ドイツ中央部の前期青銅器時代の親族関係
ドイツ中央部の前期青銅器時代の46個体のゲノムデータを報告した研究(Penske et al., 2024)が公表されました。本論文は、ドイツ中央部のレウビンゲン(Leubingen)の前期青銅器時代(Early Bronze Age、略してEBA)46個体のゲノムデータを解析し、5家系を再構築して、当時の社会がおもに女性族外婚を含む父系/父方居住だった、と示しています。ヨーロッパにおける古代ゲノム研究の進展は他地域よりもずっと進んでおり(関連記事)、本論文のように、遺伝的親族関係を特定し、当時の親族関係慣行を推測する研究はもはや珍しくありません。今後は、同様の研究がアジア東部など他地域でもヨーロッパの水準にまで進展するよう、期待しています。
●要約
紀元前2200年頃にヨーロッパ中央部では前期青銅器時代が始まると、地域的および超地域的な階層的な社会組織が出現し、少数の個体が権力者(首長)となり、大規模な埋葬建造物により区別されました。しかし、非エリートを表している大半の人々の内部の大半社会組織と階層化は不明確なままです。本論文は、現在のドイツのレウビンゲンの前期青銅器時代埋葬地から発見された46個体のゲノム規模データを提示し、考古学と遺伝学とストロンチウム同位体のデータを統合し、前期青銅器時代社会への新たな洞察を得ます。本論文は、密接な生物学的親族関係集団(両親とその子供)で構成される5家系を再構築し、同じ遺跡に埋葬された個体群と親族関係にない個体群も特定できました。一連の証拠の組み合わせに基づくと、埋葬共同体の親族関係構造はおもに女性族外婚を含む父系/父方居住だった、と観察されます。さらに、レウビンゲンに埋葬された個体では、遺伝的性別と死亡年齢と出身地に基づく副葬品の量に違いが検出されますが、副葬品の種類では違いが見られません。
●研究史
ドイツ中央部における前期青銅器時代(EBA)のウーニェチツェ(Únětice)文化(紀元前2200~紀元前1550年頃)は、先行する新石器時代と比較すると、首長制の出現を伴う経済と社会的階層化の大きな変化により特徴づけられます。ウーニェチツェ文化の地理的分布は、ドイツ南東部のニーダーエスターライヒ州(Niederösterreich、Lower Austria)およびスロバキアから、ドイツ中央部のハルツ(Harz)山脈の東端まで広がっています(図1a)。以下は本論文の図1です。
ドイツ内では、ウーニェチツェ文化は現在のザクセン州やザクセン=アンハルト州やテューリンゲン州やニーダーエスターライヒ州の南東端部に分布しています。ハルツ山脈の周辺地域では、ウーニェチツェ文化に分類されている考古学的発見は、ハルツ山地周辺(Circum-Harz、略してCH)群にまとめられています。CH地域はひじょうに肥沃な黄土の土壌と黒土(Chernozem)と少ない平均降水量(年間1 m²あたり500ℓ超)により特徴づけられており、これらは農耕に理想的な条件を提供します。ここでは、埋葬地の貧弱な墓と比較して、ヘルムスドルフ(Helmsdorf)やボルンヘック(Bornhöck)やレウビンゲンなど豪壮な造りの「王侯」の古墳の発見が、CH集団内の社会的階層化との仮定につながります。さらに、銅と、より新しくは青銅器製の人工遺物の地理的に近い秘蔵もしくは倉庫や、農業生産物の余剰から、この地域は政治と軍事と宗教の権力の中心地と示され、権力の地位にある少ない個体が政治的権威や正当化と関連していました。これは、ドイツ中央部のウーニェチツェ文化の通常の埋葬と比較しての、古墳(tumulus)における副葬品の品質と量にも反映されています。
金製人工遺物はレウビンゲンとヘルムスドルフとボルンヘックの「王侯」のの移送で発見されており、金の合計量は、レウビンゲンで256g、ボルンヘックでは1232g程度と推定されています。社会的階層化は、先行する末期新石器時代(紀元前2800~紀元前2300/紀元前2200年頃)ですでに想定されてきました。アフェルシュタット(Apfelstädt)の鐘状ビーカー(Bell Beaker、略してBB)関連の射手のような際立った個体の稀な発見はこの理論を裏づけていますが、社会的階層化と不平等のそうした明らかな兆候は、ドイツ中央部のEBAウーニェチツェ文化で観察されているように、この期間【末期新石器時代】については裏づけることができません。
対照的に、(初期)CH集団(紀元前2200~紀元前2000年頃)のほとんどの通常の埋葬は、豪壮な造りは疎らにしかなく、時には副葬品が欠けていました。しかし、これはこの地域に固有なだけで、ウーニェチツェ文化の南方の分布範囲は、豊富な高品質の副葬品を示しており、たとえば、チェコ共和国のボヘミアの「琥珀の道」に沿って位置するミクロヴィツェ(Mikulovice)の埋葬遺跡です。しかし、最近増加しているヨーロッパ中央部におけるウーニェチツェ集落の活動の考古学的証拠に基づくと、ウーニェチツェ文化集団と近隣のEBA文化との間の体系的な調査が可能になりました。その結果データが増加したことで、集落史のより深い理解、さらにはそれによって、ドイツ中央部におけるウーニェチツェ文化の起源の可能性の理解にもつながりました。
ウーニェチツェ文化の出現は、とくに先行する在来のBB現象(紀元前2500~紀元前2100年頃)や縄目文土器(Corded Ware、略してCW)複合(紀元前2800~紀元前2200年頃)とのつながりにおいて、長く議論されてきました。集落の活動の証拠は、同じ集落領域を共有しているものの、高度に肥沃なCH地域の同じ集落を共有していない、新石器時代末へと向かう約300年間のBBとCW両方の共存を示します。さらに、BBとCWは両方、自身の独自な埋葬儀式とその物質文化の違いを維持しており、それはウーニェチツェ文化の出現とともに終了しました。
これらの調査結果は、CWとBBとウーニェチツェ文化段階/期間の連続との仮定につながり、CWはより「革新的な」BB現象によってゆっくりと置換され、次にBB自体はウーニェチツェ文化に置換されました。があり、最近の考古遺伝学的研究から、CWおよびBB関連個体群は相互を置換しなかったものの、ゆっくりと混合/融合し、ヨーロッパ中央部においてEBAウーニェチツェ文化集団の遺伝的特性がもたらされた、と示されました(関連記事)。ドイツ中央部の「王侯」古墳の副葬品の比較調査も、ウーニェチツェ物質文化が先行する両集団【CWとBB】からの影響を組み込んだ、と裏づけます。
ヨーロッパ中央部EBAについての考古学的背景のデータの増加も、新しい詳細な分析への可能性を開きました。さらに、埋葬地全体から得られたゲノム規模データに基づく、同じもしくは異なる場所に埋葬された個体間の遺伝学的近縁性と親族関係の研究は、EBAにおける生活史と社会組織の理解を大きく深めます。この手法は、遺伝的近縁性推定の結果を、富の不平等もしくは局所的規模で社会的階層化の指標とともに分析する可能性をもたらしました(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4および関連記事5)。
しかし、これまで利用可能な統合的研究は少ないため、ヨーロッパEBAにおける親族関係構造と社会組織についての一般的な記述はできません。じっさい、セルビアのバナト(Banat)北部のキキンダ(Kikinda)町近くに位置するモクリン(Mokrin)や、スペインのラ・アルモロヤ(La Almoloya)遺跡や、ドイツのシエプツヒ(Schiepzig)およびレヒ渓谷(Lech Valley)など、研究されているEBA遺跡群は、その配置や各埋葬慣行で異なっており、たとえば、集落内の埋葬(関連記事)、農場内の埋葬(関連記事)、より小さなネクロポリス(大規模共同墓地、関連記事)、おそらくは集落と関連している埋葬地です。
レウビンゲンは、現代のドイツのテューリンゲン州のテューリンゲン盆地内に、したがって、CH集団の南方の分布範囲内に位置しています。レウビンゲン遺跡は、東西南北間の重要な交流路の近くに地位していました。テューリンゲン盆地の東部におけるひじょうに生産的な農耕地域には、ウーニェチツェ文化の北部居住地域で典型的だったように、わずか数百mもしくは数km離れて村落と農場が密に存在しました。本論文で記載される埋葬地と墓は、ウーニェチツェ文化の古典期の始まりと年代測定されている(年輪年代で紀元前1942±10年前)レウビンゲンの「王侯」古墳の近くに位置し(図1a)、ウーニェチツェ文化の最古となる既知の埋葬です。古墳に埋葬されたこの男性個体は、行政と軍事および/もしくは宗教権力者の地位にいたに違いありません。その高い並外れた社会的地位は、1点の容器、1点の巨大な石斧、1点の石の腰掛、3点の鑿、2点の斧、3点の短剣、1点の銅/青銅から作られた斧槍(halberd)、1点の腕輪、2点の飾りピン、2点の指輪、1点の金から作った小さな螺旋を含む、多くの例外的な副葬品を伴う木製の中央の玄室から結論づけられます。しかし、古墳から発見されたこの男性個体に関するさらなる生物考古学的研究は、このヒト遺骸が1877年の最初の発掘以来数十年間にわたって失われたため、もはや不可能です。
この古墳の約800m南西にある、ウーニェチツェ文化と関連する少なくとも1ヶ所の集落の埋葬地レウビンゲンIが、2009~2010年に発掘され、その年代は古墳より100~200年ほど早い、と測定されました(図1a・b)。さらに、この古墳の北東約2.5kmにある埋葬が発見され(レウビンゲンII、ウーニェチツェ文化古典期)、単一の農場に属しており、部分的には古墳と同時代でした(図1b)。
古墳を除いて、レウビンゲンの両埋葬地【レウビンゲンIおよびII】の副葬品は、他地域と比較して少なく、低品質でした。これは、副葬品が性塚者の全体的な反映の全体を代償として現れる慣行の発露に起因する可能性が高いか、あるいは在来集団の衣類/衣服がさほど精巧ではなかったからです。しかし、副葬品内の差異から、超地域的な比較のさいには考慮しなければならない、埋葬共同体内の埋葬された個体群の地位に関する結論が可能となります。レウビンゲンの埋葬地の個体群は、ウーニェチツェ文化の北方の分布範囲の在来人口集団の一部を表している可能性が高そうで、これは交換や商品生産とともに余剰を伴う生計としての農耕に基づく、EBAの経済および政治制度についての基礎を提供します。
