ミトコンドリアゲノムから推測される日本列島の古代イヌの進化史
日本列島の縄文時代と奈良時代のイヌのミトコンドリアゲノムを報告した研究(Xiaokaiti et al., 2024)が公表されました。本論文は、日本列島では最古級となるイヌ遺骸を含めて縄文時代のイヌ5個体と、8世紀後期の日本のイヌ7個体のミトコンドリアゲノムを報告しています。縄文時代のイヌは母系遺伝となるミトコンドリアゲノムでは、中国南部の古代のイヌを中心とした個体群と近縁で、その分岐年代から11500~9300年前頃に日本列島にもたらされた、と推測されています。あくまでも母系からの観点で、解析数も時空間的な範囲も限定的ですが、注目される研究です。核DNAよりもミトコンドリアDNA(mtDNA)の方がはるかに解析は容易なので、今後も古代DNA研究においてmtDNAの果たす役割は大きいでしょう。これらの新たな知見は、人類の進化史と安易に結びつけてはならない、とも思いますが、縄文時代の日本列島の人類集団の形成過程との関連でもたいへん注目されます。
●要約
考古学的証拠から、イヌは日本では縄文時代となる遅くとも9300年前頃に現れた、と示唆されています。縄文時代のイヌ(縄文犬)は縄文時代を通じて古代のイエイヌ形態学的特徴を保持しており、これは恐らくユーラシア大陸のイヌからの地理的孤立に起因します。したがって、「縄文犬」【以下、「」で括りません】は古代のイエイヌの遺伝的特徴を保持している、と予測されます。この可能性を調べるため、日本では最古級のイヌの1個体を含む縄文犬5個体と、8世紀後期の日本のイヌ(須和田犬)7個体のミトコンドリアゲノムが決定されました。これらの配列は、古代および現代のイヌ科719個体のミトコンドリアゲノムとともに分析されました。
イヌのmtDNA配列は、6系統のクレード(単系統群)に分類され(ハプログループA~F)、クレードAは6系統の下位クレード(下位ハプログループA1~A6)で構成されます。縄文犬のmtDNAハプロタイプの分類から、これらのイヌは、他の現代および古代の標本により共有されていない、入れ子になったA2およびA3ハプログループに属している、と明らかになりました。縄文犬のmtDNA配列は、系統樹においてA3下位クレードの姉妹系統である単系統性のクレードを形成します。ネットワーク分析から、縄文犬のmtDNAの下位クレードは、中国南部の古代のイヌを中心とした、入れ子になったA2およびA3ハプロタイプ網の基底部近くで分岐した、と示されました。
縄文犬のmtDNAはA2とA3の分岐(12800年前頃)の直後(11500年前頃)にA3から分岐し、縄文犬の下位クレードの初期の分岐が示唆されます。これらの結果から、縄文犬はおそらく日本列島に11500~9300年前頃にもたらされた、と示唆されます。8世紀後期のイヌのmtDNAは、縄文犬よりも分岐しており、異なるハプログループで、他のハプログループはその後の期間における日本への人々の移住に伴うイヌの導入を通じて、縄文犬のハプログループを置換した可能性が高い、と示唆されます。
●研究史
イヌはヒトと密接な関係を築いた最古の家畜化された動物です。イヌの進化過程を理解するため、多くの研究がイヌのmtDNAで行なわれてきました。イヌの部分的および完全なミトコンドリアゲノムに関する研究から、イヌのmtDNA配列はA~Fの6クレードに分類される、と示されています。これらのクレードのうち、A~Cはイヌ個体群の95%を構成しており、クレードAは世界規模で見られますが、クレードBおよびCはアメリカ大陸を除くすべての地理的地域に存在します。クレードDのイヌはとくにヨーロッパと中東に分布していますが、クレードEおよびFは稀で、特定の地域に限られています。mtDNAの系統発生分析から、クレードA~Dは古代および現代のヨーロッパのイヌ科と関連していた、と示唆されました。現代のイヌでは、高いハプログループ多様性が長江の南側のイヌで見つかっており、この地域にイエイヌの起源を探る提案につながりました。したがって、古代のイヌのmtDNA解析は、ハプログループの地理的分布と時間的変化を示しました。中国南部と同じくらい古い古代のイヌ遺骸が、日本列島で発掘されてきました。
日本列島最古のイヌは縄文時代の9300年前頃にさかのぼります。約7000年間の縄文時代【縄文時代全体の期間ではなく、最古のイヌ遺骸が発見されてからの期間】におけるイヌの存在を通じて、イヌ(縄文犬)は古代のイエイヌの形態学的特徴を保持しており、それは恐らく、大陸のイヌからの地理的孤立に起因します。現代の日本列島のイヌと、縄文時代と弥生時代と古墳時代とオホーツク文化期と鎌倉時代(紀元前14000~紀元後14世紀頃)を含む、5つの歴史時代の遺跡から発見された古代のイヌのmtDNAの制御領域(それぞれ、198塩基対と215塩基対)に関する先行研究は、ハプロタイプの共有による現代のイヌと縄文犬との間のつながりを示しました。しかし、これらの研究は制御領域の短い配列に基づいており、より長い配列よりもハプロタイプを共有している可能性が高く、日本列島の現代のイヌと古代のイヌが全ミトコンドリアゲノムを用いての分析でハプロタイプを共有しているのかどうか、分かりませんでした。したがって、縄文犬の完全なmtDNAゲノム解析は、アジア東部のイヌの最初の進化段階に関する追加の情報を提供するでしょう。
イヌ集団では、世界規模の現代のイエイヌの約75%がmtDNAハプログループ(mtHg)Aを有しています。mtHg-Aは最も多様なハプログループで、6系統のハプログループA1~A6を構成しています。下位ハプログループA1は、ユーラシア西部と中東において高頻度で見られます。対照的に、A2~A6の5系統の下位ハプログループの分布は、ほぼアジア東部のみですが、そのうちA3とA5とA6は長江のアジアの南側(Asia South of the Yangtze River、略してASY)に限定されています。北アメリカ大陸で考古学的に発見されたイヌ71個体の完全なミトコンドリアゲノムは単系統性群を形成し、北極圏シベリアのジョホフ(Zhokhov)島の遺跡で発見された古代のイヌのミトコンドリアゲノム(関連記事)の姉妹群です。この系統発生から、シベリアのイヌはヨーロッパ勢力との接触まえの北アメリカ大陸のイヌの祖先系統だった、と示唆されます(関連記事)。これら姉妹群のmtDNAは、下位ハプログループA4に属します。
