アムール川流域の後期更新世の石器群

 アムール川流域の後期更新世の石器群を報告した研究(Yue et al., 2024)が公表されました。本論文は、中華人民共和国黒竜江省双鴨山(Shuangyashan)市饒河(Raohe)県の小南山(Xiaonanshan)遺跡の16500~13500年前頃となる石器群を、新石器化との関連で検証しています。アムール川流域には、14000年前頃には同地の現代人集団の直接的祖先集団もしくは(現代人集団への遺伝的影響は皆無か小さいものの)それと遺伝的にきわめて類似した集団が存在していた、と古代ゲノム研究により明らかになっており(関連記事)、現代との連続性の観点でも注目される研究です。


●要約

 小南山は、中国のウスリー川流域に位置する、16500~13500年前頃の遺跡です。その石器群の特徴は、細石刃削片群(非目的製作物)や両面尖頭器や直交刃斧(adze)で、アジア北東部のアムール川流域における新石器化を調査するこの計画に、重要で新たな資料を提供します。


●研究史

 アジア東部および北東部においては、新石器時代の始まりは通常、土器の出現と関連づけられています。黒竜江としても知られているアムール川の流域は、初期の土器の中心地の一つを表しています。現時点での証拠から、後期氷期狩猟採集民がアムール川の中下流域に居住し、オシポフカ(Osipovka)およびグロマトゥーハ(Gromatukha)という二つの文化複合と関連していた時に、土器が出現した、と示唆されています。

 小南山遺跡は、アムール川下流の大きな支流であるウスリー川の西岸に位置しています。散発的に見つかる土器と石器に基づいて、小南山はオシポフカ文化の最南端の遺跡を表している、とみなされてきました(図1)。しかし、小南山遺跡の年代と文化的特徴は、新たな発掘が2015~2021年に行なわれるまで、不明なままでした。本論文は、後期氷期と年代測定され、アムール川流域における新石器化と密接に関連している、小南山遺跡の熱電廠社(Redianchang)地点から新たに発掘された石器群を報告します。以下は本論文の図1です。
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●小南山遺跡

 小南山開地遺跡(北緯46度47分42.39秒、東経134度1分48.02秒)は、中国北東部の黒竜江省の饒河県の同名の丘に位置しています(図2a)。小南山遺跡は1958年に発見され、1970年代から1990年代にかけて何度か暫定的な発掘が行なわれました。2015年以降、体系的な考古学的調査と大規模な発掘がありました。これまでに、16000~2000年前頃にわたる文化的遺物の少なくとも5段階が特定されており、本論文では段階1に焦点が当てられます。以下は本論文の図2です。
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 熱電廠社は小南山丘の北側斜面に位置しています(図2b)。2021年には、小南山遺跡の130m²が露出し、それには8ヶ所の区画が含まれます(図2c)。4層序単位(図2dでは第1層~第4層と分類されています)が特定されました。各層は50mm単位で発掘され、10mm以上の石器三次元座標が測量機器(トータルステーション)で図示されました。全ての発掘された堆積物は、3mmの篩にかけられました。合計で16484点の石器が回収され、そのほとんど(77%超)は第3層に由来します。13710±40年前(95.4%の確率の較正年代で16785~16390年前)の放射性炭素年代が1点の炭から得られ、この炭は、第3層の下の溝から発掘された、端部を成形した細石刃石核や両面尖頭器や部分的に研磨された直交刃斧と関連していました。


●小南山遺跡の熱電廠社地点の石器インダストリー

 熱電廠社地点の発掘の各層からの石器は、石材と技術類型論的特徴において類似しています。地元の河床から採取した凝灰岩がおもな石材です。玄武岩や瑪瑙や黒曜石など他の石材は、低頻度で見られます。技術類型論的には、3種類の一連の縮小が特定され、細石刃や石刃や石核剥片削片群が含まれます。細石刃の削片群は、64点の細石刃石核と一連の削片群生成物により表され、主要な縮小目標として機能しました(図3および図4)。細石刃石核は端が形成されており、湧別技法で調整されています(図3a・c~f)。以下は本論文の図3です。
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 礫もしくは剥片は通常、原型として選択され、両面に成形されることが多くありました。次に、縦方向の破砕物が除去され、打面が作られました。数点の細石刃石核は、打面調整の異なるパターンを示し、打面は連続的な横方向の除去により形成されました(図3b・g)。細石刃は両方の事例において押圧打撃で剥離されました。単純な石核剥片と石刃縮小は存在するものの、少量です。以下は本論文の図4です。
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 形式的な石器目録(200点)には、多様な石器の種類が含まれ、さまざまな操作体系が示されます。削器お掻器や尖頭器や石錘や抉入石器や鋸歯縁石器は、形式的な石器の58%を占めており、通常は原形として剥片を使用し、ほぼ形態的な標準化が欠けています。両面尖頭器(30点、15%)も剥片に基づいていますが、精巧な両面成形を経ており、高水準の対称性を示します(図5)。以下は本論文の図5です。
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 細石刃も石器原形として選択されました。この場合、押圧打撃が繊細な先端の製作のため、細石刃(37点、18.5%)の近位もしくは遠位端に適用されました(図4f~h)。直交刃斧(16.8%)は比較的大きく、通常は丸石もしくは厚い剥片で製作れました(図6a・b)。これらの石器の成形には、直接的な打撃および時には研磨技術が用いられました。1点の錘石も特定されました(図6c)。以下は本論文の図6です。
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●考察

 熱電廠社地点の石器インダストリーは、湧別技法に由来する細石刃削片群と、掻器や両面尖頭器や再加工された細石刃や削った/県ました直交刃斧により特徴づけられます。2019~2020年の発掘において、類似の石器群が小南山遺跡の他の地点から回収され、初期の土器や炉床や住居と関連づけられました。土器の破片は断片的で低温であり、通常は、内面と外面の両方に草の痕跡があります。小南山遺跡には、2ヶ所の半地下住居があり、そのうち1ヶ所は中央の炉床の炭を用いて、非較正で12470±50年前と測定されました。

 いくつかの他の放射性炭素年代(非較正で、13270±40年前、12120±40年前、11720±40年前)も、得られました。上述の遺物の全ては、較正年代で16500~13500年前頃の信頼できる時間範囲となり、小南山遺跡の第1段階に分類できます。人工遺物は明確に、アムール川中流および下流域の同時代の遺跡群との類似性を示しており、たとえば、グロマトゥーハ文化のグロマトゥーハ遺跡や、オシポフカ文化の加夏(Gasya)遺跡やクンミ(Khummi)遺跡やゴンチャルカ(Goncharka)遺跡です(図1)。


●まとめ

 全体的に、初期の土器の出現や石器研磨技術の適用や半地下住居の建築から、後期氷期狩猟採集民はその移動性を減少させ、地元資源の利用強化のため石器および土器製作を発展させつつあった、と論証されます。後期氷期の技術や成形や移動性のパターンにおけるそうした重要な変容は、新たな時代、つまりアムール川流域における新石器時代の始まりを示しています。


参考文献:
Yue JP et al.(2024): Late Glacial lithic industry of the Xiaonanshan site: implications for the Neolithisation in the Amur River basin. Antiquity, 98, 397, e1.
https://doi.org/10.15184/aqy.2023.181

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