本論文は、副葬品を含めて埋葬地の個体群の調査により、生物学的関係や社会的親族関係構造や結婚や居住規則や経済単位やこれらの単位間のつながりに関する問題への回答を意図しています。おそらく首長制を表している政治的構造の文脈では、本論文は、社会的階層化の有無や、個体と遺伝的系統との間の「水平的」関係に関する証拠の発見を意図しています。ゲノム規模とストロンチウム(S)同位体と骨学/人類学と考古学のデータの共分析および文脈化を通じて、本論文は、(北部)ウーニェチツェ文化のEBA共同体の親族関係構造および社会組織の理解への寄与を意図しています。
●ゲノムと同位体のデータ
レウビンゲンIは33基の墓がある中核地域から構成され、46個体の遺骸が発見されました。約22.5haの周囲の発掘区域では、さらに30個体の遺骸が発見されました。レウビンゲンIIは、5個体の遺骸を伴う4基の墓で構成されます(図1a・b)。合計で、ウーニェチツェ文化と関連する59個体を伴う46点の遺構が考古学的に記載されました。さらに、23個体を伴う22点の遺構がレウビンゲン内で特定されました。しかし、ウーニェチツェ文化の帰属は不確実なので、本論文では含められませんでした。
本論文は、一連の確立された証明およびデータ品質基準(特徴的なDNA損傷、無視できる水準の汚染、明確な遺伝的性別)を適用し、まずは平均網羅率が0.03~1.8倍の間のウーニェチツェ文化(Aunjetitzer Kultur、略してAK)と関連する標本抽出された52個体のうち47個体について、124万の一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)捕獲データで新しい高品質なゲノム規模データを報告します。標本2点(2029-1と2029-2)は同じ個体に由来すると分かったので、2029-1に同号され、下流分析では46個体が得られました。これらの個体/標本のうち21点について、放射性炭素(¹⁴C)データも得られました(図1b)。さらに、ストロンチウム同位体分析(⁸⁷Sr/⁸⁶Sr)のため、40個体の40点の歯、および埋葬地のウシやブタやヒツジ/ヤギなど現地の動物と思われると8個体の骨と歯が標本抽出され、ヒトの居住起源と移動性パターンが判断されました。個体の大半(31個体)は0.7085~0.7095の間の地元の同位体兆候を示しており、これはドイツ中央部の黄土および石灰質土壌から生物学的に利用可能な典型的な同位体組成です(図3c)。
レウビンゲンの個体群は年代的および空間的にレウビンゲンI(ウーニェチツェ文化の前期および中期AK1b)とその後のレウビンゲンIの北東2.5kmに位置するレウビンゲンII(ウーニェチツェ文化古典期)の主要な埋葬に分類されました(図1a・b)。レウビンゲンIの3個体も、ウーニェチツェ文化古典期と年代測定されました。主要な埋葬場所に対するその位置は、レウビンゲン遺跡のその後の疎らな使用を示唆します。ゲノム規模データのある刊行されたドイツ中央部の個体群はおもにAK2の前半で、刊行されているボヘミアのウーニェチツェ文化関連個体群は、ウーニェチツェ文化期の全範囲を網羅しています(図1b)。
●EBAレウビンゲンにおける遺伝的関係と移動性
遺伝的近縁性を好いているBREADRの使用により、46個体のうち41組の1親等の関係と24組の2親等の関係が明らかになりました。これらの密接な遺伝的関係から、レウビンゲンIでは4家系、レウビンゲンIIでは2通りのあり得る形態で1家系が再構築されました(図2a)。さらに、40万以上のSNPのある35個体の同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)分析の結果、再構築された親子やキョウダイやオジや祖父母と孫や3親等の関係が確認されたので、再構築された家系の堅牢性が確証されました(図3a)。最後に、IBD共有を用いて、40万以上のSNPを網羅する個体間のより高度な遺伝的関係が検証され、これは家系間およびBREADRに基づいて「無関係」とみなされた個体との遺伝的つながりを検出できる可能性があります。以下は本論文の図2です。
●家系A
家系Aは2世代から構成され、レウビンゲンで観察された1組あたりの子供数が最多の家系でもあります(図2a)。子供5個体のうち、女性1個体(2039)のみが成人に達し、単葬墓に埋葬されました。全ての墓は相互に近く、南北の方向となっていました(図2b)。他の4人の子供(少年3人と少女1人)は幼児1もしくは2期に死亡し、最古の子供2029-1は最長で10歳に達しました。密接な生物学的近縁性は、ストロンチウム同位体データとも一致しており、この家系の全個体は地元の⁸⁷Sr/⁸⁶Sr比を示し(図3c)、全個体がレウビンゲンの集落共同体の経済地域内で育ったことを意味します。以下は本論文の図3です。
亜成体の4個体の子供である2038-1と2038-2は1基の墓にともに埋葬され、同様に2029-1は2029-2とともに埋葬されました。ここで、両親である2032-2と2032-3は、父親である2032-3が平面5で、母親である2032-3が平面3で見つかったので、時間的な差はあるものの、ともに埋葬された唯一の夫婦の個体でした。平面2では、家系Cの2223(女性)と2024-4(男性)の娘である2032-1が、家系Aの2032-2の上に埋葬されていました。2032-3と2032-2はその乳児の子供の1人とともに埋葬されておらず、乳児2032-1は家系Cの両親のどちらとともに埋葬されていませんでした。
この状況は、レウビンゲンIにおける遺伝的近縁性と社会的親族関係との概念について疑問を呈します。2032-3と2032-2もしくは2032-2のみが(その配偶者である2032-3が自身より前に死亡したので)が、里親の役割を担ったと仮定されます。さらに、40万以上のSNPのある個体のうち1個体から、IBD分析では、女性個体2032-2は、その子供遺骸の個体と遺伝的つながりのない、AとB両家系の唯一の個体である、と示されます。興味深いことに、20 cM(センチモルガン)長を超える最大で4点の共有IBD断片により示されるように、家系Aの全ての子供は、6親等(もしくはそれよりも近縁で)で家系Bの個体群と親族関係にあります(図2b)。
●家系B
家系Bには4世代にわたる8個体が含まれ、個体2045-1から2169および2237への直接的な父/息子/孫の系統など、父系を通じてつながっています。対照的に、存在し推定されている成人女性個体群は、その子供を通じてのみ家系とつながっており、レウビンゲンI遺跡に埋葬された両親もしくはキョウダイはいません。家系Bの最終世代の子供は両方とも子供期に死亡し、2047は9~10歳の間、2237は2~3歳の間です。この墓の空間的方向は、家系の「左側」と「右側に」反映されており、2026と2027-1と2027-2(左側)は主要な埋葬地の南西部にともに密接に埋葬されており、2045-1と2045-2と2047と2169(右側)は北東部でともに密接に埋葬されています。家系Bの最終世代の息子である個体2237は、両群の間の単葬墓に埋葬されました(図2a・b)。
2027-1と2027-2は母親と息子で、両者は1基の墓にともに埋葬され、息子である2027-2は、母親である2027-1が2027-2の上に埋葬されているので、2027-1より早く死んだ可能性が高そうです。しかし、両個体の同時埋葬を除外できません。2045-1とその息子である成人の2045-2は、石棺にともに埋葬されました(図2a・b)。そのすぐ隣では、2個体のある二次埋葬が見つかり、それは個体2044と、保存状態のため標本抽出されなかった別の1個体です。家系Bの全個体も、地元の⁸⁷Sr/⁸⁶Sr比を示します(図3c)。さらに、家系AとBの間で観察される共有IBDから、両家系は同じ地域に居住していたか、レウビンゲンに戻ってきた、と示唆されます。
●家系C
家系Cは4世代にわたる10個体から構成され、家系Cも父系でつながっています(図2a)。興味深いことに、2組の半キョウダイ(両親の一方のみが同じキョウダイ)が観察され、ともに父方を通じて第2世代と第3世代で関連しています。個体2243は全キョウダイ(両親が同じキョウダイ)である2024-4と2247の半キョウダイで、個体2025は個体2023と2024-1と2032-1の半キョウダイです。対照的に、家系Cの第1世代の個体2033と第2世代の個体2223は、その子供を通じてのみ家系Cとつながっており、レウビンゲンI遺跡に埋葬された両親もキョウダイもいないので、外来者と考えることができます。これはその歯の⁸⁷Sr/⁸⁶Sr比によっても裏付けられ、両事例とも、家系Cの他の個体よりも放射性が高く、地元の範囲外に収まります(図3c)。両個体(2033と2223)は主要な埋葬地で副葬品を伴う単葬墓に葬られており、その子供は近く(10mm未満)に葬られています。
家系Cで他の唯一の女性個体(2032-1)は11~13歳で死亡し、両親と子供やキョウダイやオジの関係を通じて家系Cにおいて他の個体と関連している、唯一の女性「系統」でもあります。単独で埋葬された家系Cの他の構成員のほとんどとは異なり、個体2032-1は家系Aの2個体とともに1基の墓にともに埋葬されていました(図2b)。家系Cの2個体、つまり父親である2024-4とその成人の息子である2024-1のみが、共通の墓に標本抽出されたもののDNAが得られなかった他の2個体とともに埋葬されました。
最終世代の成人男性個体826は、主要な埋葬地に葬られなかったものの、その82m南西に葬られた唯一の親族です。個体826は、主要な埋葬地がもう使用されていない時代に、その居住地に埋葬されたかもしれません。別の可能性の低い選択肢は、個体826が死後に家族のより近くに埋葬されるため戻された、というものです。個体826の⁸⁷Sr/⁸⁶Sr比は、地元で育ったことを示唆しています。家系Cの全男性個体は成人(16歳超と定義されます)に達していましたが、個体2024-4を除いて、子供はいなかったものの(レウビンゲンI遺跡内では)、同世代および他世代において、親と息子やキョウダイやオジの関係を通じて他の個体群とつながっていました。
さらに、IBD断片の分析を通じて、以前に「無関係」と分類されていた2個体の2088と201-2を、家系Cに関連づけることができました。男性個体2088は20cM超のIBDの4個の断片を通じて、検出可能な子供のいる唯一の男性個体である2024-4と、20cM超のIBDの3個の断片で、2024-1の半キョウダイである個体2025と遺伝的に関連づけられます(図2aおよび図3b)。さらに、年代的により新しい埋葬地であるレウビンゲンIIの女性個体201-2も、5親等もしくはそれ以上の関係を示唆する、個体2223および2032-1と20cM超のIBD断片を共有しています。2088と201-2の両個体は、地元の⁸⁷Sr/⁸⁶Sr比を有しています(図3c)。この観察から、両個体【2088と201-2】はこの地域に留まったか、あるいは、個体201-2の事例では、その家族は主要な埋葬地が放棄された後に100~200年間留まり、個体201-2がレウビンゲンIIの小さな埋葬集団の後半の構成員になった、と示唆されます。
