ソコトラ島の前近代の人類遺骸のゲノムデータ

 ソコトラ島の前近代の人類遺骸のゲノムデータを報告した研究(Sirak et al., 2024)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。本論文は、現在イエメン領となっている、インド洋北西部のソコトラ島の650~1750年頃の人類遺骸のゲノムデータを報告しています。本論文は、これらソコトラ島の前近代人類が、レヴァントの続旧石器時代狩猟採集民と遺伝的に類似しており、アジア南西部の初期農耕民から遺伝的影響をさほど受けず、交易を反映してイランやインドからの遺伝的影響を多少受けている、と明らかにします。また本論文は、ソコトラ島では前近代において現代よりもイトコ婚の頻度が低かったことを示します。北緯12度程度と低緯度地域となるソコトラ島で、古代ゲノム研究としては新しい650~1750年頃ではあるものの、古代ゲノム解析に成功したことで、今後低緯度地域での古代ゲノム研究がさらに進むのではないか、と期待されます。


●要約

 ソコトラ島はアフリカとアラビア半島との間のインド洋北西部のアデン湾の入口に位置しており、漁業と半遊牧で生計を立てている約6万人が暮らしており、南アラビア諸語を話しています。ソコトラ島の歴史について知られていることのほとんどは、地元の人々について詳細を提供しなかった外国の旅行者の文書に由来し、ソコトラ島の初期の人々の地理的起源と遺伝的類似性は、まだ直接的には調べられていません。

 本論文は、ソコトラ島全体の6ヶ所の場所で650~1750年頃に暮らしていた39個体のゲノム規模データを報告し、ソコトラ島と、ソコトラ島への移住の起源地を反映している可能性が高い、同様に孤立しているアラビア半島南部沿岸地域のハドラマウト(Hadramawt)地域との間の強い遺伝的つながりを説明します。中世ソコトラ島個体群は、その祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の86%が現在のハドラマウト地域で見られるような人口集団に由来し、残りの約14%はイラン関連供給源により最適に代理化され、最大で約2%のインド亜大陸の祖先系統が伴い、おそらくはこれらの地域からの考古学的に記録されている交易とともに起きた遺伝的交換を反映しています。

 アラビア半島の他の全ての遺伝子型決定された人口集団とは対照的に、中世ソコトラ島個体群のゲノム水準の分析は、完新世にさかのぼるサハラ砂漠以南のアフリカ人との混合がないことと一致します。中世ソコトラ島とハドラマウト地域の人々の深い祖先系統は、初期完新世レヴァント農耕民にほとんど由来せず、アラビア半島本土の人々よりも、レヴァントの続旧石器時代のナトゥーフィアン(Natufian、ナトゥーフ文化)の後期更新世狩猟採集民などの集団により多く由来している点でも独特です。これは、アラビア半島南端とソコトラ島において初期農耕民による移住がさほど影響を及ぼさなかった、と証明しており、アラビア半島全体で更新世と完新世の間において完全な人口置換がなかった、という説得力のある証拠を提供します。中世ソコトラ島には、現代ソコトラ島とは定性的に異なる結婚慣行を示す小さな人口集団が暮らしており、イトコ婚は現在よりもかなり低い頻度でした。


●研究史

 ソコトラ諸島の4島と2ヶ所の岩群は、アラビア半島から南方に約380km、アフリカの角から北西に約250kmとなる、アデン湾の入口のインド洋北西部に位置しています。ソコトラ島はソコトラ諸島で最大の島で、固有の生物多様性と船員や商人を長く惹きつけてきた豊富な資源で有名です。現在、ソコトラ島には独特な言語と文化と伝統を有しており、おもに漁業と半遊牧とナツメヤシの栽培で生計を立てている、約6万人の人々がくらしています。ソコトラ島の現代人はアラビア半島やアジア南西部やアフリカ東部および北部と文化的および遺伝的つながりをもっていますが、そのより深い歴史について知られていることの大半は、外国商人の文書に由来します。重要なことに、ソコトラ島の過去の理解は今や、考古学的研究によっても深化しつつあります。

