黒死病前後のイングランドの人類集団の局所的な遺伝的歴史

 黒死病前後のイングランドの人類集団の局所的な遺伝的歴史を報告した研究(Hui et al., 2024)が公表されました。ペスト菌(Yersinia pestis)を原因とする黒死病はユーラシアにおいて人類に大きな打撃を与えてきており、中でも14世紀のヨーロッパにおける大流行は当時のヨーロッパ社会にとって大打撃となり、その後の歴史に大きく影響したことは、よく知られているように思います。本論文は、イングランドのケンブリッジシャーを対象に、黒死病前後の人類遺骸のゲノムを解析することで、人類集団への黒死病の影響を局所的に検証しています。今後は日本列島も含めてアジア東部でも、疫病の流行が社会にどのような影響を及ぼしたのか、古代ゲノム解析も含めて学際的研究が進むよう、期待しています。


●要約

 ヨーロッパの人口集団への黒死病の大流行(1346~1353年)の被害の程度は、文献資料や古代病原体DNA研究により明らかにされたその真正細菌源から知られています。さほど理解されていないままなのは、この世界的流行病の局所的規模でのヒトの移動性および遺伝的多様性への影響です。本論文は古代人275個体のゲノムを報告し、それには、黒死病の前後に埋葬された中世後期および中世以後のケンブリッジシャーの個体群から得られた、0.1倍超の網羅率の109個体が含まれます。施設の機能と一致して、一般的な都市および農村の教区共同体とは対照的に、修道士と病院の収容者では近親者の欠如が見つかりました。ケンブリッジシャーでは局所的な遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)における長期の変化が検出されましたが、黒死病の前後に暮らしていたコホート(特定の性質が一致する個体で構成される集団)間で、遺伝的祖先系統における大きな変化や免疫遺伝子座のより高度な分化の証拠は見つかりませんでした。


●研究史

 古代DNAから得られた証拠は、ヒトの過去に関する理解を深め続けています。遺伝的特性を場所と時間に結びつけることにより、過去に起きた人口移動や遺伝的近縁性(関連記事1および関連記事2)や感染症や自然選択の研究が可能となります。歴史的および考古学的文脈と組み合わせると、そうした情報は過去の社会の生活についてより詳細な視点を提供します。

 広範な地理的地域と長期間を中心とした古代DNA研究は、先史時代と歴史時代両方における主要な移動事象や人口入れ替わりや連続性の確証において基礎となってきましたが、複雑な社会内の日常生活に関してはあまり情報をもたらしません。本論文は、「町全体の手法」と呼ぶものを採用して、中世後期(1000~1500年頃)のケンブリッジシャーの数百点になる骨格遺骸を調べました。これらの遺骸は、都市部および農村部の教区墓地や都市部の慈善団体や宗教団体など、さまざまな社会的集団と関連する埋葬地から発掘されました。歴史的文脈を考慮して、中世の後(1550~1855年頃)の埋葬地も含められました。クロップトン(Clopton)とヘミングフォード・グレー(Hemingford Grey)を除けば、全遺跡は相互の数km以内にあります(図1A)。以下は本論文の図1です。
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 中世後期のケンブリッジシャーは、社会の全階層の人々が行きかっていた中規模の市場町でした。中世後期のケンブリッジシャーの町民は死亡した後で、ほとんどが城の近くのオール・セインツ(All Saints)を含めて教区墓地の1ヶ所に埋葬されましたが、他の埋葬地が存在し、経時的に増加しました。12世紀末の頃には、聖ヨハネ福音病院(the Hospital of St John the Evangelist)が貧民や衰弱者や病人のための事前施設として町民により設立されました。本論文に含まれる被葬者のほとんどは、病院の慈善入院者のための墓地に由来します。13世紀には大学と托鉢修道会の建物が設立され、それには、本論文の対象人口集団の一部が発見されたアウグスティヌス修道院(Augustinian Friary)も含まれます。

