アルタイ地域のネアンデルタール人の石器群と行動

 アルタイ地域のネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の石器群と行動に関する研究(Kolobova et al., 2024)が公表されました。本論文は、アルタイ地域のネアンデルタール人の所産と考えられる石器群から、ネアンデルタール人の行動を推測しています。アルタイ地域のネアンデルタール人は、恐らくヨーロッパ東部から到来し、ヨーロッパ東部のネアンデルタール人とは行動に顕著な変化がなかったようだ、と本論文は推測しています。考古学と遺伝学に基づいて、ネアンデルタール人は少なくとも2回、ヨーロッパ東部からシベリア南部へと拡散した、と推測されており(関連記事)、初期ネアンデルタール人集団から後期ネアンデルタール人集団への遺伝的置換が考えられています(関連記事)。ネアンデルタール人については今後も、考古学と遺伝学の学際的研究が進み、より詳しい人口史が解明されていくのではないか、と期待されます。


●要約

 最近まで、ミコッキアン(Micoquian)/カイルメッサーグループ(Keilmessergruppen、略してKGM)石器群が発見された遺跡は、ロシアのアルタイ地域の2ヶ所でしか知られておらず、この石器群はヨーロッパ東部からの後期ヨーロッパのネアンデルタール人の移住の結果です。ヨーロッパのミコッキアン/KGM遺跡群は相互に近接して位置することが多く、機能的に異なっており、ネアンデルタール人集団の複雑な行動パターンを反映しています。逆に、アルタイ地域の2ヶ所の遺跡が基地野営地としてのみ確認されており、他の機能を有する遺跡群がまだ発見されていないか、堆積後の過程により破壊された、と示唆されます。

 本論文は、シベリア南部のオクラドニコフ洞窟(Okladnikov Cave)の近くに位置する、ヴェルフナヤ・シビリャチーハ洞窟(Verkhnyaya Sibiryachikha Cave)から得られた新たなデータを提示します。ミコッキアン/KGMに特徴的な石器が、年代的にオクラドニコフ洞窟で発見されたネアンデルタール人の文化層と重なる、ヴェルフナヤ・シビリャチーハ洞窟の第3層から回収されました。石器の類型論と年代から、この石器はオクラドニコフ洞窟のネアンデルタール人に属する、と示唆されます。ヴェルフナヤ・シビリャチーハ洞窟は、眼下の渓谷において獲物を追う狩猟者にとって、狩猟観察地点として使われたかもしれません。そのヨーロッパの同類と同様に、アルタイ地域の後期ネアンデルタール人は生息地近辺の地域を探しており、シベリアへと東方に移動したネアンデルタール人集団の行動に顕著な変化がなかったことを示唆します。


●研究史

 ロシアのアルタイ地域へのネアンデルタール人の第二の移住は、7万~6万年前頃に起きました。アルタイ地域のデニソワ洞窟(Denisova Cave)の中部旧石器時代の堆積物では、最初の移住の痕跡が見つかっており、具体的には海洋酸素同位体ステージ(Marine Isotope Stage、略してMIS)5の頃のデニソワ5号標本です(関連記事)。後期ネアンデルタール人と初期ネアンデルタール人は、年代的間隙のためアルタイ地域で遭遇しなかった可能性が高く、交雑第一世代を残した後期ネアンデルタール人とデニソワ人の場合(関連記事)とは異なります。ヨーロッパの後期ネアンデルタール人の遺骸はこれまで、チャギルスカヤ洞窟(Chagyrskaya Cave)とオクラドニコフ洞窟でしか見つかっていませんでした。地域的な状況では、これらの洞窟はアルタイ地域中部旧石器時代のシビリャチーハ異型の証拠を保存しています。これらの洞窟は、ヨーロッパ中央部および東部から後期ネアンデルタール人によってもたらされた、ミコッキアン/KGM遺物群の東端の出現です(関連記事)。

 最近まで、これら2ヶ所の洞窟(チャギルスカヤとオクラドニコフ)がアルタイ地域の後期ネアンデルタール人居住の唯一の証拠でした。チャギルスカヤ洞窟は、おもにバイソンとウマの狩猟と処理を目的とした消費野営地と分類されてきました。石器や骨器の製作の完全な行動手順がチャギルスカヤ洞窟遺跡で特定されてきており、それはネアンデルタール人が子供を連れてくる安全な待避所と考えられていたようです。オクラドニコフ洞窟に関する刊行されたデータも、オクラドニコフ洞窟が恒久的な避難所およびウマとバイソンの消費遺跡だった、という解釈を裏づけます。