 現在のイエメン東部とサウジアラビア南部の一部(前近代においてはオマーン西部の一部も含みます)を構成するアラビア半島南部地域であるハドラマウトには、少なくとも1世紀以来のソコトラ島との密接なつながりの最も強力な証拠があります。ソコトラ島北部沿岸に位置するハジュリャ(Hajrya)で発見された土器は、イエメンのエデンの東側の渓谷であるワディ・ハドラマウト(Wadi Hadramaut)の土器と類似していますが、ソコトラ島の北岸に位置するホク(Hoq)洞窟の碑文は、紀元前2世紀に始まるアラビア半島南部からの強い影響を証明しており、ソコトラ島の支石墓型の構造とハドラマウト地域の支石墓との間の類似性は、古ければ紀元前千年紀後半にまでさかのぼるつながりを示唆しているかもしれません。

 ソコトラ島の人々に関する最古の記述は、1世紀半ばにエジプトの無名のギリシア人商人によって書かれた『エリュトゥラー海案内記』にあり、そこでは、ディスコリディア(Dioscorida)と呼ばれている島がハドラマウト王国により支配され、アラブの貿易商に貸し出されている、と報告されており、ソコトラ島の初期住民は、ハドラマウト王国の権力の最盛期に乳香を収穫していたアラビア半島南部の部族民だった、という仮説と一致します。さらに、ソコトラ島の言語は、アル・マアラ(Al Mahrah)と接するオマーンの南部地域であるドファール(Dhofar)の言語であるシャフラ語(Śḥerɛ̄t)と最も近く、シャフラ語はシャハリ語(‘Shahri’)ともジッバーリ語(Jibbali)とも呼ばれています。両者は、アラビア半島の他地域で話されているアラビア語と密接に関連していない南アラビア諸語です。

 ソコトラ島は、古代の長距離交易網でも重要な役割を果たし、ソコトラ島には、アラビア半島とペルシアとインドとアフリカ東部をつないでいた海上航路に沿って旅行中にソコトラ島を訪れた外国商人の、広範な考古学的しょうこがあります。『エリュトゥラー海案内記』では、アラブ人とインド人とギリシア人の商人はソコトラ島の北岸に居住した、と報告されましたが、6世紀のギリシア人の旅人であるコスマス・インディコプレウステース(Cosmas Indicopleustes)は、ペルシアからのキリスト教宣教師が千年紀半ばにソコトラ島に居住した、と報告しました。この期間の文献は確かにその著者の偏見を反映していますが、他の一連の証拠によって裏づけられる場合はとくに、注目に値します。

 ソコトラ島西端でのアラビア半島南部の土器の発掘も、この時代のインド貿易商の存在を証明しています。ホク洞窟の碑文には、アロエや香料や竜の血(インドの辰砂)の供給に惹きつけられた、紀元前2世紀から紀元後6世紀までの間の、ローマ期のエジプトやパルミラやアクスムやインド西部やバクトリアやガンダーラ(パキスタン北西部を中心とする古代「文明」)からの貿易商や旅人を報告しました。外国貿易商の存在は、地元の人々との相互作用の範囲と性質に関する問題を提起し、古代DNAは、これが遺伝的交換を含んでいたのかどうか検証するための、直接的方法を提供します。


●データ概要

 DNAのため、ソコトラ島の6ヶ所にわたる風化穴(tafone)から50点の骨格要素が検査されました。風化穴(ソコトラ語では‘mesenaa’h’)は、自然のカルスト景観の一部を形成する、丸い入口と滑らかで窪んだ壁のある小さな洞窟です。歴史的および現在の両方で、ソコトラ島の人々は貯蔵や居住区や動物保護や死者の埋葬場所に風化穴を使ってきました。ほとんどの場合での各個体の1点の歯が分析され、可能ならばDNAの豊富な錐体骨が分析されました。頭蓋遺骸が存在しない場合、長骨幹から得られた皮質骨が分析されました。埋葬への破壊を最小限にするため、断片的な骨格資料が収集されました。

 15ヶ所の風化穴の39個体で品質管理に合格したゲノム規模の古代DNAデータが得られましたが、ほとんどの集団遺伝学的分析からは、ひじょうに低い網羅率(標的部位の網羅率が約0.01倍未満)の7個体と、データセットにおいて1親等の親族関係にある個体のうちより低い網羅率の追加の4個体が除外されました(図1a)。本論文で報告される個体は、早ければ641~668年頃に生きており(非較正で1380±15年前)、ほぼ中世(7~15世紀)に相当しますが、1個体は近代(1660~1950年頃)と年代測定されました(195±15年前)。以下は本論文の図1です。
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 新たな古代DNAデータは、ショットガン配列決定されたか、120万ヶ所の一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)一式を網羅する配列で濃縮された、アフリカとユーラシアの以前に刊行された古代人のデータ、および世界中の現代人のデータと統合されました。新たなデータは現代の人口集団から得られたアフィメトリクス(Affymetrix)社ヒト起源(Human Origins、略してHO)SNP遺伝子型決定データとも統合され、HOデータには、イエメンの7集団やユーラシアとアフリカの他地域の集団が含まれます。