 修道士とは別に、修道院の一部の後援者(パトロン)も墓地や修道院の支部の建物に埋葬されました。第二のペスト大流行(以下、一般に使われている「黒死病」という用語で呼ばれますが、この用語は18世紀まで使われていました)の第一波が1349年にケンブリッジシャーを遅い、その犠牲者の一部はベネット通り(Bene’t Street)の規模不明の集団埋葬で発見されました。ケンブリッジシャー以外の2ヶ所の教区墓地であるチェリー・ヒントン(Cherry Hinton)とクロップトンは、町の農村部の後背地内にあります。表1と補足表1には、本論文で網羅されている遺跡、埋葬年代、中世およびその後の遺跡の機能が掲載されています。

 黒死病とその後のペストの大発生は、イングランドの中世社会に多くの影響を及ぼしました。ヨーロッパにおける死亡者数は人口の30~65%と推定されており、ペストに対するより強い耐性への選択圧を課したかもしれません。自然および適応免疫系を介しての遺伝的適応が提案されてきました。参照の偏りは自然選択に起因するアレル(対立遺伝子)頻度の検出に困難をもたらすかもしれませんが、黒死病の前と最中と後の期間におけるロンドンとデンマークで埋葬された個体群から得られた206点の古代DNA抽出物の研究は、高度に分化した一塩基多様体(Single Nucleotide Variant、略してSNV)における免疫遺伝子の強化を明らかにし、生き残った人口集団の疾患感受性の形成における世界的流行病の大きな影響が示唆されました(関連記事)。

 遺伝的感受性の他に、社会的帰属が黒死病の病的および致死的影響をどの程度変えたのか、不明です。ペストの死亡率は、栄養失調や免疫能低下や社会的状況により影響を受けるその他の事象などの要因により引き起こされる脆弱さと関連して選択的だったようです。たとえば、1315~1322年の大飢饉は、低い社会経済的地位の人々に深刻な影響を及ぼしたかもしれません。この意味で、社会的集団間の健康不平等は、世界的流行病を通じてのさまざまな経験の可能性を理解するための背景となります。死亡率の長期的結果として、黒死病の世界的流行は、社会的移動性の増加、労働人口の生活の質問の向上、生産性増加のための技術的革新など、顕著な社会経済的変化を引き起こした、あるいは加速した、と主張されてきました。骨学と同位体と埋葬地周辺の豊富な環境から得られた証拠と合わせて、遺伝学的データが、世界的流行病との関連および中世後期の生活のより安定した側面に関して、両方で社会史の構築にどの程度役立つ可能性があるのか、という調査が試みられます。


●標本

 中世後期の250個体と中世の後の25個体の骨格から、全古代DNAが抽出され、ゲノムショットガン配列データが平均網羅率0.228倍で生成され、さらなる分析のため網羅率0.01倍超で190点が回収されました。これらのデータは、これまでに焦点を当てた時間的および地理的範囲内で、最も広範な生物考古学的標本抽出を形成します。調査された中世遺跡群は、さまざまな社会的背景や死因の個体群の埋葬を表しており、それには、聖ヨハネ福音病院や都市部の貧民の慈善墓地、オール・セインツ教区墓地、アウグスティヌス修道院、ベネット通りのペスト埋葬、チェリー・ヒントンとクロップトンの農村部の墓地が含まれます(表1、図1A)。

 中世個体群のゲノム解析は、ケンブリッジシャーの4ヶ所の遺跡の中世の後のゲノムや、ケンブリッジシャーとイングランドの他地域の後期鉄器時代/ローマ期(紀元前100~紀元後400年頃)やサクソン前期(400~700年頃)の刊行されているゲノムデータ(関連記事)の文脈で行なわれました。平均的な内在性ヒトDNA含有量は13%で、平均汚染率は1.06%となり、209個体は5%未満でした。最初の5塩基対(base pair、略してbp)の平均損傷率は8.02%でした。網羅率0.05倍超の143点のゲノムの部分集合は、健康および生活様式と関連する表現型における変化を調べるため補完されました。補完されたゲノムには網羅率0.1倍超の109個体が含まれ、この109個体はその後、遺伝的祖先系統と親族関係と最近の近親交配と異型接合性の解決に用いられました。