下位ハプログループA2は、アジア南東部とオーストラリアと太平洋のイヌに広く分布しています。A2系統内では、下位ハプログループA2a3aとA2a2aの下位クレードが密節に関連しており、A2a3aはオセアニアの古代のイヌとアジア南東部の現代のイヌが、A2a2aはオーストラリアのディンゴが有しています。これら2系統の下位クレードは、古代のオセアニアのイヌとディンゴとの間の密接な関係を示唆します。中国で標本抽出された古代のイヌのmtDNAに関する最近の研究から、オーストラリアのディンゴとオセアニアのイヌの祖先は中国南部に起源がある、と提案されました。さらに、中国南部に位置する浙江省の田螺山(Tianluoshan)遺跡で発見された7000年前頃のイヌ1個体は、下位ハプログループA2全体の基底部のハプロタイプを有しています。
本論文では、最古のイヌの埋葬が発掘された同じ層(7400~7200年前頃)で見つかった散在したイヌ遺骸を含めて、縄文犬5個体の全ミトコンドリアゲノムが、日本列島の8世紀後半のイヌ7個体(須和田犬)とともに決定されました。これらの配列は、現代および古代のイヌのmtDNA配列とともに分析されました。分析の結果、アジア東部におけるイヌのmtDNAの歴史の初期段階に関する新たな情報が提供されました。
●縄文時代の標本
縄文時代は紀元前14000年頃に始まり、約13000年間続き【縄文時代の開始年代については議論があります】、狩猟採集民分化により特徴づけられます。多くのイヌ遺骸は、縄文時代と年代測定された遺跡から発見されてきました。これらの遺跡のうち、神奈川県横須賀市の夏島貝塚遺跡の貝塚第1層および第2層と貝殻および土壌の混合した第1層から発見されたイヌ遺骸は縄文時代早期とされ、日本列島における最古(9300年前頃)のイエイヌを表している、と考えられています。イヌは縄文時代に飼育されていた唯一の家畜化された種で、おそらく猟犬として重要な役割を果たしました。本論文では、縄文時代の3ヶ所の遺跡から発掘されたイヌ遺骸の古代DNAが解析され、それは、富山県富山市の小竹貝塚遺跡、愛媛県久万高原町の上黒岩岩陰遺跡、千葉県市川市曾谷村の向台貝塚遺跡です(図1)。以下は本論文の図1です。
上黒岩岩陰遺跡のイヌ遺骸の年代は、縄文時代早期の後半(7400~7200年前頃)にさかのぼります。上黒岩岩陰遺跡におけるイヌの埋葬は、日本列島における最古級の事例の一つと考えられています。本論文で分析された標本は1962年に上黒岩岩陰遺跡の区画A-4で発掘され、犬の埋葬と同時代の散乱したイヌ遺骸に由来しました。散在した遺骸と完全なコックの埋葬を含めて、多数の縄文犬遺骸が富山県の中央部に位置する小竹貝塚遺跡で特定されました(6750~5530年前頃)。これらのうち、散乱したイヌ遺骸1個体と埋葬されたイヌ遺骸2個体が標本抽出されました。向台貝塚遺跡からは、縄文時代中期後半(5500~4400年前頃)と年代測定された、小柄なイヌの遺骸(小さな穴状の遺構3蕃から発掘された向台貝塚のイヌ28号)が標本抽出されました。
●8世紀後半の標本
弥生時代(紀元前1000年頃に始まります)におけるユーラシア大陸部からの稲作農耕の導入とともに、「縄文人」の生活様式は劇的に変わりました。狩猟活動の減少とともに、猟犬としてのイヌの役割は減り、遺跡で見つかるイヌの数の減少につながりました。南関東の弥生式土器が、千葉県市川市須和田で見つかりました(図1)。これは、須和田遺跡が朝鮮半島を通じてもたらされた稲作農耕と関連する弥生文化の影響を素早く受け取る位置にあった、ということを示唆します。須和田遺跡は弥生時代に続く国家形成期となる古墳時代に拡大し、朝鮮半島を通じてユーラシア本土からの影響を受けていた、ヤマト王権(現在の奈良県)のエリートと密接に関連していたかもしれません。
本論文で用いられるイヌ個体群が属する8世紀には、須和田遺跡の近くに国衙が建てられました。国衙は、中国の法制度を模倣した律令制度の行政の一部で、国衙には官僚が現在の奈良県にあった中央政府から派遣されました。人々の実際の接触と移動も含む、政治や経済や文化の側面に関するこの期間における中国の唐王朝と奈良の中央政府との間の活発な関係を考えると、ユーラシア大陸部からのイヌの導入の波も起きていたかもしれない、と考えられます。
本論文の分析で用いられるイヌ遺骸は須和田遺跡の第6区域の発掘に由来し、年代は8世紀後半となります。これらのイヌ遺骸は、形態学的分析に基づくと、大きさではほぼ中型から大型のイヌと特定されました。少なくとも11個体のイヌが須和田遺跡から発見され、この分析のため7点の標本が用いられました。表1で示されている標本数は、発掘時においてイヌ骨格に与えられた分類表示に対応しています。
●mtHgの割り当て
縄文犬5個体と8世紀後半のイヌ7個体かに得られた古代DNAの短いDNA配列が決定され、全mtDNA配列が組み立てられました。次に、NCBI(National Center for Biotechnology Information、アメリカ国立生物工学情報センター)データベースから得られた古代および現代のイヌ科の719点の完全なミトコンドリア配列で、これらの配列が分析されました。本論文は、用いたmtDNA配列を分類するため、まずMitoToolPyプログラムを用いて配列のハプログループを割り当て、DomeTreeでのイヌのハプログループ命名法に従いました。標本の大半(68%)はハプログループAに属しました。このハプログループでは、下位系統のハプログループA2~A6が、古代の中国のイヌ、古代の北アメリカ大陸のイヌ、古代のオセアニアのイヌ、ディンゴで優勢でした。対照的に、アジア東部とヨーロッパの現代のmtDNAはほぼ下位系統のハプログループA1に割り当てられ、これは先行研究と一致します。
