古代ゲノムデータから推測される現生人類の進化

 古代ゲノムデータから推測される現生人類(Homo sapiens)の進化に関する解説(Bennett, and Fu., 2024)が公表されました。本論文は、初期現生人類やネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)および種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)といった古代型ホモ属(非現生人類ホモ属)のゲノムデータから、現生人類の進化と世界規模の拡大を検証します。古代ゲノム研究は近年飛躍的に発展しており、最新の情報を追いかけていくのは厳しいので、本論文のような近年の研究を踏まえた概説はたいへん有益だと思います。今後も当ブログでは、本論文のような解説を時に取り上げていくつもりです。


●要約

 古代型のヒト【非現生人類ホモ属】と現生人類のゲノムから得られる証拠が増えつつあり、現生人類の出現への新たな洞察をもたらしています。本論文は、現生人類への進化的経路に関して情報をもたらす、古代DNA研究から収集された最近の情報を詳しく説明します。これらの知見は、現生人類拡大の根底にある個体および人口集団水準の優位を示します。


●研究史

 現生人類は長い間、ヒトの独自性を前提に生きてきており、我々が常に孤独だったわけではない、と考えるのは今やたいへん注目すべきことです。ネアンデルタール人およびデニソワ人両方との混合はアフリカ外の現生人類のゲノムの祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の小さな割合に寄与してきましたが、本論文ではまとめて「古代型のヒト【非現生人類ホモ属】」と呼ばれるこれら絶滅ヒト集団は、別の祖先的系統を表しています。しかし、古代型のヒトのゲノムの知識は、我々の独自性についてその起源の問題を調べ、我々が存在する一方で古代型のヒトが存在しないという基本的な問題に取り組むための、前例のない新たな手法をもたらしてきました。

 しかし、我々の例外性のどの側面が我々にとって真に独特であり、これらの特徴は、どこで、いつ、どのように生じたのでしょうか?認識できる現代的なサピエンスの頭蓋特徴は30万年前頃に明らかになり、最初に全てがそろっていたわけではありませんが、南アフリカ共和国からモロッコおよびレヴァントやギリシアにまでいたる広範な地理的空間にまたがるこま期間のヒトで見られる古代型の特徴の混在の中で現れました。この広範な時間枠は、現生人類関連の中期石器時代の文化的移行を大まかに表しており、この文化的移行はアフリカ全域に、断続的でもある様相で、30万~13万年前頃に広がりました(関連記事)。

 現代人のゲノム解析では、最初に分岐した現代人集団は30万~11万年前頃に出現したようだ、と推定されており、20万~162000年前頃との傾向で合意があります。しかし、現代人はこれらの年代からずっと遠く、未知の先史時代の人口移動と混合事象により隔てられており、その全てがこれらの推定値の正確さに影響を及ぼします。古代DNAの新興分野は、知識におけるこれらの盲点を減少させる、新たな手段を導入し、これらの問題に対する一連の新たな証拠をもたらします。古代型のヒトと初期現生人類の古代ゲノム配列を含めることにより、最も深い現生人類集団の分岐、つまりコイサン人(Khoi-San)と他集団との間分岐年代は、早ければ35万~26万年前頃に始まったかもしれません(関連記事)。

 これらの年代が将来どう改訂されるかに関わらず、現生人類集団はその中に深く分岐した下部構造を含んでいるようで、現生人類の遺伝的文化の始まりは、現生人類の形態と行動の変化の出現直後に起きたようです。本論文は、初期現生人類のゲノムの研究が、現生人類の生存と拡大の独特な来歴に役割を果たしたかもしれない、あり得る特徴について語ることができるものを調べます。これらの手法は、現生人類系統につながる重要な表現型の変化を探る古代型のヒトと現生人類の配列の比較という直接的なもの、あるいは、現生人類の活動と生活史の手がかりを導き出すための古代ゲノムの特徴の比較という間接的なもの、という両方で可能です。