●遺伝的祖先系統

 イングランドにおけるミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)の頻度は、新石器時代以来比較的安定してきました。同様に、主成分分析(principal component analysis、略してPCA)から、中世後期ケンブリッジシャーの網羅率0.1倍超の109個体は全て、現代のヨーロッパ北部および西部痔と常染色体祖先系統を共有しており(図1A・B)、より遠方の地域からの移住の証拠はない(図1C)、と明らかになります。同じ結論は、現代人のゲノムにより確立された主成分(PC)空間に補完なしの疑似半数体ゲノムを投影したさいにも裏づけられます。ローマ期もしくはサクソン前期の個体群のゲノムとは対照的に、ほとんどの中世後期個体のゲノムは、イギリス生物銀行(United Kingdom Biobank、略してUKB)から得られた現代イギリス人のゲノムとクラスタ化します(まとまります、図1C)。

 ほとんどのサクソン期の個体と同様に現代のオランダおよびデンマークの人口集団に位置する外れ値の個体は、チェリー・ヒントンと聖ヨハネ福音病院の数個体を含んでいます。そのうち2個体(聖ヨハネ福音病院のPSN332とチェリー・ヒントンのPSN930)は、歯のエナメル質のストロンチウム(Sr)同位体比(⁸⁷Sr/⁸⁶Sr)の値(PSN332は0.7122、PSN930は0.7108)でも外れ値です。これらの値、とくにPSN332については、イングランド東部の推定生物圏の⁸⁷Sr/⁸⁶Sr値より高く、埋葬された地域で子供期を過ごしていなかった、と示唆されます。

 より詳細な地理的解像度で経時的な遺伝的類似性の変化を調べるため、個体間のつながりが、長い、つまり5cM(センチモルガン)超の長い共有されたアレル(対立遺伝子)間隔(long shared allele intervals、略してLSAI)を同一状態経由でのIBIS(Identical by Descent via Identical by State 、同一状態経由での同祖対立遺伝子)で特定することにより特定され、歴史時代と現代の人々のゲノムにおける個々のつながりのモジュール性(PiC)が調べられました。PCAの結果と同様に、ケンブリッジシャーの歴史時代個体群のゲノムの大半はイングランド東部のUKB現代人とのつながりによりクラスタ化する(まとまる)のに対して、中どの人口集団とも低いLSAI共有を示す(図1E)世後期およびローマ期のゲノムの少ない割合は、低水準のLSAI共有を示すUKBのフランス生まれの提供者ともクラスタ化する、と分かりました。

 サクソン前期個体群のゲノムは、スカンジナビア半島個体群のゲノムとのより強いつながりを示しており、これはチェリー・ヒントンの個々のPCA外れ値にも反映されています。全体的に、経時的な個体のつながりにおける地域的変化が観察されました(図1F)。ローマ期からサクソン前期への移行期におけるデンマーク人とのつながりの増加が観察され、その後、中世後期および中世後期の後には、オランダおよびイングランドのより広範な地帯両方の現代人のゲノムとの、LSAI共有の増加(オランダ人は局所的に最も一般的な中世後期の移民と示す文書証拠を反映しています)があります。最後に、ウェールズ人およびスコットランド人とのより高度なLSAI共有に向かうイングランド東部現代人における多く来な変化が特定され、これは最近のブリテン島における政治的および経済的統合を明確に反映しています。

 ブリテン諸島の人々のデータにおける個々のつながりに関する本論文の分析から、ケンブリッジシャーで発見された中世後期の全個体のゲノムは、その遺伝的祖先系統のほとんどがおもに現在のイングランド中央部/東部人口集団と同じ供給源に由来する、と示唆されます(図2)。コーンウォールとデヴォンとの間もしくはヨークシャーの南北間など、本論文の手法で現代人のデータにおける特定の地域差を区別できますが、古代人のゲノムが得られているリンカンシャーとサリーとの間の広範な地域では、低い解像度が観察されます(図2)。これが意味するのは、これらの個体の一部が、たとえばケントもしくはリンカンシャー由来だったとしても、その領域内の地域間のそうした詳細な移住パターンを検出できないだろう、ということです。以下は本論文の図2です。
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 遺伝的祖先系統もしくは選択圧における変化は、経時的な表現型の変化を引き起こすかもしれません。以前に刊行されたデータ(関連記事1および関連記事2)を含めて、ローマ期から19世紀の網羅率0.05倍超の214個体のゲノムが、食性や健康や色素沈着と関連する、113ヶ所の表現型の情報をもたらす一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)のアレル(対立遺伝子)頻度の変化について、分析されました。健康および食性と関連する74ヶ所のSNPのうち、自己免疫疾患と関連する2ヶ所のみが、分散分析(analysis of variance、略してANOVA)統計検定における調製された有意性閾値に達し、中世と中世の後の間の違いを示します。