配列決定された縄文犬の標本はすべて、入れ子になった下位ハプログループA2およびA3に属しており、これは下位ハプログループA2/A3と呼ばれ、分析された他の古代もしくは現代の標本は下位ハプログループA2/A3を共有していませんでした。縄文犬を用いると、8世紀後半のイヌのmtDNAは2個体を除いて下位ハプログループA2bに属しており、その2個体のうち一方はA1、もう一方はA5に属していました。ハプログループBおよびCは、現代の日本列島のイヌでは見つかりませんでした。
●mtDNAの系統発生分析
古代日本列島のイヌのmtDNAと他のイヌのmtDNAとの遺伝的関係を解明するため、本論文で用いられた標本731点全てについてRAxMLで系統樹が、ハプログループAに属する標本で下位系統樹が構築されました(図2)。配列はそれぞれ自身のハプログループに基づいてクラスタ化されました(まとまりました)。クレードAでは6系統のクレード(A1~A6)が観察され、先行研究と一致します。クレードAにおける最初の分岐は、A1とA2~A6で構成される他の下位クレードとの間です(図2)。以下は本論文の図2です。
縄文犬の配列は単系統性群(縄文下位クレード)を形成し、この1群は、中国南部およびタイのイヌの配列を構成するA3下位クレードと姉妹クレードでした(図2)。縄文クレード内では、配列は2系統の異なるクレードに区分されました(図2)。8世紀後半のmtDNA配列はより多様化しており、アジアとヨーロッパと北アメリカ大陸のA1およごA2およびA5系統とクラスタ化します(図2)。全標本とハプログループAの標本についてBEAST 2でベイズ系統樹も構築され、RAxMLと同じ位相を示しました。
●クレードA内の分岐年代推定
クレードAの最新共通祖先(the most recent common ancestor、略してTMRCA)までの年代と、A系統内の各下位クレードの分岐年代を推定するため、BEAST 2でベイズ分析が実行されました。クレードAのTMRCAは18400年前頃までさかのぼり、これは95%最高確率密度(highest probability density、略してHPD)では23000~14100年前となり、1年あたり1塩基対につき1.1×10⁻⁷(95%HPDで8.801×10⁻⁸~1.3888×10⁻⁷)の置換率です。縄文配列の単系統性群とA3下位クレードは11500年前頃(95%HPDで14700~8500年前)に分岐し、続いて縄文2系統の分岐が10500年前頃(95%HPDで13900~7500年前)に起きました(図3)。以下は本論文の図3です。
放射性炭素年代と住協から推測された年代と縄文犬および須和田犬の遺跡のおおよその年代のある古代の標本に適用された先端年代でも、分岐が推定されました。本論文の推定を確認するため、先行研究により推定されたmtDNAの置換率(1年あたり1塩基対につき8.1941×10⁻⁸)も使用されました。その推定置換率で、クレードAの推定TMRCAは本論文の推定と同等でした(22300年前頃、95%HPDで30500~15500年前)。
●A2およびA3下位クレードのネットワーク分析
下位クレードA2およびA3は単系統性で、縄文下位クレードは系統樹によるとA3下位クレードと姉妹群なので、下位クレードA3の現代のイヌとの縄文下位クレードの系統発生的関係をさらに調べるため、これらの配列のネットワーク分析がpopART (第1.7版)により実行されました。中下位クレードA2およびA3の中央結合網絡(median-joining network)から、古代中国南部、つまり浙江省の田螺山(Tianluoshan)遺跡のイヌ1個体(TLS_6957)は中心的なハプロタイプで、全ネットワークの基底部と示されます(図4)。A2およびA3の下位クレードは分離しており、縄文犬系統は下位クレードA3の基底部の位置の近くに位置しました。縄文犬配列の共通祖先は中心的なハプロタイプ(TLS_6957)とは2塩基対異なっています。下位クレードA2およびA3のネットワークにおける8世紀後半のイヌのmtDNAは、2ヶ所の位置に分かれています(図4)。以下は本論文の図4です。
●集団規模の統計分析
集団史を推測するため、「田嶋のD」とDnaSP(第6版)における他の中立的な検定統計を用いて集団の遺伝的多様性が計算されました。他のイヌ集団との混合によりほとんど影響を受けていない、と推測される古代および現代のイヌを含めて、8集団が選択されました。その結果、オセアニアと北アメリカ大陸のイヌ集団はそれぞれ、全集団で最低と2番目に低いヌクレオチド多様性を有している、と示されます。さらに、「田嶋のD」と他の中立的な検定統計は、古代のオセアニアおよび北アメリカ大陸のイヌ集団についてはゼロから有意に逸れていました。縄文犬については、「田嶋のD」値は正で(有意ではありません)、より高いヌクレオチド多様性があります。
●mtDNAの縄文下位クレードの古代の分岐
先行研究では、古代中国南部のイヌのmtDNAは下位ハプログループA2に割り当てられ、このハプログループは後に他のハプログループにより置換された、と報告されました。本論文の中央結合網絡の結果から、中国南部の古代のイヌ(TLS_6957)はA2およびA3クレード全体の中心で、縄文犬のmtDNAは中心の近くに位置している、と明らかになり、縄文犬のmtDNAの初期の分岐が示唆されます。じっさい、縄文クレードは本論文の系統樹では、A2とA3が分岐した(12800年前頃)直後に、A3下位クレードとの共通祖先から分岐しました(11500年前頃)。縄文下位クレードの配列は他のイヌからは見つからず、これも縄文下位クレードの初期の分岐を裏づけます。縄文時代のイヌは少なくとも7000年間その形態を保持していたので、ユーラシア大陸部のイヌと混合しなかっただろう、と推測されました。予測されるように、縄文犬と独特なmtDNAを有しており、それはユーラシア大陸からの日本列島における孤立に起因するかもしれません。
