蝦島貝塚の縄文時代晩期人骨のミトコンドリアDNA 分析
蝦島貝塚の縄文時代晩期人骨のミトコンドリアDNA (mtDNA)分析結果を報告した研究(神澤他.,2023)が公表されました。縄文時代の墓地・墓域においては、墓が群集する埋葬群を形成する場合があります。これらの埋葬群はいくつかの埋葬小群が集まって形成されており、このような全体的構造が区画された墓域は、縄文時代中期以降に見られるようになります。この区画の最小単位である埋葬小群が何を示しているのか、まだ明らかではありませんが、遺伝的な関係にある小家族集団も想定され、これら埋葬人骨間の関係性の把握は縄文時代の親族構造の解明において重要です。
これまで形質人類学では、抜歯形式により同一のムラ出身者(ミウチ)と婚入者(ヨソモノ)を識別したり、頭蓋形態小変異から埋葬個体間の遺伝的関係を推測したり、歯冠計測値に基づいて統計学的手法から人骨間の血縁関係を分析したりする、などとった手法が用いられてきました。ただ、歯冠計測値に基づく推定方法は、遺伝的均質性が高いと想定されてきた「縄文人」集団では、血縁関係になくても形態の類似度が高いと考えられるなど、課題もあります。一方最近では、人骨に残存するDNA解析によって、従来の形態学的な手法と比べて精度の高い判定が可能となっています。DNAの分析ではおもに、母系系統に遺伝する環状のmtDNAが用いられており、それは細胞中に鋳型が2つしかない核DNAよりも、鋳型が多数あるmtDNAの方でDNA解析の成功率が高いからです。これまで、mtDNA の一部領域の分析によってmtDNAハプログループ(mtHg)が推定され、血縁関係が判定されてきました。2010 年に次世代シークエンサが古代DNA 研究に導入されて以降は、mtDNAの全周の塩基配列(16569塩基)を従来よりもはるかに容易に決定できるようになったため、全周の配列情報による詳細かつ精度の高い血縁推定も技術的に可能となっています。
本論文は、国立科学博物館が収蔵する岩手県一関市花泉町にある蝦島貝塚(貝取貝塚)から出土した縄文時代晩期人骨からのmtDNA解析結果を報告します。従来の考古学的研究において、頭位方向によって蝦島貝塚の墓域は区分可能と指摘されています。また、人骨の年代分析の結果から埋葬は連続的に行なわれているものの、頭位方向の差はおおむね時期差と関係がある、と指摘されています。先行研究では、頭蓋形態小変異の前頭縫合・舌下神経管二分が共通する事例も報告されています。さらに蝦島貝塚では、同じ抜歯形式を共有する人骨や合葬される人骨が見られ、これらの埋葬属性は、埋葬人骨間の関係性を推定し、縄文時代の親族構造を明らかにする上で重要な情報です。本論文は、埋葬属性の共通性がどのような遺伝的関係性と相関するのかを明らかとする目的で行なわれた、mtDNA解析結果を報告します。これにより、母系系統での埋葬個体間の遺伝的関係性を検証できます。
蝦島貝塚の縄文時代晩期人骨群で具体的に分析対象とされたのは、頭蓋形態小変異の前頭縫合と舌下神経管二分が共通する43・45・51号人骨、抜歯形式を共有する51・52 号人骨、合葬される57・58 号人骨です。また、同一集落内での比較対象として、これらの人骨と埋葬位置が少し離れたところに位置する、59・60 号人骨が選定されました。この外群2個体は、形態小変異と抜歯と合葬個体で同一の配列が見られた場合、それが血縁関係にあるのか否か、同一集落内での遺伝的な多様性が著しく低いために生じているのか否か、判断するために選定されました。分析には、蝸牛や半規管を収納する側頭骨錐体が用いられました。
6個体で詳しいmtHgが決定され、その内訳は、43号がN9b1*、45号がM7a2a1*、51号がM7a+16324、52号がN9b4、57号がN9b1d、58号がN9b2aです。これらはいずれも核ゲノム解析可能なDNAの残存が確認されており、今後の研究が期待されます。mtHgを大別すると、N9bが4個体、M7aが2個体となり、両者はともに「縄文人」集団において広く見られます。これらの個体は下位分類ではすべて異なっており、この地域の「縄文人」集団の遺伝的多様性解明の手がかりとなりそうです。北海道の「縄文人」では54個体のうち35個体がmtHg-N9bで、そのうち少なくとも12系統の異なるハプロタイプが検出され、熊本県宇城市三角町戸馳島の浜ノ洲貝塚で発見された縄文時代の16個体からは、12系統の異なるmtDNAハプロタイプが検出されており、特定の母系に集中していたわけではなさそうで、母系の観点では遺伝的多様性が比較的高かったのかもしれません。
北海道の礼文島の船泊遺跡で発見された縄文時代後期人骨の核ゲノム解析(関連記事)からは、「縄文人」の遺伝的多様性は過去5万年間低かった一方で、内婚を示すような特徴は検出されなかったことから、婚姻の範囲は広かったかもしれません。今後は、より多くの縄文時代の遺跡での人類遺骸のmtDNA解析により、母系での遺伝的多様性を検討するとともに、より膨大な情報を有する核ゲノム解析からも、「縄文人」集団の遺伝的多様性と周辺地域との遺伝的交流について検証する必要があるでしょう。
参考文献:
