評価の前に、多くの補正を通じてBの位置へともたらされるはずです。第四の交絡因子が、サハラ砂漠以南の遺伝的構成要素を有する再婚の相互作用により表されているかもしれないことも、注目されます。
●コステンキ14号および田園個体とのDAS
コステンキ14号と田園個体でDASにより定義される参照空間内(図1C)での現代と古代の人口集団の位置(図1A)を調べると、アジア東部人と氷期前のヨーロッパ人は図1BにおけるRとBにより維持されている位置に類似している、と観察できるかもしれません。アフリカの人口集団は、他の人口集団からどのくらい早く分岐したかの順番で、二等分線に沿っているものの、KT(田園個体のK座標)とTK(コステンキ14号のT座標)を表す赤色と青色の交点より前に並び、コイ人とサン人が下部に位置します。オセアニア人はコステンキ14号と比較して田園個体の方とより大きな類似性を示し、これらの人口集団はおもにEECの波の一部です。しかし、これらの人口集団は、デニソワ人との混合により図1Cの下部左隅に向かって動いており、KとT両方の値が減少します。類似の影響は初期上部旧石器(Initial Upper Paleolithic、略してIUP)のバチョキロ洞窟個体群で観察でき、その最近の系図においてネアンデルタール人の祖先を有している、と示されてきました(Hajdinjak et al., 2021)。混合していないユーラシア南東部人として、アンダマン諸島の人口集団はアジア東部人よりも低いTの赤軸に沿って並んでおり、これは、拠点地から離れるEECの移動期における田園個体の祖先とのより短い時間の経過、および48000~45000年前頃となるアジア南部におけるヒトの居住の最古級の証拠と一致します。
図1Cの右上象限の中央部は、予測されたように、拠点地からの拡大後のある時点でのEECとWECの波の間の混合から生じた集団により占められています。アジア南部人は、アンダマン諸島人とユーラシア西部人をつなぐ勾配をたどっており、これは、祖先的インド南部人(Ancestral South Indian、略してASI)と祖先的インド北部人(Ancestral North Indian、略してANI)との間の報告された相互作用を考えると予測されます。アメリカ大陸先住民の位置は、おもにアジア東部祖先系統を示唆し、旧石器時代ユーラシア西部人口集団からのより小さな寄与が伴います(Raghavan et al., 2014、Willerslev, and Meltzer., 2021)。同様に、バイカル湖近くの24000年前頃となるマリタ(Mal’ta)遺跡1号体(MA1)とシベリア北東部のヤナ犀角遺跡(Yana Rhinoceros Horn Site、略してヤナRHS)個体は、この2軸間の中間の位置に収まり、これはEEC集団とWEC集団との間の旧石器時代の混合の結果です(Vallini et al., 2022)。
シベリア南部西方のウスチイシム(Ust’-Ishim)近郊のイルティシ川(Irtysh River)の土手で発見された45900~42900年前頃の1個体(ウスチイシム個体、Fu et al., 2014)は、赤軸と青軸の交点の近くに位置し、これは45000年前頃の拠点人口集団が位置すると予測される場所です。ウスチイシム個体の系統が田園個体およびコステンキ14号とほぼ三分期を形成するので、この位置が予測されます。チェコのコニェプルシ(Koněprusy)洞窟群で発見された洞窟群の頂上の丘にちなんでズラティクン(Zlatý kůň)と呼ばれる成人女性1個体(Prüfer et al., 2021)はさらに後方に位置し、その系統がEECとWECの人口集団間の分岐の基底部に明らかに位置することと一致します(Vallini et al., 2022)。ユーラシア西部人とアジア北部および西部および南部人とレヴァント人は、EECとWECとの間の混合と一致して二等分線の下の領域を占めているか、これらの人口集団における基底部ユーラシア人もしくはアフリカ人構成要素の存在によりさらに複雑となる、青軸の下に位置します。サハラ砂漠以南のアフリカの遺伝的構成要素との相互作用は、基底部ユーラシア人との相互作用と類似した影響を及ぼすでしょうから、アフリカからの遺伝子流動の証拠を示す人口集団は除外されました。
●DAS交絡因子の説明
本論文は、図1Cにおける各古代人もしくは現代人のゲノムから推定されたKとTの座標から始まって、評価された各ゲノムは基底部ユーラシア人、および/もしくはEECとWECとの間の混合により影響を受けているかもしれない、と仮定します。本論文は、混合した人口集団の座標が、各供給源の寄与により重み付けされた2供給源人口集団の平均(合成混合個体の作成によりこの同一視は実証的に確認されました)に相当する、という事実を利用しました。本論文は検証された各人口集団について、実証的に回収されたK座標とT座礁がKObsとTObsである、と仮定しました。本論文はこれに基づいて、図1Bの分類に従って、供給源WEC人口集団(図1BのKB)のK座標を計算しました。本論文の分析の目標が、最小の相当するKB座標を有する人口集団(図1において赤色と青色の原点の最も近くに位置するかもしれない人口集団)の決定だったことを考えて、本論文で開発された分析枠組みが拠点人口集団への近さの精確な順位を回収できるのかどうか、評価されました。
本論文は合着(合祖)模擬実験装置であるmsprimeを用いて、合着模擬実験を実行し、さまざまな人口統計学敵な仮定的状況下で、異なるWEC供給源人口集団を取得しました。本論文はとくに、コステンキ14号とさまざまなアレルを共有しているWEC人口集団(つまり、拠点人口集団からのさまざまな距離のあるWEC人口集団と類似しています)を模擬実験し、それらをEECおよび基底部ユーラシア人と混合させました。その結果、本論文の手法は大半の事例でK座標に沿って正確な順位を回収し、混合人口集団が少なくとも50%はWECで、混合WEC供給源がコステンキ14号と少なくとも3000年の異なるアレルをある全事例では0.9超の正確さだった、と分かりました。混合WEC供給源間の違いの減少(したがって、そのK座標における違いの減少)は、正確さの同等の水準を維持する、混合人口集団におけるより高いWECの割合をもたらします。本論文の模擬実験結果における最低の正確さは、比較人口集団がWEC供給源とEEC供給源の混合の結果である場合に得られ(つまり、基底部ユーラシア人からの寄与はありません)、これは現代のユーラシア人口集団では事実上存在しないと思われる構成です。
本論文の手法の有効性の確認後に、既存のデータが検証されました。その結果、ユーラシア東部人と基底部ユーラシア人の交絡因子の考慮後に、拠点人口集団により近いWEC構成要素を有する人口集団(図2Aの人口集団の点の濃淡階調の勾配)は、そのユーラシア西部祖先系統が狩猟採集民およびイランの初期農耕民(Broushaki et al., 2016)と関連している人口集団である、と分かりました。これは、イラン新石器時代もしくは東メタ(East Meta)と一般的に呼ばれている遺伝的祖先系統で、本論文では、明確にするためイラン狩猟採集民(hunter-gatherer、略してHG)と呼ばれます。イランHG祖先系統は、現代のイラン人だけではなく、コーカサスの古代人および現代人標本全体にわたって(とくにコーカサス地域の中石器時代HGにおいて)、およびアジア南部の北西部において広がっています(Narasimhan et al., 2019)。コステンキ14号との遺伝的類似性の青軸に沿って、これらの人口集団はレヴァントの現代人および古代人の集団の前に位置し、次に、アナトリア半島からの新石器時代の拡大と関連するヨーロッパおよび他地域の集団の前に位置します(Marchi et al., 2022、Bramanti et al., 2009、Lazaridis et al., 2014)。この軸に沿って最も離れている集団は、最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)前後のヨーロッパHGで、これはコステンキ14号との遺伝的近さから予測されます。以下は本論文の図2です。
本論文は、上述の交絡因子の補正後に、少なくとも75%のWECの遺伝的割合(本論文の検証において確認された最も厳密な閾値)を示す分析された各集団の拠点人口集団との類似性を、地図上の点での濃淡階調で報告します(図2A)。過去4万年間における少なくとも部分的な人口集団の接続を仮定すると、拠点の焦点地域が特定されます。これらの位置は、利用可能なユーラシア西部人の遺伝的構成要素が拠点人口集団に最も近く、そうした遺伝的近さが上述の位置からの地理的距離の関数として減少する、地図の一部として定義されます(図2A)。2000km内の標本抽出された少なくとも1人口集団のある地図の各位置について、本論文は標本抽出された全ての他の人口集団間の最短の陸路距離を計算し、次にKBの相当する値とのピアソン相関を推定しました。負のr値(図2Aの明るい色)は、K座標が増加するだけの場所で予測されます。拠点地の焦点となる地域である、図2Aの最も明るい影は、カスピ海の南岸とペルシア湾との間の地域に位置します(当時は水没していませんでした)。この結果は、混合した個体群におけるユーラシア西部人の遺伝的構成要素の割合もしくは標本の年代の観点で包括基準を変えても、定性的に同じです。同じ焦点地域の分析が、基底部ユーラシア人の推測された割合で実行され(図2B)、そうした祖先系統の最も可能性の高い侵入地点は、推定される拠点地から離れている、と分かりました。これはレヴァントと関連しているようで、レヴァントかアラビア半島かアフリカ北部のいずれかが、この分かりにくい人口集団の可能性のある場所だった、と示唆されます。
空間的に明示的なモデル内で遺伝学的結果を統合するさいには、新石器時代後の拡大がその起源地を越えての拠点的な構成要素の拡大に寄与したかもしれないことに要注意です。たとえば、いわゆるイラン新石器時代遺伝的構成要素の拡大に伴う、アジア南部北方に向かっての拡大です(Broushaki et al., 2016、Narasimhan et al., 2019)。さらに、他の人口移動が、より低い拠点との類似性を有する他のWEC構成要素の到来(たとえば、アナトリア半島新石器時代構成要素の東方への拡大を介して)とともに、拠点地におけるそり存在を希釈したかもしれません(Narasimhan et al., 2019)。したがって、拠点の推定される遺産は、コーカサス南部からアジア南部北方にまで伸びる広大な地域で見つかるかもしれませんが、これは常にそうだったわけではないかもしれません。
コーカサスでは、LGM前のHGは中石器時代狩猟採集民、つまりイランHGと厳密に関連する祖先系統を有するコーカサス狩猟採集民(Caucasus Hunter–Gatherers、略してCHG)よりも、アナトリア半島西部の初期農耕民の方と密接に関連していました(Allentoft et al., 2024)。これは、25000~13000年前頃におけるコーカサスへの拠点人口集団からの人口拡大を示唆します。したがって、これは、二重の人口置換などより複雑な仮定的状況を想定しなければ、拠点の位置としてコーカサスを除外するでしょう。
アジア南部北方におけるユーラシア西部人の構成要素の存在は伝統的に、イラン農耕民の東方への拡大の結果として説明されてきました(Broushaki et al., 2016)。しかし、最近の研究は、インダス渓谷の4500年前頃の標本1点におけるこの祖先系統の存在を報告しており、それは農耕開始前にイラン農耕民から分岐した、と推測しており、WEC遺伝的構成要素はイランの新石器時代拡大に先行するかもしれない、と示唆しました(Shinde et al., 2019)。それにも関わらず、コーカサスの事例が示してきたように、農耕開始前の遺伝的連続性は、それが研究対象の期間にまでさかのぼることを必ずしも意味していないかもしれません。その可能性を除外できませんが、アジア南部における人口集団の拠点の長期の存在は、新石器時代前の遺伝的景観の大半を構成する、ASIもしくは古代祖先的インド南部(Ancient Ancestral South Indian、略してAASI)系統と呼ばれる明らかにEECの遺伝的構成要素の存在と一致しません(Narasimhan et al., 2019)。