●家系D
家系Dはレウビンゲンにおいて最小の家系で、父親1人(2222)とその娘1人(2221)から構成されます。その娘(2221)は、4~5歳の時に死亡しました。両個体【2222と2221】は地元の範囲内の⁸⁷Sr/⁸⁶Sr比を示し、相互に近く、副葬品のない主要な埋葬地の南東端の単一墓に埋葬されました(図2b)。
●レウビンゲンII
レウビンゲンIIの4個体は、あり得る2形態の1家系でつながっていました。最初の可能性は、2世代にわたる1家系で、個体81が142と201-1というキョウダイの組み合わせのメイで、別の可能性は、個体81が142と201-1というキョウダイのオバで、3世代にまたがる1家系というものです(図2a)。利用可能な結果で、死亡時年齢を組み合わせると、どちらの選択肢の可能性が最も高いのか、判断できません。それは、両方の手法が、142と201-1というキョウダイの組み合わせと、関係の質の特定なしで3親等としての第三の個体81との間の関係を返すからです。レウビンゲンIIは、母系を介してつながる唯一の家系で、この場合は個体142を通じてです。レウビンゲンIIの全個体の⁸⁷Sr/⁸⁶Sr比は、地元の範囲に収まります。再構築された家系レウビンゲンIIの個体群と親族関係にない別の個体201-2は、個体2223および個体2032-1を通じて、家系Cと遺伝的に遠い親族関係(5親等以下)です(図2aおよび図3b)。
●性比と埋葬慣行の選好
家系Aを除き、第0世代の仮定的な両親を除外すると、すべての再構築された家系において、女性8人と男性6人が欠けていることは注目されます。全ての欠けている個体は夫婦の一部で一方の親であり、男性6個体のうち4個体はその家系において別の個体の兄弟でもあります。レウビンゲンIIにおいて個体203の父親である推定される男性1個体のみが、家系のだれとも親族関係ではありません。対照的に、欠けている全ての女性個体はその子供の母親であるだけで、家系において他の個体の娘でも姉妹でもありません。全体的に、レウビンゲン遺跡で観察される性比は偏っています。自然な男女の性比である1.05:1に基づくと、家系において観察よりも多い女性個体が予測されるでしょう。代わりに、17人の息子と6人の娘が見つかり(第1世代は除外され、存在する個体のみが数えられます)、観察された未成年比は2.83:1となります(95.4%信頼区間で1.8:1~4.91:1の間)。この偏りから、成人に達した娘たちは共同体を去り、他の場所で埋葬されたかもしれない、と示唆されます。
レウビンゲン遺跡全体の性比は、男性31個体と女性29個体を含めて、標本抽出され、推測され、親族関係にない全ての個体に基づいており、均衡がとれています。しかし、レウビンゲン遺跡に埋葬された子供のいない成人の娘(1個体)に対する子供のいない成人の息子(8個体)の過剰は、有意です。まとめると、これは女性族外婚の慣行を裏づけます。家系内において、合計で女性19個体と男性26個体が見つかり(推定された個体も含まれます)、そのうち女性11個体と男性20個体はレウビンゲン遺跡で埋葬されました(発見されました)。合計で13組の結婚が見つかり、そのうち母親(8個体)と父親(6個体)が類似の割合で欠落していました。欠けているのが男性6個体だけで、7個体ではなく、それは、家系Cにおいて2組の半キョウダイが見つかり、そのうち1個体は欠けている父親だからだ、ということに要注意です(図2a)。
これらの比率は顕著に不均衡ではありません。重要なのは、欠けている男性および女性個体とその関係との間に違いがあることで、これが意味するのは、全ての推定上の欠けている女性個体はその子供との親族関係にあり、他の個体とは親族関係にない、ということです。対照的に、欠けている男性6個体のうち4個体は父親であることに加えて兄弟なので、すでに家系内でつながっています/入れ子になっています。子供以外に誰とも親族関係にない唯一の男性個体は、レウビンゲンIIの家系における個体203の生物学的父親で、女系を通じてつながっている唯一の家系です(個体142)。母親と娘の不在や、母親2人における地元ではない同位体値や、親族関係にない女性個体や、全ての欠落している母親が欠落している父親とは異なり家系内に入れ子になっている事実は、女性、とくに成人のより高水準の移動性を示唆します。
5家系すべてにおいて、ともに埋葬された密接な生物学的親族関係単位のみが見つかり、調査に成功した個体の大半が数世代にわたって埋葬された親子単位であることを意味します。家系は直接的な遺伝的関係のみを反映しているようで、これが示唆するのは、世帯はより小さな家族単位で運営されていた可能性が高いものの、埋葬の空間配置は共同体の拡張された遺伝的および社会的関係も反映していた、ということです。
●直系性と局所性と移動性
個体群の近縁性、したがって、母方居住もしくは父方居住/直系性のあり得る兆候を形式的に検証するため、予測因子として1組の個体の年齢と遺伝的性別を使うBREADRを用いて、不適正塩基対率(pairwise mismatch rate、略してPMR)の分散分析が実行されました。さまざまな遺伝的性別の組み合わせ(XY/XY、XY/XX、XX/XX)間のPMRを見ると、平均して、XX/XXおよびXY/XXの組み合わせで計算されたPMR間の有意な違いは見つかりませんが、XX/XXおよびXX/XYと比較して、XY/XYでは有意により低いPMRが見つかります。これが示唆するのは、男性個体群は平均して、女性個体群に対するより、あるいは女性個体群が相互に関連しているよりも、相互に密接に関連している、ということです。
年齢(成人/成人、成人/未成年、成人/成人)も重要な予測因子と分かりました。3通りの遺伝的性別の組み合わせ全てに対して未成年/未成年および成人/未成年の比較では、平均的なPMR値に有意な違いはありませんが、両方の年齢の組み合わせ【未成年/未成年および成人/未成年】は、成人/成人の組み合わせと比較すると、有意に低いPMR値と分かりました。これは、レウビンゲン遺跡で見られるキョウダイおよび親子関係の数と一致しており、家系は各世代において密接な遺伝的親族関係を表しており、拡大家族はなく、親族関係にない個体の大半しは成人です。しかし、年齢集団の有効規模が性別の場合より一桁小さかったことに要注意です。
この調査結果をさらに調べるために、埋葬地の他の全個体との各個体の平均近縁性について、ウィルコクソンの順位和検定が実行されました。親族関係にない個体群と比較して、レウビンゲン遺跡の他の個体とより密接に親族関係にある個体群については、平均PMRがより低いと予測されます。しかし、成人集団と未成年集団に区分すると、成人男性個体は女性と比較して他の個体とより密接な親族関係にある、と分かりました。逆に、男性と未成年女性との間に有意な違いは見つからず、より燃焼の子供(とくに女性)は特定の年齢(16歳頃)の前名は共同体を離れなかった、と示唆されます。
●親族関係にない個体群から得られた証拠の統合
上述の家系における密接な親族関係にある31個体と、共有されたIBDを介して家系につながっている2個体に加えて、埋葬地のどの個体とも親族関係にない13個体が数えられ、そのうち9個体が女性で、4個体が男性です。男性4個体のうち2個体は若い成人(16歳以上)で、2個体は未成年です。対照的に、親族関係にない女性9個体のうち8個体は成人です。これらの女性のうち4個体は地元ではない⁸⁷Sr/⁸⁶Sr比を示します(図3c)。興味深いことに、つながっていない、親族関係にない未成年男性個体2565も、地元ではないストロンチウム同位体値を示します。
親族関係にない13個体のうち7個体は、親族関係にある個体群と同様に主要な埋葬地において通常の埋葬をされていますが、6個体は主要な墓地からさらに離れて埋葬されました(図2b・c)。成人で、つながっておらず親族関係にない女性の人数(8個体)は、子供のいない成人男性家系の個体の人数(6個体)とほぼ同じです(図2a)。これらの個体は、女性を家系とつなげるだろう、子供が見つからなかった夫婦を表しているかもしれません。したがって、個体間の遺伝的つながりは明示的に定義できませんが、社会的結合は、とくに家系の個体群と空間的に近くに埋葬された個体群(図2b)については、除外できません。
親族関係にない成人女性(個体2224および2242)は、大半の個体と比較して、ひじょうに豊富な副葬品とともに埋葬されました(図2b)。もう一つの特別な事例は個体5281で、レウビンゲン遺跡のどの個体とも親族関係にない、ピトス(大型貯蔵器)埋葬の新生児女性個体です。個体5281も主要な埋葬地の一部ではありませんが、主要な埋葬の東側約100mmに埋葬されました。ここで最も可能性の高い説明は、保存状態が悪いため、個体5281をその近くに埋葬されていたかもしれない両親と結びつける遺伝物質を回収できなかった、というものです。個体5281の両親が、個体5281の死後にレウビンゲンを去った可能性もあります。
親族関係にない個体のうち6個体が、地元の⁸⁷Sr/⁸⁶Sr比を有していることに要注意です。これが示唆するのは、地元のストロンチウム同位体の範囲はレウビンゲンの集落共同体の経済的範囲よりさらに広がっていた、ということです。したがって、周辺地域で育った個体群は、その⁸⁷Sr/⁸⁶Sr比に基づいて地元ではないと特定できないものの、レウビンゲンの集落地域からさらに離れた地域より来た可能性もあります。
ドイツ南部のレヒ渓谷の比較研究(関連記事)では、再構築された家系は単一の農場と関連しており、この原則はレウビンゲンII遺跡の家系にのみ適用されます。代わりに、レウビンゲン遺跡における主要な埋葬地は、家系A~Dの個体の大半と、同じ頃にレウビンゲンII遺跡の(複数の)集落に暮らしていた可能性が高い、つながっておらず親族関係にない多くの個体を、空間的につなげます(図1b)。レウビンゲンI遺跡の埋葬地の空間構成については、いくつかの説明が可能かもしれません。それは、(1)3ヶ所もしくは4ヶ所の農場から構成される小さな集落(村落)の共同管理された葬儀場で、各農場は拡大家族により管理されていたか、(2)集落として機能しなかったいくつかの個々の農場の人々が死者を共通の「中央」埋葬地に葬ったか、(3)埋葬地には実際の同居および農耕共同体生活の直接的反映はなかったものの、使者の埋葬地の選択の根底にある他の規則はあった、というものです。考古学および遺伝学的証拠を組み合わせると、テューリンゲンと全体的なCH集団については、(1)と(2)の可能性が裏づけられます。