 さまざまな遺跡での活動およびネアンデルタール人の移動性と関連した行動的に複雑な一連のミコッキアン/KGM遺跡群がヨーロッパでは観察されてきたので(関連記事)、アルタイ地域の2ヶ所の遺跡(チャギルスカヤおよびオクラドニコフ洞窟)は、ずっと大きな謎の一部を構成します。崩壊もしくは堆積過程に起因するネアンデルタール人の開地遺跡の堆積後の破壊と、この地域の不充分な考古学的研究は、その理由を説明できるかもしれません。


●ヴェルフナヤ・シビリャチーハ洞窟

 ロシアのアルタイ山脈のオクラドニコフ洞窟の近くに位置するヴェルフナヤ・シビリャチーハ洞窟の発見は、後期ネアンデルタール人の行動の知識における重要な間隙を埋めるのに役立ってきました(図1a・c)。ヴェルフナヤ・シビリャチーハ洞窟は、2020年に考古学的遺跡として初めて認識されましたが、洞窟自体はずっと前から知られていました。以下は本論文の図1です。
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 2020~2021年にかけて、ヴェルフナヤ・シビリャチーハ洞窟の中央空洞で3×1mの細い穴状の遺構が深さ1.2mまで発掘されました(図1b)。5つの層序単位が、その特性で確認されました(図2a)。第1層は現代の堆積物で、大量のゴミと小型家畜の排泄物が最大0.1mの厚さまで含まれています。第2層は茶色がかったローム質の砂で、厚さ最大0.3mまでの細かい砕屑性物質が伴っています。第3層は灰色がかった茶色の沈泥で、最大0.7mで高い割合の粗い砕屑性物質中程度の砕屑性物質が伴っています。第4.1層は赤みがかった薄い色の沈泥で、最大0.15mまでの石灰岩の破片が伴います。第4.2層は薄い色の沈泥で、最大0.3mまで粗い砕屑性物質が伴います。以下は本論文の図2です。
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 合計2154点の非ヒト古生物学以外がヴェルフナヤ・シビリャチーハ洞窟では発見されており、そのうち14.7%は少なくとも27種の哺乳類に属すると同定されています。第3層と第4層では、その種組成と比率と保存されている一連の骨遺骸は、大型捕食者、おもに洞窟ハイエナの活動のため形成される洞窟埋没群集の典型です。第3層と第4層の動物相遺骸群は、開けた空間に適応した種が大きく優占します(87.8%)。森林・草原地帯の生息地に好んで暮らす割合は7.4%で、森林環境に好んで生息する割合は2%で(ビーバーやヒグマやオオヤマネコ)、岩の多い生態環境に好んで生息する割合は2.7%です(シベリアアイベックス)。オオヤマネコとビーバーの遺骸は、小さな森林地帯、おそらくは川沿いの森林回廊や氾濫原の森林の存在を示唆しています。ヴェルフナヤ・シビリャチーハ洞窟の骨の顕著な割合は、消化腐食の痕跡を示します。

 第3層と第4層の焼けた骨の単一の小さな断片は、人工遺物とともに、ヴェルフナヤ・シビリャチーハ洞窟への一時的で短期のヒトの訪問を示唆します。直線の輪郭のある単一の近位小石刃(bladelet)断片が第2層で発見されており(図2a・b)、直線の輪郭のある石刃の中間程度の断片と双方向の窪みが第3層の上部で回収されましたが(図2c)、おもに剥片で製作された葉型の再加工された尖頭器は第3層の底部で剥片1点とともに発見されました(図2d・e)。

 骨の予備的な加速器質量分析法(accelerator mass spectrometry、略してAMS)炭素14(¹⁴C)年代測定から、第2層について27890±347年前(GV 3074)と28764±369年前(GV 3073)という年代が得られました(図2a)。考古学的資料と利用可能な予備的年代に基づいて、ヴェルフナヤ・シビリャチーハ洞窟は後期更新世において数回人々がたまに訪れていた、と結論づけられます。第2層と第3層上部における石刃と小石刃の発見は、この堆積物の年代が上部旧石器時代であることを裏づけます。