本論文は、基底部ユーラシア人祖先系統がユーラシアへと拡大した焦点の地域を推測します。これは、新石器時代の前ではあるものの、WEC拡大の後に起きた、と報告されている事象です。図2Bは基底部ユーラシア人の最も可能性の高い故地としはて、アフリカ北部かアラビア半島かレヴァントを示し、アジア西部全域への拡大はそうした地域からの放射状の距離の勾配に従います。基底部ユーラシア人にとっての推測される焦点の地域と、そうした人口集団は少なくとも38000年前頃までに拠点人口集団から遺伝的に分離した、との見解を考えると、拠点地は基底部ユーラシア人の故地から物理的に離れていたに違いないことになります。この理由のため、推定される拠点地は基底部ユーラシア人の位置とは地理的に異なるはずで、イラン高原で満たされる基準です。
●古生態学的モデル化
拠点地に関する新たな全体像は遺伝学的データのみに基づいており、人口連続性、もしくはその地域全体にわたる少なくとも大きな人口置換の欠如との仮定に依拠していました。本論文の連続性仮定の妥当性を検証するため、情報の追加の独立した層として古生態学的モデルが利用され、そうした地理的地域が特定の時点でヒトの居住に適していたのかどうか、評価されました。最近、7万~3万年前頃の期間を含む古気候再構築が刊行されました。本論文はこのデータを利用して、先行研究により報告された手順に従って種分布モデルを構築し、その期間全体でヒトの居住に適した環境条件のある地域を再構築しました(図3A)。本論文は次に、これらの結果を各地域の植生純一次生産量(Net Primary Productivity、略してNPP)推定値およびNPPとヒト狩猟採集民の人口密度との間の関係と組み合わせました。これは、さまざまな地理的地域での経時的な最大の持続可能な人口(環境収容力)推定の為に用いられました(図3B)。以下は本論文の図3です。
本論文の古生態学的モデルから、図2Aで推定される(および図3Aで組み立てられた)拠点地は7万~3万年前頃の期間の大半を通じてヒトの居住を支えていたかもしれない、と示されます。は本論文のモデルは、その地域が同じ期間の他のアジア西部地域よりもずっと多くの人口規模を維持できたかもしれないことも示します。この推測は、メソポタミアの河川の存在やイラン高原の豊富な水文網を考慮せずとも可能で、これは本論文のモデルによる推測の限界を超えて、居住可能かもしれない地域を拡張し、相互に接続していた可能性が高そうです。メソポタミア/イラン高原が6万~5万年前頃の生息適合性の観点でより斑状になり、次に5万年前頃以後に再接続したことに注目するのは興味深いことで、これはこの地域の環境収容力増加にも反映されています(図3B)。これが、45000年前頃以前のある時点で起きたIUP拡大の生態学的契機を提供したかもしれません(Vallini et al., 2022、Zwyns et al., 2019)。
イラン高原からの直接的な古気候記録が少ないため、古生態学的モデル化に用いられたデータは、イランの単一のデータ点で局所的に検証されました。それにも関わらず、類似の環境条件のある他地域から提供されるデータ検証のより高い解像度のおかげで、本論文のモデルにより推測される生息地は、他の手法により独立して検証されているので、信頼できると考えることができます。最近の研究では、既存の古環境代理および古気候モデル化とともに古水文学的地図作成が用いられ、イラン高原の歴史的な気候が再構築され、海洋酸素同位体ステージ(Marine Isotope Stage、略してMIS)5とMIS3における人類にとって気候的に影響を受けた経路の調査が目的とされました。
MIS3の古気候モデルは、ザグロス山脈(7万~3万年前頃)とイラン高原北部(5万~4万年前頃)両方の湿度のかなりの増加を示唆しています。注目すべきことに、これらの条件はこれにの地域における人類の居住を支えていたかもしれず、これは本論文のモデルによっても検出された特徴です。これは、考古学的遺跡の利用可能な代理記録および空間分布の調査結果と一致します。この証拠を組み合わせると、本論文のモデルで検出されたイラン高原の生態学的変動がMIS4における乾燥度増加の期間、および、MIS5ほど理想的ではないものの、より好適な環境条件をもたらした、その後のMIS3の開始における回復にどのように相当するのか、明らかになるようです。
最低の環境収容力予測でさえ、イラン高原の値は中東の他地域の最高値とほぼ等しいことに注目するのは、適切です。イラン高原は足り期間との比較でもより高く、拠点地として機能する周辺地域に対する競合上の有意性への手がかりを提供します。したがって、古気候の結果はヒトの居住にとってのイラン高原の適合性を確証し、遺伝学的データから浮き彫りになる全体像を検証し、榑林します(図4の薄黄色の地域)。さらに、紅海の両岸に位置し、地中海全域へと広がる生存可能な地域の存在は、基底部ユーラシア人口集団にとっての適した生息地を提供するようで、この地域は部分的に、推定される拠点地から切り離されています。以下は本論文の図4です。
●化石と考古学の証拠
IUPを伴うEECの波、および上部旧石器(Upper Palaeolithic、略してUP)を伴うWECの波の仮定的なつながりは、推定される拠点地で見つかると予測される物質文化についての情報をもたらします(Vallini et al., 2022)。この仮定的状況によると、IUPとUPの技術は、それぞれ45000年前頃と4万年前頃の後に出現する、と予測されます。一方で、拠点地には、ズラティクン個体的な集団の拡大と関連する遺物群など、ユーラシアへの植民の試みに失敗したさらに前の人口集団がいたならば(Vallini et al., 2022、Prüfer et al., 2021)、おそらくはIUPとUPよりも基底的な文化も、この地域でも予測されます。
これを念頭に置き、4万年前頃以前のイラン高原における人類遺骸の少なさを考慮して、化石および考古学のり記録の簡潔な調査が正当化されます。イラン高原で研究している考古学者は、後期更新世における人類拡散にかなりの注意を払い始めています。最近の気候および古水文学的研究では、この地域はMIS5(130000~71000年前頃)とMIS3(57000~29000年前頃)に環境改善を経た、と示唆されており、ザグロス山脈と低地の河川および湖環境における中部旧石器(Middle Palaeolithic、略してMP)の広範な所在地と一致します。ザグロス山脈のMP遺跡群は、年代が77000~40000年前頃で、稀なネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)化石と関連づけられることもあります。
イラン高原では、MPと関連する現生人類の化石はまだ発見されていませんが、MPと現生人類の関連は、アラビア半島では85000年前頃(Groucut et al., 2018)、レヴァントではMIS5と55000年前頃(Hershkovitz et al., 2015)に発見されています。イスラエルの西ガリラヤ(Western Galilee)地域のマノット洞窟(Manot Cave)で発見された55000年前頃の部分的な頭蓋冠は、骨を覆っていた方解石の錆に基づいて55000±5000年前と年代測定されたので、これは下限年代を示唆しています。じっさいの年代がより古いならば、このマノット洞窟の個体はレヴァントのMIS5の遺跡群とつながり、非アフリカ系現代人の祖先を表すには古すぎ、代わりにより古い出アフリカ(Out of Africa、略してOoA)拡散と関連します。一方で、マノット洞窟個体の年代測定がじっさいの年代を反映しているならば(したがって、出アフリカの時期の頃となります)、この発見は、本論文の推測では拠点かせイラン高原にあることと矛盾せず、それは、マノット洞窟がアフリカからの拡散につながるあり得る経路の一つに位置しているからです(Pagani et al., 2015)。マノット洞窟の化石が、代わりに拠点人口集団の構成員とみなされるならば、直接的な遺伝学的情報の欠如に基づき、その後のレヴァントの個体群が拠点人口集団の直接的子孫であることの裏づけの欠如を考慮して、基底部系統の少ない仮定的なレヴァント拠点人口集団のその後の完全な置換を仮定しなければならず、これは本論文では非節約的な仮定的状況と思われます。
イランで研究している考古学者は、MPのルヴァロワ(Levallois)も現生人類の所産かもしれない、と考えてきました。そして実際、イラン高原中央部の、55000年前頃と年代測定され、ダシュト・I・カヴィル(Dasht-I Kavir)古代湖および湿地系に位置するミラック(Mirak)遺跡のMP遺物群は現生人類を表している、と示唆されてきました。この主張は石器群の三次元幾何学的形態計測比較に基づいており、ミラック遺跡におけるMPとUPの道具縮小戦略の一貫性と、現生人類により製作されレヴァントの遺物群との類似性を示します。イラン高原の標準化された石刃および小石刃インダストリーは、バラドスティアン(Baradostian)やザグロスオーリナシアン(Aurignacian、オーリニャック文化)やIUPと呼ばれてきました。これらUP技術複合体は、イラン高原全域で比較的急速に出現したようで、ネアンデルタール人や初期の現生人類集団を含む、それ以前の人口集団の広範な置換が裏づけられます。
●考察
本論文は、非アフリカ系現代人全員の祖先が出アフリカ拡大の初期段階(7万~6万年前頃)とユーラシアへのより広範な植民(45000年前頃)との間に居住していた、ユーラシア人口集団の拠点の遺伝学的および地理的特色を特徴づけました。本論文は、拠点からのそれ以前の人口拡大(Slimak et al., 2022、Prüfer et al., 2021)や、化石および考古学的記録には痕跡を残したものの、現代人の遺伝的構成には殆ど若しくは全く寄与しなかった(Pagani et al., 2016)、それ以前の出アフリカ事象を再構築するよう設計されていませんでした。本論文の結果から、拠点人口集団と最も近い遺伝的構成要素はイラン高原の古代および現代の人口集団に表されている、と示されました。そうした構成要素は、基底部ユーラシア人およびユーラシア東部人祖先系統との混合後に、以前にはイラン新石器時代やイランHGや東メタと呼ばれていた、古遺伝学的記録で再び現れました(Marchi et al., 2022)。
この遺伝学的観点は、イラン中央部砂漠を取り囲み、カスピ海南部沿岸やザグロス山脈やペルシア湾やメソポタミアを含むイラン高原帯を、最も可能性の高い拠点地と示す古生態学的証拠(図4)と組み合わされると、さらに洗練されました。遺伝学的データは現時点で利用できませんが、拠点の南端としてアラビア半島の北東部を除外できず、それはこの地域が当時より乾燥していたペルシア湾を越えてつながっていた、と推定されているからです。現在のレヴァント南部およびアラビア半島西部の内陸部の過酷な気候条件によりもたらされた生態学的分離は、拠点人口集団と基底部ユーラシア人との間の長期の断絶への説明を提供するようで、これにより、両ヒト集団が何千年も経って特徴的な浮動構成要素を構築することが可能となります(そのあり得る位置は、図4の緑色と薄黄色に示されています)。
考古学的証拠から得られた情報は、この地域における現生人類の長期の存在を主張しており、最古のIUPとUPの記録を考慮すると少なくとも44000年前頃、あるいは、現生人類と関連しているかもしれない特定のMP遺跡群を含めると、早ければ55000年前頃にさかのぼります。さらに、少なくとも4万年前頃までザグロス山脈にネアンデルタール人が存在した、と証明されていることは、現代ユーラシア人全員の祖先は拠点地で2万年間ほど過ごし、古代型の近縁【非現生人類ホモ属】と長期にわたって混合したかもしれず、最終的にはユーラシアとオセアニアとアメリカ大陸の植民につにがった人口集団へと分化した、という見解を裏づけます。45000年前頃、IUPと関連する人口拡大(Zwyns et al., 2019)が拠点から広まり(Vallini et al., 2022)、EEC祖先系統を広げて、ユーラシアの大半を植民しました(Hajdinjak et al., 2021、Yang et al., 2024)。この拡大は、現在のユーラシア東部人(Yang et al., 2017)とオセアニア人にのみ子孫を残しましたが、38000年前頃に起きた(Vallini et al., 2022)WEC集団によるその後の拡大によって、ヨーロッパではほぼ消え去り、同化されました(Posth et al., 2023)。