●多様体の計算:直接的手法

 現生人類のゲノムを最近の高品質の古代型のヒトのゲノム配列と比較することによる、古代型のヒトもしくは現生人類に固有の遺伝的多様体の一式を整然と構築する試みは、現生人類の頭蓋形態の起源の調査と同様の難しさに直面してきました。現在、現生人類に存在するゲノム多様性の多くは、ネアンデルタール人とデニソワ人でも見つけることができます。この一部は、古代型のヒト集団と現生人類の祖先集団との間の、アフリカ外で相互に交配したさいの古代の混合事象に起因しますが、その一部は、現代人が他の古代型のヒトと共有する祖先人口集団に存在するずっと古い差異にたどることができ、そうした差異は一部の現代人集団で保持され、不完全な系統分類(incomplete lineage sorting、略してILS)と呼ばれる過程を通じて、他の現代人集団では保持されていません(図1A)。混同とILSに起因するヒトの遺伝的差異を区別するのに役立つ手法は存在しますが、この研究は、現時点では刊行されている僅かな数の古代型のヒトのゲノムで観察できる、古代型のヒトの多様性の限定的な知識により複雑になっています。

 現代人で見られる追加の深い人口下部構造のため、既知の古代型人口集団における明確な外群の発見は、さほど簡単ではありません。まとめると、現代の個体群のゲノム全体に分散している古代型のヒトの配列の範囲から、現代人のゲノムのほとんどの部位には、あるいは古代型の多様体があるかもしれない、と論証されます。共有された現生人類の独自性の遺伝的土台の情報をもたらすかもしれない、全ての現存現生人類集団に固有かつ普遍的の両方である派生的なアレル(対立遺伝子)の検索はこれまで、あらゆる混合もしくは古代型人口集団との共有ILSがないと分かっている源田成人のゲノム配列の、わずか7%に限られているでしょう(図1B)。このデータセット内では、RNAスプライシングに影響を及ぼすかもしれない一部の変化が特定されており、多くの他の候補多様体を探す研究が続いています。以下は本論文の図1です。
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 これらの調査を通じて、現代人全員に限られている派生的で固定されているアレルのよく定義された一式の代わりに、多くが局所的な選択圧への応答で高頻度に達した、空間的に制約された多様体の多様な配列に遭遇する、と明確になってきました。身長、寄生虫耐性、寒冷適応、肌の濃淡、目の色、海洋性や乳糖やデンプンの豊富な食性に影響を及ぼす地理的に構造化された遺伝的多様体は、現生人類の遺伝的多様性内で全て見られ、現在の多様性は依然として、先史時代を通じて現生人類を定義してきたものの一部です。遺伝的差異の広がりを理解するためには、現在の人口集団を超えて見なければなりません。現在子孫がいない現生人類集団から得られた古代ゲノムは、ヨーロッパとシベリアとアジア東部で見つかってきており(関連記事)、それぞれは消滅したヒトの異なる側面を表し、現生人類の真に共有されている一つの遺伝期特徴はその多様性だった、と想起させます。


●多様体を超えて:人口史と生活史の推測

 現生人類に固有の生物学的構成要素は骨格遺骸とゲノムデータから直接的に測定できますが、どの社会的および行動的特徴が古代型のヒトをアフリカで出現したより新しい集団と分離させた可能性があるのか、確実に知ることはできません。しかし、古代型のヒトと初期現生人類の高品質なゲノムの回収が進むにつれてついには、特定の生活史の事象が初期現生人類に残した痕跡を通じて、これらの違いの間接的な見解が得られました。まとめると、これらの違いは、現生人類個体群がその古代型の近縁分類群に対して有していたかもしれない、個体水準の有意性もしくは優れた特性はあまりなく、現生人類集団の連続的な拡大と発展を促進した、人口集団水準の正の反応の繰り返しという来歴をより多く形成しているようです(図2)。以下は本論文の図2です。
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●数の力:人口規模

 配列水準においてひじょうに類似したゲノムがあるにも関わらず、重要な区別が現生人類と古代型のヒトのゲノムデータから明らかになってきており、それは過去の現生人類集団の一貫してより大きな人口規模です。これは、古代型の人口集団で推定されているずっと小さな有効人口規模とは明らかに対照的です。ある人口集団内の個体群がそのゲノムの一部を共有祖先の小さな集団から継承している場合、これらの領域は異型接合性を減少させ、それぞれの親からの半数体ゲノムは互いに類似しているように見えます。