●推定される親族関係構造の観点での副葬品分布の検証
レウビンゲンIおよびIIは、土器(26点)や食料の供物(5点)や金属製物質/緑の着色(それぞれ4点と2点)や武器部品(2点)を供えた埋葬で構成され、副葬品のない墓も見られます(36基)。レウビンゲンIにおける主要な埋葬地の34基の墓のうち、土器(最大4点の容器)を備えた21ヶ所の埋葬、食料の供物を供えた4ヶ所の埋葬、金属製物質を供えた3~5ヶ所の埋葬、鏃を供えた1ヶ所の埋葬がありました。本論文の関心は、性別か死亡時年齢か、あるいは個体が「地元」かどうか、個体に供えられた埋葬品の種類あるいは数に影響を及ぼしたのかどう、という調査です。ポアソン回帰を用いて、レウビンゲンIにおいて、親族関係の有無、地元と非地元、成人と未成年の個体間で副葬品の合計数に違いが見つかりました(図4a)。
成人の同位体的に地元の女性個体群には、他の全ての存在する分類と比較して、最多の副葬品が供えられていました。未成年の地元の個体の副葬品は2番目に多く、地元ではない個体群には地元の個体群より少ない副葬品が備えられました。しかし、成人の地元ではない女性と地元ではない未成年男性は、地元の未成年女性よりも副葬品の合計数は多かった、と示されます。これら同じ変数と、各個体が受け取った副葬品のさまざまな種類の数との間のあり得るつながりを調べると、モデルで有意な単一の予測因子は見つからず、死亡時年齢と性別と地域性と関係の地位は、個体がどれだけ多くのさまざまな種類の副葬品を供えられるのか、決定するわけではない、と意味しています。以下は本論文の図4です。
成人 男性と比較して成人女性で副葬品の数がより多い一因は、成人女性の衣服一式の一部を表す、女性のみの埋葬における銅/青銅製工芸品の存在かもしれません。しかし、未成年の地元の女性個体群は、この 種の工芸品なしで埋葬されました。レウビンゲンにおける銅製工芸品の出現は、2b期においてこの地域でやっと見つかる、とした先行研究での説明より早いものでした。これが示唆するのは、レウビンゲンで埋葬された個体群は、ウーニェチツェ文化の他地域ほど豊かではなかったにしても、この期間とこの地域では裕福だった、ということです。
レウビンゲンIでは、死後の個体に供えられた副葬品の合計数は、死亡時年齢と遺伝的性別と地元か否かに基づいていました。しかし、副葬品のさまざまな種類の数は、これらの変数の全てと無関係なので、個体が受け取る副葬品の選択は、明確な社会的階層化もしくは社会的不平等なしに、家族もしくは共同体内の地位に応じていた、と推測できます。埋葬品の選択は、社会的水準ではなく、個体水準でのより選択的な過程だったようです。
次に、対応分析(correspondence analysis、略してCA)を用いて、さまざまな種類の副葬品と、それらを供えられる個体との間の関係が調べられました。その結果、貝殻/他の副葬品を供えられた個体群は、(土器を除いて)他の種類の副葬品を受け取らず、その逆も同様で、類似の負の相関は珪土/骨の工芸品と食料の供物との間に存在した、と分かりました(図4b)。土器は他の副葬品との組み合わせにおいて最も一般的な副葬品なので、情報量が最も少ない副葬品のため、CA図の位置は原点の近くになります(図4b)。人口統計学的変数(死亡時年齢や遺伝的性別や地元か非地元や家系)に関して、副葬品のさまざまな種類との相関は見つかりません。注意すべきことに、CAについて、家系Dの個体や親族関係にない7個体など、副葬品の合計数が0の個体は除外されました。
ほぼ全ての親族関係になく、地元ではない個体群に充分な副葬品が供えられ、2個体のみが副葬品を供えられなかったドイツ南部のレヒ渓谷と比較すると、レウビンゲンではこれが逆だった、と分かります。レウビンゲンでは、親族関係になく地元ではない女性個体群のうち副葬品が豊富なのは2個体だけだったのに対して、残りの個体の副葬品は数点もしくは全くありませんでした。レヒ渓谷については、さまざまな社会的地位の個体が同じ世帯で暮らしていた、と推測されています。レウビンゲンでは、家系の一部ではない、親族関係にない、および/もしくは地元ではない個体群が拡大家族単位の家族と暮らしていたのかどうか、判断し明確ではありません。これらの個体群、とくら主要な埋葬地に葬られた成人女性が、地元の成人男性との結婚相手の一部だったものの、死亡時に子供がいなかった(もしくは共同体を去った子供がいた)のかもしれません。全ては女性族外婚と一致するでしょう。女性族外婚では、女性はレウビンゲンを去り、異なる村もしくは地域で家族単位を形成し、一方で他地域からレウビンゲンにやって来て、地元で家族単位を形成することもありました。
●比較研究
父系性と女性族外婚を含むレウビンゲンにおける親族関係構造は、(1)と父系を介してつながる家系BおよびCと、(2)成人女性個体間と比較して成人男性間のより高い平均近縁性と、(3)家系において欠落している成人女性B隊の位置と、(4)男性個体群と比較しての一部の女性個体のより高い同位体値(図3c)により示唆されます。しかし要注意なのは、テューリンゲン盆地東部の集落拠点周辺の高度に類似したより広範な同位体景観を考えると、ストロンチウム同位体比の解釈が困難かもしれないことです。じっさい、レウビンゲン遺跡のストロンチウム同位体の差異内に収まる個体群は、地理的には地元ではないものの、類似した同位体特性の地域から来たかもしれません。近い近隣共同体は地元ではなく、「外来」もしくは地元民とは異なると考えられるので、女性個体群の移動性は、異なるものの充分に類似の同位体特性のある近い村落間で起きた、と推測できます。
女性族外婚を裏づける同様のパターンは、ドイツ南部のレヒ渓谷やラ・アルモロヤなどイベリア半島のEBA遺跡などでも報告されました(関連記事1および関連記事2)。本論文のレウビンゲン遺跡に関する調査結果は、この慣行が例外的ではなかったことを確証しているようです。他のEBA遺跡、たとえばセルビアのモクリン(関連記事)では、女性族外婚EBAに行なわれていたものの、Y染色体ハプログループ(YHg)の報告された多様性から、父方居住の影響はレヒ渓谷やレウビンゲンほど顕著ではなかった、と示唆されます。レヒ渓谷およびモクリンと比較すると、レウビンゲンでは親子の埋葬がより一般的で、2組の父親と息子、1組の母親と息子の埋葬が見られます。対照的に、ラ・アルモロヤでは成人の二重埋葬がより一般的ですが、親子の埋葬も同様に一般的でした(関連記事)。
より広範な編年参考文献と比較すると、父方居住と女性族外婚を裏づけるパターンは、BB現象と関連する後期新石器時代遺跡群(関連記事1および関連記事2)、球状アンフォラ文化(関連記事)、フランスの中期新石器時代遺跡群およびイングランドの前期新石器時代遺跡群(関連記事1および関連記事2および関連記事3)でも報告されました。ヨーロッパの新石器時代および青銅器時代社会にわたって観察された類似性からより広範な傾向を推測したくなり、ウーニェチツェ物質文化は在来の先行するBBおよびCW層準に大きく影響を受けているにも関わらず、これらの文化も社会慣行や親族関係構造に影響を及ぼしたのかどうか調べるには、より直接的に比較して統合された研究が必要です。
●まとめ
レウビンゲンの埋葬地は、ドイツ中央部におけるEBAウーニェチツェ文化の農耕人口集団を表しています。レウビンゲンIおよびII両方の葬儀場は、EBA社会およびその社会組織のさらなる理解に寄与します。ドイツ中央部におけるウーニェチツェ文化の出現は、BB文化へのCWの融解の結果だった、と過去には示すことができたかもしれません。本論文の新たなデータから、ドイツ中央部とボヘミアのウーニェチツェ文化と関連する個体群は多量のCW関連祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を有しているので、主成分分析(principal component analysis、略してPCA)においてドイツ南部のEBA個体群とほとんど重ならない独特なクラスタ(まとまり)を形成する、と示されます。この結果は、以前の遺伝学的研究、およびウーニェチツェ文化がBBとCW両方の物質文化の要素を組み合わせている、という考古学的証拠と一致します。
女性族外婚を含む父系性と父方居住に基づく親族関係構造は、ヨーロッパ全域のさまざまな新石器時代および青銅器時代遺跡群で報告されてきており、ヨーロッパ中央部のウーニェチツェ文化を含めて多くの青銅器時代の社会および文化が適応した可能性は高そうです。CH集団における副葬品の量と品質ウーニェチツェ文化の他地域よりも低かったものの、レウビンゲンの埋葬は副葬品が豊富で、わずか約100年後により一般的に見られる銅/青銅製の副葬品も含まれていました。地元と非地元の個体間だけではなく、全集団と女性および子供との間でも見られた副葬品の量の観察された違いは、ヨーロッパの他のEBA遺跡で見つけることができるものの、地域な差異を伴う内部の社会的分化を示唆しています。
女性のより高い移動性を含む女性族外婚と父系制の慣行は先行研究と一致し、同位体や考古遺伝学的な結果により裏づけられます。さらに、レウビンゲンは埋葬慣行と副葬品の分布に基づいて非遺伝的親族関係への洞察を提供します。本論文はレウビンゲンから得られたゲノム規模データで、ドイツ中央部から利用可能なウーニェチツェ文化期個体の総計に寄与します。これらの結果は、先行研究と一致しているように見える、ヨーロッパ中央部EBA社会における主要な埋葬および社会的慣行へのさらなる証拠を追加します。したがって、この地域だけではなく、同時代の社会で見られる類似した埋葬地に焦点を当てる将来の研究は、微細規模の差異を調査する可能性があるだけではなく、社会および経済組織のより微妙な理解に寄与します。
参考文献:
Penske S. et al.(2024): Kinship practices at the early bronze age site of Leubingen in Central Germany. Scientific Reports, 14, 3871.
