古代ゲノム研究から推測されるヒトの過去の社会

 取り上げるのが遅れてしまいましたが、古代ゲノム研究から推測されるヒトの過去の社会に関する解説(Orlando., 2023)が公表されました。本論文は、世界の過去のヒト社会に関する複数の遺伝学的研究を取り上げており、この問題の把握にたいへん有益だと思います。この分野の研究が最も進んでいるのはやはりヨーロッパで、今後の課題はヨーロッパ以外の地域の研究となります。日本人である私としては、やはり日本列島も含めてアジア東部の古代ゲノム研究による過去のヒト社会の解明が進むよう、期待しています。


●解説

 親族関係、もしくは同じ家族の構成員を結びつけるものは、ヒト社会における関係の網を基本的に構築します。過去数世紀にわたって、民族誌学者は世界中のひじょうに広範な親族関係制度を記録してきており、そうした親族関係制度では血のつながりが不可欠のものから無関係なものであるかもしれません。父系は最も頻度の高い精度で、家族の構成員はその父親の系統にのみ由来します。父方居住(もしくは女性族外婚)と関連する場合、女性は夫の出身地域に移住します。そうした結婚と居住の習慣は通常、歴史的な文献から推測できます。しかし、結婚や居住の習慣は、記録のないより深い過去については、多くの場合で謎のままです。PNASで、古代DNA研究の最近発展に基づく論文(関連記事)は、アジア中央部に暮らしていた牧畜共同体の家系と結婚と居住の慣行を明らかにします。その研究は、男性兄弟が、共同体や草原地帯全域の数百kmにわたってつながっている相互作用網の中心にいた、父系的世界を解明します。

 ネプルイエフスキー(Nepluyevsky)遺跡の考古学は、ウラル南部の家畜飼育者の青銅器時代のネクロポリス(大規模共同墓地)を描写します。最長で50年間以内に堆積した44点の骨格のあるクルガン(墳丘)1号は、ネプルイエフスキー遺跡における最大の古墳を表しています。クルガン1号は、古代ゲノム研究(関連記事)の焦点でした。明らかに、女性はこのネプルイエフスキー遺跡共同体において男性と同じ生活をしておらず、平均余命は男性より短く、5~14歳で死亡した場合には埋葬さえされませんでした。

 32個体の遺骸に保存されたDNAは、ミトコンドリアハプロタイプの多様性を明らかにし、それはほぼ唯一のY染色体ハプログループ(YHg)とは対照的でした。ミトコンドリアDNA(mtDNA)は母親を通じて継承され、Y染色体は父親を通じて継承されるので、遺伝的パターンは恐らく父系で父方居住の共同体を示し、単一の男性により創始された地元の氏族を維持しながら、多様な起源の成人女性が組み込まれました。しかし、観察されたパターンは、その頃にこの地域全体で利用可能なY染色体の限定的な多様性も反映しているかもしれません。

 父系性の確証は、両親から継承される常染色体の遺伝的差異に注目すると、得られました。常染色体では、男性の組み合わせは女性の組み合わせよりも遺伝的関連しており、検証された個体のほぼ2/3が遺伝的に3親等までの親族関係にあった、と分かりました。じっさい、古墳は3世代にわたる系図を囲い込んでおり、6人の兄弟とその妻や子供や孫を中心に構成されていました。このDNA家系図の最年長の兄は、他の弟が多くて3人の子供を儲けたのに対して、8人の子供を儲けており、2人の女性と子供を儲けた唯一の男性でした。これは、この共同体における最年長の息子のより高い地位を示しています。収集されたデータから、その女性配偶者はさまざまな生物学的家族出身であるものの、遷移的一夫一婦なのか、それとも一夫多妻が関わっていたのかについては、沈黙している、と示されます。

 成人系統の娘はネプルイエフスキー遺跡では発見されず、女性族外婚と一致します。男性27個体のうち2個体のみが、密接な血縁のつながりの証拠を示しませんが、6~10世代以内で他の共同体の構成員と関連していました。実に驚くべきことに、研究者がこの検証を以前に分析された草原地帯の1000個体以上の古代人に拡張すると、ネプルイエフスキー遺跡共同体の構成員との多くの明確な一致が発見され、周囲50km以内だけてばなく、ずっと遠方のウクライナやロシア西部、またはるか当方では中国やシベリア南西部とも一致しました。これは、ネプルイエフスキー遺跡共同体がより広範な青銅器時代交流網に組み込まれ、その接続性に関して高解像度の新たな信頼できる手法を提供する、と論証しています。

