ヒト上科の尾の喪失の遺伝的基盤
現代人も含まれるヒト上科(他にはチンパンジーやゴリラやオランウータンやテナガザルなど)の尾の喪失の遺伝的基盤に関する研究(Xia et al., 2024)が公表されました。ヒト上科はボンネットマカク(Macaca radiata)など他の霊長類種と異なり尾を有しておらず、進化の過程で尾が失われた、と考えられています。尾の喪失は現生ヒト上科につながる進化系統で生じた最も顕著な身体的変化の一つで、ヒトの二足歩行への寄与に役割を果たしたという説も提示されていますが、ヒト上科の進化において尾の喪失を促進した遺伝的機構は解明されていません。
本論文は、現生ヒト上科の祖先のゲノムにおける単一のAluエレメントの挿入が尾の喪失という進化に寄与した可能性を示す、遺伝的証拠を提示します。本論文は、ヒト上科動物の尾の喪失の原因となった可能性のある変化を見つけるため、脊椎動物の尾の発生に関連する140の遺伝子を調べ、ヒト上科動物の祖先のTBXT遺伝子(尾を持つ動物の尾の発生に関連する遺伝子)の特定の部位における特定のAlu配列の挿入が尾の喪失に寄与したかもしれない、という仮説を立てました。
TBXT遺伝子のイントロンに挿入されたこのAluエレメントは、ゲノム上で逆向きにコードされている近傍の祖先的Aluエレメントと対をなし、ヒト上科に特異的な選択的スプライシング事象を生じさせている、と実証されました。本論文はこのスプライシング事象の影響を調べるため、TBXTの完全長アイソフォームとエキソンがスキップされたアイソフォームをともに発現し、ヒト上科オルソログTBXTの発現パターンを模倣する、マウスモデルを複数作製しました。
その結果、両方のTBXTアイソフォームを発現するマウスには、胚の尾芽におけるTBXTアイソフォームの相対的発現量に応じて、尾の完全な喪失や短縮が認められました。これらの結果は、エキソンがスキップされた転写産物は尾の喪失という表現型を誘導するのに充分である、との見解を支持します。さらに、エキソンがスキップされたTBXTアイソフォームを発現するマウスは、ヒトの新生児の約1000人に1人に見られる疾患である、神経管閉鎖障害(NTD)を発症しました。
このように、尾の喪失という進化は、神経管閉鎖障害の可能性という適応負担と関連してきた可能性があり、これは現在のヒトの健康にも引き続き影響を及ぼしています。神経管欠損症の例としては、母親の子宮内で脊椎が正常に形成しなかった、二分脊椎症などがあります。この研究を契機に、現生ヒト上科において尾がないことに関して、今後さらなる遺伝学的研究が進むのではないか、と期待されます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。
進化学:ヒトと類人猿の進化における尾の喪失
ヒト上科動物(ヒトと類人猿)の進化の過程で尾が失われたことの遺伝的基盤を洞察する上で手掛かりとなる知見を報告する論文が、Natureに掲載される。今回、マウスを使って胚の発生をモデル化したところ、「ヒト上科動物に特異的な遺伝因子」が「尾の発生に関連する遺伝子」に挿入されると、タンパク質の新たなアイソフォームが産生されるようになり、これが尾の伸長を阻害することが判明した。この結果は、この遺伝因子が、ヒトと類人猿の尾の喪失の一因になったことを示唆している。さらに著者らは、ヒトと類人猿では、進化の過程で尾が喪失したために神経管欠損症が発生しやすくなった可能性があるという見解を示している。
ヒト上科動物(ヒト、チンパンジー、ゴリラ、オランウータン、テナガザルなど)は、他の霊長類種と異なり、尾を持たない。尾が失われたことは、ヒトや他の類人猿につながる進化系統で生じた最も顕著な身体的変化の1つだ。しかし、ヒト上科動物の進化において尾の喪失を促進した遺伝的機構は解明されていない。