 アルタイ山脈の近くで54000年前頃に暮らしていたある後期ネアンデルタール人家族のゲノムの低い異型接合性量は、絶滅危惧種のマウンテンゴリラと類似した有効人口規模と一致しました(関連記事)。これは、その存在の黄昏における孤立した辺境人口集団の結果ではなかったようで、それは、ともにシベリア南部のアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)で発見された、ずっと古い12万年前頃に暮らしていたネアンデルタール人と、65000年前頃に暮らしていたデニソワ人も、低い異型接合性水準を有していると分かり(関連記事)、ユーラシア西部のネアンデルタール人のゲノムは全て、どの現代人集団よりも相互にずっと低い分岐を共有しているからです。

 有効人口規模が単純に上部旧石器時代ユーラシアにおける全ヒト集団の特徴だったのかどうかは、初期現生人類に目を向けることにより効果を減じることができます。ネアンデルタール人をまだヨーロッパで見つけることのできる45000年前頃に、シベリア南部西方のウスチイシム(Ust’-Ishim)近郊のイルティシ川(Irtysh River)の土手で発見された現生人類1個体(関連記事)は、古代型ヒト集団より4倍高く、多くの現在の非アフリカ系人口集団よりも高い異型接合性を有していました。さらにヨーロッパ東部の平原に位置するスンギール(Sunghir)遺跡の34000年前頃となる集団埋葬と、シベリア北部の32000年前頃の遺骸から、これら初期現生人類は近親交配の兆候なしで比較的大きな有効人口規模を維持していた、と示されます(関連記事)。

 旧石器時代のゲノムに加えて、この高い遺伝的異質性は、アフリカにおける最初に分岐した集団の現代人集団で観察されており、ウスチイシム個体のゲノムと、最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)の気候圧力に続いてヨーロッパで再度見られるように、「出アフリカ」過程における多様性減少後のボトルネック(瓶首効果)後の、遺伝的異質性回復を可能としました。アマゾン熱帯雨林のスルイ人(Surui)やカリティアナ人(Karitiana)など、最低の異型接合性水準の現代人の集団でさえ、これまでに観察された古代型のヒトのゲノムよりも高い多様性を有しています。

 数千年にわたって広範な距離で高水準の遺伝的多様性を維持する現生人類の能力はおそらく、古代ゲノムから学べる、現生人類集団と古代型のヒト集団との間の最も明確な人口集団水準の違いです。この特徴の普遍性のより深い理解のためには、より多くの古代と現在の現生人類のゲノムが必要でしょうが、考古学的証拠からの裏づけが見つかります。後期更新世には、遺跡と人工遺物多様性の増加、生計柔軟性の拡大、アフリカの大半にわたる居住の生態的地位の拡大が見られます。出アフリカ事象が含まれるその期間には、中期石器時代人口集団はそれ以前の人類よりも、多くの空間に居住し、多くの道具を作り、多くの獲物を処理していました(関連記事)。

 比較的大きく相互作用する集団の交流網維持の有意性は、自身の維持を促進する、正の反応機序として機能できます。大規模な人口集団はより広範な地域を利用でき、それは、局所的な困難や絶滅に直面したさいに、より広範な人口を維持する人口統計学的危機防止策として機能できます。大きな人口集団により維持された遺伝的多様性は、気候および環境圧力へのより柔軟な進化的反応も可能とし、それは移動もしくは居住のための新たな地域を開くかもしれません。これらの新たな課題は、次に革新が起きる可能性増加を示すかもしれません。人口規模と個体の適応度との間の正の相関は、時にはアリー効果(Allee effect)と呼ばれ、多くの協力的もしくは密な依存活動を説明できるかもしれず、そうした活動では、より大きな人口集団は、より小さくてより孤立した人口集団に対して、子育てや防衛や資源管理や仲間探しなどで有利かもしれません。