ヨーロッパへの【現生人類の】初期の侵入が記録されてきましたが(Slimak et al., 2022、Prüfer et al., 2021)、そうした集団は現在および古代の人口集団の遺伝子プールに痕跡を残していません。主要な出アフリカ事象とユーラシアのより深くへの最初の持続的拡大との間のこの顕著な時間的間隙の背後にある理由は、仮説を立てることしかできませんが、ユーラシアの植民の初期段階は、確かにいくつかの課題ありました。出アフリカのボトルネック(瓶首効果)から人口統計学的に回復するにはある程度の時間が必要だったでしょうし、新たな環境圧力要因は、生物学的適応で(Tobler et al., 2023)、もしくは考古学的記録により証明されているように技術革新の開発により対処されねばなりませんでした。
最後に、在来の古代型【非現生人類ホモ属】集団との生息地の接続性および相互作用における変化により証明されているように、生態学的圧力要因も、重要な役割を果たしたかもしれません。この点で、単一の拠点人口集団として経過した時間は、その後で更新世ユーラシア世界の両端でほぼ同時に観察された文化的革新の開発にとっての、保育器として機能したかもしれません。これらの特徴のうち最も注目に値するのは、インドネシアのスラウェシ島の4万年前頃の岩絵の存在(Aubert et al., 2014)で、ヨーロッパ最古(41000~35000年前頃)の芸術(Pike et al., 2012)や、ヨーロッパ(Sano et al., 2019、Metz et al., 2023)とレヴァントとアジア南部(Langley et al., 2020)で記録されている投擲武器の革新的な仕様と同年代です。
結論として、本論文の学際的心みは、アフリカからの拡大と、ユーラシア人のヨーロッパ人とアジア東部人とオセアニア人の文化を分離した数万年に光を当てました。また本論文は、遺伝学と古生態学と考古学の証拠を考慮して、現生人類集団の拠点地について最も可能性の高い候補としてイラン高原を示し、これにより、イラン高原が将来の考古学的研究にとって重要な地域であることを示しています。
参考文献:
Allentoft ME. et al.(2024): Population genomics of post-glacial western Eurasia. Nature, 625, 7994, 301–311.
https://doi.org/10.1038/s41586-023-06865-0
関連記事
Aubert M. et al.(2014): Pleistocene cave art from Sulawesi, Indonesia. Nature, 514, 7521, 223–227.
https://doi.org/10.1038/nature13422
関連記事
Benazzi S. et al.(2011): Early dispersal of modern humans in Europe and implications for Neanderthal behaviour. Nature, 479, 7374, 525–528.
https://doi.org/10.1038/nature10617
関連記事
Bergström A. et al.(2021): Origins of modern human ancestry. Nature, 590, 7845, 229–237.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-03244-5
関連記事
Bramanti B. et al.(2009): Genetic Discontinuity Between Local Hunter-Gatherers and Central Europe’s First Farmers. Science, 326, 5949, 137-140.
https://doi.org/10.1126/science.1176869
関連記事
Broushaki F. et al.(2016): Early Neolithic genomes from the eastern Fertile Crescent. Science, 353, 6298, 499-503.
https://doi.org/10.1126/science.aaf7943
関連記事
Freidline SE. et al.(2023): Early presence of Homo sapiens in Southeast Asia by 86–68 kyr at Tam Pà Ling, Northern Laos. Nature Communications, 14, 3193.
https://doi.org/10.1038/s41467-023-38715-y
関連記事
Fu Q. et al.(2014): Genome sequence of a 45,000-year-old modern human from western Siberia. Nature, 514, 7523, 445–449.
https://doi.org/10.1038/nature13810
関連記事
Green RE. et al.(2010): A Draft Sequence of the Neandertal Genome. Science, 328, 5979, 710-722.
https://doi.org/10.1126/science.1188021
関連記事
Groucutt HS. et al.(2018): Homo sapiens in Arabia by 85,000 years ago. Nature Ecology & Evolution, 2, 5, 800–809.
https://doi.org/10.1038/s41559-018-0518-2
関連記事
Groucutt HS. et al.(2021): Multiple hominin dispersals into Southwest Asia over the past 400,000 years. Nature, 597, 7876, 376–380.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-03863-y
関連記事
Hajdinjak M. et al.(2021): Initial Upper Palaeolithic humans in Europe had recent Neanderthal ancestry. Nature, 592, 7853, 253–257.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-03335-3
関連記事
Harvati K. et al.(2019): Apidima Cave fossils provide earliest evidence of Homo sapiens in Eurasia. Nature, 571, 7766, 500–504.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1376-z
関連記事
Hershkovitz I. et al.(2015): Levantine cranium from Manot Cave (Israel) foreshadows the first European modern humans. Nature, 520, 7546, 216–219.
https://doi.org/10.1038/nature14134
関連記事
Hershkovitz I. et al.(2018): The earliest modern humans outside Africa. Science, 359, 6374, 456-459.
https://doi.org/10.1126/science.aap8369
関連記事
Kuhlwilm M. et al.(2016): Ancient gene flow from early modern humans into Eastern Neanderthals. Nature, 530, 7591, 429–433.
https://doi.org/10.1038/nature16544
関連記事
Langley MC. et al.(2020): Bows and arrows and complex symbolic displays 48,000 years ago in the South Asian tropics. Science Advances, 6, 24, eaba3831.
https://doi.org/10.1126/sciadv.aba3831
関連記事
Lazaridis I. et al.(2014): Ancient human genomes suggest three ancestral populations for present-day Europeans. Nature, 513, 7518, 409–413.
https://doi.org/10.1038/nature13673
関連記事
Lazaridis I. et al.(2016): Genomic insights into the origin of farming in the ancient Near East. Nature, 536, 7617, 419–424.
https://doi.org/10.1038/nature19310
関連記事
Marchi N. et al.(2022): The genomic origins of the world’s first farmers. Cell, 185, 11, 1842–1859.E18.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2022.04.008
関連記事
Malaspinas AS. et al.(2016): A genomic history of Aboriginal Australia. Nature, 538, 7624, 207–214.
https://doi.org/10.1038/nature18299
関連記事
Mallick S. et al.(2016): The Simons Genome Diversity Project: 300 genomes from 142 diverse populations. Nature, 538, 7624, 201–206.
https://doi.org/10.1038/nature18964
関連記事
Metz L, Lewis JE, and Slimak L.(2023): Bow-and-arrow, technology of the first modern humans in Europe 54,000 years ago at Mandrin, France. Science Advances, 9, 8, eadd4675.
https://doi.org/10.1126/sciadv.add4675
関連記事
Narasimhan VM. et al.(2019): The formation of human populations in South and Central Asia. Science, 365, 6457, eaat7487.
https://doi.org/10.1126/science.aat7487
関連記事
Pagani L. et al.(2015): Tracing the Route of Modern Humans out of Africa by Using 225 Human Genome Sequences from Ethiopians and Egyptians. The American Journal of Human Genetics, 96, 6, 986–991.
