ドイツで発見された初期現生人類の解説
ドイツで発見された初期現生人類(Homo sapiens)の複数の研究に関する解説(Curry., 2024)が公表されました。この解説記事は、ドイツのテューリンゲン州(Thuringia)のオーラ川(Orla River)流域に位置するラニス(Ranis)のイルゼン洞窟(Ilsenhöhle)で発見された、初期現生人類に関する複数の研究(Mylopotamitak et al.2024、Pederzani et al.2024、Smith et al.2024)を取り上げています。これらの研究はすでに昨年(2023年)、ヒト進化研究ヨーロッパ協会第13回総会で概要が報告されており、当ブログでも取り上げました(Hublin et al., 2023、Smith et al., 2023)。当ブログではこれらイルゼン洞窟の初期現生人類に関する研究をまだ取り上げていませんが、研究者にも取材した興味深い内容なので、まずはこの解説記事を取り上げます。
●解説
45000年以上前、狩猟民の小集団が、ヨーロッパ北部の大半に広がる広大なツンドラ地帯で、ウマやトナカイやマンモスを追いかけました。そうした狩猟採集民はどこかに長く存在することは稀で、洞窟の深部で石器の散在や奇妙な篝火の痕跡を残しました。考古学者は1世紀以上、これらの人工遺物を残したのが、ヨーロッパを徘徊していた後期ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の一部なのか、あるいはヨーロッパ大陸の北方の範囲にまで勇敢に立ち向かった最初の現生人類だったのか、議論してきました。
『Nature』誌(Mylopotamitak et al.2024)と『Nature Ecology & Evolution』誌(Pederzani et al.2024、Smith et al.2024)に掲載された3本の論文は、この問題の会計に役立つかもしれません。2016~2022年にかけて、考古学者はドイツ中央部のラニス村にある1ヶ所の洞窟から人類の骨の断片を回収しました(発掘中の写真)。それらの骨は少なくとも45000年前頃で、そのDNAは今では現生人類の遺骸と確認されました(Mylopotamitak et al.2024)。この発掘を監督した、エアランゲン=ニュルンベルクのフリードリヒ・アレクサンダー大学の考古学者であるマルセル・ヴァイス(Marcel Weiss)氏は、「ヨーロッパ北部の現生人類集団がネアンデルタール人消滅のずっと前に存在した」と述べています。以下はこの解説記事の発掘中の写真です。
さらに、それらの人骨は、ブリテン諸島から現代のポーランドまで、ヨーロッパ北部全域の他の遺跡で知られている種類の石刃とともに発見されました。考古学者はかつて、これらの石器しネアンデルタール人の製作物と推測しましたが、ラニスで発見された人骨は、LRJ(Lincombian–Ranisian–Jerzmanowician、リンコンビアン・ラニシアン・エルツマノウィッチ)と呼ばれる様式のこれらの石器(石器の写真)が現生人類の所産であることを示唆しています。「これは、初期現生人類が考えられていたよりもずっと早く、さらに広く拡大していたことを示唆しています」と、この研究に関わっていないウィーン大学の考古学者であるトム・ハイアム(Tom Higham)氏は述べています。ヨーロッパ北部において、現生人類の先駆的集団がネアンデルタール人とヨーロッパ大陸を共有し、「複雑な斑状のパターンが現れているようです」と、トム・ハイアム氏は述べています。以下はこの解説記事の石器の写真です。
ラニスで発見された骨は、ヨーロッパにおける現生人類の初期の存在に関する唯一の証拠ではありません。2022年【原文では2022年とありますが、2021年の間違い】、同じ研究団はブルガリアのバチョキロ洞窟(Bacho Kiro Cave)で発見された45000年前頃の現生人類遺骸の発見を報告しました(Hajdinjak et al., 2021)。2021年に報告された、チェコのコニェプルシ(Koněprusy)洞窟群で発見された洞窟群の頂上の丘にちなんでズラティクン(Zlatý kůň)と呼ばれる成人女性1個体の頭蓋は、よく保存された現生人類のDNAを有しており、43000年以上前かもしれません(Prüfer et al., 2021)。別の研究団は、54000年前頃かもしれないフランス南部の洞窟から発見された歯(Slimak et al., 2022)も含めて、より古い現生人類の存在を依然として主張してきました(Slimak., 2023)。