 文化および年代の両方で確信的に帰属させることができる唯一の人工遺物は、再加工された尖頭器です。ヴェルフナヤ・シビリャチーハ洞窟は、ミコッキアン/KGMの(シビリャチーハ)異型の重要な遺跡である、オクラドニコフ洞窟からわずか170mの地点に位置しています。主要な打ち割りは、放射状、つまりルヴァロワ(Levallois)求心性と剥片製作の直交性石核に基づいています。カイルメッサー式やさまざまな形状の収束性掻器や再加工された尖頭器を含む平凸両面石器が、石器群の特徴です。一次剥片で製作されることが多い収束性掻器と尖頭器は、腹部と背部の薄化が特徴です(図3a・b・d・e)。以下は本論文の図3です。
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 オクラドニコフ洞窟第2層と第3層から得られたネアンデルタール人の骨の新たな年代測定結果はウラン系列年代と一致しており、洞窟にはネアンデルタール人が44000~40000年前頃とそれ以前に居住していた、と示唆されます(関連記事)。したがって、オクラドニコフ洞窟の文化的な第3層および第2層とヴェルフナヤ・シビリャチーハ洞窟第3層との間の年代的重複が注目されます。

 集中的に再加工され、背部が薄くなっている上述の尖頭器の形態から、その石器がオクラドニコフ洞窟インダストリー内に属する、と示唆されます。ミコッキアン/KGMの(シビリャチーハ)技術複合体は、さまざまな種類の腹部と背部の薄化を示す、再加工された尖頭器により代表されます(図3a・b・d・e)。これらの石器はオクラドニコフ洞窟石器群では、全石器の9~11.5%を構成しています。チャギルスカヤ洞窟第6c/1層では、再加工された尖頭器が石器の14%を占めます。それどころか、そうした石器はアルタイ地域中部旧石器時代のデニソワ洞窟/カラボム(Kara-Bom)開地遺跡異型でも典型的ではありません。ルヴァロワ式もしくはムステリアン(Mousterian、ムスティエ文化)式尖頭器として刊行されている再加工された尖頭器は、デニソワ洞窟では中部旧石器時代の2ヶ所の層にのみ存在し(東空洞、全石器の1.7~3.2%)、ルヴァロワ式剥片もしくは細長い剥片での製作が多くなっています。これは、デニソワ異型の他の遺跡にも当てはまります(図3f・g・h)。


●考察

 化石生成論的データから、ヴェルフナヤ・シビリャチーハ洞窟は、ハイエナが近隣の草原地帯生物群系から獲物を持ってきた巣穴だった、と示唆されます。同時に、ヴェルフナヤ・シビリャチーハ洞窟にはたまに古代人が訪れました。本論文はそうした事象を、オクラドニコフ洞窟に暮らしていた後期ネアンデルタール人による訪問と解釈します。この訪問の証拠は、オクラドニコフ洞窟基地野営地のすぐ近くでの、後期ネアンデルタール人の行動に関する新たな以前には利用できなかったデータを提供します。明らかに、ネアンデルタール人はその主要な居住遺跡に近い地域を探していました。ヴェルフナヤ・シビリャチーハ洞窟は、獲物を追う狩猟者にとっての渓谷における獲物観察点として使われたかもしれず、それは、ヴェルフナヤ・シビリャチーハ洞窟が基地野営地の上に位置しているからです。

 オクラドニコフ洞窟の石器複合のミコッキアン/KGM起源を考えると、同時代の遺跡の密接な相互に有益な位置のいくつかの事例が、クリミア西部のカバジ2(Kabazi II)遺跡(殺害と屠殺の遺跡)やカバジ5遺跡など、他地域の比較地形環境で見つかってきました。同じことは、相互に約300m向かい合っている、アルトミュール(Altmühl)渓谷のゼッセルフェルス洞窟(Sesselfelsgrotte)やクローゼンニッシェ(Klausennische)、およびドイツ南部の大シュラーロッホ(Großes Schulerloch)やアブリ・I・アム・シュラーロッホ(Abri I am Schulerloch)にも当てはまります。オクラドニコフ洞窟とヴェルフナヤ・シビリャチーハ洞窟の事例では、ヨーロッパの遺跡群と同様に、さほど集中的ではなかったにも関わらず、近隣地域のネアンデルタール人の利用が推測され、これは、オクラドニコフ洞窟における石材の不足に影響を受けたかもしれません。

 ヴェルフナヤ・シビリャチーハ洞窟では、後期ネアンデルタール人の居住と同時代の層において2点の人工遺物しか見つからなかったものの、その文化的および年代的状況は、科学的重要性を大きく増加させます。ロシアのアルタイ地域の後期ネアンデルタール人は明らかに、ヨーロッパのネアンデルタール人と同じ行動を取っていました。生計戦略におけるそうした類似性のいくつかの事例はすでに報告されており、シベリアへと東方に移動したネアンデルタール人集団の行動に顕著な変化がなかったことを示唆しているかもしれません。


参考文献:
Kolobova KA. et al.(2024): New data on Neanderthal behavior in the Altai region, Russia. Archaeological Research in Asia, 36, 100489.
https://doi.org/10.1016/j.ara.2023.100489

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