https://doi.org/10.1016/j.ajhg.2015.04.019
関連記事
Pagani L. et al.(2016): Genomic analyses inform on migration events during the peopling of Eurasia. Nature, 538, 7624, 238–242.
https://doi.org/10.1038/nature19792
関連記事
Petr M. et al.(2020): The evolutionary history of Neanderthal and Denisovan Y chromosomes. Science, 369, 6511, 1653–1656.
https://doi.org/10.1126/science.abb6460
関連記事
Pike AWG. et al.(2012): U-Series Dating of Paleolithic Art in 11 Caves in Spain. Science, 336, 6087, 1409-1413.
https://doi.org/10.1126/science.1219957
関連記事
Posth C. et al.(2017): Deeply divergent archaic mitochondrial genome provides lower time boundary for African gene flow into Neanderthals. Nature Communications, 8, 16046.
https://doi.org/10.1038/ncomms16046
関連記事
Posth C. et al.(2023): Palaeogenomics of Upper Palaeolithic to Neolithic European hunter-gatherers. Nature, 615, 7950, 117–126.
https://doi.org/10.1038/s41586-023-05726-0
関連記事
Prüfer K. et al.(2021): A genome sequence from a modern human skull over 45,000 years old from Zlatý kůň in Czechia. Nature Ecology & Evolution, 5, 6, 820–825.
https://doi.org/10.1038/s41559-021-01443-x
関連記事
Raghavan M. et al.(2014): Upper Palaeolithic Siberian genome reveals dual ancestry of Native Americans. Nature, 505, 7481, 87–91.
https://doi.org/10.1038/nature12736
関連記事
Reich D. et al.(2010): Genetic history of an archaic hominin group from Denisova Cave in Siberia. Nature, 468, 7327, 1053-1060.
https://doi.org/10.1038/nature09710
関連記事
Sankararaman S. et al.(2014): The genomic landscape of Neanderthal ancestry in present-day humans. Nature, 507, 7492, 354–357.
https://doi.org/10.1038/nature12961
関連記事
Sano K. et al.(2019): The earliest evidence for mechanically delivered projectile weapons in Europe. Nature Ecology & Evolution, 3, 10, 1409–1414.
https://doi.org/10.1038/s41559-019-0990-3
関連記事
Seguin-Orlando A. et al.(2014): Genomic structure in Europeans dating back at least 36,200 years. Science, 346, 6213, 1113-1118.
https://doi.org/10.1126/science.aaa0114
関連記事
Shinde V. et al.(2019): An Ancient Harappan Genome Lacks Ancestry from Steppe Pastoralists or Iranian Farmers. Cell, 179, 3, 729–735.E10.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2019.08.048
関連記事
Sikora M. et al.(2019): The population history of northeastern Siberia since the Pleistocene. Nature, 570, 7760, 182–188.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1279-z
関連記事
Slimak L. et al.(2022): Modern human incursion into Neanderthal territories 54,000 years ago at Mandrin, France. Science Advances, 8, 6, eabj9496.
https://doi.org/10.1126/sciadv.abj9496
関連記事
Slimak L (2023) The three waves: Rethinking the structure of the first Upper Paleolithic in Western Eurasia. PLoS ONE 18(5): e0277444.
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0277444
関連記事
Tobler R. et al.(2023): The role of genetic selection and climatic factors in the dispersal of anatomically modern humans out of Africa. PNAS, 120, 22, e2213061120.
https://doi.org/10.1073/pnas.2213061120
関連記事
Vallini L. et al.(2022): Genetics and Material Culture Support Repeated Expansions into Paleolithic Eurasia from a Population Hub Out of Africa. Genome Biology and Evolution, 14, 4, evac045.
https://doi.org/10.1093/gbe/evac045
関連記事
Vallini L. et al.(2024): The Persian plateau served as hub for Homo sapiens after the main out of Africa dispersal. Nature Communications, 15, 1882.
https://doi.org/10.1038/s41467-024-46161-7
Willerslev E, and Meltzer DJ.(2021): Peopling of the Americas as inferred from ancient genomics. Nature, 594, 7863, 356–364.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-03499-y
関連記事
Yang MA. et al.(2017): 40,000-Year-Old Individual from Asia Provides Insight into Early Population Structure in Eurasia. Current Biology, 27, 20, 3202–3208.E19.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2017.09.030
関連記事
Yang SX. et al.(2024): Initial Upper Palaeolithic material culture by 45,000 years ago at Shiyu in northern China. Nature Ecology & Evolution, 8, 3, 552–563.
https://doi.org/10.1038/s41559-023-02294-4
関連記事
Zwyns N. et al.(2019): The Northern Route for Human dispersal in Central and Northeast Asia: New evidence from the site of Tolbor-16, Mongolia. Scientific Reports, 9, 11759.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-47972-1
関連記事
●要約
遺伝学と化石考古学的発見に基づく証拠の組み合わせから、現生人類は7万~6万年前頃にアフリカから拡大した、と示唆されています。しかし、現生人類集団はアフリカから一旦出ると、ユーラシア全域に45000年前頃まで拡大しなかったようです。7万~6万年前頃から45000年前頃の間の時間枠で、これら初期の移住者が地理的にどこにいたのかについては、一致が困難でした。本論文は、遺伝学的証拠と古生態学的モデルを組み合わせて、ユーラシアの植民の初期段階における現生人類にとっての拠点として機能した地理的位置を推測します。本論文が利用可能なゲノム証拠を活用して示すのは、イラン高原の人口集団がアフリカ外の拠点に居住した人口集団と密接に一致する祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)構成要素を有している、ということです。本論文はこれまでに利用可能な古気候データを用いて、生態学的モデルを構築し、イラン高原がヒトの居住に適しており、アジア西部の他地域と比較してより多くの人口を維持できたかもしれない、と示し、この主張を強化します。
●研究史
増加しつつある証拠から、化石および考古学的調査結果が、中期更新世後期以降および後期更新世全体にわたるアフリカからの複数回の移住モデルを裏づけているように、移住現生人類によるユーラシアの植民は単純な過程ではなかった、と示唆されています(Hershkovitz et al., 2018、Groucut et al., 2018、Harvati et al., 2019、Groucutt et al., 2021、Freidline et al., 2023)。これら初期拡散の痕跡は、現生人類の近縁であるネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)のゲノムでも証明されており、ヒトがユーラシアへと移動したさいの、交雑事象を示しています(Kuhlwilm et al., 2016、Posth et al., 2017、Petr et al., 2020)。現生人類の初期拡散は人口縮小および消滅を伴っていた可能性が高そうですが、7万~6万年前頃となるその後の大規模な波(Pagani et al., 2015、Malaspinas et al., 2016、Mallick et al., 2016)が続き、非アフリカ系現代人は全員その子孫です(Bergström et al., 2021)。