●千年にわたってほとんど変わらなかったソコトラ島住民の遺伝子プール

 主成分分析(principal component analysis、略してPCA)が用いられ、中世ソコトラ島個体群のゲノムが以前に刊行された人々とどのように関連しているのか、視覚化されました(図2a)。ほとんどのソコトラ島個体は密集したクラスタ(まとまり)に収まり、約1000年間にわたって外国人貿易商はほとんど遺伝的影響を残さなかったか、影響は比較的均一だった、と示唆されます。中世ソコトラ島個体群の祖先系統は、一部の現在のイエメンの集団(ユダヤ人_イエメン、イエメン_砂漠、イエメン_北西部、イエメン_高地)と定性的に類似していますが、サハラ砂漠以南のアフリカ関連祖先系統をずっと高い割合で有しているように見える他集団(イエメン人、イエメン_砂漠2)とは類似していません。

 他の古代の個体群と比較して中世ソコトラ島個体群は、レヴァントの古代の人々、およびほぼレヴァント関連祖先系統を有するもののイラン関連祖先系統の方へとわずかに動いている古代エジプト人の最も近くに位置します。個体I21109(641~668年頃)は、主要クラスタからさらに離れた方へと動いています。対でのqpWaveを用いて、個体の全組み合わせが、参照人口集団一式(その一式と比較して単系統群を形成します)と比較して同じ祖先供給源からの子孫としてモデル化できるのかどうか、評価され、個体I21109を除いて全てのソコトラ島個体は単一の遺伝的集団を形成することと一致する、と分かりました。対での比較では、個体I21109は他の5個体を除く全個体とクレード(単系統群)を形成することも却下されたので、個体I21109は「イエメン_ソコトラ島」と呼ばれる一まとまりから除外されました。以下は本論文の図2です。
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 ADMIXTURE分析では、中世ソコトラ島個体群は、イエメンやサウジアラビアやベドウィンBのようなほとんどの現在の集団のように、レヴァント後期更新世(続旧石器時代)のナトゥーフィアン狩猟採集民(図2のイスラエル_ナトゥーフィアン_続旧石器時代)で最大化され、のアラビア半島およびレヴァントの集団や、かなりのユーラシア西部関連祖先系統を有するアフリカ北部および北東部の一部のアフリカ人集団において高い割合で推測される、多数派の構成要素(黄緑色)を有している、と示されます(図2b・c)。ソコトラ島個体群はさらに、イラン関連構成要素(灰色、外れ値個体I21109にはこの構成要素がより多くあります)を有しています。

 ソコトラ島個体群のADMIXTURE特性について最も特徴的なのは、ヨーロッパやアナトリア半島やレヴァントやアラビア半島の人々に遍在的に見られる初期ヨーロッパ人的構成要素(青紫色)の欠如で、ソコトラ島個体群では現代アラブ人よりもサハラ砂漠以南のアフリカ関連構成要素(紫色)も少なくなっています。ソコトラ島全体では、一部のアジア南部人口集団で最大化される構成要素わずかな寄与が検出され、ソコトラ島におけるインドの貿易商の記録と一致しますが、この構成要素が全体的にアジア中央部起源である、という仮説を却下できません(「中世ソコトラ島個体群にはアジア中央部/南部関連祖先系統があります」の項目で後述)。


●初期レヴァント農耕民の人口統計学的影響

 イエメン_ソコトラ島とアラビア半島の現代人(アラブ人)もしくはベドウィン(アラブ人関連)の遺伝子プールにおける高度に分化した祖先系統の割合を調べるため、qpAdmを用いて祖先系統モデル化が実行されました。祖先系統供給源の代理として時間的に深く分岐した人口集団が用いられ、それは、少ないとしても、どの現代の人口集団も、この地域で1000年前に居住していた混合していない子孫であることはほとんどないからです(たとえば、ほとんどの集団は最近のアフリカ人との混合の証拠を示します)。