しかし、南方と東方への初期侵入の兆候は、現生人類がヨーロッパ大陸をどのように征服したのかに関する、長く保たれてきたモデルを粉砕しませんでした。「数十年前、現生人類が到来し、ネアンデルタール人を大きな波の中で置換した、というこの仮定的状況がありました」と、この新たな研究の共著者である、マックス・プランク進化人類学研究所の考古学者のシャノン・マクフェロン(Shannon McPherron)氏は述べます。
バチョキロ洞窟とズラティクン個体に加えて、ラニスで得られた新たな証拠から、単一の波ではなく、現生人類の小集団がアフリカからヨーロッパへと48000年前頃以降漸進的に移動し、何千年もネアンデルタール人と重複していた、と示唆されます。「それは共存と競合と相互作用を示唆しています。それはずっと服さづで多様な過程です」と、今ではバルセロナの自然科学博物館所長で、研究団には参加しなかった、考古学者であるカルレス・ラルエザ=フォックス(Carles Lalueza-Fox)氏は述べています。
遺伝学的証拠から、この2集団(ネアンデルタール人と現生人類)は時に遭遇し、相互作用していた、と確証されました。たとえば、バチョキロ洞窟のDNAの結果から、バチョキロ洞窟の人々は過去6世代以内にネアンデルタール人の祖先を有していたものの(Hajdinjak et al., 2021)、女性のズラティクン個体は最近のネアンデルタール人の祖先を有していなかった(Prüfer et al., 2021)、と示されました。ラニス個体群の遺伝学的結果の分析は進行中ですが、初期の結果は、これらの小集団の移動性を示唆しており、500km以上南方のズラティクン頭蓋との密接なつながりを示します(Sümer et al., 2023)。
新たな証拠は苦労の末に得られました。ラニスのイルゼン洞窟におけるLRJ層に到達するため、研究団は小型車規模の大きな岩を破壊して除去し、ずっと前に洞窟崩壊により残された8mに及ぶ堆積物に竪坑を掘らねばなりませんでした。しかし、イルゼン洞窟の深部の冷たさは、放射性炭素年代と遺伝学的検証のための有機物質の保存に役立ちました。「ラニスは本当に例外的です。ラニスは、私がこれまでに研究したこの年代では最良の保存状態の遺跡の一つです」と、放射性炭素年代測定を率いたフランシス・クリック研究所のヘレン・フューラス(Helen Fewlass)氏は述べています。
1930年代に収集され、近隣のドイツのハレ(Halle)市に保管されていた、折れた骨の入った箱には、イルゼン洞窟の同じ層から発見されたより多くのヒト遺骸も保管されていました。トナカイやケブカサイやホラアナグマやハイエナやウマの骨と歯は、全てその明確なタンパク質の兆候により同定され、古代の狩猟民が緒面した環境への手がかりを提供しました。たとえば、イルゼン洞窟のLRJ層のウマの歯の酸素同位体は、48000年前頃以降のひじょうに局所的な情報を捕捉していました(Pederzani et al.2024)。平均的な予想は?研究者が「北極圏周辺」と呼んでいる地域、つまり現代のドイツより7度~15度寒冷です。「これらの人々は、現在のスカンジナビア半島の北側のようなひじょうに悪条件の環境に拡大しました」と、ラニスの研究を率いた、フランシス大学の古人類学者であるジャン=ジャック・ハブリン(Jean-Jacques Hublin)氏は述べています。
それもまた驚きです。現生人類はアフリカの熱帯緯度に起源がありました【現生人類の起源については、アフリカ単一起源説は確定していても、その出現過程についてはまだ議論があると思います(Ragsdale et al., 2023)】。4万年前頃よりも前には仕立てた衣服の証拠が欠如していることを考慮して、研究者は長く、ヨーロッパへの北進には周期的な温暖期を利用した、と仮定してきました。
しかし、ラニスでの発見は寒さが障壁ではなかったことを確証します(Smith et al.2024)。数千年以内かそれ未満で、現生人類の小集団は明らかに熱帯もしくは亜熱帯の森林およびアジア南西部と地中海の草原から、ヨーロッパ北部の木のない氷の草原地帯へと移行しました。「それは本当に予想外でした。それは、どの牽引要因が寒冷環境になり得たのか、考察する機会であり、恐らくそうした寒冷環境は我々が考えていたよりも魅力的です」と、ユタ大学の考古学地球化学者である共著者のサラ・ペデルザーニ(Sarah Pederzani)氏は述べています。
まだ全員が納得しているわけではありません。テュービンゲン大学の考古学者であるニコラス・コナード(Nicholas Conard)氏は、全てのLRJ遺跡(その多くは20世紀に発掘され、報告が不充分です)を現生人類の所産とするのは時期尚早と主張します。「この論文は、1点の石器を見ると、どの人類種が作ったのか言える、という問題のある見解を用いています。問題は、いわゆるLRJがあらゆる種類の遺物群を放り込むことのできる屑籠のようなものであることです」と、ニコラス・コナード氏は述べています。