ユーラシアの地理的に広範で安定した植民は、さまざまな石器技術と関連する複数回の人口拡大を通じて、45000年前頃に起きたようです(Vallini et al., 2022、Slimak., 2023)。ヨーロッパへのそれ以前の侵入が記録されてきましたが(Slimak et al., 2022、Prüfer et al., 2021、Benazzi et al., 2011)、それはその後の人口集団に大きな寄与を残せませんでした。出アフリカ移住(7万~6万年前頃)とユーラシア東西の安定した植民(45000年前頃)との間の約2万年間の時間的空隙を特定できますが、この人口集団の地理的位置と遺伝的特徴はよく分かっていません。
遺伝学と考古学の証拠に基づいて、アフリカ外で7万~6万年前頃以後に最初に安定した地域集団を形成したユーラシア人口集団は拠点人口集団として特徴づけることができ(Vallini et al., 2022)、そこから複数の人口集団の波がユーラシアの植民へと拡散し、それは異なる年代と遺伝と文化の特徴を有していただろう、と示唆されてきました。拠点人口集団は、東西のユーラシア人が分岐した幹として単純に理解できないことも推測されてきました。代わりに、これはより複雑な仮定的状況で、複数の拡大と局所絶滅が含まれます(Vallini et al., 2022)。しかし先行研究は、この拠点人口集団の潜在的な地理的位置の調査に失敗してきており、ユーラシア全体のどこでも60000~45000年前頃の現生人類の化石証拠が全体的に不足しています。
上述の仮定的状況は、ユーラシア西部および中央部(Hajdinjak et al., 2021、Fu et al., 2014)と中国(Yang et al., 2017)の古代ゲノムに由来する証拠に基づいており、ユーラシア現代人の祖先は拠点から45000年前頃、と示唆されています(図1Aの赤い枝)。これら新興集団はその後、ユーラシアとオセアニアの大半に植民しましたが、ユーラシア西部(Posth et al., 2023)では38000年前頃までに起きたより新しい拡大により、これらの人口集団はほぼ消滅し、同化されました(図1Aの青い枝)。これら2回のうち最初の拡大は、その祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)が本論文ではユーラシア東部中核(East Eurasian Core、略してEEC)と命名され、ブルガリアのバチョキロ洞窟(Bacho Kiro Cave)個体群や、北京の南西56km にある田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃の男性1個体(田園個体)や、ほとんどのアジア東部およびオセアニアの現代人に子孫を残しました。第二の拡大は、本論文ではユーラシア西部中核(West Eurasian Core、略してWEC)と命名され、ロシア西部のコステンキ・ボルシェヴォ(Kostenki-Borshchevo)遺跡群の一つであるコステンキ14(Kostenki 14)遺跡で発見された38000年前頃の1個体(コステンキ14号)や、ロシアのスンギール(Sunghir)遺跡や、その後のユーラシア西部人と、旧石器時代シベリア人のゲノムに子孫を残しました(Sikora et al., 2019)。
重要なことに、拠点人口集団はEECとWECの拡大の間に経過した数千年間に、WECとともにいくらかの浮動を蓄積したことです(図1Aの灰色の領域)。ユーラシアの移住期における重要な役割にも関わらず、拠点人口集団の地理的位置と遺伝的特徴は曖昧なままです。概略された仮定的状況は、基底部ユーラシア人口集団を考慮する要性により複雑になっています。基底部ユーラシア人とは、主要な出アフリカ拡大の直後、したがってユーラシア東西の人々の分岐前に他のユーラシア人と分岐した集団です(Lazaridis et al., 2016)。この人口集団は他のユーラシア人から隔離されており、その後、遅くとも25000年前頃以降(Allentoft et al., 2024)、中東の人口集団と混合しました。基底部ユーラシア人の祖先系統はその後、新石器時代革命と関連する人口拡大により、ユーラシア西部の全域にもたらされました。以下は本論文の図1です。
本論文は、現時点では化石遺骸から拠点人口集団の故地を直接的に推測できないことを考慮して、利用可能な遺伝学的証拠(古代人と現代人両方のゲノム)と古生態学的モデルを組み合わせて、ユーラシアの最初の植民期における非アフリカ系現代人全員の祖先にとっての拠点として機能した地理的地域を推測します。本論文では、イラン高原の人口集団が、アフリカ外の拠点に居住した人口集団と密接に一致する祖先系統構成要素を有しているので、6万~4万年前頃を通じてイラン高原がヒトの居住に適していた、と示され、現生人類とネアンデルタール人との初期の相互作用および混合(Green et al., 2010)と、主要なユーラシア人口集団と理解しにくい基底部ユーラシア人口集団(Lazaridis et al., 2016)との間の関係に間接的に光を当て、将来の考古学的調査が焦点を当てるべき場所についての情報も提供します。
●理論的根拠
拠点人口集団の特徴は、現代および古代の人口集団から利用可能なデータを含めて、遺伝学的観点から概説されました。本論文は拠点人口集団とEECおよびWECの拡大との間の複雑な関係を考慮して、WECと最小限の浮動を共有していただろうEEC(図1Aの赤色)との分離後に拠点の位置に留まった、この拠点人口集団の遺伝的特性(図1Aの灰色)の回収を目的としました。本論文は共有された浮動のパターンを考慮して、ユーラシアの景観内では、拠点人口集団は、WEC拡大の代表内で最小の共有された浮動を伴うにも関わらず、ユーラシア西部の痕跡を示す人口集団内で見つかるはずである、と仮定しました。
本論文は、EECおよびWECの波の少なくとも2点の最古級の混合していない代表を有する派生的なアレル(対立遺伝子)共有(derived allele sharing、略してDAS)の観点で、古代および現在の人口集団の記述により、枠組みを構築します。本論文が検証したこの2点の参照標本は、アジア東部の4万年前頃の1個体である田園個体(Yang et al., 2017)と、ロシア西部の38000年前頃の1個体であるコステンキ14号(eguin-Orlando et al., 2014)です。田園個体でのDASは図1Bの赤色の縦軸(T単位)を定義する一方で、コステンキ14号のDASは図1Bの青色の横軸(K単位)を定義します。混合および他の交絡因子がない場合、ほとんどの古代および現代のユーラシア人のゲノムは、田園個体もしくはコステンキ14号とともに経過した進化時間に比例した位置で、赤もしくは青の軸のどちらかに収まるはずです(図1BのRおよびB)。これらの理想的な状況下では、これら2軸の交点(図1Bの黒い点)に位置する人口集団は、EECの波が出発した時点では拠点人口集団の遺伝的特徴と似るでしょうが、この点のすぐ右側に位置する人口集団は青い軸に沿って、EEC拡大後の拠点人口集団の遺産を示すでしょう。
しかし、この研究を複雑にする少なくとも3点の交絡因子があり、それは、拠点地を離れた後のEECとWECの波の間の相互作用(図1Aのの青色と赤色の破線)、および基底部ユーラシア人との混合(図1Aの青色と緑色の破線)です。古代型人類【非現生人類ホモ属、絶滅ホモ属】からの遺伝的寄与(Green et al., 2010、Reich et al., 2010)は、浄化選択に起因する時間の関数として減少し(Sankararaman et al., 2014)、古代がの共有を通じて、古代の標本間の類似性を偏らせる可能性が高そうです。これは、ネアンデルタール人もしくは種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)が、本論文で検証された他の人口集団と同じ派生的アレルを共有している部位の除去により克服できます。一方で、古代型人類から追加の遺伝子流動(Hajdinjak et al., 2021)を受けた集団(オセアニア人やバチョキロ洞窟個体群)は、KとTの座標において減少を経るでしょう。他の2点の交絡因子は図1のAとBで示されており、過去4万年間に起きた混合事象の結果です。一方で、EEC(図1Bの赤色)とWEC(図1Bの青色)の子孫間の混合と拡大は、これら2供給源人口集団間の中間の位置を占める、混合人口集団をもたらすでしょう(図1BのBR)。
また一方で、25000年前頃以降(Allentoft et al., 2024)に始まる、いわゆる基底部ユーラシア人口集団との特定の集団の報告されている混合(Lazaridis et al., 2016)は、そのTとK両方の座標を減少させるでしょう。基底部ユーラシア人は、EECとWECとの間の分岐の前、おそらくは拠点人口集団の確立前に他のユーラシア人から分岐した、と考えられている集団です。したがって、これは図1Bにおける青軸と赤軸の交点の前であり、図1Bの底部左側の緑色の点として表されます。したがって、分析された各ゲノムがこれら全ての交絡因子により影響を受けると推定される、と仮定すると、その結果として観察される点(図1BのObs)は、拠点の遺産として推定される役割の評価の前に、多くの補正を通じてBの位置へともたらされるはずです。第四の交絡因子が、サハラ砂漠以南の遺伝的構成要素を有する再婚の相互作用により表されているかもしれないことも、注目されます。
●コステンキ14号および田園個体とのDAS
コステンキ14号と田園個体でDASにより定義される参照空間内(図1C)での現代と古代の人口集団の位置(図1A)を調べると、アジア東部人と氷期前のヨーロッパ人は図1BにおけるRとBにより維持されている位置に類似している、と観察できるかもしれません。アフリカの人口集団は、他の人口集団からどのくらい早く分岐したかの順番で、二等分線に沿っているものの、KT(田園個体のK座標)とTK(コステンキ14号のT座標)を表す赤色と青色の交点より前に並び、コイ人とサン人が下部に位置します。オセアニア人はコステンキ14号と比較して田園個体の方とより大きな類似性を示し、これらの人口集団はおもにEECの波の一部です。しかし、これらの人口集団は、デニソワ人との混合により図1Cの下部左隅に向かって動いており、KとT両方の値が減少します。類似の影響は初期上部旧石器(Initial Upper Paleolithic、略してIUP)のバチョキロ洞窟個体群で観察でき、その最近の系図においてネアンデルタール人の祖先を有している、と示されてきました(Hajdinjak et al., 2021)。混合していないユーラシア南東部人として、アンダマン諸島の人口集団はアジア東部人よりも低いTの赤軸に沿って並んでおり、これは、拠点地から離れるEECの移動期における田園個体の祖先とのより短い時間の経過、および48000~45000年前頃となるアジア南部におけるヒトの居住の最古級の証拠と一致します。
図1Cの右上象限の中央部は、予測されたように、拠点地からの拡大後のある時点でのEECとWECの波の間の混合から生じた集団により占められています。アジア南部人は、アンダマン諸島人とユーラシア西部人をつなぐ勾配をたどっており、これは、祖先的インド南部人(Ancestral South Indian、略してASI)と祖先的インド北部人(Ancestral North Indian、略してANI)との間の報告された相互作用を考えると予測されます。アメリカ大陸先住民の位置は、おもにアジア東部祖先系統を示唆し、旧石器時代ユーラシア西部人口集団からのより小さな寄与が伴います(Raghavan et al., 2014、Willerslev, and Meltzer., 2021)。同様に、バイカル湖近くの24000年前頃となるマリタ(Mal’ta)遺跡1号体(MA1)とシベリア北東部のヤナ犀角遺跡(Yana Rhinoceros Horn Site、略してヤナRHS)個体は、この2軸間の中間の位置に収まり、これはEEC集団とWEC集団との間の旧石器時代の混合の結果です(Vallini et al., 2022)。