 1ヶ所のSNP(rs6822844)はKIAA1109/Tenr/IL2/IL21の塊におけるイントロン多様体で、セリアック病や関節リウマチや1型糖尿病を含む、いくつかの自己免疫疾患において危険性因子と特定されてきました。他の多様体、つまりTGFB2遺伝子におけるイントロンrs1891467は、サルコイドーシスと関連づけられてきました。HIrisPlex-S一式に含まれる、目と髪と肌の色に影響を及ぼす39ヶ所のSNPについて、中世後期およびその後における有意なアレル頻度変化は見つからず、これは、遺伝的祖先系統における中世後期と現在のイギリス人の近さを考慮すると予測されます。


●親族関係と近縁性

 社会的集団と結びつける「親族関係」のつながりは、「血縁親族関係」を超えるか、置換することが多いものの、同じ場所に埋葬された個体間の遺伝的近縁性の種類と強度は、人口集団の社会的構造に情報をもたらすことができます。さまざまな社会的背景の被葬者間の遺伝的近縁性の確率を調べるため、網羅率0.01倍超の中世後期171個体のゲノムにおける常染色体とX染色体における対での違いのREADに基づく推定値が用いられました。1万ヶ所以上のSNPの重複がある個々の組み合わせのうち、1親等~3親等の近縁性の21事例が検出されました(図3A)。以下は本論文の図3です。
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 0.1倍超の網羅率の個体を含むREADにより検出された全ての親族関係の組み合わせは、IBISでの本論文の分析において、複数の7 cM(センチモルガン)超の断片と0.005超の親族関係係数を共有している、と確証されました。予想通り、時間差を考慮すると、中世後期の97個体は全員、同じ閾値でUKBの現代人463855個体との親族関係を示しませんでした。中世後の検証された12個体のうち9個体は、イギリス外で生まれた1個体を含めて、イギリス人と自認する現代人と、合計で20組の4~6親等の親族関係を形成する、と分かりました。中世後期個体群のうち、READで特定できる親族関係を超えて、同じ遺跡内でより遠い親族関係が12事例検出され、その内訳はチェリー・ヒントンが10事例、オール・セインツが2事例でしたが、病院もしくは修道院では見つかりませんでした。

 農村部のチェリー・ヒントンと都市部のオール・セインツ教区墓地で、親族関係の複数の事例が見つかりました(検証された全ての組み合わせの1%以上)。対照的に、より近い親族関係は中年(46~59歳)の修道士と女児の1組しか検出されませんでした。分析された標本規模が大きいにも関わらず、病院では親族関係は見つかりませんでした。平均して、病院で見つかった個体間の対での違いは、他の遺跡で見つかった個体間のそれより大きく(図3B)、病院に入っていた個体の祖先系統の不均一性を浮き彫りにします。

 hapROHを用いて、補完されたゲノムにおける同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)跡も検索され、ほとんどの個体は4 cM以上のROH跡を全くもしくはごく僅かしか有していないものの、病院のPSN357と洗礼者教会のPSN870と三位一体教会のPSN412の3個体は、ROHで最大150~175 cMあり、2親等~3親等のイトコ婚を含めて、両親が4親等~5親等の親族だったことと一致する、と分かりました。


●黒死病の前後

 放射性炭素年代り広範な誤差範囲、および年代測定された層序状況の系列における関連する発見物と位置に基づく黒死病の前と後への分類の限られた精度のため、黒死病後の集団の一部の個体は1348年以前に生まれていたかもしれないものの、ベネット通りの明らかな2事例は分析から除外されました。これにより、黒死病後の変化を検出する、本論文の能力が制約されるかもしれません。黒死病の前もしくは後の集団の個体はいずれも、以前にペスト菌(Yersinia pestis)陽性と判定されていません。