●日本列島への縄文犬の導入
ブートストラップもしくは事後値は有意に高くありませんでしたが、縄文クレードの単系統性は最尤法およびベイズ系統樹の両方で裏づけられます。縄文犬のmtDNAの単系統性から、縄文犬は母系では単一起源だった、と示唆されます。縄文下位クレードのmtDNAを有するイヌは、いつユーラシア大陸から日本列島に導入されたのでしょうか?日本列島で発見された最古のイヌの年代は、9300年前頃となります。したがって、A縄文下位クレードのmtDNAを有するイヌは9300年前頃以前にユーラシア大陸から日本列島にもたらされた、と仮定するのが合理的です。
縄文下位クレードとA3下位クレードの分岐は11500年前頃と推定されており、縄文下位クレード配列を有するイヌは11500~9300年前頃の間に日本列島にもたらされた、と示唆されます。縄文時代前期(5500年前頃)における物品や工芸技術の交易は、福井県三方上中郡若狭町の鳥浜貝塚、および浙江省の長江下流域にある河姆渡(Hemudu)遺跡の発見物の比較により裏づけられました。これは、日本列島がユーラシア大陸から完全には孤立していなかったものの、少なくとも時折は交易もしくは通交があったことを示唆しています。本論文の結果は、縄文時代におけるユーラシア大陸部と日本列島との間につながりがあったかもしれない、というこの提案を裏づけます。
縄文下位クレード内では、縄文犬mtDNAは10500年前頃にさらに分離しました。この分岐接合点は、日本列島への縄文犬の導入の年代範囲と重なります。したがって、縄文下位クレードが日本列島へのイヌの導入の前後どちらなのか、結論づけることは困難です。しかし、縄文下位クレードは日本列島でのみ見つかりました。本論文で分析された地理的に遠い3ヶ所の遺跡の縄文犬5個体全てのmtDNAが、縄文下位クレードに属していました。したがって、縄文下位クレードの2系統は、日本列島へのイヌの導入前ではなく後に分岐した可能性がより高そうです。
●縄文時代と8世紀後半のイヌとの間のハプロタイプの置換
日本列島の8世紀後半のイヌについては、縄文ハプロタイプのmtDNAを有する個体は存在しませんでした。代わりに、日本列島の8世紀後半のイヌはmtDNA下位ハプログループのA1とA2とA5を有しており、これらのハプログループは系統樹の異なる位置でクラスタ化します(まとまります)。これらの結果から、他のmtDNAハプログループは恐らく縄文時代の後に縄文ハプロタイプを置換した、と示唆されます。縄文時代の後となる弥生時代は、朝鮮半島を通ってのアジア本土からの人々の移住を伴う、農耕や冶金や他の技術の導入により特徴づけられます。
したがって、下位ハプログループの置換の一因は、弥生時代以降の移民集団がA1とA2とA5の下位ハプログループを有していたイヌを伴っていたことにあるかもしれません。このA1下位ハプログループは、おもにユーラシア西部に分布しています。したがって、日本列島の8世紀後半のイヌは、ユーラシア西部のイヌのmtDNAにすでに影響を受けていたかもしれません。さらに、現代の日本列島のイヌはmtDNAハプログループBおよびCを有しているので、mtDNAハプロタイプをBおよびCを有しているイヌは、7世紀および8世紀以後に日本列島へもたらされた可能性が高そうです。
●ヒトとの長距離移動はmtDNAの遺伝的多様性を減少させます
mtDNA配列は縄文犬5個体から得られただけですが、そのmtDNAのヌクレオチド多様性は、オセアニアや北アメリカ大陸や古代シベリアやディンゴの集団よりも多様でした。オセアニアと北アメリカ大陸のイヌ集団における「田嶋のD」の低いヌクレオチド多様性と負の値から、これら2集団の創始者集団規模は小さく、創始者集団がそれぞれオセアニア諸島と北アメリカ大陸に到達した後で集団拡大があった、と示唆されます。したがって、mtDNAの遺伝的多様性における減少はおそらく、ユーラシア大陸からオセアニア諸島および北アメリカ大陸へのヒトを伴う長距離移動期における集団規模の減少に起因します。
これら2集団と比較すると、縄文犬はより高いmtDNAのヌクレオチド多様性を示し、「田嶋のD」値は正でした(ただ、有意ではありません)。したがって、縄文犬のmtDNA多様性は、ユーラシア大陸から日本列島への導入が単一の事象だったならば、「縄文人」との拡散に影響を受けたかもしれません。高いmtDNAの配列多様性と正の「田嶋のD」値は、縄文下位クレードの異なる2系統や、標本抽出の偏りや、日本列島への縄文犬の複数回もしくは相互の導入(つまり、ユーラシア大陸から日本列島、およびその逆方向でのイヌの導入)など、さまざまな要因のためかもしれません。複数回もしくは相互の導入の可能性は、本論文における縄文犬の小さな標本規模のため、依然として議論の余地があります。したがって、古代のイヌのより多くのミトコンドリアゲノムもしくは核DNA解析が、集団史の推測と、縄文犬の拡散経路の理解の深化に役立つでしょう。
●まとめ
本論文では、縄文時代と8世紀後半のイヌのmtDNAが決定され、縄文犬は古代のmtDNA下位クレードを有しており、それは縄文時代の後に他のハプログループのイヌにより置換された可能性が高い、と示されました。本論文では、3ヶ所の遺跡の縄文時代のイヌ5個体のmtDNA配列と、8世紀後半の単一遺跡のイヌ7個体のmtDNAが用いられました。したがって、より詳細に経時的なmtDNAハプログループの変化を研究するには、さまざまな期間、つまり縄文時代の後半や弥生時代と、より地理的に遠い遺跡からのより多くの古代標本が、分析のために追加されねばなりません。より多くの標本を用いた来の分析は、日本列島におけるイヌ集団の歴史により詳細な光を当てるでしょう。
参考文献:
Xiaokaiti X. et al.(2024): The history of ancient Japanese dogs revealed by mitogenomes. Anthropological Science, 132, 1, 1–11.