たとえば、ネアンデルタール人が他の遺跡で見つかったLRJの道具を作ったり、現生人類とともにLRJの道具を作ったりしたかもしれません。「ラニスについての論文の主張は疑っていません。問題は、LRJが現生人類のみの所産だったのか、共同製作だったのか、ということです」と、ドイツのニーダーザクセン州政府文化遺産局の考古学者であるディルク・レーダー(Dirk Leder)氏は述べています。
ラニスの人々とその同時代の人々は何千年も一見すると上手くやっていましたが、最終的には「完全には成功しませんでした。ラニスの人々は、その子孫をバチョキロ洞窟から探そうと我々が試みた時までは少なくとも、さらに南方に生息するネアンデルタール人を置換したわけではなく、その後の人口集団にはゲノムをごくわずかしか伝えなかったようです」と、ジャン=ジャック・ハブリン氏は述べています。4万年前頃、現生人類の新たな波が到来し、ずっと大規模に急増しました。ネアンデルタール人をすぐに辺境に追いやり、次に絶滅に追い込んだのはそれらの人々でした。
●私見
以上、この解説記事を見てきました。ドイツのラニスにあるイルゼン洞窟では、LRJ遺物群と人類遺骸が発見され、mtDNA解析により現生人類型(ハプログループNおよびその派生系統のR)と示されました(Mylopotamitak et al.2024)。LRJは、ヨーロッパにおける中部旧石器時代~上部旧石器時代の「移行期インダストリー」の一つとされており(Galway‐Witham et al., 2019)、その担い手がどの人類系統なのか、注目されてきました。まだ論文では公表されていませんが、イルゼン洞窟のLRJ遺物群と関連する人類遺骸の核ゲノムも解析されており、やはり現生人類と示されています(Sümer et al., 2023)。
しかし、ディルク・レーダー氏が指摘するように、イルゼン洞窟のLRJの担い手が現生人類だとしても、他の遺跡ではネアンデルタール人が担い手だったり、あるいは現生人類とネアンデルタール人がともに関わっていたりする可能性も排除すべきではないでしょう。ユーラシア西部における後期更新世人類の進化を再検討した研究(Finlayson et al., 2023)でも、少数の化石や遺跡に基づいて、人類系統の相互作用を安易に判断することに、注意が喚起されています(これは後期更新世のユーラシア西部に時空間的に限定されない問題ですが)。
また、ニコラス・コナード氏が指摘するように、LRJが、多数の種類の石器を分類できる実態の曖昧な考古学的区分になっている可能性も問題です。これらの問題には、ブリテン諸島から現代のポーランドまでヨーロッパの比較的高緯度地帯に分布していたとされる、LRJ遺物群の体系的な再調査が必要なのでしょう。この再調査が進めば、LRJは複数のインダストリーに区分できるようになるかもしれませんし、LRJの起源も詳しく解明されていくのではないか、と期待されます。
LRJの担い手全てが現生人類系統だったのか、あるいはネアンデルタール人も関わっていたのかはともかく、イルゼン洞窟のLRJに現生人類が関わっていたことはまず間違いないでしょう。上述のように、イルゼン洞窟のLRJ遺物群と関連する人類遺骸の核ゲノム解析結果も、現生人類であることを示しています(Sümer et al., 2023)。注目されるのは、イルゼン洞窟のLRJ関連の現生人類が核ゲノムでは、既知の古代人と現代人のうち、ズラティクン個体と遺伝的には最も近い、と示されていることです(Sümer et al., 2023)。さらに、イルゼン洞窟のLRJ関連の現生人類遺骸のうち1個体では比較的高網羅率のゲノムデータが得られており、この個体はズラティクン個体と相互にせいぜい15世代離れていた、とも示されています(Sümer et al., 2023)。
チェコで発見されたズラティクン個体は、関連する人工遺物が特定の文化的技術複合に確定的に分類できておらず、信頼性の高い直接的な年代値もありませんが、45000年以上前である可能性が指摘されており(Prüfer et al., 2021)、イルゼン洞窟の現生人類個体群と年代が重複しているかもしれません。ズラティクン個体は遺伝的には、出アフリカ現生人類集団のうち非アフリカ系現代人全員の共通祖先と初期に分岐した系統を表しており、現代人には遺伝的痕跡をほぼ全く残していない、と推測されてきました(Prüfer et al., 2021)。
しかし最近、ズラティクン個体的な遺伝的構成要素は、わずかながら少なくとも一部のユーラシア西部更新世人類集団に継承されていた、と示されました(Bennett et al., 2023)。このズラティクン個体的な遺伝的構成要素の起源集団が、LRJの担い手だったのか、あるいは別の文化を有していたのか、さらには時空間的にどのように分布していたのか、他集団との遺伝的混合がいつどこで起きたのか、現時点ではよく分かりません。この問題の解明には、古代ゲノム研究と考古学など他分野との学際的研究の進展が必要になるでしょう。