今回、Bo Xia、Jef Boeke、Itai Yanaiらは、ヒト上科動物の尾の喪失の原因となった可能性のある変化を見つけるため、脊椎動物の尾の発生に関連する140の遺伝子を調べて、ヒト上科動物の祖先のTBXT遺伝子(尾を持つ動物の尾の発生に関連する遺伝子)の特定の部位に特定のAlu配列が挿入されたことが尾の喪失に寄与した可能性があるという仮説を立てた。この仮説を検証するため、著者らは、Tbxt遺伝子の完全長アイソフォームとエキソン欠落が生じたアイソフォーム(ヒト上科動物においてAlu配列の挿入によって誘導される)の両方を発現するマウスモデルを作製した。その結果、Tbxt遺伝子の2種のアイソフォームの両方を発現するマウスは、胚の尾芽での発現量の割合に応じて、尾を持たないか、または尾が短いことが判明した。著者らは、この結果が、エキソンの欠落が生じたTbxt遺伝子のアイソフォームが尾の喪失の一因であることを示す証拠になると示唆している。また、エキソンの欠落が生じたTbxt遺伝子のアイソフォームを発現するマウスが、神経管欠損症を発症する可能性があることも判明した。ヒトの場合、新生児の約1000人に1人が神経管欠損症を発症している。
著者らは、進化における尾の喪失は、今でもヒトの健康に影響を及ぼし続ける神経管欠損症の発症可能性という適応コストを伴うものだった可能性があるという考えを示している。神経管欠損症の例としては、母親の子宮内で脊椎が正常に形成しなかった二分脊椎症などがある。
進化学:ヒトと類人猿の尾の喪失という進化の遺伝的基盤について
Cover Story:しっぽの物語:ヒトと類人猿における尾の喪失を遺伝因子が助けた仕組み
類人猿とヒトにつながる進化系統に沿って生じた最も顕著な変化の1つが尾の喪失であり、類人猿とヒトはこの特徴によって、表紙に示すボンネットマカク(Macaca radiata)などのサル類と区別されている。しかし、この変化の根底にある遺伝的特徴はまだよく分かっていない。今回B Xia、J Boeke、I Yanaiたちは、単一のトランスポゾンが類人猿とヒトにおける尾の喪失に寄与した可能性があることを明らかにしている。彼らは、尾の発生に重要な遺伝子であるTBXTの非コード部分へのトランスポゾンの挿入が、この遺伝子の選択的スプライシングにつながることを見いだした。DNAがRNAに転写される際に、このスプライシングによって遺伝子のタンパク質コード部分の一部が除去される。著者たちは、これが尾の喪失に寄与している可能性があると示している。
参考文献:
Xia B. et al.(2024): On the genetic basis of tail-loss evolution in humans and apes. Nature, 626, 8001, 1042–1048.
https://doi.org/10.1038/s41586-024-07095-8
本論文は、現生ヒト上科の祖先のゲノムにおける単一のAluエレメントの挿入が尾の喪失という進化に寄与した可能性を示す、遺伝的証拠を提示します。本論文は、ヒト上科動物の尾の喪失の原因となった可能性のある変化を見つけるため、脊椎動物の尾の発生に関連する140の遺伝子を調べ、ヒト上科動物の祖先のTBXT遺伝子(尾を持つ動物の尾の発生に関連する遺伝子)の特定の部位における特定のAlu配列の挿入が尾の喪失に寄与したかもしれない、という仮説を立てました。
TBXT遺伝子のイントロンに挿入されたこのAluエレメントは、ゲノム上で逆向きにコードされている近傍の祖先的Aluエレメントと対をなし、ヒト上科に特異的な選択的スプライシング事象を生じさせている、と実証されました。本論文はこのスプライシング事象の影響を調べるため、TBXTの完全長アイソフォームとエキソンがスキップされたアイソフォームをともに発現し、ヒト上科オルソログTBXTの発現パターンを模倣する、マウスモデルを複数作製しました。
その結果、両方のTBXTアイソフォームを発現するマウスには、胚の尾芽におけるTBXTアイソフォームの相対的発現量に応じて、尾の完全な喪失や短縮が認められました。これらの結果は、エキソンがスキップされた転写産物は尾の喪失という表現型を誘導するのに充分である、との見解を支持します。さらに、エキソンがスキップされたTBXTアイソフォームを発現するマウスは、ヒトの新生児の約1000人に1人に見られる疾患である、神経管閉鎖障害(NTD)を発症しました。
このように、尾の喪失という進化は、神経管閉鎖障害の可能性という適応負担と関連してきた可能性があり、これは現在のヒトの健康にも引き続き影響を及ぼしています。神経管欠損症の例としては、母親の子宮内で脊椎が正常に形成しなかった、二分脊椎症などがあります。この研究を契機に、現生ヒト上科において尾がないことに関して、今後さらなる遺伝学的研究が進むのではないか、と期待されます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。