シベリア南部西方のウスチイシム(Ust’-Ishim)近郊のイルティシ川(Irtysh River)の土手で発見された45900~42900年前頃の1個体(ウスチイシム個体、Fu et al., 2014)は、赤軸と青軸の交点の近くに位置し、これは45000年前頃の拠点人口集団が位置すると予測される場所です。ウスチイシム個体の系統が田園個体およびコステンキ14号とほぼ三分期を形成するので、この位置が予測されます。チェコのコニェプルシ(Koněprusy)洞窟群で発見された洞窟群の頂上の丘にちなんでズラティクン(Zlatý kůň)と呼ばれる成人女性1個体(Prüfer et al., 2021)はさらに後方に位置し、その系統がEECとWECの人口集団間の分岐の基底部に明らかに位置することと一致します(Vallini et al., 2022)。ユーラシア西部人とアジア北部および西部および南部人とレヴァント人は、EECとWECとの間の混合と一致して二等分線の下の領域を占めているか、これらの人口集団における基底部ユーラシア人もしくはアフリカ人構成要素の存在によりさらに複雑となる、青軸の下に位置します。サハラ砂漠以南のアフリカの遺伝的構成要素との相互作用は、基底部ユーラシア人との相互作用と類似した影響を及ぼすでしょうから、アフリカからの遺伝子流動の証拠を示す人口集団は除外されました。
●DAS交絡因子の説明
本論文は、図1Cにおける各古代人もしくは現代人のゲノムから推定されたKとTの座標から始まって、評価された各ゲノムは基底部ユーラシア人、および/もしくはEECとWECとの間の混合により影響を受けているかもしれない、と仮定します。本論文は、混合した人口集団の座標が、各供給源の寄与により重み付けされた2供給源人口集団の平均(合成混合個体の作成によりこの同一視は実証的に確認されました)に相当する、という事実を利用しました。本論文は検証された各人口集団について、実証的に回収されたK座標とT座礁がKObsとTObsである、と仮定しました。本論文はこれに基づいて、図1Bの分類に従って、供給源WEC人口集団(図1BのKB)のK座標を計算しました。本論文の分析の目標が、最小の相当するKB座標を有する人口集団(図1において赤色と青色の原点の最も近くに位置するかもしれない人口集団)の決定だったことを考えて、本論文で開発された分析枠組みが拠点人口集団への近さの精確な順位を回収できるのかどうか、評価されました。
本論文は合着(合祖)模擬実験装置であるmsprimeを用いて、合着模擬実験を実行し、さまざまな人口統計学敵な仮定的状況下で、異なるWEC供給源人口集団を取得しました。本論文はとくに、コステンキ14号とさまざまなアレルを共有しているWEC人口集団(つまり、拠点人口集団からのさまざまな距離のあるWEC人口集団と類似しています)を模擬実験し、それらをEECおよび基底部ユーラシア人と混合させました。その結果、本論文の手法は大半の事例でK座標に沿って正確な順位を回収し、混合人口集団が少なくとも50%はWECで、混合WEC供給源がコステンキ14号と少なくとも3000年の異なるアレルをある全事例では0.9超の正確さだった、と分かりました。混合WEC供給源間の違いの減少(したがって、そのK座標における違いの減少)は、正確さの同等の水準を維持する、混合人口集団におけるより高いWECの割合をもたらします。本論文の模擬実験結果における最低の正確さは、比較人口集団がWEC供給源とEEC供給源の混合の結果である場合に得られ(つまり、基底部ユーラシア人からの寄与はありません)、これは現代のユーラシア人口集団では事実上存在しないと思われる構成です。
本論文の手法の有効性の確認後に、既存のデータが検証されました。その結果、ユーラシア東部人と基底部ユーラシア人の交絡因子の考慮後に、拠点人口集団により近いWEC構成要素を有する人口集団(図2Aの人口集団の点の濃淡階調の勾配)は、そのユーラシア西部祖先系統が狩猟採集民およびイランの初期農耕民(Broushaki et al., 2016)と関連している人口集団である、と分かりました。これは、イラン新石器時代もしくは東メタ(East Meta)と一般的に呼ばれている遺伝的祖先系統で、本論文では、明確にするためイラン狩猟採集民(hunter-gatherer、略してHG)と呼ばれます。イランHG祖先系統は、現代のイラン人だけではなく、コーカサスの古代人および現代人標本全体にわたって(とくにコーカサス地域の中石器時代HGにおいて)、およびアジア南部の北西部において広がっています(Narasimhan et al., 2019)。コステンキ14号との遺伝的類似性の青軸に沿って、これらの人口集団はレヴァントの現代人および古代人の集団の前に位置し、次に、アナトリア半島からの新石器時代の拡大と関連するヨーロッパおよび他地域の集団の前に位置します(Marchi et al., 2022、Bramanti et al., 2009、Lazaridis et al., 2014)。この軸に沿って最も離れている集団は、最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)前後のヨーロッパHGで、これはコステンキ14号との遺伝的近さから予測されます。以下は本論文の図2です。
本論文は、上述の交絡因子の補正後に、少なくとも75%のWECの遺伝的割合(本論文の検証において確認された最も厳密な閾値)を示す分析された各集団の拠点人口集団との類似性を、地図上の点での濃淡階調で報告します(図2A)。過去4万年間における少なくとも部分的な人口集団の接続を仮定すると、拠点の焦点地域が特定されます。これらの位置は、利用可能なユーラシア西部人の遺伝的構成要素が拠点人口集団に最も近く、そうした遺伝的近さが上述の位置からの地理的距離の関数として減少する、地図の一部として定義されます(図2A)。2000km内の標本抽出された少なくとも1人口集団のある地図の各位置について、本論文は標本抽出された全ての他の人口集団間の最短の陸路距離を計算し、次にKBの相当する値とのピアソン相関を推定しました。負のr値(図2Aの明るい色)は、K座標が増加するだけの場所で予測されます。拠点地の焦点となる地域である、図2Aの最も明るい影は、カスピ海の南岸とペルシア湾との間の地域に位置します(当時は水没していませんでした)。この結果は、混合した個体群におけるユーラシア西部人の遺伝的構成要素の割合もしくは標本の年代の観点で包括基準を変えても、定性的に同じです。同じ焦点地域の分析が、基底部ユーラシア人の推測された割合で実行され(図2B)、そうした祖先系統の最も可能性の高い侵入地点は、推定される拠点地から離れている、と分かりました。これはレヴァントと関連しているようで、レヴァントかアラビア半島かアフリカ北部のいずれかが、この分かりにくい人口集団の可能性のある場所だった、と示唆されます。
空間的に明示的なモデル内で遺伝学的結果を統合するさいには、新石器時代後の拡大がその起源地を越えての拠点的な構成要素の拡大に寄与したかもしれないことに要注意です。たとえば、いわゆるイラン新石器時代遺伝的構成要素の拡大に伴う、アジア南部北方に向かっての拡大です(Broushaki et al., 2016、Narasimhan et al., 2019)。さらに、他の人口移動が、より低い拠点との類似性を有する他のWEC構成要素の到来(たとえば、アナトリア半島新石器時代構成要素の東方への拡大を介して)とともに、拠点地におけるそり存在を希釈したかもしれません(Narasimhan et al., 2019)。したがって、拠点の推定される遺産は、コーカサス南部からアジア南部北方にまで伸びる広大な地域で見つかるかもしれませんが、これは常にそうだったわけではないかもしれません。
コーカサスでは、LGM前のHGは中石器時代狩猟採集民、つまりイランHGと厳密に関連する祖先系統を有するコーカサス狩猟採集民(Caucasus Hunter–Gatherers、略してCHG)よりも、アナトリア半島西部の初期農耕民の方と密接に関連していました(Allentoft et al., 2024)。これは、25000~13000年前頃におけるコーカサスへの拠点人口集団からの人口拡大を示唆します。したがって、これは、二重の人口置換などより複雑な仮定的状況を想定しなければ、拠点の位置としてコーカサスを除外するでしょう。
アジア南部北方におけるユーラシア西部人の構成要素の存在は伝統的に、イラン農耕民の東方への拡大の結果として説明されてきました(Broushaki et al., 2016)。しかし、最近の研究は、インダス渓谷の4500年前頃の標本1点におけるこの祖先系統の存在を報告しており、それは農耕開始前にイラン農耕民から分岐した、と推測しており、WEC遺伝的構成要素はイランの新石器時代拡大に先行するかもしれない、と示唆しました(Shinde et al., 2019)。それにも関わらず、コーカサスの事例が示してきたように、農耕開始前の遺伝的連続性は、それが研究対象の期間にまでさかのぼることを必ずしも意味していないかもしれません。その可能性を除外できませんが、アジア南部における人口集団の拠点の長期の存在は、新石器時代前の遺伝的景観の大半を構成する、ASIもしくは古代祖先的インド南部(Ancient Ancestral South Indian、略してAASI)系統と呼ばれる明らかにEECの遺伝的構成要素の存在と一致しません(Narasimhan et al., 2019)。
本論文は、基底部ユーラシア人祖先系統がユーラシアへと拡大した焦点の地域を推測します。これは、新石器時代の前ではあるものの、WEC拡大の後に起きた、と報告されている事象です。図2Bは基底部ユーラシア人の最も可能性の高い故地としはて、アフリカ北部かアラビア半島かレヴァントを示し、アジア西部全域への拡大はそうした地域からの放射状の距離の勾配に従います。基底部ユーラシア人にとっての推測される焦点の地域と、そうした人口集団は少なくとも38000年前頃までに拠点人口集団から遺伝的に分離した、との見解を考えると、拠点地は基底部ユーラシア人の故地から物理的に離れていたに違いないことになります。この理由のため、推定される拠点地は基底部ユーラシア人の位置とは地理的に異なるはずで、イラン高原で満たされる基準です。
●古生態学的モデル化
拠点地に関する新たな全体像は遺伝学的データのみに基づいており、人口連続性、もしくはその地域全体にわたる少なくとも大きな人口置換の欠如との仮定に依拠していました。本論文の連続性仮定の妥当性を検証するため、情報の追加の独立した層として古生態学的モデルが利用され、そうした地理的地域が特定の時点でヒトの居住に適していたのかどうか、評価されました。最近、7万~3万年前頃の期間を含む古気候再構築が刊行されました。本論文はこのデータを利用して、先行研究により報告された手順に従って種分布モデルを構築し、その期間全体でヒトの居住に適した環境条件のある地域を再構築しました(図3A)。本論文は次に、これらの結果を各地域の植生純一次生産量(Net Primary Productivity、略してNPP)推定値およびNPPとヒト狩猟採集民の人口密度との間の関係と組み合わせました。これは、さまざまな地理的地域での経時的な最大の持続可能な人口(環境収容力)推定の為に用いられました(図3B)。以下は本論文の図3です。
本論文の古生態学的モデルから、図2Aで推定される(および図3Aで組み立てられた)拠点地は7万~3万年前頃の期間の大半を通じてヒトの居住を支えていたかもしれない、と示されます。は本論文のモデルは、その地域が同じ期間の他のアジア西部地域よりもずっと多くの人口規模を維持できたかもしれないことも示します。この推測は、メソポタミアの河川の存在やイラン高原の豊富な水文網を考慮せずとも可能で、これは本論文のモデルによる推測の限界を超えて、居住可能かもしれない地域を拡張し、相互に接続していた可能性が高そうです。メソポタミア/イラン高原が6万~5万年前頃の生息適合性の観点でより斑状になり、次に5万年前頃以後に再接続したことに注目するのは興味深いことで、これはこの地域の環境収容力増加にも反映されています(図3B)。これが、45000年前頃以前のある時点で起きたIUP拡大の生態学的契機を提供したかもしれません(Vallini et al., 2022、Zwyns et al., 2019)。