 遺伝的祖先系統に関する本論文の分析(図1および図2)は、トロンハイム人口集団の事例で最近示されたものと匹敵する、黒死病と関連する長距離移動率における変化を検出できませんでした。しかし、より広範な地域的祖先系統への影響の可能性の他に、黒死病大流行はゲノム規模で人口集団の遺伝的多様性に関する他の検出可能な痕跡を残したか、あるいは感染症の脆弱性と関連する特定の遺伝子および多様体に影響を及ぼしたかもしれません。ケンブリッジシャー中世人口集団の遺伝的多様性への影響をさらに調べるため、ゲノム規模および補完されたゲノムにおけるHLA(Human Leukocyte Antigen、ヒト白血球型抗原)で、異型接合性およびヌクレオチド多様性が推定されました。

 ゲノム規模の異型接合性とヌクレオチド多様性は、ボトルネック(瓶首効果)や創始者事象や混合などの人口統計学的事象の影響を受けやすくなります。世界的流行病期における高い死亡率は、すべての遺伝子座にわたる多様性の減少として小さな孤立した人口集団での極端な場合に検出可能かもしれません。HLA領域における変化は、とくに免疫遺伝子座における兆候を捕捉できるかもしれません。この遺伝子座における1個もしくは数個の多様体が選択に応答したならば、そうした多様体は連鎖のため領域全体に影響を及ぼしただろう、と予測されます。HLA遺伝子座への平衡選択の長期の影響と一致して、この領域は共通の多様体において異型接合的な部位および補完されたゲノムの蓄積におけるヌクレオチド多様性のより高密度がある、と分かりました(図4A)。

 しかし、黒死病の「前」と「後」では、コホート(特定の性質が一致する個体で構成される集団)はHLA領域内のアレル(対立遺伝子)頻度分化(図4B)も異型接合体の密度における顕著な差(図4C)も示しません。黒死病の前もしくは後のどちらかに分類される50個体の補完されたゲノムの部分集合内では、ゲノム規模でもHLA遺伝子座でも異型接合性における有意な差が観察されませんでした。同様に、黒死病後にはHLA領域もしくはゲノム規模でのヌクレオチド多様性の変化は検出されませんでした。以下は本論文の図4です。
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 以前にウイルスおよび真正細菌病原体に対するヒトでの選択の標的かもしれないとして特定された25個の多様体や、具体的にはペスト菌に対する選択として最近浮き彫りになった4個の多様体(関連記事)におけるアレル頻度の変化についての、黒死病前後の70個体の補完されたゲノムに関する本論文の分析は、RIPK2遺伝子のSNP(rs42490)における個々の検証水準での差異を明らかにしました。ハンセン病に対して防御的し以前に示されたRIPK遺伝子のアレルは、黒死病後のアレル頻度の増加を示しました。しかし、この結果は複数の検定補正の適用後には有意ではなくなり、本論文のコホートの限定的な標本規模を考えると、独立したデータセットでのさらなる検証が必要です。

 ロンドンとデンマーク両方のコホートにおける有意なアレル頻度変化のある、先行研究(関連記事)により特定された4個の免疫多様体は、黒死病前後のケンブリッジシャーのコホートではどれも再現されませんでした。模擬実験を用いて、これは本論文の標本規模に起因する検出力の欠如により起きた可能性は低そうだ、と論証されました。先行研究と同じ免疫関連および中立的進化の多様体の同じ一覧を用いると、高度に分化した多様体(Fₛₜ>95百分位数)における免疫と関連する多様体の同様の濃縮は観察されませんでした。ロンドンのコホートで特定された245個の高度に分化した免疫関連多様体のうち、22個が複製されましたが、ケンブリッジシャーのコホートにおける95百分位数閾値を上回る22個の重複多様体のうち10個と、99百分位数閾値を上回る3個の多様体のうち2個は、ロンドンおよびケンブリッジシャーのコホートにおける経時的なアレル頻度変化の逆方向性を示しています。