イルゼン洞窟の研究から、初期現生人類が寒冷なヨーロッパ北部にも比較的早く適応できていたのではないか、と推測されます。これは現生人類の柔軟性と適応性の高さを示しているのでしょうが、一方で、ジャン=ジャック・ハブリン氏が指摘するように、ズラティクン個体的な遺伝的構成の集団がヨーロッパにおいてネアンデルタール人を完全に置換したわけではなさそうで、ヨーロッパにおけるネアンデルタール人と現生人類の関係はかなり複雑だったようです。また、フランス地中海地域において5万年以上前に現生人類が存在した可能性はかなり高そうで(Slimak et al., 2022)、しかもこの現生人類集団は弓矢技術を有していた可能性が高そうですから(Metz et al., 2023)、飛び道具によりネアンデルタール人に対して優勢に立った現生人類がネアンデルタール人を置換した、という単純な話でもなさそうです。
ヨーロッパの後期更新世の人類史は、45000年前頃に現生人類が到来し、在来のネアンデルタール人集団は数千年間ほど現生人類と共存した後に絶滅した、という少し前に有力だったと思われる見解(Galway‐Witham et al., 2019)はもはや通用せず、もっと複雑な仮定的状況が必要なのでしょう。そうした複雑な後期更新世ヨーロッパ人類史の解明に、遺伝学や考古学などによるイルゼン洞窟の学際的研究は重要な貢献ができるのではないか、と期待されます。
参考文献:
Bennett EA. et al.(2023): Genome sequences of 36,000- to 37,000-year-old modern humans at Buran-Kaya III in Crimea. Nature Ecology & Evolution, 7, 12, 2160–2172.
https://doi.org/10.1038/s41559-023-02211-9
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Curry A.(2024): In Europe, an early, cold dawn for modern humans. Science, 383, 6682, 468–469.
https://doi.org/10.1126/science.zfsld58
Finlayson M. et al.(2023): Close encounters vs. missed connections? A critical review of the evidence for Late Pleistocene hominin interactions in western Eurasia. Quaternary Science Reviews, 319, 108307.
https://doi.org/10.1016/j.quascirev.2023.108307
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Galway‐Witham Y, Cole J, and Stringer C.(2019): Aspects of human physical and behavioural evolution during the last 1 million years. Journal of Quaternary Science, 34, 6, 355–378.
https://doi.org/10.1002/jqs.3137
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Hajdinjak M. et al.(2021): Initial Upper Palaeolithic humans in Europe had recent Neanderthal ancestry. Nature, 592, 7853, 253–257.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-03335-3
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Hublin JJ. et al.(2023): Who were the makers of the Lincombian-Ranisian-Jerzmanowician? New evidence from the site of Ilsenhöhle in Ranis (Germany). The 13th Annual ESHE Meeting.