●家族の役割

 生活史の家族集団の組成と親族関係の側面も、現生人類集団の人口統計学的有意の維持に役割を果たしたかもしれません。骨格遺骸の研究から、子供期の成長と成人の死亡パターンとの間には検出可能な差異がほとんどない、と示唆されてきて、その代わりに、恐らくは出生率や子供の死亡率や他の社会習慣の違いを含むことへと焦点が変わってきました。しかし、家族構造と個体間の相互作用の証拠は、考古学的資料からの推測は困難でした。旧石器時代のヒト家族の完全な詳しいゲノム概要はまだ実行されていませんが、スンギール遺跡の集団埋葬から公表された証拠は、現生人類が近親者と子供を儲けることを避けていたかもしれない、と示唆しているようです。

 女性が自身の家族集団外で暮らすために移住する女性族外婚の証拠も、明らかでした(関連記事)。これらの結果がより広範な裏づけを得るならば、この慣行【女性族外婚】が多様な遺伝子プールを維持する一因だった、と示唆しているかもしれません。アルタイ地域のネアンデルタール人とデニソワ人両方のゲノムから得られた対応する分析(関連記事)は、近親交配の兆候を示しており、直近の祖先に密接な親族がいました【アルタイ地域のデニソワ人については、自身も直近の祖先でも近親交配は確認されていないと思います】。

 これは、どの程度行動的特徴を表しているか、あるいは単に低い局所的な人口密度の環境だったのかに関わらず、近親交配の個体における有害な変異の蓄積に起因する適応度現象により、一部の古代型のヒト集団は新たなもしくは変動する選択圧により脆弱になったかもしれません。興味深いことに、ミトコンドリアとY染色体の多様性から、ネアンデルタール人も女性族外婚を行なっていた、と示唆されます(関連記事)。この調査結果は、要因間の相互作用の重要性を論証します。つまり族外婚は、人口集団の健康に測定可能な影響を及ぼすために、人口集団水準での健全なゲノム多様性の基礎的な背景を必要とするかもしれない、ということです。


●アフリカから各地への移住と適応

 現生人類は大陸を横断し、新たな緯度や標高に適応した最初の人類ではありませんでした。しかし、現生人類で際立っているのは、この現象の速さと範囲の両方です。7万年前頃未満という比較的短い期間に、現生人類はアフリカを去り、全ての破損の古代型のヒト集団の組み合わされた領域だけではなく、ワラセア線を通ってサフル(更新世の寒冷期には現在のオーストラリア大陸とニューギニア島とタスマニア島は陸続きでした)へと入り、ベーリンジア(ベーリング陸橋)からアメリカ大陸へと移動し、太平洋のほとんどの孤立した島々に植民し、遠景のため一歩下がるならば、北極および南極と月へと続きました。

 拡大のこの初期から得られたゲノムは、毛のこの特徴について何を語ることができるでしょうか?上述のように、高い有効人口規模の維持は、急速に拡大する人口集団にいくつかの利点をもたらします。それは高水準のゲノム異質性を可能として、高いゲノム異質性は新たな環境もしくは気候の特定の課題に遭遇するさいに必要な適応への原料を提供でき、それはたとえば、アジア東部北方のエクトジスプラシンA受容体(ectodysplasin A receptor、略してEDAR)多様体で、このEDAR多様体はLGMにおいて選択圧への応答で頻度が上昇したようです。

 他の多くの遺伝的多様体が特徴づけられてきており、たとえば、少ない紫外線の緯度でビタミンD合成を助けるかもしれない肌の色をより明るくする多様体や、熱帯地域で見られるマラリアやアフリカ睡眠病の原因となる原虫に感染した昆虫に対抗する多様体などです。現生人類の人口規模は、牧畜生活様式の採用に続く乳糖分解酵素耐性の増加など、変化する資源もしくは新たな革新への有益な生物学的反応を見つける可能性も増加させます。この事例では、大きく多様な人口集団では、地理的に隔離されているものの、全て乳糖分解酵素耐性の同じ表現型をもたらす、複数の遺伝的多様体の出現を可能としました。