 免疫多様体の少数派のアレル頻度が本論文の調査間では高度に相関しているように見える一方で、世界的流行病の前後のコホート間のFₛₜは相関していないようです。250ヶ所の領域の部分集合で上述の先行研究により確証された比較的少数の多様体の代わりに定義された37574ヶ所の完全な一覧を用いると、免疫遺伝子の有意な濃縮は、本論文のデータでは観察できません。37574ヶ所の中立的領域の全範囲から55965個の多様体を用いて、中立的な95百分位数閾値を定義すると、上述の先行研究での免疫多様体における高いFₛₜ値の減少が観察され、InnateDBから得られた免疫多様体の拡張一式を用いた場合でも、有意になりました。

 注目すべきことに、上述の先行研究により特定された高度に分化した免疫遺伝子座多様体の蓄積内では、gwas(genome-wide association studies、ゲノム規模関連研究)多様体、つまりエクソン領域において確認された免疫多様体に対して多型と以前に確証された部位有意な過剰が観察されました。これにより、以前には特定されていなかった低網羅率データから得られた多様体の確証は、閾値定義のためのハプロタイプ参照協会(Haplotype Reference Consortium、略してHRC)パネルにおいて多型と確証された部位と重複する、別の研究で定義された中立的領域の完全な一式を用いたさいに兆候が消滅した一因かもしれない、と示唆されます。


●考察

 時間横断区を通じてのケンブリッジシャーにおける遺伝的祖先系統の分析は第一に、PCAでの位置におけるさまざまな期間の個体間の顕著な違い、およびローマ期とその後の時代との間のヨーロッパ北部大陸部との対応するLSAIの増加を明らかにしました。これらの調査結果は、千年紀に何世紀にもわたって起きた、イングランド東部における局所的な遺伝的祖先系統での累積的に大規模な変化(関連記事)を部分的に反映しています。差異の局所的範囲外に位置する個体のほとんどはチェリー・ヒントンの農村部の墓地に由来し、おそらくは混合の過程におけるアングロ・サクソン後期やスカンジナビア半島やノルマン人の祖先系統の多様性を反映しています。これらの祖先系統の変化の規模にも関わらず、遺伝的情報だけを用いての、ヨーロッパ西部の他地域からの第一世代移民確実な検出は困難で、それは部分的には、中世ヨーロッパの比較参照資料の欠如のためです。修道士の場合、外部の祖先系統を有する個体群が発見される可能性はより高そうな状況で、生涯ケンブリッジシャーに暮らしていた一部の移住してきた修道士が戻って、他の場所に埋葬された可能性もあります。

 第二に、個々のつながりのパターンの分析で、現代のオランダ人とデンマーク人とノルウェー人の間の祖先系統を区別でき、ケンブリッジシャーにおける中世後期のオランダとの人口集団規模のつながりの大きな増加が観察されました。このパターンは原則として、低地地域からケンブリッジへの遺伝子流動もしくはイングランド東部から低地地域への遺伝子流動を反映していますが、前者が史料によってより強く支持されます。

 最後に、ウェールズおよびスコットランドの現代人のゲノムとのつながりにおいて中世と現代との間で観察された大きな変化は、最近の継続中の移住と移動性を反映している可能性が高そうです。エストニアにおける現代と中世の個体群のゲノム間で共有されている高度に地域特定的なLSAIとは対照的に、中世後期ケンブリッジシャー個体群のゲノムは、他地域と比較してイースト・アングリア現代人との類似性増加を示しません。遺伝的祖先系統におけるこれら最近の変化から、現代人のUKB情報源は人口史の研究にとって理想的な参照データではないかもしれない、と示唆され、さまざまな時点の歴史時代の人口集団の古代DNA標本抽出の必要性が浮き彫りになります。