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Metz L, Lewis JE, and Slimak L.(2023): Bow-and-arrow, technology of the first modern humans in Europe 54,000 years ago at Mandrin, France. Science Advances, 9, 8, eadd4675.
https://doi.org/10.1126/sciadv.add4675
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Mylopotamitak D. et al.(2024): Homo sapiens reached the higher latitudes of Europe by 45,000 years ago. Nature, 626, 7998, 341–346.
https://doi.org/10.1038/s41586-023-06923-7
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Pederzani S. et al.(2024): Stable isotopes show Homo sapiens dispersed into cold steppes ~45,000 years ago at Ilsenhöhle in Ranis, Germany, Germany. Nature Ecology & Evolution, 8, 3, 578–588.
https://doi.org/10.1038/s41559-023-02318-z
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Prüfer K. et al.(2021): A genome sequence from a modern human skull over 45,000 years old from Zlatý kůň in Czechia. Nature Ecology & Evolution, 5, 6, 820–825.
https://doi.org/10.1038/s41559-021-01443-x
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Ragsdale AP. et al.(2023): A weakly structured stem for human origins in Africa. Nature, 617, 7962, 755–763.
https://doi.org/10.1038/s41586-023-06055-y
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Slimak L. et al.(2022): Modern human incursion into Neanderthal territories 54,000 years ago at Mandrin, France. Science Advances, 8, 6, eabj9496.
https://doi.org/10.1126/sciadv.abj9496
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Slimak L (2023) The three waves: Rethinking the structure of the first Upper Paleolithic in Western Eurasia. PLoS ONE 18(5): e0277444.
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0277444
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Smith GM. et al.(2023): The ecology, subsistence and diet of ca. 45,000-year-old Homo sapiens at Ilsenhöhle in Ranis, Germany. The 13th Annual ESHE Meeting.
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Smith GM. et al.(2024): The ecology, subsistence and diet of ~45,000-year-old Homo sapiens at Ilsenhöhle in Ranis, Germany. Nature Ecology & Evolution.
https://doi.org/10.1038/s41559-023-02303-6