https://doi.org/10.1537/ase.230617
●要約
考古学的証拠から、イヌは日本では縄文時代となる遅くとも9300年前頃に現れた、と示唆されています。縄文時代のイヌ(縄文犬)は縄文時代を通じて古代のイエイヌ形態学的特徴を保持しており、これは恐らくユーラシア大陸のイヌからの地理的孤立に起因します。したがって、「縄文犬」【以下、「」で括りません】は古代のイエイヌの遺伝的特徴を保持している、と予測されます。この可能性を調べるため、日本では最古級のイヌの1個体を含む縄文犬5個体と、8世紀後期の日本のイヌ(須和田犬)7個体のミトコンドリアゲノムが決定されました。これらの配列は、古代および現代のイヌ科719個体のミトコンドリアゲノムとともに分析されました。
イヌのmtDNA配列は、6系統のクレード(単系統群)に分類され(ハプログループA~F)、クレードAは6系統の下位クレード(下位ハプログループA1~A6)で構成されます。縄文犬のmtDNAハプロタイプの分類から、これらのイヌは、他の現代および古代の標本により共有されていない、入れ子になったA2およびA3ハプログループに属している、と明らかになりました。縄文犬のmtDNA配列は、系統樹においてA3下位クレードの姉妹系統である単系統性のクレードを形成します。ネットワーク分析から、縄文犬のmtDNAの下位クレードは、中国南部の古代のイヌを中心とした、入れ子になったA2およびA3ハプロタイプ網の基底部近くで分岐した、と示されました。
縄文犬のmtDNAはA2とA3の分岐(12800年前頃)の直後(11500年前頃)にA3から分岐し、縄文犬の下位クレードの初期の分岐が示唆されます。これらの結果から、縄文犬はおそらく日本列島に11500~9300年前頃にもたらされた、と示唆されます。8世紀後期のイヌのmtDNAは、縄文犬よりも分岐しており、異なるハプログループで、他のハプログループはその後の期間における日本への人々の移住に伴うイヌの導入を通じて、縄文犬のハプログループを置換した可能性が高い、と示唆されます。
●研究史
イヌはヒトと密接な関係を築いた最古の家畜化された動物です。イヌの進化過程を理解するため、多くの研究がイヌのmtDNAで行なわれてきました。イヌの部分的および完全なミトコンドリアゲノムに関する研究から、イヌのmtDNA配列はA~Fの6クレードに分類される、と示されています。これらのクレードのうち、A~Cはイヌ個体群の95%を構成しており、クレードAは世界規模で見られますが、クレードBおよびCはアメリカ大陸を除くすべての地理的地域に存在します。クレードDのイヌはとくにヨーロッパと中東に分布していますが、クレードEおよびFは稀で、特定の地域に限られています。mtDNAの系統発生分析から、クレードA~Dは古代および現代のヨーロッパのイヌ科と関連していた、と示唆されました。現代のイヌでは、高いハプログループ多様性が長江の南側のイヌで見つかっており、この地域にイエイヌの起源を探る提案につながりました。したがって、古代のイヌのmtDNA解析は、ハプログループの地理的分布と時間的変化を示しました。中国南部と同じくらい古い古代のイヌ遺骸が、日本列島で発掘されてきました。
日本列島最古のイヌは縄文時代の9300年前頃にさかのぼります。約7000年間の縄文時代【縄文時代全体の期間ではなく、最古のイヌ遺骸が発見されてからの期間】におけるイヌの存在を通じて、イヌ(縄文犬)は古代のイエイヌの形態学的特徴を保持しており、それは恐らく、大陸のイヌからの地理的孤立に起因します。現代の日本列島のイヌと、縄文時代と弥生時代と古墳時代とオホーツク文化期と鎌倉時代(紀元前14000~紀元後14世紀頃)を含む、5つの歴史時代の遺跡から発見された古代のイヌのmtDNAの制御領域(それぞれ、198塩基対と215塩基対)に関する先行研究は、ハプロタイプの共有による現代のイヌと縄文犬との間のつながりを示しました。しかし、これらの研究は制御領域の短い配列に基づいており、より長い配列よりもハプロタイプを共有している可能性が高く、日本列島の現代のイヌと古代のイヌが全ミトコンドリアゲノムを用いての分析でハプロタイプを共有しているのかどうか、分かりませんでした。したがって、縄文犬の完全なmtDNAゲノム解析は、アジア東部のイヌの最初の進化段階に関する追加の情報を提供するでしょう。
イヌ集団では、世界規模の現代のイエイヌの約75%がmtDNAハプログループ(mtHg)Aを有しています。mtHg-Aは最も多様なハプログループで、6系統のハプログループA1~A6を構成しています。下位ハプログループA1は、ユーラシア西部と中東において高頻度で見られます。対照的に、A2~A6の5系統の下位ハプログループの分布は、ほぼアジア東部のみですが、そのうちA3とA5とA6は長江のアジアの南側(Asia South of the Yangtze River、略してASY)に限定されています。北アメリカ大陸で考古学的に発見されたイヌ71個体の完全なミトコンドリアゲノムは単系統性群を形成し、北極圏シベリアのジョホフ(Zhokhov)島の遺跡で発見された古代のイヌのミトコンドリアゲノム(関連記事)の姉妹群です。この系統発生から、シベリアのイヌはヨーロッパ勢力との接触まえの北アメリカ大陸のイヌの祖先系統だった、と示唆されます(関連記事)。これら姉妹群のmtDNAは、下位ハプログループA4に属します。
下位ハプログループA2は、アジア南東部とオーストラリアと太平洋のイヌに広く分布しています。A2系統内では、下位ハプログループA2a3aとA2a2aの下位クレードが密節に関連しており、A2a3aはオセアニアの古代のイヌとアジア南東部の現代のイヌが、A2a2aはオーストラリアのディンゴが有しています。これら2系統の下位クレードは、古代のオセアニアのイヌとディンゴとの間の密接な関係を示唆します。中国で標本抽出された古代のイヌのmtDNAに関する最近の研究から、オーストラリアのディンゴとオセアニアのイヌの祖先は中国南部に起源がある、と提案されました。さらに、中国南部に位置する浙江省の田螺山(Tianluoshan)遺跡で発見された7000年前頃のイヌ1個体は、下位ハプログループA2全体の基底部のハプロタイプを有しています。