https://doi.org/10.1038/s41598-024-54462-6
●要約
紀元前2200年頃にヨーロッパ中央部では前期青銅器時代が始まると、地域的および超地域的な階層的な社会組織が出現し、少数の個体が権力者(首長)となり、大規模な埋葬建造物により区別されました。しかし、非エリートを表している大半の人々の内部の大半社会組織と階層化は不明確なままです。本論文は、現在のドイツのレウビンゲンの前期青銅器時代埋葬地から発見された46個体のゲノム規模データを提示し、考古学と遺伝学とストロンチウム同位体のデータを統合し、前期青銅器時代社会への新たな洞察を得ます。本論文は、密接な生物学的親族関係集団(両親とその子供)で構成される5家系を再構築し、同じ遺跡に埋葬された個体群と親族関係にない個体群も特定できました。一連の証拠の組み合わせに基づくと、埋葬共同体の親族関係構造はおもに女性族外婚を含む父系/父方居住だった、と観察されます。さらに、レウビンゲンに埋葬された個体では、遺伝的性別と死亡年齢と出身地に基づく副葬品の量に違いが検出されますが、副葬品の種類では違いが見られません。
●研究史
ドイツ中央部における前期青銅器時代(EBA)のウーニェチツェ(Únětice)文化(紀元前2200~紀元前1550年頃)は、先行する新石器時代と比較すると、首長制の出現を伴う経済と社会的階層化の大きな変化により特徴づけられます。ウーニェチツェ文化の地理的分布は、ドイツ南東部のニーダーエスターライヒ州(Niederösterreich、Lower Austria)およびスロバキアから、ドイツ中央部のハルツ(Harz)山脈の東端まで広がっています(図1a)。以下は本論文の図1です。
ドイツ内では、ウーニェチツェ文化は現在のザクセン州やザクセン=アンハルト州やテューリンゲン州やニーダーエスターライヒ州の南東端部に分布しています。ハルツ山脈の周辺地域では、ウーニェチツェ文化に分類されている考古学的発見は、ハルツ山地周辺(Circum-Harz、略してCH)群にまとめられています。CH地域はひじょうに肥沃な黄土の土壌と黒土(Chernozem)と少ない平均降水量(年間1 m²あたり500ℓ超)により特徴づけられており、これらは農耕に理想的な条件を提供します。ここでは、埋葬地の貧弱な墓と比較して、ヘルムスドルフ(Helmsdorf)やボルンヘック(Bornhöck)やレウビンゲンなど豪壮な造りの「王侯」の古墳の発見が、CH集団内の社会的階層化との仮定につながります。さらに、銅と、より新しくは青銅器製の人工遺物の地理的に近い秘蔵もしくは倉庫や、農業生産物の余剰から、この地域は政治と軍事と宗教の権力の中心地と示され、権力の地位にある少ない個体が政治的権威や正当化と関連していました。これは、ドイツ中央部のウーニェチツェ文化の通常の埋葬と比較しての、古墳(tumulus)における副葬品の品質と量にも反映されています。
金製人工遺物はレウビンゲンとヘルムスドルフとボルンヘックの「王侯」のの移送で発見されており、金の合計量は、レウビンゲンで256g、ボルンヘックでは1232g程度と推定されています。社会的階層化は、先行する末期新石器時代(紀元前2800~紀元前2300/紀元前2200年頃)ですでに想定されてきました。アフェルシュタット(Apfelstädt)の鐘状ビーカー(Bell Beaker、略してBB)関連の射手のような際立った個体の稀な発見はこの理論を裏づけていますが、社会的階層化と不平等のそうした明らかな兆候は、ドイツ中央部のEBAウーニェチツェ文化で観察されているように、この期間【末期新石器時代】については裏づけることができません。
対照的に、(初期)CH集団(紀元前2200~紀元前2000年頃)のほとんどの通常の埋葬は、豪壮な造りは疎らにしかなく、時には副葬品が欠けていました。しかし、これはこの地域に固有なだけで、ウーニェチツェ文化の南方の分布範囲は、豊富な高品質の副葬品を示しており、たとえば、チェコ共和国のボヘミアの「琥珀の道」に沿って位置するミクロヴィツェ(Mikulovice)の埋葬遺跡です。しかし、最近増加しているヨーロッパ中央部におけるウーニェチツェ集落の活動の考古学的証拠に基づくと、ウーニェチツェ文化集団と近隣のEBA文化との間の体系的な調査が可能になりました。その結果データが増加したことで、集落史のより深い理解、さらにはそれによって、ドイツ中央部におけるウーニェチツェ文化の起源の可能性の理解にもつながりました。
ウーニェチツェ文化の出現は、とくに先行する在来のBB現象(紀元前2500~紀元前2100年頃)や縄目文土器(Corded Ware、略してCW)複合(紀元前2800~紀元前2200年頃)とのつながりにおいて、長く議論されてきました。集落の活動の証拠は、同じ集落領域を共有しているものの、高度に肥沃なCH地域の同じ集落を共有していない、新石器時代末へと向かう約300年間のBBとCW両方の共存を示します。さらに、BBとCWは両方、自身の独自な埋葬儀式とその物質文化の違いを維持しており、それはウーニェチツェ文化の出現とともに終了しました。
これらの調査結果は、CWとBBとウーニェチツェ文化段階/期間の連続との仮定につながり、CWはより「革新的な」BB現象によってゆっくりと置換され、次にBB自体はウーニェチツェ文化に置換されました。があり、最近の考古遺伝学的研究から、CWおよびBB関連個体群は相互を置換しなかったものの、ゆっくりと混合/融合し、ヨーロッパ中央部においてEBAウーニェチツェ文化集団の遺伝的特性がもたらされた、と示されました(関連記事)。ドイツ中央部の「王侯」古墳の副葬品の比較調査も、ウーニェチツェ物質文化が先行する両集団【CWとBB】からの影響を組み込んだ、と裏づけます。
ヨーロッパ中央部EBAについての考古学的背景のデータの増加も、新しい詳細な分析への可能性を開きました。さらに、埋葬地全体から得られたゲノム規模データに基づく、同じもしくは異なる場所に埋葬された個体間の遺伝学的近縁性と親族関係の研究は、EBAにおける生活史と社会組織の理解を大きく深めます。この手法は、遺伝的近縁性推定の結果を、富の不平等もしくは局所的規模で社会的階層化の指標とともに分析する可能性をもたらしました(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4および関連記事5)。
しかし、これまで利用可能な統合的研究は少ないため、ヨーロッパEBAにおける親族関係構造と社会組織についての一般的な記述はできません。じっさい、セルビアのバナト(Banat)北部のキキンダ(Kikinda)町近くに位置するモクリン(Mokrin)や、スペインのラ・アルモロヤ(La Almoloya)遺跡や、ドイツのシエプツヒ(Schiepzig)およびレヒ渓谷(Lech Valley)など、研究されているEBA遺跡群は、その配置や各埋葬慣行で異なっており、たとえば、集落内の埋葬(関連記事)、農場内の埋葬(関連記事)、より小さなネクロポリス(大規模共同墓地、関連記事)、おそらくは集落と関連している埋葬地です。
レウビンゲンは、現代のドイツのテューリンゲン州のテューリンゲン盆地内に、したがって、CH集団の南方の分布範囲内に位置しています。レウビンゲン遺跡は、東西南北間の重要な交流路の近くに地位していました。テューリンゲン盆地の東部におけるひじょうに生産的な農耕地域には、ウーニェチツェ文化の北部居住地域で典型的だったように、わずか数百mもしくは数km離れて村落と農場が密に存在しました。本論文で記載される埋葬地と墓は、ウーニェチツェ文化の古典期の始まりと年代測定されている(年輪年代で紀元前1942±10年前)レウビンゲンの「王侯」古墳の近くに位置し(図1a)、ウーニェチツェ文化の最古となる既知の埋葬です。古墳に埋葬されたこの男性個体は、行政と軍事および/もしくは宗教権力者の地位にいたに違いありません。その高い並外れた社会的地位は、1点の容器、1点の巨大な石斧、1点の石の腰掛、3点の鑿、2点の斧、3点の短剣、1点の銅/青銅から作られた斧槍(halberd)、1点の腕輪、2点の飾りピン、2点の指輪、1点の金から作った小さな螺旋を含む、多くの例外的な副葬品を伴う木製の中央の玄室から結論づけられます。しかし、古墳から発見されたこの男性個体に関するさらなる生物考古学的研究は、このヒト遺骸が1877年の最初の発掘以来数十年間にわたって失われたため、もはや不可能です。
この古墳の約800m南西にある、ウーニェチツェ文化と関連する少なくとも1ヶ所の集落の埋葬地レウビンゲンIが、2009~2010年に発掘され、その年代は古墳より100~200年ほど早い、と測定されました(図1a・b)。さらに、この古墳の北東約2.5kmにある埋葬が発見され(レウビンゲンII、ウーニェチツェ文化古典期)、単一の農場に属しており、部分的には古墳と同時代でした(図1b)。
古墳を除いて、レウビンゲンの両埋葬地【レウビンゲンIおよびII】の副葬品は、他地域と比較して少なく、低品質でした。これは、副葬品が性塚者の全体的な反映の全体を代償として現れる慣行の発露に起因する可能性が高いか、あるいは在来集団の衣類/衣服がさほど精巧ではなかったからです。しかし、副葬品内の差異から、超地域的な比較のさいには考慮しなければならない、埋葬共同体内の埋葬された個体群の地位に関する結論が可能となります。レウビンゲンの埋葬地の個体群は、ウーニェチツェ文化の北方の分布範囲の在来人口集団の一部を表している可能性が高そうで、これは交換や商品生産とともに余剰を伴う生計としての農耕に基づく、EBAの経済および政治制度についての基礎を提供します。
本論文は、副葬品を含めて埋葬地の個体群の調査により、生物学的関係や社会的親族関係構造や結婚や居住規則や経済単位やこれらの単位間のつながりに関する問題への回答を意図しています。おそらく首長制を表している政治的構造の文脈では、本論文は、社会的階層化の有無や、個体と遺伝的系統との間の「水平的」関係に関する証拠の発見を意図しています。ゲノム規模とストロンチウム(S)同位体と骨学/人類学と考古学のデータの共分析および文脈化を通じて、本論文は、(北部)ウーニェチツェ文化のEBA共同体の親族関係構造および社会組織の理解への寄与を意図しています。
●ゲノムと同位体のデータ