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Sümer AP. et al.(2023): High coverage genomes of two of the earliest Homo sapiens in Europe. The 13th Annual ESHE Meeting.
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●解説
45000年以上前、狩猟民の小集団が、ヨーロッパ北部の大半に広がる広大なツンドラ地帯で、ウマやトナカイやマンモスを追いかけました。そうした狩猟採集民はどこかに長く存在することは稀で、洞窟の深部で石器の散在や奇妙な篝火の痕跡を残しました。考古学者は1世紀以上、これらの人工遺物を残したのが、ヨーロッパを徘徊していた後期ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の一部なのか、あるいはヨーロッパ大陸の北方の範囲にまで勇敢に立ち向かった最初の現生人類だったのか、議論してきました。
『Nature』誌(Mylopotamitak et al.2024)と『Nature Ecology & Evolution』誌(Pederzani et al.2024、Smith et al.2024)に掲載された3本の論文は、この問題の会計に役立つかもしれません。2016~2022年にかけて、考古学者はドイツ中央部のラニス村にある1ヶ所の洞窟から人類の骨の断片を回収しました(発掘中の写真)。それらの骨は少なくとも45000年前頃で、そのDNAは今では現生人類の遺骸と確認されました(Mylopotamitak et al.2024)。この発掘を監督した、エアランゲン=ニュルンベルクのフリードリヒ・アレクサンダー大学の考古学者であるマルセル・ヴァイス(Marcel Weiss)氏は、「ヨーロッパ北部の現生人類集団がネアンデルタール人消滅のずっと前に存在した」と述べています。以下はこの解説記事の発掘中の写真です。
さらに、それらの人骨は、ブリテン諸島から現代のポーランドまで、ヨーロッパ北部全域の他の遺跡で知られている種類の石刃とともに発見されました。考古学者はかつて、これらの石器しネアンデルタール人の製作物と推測しましたが、ラニスで発見された人骨は、LRJ(Lincombian–Ranisian–Jerzmanowician、リンコンビアン・ラニシアン・エルツマノウィッチ)と呼ばれる様式のこれらの石器(石器の写真)が現生人類の所産であることを示唆しています。「これは、初期現生人類が考えられていたよりもずっと早く、さらに広く拡大していたことを示唆しています」と、この研究に関わっていないウィーン大学の考古学者であるトム・ハイアム(Tom Higham)氏は述べています。ヨーロッパ北部において、現生人類の先駆的集団がネアンデルタール人とヨーロッパ大陸を共有し、「複雑な斑状のパターンが現れているようです」と、トム・ハイアム氏は述べています。以下はこの解説記事の石器の写真です。
ラニスで発見された骨は、ヨーロッパにおける現生人類の初期の存在に関する唯一の証拠ではありません。2022年【原文では2022年とありますが、2021年の間違い】、同じ研究団はブルガリアのバチョキロ洞窟(Bacho Kiro Cave)で発見された45000年前頃の現生人類遺骸の発見を報告しました(Hajdinjak et al., 2021)。2021年に報告された、チェコのコニェプルシ(Koněprusy)洞窟群で発見された洞窟群の頂上の丘にちなんでズラティクン(Zlatý kůň)と呼ばれる成人女性1個体の頭蓋は、よく保存された現生人類のDNAを有しており、43000年以上前かもしれません(Prüfer et al., 2021)。別の研究団は、54000年前頃かもしれないフランス南部の洞窟から発見された歯(Slimak et al., 2022)も含めて、より古い現生人類の存在を依然として主張してきました(Slimak., 2023)。
しかし、南方と東方への初期侵入の兆候は、現生人類がヨーロッパ大陸をどのように征服したのかに関する、長く保たれてきたモデルを粉砕しませんでした。「数十年前、現生人類が到来し、ネアンデルタール人を大きな波の中で置換した、というこの仮定的状況がありました」と、この新たな研究の共著者である、マックス・プランク進化人類学研究所の考古学者のシャノン・マクフェロン(Shannon McPherron)氏は述べます。
バチョキロ洞窟とズラティクン個体に加えて、ラニスで得られた新たな証拠から、単一の波ではなく、現生人類の小集団がアフリカからヨーロッパへと48000年前頃以降漸進的に移動し、何千年もネアンデルタール人と重複していた、と示唆されます。「それは共存と競合と相互作用を示唆しています。それはずっと服さづで多様な過程です」と、今ではバルセロナの自然科学博物館所長で、研究団には参加しなかった、考古学者であるカルレス・ラルエザ=フォックス(Carles Lalueza-Fox)氏は述べています。