 考古学的証拠により裏づけられてきた仮説は、ナトゥーフ文化と関連する後期更新世狩猟採集民がレヴァントと同様にアラビア半島に居住しており、新石器時代レヴァント/アナトリア半島関連祖先系統を有する初期農耕民がその後にアラビア半島へと拡大し、いくぶんの人口統計学的影響を残したものの、この人口集団が寄与した祖先系統の割合は議論の主題である、というものです。レヴァントとアラビア半島の現代人集団の遺伝学的分析から、ナトゥーフィアン狩猟採集民はレヴァントの人口集団とよりもアラブ人の方と多くのアレル(対立遺伝子)を共有しているようではあるものの、アラブ人における全てのレヴァント/アナトリア半島関連祖先系統は農耕民関連の1供給源に由来する、というモデルもデータと一致する、と示されます(関連記事)。

 アラビア半島の人々はさまざまなレヴァント/アナトリア半島関連祖先系統を有しているかもしれない、という仮説を検証するため、現在のアラブ人もしくはアラブ人関連視野とソコトラ島個体群を、ユーラシア人で見つかった祖先系統の有益な代理先行研究で示された古代の人口集団の混合として、アフリカ関連供給源を加えてモデル化する枠組みで、qpAdmが適用されました(表1)。モデルを適合させるには、古代のレヴァント/アナトリア半島関連と古代のイラン関連とアフリカ関連の供給源からの祖先系統が必要でした。

 ほとんどのアラブ人およびアラブ人関連集団におけるレヴァント/アナトリア半島関連祖先系統は、ナトゥーフィアン狩猟採集民(イスラエル_ナトゥーフィアン_続旧石器時代)に加えて、バルシン(Barcin)遺跡時代の新石器時代(Neolithic、略してN)個体に代表される新石器時代アナトリア半島農耕民(トルコ_バルシン_N)の二重供給源を用いて、もしくは、単一供給源として新石器時代レヴァントの先土器新石器時代B(Pre-Pottery Neolithic B、略してPPNB)農耕民(レヴァント_ PPNB)を用いてのいずれかで、充分にモデル化できます。この適合は、ナトゥーフィアン個体群と新石器時代アナトリア半島農耕民との遺伝的中間を表す新石器時代レヴァント農耕民と一致し(関連記事)、新石器時代レヴァント農耕民は、ナトゥーフィアン関連祖先系統を60.5±6.0%と、新石器時代アナトリア半島農耕民関連を39.5±6.0%有する、とモデルを適合させられます。

 アラブ人およびアラブ人関連集団の大半とは対照的に、新石器時代レヴァント農耕民をイエメン_ソコトラ島においてレヴァント/アナトリア半島関連祖先系統の単一供給源として用いると、適合度は低くなります。しかし、ナトゥーフィアン個体群が合計のレヴァント/アナトリア半島関連祖先系統の約2/3の代理で、アナトリア半島農耕民が残りの1/3の代理であるとの第四のモデルは、データに適合します。じっさい、アフリカ関連供給源なしのモデルはソコトラ島個体群のデータに適合します。このより節約的なモデルでは、ナトゥーフィアン個体群はソコトラ島個体群の遺伝子プールにおける合計のレヴァント/アナトリア半島関連祖先系統の3/4以上の供給源として適合します。

 中世ソコトラ島個体群についての、ナトゥーフィアン関連祖先系統の推定された相対的な祖先系統(4供給源および3供給源モデルでは、それぞれ約66%と約78%)と新石器時代アナトリア半島農耕民関連祖先系統の割合は、ハドラマウト地域ではない現在のイエメンの人口集団におけるナトゥーフィアン関連祖先系統(約54~59%)と新石器時代アナトリア半島農耕民関連祖先系統の推定された割合より高くなります。これは、低い適合がイエメン_ソコトラ島におけるわずかにより多いナトゥーフィアン関連祖先系統か、あるいは、ナトゥーフィアン個体群と他のアラブ人との間で同じ程度では共有されていない、ナトゥーフィアン個体群とイエメン_ソコトラ島との間で共有されている遺伝的浮動の過剰により駆動されていることを示唆します。どちらの場合でも、後期更新世と初期完新世のレヴァントの人口集団間の下部構造の影響が検出され、中世ソコトラ島個体群は標本抽出されたナトゥーフィアン個体群により密接な古代人集団から相対的により多くの祖先系統を受け取りました。