 ネプルイエフスキー遺跡に関する研究での父系の発見は、ウシを飼う社会についての民族誌的報告と一致し、そうした社会は、男性が容易にその神父に対価を払うために簡単に譲れる、遊動的な家畜の形態で富を蓄積します。女性族外婚は、密接な生物学的親族ではない配偶者を提供することにより、近親交配も防ぎます。興味深いことに、父系親族関係制度の考慮は、過去のヒト拡大の以前に報告されたパターンの一部について、男性主導の戦争だけではない別の物語を提供します。たとえば、牧草地獲得のための絶え間ない競争が、父系牧畜集団の移住の動機づけとなったならば、特定の男性系統とより多くの遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)が男性を通じて広範な地域に広がったでしょう(関連記事)。男性を媒介とした遺伝的拡大のそうした明らかな兆候は、父系農耕氏族が新たな土地に移動するさい、とくにより流動的な居住習慣を行なっていた狩猟採集民により居住されていた地域(たとえば、配偶者どちらかの遺伝的親族近くに居住する夫婦)に到達した場合にも発展します(関連記事)。

 古代DNAを用いて埋葬の堆積パターンを特定することは、新しくはありません。結局のところ、死者の世界の仕組みは、死者を埋葬した人々による決定を反映しているので、生者の世界における社会的慣習の鏡を提供します(表1)。エナメル質の同位体分析と組み合わせると、DNA検証は移動性と食性に関する情報をもたらすことができます。次に、遺伝的に同定された家系に属さない母親が同位体部外者として証明でき、女性族外婚の確証とその出身地域の特定ができます(関連記事1および関連記事2)。墓地に埋葬されたその家系に属さない息子から、以前の結婚から生まれたそのような息子は、その新たな共同体に加わった、と論証できます。

 ブリテン島のヘイズルトン・ノース(Hazelton North)の巨石墓で示された5世代にわたる家系は、女性族外婚を行ない、継子を受け入れていた、父系新石器時代共同体のそうした事例を明らかにしました(関連記事)。逆に、その「親知らず」に地元の同位体痕跡を有していたものの、生涯でより早く萌出する第一大臼歯では地元ではない同位体痕跡を有していた系統の男性は、思春期(5~20歳)を地元から離れて過ごしていたものの、最終的には成人として故郷に戻った個体を表しています。他の氏族との同盟を強化する養子の息子かもしれないそうした事例は、オーストリアのレヒ(Lech)川渓谷の初期青銅器時代共同体(関連記事)と、ドイツ南部の鐘状ビーカー(Bell Beaker、略してBB)文化共同体(関連記事)で示唆されてきました。

 これまで、ほとんどの古代DNA研究は父系と父方居住の制度を報告してきました(表1)。しかし、フランスのギュルジー(Gurgy)の「レス・ノイサッツ(les Noisats)」遺跡の新石器時代巨石墓は、そうした慣習が常に厳密に適用されていたわけではないことを想起させ、それは、一部の成人の系統に属する女性が墓に埋葬され、系統に属さない男性と子供を儲けてさえいたからです(関連記事)。父系性の一つの例外はユーラシア完新世(ほとんどの古代DNA研究を惹きつけています)以外で報告されており、チャコ渓谷(Chaco Canyon)で調べられた先コロンブス期の埋葬地下室は、プエブロ・ボニート(Pueblo Bonito)遺跡のエリートの母系王朝のもので、この王朝はアメリカ大陸南西部全域で複雑な階層的政治形態を発展させました(関連記事)。アナトリア半島のチャタルヒュユク(Çatalhöyük)遺跡およびバルシン・ヒュユク(Barcın Höyük)遺跡の新石器時代共同体では別の驚くべき例外が見つかり、それらの遺跡では同じ家屋の中および周囲に埋葬された人々が、遺伝的にほぼ親族関係になく、これは当時の社会的近縁性の重要性を主張します。