イラン高原からの直接的な古気候記録が少ないため、古生態学的モデル化に用いられたデータは、イランの単一のデータ点で局所的に検証されました。それにも関わらず、類似の環境条件のある他地域から提供されるデータ検証のより高い解像度のおかげで、本論文のモデルにより推測される生息地は、他の手法により独立して検証されているので、信頼できると考えることができます。最近の研究では、既存の古環境代理および古気候モデル化とともに古水文学的地図作成が用いられ、イラン高原の歴史的な気候が再構築され、海洋酸素同位体ステージ(Marine Isotope Stage、略してMIS)5とMIS3における人類にとって気候的に影響を受けた経路の調査が目的とされました。
MIS3の古気候モデルは、ザグロス山脈(7万~3万年前頃)とイラン高原北部(5万~4万年前頃)両方の湿度のかなりの増加を示唆しています。注目すべきことに、これらの条件はこれにの地域における人類の居住を支えていたかもしれず、これは本論文のモデルによっても検出された特徴です。これは、考古学的遺跡の利用可能な代理記録および空間分布の調査結果と一致します。この証拠を組み合わせると、本論文のモデルで検出されたイラン高原の生態学的変動がMIS4における乾燥度増加の期間、および、MIS5ほど理想的ではないものの、より好適な環境条件をもたらした、その後のMIS3の開始における回復にどのように相当するのか、明らかになるようです。
最低の環境収容力予測でさえ、イラン高原の値は中東の他地域の最高値とほぼ等しいことに注目するのは、適切です。イラン高原は足り期間との比較でもより高く、拠点地として機能する周辺地域に対する競合上の有意性への手がかりを提供します。したがって、古気候の結果はヒトの居住にとってのイラン高原の適合性を確証し、遺伝学的データから浮き彫りになる全体像を検証し、榑林します(図4の薄黄色の地域)。さらに、紅海の両岸に位置し、地中海全域へと広がる生存可能な地域の存在は、基底部ユーラシア人口集団にとっての適した生息地を提供するようで、この地域は部分的に、推定される拠点地から切り離されています。以下は本論文の図4です。
●化石と考古学の証拠
IUPを伴うEECの波、および上部旧石器(Upper Palaeolithic、略してUP)を伴うWECの波の仮定的なつながりは、推定される拠点地で見つかると予測される物質文化についての情報をもたらします(Vallini et al., 2022)。この仮定的状況によると、IUPとUPの技術は、それぞれ45000年前頃と4万年前頃の後に出現する、と予測されます。一方で、拠点地には、ズラティクン個体的な集団の拡大と関連する遺物群など、ユーラシアへの植民の試みに失敗したさらに前の人口集団がいたならば(Vallini et al., 2022、Prüfer et al., 2021)、おそらくはIUPとUPよりも基底的な文化も、この地域でも予測されます。
これを念頭に置き、4万年前頃以前のイラン高原における人類遺骸の少なさを考慮して、化石および考古学のり記録の簡潔な調査が正当化されます。イラン高原で研究している考古学者は、後期更新世における人類拡散にかなりの注意を払い始めています。最近の気候および古水文学的研究では、この地域はMIS5(130000~71000年前頃)とMIS3(57000~29000年前頃)に環境改善を経た、と示唆されており、ザグロス山脈と低地の河川および湖環境における中部旧石器(Middle Palaeolithic、略してMP)の広範な所在地と一致します。ザグロス山脈のMP遺跡群は、年代が77000~40000年前頃で、稀なネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)化石と関連づけられることもあります。
イラン高原では、MPと関連する現生人類の化石はまだ発見されていませんが、MPと現生人類の関連は、アラビア半島では85000年前頃(Groucut et al., 2018)、レヴァントではMIS5と55000年前頃(Hershkovitz et al., 2015)に発見されています。イスラエルの西ガリラヤ(Western Galilee)地域のマノット洞窟(Manot Cave)で発見された55000年前頃の部分的な頭蓋冠は、骨を覆っていた方解石の錆に基づいて55000±5000年前と年代測定されたので、これは下限年代を示唆しています。じっさいの年代がより古いならば、このマノット洞窟の個体はレヴァントのMIS5の遺跡群とつながり、非アフリカ系現代人の祖先を表すには古すぎ、代わりにより古い出アフリカ(Out of Africa、略してOoA)拡散と関連します。一方で、マノット洞窟個体の年代測定がじっさいの年代を反映しているならば(したがって、出アフリカの時期の頃となります)、この発見は、本論文の推測では拠点かせイラン高原にあることと矛盾せず、それは、マノット洞窟がアフリカからの拡散につながるあり得る経路の一つに位置しているからです(Pagani et al., 2015)。マノット洞窟の化石が、代わりに拠点人口集団の構成員とみなされるならば、直接的な遺伝学的情報の欠如に基づき、その後のレヴァントの個体群が拠点人口集団の直接的子孫であることの裏づけの欠如を考慮して、基底部系統の少ない仮定的なレヴァント拠点人口集団のその後の完全な置換を仮定しなければならず、これは本論文では非節約的な仮定的状況と思われます。
イランで研究している考古学者は、MPのルヴァロワ(Levallois)も現生人類の所産かもしれない、と考えてきました。そして実際、イラン高原中央部の、55000年前頃と年代測定され、ダシュト・I・カヴィル(Dasht-I Kavir)古代湖および湿地系に位置するミラック(Mirak)遺跡のMP遺物群は現生人類を表している、と示唆されてきました。この主張は石器群の三次元幾何学的形態計測比較に基づいており、ミラック遺跡におけるMPとUPの道具縮小戦略の一貫性と、現生人類により製作されレヴァントの遺物群との類似性を示します。イラン高原の標準化された石刃および小石刃インダストリーは、バラドスティアン(Baradostian)やザグロスオーリナシアン(Aurignacian、オーリニャック文化)やIUPと呼ばれてきました。これらUP技術複合体は、イラン高原全域で比較的急速に出現したようで、ネアンデルタール人や初期の現生人類集団を含む、それ以前の人口集団の広範な置換が裏づけられます。
●考察
本論文は、非アフリカ系現代人全員の祖先が出アフリカ拡大の初期段階(7万~6万年前頃)とユーラシアへのより広範な植民(45000年前頃)との間に居住していた、ユーラシア人口集団の拠点の遺伝学的および地理的特色を特徴づけました。本論文は、拠点からのそれ以前の人口拡大(Slimak et al., 2022、Prüfer et al., 2021)や、化石および考古学的記録には痕跡を残したものの、現代人の遺伝的構成には殆ど若しくは全く寄与しなかった(Pagani et al., 2016)、それ以前の出アフリカ事象を再構築するよう設計されていませんでした。本論文の結果から、拠点人口集団と最も近い遺伝的構成要素はイラン高原の古代および現代の人口集団に表されている、と示されました。そうした構成要素は、基底部ユーラシア人およびユーラシア東部人祖先系統との混合後に、以前にはイラン新石器時代やイランHGや東メタと呼ばれていた、古遺伝学的記録で再び現れました(Marchi et al., 2022)。
この遺伝学的観点は、イラン中央部砂漠を取り囲み、カスピ海南部沿岸やザグロス山脈やペルシア湾やメソポタミアを含むイラン高原帯を、最も可能性の高い拠点地と示す古生態学的証拠(図4)と組み合わされると、さらに洗練されました。遺伝学的データは現時点で利用できませんが、拠点の南端としてアラビア半島の北東部を除外できず、それはこの地域が当時より乾燥していたペルシア湾を越えてつながっていた、と推定されているからです。現在のレヴァント南部およびアラビア半島西部の内陸部の過酷な気候条件によりもたらされた生態学的分離は、拠点人口集団と基底部ユーラシア人との間の長期の断絶への説明を提供するようで、これにより、両ヒト集団が何千年も経って特徴的な浮動構成要素を構築することが可能となります(そのあり得る位置は、図4の緑色と薄黄色に示されています)。
考古学的証拠から得られた情報は、この地域における現生人類の長期の存在を主張しており、最古のIUPとUPの記録を考慮すると少なくとも44000年前頃、あるいは、現生人類と関連しているかもしれない特定のMP遺跡群を含めると、早ければ55000年前頃にさかのぼります。さらに、少なくとも4万年前頃までザグロス山脈にネアンデルタール人が存在した、と証明されていることは、現代ユーラシア人全員の祖先は拠点地で2万年間ほど過ごし、古代型の近縁【非現生人類ホモ属】と長期にわたって混合したかもしれず、最終的にはユーラシアとオセアニアとアメリカ大陸の植民につにがった人口集団へと分化した、という見解を裏づけます。45000年前頃、IUPと関連する人口拡大(Zwyns et al., 2019)が拠点から広まり(Vallini et al., 2022)、EEC祖先系統を広げて、ユーラシアの大半を植民しました(Hajdinjak et al., 2021、Yang et al., 2024)。この拡大は、現在のユーラシア東部人(Yang et al., 2017)とオセアニア人にのみ子孫を残しましたが、38000年前頃に起きた(Vallini et al., 2022)WEC集団によるその後の拡大によって、ヨーロッパではほぼ消え去り、同化されました(Posth et al., 2023)。
ヨーロッパへの【現生人類の】初期の侵入が記録されてきましたが(Slimak et al., 2022、Prüfer et al., 2021)、そうした集団は現在および古代の人口集団の遺伝子プールに痕跡を残していません。主要な出アフリカ事象とユーラシアのより深くへの最初の持続的拡大との間のこの顕著な時間的間隙の背後にある理由は、仮説を立てることしかできませんが、ユーラシアの植民の初期段階は、確かにいくつかの課題ありました。出アフリカのボトルネック(瓶首効果)から人口統計学的に回復するにはある程度の時間が必要だったでしょうし、新たな環境圧力要因は、生物学的適応で(Tobler et al., 2023)、もしくは考古学的記録により証明されているように技術革新の開発により対処されねばなりませんでした。
最後に、在来の古代型【非現生人類ホモ属】集団との生息地の接続性および相互作用における変化により証明されているように、生態学的圧力要因も、重要な役割を果たしたかもしれません。この点で、単一の拠点人口集団として経過した時間は、その後で更新世ユーラシア世界の両端でほぼ同時に観察された文化的革新の開発にとっての、保育器として機能したかもしれません。これらの特徴のうち最も注目に値するのは、インドネシアのスラウェシ島の4万年前頃の岩絵の存在(Aubert et al., 2014)で、ヨーロッパ最古(41000~35000年前頃)の芸術(Pike et al., 2012)や、ヨーロッパ(Sano et al., 2019、Metz et al., 2023)とレヴァントとアジア南部(Langley et al., 2020)で記録されている投擲武器の革新的な仕様と同年代です。
結論として、本論文の学際的心みは、アフリカからの拡大と、ユーラシア人のヨーロッパ人とアジア東部人とオセアニア人の文化を分離した数万年に光を当てました。また本論文は、遺伝学と古生態学と考古学の証拠を考慮して、現生人類集団の拠点地について最も可能性の高い候補としてイラン高原を示し、これにより、イラン高原が将来の考古学的研究にとって重要な地域であることを示しています。
参考文献:
Allentoft ME. et al.(2024): Population genomics of post-glacial western Eurasia. Nature, 625, 7994, 301–311.