レウビンゲンIは33基の墓がある中核地域から構成され、46個体の遺骸が発見されました。約22.5haの周囲の発掘区域では、さらに30個体の遺骸が発見されました。レウビンゲンIIは、5個体の遺骸を伴う4基の墓で構成されます(図1a・b)。合計で、ウーニェチツェ文化と関連する59個体を伴う46点の遺構が考古学的に記載されました。さらに、23個体を伴う22点の遺構がレウビンゲン内で特定されました。しかし、ウーニェチツェ文化の帰属は不確実なので、本論文では含められませんでした。
本論文は、一連の確立された証明およびデータ品質基準(特徴的なDNA損傷、無視できる水準の汚染、明確な遺伝的性別)を適用し、まずは平均網羅率が0.03~1.8倍の間のウーニェチツェ文化(Aunjetitzer Kultur、略してAK)と関連する標本抽出された52個体のうち47個体について、124万の一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)捕獲データで新しい高品質なゲノム規模データを報告します。標本2点(2029-1と2029-2)は同じ個体に由来すると分かったので、2029-1に同号され、下流分析では46個体が得られました。これらの個体/標本のうち21点について、放射性炭素(¹⁴C)データも得られました(図1b)。さらに、ストロンチウム同位体分析(⁸⁷Sr/⁸⁶Sr)のため、40個体の40点の歯、および埋葬地のウシやブタやヒツジ/ヤギなど現地の動物と思われると8個体の骨と歯が標本抽出され、ヒトの居住起源と移動性パターンが判断されました。個体の大半(31個体)は0.7085~0.7095の間の地元の同位体兆候を示しており、これはドイツ中央部の黄土および石灰質土壌から生物学的に利用可能な典型的な同位体組成です(図3c)。
レウビンゲンの個体群は年代的および空間的にレウビンゲンI(ウーニェチツェ文化の前期および中期AK1b)とその後のレウビンゲンIの北東2.5kmに位置するレウビンゲンII(ウーニェチツェ文化古典期)の主要な埋葬に分類されました(図1a・b)。レウビンゲンIの3個体も、ウーニェチツェ文化古典期と年代測定されました。主要な埋葬場所に対するその位置は、レウビンゲン遺跡のその後の疎らな使用を示唆します。ゲノム規模データのある刊行されたドイツ中央部の個体群はおもにAK2の前半で、刊行されているボヘミアのウーニェチツェ文化関連個体群は、ウーニェチツェ文化期の全範囲を網羅しています(図1b)。
●EBAレウビンゲンにおける遺伝的関係と移動性
遺伝的近縁性を好いているBREADRの使用により、46個体のうち41組の1親等の関係と24組の2親等の関係が明らかになりました。これらの密接な遺伝的関係から、レウビンゲンIでは4家系、レウビンゲンIIでは2通りのあり得る形態で1家系が再構築されました(図2a)。さらに、40万以上のSNPのある35個体の同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)分析の結果、再構築された親子やキョウダイやオジや祖父母と孫や3親等の関係が確認されたので、再構築された家系の堅牢性が確証されました(図3a)。最後に、IBD共有を用いて、40万以上のSNPを網羅する個体間のより高度な遺伝的関係が検証され、これは家系間およびBREADRに基づいて「無関係」とみなされた個体との遺伝的つながりを検出できる可能性があります。以下は本論文の図2です。
●家系A
家系Aは2世代から構成され、レウビンゲンで観察された1組あたりの子供数が最多の家系でもあります(図2a)。子供5個体のうち、女性1個体(2039)のみが成人に達し、単葬墓に埋葬されました。全ての墓は相互に近く、南北の方向となっていました(図2b)。他の4人の子供(少年3人と少女1人)は幼児1もしくは2期に死亡し、最古の子供2029-1は最長で10歳に達しました。密接な生物学的近縁性は、ストロンチウム同位体データとも一致しており、この家系の全個体は地元の⁸⁷Sr/⁸⁶Sr比を示し(図3c)、全個体がレウビンゲンの集落共同体の経済地域内で育ったことを意味します。以下は本論文の図3です。
亜成体の4個体の子供である2038-1と2038-2は1基の墓にともに埋葬され、同様に2029-1は2029-2とともに埋葬されました。ここで、両親である2032-2と2032-3は、父親である2032-3が平面5で、母親である2032-3が平面3で見つかったので、時間的な差はあるものの、ともに埋葬された唯一の夫婦の個体でした。平面2では、家系Cの2223(女性)と2024-4(男性)の娘である2032-1が、家系Aの2032-2の上に埋葬されていました。2032-3と2032-2はその乳児の子供の1人とともに埋葬されておらず、乳児2032-1は家系Cの両親のどちらとともに埋葬されていませんでした。
この状況は、レウビンゲンIにおける遺伝的近縁性と社会的親族関係との概念について疑問を呈します。2032-3と2032-2もしくは2032-2のみが(その配偶者である2032-3が自身より前に死亡したので)が、里親の役割を担ったと仮定されます。さらに、40万以上のSNPのある個体のうち1個体から、IBD分析では、女性個体2032-2は、その子供遺骸の個体と遺伝的つながりのない、AとB両家系の唯一の個体である、と示されます。興味深いことに、20 cM(センチモルガン)長を超える最大で4点の共有IBD断片により示されるように、家系Aの全ての子供は、6親等(もしくはそれよりも近縁で)で家系Bの個体群と親族関係にあります(図2b)。
●家系B
家系Bには4世代にわたる8個体が含まれ、個体2045-1から2169および2237への直接的な父/息子/孫の系統など、父系を通じてつながっています。対照的に、存在し推定されている成人女性個体群は、その子供を通じてのみ家系とつながっており、レウビンゲンI遺跡に埋葬された両親もしくはキョウダイはいません。家系Bの最終世代の子供は両方とも子供期に死亡し、2047は9~10歳の間、2237は2~3歳の間です。この墓の空間的方向は、家系の「左側」と「右側に」反映されており、2026と2027-1と2027-2(左側)は主要な埋葬地の南西部にともに密接に埋葬されており、2045-1と2045-2と2047と2169(右側)は北東部でともに密接に埋葬されています。家系Bの最終世代の息子である個体2237は、両群の間の単葬墓に埋葬されました(図2a・b)。
2027-1と2027-2は母親と息子で、両者は1基の墓にともに埋葬され、息子である2027-2は、母親である2027-1が2027-2の上に埋葬されているので、2027-1より早く死んだ可能性が高そうです。しかし、両個体の同時埋葬を除外できません。2045-1とその息子である成人の2045-2は、石棺にともに埋葬されました(図2a・b)。そのすぐ隣では、2個体のある二次埋葬が見つかり、それは個体2044と、保存状態のため標本抽出されなかった別の1個体です。家系Bの全個体も、地元の⁸⁷Sr/⁸⁶Sr比を示します(図3c)。さらに、家系AとBの間で観察される共有IBDから、両家系は同じ地域に居住していたか、レウビンゲンに戻ってきた、と示唆されます。
●家系C
家系Cは4世代にわたる10個体から構成され、家系Cも父系でつながっています(図2a)。興味深いことに、2組の半キョウダイ(両親の一方のみが同じキョウダイ)が観察され、ともに父方を通じて第2世代と第3世代で関連しています。個体2243は全キョウダイ(両親が同じキョウダイ)である2024-4と2247の半キョウダイで、個体2025は個体2023と2024-1と2032-1の半キョウダイです。対照的に、家系Cの第1世代の個体2033と第2世代の個体2223は、その子供を通じてのみ家系Cとつながっており、レウビンゲンI遺跡に埋葬された両親もキョウダイもいないので、外来者と考えることができます。これはその歯の⁸⁷Sr/⁸⁶Sr比によっても裏付けられ、両事例とも、家系Cの他の個体よりも放射性が高く、地元の範囲外に収まります(図3c)。両個体(2033と2223)は主要な埋葬地で副葬品を伴う単葬墓に葬られており、その子供は近く(10mm未満)に葬られています。
家系Cで他の唯一の女性個体(2032-1)は11~13歳で死亡し、両親と子供やキョウダイやオジの関係を通じて家系Cにおいて他の個体と関連している、唯一の女性「系統」でもあります。単独で埋葬された家系Cの他の構成員のほとんどとは異なり、個体2032-1は家系Aの2個体とともに1基の墓にともに埋葬されていました(図2b)。家系Cの2個体、つまり父親である2024-4とその成人の息子である2024-1のみが、共通の墓に標本抽出されたもののDNAが得られなかった他の2個体とともに埋葬されました。
最終世代の成人男性個体826は、主要な埋葬地に葬られなかったものの、その82m南西に葬られた唯一の親族です。個体826は、主要な埋葬地がもう使用されていない時代に、その居住地に埋葬されたかもしれません。別の可能性の低い選択肢は、個体826が死後に家族のより近くに埋葬されるため戻された、というものです。個体826の⁸⁷Sr/⁸⁶Sr比は、地元で育ったことを示唆しています。家系Cの全男性個体は成人(16歳超と定義されます)に達していましたが、個体2024-4を除いて、子供はいなかったものの(レウビンゲンI遺跡内では)、同世代および他世代において、親と息子やキョウダイやオジの関係を通じて他の個体群とつながっていました。
さらに、IBD断片の分析を通じて、以前に「無関係」と分類されていた2個体の2088と201-2を、家系Cに関連づけることができました。男性個体2088は20cM超のIBDの4個の断片を通じて、検出可能な子供のいる唯一の男性個体である2024-4と、20cM超のIBDの3個の断片で、2024-1の半キョウダイである個体2025と遺伝的に関連づけられます(図2aおよび図3b)。さらに、年代的により新しい埋葬地であるレウビンゲンIIの女性個体201-2も、5親等もしくはそれ以上の関係を示唆する、個体2223および2032-1と20cM超のIBD断片を共有しています。2088と201-2の両個体は、地元の⁸⁷Sr/⁸⁶Sr比を有しています(図3c)。この観察から、両個体【2088と201-2】はこの地域に留まったか、あるいは、個体201-2の事例では、その家族は主要な埋葬地が放棄された後に100~200年間留まり、個体201-2がレウビンゲンIIの小さな埋葬集団の後半の構成員になった、と示唆されます。