 骨格の空間分布も、重要な社会的手がかりを保持しています。たとえば、ポーランドのコシツェ(Koszyce)村における4800年前頃の虐殺犠牲者は単一の細い穴状の遺構に他世紀しており、母親と子供がともにまとめられており、根底にある共同体の核家族の構造的役割を示唆しています(関連記事)。ギュルジーでは、父親と息子が遺伝的親族の他のすべての組み合わせよりも相互の近くで埋葬されており、下位家系がほぼ空間的に特定され、誰がどこに埋葬されたのかについて、共同体水準の知識が示唆されます(関連記事)。同様に、ヘイズルトン・ノースの玄室はおもに異なる母方2系統を含んでいました。これは、父系共同体でさえ、創始者の女性が集団の記憶において重要な役割を果たしていたかもしれない、と示しています(関連記事)。

 武器や装飾品や土器など副葬品がDNA系統樹にどのように従うのか追跡することは、富の創造パターンの理解にも役立ってきました。たとえば、レヒ川渓谷の初期青銅器時代遺跡群全体では、親族関係らない男性よりも、系統に属する男性の墓で武器の堆積がより多く、父系での富の相続が示唆されます(関連記事)。この慣習は普遍的ではなく、セルビアのバナト(Banat)北部のキキンダ(Kikinda)町近くに位置する初期青銅器時代のモクリン(Mokrin)遺跡は、低位の息子とともに埋葬された高位の母親とその逆の両方を示しました(関連記事)。レヒ川渓谷では、低位で遺伝的に関連していない地元の個体群が、裕福な系統の男性およびその裕福な地元外の妻とともに共存している、と確認され、奴隷が家族に組み込まれていた、と示唆されました(関連記事)。

 古代DNA技術が過去の社会生活の解明にますます適用されていることは、賞賛するしかありません。しかし要注意なのは、社会的経験が生物学的データだけから見えるものよりずっと複雑であることです。性別核型はすぐに世界の二元的分類を誘いますが、男女を超えた他の関連する識別が、人々の自己認識の中心としてますます認識されつつあります。遺伝学的に特定するのが容易という理由でそうした分類を過去に強制することは、本質的な過去の現実を否定する危険性があるかもしれません。同様に、民族誌は、親族が系図の階層に従って定義されない共同体の多くの事例を提供します(たとえば、親子関係はオジやオバに拡張されます)。

 親子関係を含めて自己認識は、生涯を通じて展開し続ける動的な実態でもあるかもしれません。高解像度の連続的なエナメル質同位体系列などの一部の考古学的技術や、恐らくは社会的不平等の指標のエピジェネティックな鑑定は、個体の生涯における重要な変化の解明に役立てます。そうした技術は、過去の社会的自己認識の流動性のより微妙な見解の把握に役立つかもしれません。興味深いことに、多くの研究はより大きな系統の共同体とともに埋葬された、遺伝的に関連していない一部の成人を報告してきました(関連記事)。全範囲の考古学的な手法一式をそうした個体に適用し、その真の社会的現実を洗練し、できれば、最も普及していない社会慣習のより微妙な顕現を解明することが不可欠です。過去についての本質的な物語の展開をさけるために、物質的な考古学的記録に保存されているかもしれない社会的複雑さの、必然的に過度に単純化され、縮小された理解を認識することも重要です。

 本論文の見解では、将来の研究はヒトと非ヒトの両方に適用されるべきです。たとえば、家畜動物は人生の伴侶で富の生物文化的形態だけではなく、威信の象徴でもあります。牧畜集団における女性族外婚と動物交換の地理を地図化すると、より大きな共同体間の同盟強化としての移動性パターンの理解を促進させられるかもしれません。さらに、一部の遺跡では、動物犠牲の儀式慣行が記録されており、それは当時の全共同体により定められた社会的慣習の多様性への優れた窓を提供します。遺伝的親族としてなのか、あるいは、遺伝学的もしくはエピジェネティック的に今や予測できる、特別な年齢や性別や審美や行動や性能表現型についてなのかどうか、犠牲となった動物が選択された理由と、その埋葬パターンの検証は、過去の社会慣行と経済的同盟の解明にかなりの可能性を秘めています。葬儀の供物として埋葬されると、死後の信仰や社会的表現の過去の体系への洞察を得るための、例外的な機会も提供されます。


参考文献:
Orlando L.(2023): A genetic window into the human social past. PNAS, 120, 37, e2312672120.
https://doi.org/10.1073/pnas.2312672120

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