 遺伝的祖先系統における長期の変化が観察されますが、労働力不足により起きた黒死病後の移動性増加の仮説を説明するような、本論文における黒死病前後のコホート間の祖先系統もしくは遺伝的多様性の変化を検出できません。イングランド中央部および東部における数十年という短期間と小さな標本規模と比較的低い遺伝的分化は、イングランド内の短~中距離の移動の検出を困難にするでしょう。長距離移動の証拠の欠如は、中世のイギリスおよびデンマークのコホートにおける以前のmtDNAの証拠と一致しますが、中世のトロンハイムから得られた長距離移動増加のゲノム規模の証拠とは対照的です。最近の同位体研究でも、おそらくはヨークの経済的衰退と労働法施行のため、黒死病の後に遠方からヨークへと移動する若者が減った、と分かりました。これらの結果から、世界的流行病はヨーロッパ諸都市におけるヒトの移動性に対して、その地域と社会経済と政治の背景および環境に応じて、さまざまな影響を及ぼした、と示唆されます。

 本論文で調べられた中世後期の全集団、つまりオール・セインツの一般都市住民、チェリー・ヒントンに埋葬された農村部住民、聖ヨハネ福音病院に埋葬された慈善収容者、アウグスティヌス修道院に埋葬された修道士と後援者は、ほぼ同じ局所的な遺伝的祖先系統を共有していた、と分かりました。歴史的記録からは、一部の修道士が遠く地中海まで旅をして、アウグスティヌス一般学問所(studium generale、地域的な研究施設)に通った、と示唆されますが、そうした修道士は標本抽出されなかったか、他の場所に埋葬されました。

 祖先系統による区別の欠如とは対照的に、社会的集団間の親族関係の確率における明確な違いが見つかりました。密接な遺伝的親族関係の欠如は、家族の支援のない人々にとっての安全網としての病院の機能と一致しますが、遺伝的近縁性は親族関係とみなされる社会的関係の全範囲を把握しないことに要注意です。これと関連して、病院収容者も他の中世後期遺跡と比較して、背景の遺伝的多様性の増加を示します。病院収容者の一部は平均的な町民よりずっと遠方から到来したかもしれず、地元の社会的支援の欠如は、その困苦と関連しているかもしれません。修道士が地元の後援者一族と長期のつながりを維持してきたことを考えると、修道士の1人と2親等の親族だった女児1人が、修道院内への埋葬を許可されたのは予想外ではありませんが、修道院の被葬者では他に密接な遺伝的親族は見つかりませんでした。

 両親が2親等~3親等のイトコ関係であることと一致する、ゲノムにおける拡張ROH跡の少数のじれいが見つかりました。これらの事例は予想外と考えることができ、それは、4親等の親族関係内の結婚は教会により禁止されていたからです。これは、とくに両親が異なる教区の教会に出席していたならば不完全な教会の記録の結果かもしれず、あるいは家族史におけるペア外父性事象の結果かもしれません。

 黒死病は、健康および免疫と関連する遺伝子に選択圧を及ぼした、と仮定されてきました。既存の遺伝的差異がペストに対する耐性において異なっており、ペストが死亡の主因だったならば、世界的流行病の直後に遺伝的多様性の低下が予測されるでしょう。しかし、黒死病の直前もしくは直後に暮らしていた個体群において、HLA領域における異型接合性での変化は見つかりませんでした。死亡率(30~65%)は壊滅的で、その後ブリテン島では17世紀後半までペストが大流行しましたが、ペストは低網羅率のゲノムにおいて検出可能な痕跡を残すほど充分長い期間にわたって、強く充分な均一的選択圧を及ぼさなかったかもしれません。しかし、SNPおよびハプロタイプ水準でHLA分析から導き出された結論は異なるかもしれないことに注意すべきです。

 先行研究は、ドイツのエルヴァンゲンの16世紀のペスト犠牲者と現代の同地の人口集団との間で、3個のHLAハプロタイプにおける頻度の違いを特定し、それは個体の検査水準では有意だったものの、複数の検定補正後には有意検定に合格しませんでした。異型接合性変化の兆候が最近用いられ、HLA領域における古代の選択的一掃が図示化されましたが、本論文のデータではHLAの異型接合性における有意な変化を検出できなかった、という事実は世界的流行病の短い影響時間の反映かもしれません。

 同様に、黒死病の前後間の高度に分化している健康および免疫関連遺伝子における多様体の過剰は見つかりませんでした。RIPK2遺伝子における最も高度に分化した多様体は、ハンセン病に対する防御的なアレルの黒死病後の頻度増加を示します。注目すべきことに、この遺伝子は自然免疫応答によるペスト菌の認識にも役割を果たしている、と示唆されてきました。多くの人々がハンセン病に脆弱な多くの人々がペストの犠牲者となったので、第二のベストの世界的流行は13世紀半ばに始まるハンセン病の減少に寄与した、と一部の学者から示唆されてきました。