●家系D
家系Dはレウビンゲンにおいて最小の家系で、父親1人(2222)とその娘1人(2221)から構成されます。その娘(2221)は、4~5歳の時に死亡しました。両個体【2222と2221】は地元の範囲内の⁸⁷Sr/⁸⁶Sr比を示し、相互に近く、副葬品のない主要な埋葬地の南東端の単一墓に埋葬されました(図2b)。
●レウビンゲンII
レウビンゲンIIの4個体は、あり得る2形態の1家系でつながっていました。最初の可能性は、2世代にわたる1家系で、個体81が142と201-1というキョウダイの組み合わせのメイで、別の可能性は、個体81が142と201-1というキョウダイのオバで、3世代にまたがる1家系というものです(図2a)。利用可能な結果で、死亡時年齢を組み合わせると、どちらの選択肢の可能性が最も高いのか、判断できません。それは、両方の手法が、142と201-1というキョウダイの組み合わせと、関係の質の特定なしで3親等としての第三の個体81との間の関係を返すからです。レウビンゲンIIは、母系を介してつながる唯一の家系で、この場合は個体142を通じてです。レウビンゲンIIの全個体の⁸⁷Sr/⁸⁶Sr比は、地元の範囲に収まります。再構築された家系レウビンゲンIIの個体群と親族関係にない別の個体201-2は、個体2223および個体2032-1を通じて、家系Cと遺伝的に遠い親族関係(5親等以下)です(図2aおよび図3b)。
●性比と埋葬慣行の選好
家系Aを除き、第0世代の仮定的な両親を除外すると、すべての再構築された家系において、女性8人と男性6人が欠けていることは注目されます。全ての欠けている個体は夫婦の一部で一方の親であり、男性6個体のうち4個体はその家系において別の個体の兄弟でもあります。レウビンゲンIIにおいて個体203の父親である推定される男性1個体のみが、家系のだれとも親族関係ではありません。対照的に、欠けている全ての女性個体はその子供の母親であるだけで、家系において他の個体の娘でも姉妹でもありません。全体的に、レウビンゲン遺跡で観察される性比は偏っています。自然な男女の性比である1.05:1に基づくと、家系において観察よりも多い女性個体が予測されるでしょう。代わりに、17人の息子と6人の娘が見つかり(第1世代は除外され、存在する個体のみが数えられます)、観察された未成年比は2.83:1となります(95.4%信頼区間で1.8:1~4.91:1の間)。この偏りから、成人に達した娘たちは共同体を去り、他の場所で埋葬されたかもしれない、と示唆されます。
レウビンゲン遺跡全体の性比は、男性31個体と女性29個体を含めて、標本抽出され、推測され、親族関係にない全ての個体に基づいており、均衡がとれています。しかし、レウビンゲン遺跡に埋葬された子供のいない成人の娘(1個体)に対する子供のいない成人の息子(8個体)の過剰は、有意です。まとめると、これは女性族外婚の慣行を裏づけます。家系内において、合計で女性19個体と男性26個体が見つかり(推定された個体も含まれます)、そのうち女性11個体と男性20個体はレウビンゲン遺跡で埋葬されました(発見されました)。合計で13組の結婚が見つかり、そのうち母親(8個体)と父親(6個体)が類似の割合で欠落していました。欠けているのが男性6個体だけで、7個体ではなく、それは、家系Cにおいて2組の半キョウダイが見つかり、そのうち1個体は欠けている父親だからだ、ということに要注意です(図2a)。
これらの比率は顕著に不均衡ではありません。重要なのは、欠けている男性および女性個体とその関係との間に違いがあることで、これが意味するのは、全ての推定上の欠けている女性個体はその子供との親族関係にあり、他の個体とは親族関係にない、ということです。対照的に、欠けている男性6個体のうち4個体は父親であることに加えて兄弟なので、すでに家系内でつながっています/入れ子になっています。子供以外に誰とも親族関係にない唯一の男性個体は、レウビンゲンIIの家系における個体203の生物学的父親で、女系を通じてつながっている唯一の家系です(個体142)。母親と娘の不在や、母親2人における地元ではない同位体値や、親族関係にない女性個体や、全ての欠落している母親が欠落している父親とは異なり家系内に入れ子になっている事実は、女性、とくに成人のより高水準の移動性を示唆します。
5家系すべてにおいて、ともに埋葬された密接な生物学的親族関係単位のみが見つかり、調査に成功した個体の大半が数世代にわたって埋葬された親子単位であることを意味します。家系は直接的な遺伝的関係のみを反映しているようで、これが示唆するのは、世帯はより小さな家族単位で運営されていた可能性が高いものの、埋葬の空間配置は共同体の拡張された遺伝的および社会的関係も反映していた、ということです。
●直系性と局所性と移動性
個体群の近縁性、したがって、母方居住もしくは父方居住/直系性のあり得る兆候を形式的に検証するため、予測因子として1組の個体の年齢と遺伝的性別を使うBREADRを用いて、不適正塩基対率(pairwise mismatch rate、略してPMR)の分散分析が実行されました。さまざまな遺伝的性別の組み合わせ(XY/XY、XY/XX、XX/XX)間のPMRを見ると、平均して、XX/XXおよびXY/XXの組み合わせで計算されたPMR間の有意な違いは見つかりませんが、XX/XXおよびXX/XYと比較して、XY/XYでは有意により低いPMRが見つかります。これが示唆するのは、男性個体群は平均して、女性個体群に対するより、あるいは女性個体群が相互に関連しているよりも、相互に密接に関連している、ということです。
年齢(成人/成人、成人/未成年、成人/成人)も重要な予測因子と分かりました。3通りの遺伝的性別の組み合わせ全てに対して未成年/未成年および成人/未成年の比較では、平均的なPMR値に有意な違いはありませんが、両方の年齢の組み合わせ【未成年/未成年および成人/未成年】は、成人/成人の組み合わせと比較すると、有意に低いPMR値と分かりました。これは、レウビンゲン遺跡で見られるキョウダイおよび親子関係の数と一致しており、家系は各世代において密接な遺伝的親族関係を表しており、拡大家族はなく、親族関係にない個体の大半しは成人です。しかし、年齢集団の有効規模が性別の場合より一桁小さかったことに要注意です。
この調査結果をさらに調べるために、埋葬地の他の全個体との各個体の平均近縁性について、ウィルコクソンの順位和検定が実行されました。親族関係にない個体群と比較して、レウビンゲン遺跡の他の個体とより密接に親族関係にある個体群については、平均PMRがより低いと予測されます。しかし、成人集団と未成年集団に区分すると、成人男性個体は女性と比較して他の個体とより密接な親族関係にある、と分かりました。逆に、男性と未成年女性との間に有意な違いは見つからず、より燃焼の子供(とくに女性)は特定の年齢(16歳頃)の前名は共同体を離れなかった、と示唆されます。
●親族関係にない個体群から得られた証拠の統合
上述の家系における密接な親族関係にある31個体と、共有されたIBDを介して家系につながっている2個体に加えて、埋葬地のどの個体とも親族関係にない13個体が数えられ、そのうち9個体が女性で、4個体が男性です。男性4個体のうち2個体は若い成人(16歳以上)で、2個体は未成年です。対照的に、親族関係にない女性9個体のうち8個体は成人です。これらの女性のうち4個体は地元ではない⁸⁷Sr/⁸⁶Sr比を示します(図3c)。興味深いことに、つながっていない、親族関係にない未成年男性個体2565も、地元ではないストロンチウム同位体値を示します。
親族関係にない13個体のうち7個体は、親族関係にある個体群と同様に主要な埋葬地において通常の埋葬をされていますが、6個体は主要な墓地からさらに離れて埋葬されました(図2b・c)。成人で、つながっておらず親族関係にない女性の人数(8個体)は、子供のいない成人男性家系の個体の人数(6個体)とほぼ同じです(図2a)。これらの個体は、女性を家系とつなげるだろう、子供が見つからなかった夫婦を表しているかもしれません。したがって、個体間の遺伝的つながりは明示的に定義できませんが、社会的結合は、とくに家系の個体群と空間的に近くに埋葬された個体群(図2b)については、除外できません。
親族関係にない成人女性(個体2224および2242)は、大半の個体と比較して、ひじょうに豊富な副葬品とともに埋葬されました(図2b)。もう一つの特別な事例は個体5281で、レウビンゲン遺跡のどの個体とも親族関係にない、ピトス(大型貯蔵器)埋葬の新生児女性個体です。個体5281も主要な埋葬地の一部ではありませんが、主要な埋葬の東側約100mmに埋葬されました。ここで最も可能性の高い説明は、保存状態が悪いため、個体5281をその近くに埋葬されていたかもしれない両親と結びつける遺伝物質を回収できなかった、というものです。個体5281の両親が、個体5281の死後にレウビンゲンを去った可能性もあります。
親族関係にない個体のうち6個体が、地元の⁸⁷Sr/⁸⁶Sr比を有していることに要注意です。これが示唆するのは、地元のストロンチウム同位体の範囲はレウビンゲンの集落共同体の経済的範囲よりさらに広がっていた、ということです。したがって、周辺地域で育った個体群は、その⁸⁷Sr/⁸⁶Sr比に基づいて地元ではないと特定できないものの、レウビンゲンの集落地域からさらに離れた地域より来た可能性もあります。
ドイツ南部のレヒ渓谷の比較研究(関連記事)では、再構築された家系は単一の農場と関連しており、この原則はレウビンゲンII遺跡の家系にのみ適用されます。代わりに、レウビンゲン遺跡における主要な埋葬地は、家系A~Dの個体の大半と、同じ頃にレウビンゲンII遺跡の(複数の)集落に暮らしていた可能性が高い、つながっておらず親族関係にない多くの個体を、空間的につなげます(図1b)。レウビンゲンI遺跡の埋葬地の空間構成については、いくつかの説明が可能かもしれません。それは、(1)3ヶ所もしくは4ヶ所の農場から構成される小さな集落(村落)の共同管理された葬儀場で、各農場は拡大家族により管理されていたか、(2)集落として機能しなかったいくつかの個々の農場の人々が死者を共通の「中央」埋葬地に葬ったか、(3)埋葬地には実際の同居および農耕共同体生活の直接的反映はなかったものの、使者の埋葬地の選択の根底にある他の規則はあった、というものです。考古学および遺伝学的証拠を組み合わせると、テューリンゲンと全体的なCH集団については、(1)と(2)の可能性が裏づけられます。
