更新世以前の人類社会の認識

 これまで当ブログでは、更新世以前の人類社会がどのようなものだったのか、何度か言及してきました。以前より更新世人類の社会構成について関心はありましたが、あまりにも勉強不足なので、16年前(2008年3月)に人類史についてまとめたさいにも、ほとんど言及できませんでした(関連記事)。その後も、更新世人類の社会構成についてさほど関心が高かったわけではありませんが、転機になったのは、2011年1月に当ブログでネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)社会における父方居住の可能性が推測された研究を取り上げたことでした(関連記事)。

 これ以降、「唯物史観」により定着したと思われる、人類の「原始社会」は「母系制」だった、との見解に改めて強い疑問を抱くとともに、更新世以前の人類社会への関心が以前よりずっと強くなって、関連文献を読む機会も当ブログでの言及も増えました。近年では、更新世人類の社会構成と「唯物史観」について何度か言及することもあり、昨年(2023年)6月に短くまとめてみましたが(関連記事)、正直なところ「唯物史観」についての理解がきわめて浅いので、かなり偏っているのではないか、との懸念はずっとありました。

 最近、検索して見つけた論文(新田., 2023)の著者である新田滋氏は、マルクス経済学者というか、宇野学派の経済学者で、もちろん「唯物史観」の理解は私よりはるかに深いというか、そもそも比較対象にさえならないので、「唯物史観」的な人類進化史の把握が、「唯物史観」を深く理解している識者には現在どう評価されているのか、確認するために読みました。正直なところ、私の知見では新田., 2023を的確には理解できていないでしょうから、更新世以前の人類社会との関連のみで、興味深く思った新田氏の指摘を取り上げていきます。

 新田., 2023では、それ以前の論文(新田., 2022)において、マルクス自身の歴史研究が、エンゲルス以降の「史的唯物論の公式」とは異なり、どの社会も普遍的に原始共同態(Urgemeinschaft)から奴隷制社会へと直接的に移行したのではなく、中間段階にはアジア的共同体=「農業共同体」が普遍的に介在し、西欧以外の諸地域には近代に至るまでそれらが広汎に存続したとするとともに、奴隷制や農奴制を特定の発展段階と結びつける発想もなかったという限りにおいて、当時の実証的な研究水準を反映したものだったと確認された、と指摘されています。

 マルクスの草稿研究によって明らかとされてきた本来の唯物史観は、いわゆる「史的唯物論の公式」とはまったく異なるもので、必要な修正が加えられれば、実証的な歴史科学の研究プログラムとしてすぐれた可能性を有している、と新田., 2022は指摘します。この認識がどこまで妥当なのか、マルクスに関する理解がきわめて浅い私には的確な判断はとてもできませんが、通俗的に認識されている「史的唯物論」が、当初のマルクスの構想・認識とは大きく異なるものだったことは、重要な指摘となるのでしょう。まあ、マルクスに肯定的な思い入れがない私にとっては、マルクスにそこまで拘る意味が現在あるのか、疑問も残りますが、それはマルクスに関する私の理解がきわめて浅いからなのかもしれません。

 新田., 2023はまず、残念ながら19 世紀後半の研究水準の摂取に務めていたマルクスの歴史認識は、今日ではほぼ全面的といってよいほどに修正を必要とするものとなっている、と指摘します。それには更新世など先史時代も含まれており、これが現時点での妥当な認識なのでしょう。ただ、人類の「原始社会」は「母系制」だったとか、近親も対象とした「乱婚」だったとかいった「唯物史観」により広まったと考えられる認識は、現在でも一般層には「常識」として強く定着しているようにも思われるので、現在でもマルクスの歴史認識を改めて否定する必要性はあるのでしょう。

 その「原始社会」の構造について新田., 2023は、最晩年のマルクスはエンゲルスとともにモルガン『古代社会』に依拠し、原始的な氏族(Gens)が集団婚で、家族と私有財産は「未開中位・上位」における氏族の解体過程において萌芽してくると考えていたものの、このような認識は早い時期から人類学者の間で疑問視されてきており、現在ではほぼ完全に否定されるに至っている、と指摘します。新田., 2023は近年の霊長類学や考古学などの研究成果を踏まえて、人類が他の類人猿(ヒト上科)と分岐する段階から一夫一婦制だった、と推測します。その根拠として、初期人類の時点で比較的小さい犬歯の性的二型が挙げられていますが、アウストラロピテクス属などでは身体サイズの性差が大きかった、との指摘もあり(関連記事)、初期人類が一夫一婦制と確証されたわけではないように思います。

 これと関連して、現生非ヒト類人猿では、オランウータンを除いて一貫して雄と比較して雌が遠くに分散する雌偏向分散を示す、と明らかになったことも、新田., 2023では「史的唯物論の公式」に修正を迫るものとして挙げられており、これは重要な指摘になると思います。じっさい、現代人の直接的祖先ではなさそうなアウストラロピテクス・アフリカヌス(Australopithecus africanus)もパラントロプス・ロブストス(Paranthropus robustus)も、雄よりも雌の方が移動範囲は広い、と指摘されています(関連記事)。またネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)についても、父方居住の可能性を強く示唆する遺伝学的証拠が得られており(関連記事)、これらは人類の「原始社会」が「史的唯物論の公式」で想定されるような「母系制」ではなかった有力な証拠になるでしょう。

 また新田., 2023では、現生人類(Homo sapiens)だけではなくネアンデルタール人など他の人類でも、近親交配を避ける形での交配は生得的なものだっただろう、と指摘されており、これもまず間違いなく妥当な認識でしょう。近親交配を避ける形での交配は人類系統に限らず広く霊長類で見られ、更新世の人類社会では、それが他の類人猿と同様に、雌が(出生集団から)遠くに移動することで維持されてきたのでしょう。新田., 2023では、「氏族は集団婚であり、近親交配を避ける一夫一婦制の核家族はより後代の産物であるとしたモルガンやマルクス、エンゲルスの認識は、もはや今日では類人猿の段階に遡って否定されているわけである」と指摘されています。

 また新田., 2023では、先史時代の人類社会が、食料源により柔軟に規模を変えた可能性も指摘されており、これも重要だと思います。たとえば、大型動物を主要な食料源とした集団の規模は大きくなる傾向にあり、小型動物や植物資源を主要な食料源とすると、集団規模は小さくなるのではないか、というわけです。恐らく、人類系統でも現生人類においてこうした柔軟性はとくに発達しており、雌が出生集団から移動しないような社会や、出生集団から移動しても出生集団と関係を維持し続けるような、双系的社会が形成されていったのではないか、と思います。

 この他にも新田., 2023や新田., 2022の指摘には深く考えさせられるものがあり、私の見識ではごく一部に言及できただけなので、今後の課題となります。「史的唯物論の公式」は今では否定・克服されたとして、その影響力を過大視することに否定的な人は少なくないかもしれませんが、呉座勇一『戦争の日本中世史 「下剋上」は本当にあったのか』(関連記事)で指摘されているように、人々は今でも無意識のうちに「史的唯物論の公式」に拘束されており、克服されたとの認識により、かえって唯物史観の影響に気づきにくくなっているのかもしれません。その意味で、たとえば呉座勇一氏の階級闘争史観への拘りを「死体蹴り」とか「周回遅れ」とか冷笑することについては、大いに疑問に思っています。


参考文献:
新田滋(2022)「マルクスの唯物史観と歴史科学の可能性」『専修大学社会科学研究所社会科学年報 』第56号P229-257

新田滋(2023)「マルクス歴史理論の実証研究によるフィードバック」『専修大学社会科学研究所社会科学年報 』第57号P151-176

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