 ともにハドラマウト地域に居住しており、サハラ砂漠以南のアフリカ関連祖先系統の割合の差異のため下位集団に分かれている、現在のアラブ人2集団、つまりイエメン_砂漠とイエメン_砂漠2も、過剰なナトゥーフィアン関連祖先系統の兆候を示します(表1)。イエメン_ソコトラ島のように、イエメン_砂漠は単一のレヴァント/アナトリア半島関連供給源として新石器時代レヴァント農耕民でモデル化できず、代わりに約42%のナトゥーフィアン関連祖先系統と約24%の新石器時代アナトリア半島農耕民関連祖先系統の二重供給源でのみモデル化できます。結果は定性的に類似しているものの、イエメン_砂漠2については明確には識別されず、おそらくはサハラ砂漠以南のアフリカ関連祖先系統のより高い割合に起因する特徴的な祖先系統を識別する検出力低下のためです。

 これらの集団とソコトラ島個体群との間の遺伝的類似性のパターンは、ソコトラ島個体群はハドラマウト地域から移住し、ハドラマウト地域と強いつながりを維持した可能性が高い、という考古学的証拠と一致し、ソコトラ島個体群とアラビア半島南部に居住する非アラビア語話者集団との間の片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアDNAと父系のY染色体)の研究とも一致します。対照的に、おそらくはアラビア半島の他地域およびさらに遠方の地域とより密接に接触していたイエメンの一部の集団は、現在のサウジアラビアの集団と同様に、新石器時代レヴァント農耕民もしくはナトゥーフィアン個体群に新石器時代アナトリア半島農耕民を加えることでのどちらかでモデル化でき、レヴァント/アナトリア半島関連祖先系統の大半もしくは全てがこれらの地域の農耕民関連の1供給源に由来する、と示唆されます。これは、ハドラマウト地域および中世ソコトラ島に居住している人々の祖先の遺伝子プールにおける狩猟採集民関連祖先系統の、アラビア半島の他地域と比較しての置換減少と一致しているので、更新世と完新世の間においてアラビア半島全域で完全な人口置換はなかった、というこれまでで最も強い証拠を提供しています。

 レヴァント農耕民の移動がソコトラ諸島個体群に与えた影響はアラビア半島の他地域よりも少なかったものの、ソコトラ島個体群におけるアナトリア半島農耕民およびイラン両方と関連する祖先系統の存在は、追加の遺伝子流動を示唆します。これらの祖先系統は少なくとも部分的には、いくつかの異なる場所のいずれかから一括として到来したかもしれません。一つの可能性は、これらの祖先系統はレヴァントからのその後の遺伝子流動事象を通じてソコトラ島に到達した、というものです。それは、先行研究で、銅器時代に始まる、レヴァントにおけるアナトリア半島農耕民およびイラン関連祖先系統の増加が記録されており、青銅器時代を通じてイラン関連祖先系統はさせに増加したからです(関連記事1および関連記事2)。ナトゥーフィアン個体群とともに1供給源として銅器時代もしくは青銅器時代のレヴァントの人々を用いてイエメン_ソコトラ島のモデル化が試みられましたが、追加のイラン関連祖先系統がデータの適合には依然として必要になる、と分かりました。

 ソコトラ島は東方ではインドおよびペルシアを、西方では地中海をアラビア半島とつないだ重要な海上交易経路の一部でもあったので、この交易網の一方もしくは両方が中世ソコトラ島個体群の遺伝子プールにいくらかの遺伝的影響を残したかもしれません。1供給源として千年紀地中海東部貿易商の代理としてイラン祖先系統の混合を有するヘレニズム時代/ローマ期のイアナトリア半島の人々(関連記事)を用いてイエメン_ソコトラ島のモデル化が試みられ、適合モデルは再び追加のイラン関連祖先系統を必要としたことも分かりました。レヴァントの人々もしくは地中海東部の貿易商が中世ソコトラ島個体群にいくらかの遺伝的影響を残した可能性を完全には除外できませんが、本論文の結果は、ソコトラ島個体群が追加のザグロスおよび/もしくはコーカサス関連の遺伝子流動事象を、それらの地域から直接的に、もしくは本論文で調べられていない中間的な供給源を介して受け取ったことと一致します。


●中世ソコトラ島個体群にはサハラ砂漠以南のアフリカ祖先系統がほとんどありません

 ソコトラ島へのアフリカからの影響の考古学的証拠はあり、たとえば、アクスムの征服はホク洞窟の碑文の証拠とダハイシ(Dahaisi)洞窟の彫像により直接的に証明されていますが、本論文のデータは、中世ソコトラ島個体群の遺伝子プールへのかなりのサハラ砂漠以南のアフリカ人との混合を否定します。具体的には、祖先系統モデルは全てでアフリカ関連供給源なしで適合します(アフリカ関連祖先系統の割合は、4供給源モデルでは2σでゼロと重なりますが、アフリカ関連供給源を除外した3供給源モデルも適合します、表1)。