本論文では、最古のイヌの埋葬が発掘された同じ層(7400~7200年前頃)で見つかった散在したイヌ遺骸を含めて、縄文犬5個体の全ミトコンドリアゲノムが、日本列島の8世紀後半のイヌ7個体(須和田犬)とともに決定されました。これらの配列は、現代および古代のイヌのmtDNA配列とともに分析されました。分析の結果、アジア東部におけるイヌのmtDNAの歴史の初期段階に関する新たな情報が提供されました。
●縄文時代の標本
縄文時代は紀元前14000年頃に始まり、約13000年間続き【縄文時代の開始年代については議論があります】、狩猟採集民分化により特徴づけられます。多くのイヌ遺骸は、縄文時代と年代測定された遺跡から発見されてきました。これらの遺跡のうち、神奈川県横須賀市の夏島貝塚遺跡の貝塚第1層および第2層と貝殻および土壌の混合した第1層から発見されたイヌ遺骸は縄文時代早期とされ、日本列島における最古(9300年前頃)のイエイヌを表している、と考えられています。イヌは縄文時代に飼育されていた唯一の家畜化された種で、おそらく猟犬として重要な役割を果たしました。本論文では、縄文時代の3ヶ所の遺跡から発掘されたイヌ遺骸の古代DNAが解析され、それは、富山県富山市の小竹貝塚遺跡、愛媛県久万高原町の上黒岩岩陰遺跡、千葉県市川市曾谷村の向台貝塚遺跡です(図1)。以下は本論文の図1です。
上黒岩岩陰遺跡のイヌ遺骸の年代は、縄文時代早期の後半(7400~7200年前頃)にさかのぼります。上黒岩岩陰遺跡におけるイヌの埋葬は、日本列島における最古級の事例の一つと考えられています。本論文で分析された標本は1962年に上黒岩岩陰遺跡の区画A-4で発掘され、犬の埋葬と同時代の散乱したイヌ遺骸に由来しました。散在した遺骸と完全なコックの埋葬を含めて、多数の縄文犬遺骸が富山県の中央部に位置する小竹貝塚遺跡で特定されました(6750~5530年前頃)。これらのうち、散乱したイヌ遺骸1個体と埋葬されたイヌ遺骸2個体が標本抽出されました。向台貝塚遺跡からは、縄文時代中期後半(5500~4400年前頃)と年代測定された、小柄なイヌの遺骸(小さな穴状の遺構3蕃から発掘された向台貝塚のイヌ28号)が標本抽出されました。
●8世紀後半の標本
弥生時代(紀元前1000年頃に始まります)におけるユーラシア大陸部からの稲作農耕の導入とともに、「縄文人」の生活様式は劇的に変わりました。狩猟活動の減少とともに、猟犬としてのイヌの役割は減り、遺跡で見つかるイヌの数の減少につながりました。南関東の弥生式土器が、千葉県市川市須和田で見つかりました(図1)。これは、須和田遺跡が朝鮮半島を通じてもたらされた稲作農耕と関連する弥生文化の影響を素早く受け取る位置にあった、ということを示唆します。須和田遺跡は弥生時代に続く国家形成期となる古墳時代に拡大し、朝鮮半島を通じてユーラシア本土からの影響を受けていた、ヤマト王権(現在の奈良県)のエリートと密接に関連していたかもしれません。
本論文で用いられるイヌ個体群が属する8世紀には、須和田遺跡の近くに国衙が建てられました。国衙は、中国の法制度を模倣した律令制度の行政の一部で、国衙には官僚が現在の奈良県にあった中央政府から派遣されました。人々の実際の接触と移動も含む、政治や経済や文化の側面に関するこの期間における中国の唐王朝と奈良の中央政府との間の活発な関係を考えると、ユーラシア大陸部からのイヌの導入の波も起きていたかもしれない、と考えられます。
本論文の分析で用いられるイヌ遺骸は須和田遺跡の第6区域の発掘に由来し、年代は8世紀後半となります。これらのイヌ遺骸は、形態学的分析に基づくと、大きさではほぼ中型から大型のイヌと特定されました。少なくとも11個体のイヌが須和田遺跡から発見され、この分析のため7点の標本が用いられました。表1で示されている標本数は、発掘時においてイヌ骨格に与えられた分類表示に対応しています。
●mtHgの割り当て
縄文犬5個体と8世紀後半のイヌ7個体かに得られた古代DNAの短いDNA配列が決定され、全mtDNA配列が組み立てられました。次に、NCBI(National Center for Biotechnology Information、アメリカ国立生物工学情報センター)データベースから得られた古代および現代のイヌ科の719点の完全なミトコンドリア配列で、これらの配列が分析されました。本論文は、用いたmtDNA配列を分類するため、まずMitoToolPyプログラムを用いて配列のハプログループを割り当て、DomeTreeでのイヌのハプログループ命名法に従いました。標本の大半(68%)はハプログループAに属しました。このハプログループでは、下位系統のハプログループA2~A6が、古代の中国のイヌ、古代の北アメリカ大陸のイヌ、古代のオセアニアのイヌ、ディンゴで優勢でした。対照的に、アジア東部とヨーロッパの現代のmtDNAはほぼ下位系統のハプログループA1に割り当てられ、これは先行研究と一致します。
配列決定された縄文犬の標本はすべて、入れ子になった下位ハプログループA2およびA3に属しており、これは下位ハプログループA2/A3と呼ばれ、分析された他の古代もしくは現代の標本は下位ハプログループA2/A3を共有していませんでした。縄文犬を用いると、8世紀後半のイヌのmtDNAは2個体を除いて下位ハプログループA2bに属しており、その2個体のうち一方はA1、もう一方はA5に属していました。ハプログループBおよびCは、現代の日本列島のイヌでは見つかりませんでした。