神澤秀明、角田恒雄、安達登、篠田謙一、山田康弘(2023)「岩手県一関市蝦島貝塚出土縄文晩期人骨のミトコンドリアDNA分析」『国立歴史民俗博物館研究報告』第242集P103-110
https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/records/2000024
これまで形質人類学では、抜歯形式により同一のムラ出身者(ミウチ)と婚入者(ヨソモノ)を識別したり、頭蓋形態小変異から埋葬個体間の遺伝的関係を推測したり、歯冠計測値に基づいて統計学的手法から人骨間の血縁関係を分析したりする、などとった手法が用いられてきました。ただ、歯冠計測値に基づく推定方法は、遺伝的均質性が高いと想定されてきた「縄文人」集団では、血縁関係になくても形態の類似度が高いと考えられるなど、課題もあります。一方最近では、人骨に残存するDNA解析によって、従来の形態学的な手法と比べて精度の高い判定が可能となっています。DNAの分析ではおもに、母系系統に遺伝する環状のmtDNAが用いられており、それは細胞中に鋳型が2つしかない核DNAよりも、鋳型が多数あるmtDNAの方でDNA解析の成功率が高いからです。これまで、mtDNA の一部領域の分析によってmtDNAハプログループ(mtHg)が推定され、血縁関係が判定されてきました。2010 年に次世代シークエンサが古代DNA 研究に導入されて以降は、mtDNAの全周の塩基配列(16569塩基)を従来よりもはるかに容易に決定できるようになったため、全周の配列情報による詳細かつ精度の高い血縁推定も技術的に可能となっています。
本論文は、国立科学博物館が収蔵する岩手県一関市花泉町にある蝦島貝塚(貝取貝塚)から出土した縄文時代晩期人骨からのmtDNA解析結果を報告します。従来の考古学的研究において、頭位方向によって蝦島貝塚の墓域は区分可能と指摘されています。また、人骨の年代分析の結果から埋葬は連続的に行なわれているものの、頭位方向の差はおおむね時期差と関係がある、と指摘されています。先行研究では、頭蓋形態小変異の前頭縫合・舌下神経管二分が共通する事例も報告されています。さらに蝦島貝塚では、同じ抜歯形式を共有する人骨や合葬される人骨が見られ、これらの埋葬属性は、埋葬人骨間の関係性を推定し、縄文時代の親族構造を明らかにする上で重要な情報です。本論文は、埋葬属性の共通性がどのような遺伝的関係性と相関するのかを明らかとする目的で行なわれた、mtDNA解析結果を報告します。これにより、母系系統での埋葬個体間の遺伝的関係性を検証できます。
蝦島貝塚の縄文時代晩期人骨群で具体的に分析対象とされたのは、頭蓋形態小変異の前頭縫合と舌下神経管二分が共通する43・45・51号人骨、抜歯形式を共有する51・52 号人骨、合葬される57・58 号人骨です。また、同一集落内での比較対象として、これらの人骨と埋葬位置が少し離れたところに位置する、59・60 号人骨が選定されました。この外群2個体は、形態小変異と抜歯と合葬個体で同一の配列が見られた場合、それが血縁関係にあるのか否か、同一集落内での遺伝的な多様性が著しく低いために生じているのか否か、判断するために選定されました。分析には、蝸牛や半規管を収納する側頭骨錐体が用いられました。
6個体で詳しいmtHgが決定され、その内訳は、43号がN9b1*、45号がM7a2a1*、51号がM7a+16324、52号がN9b4、57号がN9b1d、58号がN9b2aです。これらはいずれも核ゲノム解析可能なDNAの残存が確認されており、今後の研究が期待されます。mtHgを大別すると、N9bが4個体、M7aが2個体となり、両者はともに「縄文人」集団において広く見られます。これらの個体は下位分類ではすべて異なっており、この地域の「縄文人」集団の遺伝的多様性解明の手がかりとなりそうです。北海道の「縄文人」では54個体のうち35個体がmtHg-N9bで、そのうち少なくとも12系統の異なるハプロタイプが検出され、熊本県宇城市三角町戸馳島の浜ノ洲貝塚で発見された縄文時代の16個体からは、12系統の異なるmtDNAハプロタイプが検出されており、特定の母系に集中していたわけではなさそうで、母系の観点では遺伝的多様性が比較的高かったのかもしれません。
北海道の礼文島の船泊遺跡で発見された縄文時代後期人骨の核ゲノム解析(関連記事)からは、「縄文人」の遺伝的多様性は過去5万年間低かった一方で、内婚を示すような特徴は検出されなかったことから、婚姻の範囲は広かったかもしれません。今後は、より多くの縄文時代の遺跡での人類遺骸のmtDNA解析により、母系での遺伝的多様性を検討するとともに、より膨大な情報を有する核ゲノム解析からも、「縄文人」集団の遺伝的多様性と周辺地域との遺伝的交流について検証する必要があるでしょう。
参考文献:
神澤秀明、角田恒雄、安達登、篠田謙一、山田康弘(2023)「岩手県一関市蝦島貝塚出土縄文晩期人骨のミトコンドリアDNA分析」『国立歴史民俗博物館研究報告』第242集P103-110
https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/records/2000024
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