 一方で、ケンブリッジシャーのコホートでは、免疫遺伝子の有意により高度な分化、より具体的には、ロンドンおよびデンマークのコホートで特定された4ヶ所のSNPの分化に関する、先行研究(関連記事)による調査結果を再現できませんでした。参照として中立的領域の拡張一式を用いると、濃縮の兆候は消滅するか、方向が逆転することさえあります。本論文におけるケンブリッジシャーのコホートとロンドンおよびデンマークのコホートとの間の一般的な多様体のアレル頻度における高い相関と、同じ多様体一覧を用いたさいに定性的に類似理の結果を得られた事実から、補完の有無に関わらず、遺伝子型における差異が要因である可能性は高そうではない、と示唆されます。

 本論文の結果から、上述の先行研究により用いられた250ヶ所の領域の部分集合は、他の研究により定義された37574ヶ所の完全な一覧における差異を堅牢に表すには、含んでいる多様体が少なすぎる可能性が高い、と示されます。さらに、別の先行研究では、上述の先行研究での免疫遺伝子座における高いFₛₜ多様体の結果は、遺伝子座の異なる網羅率により起きた統計的乱れに起因する、と示されました。上述の先行研究の結果は裏づけられないものの、本論文の結果は、Fₛₜによる免疫遺伝子の比較的低いもしくは中程度の分化を示す他の研究と一致します。低い分化は平衡選択や毒・解毒モデル(関連記事)の理論予測と一致します。毒・解毒モデルでは、共同体間の感染症の伝染は、宿主の防御と関わる遺伝子の有効人口規模を局所的に増加させる、移動性や遺伝子流動と共発生することが多くなります。

 免疫遺伝子は、ゲノムの他の領域よりも一般的に低いFₛₜ値を示すようなので、本論文における黒死病前後のコホート間のより低い分化は、それ自体では特定の時点における負の選択を反映していません。本論文の限定的な標本規模は選択の識別を制約するものの、先行研究(関連記事)で用いられた標本規模と同等ですが、低い配列決定網羅率は選択下の個々の遺伝子座の識別を妨げ、本論文が従ったその先行研究により採用された多遺伝子性手法は原則的に、形質に寄与する多くの多様体における選択を検出できるはずです。

 本論文の結果は、黒死病前後のコホート間の免疫遺伝子における高度に分化した多様体の濃縮を明らかにしませんでしたが、これらの結果は、ペストがケンブリッジシャーの遺伝的差異に選択的影響を及ぼさなかった、ということを意味しません。ペスト菌への免疫応答は、まだ充分には理解されていない複数の経路が関わっているかもしれず、全ての可能性のある免疫多様体を含む「盲検」手法では、選択の兆候はペストには応答しない多くの遺伝子座のアレル頻度変化の背景に埋もれるかもしれません。

 まとめると、ひじょうに低い網羅率でさえ、豊富な歴史的文脈や他の考古学的証拠と組み合わされる歴史時代の個体群ゲノムの全ゲノム配列決定は、中世の生活の多くの側面の再構築に役立つことができる、と本論文では示されてきました。それは、農村部の共同体における時折の移住者、修道院に埋葬された後援者の家族を出自とする幼い子供、遠方から旅をしてきたかもしれない親族関係のない収容者で満たされた病院、遺伝的背景の違いがほとんどない社会的集団、個人の生活や中世社会に壊滅的な影響を及ぼしたにも関わらず、ケンブリッジシャーの人口集団における遺伝的結果が曖昧なままの世界的流行病です。古代DNA配列決定技術の進歩やさまざまな証拠の情報源を組み合わせる枠組みで、中世の生活の再構築の範囲は確実に広がっていくでしょう。


参考文献:
Hui R. et al.(2024): Genetic history of Cambridgeshire before and after the Black Death. Science Advances, 10, 3, eadi5903.
https://doi.org/10.1126/sciadv.adi5903

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