 現生人類は移動したさいに互いとのみ交配したわけでもなく、増え続ける証拠から、現生人類は遭遇した古代型の人々とたびたび混合し、時には適応的過程を跳躍する有利な局所的アレルを取り込みました。このように、恐らくはデニソワ人で進化し、低酸素環境への有害な生理学的反応を軽減させるEPAS1(Endothelial PAS Domain Protein 1、内皮PASドメインタンパク質1)により、チベット高原の現代の住民は、この地域の高地に耐えられるようになりました(関連記事)。


●道具製作者の追跡

 中期石器時代への移行を定義する技術的変化は、アフリカにおいて現生人類の形態の出現を伴いました(関連記事)。アフリカ外では、古代DNAは、ヒト集団がどの種類の人工遺物と関連しているのか、特定するのに用いられ、現生人類集団を初期上部旧石器(Initial Upper Paleolithic、略してIUP)もしくはプロトオーリナシアン(Proto-Aurignacian、先オーリニャック文化)インダストリーの導入および拡大と関連づけてきました(関連記事1および関連記事2)。

 文化と技術の革新は、あり得るアリー効果の別の事例です。大きな人口集団は、人口の多様性水準の維持や拡散の機会を再度増加させる、資源の利用の改善や新たな環境での居住を可能とする、新技術を生み出す可能性を増加させます。道具と装飾品の地域的な多様性は、上部旧石器時代に現生人類集団において、およびユーラシア西部外で発見された同等の技術全体で顕著に増加し、これは歴史時代へと続いた現象です。人工遺物から直接的に古代DNAを回収した最近の研究(関連記事)により、人口集団とその所有物との間のつながりをより深く追跡できるようになるかもしれません。


●まとめ

 本論文は、古ゲノムデータが現生人類の進化経路をたどるのに使用できる二つの異なる手法を概説し、各手法が対象の異なる側面と把握しがたいところをどのように明らかにするのか、示してきました。現時点で、直接的な配列多様体の比較に必要な古代型のヒトの多様性や、系統分類に寄与した古代型のヒト集団や初期現生人類集団の人口構造のより包括的な理解は不足しています。古代ゲノムは、現生人類の過去の移動と配偶パターンと人口規模および多様性の歴史について、多くのことを教えてくれました。しかし、社会慣行など生活史に関するいくつかの追加の示唆は、これらの手法で決定的に論証することは困難です。これらの限界は両方とも、重要な期間と場所から得られたより多くのゲノムの配列決定によりある程度は克服できますが、現生人類の進化にとって重要な多くの地域では、ヒト遺骸は少なく、DNAの保存は稀です。

 古ゲノミクスが現生人類の起源に関する問題についてもたらした最初の成果は、単一の地域もしくは瞬間を超えて始まった、深く構造化された始まりとの合意が広がりつつあることと一致します。古ゲノミクスが示した、初期現生人類を地球規模の軌跡で古代型人口集団と区別した違いにも関わらず、類似性も顕著です。移動と適応と革新と混合は現生人類集団に固有ではなく、多くの他種が現生人類で観察される地理的範囲の広範な拡大もしくは人口規模なしに、高水準の遺伝的多様性を維持してきました。

 古代型のヒト集団と比較しての現生人類のゲノム異質性と人口規模の豊かさの根底にある原因が何であり、この重要な有意性は現生人類の発展史の複数の領域で正の影響を及ぼし、多くの遺伝的ボトルネックと局所的な絶滅を克服し、地球規模での連続を可能としたかもしれません。これまでの証拠は、古代の錠剤の遺伝的構造か混合か最近の変異を通じて獲得された遺伝的資源を利用した、適応の役割も浮き彫りにします。古代のゲノムに残った痕跡を通じてこれらの事象を記録することは、過去の人口史の重要な空白地域を埋め、現生人類がたどった経路をより正確に浮き彫りにするでしょう。


参考文献:
Bennett EA, and Fu Q.(2024): Ancient genomes and the evolutionary path of modern humans. Cell, 187, 5, 1042–1046.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2024.01.047

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