進化学:ヒトと類人猿の進化における尾の喪失
ヒト上科動物(ヒトと類人猿)の進化の過程で尾が失われたことの遺伝的基盤を洞察する上で手掛かりとなる知見を報告する論文が、Natureに掲載される。今回、マウスを使って胚の発生をモデル化したところ、「ヒト上科動物に特異的な遺伝因子」が「尾の発生に関連する遺伝子」に挿入されると、タンパク質の新たなアイソフォームが産生されるようになり、これが尾の伸長を阻害することが判明した。この結果は、この遺伝因子が、ヒトと類人猿の尾の喪失の一因になったことを示唆している。さらに著者らは、ヒトと類人猿では、進化の過程で尾が喪失したために神経管欠損症が発生しやすくなった可能性があるという見解を示している。
ヒト上科動物(ヒト、チンパンジー、ゴリラ、オランウータン、テナガザルなど)は、他の霊長類種と異なり、尾を持たない。尾が失われたことは、ヒトや他の類人猿につながる進化系統で生じた最も顕著な身体的変化の1つだ。しかし、ヒト上科動物の進化において尾の喪失を促進した遺伝的機構は解明されていない。
今回、Bo Xia、Jef Boeke、Itai Yanaiらは、ヒト上科動物の尾の喪失の原因となった可能性のある変化を見つけるため、脊椎動物の尾の発生に関連する140の遺伝子を調べて、ヒト上科動物の祖先のTBXT遺伝子(尾を持つ動物の尾の発生に関連する遺伝子)の特定の部位に特定のAlu配列が挿入されたことが尾の喪失に寄与した可能性があるという仮説を立てた。この仮説を検証するため、著者らは、Tbxt遺伝子の完全長アイソフォームとエキソン欠落が生じたアイソフォーム(ヒト上科動物においてAlu配列の挿入によって誘導される)の両方を発現するマウスモデルを作製した。その結果、Tbxt遺伝子の2種のアイソフォームの両方を発現するマウスは、胚の尾芽での発現量の割合に応じて、尾を持たないか、または尾が短いことが判明した。著者らは、この結果が、エキソンの欠落が生じたTbxt遺伝子のアイソフォームが尾の喪失の一因であることを示す証拠になると示唆している。また、エキソンの欠落が生じたTbxt遺伝子のアイソフォームを発現するマウスが、神経管欠損症を発症する可能性があることも判明した。ヒトの場合、新生児の約1000人に1人が神経管欠損症を発症している。
著者らは、進化における尾の喪失は、今でもヒトの健康に影響を及ぼし続ける神経管欠損症の発症可能性という適応コストを伴うものだった可能性があるという考えを示している。神経管欠損症の例としては、母親の子宮内で脊椎が正常に形成しなかった二分脊椎症などがある。
進化学:ヒトと類人猿の尾の喪失という進化の遺伝的基盤について
Cover Story:しっぽの物語:ヒトと類人猿における尾の喪失を遺伝因子が助けた仕組み
類人猿とヒトにつながる進化系統に沿って生じた最も顕著な変化の1つが尾の喪失であり、類人猿とヒトはこの特徴によって、表紙に示すボンネットマカク(Macaca radiata)などのサル類と区別されている。しかし、この変化の根底にある遺伝的特徴はまだよく分かっていない。今回B Xia、J Boeke、I Yanaiたちは、単一のトランスポゾンが類人猿とヒトにおける尾の喪失に寄与した可能性があることを明らかにしている。彼らは、尾の発生に重要な遺伝子であるTBXTの非コード部分へのトランスポゾンの挿入が、この遺伝子の選択的スプライシングにつながることを見いだした。DNAがRNAに転写される際に、このスプライシングによって遺伝子のタンパク質コード部分の一部が除去される。著者たちは、これが尾の喪失に寄与している可能性があると示している。
参考文献:
Xia B. et al.(2024): On the genetic basis of tail-loss evolution in humans and apes. Nature, 626, 8001, 1042–1048.
https://doi.org/10.1038/s41586-024-07095-8
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