●mtDNAの系統発生分析
古代日本列島のイヌのmtDNAと他のイヌのmtDNAとの遺伝的関係を解明するため、本論文で用いられた標本731点全てについてRAxMLで系統樹が、ハプログループAに属する標本で下位系統樹が構築されました(図2)。配列はそれぞれ自身のハプログループに基づいてクラスタ化されました(まとまりました)。クレードAでは6系統のクレード(A1~A6)が観察され、先行研究と一致します。クレードAにおける最初の分岐は、A1とA2~A6で構成される他の下位クレードとの間です(図2)。以下は本論文の図2です。
縄文犬の配列は単系統性群(縄文下位クレード)を形成し、この1群は、中国南部およびタイのイヌの配列を構成するA3下位クレードと姉妹クレードでした(図2)。縄文クレード内では、配列は2系統の異なるクレードに区分されました(図2)。8世紀後半のmtDNA配列はより多様化しており、アジアとヨーロッパと北アメリカ大陸のA1およごA2およびA5系統とクラスタ化します(図2)。全標本とハプログループAの標本についてBEAST 2でベイズ系統樹も構築され、RAxMLと同じ位相を示しました。
●クレードA内の分岐年代推定
クレードAの最新共通祖先(the most recent common ancestor、略してTMRCA)までの年代と、A系統内の各下位クレードの分岐年代を推定するため、BEAST 2でベイズ分析が実行されました。クレードAのTMRCAは18400年前頃までさかのぼり、これは95%最高確率密度(highest probability density、略してHPD)では23000~14100年前となり、1年あたり1塩基対につき1.1×10⁻⁷(95%HPDで8.801×10⁻⁸~1.3888×10⁻⁷)の置換率です。縄文配列の単系統性群とA3下位クレードは11500年前頃(95%HPDで14700~8500年前)に分岐し、続いて縄文2系統の分岐が10500年前頃(95%HPDで13900~7500年前)に起きました(図3)。以下は本論文の図3です。
放射性炭素年代と住協から推測された年代と縄文犬および須和田犬の遺跡のおおよその年代のある古代の標本に適用された先端年代でも、分岐が推定されました。本論文の推定を確認するため、先行研究により推定されたmtDNAの置換率(1年あたり1塩基対につき8.1941×10⁻⁸)も使用されました。その推定置換率で、クレードAの推定TMRCAは本論文の推定と同等でした(22300年前頃、95%HPDで30500~15500年前)。
●A2およびA3下位クレードのネットワーク分析
下位クレードA2およびA3は単系統性で、縄文下位クレードは系統樹によるとA3下位クレードと姉妹群なので、下位クレードA3の現代のイヌとの縄文下位クレードの系統発生的関係をさらに調べるため、これらの配列のネットワーク分析がpopART (第1.7版)により実行されました。中下位クレードA2およびA3の中央結合網絡(median-joining network)から、古代中国南部、つまり浙江省の田螺山(Tianluoshan)遺跡のイヌ1個体(TLS_6957)は中心的なハプロタイプで、全ネットワークの基底部と示されます(図4)。A2およびA3の下位クレードは分離しており、縄文犬系統は下位クレードA3の基底部の位置の近くに位置しました。縄文犬配列の共通祖先は中心的なハプロタイプ(TLS_6957)とは2塩基対異なっています。下位クレードA2およびA3のネットワークにおける8世紀後半のイヌのmtDNAは、2ヶ所の位置に分かれています(図4)。以下は本論文の図4です。
●集団規模の統計分析
集団史を推測するため、「田嶋のD」とDnaSP(第6版)における他の中立的な検定統計を用いて集団の遺伝的多様性が計算されました。他のイヌ集団との混合によりほとんど影響を受けていない、と推測される古代および現代のイヌを含めて、8集団が選択されました。その結果、オセアニアと北アメリカ大陸のイヌ集団はそれぞれ、全集団で最低と2番目に低いヌクレオチド多様性を有している、と示されます。さらに、「田嶋のD」と他の中立的な検定統計は、古代のオセアニアおよび北アメリカ大陸のイヌ集団についてはゼロから有意に逸れていました。縄文犬については、「田嶋のD」値は正で(有意ではありません)、より高いヌクレオチド多様性があります。
●mtDNAの縄文下位クレードの古代の分岐
先行研究では、古代中国南部のイヌのmtDNAは下位ハプログループA2に割り当てられ、このハプログループは後に他のハプログループにより置換された、と報告されました。本論文の中央結合網絡の結果から、中国南部の古代のイヌ(TLS_6957)はA2およびA3クレード全体の中心で、縄文犬のmtDNAは中心の近くに位置している、と明らかになり、縄文犬のmtDNAの初期の分岐が示唆されます。じっさい、縄文クレードは本論文の系統樹では、A2とA3が分岐した(12800年前頃)直後に、A3下位クレードとの共通祖先から分岐しました(11500年前頃)。縄文下位クレードの配列は他のイヌからは見つからず、これも縄文下位クレードの初期の分岐を裏づけます。縄文時代のイヌは少なくとも7000年間その形態を保持していたので、ユーラシア大陸部のイヌと混合しなかっただろう、と推測されました。予測されるように、縄文犬と独特なmtDNAを有しており、それはユーラシア大陸からの日本列島における孤立に起因するかもしれません。
●日本列島への縄文犬の導入
ブートストラップもしくは事後値は有意に高くありませんでしたが、縄文クレードの単系統性は最尤法およびベイズ系統樹の両方で裏づけられます。縄文犬のmtDNAの単系統性から、縄文犬は母系では単一起源だった、と示唆されます。縄文下位クレードのmtDNAを有するイヌは、いつユーラシア大陸から日本列島に導入されたのでしょうか?日本列島で発見された最古のイヌの年代は、9300年前頃となります。したがって、A縄文下位クレードのmtDNAを有するイヌは9300年前頃以前にユーラシア大陸から日本列島にもたらされた、と仮定するのが合理的です。