●推定される親族関係構造の観点での副葬品分布の検証
レウビンゲンIおよびIIは、土器(26点)や食料の供物(5点)や金属製物質/緑の着色(それぞれ4点と2点)や武器部品(2点)を供えた埋葬で構成され、副葬品のない墓も見られます(36基)。レウビンゲンIにおける主要な埋葬地の34基の墓のうち、土器(最大4点の容器)を備えた21ヶ所の埋葬、食料の供物を供えた4ヶ所の埋葬、金属製物質を供えた3~5ヶ所の埋葬、鏃を供えた1ヶ所の埋葬がありました。本論文の関心は、性別か死亡時年齢か、あるいは個体が「地元」かどうか、個体に供えられた埋葬品の種類あるいは数に影響を及ぼしたのかどう、という調査です。ポアソン回帰を用いて、レウビンゲンIにおいて、親族関係の有無、地元と非地元、成人と未成年の個体間で副葬品の合計数に違いが見つかりました(図4a)。
成人の同位体的に地元の女性個体群には、他の全ての存在する分類と比較して、最多の副葬品が供えられていました。未成年の地元の個体の副葬品は2番目に多く、地元ではない個体群には地元の個体群より少ない副葬品が備えられました。しかし、成人の地元ではない女性と地元ではない未成年男性は、地元の未成年女性よりも副葬品の合計数は多かった、と示されます。これら同じ変数と、各個体が受け取った副葬品のさまざまな種類の数との間のあり得るつながりを調べると、モデルで有意な単一の予測因子は見つからず、死亡時年齢と性別と地域性と関係の地位は、個体がどれだけ多くのさまざまな種類の副葬品を供えられるのか、決定するわけではない、と意味しています。以下は本論文の図4です。
成人 男性と比較して成人女性で副葬品の数がより多い一因は、成人女性の衣服一式の一部を表す、女性のみの埋葬における銅/青銅製工芸品の存在かもしれません。しかし、未成年の地元の女性個体群は、この 種の工芸品なしで埋葬されました。レウビンゲンにおける銅製工芸品の出現は、2b期においてこの地域でやっと見つかる、とした先行研究での説明より早いものでした。これが示唆するのは、レウビンゲンで埋葬された個体群は、ウーニェチツェ文化の他地域ほど豊かではなかったにしても、この期間とこの地域では裕福だった、ということです。
レウビンゲンIでは、死後の個体に供えられた副葬品の合計数は、死亡時年齢と遺伝的性別と地元か否かに基づいていました。しかし、副葬品のさまざまな種類の数は、これらの変数の全てと無関係なので、個体が受け取る副葬品の選択は、明確な社会的階層化もしくは社会的不平等なしに、家族もしくは共同体内の地位に応じていた、と推測できます。埋葬品の選択は、社会的水準ではなく、個体水準でのより選択的な過程だったようです。
次に、対応分析(correspondence analysis、略してCA)を用いて、さまざまな種類の副葬品と、それらを供えられる個体との間の関係が調べられました。その結果、貝殻/他の副葬品を供えられた個体群は、(土器を除いて)他の種類の副葬品を受け取らず、その逆も同様で、類似の負の相関は珪土/骨の工芸品と食料の供物との間に存在した、と分かりました(図4b)。土器は他の副葬品との組み合わせにおいて最も一般的な副葬品なので、情報量が最も少ない副葬品のため、CA図の位置は原点の近くになります(図4b)。人口統計学的変数(死亡時年齢や遺伝的性別や地元か非地元や家系)に関して、副葬品のさまざまな種類との相関は見つかりません。注意すべきことに、CAについて、家系Dの個体や親族関係にない7個体など、副葬品の合計数が0の個体は除外されました。
ほぼ全ての親族関係になく、地元ではない個体群に充分な副葬品が供えられ、2個体のみが副葬品を供えられなかったドイツ南部のレヒ渓谷と比較すると、レウビンゲンではこれが逆だった、と分かります。レウビンゲンでは、親族関係になく地元ではない女性個体群のうち副葬品が豊富なのは2個体だけだったのに対して、残りの個体の副葬品は数点もしくは全くありませんでした。レヒ渓谷については、さまざまな社会的地位の個体が同じ世帯で暮らしていた、と推測されています。レウビンゲンでは、家系の一部ではない、親族関係にない、および/もしくは地元ではない個体群が拡大家族単位の家族と暮らしていたのかどうか、判断し明確ではありません。これらの個体群、とくら主要な埋葬地に葬られた成人女性が、地元の成人男性との結婚相手の一部だったものの、死亡時に子供がいなかった(もしくは共同体を去った子供がいた)のかもしれません。全ては女性族外婚と一致するでしょう。女性族外婚では、女性はレウビンゲンを去り、異なる村もしくは地域で家族単位を形成し、一方で他地域からレウビンゲンにやって来て、地元で家族単位を形成することもありました。
●比較研究
父系性と女性族外婚を含むレウビンゲンにおける親族関係構造は、(1)と父系を介してつながる家系BおよびCと、(2)成人女性個体間と比較して成人男性間のより高い平均近縁性と、(3)家系において欠落している成人女性B隊の位置と、(4)男性個体群と比較しての一部の女性個体のより高い同位体値(図3c)により示唆されます。しかし要注意なのは、テューリンゲン盆地東部の集落拠点周辺の高度に類似したより広範な同位体景観を考えると、ストロンチウム同位体比の解釈が困難かもしれないことです。じっさい、レウビンゲン遺跡のストロンチウム同位体の差異内に収まる個体群は、地理的には地元ではないものの、類似した同位体特性の地域から来たかもしれません。近い近隣共同体は地元ではなく、「外来」もしくは地元民とは異なると考えられるので、女性個体群の移動性は、異なるものの充分に類似の同位体特性のある近い村落間で起きた、と推測できます。
女性族外婚を裏づける同様のパターンは、ドイツ南部のレヒ渓谷やラ・アルモロヤなどイベリア半島のEBA遺跡などでも報告されました(関連記事1および関連記事2)。本論文のレウビンゲン遺跡に関する調査結果は、この慣行が例外的ではなかったことを確証しているようです。他のEBA遺跡、たとえばセルビアのモクリン(関連記事)では、女性族外婚EBAに行なわれていたものの、Y染色体ハプログループ(YHg)の報告された多様性から、父方居住の影響はレヒ渓谷やレウビンゲンほど顕著ではなかった、と示唆されます。レヒ渓谷およびモクリンと比較すると、レウビンゲンでは親子の埋葬がより一般的で、2組の父親と息子、1組の母親と息子の埋葬が見られます。対照的に、ラ・アルモロヤでは成人の二重埋葬がより一般的ですが、親子の埋葬も同様に一般的でした(関連記事)。
より広範な編年参考文献と比較すると、父方居住と女性族外婚を裏づけるパターンは、BB現象と関連する後期新石器時代遺跡群(関連記事1および関連記事2)、球状アンフォラ文化(関連記事)、フランスの中期新石器時代遺跡群およびイングランドの前期新石器時代遺跡群(関連記事1および関連記事2および関連記事3)でも報告されました。ヨーロッパの新石器時代および青銅器時代社会にわたって観察された類似性からより広範な傾向を推測したくなり、ウーニェチツェ物質文化は在来の先行するBBおよびCW層準に大きく影響を受けているにも関わらず、これらの文化も社会慣行や親族関係構造に影響を及ぼしたのかどうか調べるには、より直接的に比較して統合された研究が必要です。
●まとめ
レウビンゲンの埋葬地は、ドイツ中央部におけるEBAウーニェチツェ文化の農耕人口集団を表しています。レウビンゲンIおよびII両方の葬儀場は、EBA社会およびその社会組織のさらなる理解に寄与します。ドイツ中央部におけるウーニェチツェ文化の出現は、BB文化へのCWの融解の結果だった、と過去には示すことができたかもしれません。本論文の新たなデータから、ドイツ中央部とボヘミアのウーニェチツェ文化と関連する個体群は多量のCW関連祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を有しているので、主成分分析(principal component analysis、略してPCA)においてドイツ南部のEBA個体群とほとんど重ならない独特なクラスタ(まとまり)を形成する、と示されます。この結果は、以前の遺伝学的研究、およびウーニェチツェ文化がBBとCW両方の物質文化の要素を組み合わせている、という考古学的証拠と一致します。
女性族外婚を含む父系性と父方居住に基づく親族関係構造は、ヨーロッパ全域のさまざまな新石器時代および青銅器時代遺跡群で報告されてきており、ヨーロッパ中央部のウーニェチツェ文化を含めて多くの青銅器時代の社会および文化が適応した可能性は高そうです。CH集団における副葬品の量と品質ウーニェチツェ文化の他地域よりも低かったものの、レウビンゲンの埋葬は副葬品が豊富で、わずか約100年後により一般的に見られる銅/青銅製の副葬品も含まれていました。地元と非地元の個体間だけではなく、全集団と女性および子供との間でも見られた副葬品の量の観察された違いは、ヨーロッパの他のEBA遺跡で見つけることができるものの、地域な差異を伴う内部の社会的分化を示唆しています。
女性のより高い移動性を含む女性族外婚と父系制の慣行は先行研究と一致し、同位体や考古遺伝学的な結果により裏づけられます。さらに、レウビンゲンは埋葬慣行と副葬品の分布に基づいて非遺伝的親族関係への洞察を提供します。本論文はレウビンゲンから得られたゲノム規模データで、ドイツ中央部から利用可能なウーニェチツェ文化期個体の総計に寄与します。これらの結果は、先行研究と一致しているように見える、ヨーロッパ中央部EBA社会における主要な埋葬および社会的慣行へのさらなる証拠を追加します。したがって、この地域だけではなく、同時代の社会で見られる類似した埋葬地に焦点を当てる将来の研究は、微細規模の差異を調査する可能性があるだけではなく、社会および経済組織のより微妙な理解に寄与します。
参考文献:
Penske S. et al.(2024): Kinship practices at the early bronze age site of Leubingen in Central Germany. Scientific Reports, 14, 3871.
https://doi.org/10.1038/s41598-024-54462-6
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