https://doi.org/10.1038/s41586-023-06865-0
関連記事
Aubert M. et al.(2014): Pleistocene cave art from Sulawesi, Indonesia. Nature, 514, 7521, 223–227.
https://doi.org/10.1038/nature13422
関連記事
Benazzi S. et al.(2011): Early dispersal of modern humans in Europe and implications for Neanderthal behaviour. Nature, 479, 7374, 525–528.
https://doi.org/10.1038/nature10617
関連記事
Bergström A. et al.(2021): Origins of modern human ancestry. Nature, 590, 7845, 229–237.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-03244-5
関連記事
Bramanti B. et al.(2009): Genetic Discontinuity Between Local Hunter-Gatherers and Central Europe’s First Farmers. Science, 326, 5949, 137-140.
https://doi.org/10.1126/science.1176869
関連記事
Broushaki F. et al.(2016): Early Neolithic genomes from the eastern Fertile Crescent. Science, 353, 6298, 499-503.
https://doi.org/10.1126/science.aaf7943
関連記事
Freidline SE. et al.(2023): Early presence of Homo sapiens in Southeast Asia by 86–68 kyr at Tam Pà Ling, Northern Laos. Nature Communications, 14, 3193.
https://doi.org/10.1038/s41467-023-38715-y
関連記事
Fu Q. et al.(2014): Genome sequence of a 45,000-year-old modern human from western Siberia. Nature, 514, 7523, 445–449.
https://doi.org/10.1038/nature13810
関連記事
Green RE. et al.(2010): A Draft Sequence of the Neandertal Genome. Science, 328, 5979, 710-722.
https://doi.org/10.1126/science.1188021
関連記事
Groucutt HS. et al.(2018): Homo sapiens in Arabia by 85,000 years ago. Nature Ecology & Evolution, 2, 5, 800–809.
https://doi.org/10.1038/s41559-018-0518-2
関連記事
Groucutt HS. et al.(2021): Multiple hominin dispersals into Southwest Asia over the past 400,000 years. Nature, 597, 7876, 376–380.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-03863-y
関連記事
Hajdinjak M. et al.(2021): Initial Upper Palaeolithic humans in Europe had recent Neanderthal ancestry. Nature, 592, 7853, 253–257.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-03335-3
関連記事
Harvati K. et al.(2019): Apidima Cave fossils provide earliest evidence of Homo sapiens in Eurasia. Nature, 571, 7766, 500–504.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1376-z
関連記事
Hershkovitz I. et al.(2015): Levantine cranium from Manot Cave (Israel) foreshadows the first European modern humans. Nature, 520, 7546, 216–219.
https://doi.org/10.1038/nature14134
関連記事
Hershkovitz I. et al.(2018): The earliest modern humans outside Africa. Science, 359, 6374, 456-459.
https://doi.org/10.1126/science.aap8369
関連記事
Kuhlwilm M. et al.(2016): Ancient gene flow from early modern humans into Eastern Neanderthals. Nature, 530, 7591, 429–433.
https://doi.org/10.1038/nature16544
関連記事
Langley MC. et al.(2020): Bows and arrows and complex symbolic displays 48,000 years ago in the South Asian tropics. Science Advances, 6, 24, eaba3831.
https://doi.org/10.1126/sciadv.aba3831
関連記事
Lazaridis I. et al.(2014): Ancient human genomes suggest three ancestral populations for present-day Europeans. Nature, 513, 7518, 409–413.
https://doi.org/10.1038/nature13673
関連記事
Lazaridis I. et al.(2016): Genomic insights into the origin of farming in the ancient Near East. Nature, 536, 7617, 419–424.
https://doi.org/10.1038/nature19310
関連記事
Marchi N. et al.(2022): The genomic origins of the world’s first farmers. Cell, 185, 11, 1842–1859.E18.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2022.04.008
関連記事
Malaspinas AS. et al.(2016): A genomic history of Aboriginal Australia. Nature, 538, 7624, 207–214.
https://doi.org/10.1038/nature18299
関連記事
Mallick S. et al.(2016): The Simons Genome Diversity Project: 300 genomes from 142 diverse populations. Nature, 538, 7624, 201–206.
https://doi.org/10.1038/nature18964
関連記事
Metz L, Lewis JE, and Slimak L.(2023): Bow-and-arrow, technology of the first modern humans in Europe 54,000 years ago at Mandrin, France. Science Advances, 9, 8, eadd4675.
https://doi.org/10.1126/sciadv.add4675
関連記事
Narasimhan VM. et al.(2019): The formation of human populations in South and Central Asia. Science, 365, 6457, eaat7487.
https://doi.org/10.1126/science.aat7487
関連記事
Pagani L. et al.(2015): Tracing the Route of Modern Humans out of Africa by Using 225 Human Genome Sequences from Ethiopians and Egyptians. The American Journal of Human Genetics, 96, 6, 986–991.
https://doi.org/10.1016/j.ajhg.2015.04.019
関連記事
Pagani L. et al.(2016): Genomic analyses inform on migration events during the peopling of Eurasia. Nature, 538, 7624, 238–242.
https://doi.org/10.1038/nature19792
関連記事
Petr M. et al.(2020): The evolutionary history of Neanderthal and Denisovan Y chromosomes. Science, 369, 6511, 1653–1656.
https://doi.org/10.1126/science.abb6460
関連記事
Pike AWG. et al.(2012): U-Series Dating of Paleolithic Art in 11 Caves in Spain. Science, 336, 6087, 1409-1413.
https://doi.org/10.1126/science.1219957
関連記事
Posth C. et al.(2017): Deeply divergent archaic mitochondrial genome provides lower time boundary for African gene flow into Neanderthals. Nature Communications, 8, 16046.
https://doi.org/10.1038/ncomms16046
関連記事
Posth C. et al.(2023): Palaeogenomics of Upper Palaeolithic to Neolithic European hunter-gatherers. Nature, 615, 7950, 117–126.
https://doi.org/10.1038/s41586-023-05726-0
関連記事
Prüfer K. et al.(2021): A genome sequence from a modern human skull over 45,000 years old from Zlatý kůň in Czechia. Nature Ecology & Evolution, 5, 6, 820–825.
https://doi.org/10.1038/s41559-021-01443-x
関連記事
Raghavan M. et al.(2014): Upper Palaeolithic Siberian genome reveals dual ancestry of Native Americans. Nature, 505, 7481, 87–91.
https://doi.org/10.1038/nature12736
関連記事
Reich D. et al.(2010): Genetic history of an archaic hominin group from Denisova Cave in Siberia. Nature, 468, 7327, 1053-1060.
https://doi.org/10.1038/nature09710
関連記事
Sankararaman S. et al.(2014): The genomic landscape of Neanderthal ancestry in present-day humans. Nature, 507, 7492, 354–357.
https://doi.org/10.1038/nature12961
関連記事
Sano K. et al.(2019): The earliest evidence for mechanically delivered projectile weapons in Europe. Nature Ecology & Evolution, 3, 10, 1409–1414.
https://doi.org/10.1038/s41559-019-0990-3
関連記事
Seguin-Orlando A. et al.(2014): Genomic structure in Europeans dating back at least 36,200 years. Science, 346, 6213, 1113-1118.
https://doi.org/10.1126/science.aaa0114
関連記事
Shinde V. et al.(2019): An Ancient Harappan Genome Lacks Ancestry from Steppe Pastoralists or Iranian Farmers. Cell, 179, 3, 729–735.E10.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2019.08.048
関連記事
Sikora M. et al.(2019): The population history of northeastern Siberia since the Pleistocene. Nature, 570, 7760, 182–188.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1279-z
関連記事
Slimak L. et al.(2022): Modern human incursion into Neanderthal territories 54,000 years ago at Mandrin, France. Science Advances, 8, 6, eabj9496.
https://doi.org/10.1126/sciadv.abj9496
関連記事
Slimak L (2023) The three waves: Rethinking the structure of the first Upper Paleolithic in Western Eurasia. PLoS ONE 18(5): e0277444.
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0277444
関連記事
Tobler R. et al.(2023): The role of genetic selection and climatic factors in the dispersal of anatomically modern humans out of Africa. PNAS, 120, 22, e2213061120.
https://doi.org/10.1073/pnas.2213061120
関連記事
Vallini L. et al.(2022): Genetics and Material Culture Support Repeated Expansions into Paleolithic Eurasia from a Population Hub Out of Africa. Genome Biology and Evolution, 14, 4, evac045.
https://doi.org/10.1093/gbe/evac045
関連記事
Vallini L. et al.(2024): The Persian plateau served as hub for Homo sapiens after the main out of Africa dispersal. Nature Communications, 15, 1882.
https://doi.org/10.1038/s41467-024-46161-7
Willerslev E, and Meltzer DJ.(2021): Peopling of the Americas as inferred from ancient genomics. Nature, 594, 7863, 356–364.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-03499-y
関連記事
Yang MA. et al.(2017): 40,000-Year-Old Individual from Asia Provides Insight into Early Population Structure in Eurasia. Current Biology, 27, 20, 3202–3208.E19.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2017.09.030
関連記事
Yang SX. et al.(2024): Initial Upper Palaeolithic material culture by 45,000 years ago at Shiyu in northern China. Nature Ecology & Evolution, 8, 3, 552–563.
https://doi.org/10.1038/s41559-023-02294-4
関連記事
Zwyns N. et al.(2019): The Northern Route for Human dispersal in Central and Northeast Asia: New evidence from the site of Tolbor-16, Mongolia. Scientific Reports, 9, 11759.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-47972-1
関連記事
この記事へのコメント