遺伝学的証拠から、この2集団(ネアンデルタール人と現生人類)は時に遭遇し、相互作用していた、と確証されました。たとえば、バチョキロ洞窟のDNAの結果から、バチョキロ洞窟の人々は過去6世代以内にネアンデルタール人の祖先を有していたものの(Hajdinjak et al., 2021)、女性のズラティクン個体は最近のネアンデルタール人の祖先を有していなかった(Prüfer et al., 2021)、と示されました。ラニス個体群の遺伝学的結果の分析は進行中ですが、初期の結果は、これらの小集団の移動性を示唆しており、500km以上南方のズラティクン頭蓋との密接なつながりを示します(Sümer et al., 2023)。
新たな証拠は苦労の末に得られました。ラニスのイルゼン洞窟におけるLRJ層に到達するため、研究団は小型車規模の大きな岩を破壊して除去し、ずっと前に洞窟崩壊により残された8mに及ぶ堆積物に竪坑を掘らねばなりませんでした。しかし、イルゼン洞窟の深部の冷たさは、放射性炭素年代と遺伝学的検証のための有機物質の保存に役立ちました。「ラニスは本当に例外的です。ラニスは、私がこれまでに研究したこの年代では最良の保存状態の遺跡の一つです」と、放射性炭素年代測定を率いたフランシス・クリック研究所のヘレン・フューラス(Helen Fewlass)氏は述べています。
1930年代に収集され、近隣のドイツのハレ(Halle)市に保管されていた、折れた骨の入った箱には、イルゼン洞窟の同じ層から発見されたより多くのヒト遺骸も保管されていました。トナカイやケブカサイやホラアナグマやハイエナやウマの骨と歯は、全てその明確なタンパク質の兆候により同定され、古代の狩猟民が緒面した環境への手がかりを提供しました。たとえば、イルゼン洞窟のLRJ層のウマの歯の酸素同位体は、48000年前頃以降のひじょうに局所的な情報を捕捉していました(Pederzani et al.2024)。平均的な予想は?研究者が「北極圏周辺」と呼んでいる地域、つまり現代のドイツより7度~15度寒冷です。「これらの人々は、現在のスカンジナビア半島の北側のようなひじょうに悪条件の環境に拡大しました」と、ラニスの研究を率いた、フランシス大学の古人類学者であるジャン=ジャック・ハブリン(Jean-Jacques Hublin)氏は述べています。
それもまた驚きです。現生人類はアフリカの熱帯緯度に起源がありました【現生人類の起源については、アフリカ単一起源説は確定していても、その出現過程についてはまだ議論があると思います(Ragsdale et al., 2023)】。4万年前頃よりも前には仕立てた衣服の証拠が欠如していることを考慮して、研究者は長く、ヨーロッパへの北進には周期的な温暖期を利用した、と仮定してきました。
しかし、ラニスでの発見は寒さが障壁ではなかったことを確証します(Smith et al.2024)。数千年以内かそれ未満で、現生人類の小集団は明らかに熱帯もしくは亜熱帯の森林およびアジア南西部と地中海の草原から、ヨーロッパ北部の木のない氷の草原地帯へと移行しました。「それは本当に予想外でした。それは、どの牽引要因が寒冷環境になり得たのか、考察する機会であり、恐らくそうした寒冷環境は我々が考えていたよりも魅力的です」と、ユタ大学の考古学地球化学者である共著者のサラ・ペデルザーニ(Sarah Pederzani)氏は述べています。
まだ全員が納得しているわけではありません。テュービンゲン大学の考古学者であるニコラス・コナード(Nicholas Conard)氏は、全てのLRJ遺跡(その多くは20世紀に発掘され、報告が不充分です)を現生人類の所産とするのは時期尚早と主張します。「この論文は、1点の石器を見ると、どの人類種が作ったのか言える、という問題のある見解を用いています。問題は、いわゆるLRJがあらゆる種類の遺物群を放り込むことのできる屑籠のようなものであることです」と、ニコラス・コナード氏は述べています。
たとえば、ネアンデルタール人が他の遺跡で見つかったLRJの道具を作ったり、現生人類とともにLRJの道具を作ったりしたかもしれません。「ラニスについての論文の主張は疑っていません。問題は、LRJが現生人類のみの所産だったのか、共同製作だったのか、ということです」と、ドイツのニーダーザクセン州政府文化遺産局の考古学者であるディルク・レーダー(Dirk Leder)氏は述べています。
ラニスの人々とその同時代の人々は何千年も一見すると上手くやっていましたが、最終的には「完全には成功しませんでした。ラニスの人々は、その子孫をバチョキロ洞窟から探そうと我々が試みた時までは少なくとも、さらに南方に生息するネアンデルタール人を置換したわけではなく、その後の人口集団にはゲノムをごくわずかしか伝えなかったようです」と、ジャン=ジャック・ハブリン氏は述べています。4万年前頃、現生人類の新たな波が到来し、ずっと大規模に急増しました。ネアンデルタール人をすぐに辺境に追いやり、次に絶滅に追い込んだのはそれらの人々でした。
●私見