縄文下位クレードとA3下位クレードの分岐は11500年前頃と推定されており、縄文下位クレード配列を有するイヌは11500~9300年前頃の間に日本列島にもたらされた、と示唆されます。縄文時代前期(5500年前頃)における物品や工芸技術の交易は、福井県三方上中郡若狭町の鳥浜貝塚、および浙江省の長江下流域にある河姆渡(Hemudu)遺跡の発見物の比較により裏づけられました。これは、日本列島がユーラシア大陸から完全には孤立していなかったものの、少なくとも時折は交易もしくは通交があったことを示唆しています。本論文の結果は、縄文時代におけるユーラシア大陸部と日本列島との間につながりがあったかもしれない、というこの提案を裏づけます。
縄文下位クレード内では、縄文犬mtDNAは10500年前頃にさらに分離しました。この分岐接合点は、日本列島への縄文犬の導入の年代範囲と重なります。したがって、縄文下位クレードが日本列島へのイヌの導入の前後どちらなのか、結論づけることは困難です。しかし、縄文下位クレードは日本列島でのみ見つかりました。本論文で分析された地理的に遠い3ヶ所の遺跡の縄文犬5個体全てのmtDNAが、縄文下位クレードに属していました。したがって、縄文下位クレードの2系統は、日本列島へのイヌの導入前ではなく後に分岐した可能性がより高そうです。
●縄文時代と8世紀後半のイヌとの間のハプロタイプの置換
日本列島の8世紀後半のイヌについては、縄文ハプロタイプのmtDNAを有する個体は存在しませんでした。代わりに、日本列島の8世紀後半のイヌはmtDNA下位ハプログループのA1とA2とA5を有しており、これらのハプログループは系統樹の異なる位置でクラスタ化します(まとまります)。これらの結果から、他のmtDNAハプログループは恐らく縄文時代の後に縄文ハプロタイプを置換した、と示唆されます。縄文時代の後となる弥生時代は、朝鮮半島を通ってのアジア本土からの人々の移住を伴う、農耕や冶金や他の技術の導入により特徴づけられます。
したがって、下位ハプログループの置換の一因は、弥生時代以降の移民集団がA1とA2とA5の下位ハプログループを有していたイヌを伴っていたことにあるかもしれません。このA1下位ハプログループは、おもにユーラシア西部に分布しています。したがって、日本列島の8世紀後半のイヌは、ユーラシア西部のイヌのmtDNAにすでに影響を受けていたかもしれません。さらに、現代の日本列島のイヌはmtDNAハプログループBおよびCを有しているので、mtDNAハプロタイプをBおよびCを有しているイヌは、7世紀および8世紀以後に日本列島へもたらされた可能性が高そうです。
●ヒトとの長距離移動はmtDNAの遺伝的多様性を減少させます
mtDNA配列は縄文犬5個体から得られただけですが、そのmtDNAのヌクレオチド多様性は、オセアニアや北アメリカ大陸や古代シベリアやディンゴの集団よりも多様でした。オセアニアと北アメリカ大陸のイヌ集団における「田嶋のD」の低いヌクレオチド多様性と負の値から、これら2集団の創始者集団規模は小さく、創始者集団がそれぞれオセアニア諸島と北アメリカ大陸に到達した後で集団拡大があった、と示唆されます。したがって、mtDNAの遺伝的多様性における減少はおそらく、ユーラシア大陸からオセアニア諸島および北アメリカ大陸へのヒトを伴う長距離移動期における集団規模の減少に起因します。
これら2集団と比較すると、縄文犬はより高いmtDNAのヌクレオチド多様性を示し、「田嶋のD」値は正でした(ただ、有意ではありません)。したがって、縄文犬のmtDNA多様性は、ユーラシア大陸から日本列島への導入が単一の事象だったならば、「縄文人」との拡散に影響を受けたかもしれません。高いmtDNAの配列多様性と正の「田嶋のD」値は、縄文下位クレードの異なる2系統や、標本抽出の偏りや、日本列島への縄文犬の複数回もしくは相互の導入(つまり、ユーラシア大陸から日本列島、およびその逆方向でのイヌの導入)など、さまざまな要因のためかもしれません。複数回もしくは相互の導入の可能性は、本論文における縄文犬の小さな標本規模のため、依然として議論の余地があります。したがって、古代のイヌのより多くのミトコンドリアゲノムもしくは核DNA解析が、集団史の推測と、縄文犬の拡散経路の理解の深化に役立つでしょう。
●まとめ
本論文では、縄文時代と8世紀後半のイヌのmtDNAが決定され、縄文犬は古代のmtDNA下位クレードを有しており、それは縄文時代の後に他のハプログループのイヌにより置換された可能性が高い、と示されました。本論文では、3ヶ所の遺跡の縄文時代のイヌ5個体のmtDNA配列と、8世紀後半の単一遺跡のイヌ7個体のmtDNAが用いられました。したがって、より詳細に経時的なmtDNAハプログループの変化を研究するには、さまざまな期間、つまり縄文時代の後半や弥生時代と、より地理的に遠い遺跡からのより多くの古代標本が、分析のために追加されねばなりません。より多くの標本を用いた来の分析は、日本列島におけるイヌ集団の歴史により詳細な光を当てるでしょう。
参考文献:
Xiaokaiti X. et al.(2024): The history of ancient Japanese dogs revealed by mitogenomes. Anthropological Science, 132, 1, 1–11.
https://doi.org/10.1537/ase.230617
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