以上、この解説記事を見てきました。ドイツのラニスにあるイルゼン洞窟では、LRJ遺物群と人類遺骸が発見され、mtDNA解析により現生人類型(ハプログループNおよびその派生系統のR)と示されました(Mylopotamitak et al.2024)。LRJは、ヨーロッパにおける中部旧石器時代~上部旧石器時代の「移行期インダストリー」の一つとされており(Galway‐Witham et al., 2019)、その担い手がどの人類系統なのか、注目されてきました。まだ論文では公表されていませんが、イルゼン洞窟のLRJ遺物群と関連する人類遺骸の核ゲノムも解析されており、やはり現生人類と示されています(Sümer et al., 2023)。
しかし、ディルク・レーダー氏が指摘するように、イルゼン洞窟のLRJの担い手が現生人類だとしても、他の遺跡ではネアンデルタール人が担い手だったり、あるいは現生人類とネアンデルタール人がともに関わっていたりする可能性も排除すべきではないでしょう。ユーラシア西部における後期更新世人類の進化を再検討した研究(Finlayson et al., 2023)でも、少数の化石や遺跡に基づいて、人類系統の相互作用を安易に判断することに、注意が喚起されています(これは後期更新世のユーラシア西部に時空間的に限定されない問題ですが)。
また、ニコラス・コナード氏が指摘するように、LRJが、多数の種類の石器を分類できる実態の曖昧な考古学的区分になっている可能性も問題です。これらの問題には、ブリテン諸島から現代のポーランドまでヨーロッパの比較的高緯度地帯に分布していたとされる、LRJ遺物群の体系的な再調査が必要なのでしょう。この再調査が進めば、LRJは複数のインダストリーに区分できるようになるかもしれませんし、LRJの起源も詳しく解明されていくのではないか、と期待されます。
LRJの担い手全てが現生人類系統だったのか、あるいはネアンデルタール人も関わっていたのかはともかく、イルゼン洞窟のLRJに現生人類が関わっていたことはまず間違いないでしょう。上述のように、イルゼン洞窟のLRJ遺物群と関連する人類遺骸の核ゲノム解析結果も、現生人類であることを示しています(Sümer et al., 2023)。注目されるのは、イルゼン洞窟のLRJ関連の現生人類が核ゲノムでは、既知の古代人と現代人のうち、ズラティクン個体と遺伝的には最も近い、と示されていることです(Sümer et al., 2023)。さらに、イルゼン洞窟のLRJ関連の現生人類遺骸のうち1個体では比較的高網羅率のゲノムデータが得られており、この個体はズラティクン個体と相互にせいぜい15世代離れていた、とも示されています(Sümer et al., 2023)。
チェコで発見されたズラティクン個体は、関連する人工遺物が特定の文化的技術複合に確定的に分類できておらず、信頼性の高い直接的な年代値もありませんが、45000年以上前である可能性が指摘されており(Prüfer et al., 2021)、イルゼン洞窟の現生人類個体群と年代が重複しているかもしれません。ズラティクン個体は遺伝的には、出アフリカ現生人類集団のうち非アフリカ系現代人全員の共通祖先と初期に分岐した系統を表しており、現代人には遺伝的痕跡をほぼ全く残していない、と推測されてきました(Prüfer et al., 2021)。
しかし最近、ズラティクン個体的な遺伝的構成要素は、わずかながら少なくとも一部のユーラシア西部更新世人類集団に継承されていた、と示されました(Bennett et al., 2023)。このズラティクン個体的な遺伝的構成要素の起源集団が、LRJの担い手だったのか、あるいは別の文化を有していたのか、さらには時空間的にどのように分布していたのか、他集団との遺伝的混合がいつどこで起きたのか、現時点ではよく分かりません。この問題の解明には、古代ゲノム研究と考古学など他分野との学際的研究の進展が必要になるでしょう。
イルゼン洞窟の研究から、初期現生人類が寒冷なヨーロッパ北部にも比較的早く適応できていたのではないか、と推測されます。これは現生人類の柔軟性と適応性の高さを示しているのでしょうが、一方で、ジャン=ジャック・ハブリン氏が指摘するように、ズラティクン個体的な遺伝的構成の集団がヨーロッパにおいてネアンデルタール人を完全に置換したわけではなさそうで、ヨーロッパにおけるネアンデルタール人と現生人類の関係はかなり複雑だったようです。また、フランス地中海地域において5万年以上前に現生人類が存在した可能性はかなり高そうで(Slimak et al., 2022)、しかもこの現生人類集団は弓矢技術を有していた可能性が高そうですから(Metz et al., 2023)、飛び道具によりネアンデルタール人に対して優勢に立った現生人類がネアンデルタール人を置換した、という単純な話でもなさそうです。
ヨーロッパの後期更新世の人類史は、45000年前頃に現生人類が到来し、在来のネアンデルタール人集団は数千年間ほど現生人類と共存した後に絶滅した、という少し前に有力だったと思われる見解(Galway‐Witham et al., 2019)はもはや通用せず、もっと複雑な仮定的状況が必要なのでしょう。そうした複雑な後期更新世ヨーロッパ人類史の解明に、遺伝学や考古学などによるイルゼン洞窟の学際的研究は重要な貢献ができるのではないか、と期待されます。
参考文献:
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