 サハラ砂漠以南のアフリカ関連祖先系統を有する個体群もしくは集団を、参照一式へと循環させることにより、3供給源祖先系統の堅牢性が検証され、モロッコの15000年前頃となるイベロモーラシアン(Iberomaurusian)狩猟採集民(関連記事)との類似性を有する集団である、ナトゥーフィアン個体群により完全に表すことのできないアフリカ関連祖先系統のゲノム規模の兆候はない、と確証されます。

 ミトコンドリアDNA(mtDNA)では、中世ソコトラ島個体群におけるアフリカ祖先系統の唯一の証拠が見つかりました。具体的には、現在ではおもにアフリカ東部の北部およびソコトラ島内に分布している、アフリカ関連のmtDNAハプログループ(mtHg)L3h2に属する1個体が特定されました。全ての他の中世ソコトラ島個体はユーラシア関連のmtHg-NおよびRの分枝に属しており、現代人のコアでも検出されるユーラシア人との強い遺伝的つながりが証明されました。


●中世ソコトラ島個体群にはアジア中央部/南部関連祖先系統があります

 どの人口集団がイエメン_ソコトラ島と最も多くの遺伝的浮動を共有しているのか検証するため、ムブティ人などアフリカの人口集団ではなく、ブラジルの先住民集団であるカリティアナ人(Karitiana)を外群として用いてf₃統計が計算され、共有された遺伝的浮動の非アフリカ部分を分離し、完新世のアフリカ関連の遺伝子流動の混同効果が回避されました。この分析から、中世ソコトラ島個体群はイエメン_砂漠と、他の遺伝子型決定されたどの現代の人口集団とよりも多くの浮動を共有している、と確証されます(図1b)。

 D統計はこの強い関係を裏づけ、D(外群、イエメン_ソコトラ島;X、イエメン_砂漠)とD(外群、イエメン_砂漠;イエメン_ソコトラ島、X)から、イエメン_ソコトラ島はイエメン_砂漠と他の人口集団の人口集団とよりも多くのアレルを共有するものの、D(外群、X;イエメン_ソコトラ島、イエメン_砂漠)はサハラ砂漠以南のアフリカ関連祖先系統を有する1人口集団がXである場合のみに有意性の閾値を超える、と示されます。qpAdmでは、イエメン_ソコトラ島が代理の1祖先系統供給源として用いられると、イエメン_砂漠は追加の約3%のアフリカ西部関連祖先系統と約18%のアナトリア半島関連祖先系統を有している、と示されます。ソコトラ島現代人のゲノムは、現在のソコトラ島でこれらの祖先系統が見られるのかどうか、およびそれはどの程度なのか、判断するのに必要です。

 中世ソコトラ島個体群の祖先系統の約86%はイエメン_砂漠によりモデル化でき、インド亜大陸からの最大2%の寄与のあるイラン関連祖先系統を有する1集団が代理となる追加の約14%があります。このインド亜大陸からの祖先系統の寄与は、プリヤール人(Pulliyar)など最小限のイラン関連祖先系統がある1集団を用いてモデル化されます。このイラン関連祖先系統は、代理として現在のイラン人で完全にモデル化できますが、80%もしくはそれ以上のイラン祖先系統がと残りのインド祖先系統を有する人為的に生成された人口集団も、機能するモデルを提供します。

 具体的にイラン関連祖先系統を識別する本論文の能力は、アジア中央部と多くのアジア南部の人口集団間で共有されているイラン関連祖先系統により制約されますが、本論文のデータは、決定的な検出の限界に近いソコトラ島個体群の遺伝子プールにおけるインド関連祖先系統の割合と一致します。ほぼアジア南部にのみ存在するmtHg-U2b2は、アジア南部とのソコトラ島個体群の母系のつながりをさらに示唆します(関連記事)。イランの母系祖先は、古代のソコトラ島の5個体におけるmtHg-R2cの存在により記録されています。中世ソコトラ島個体群における高頻度のmtHg-R2cは、ほとんどのmtHg-Rがアラビア半島で生じたと仮定されている mtHg-R0aクレード(単系統群)の一部である、現在のmtDNAの景観とは異なっています。


●中世ソコトラ島個体群ではイトコ婚は稀です

 他の多くの民族的にイスラム教徒の集団のように、現代のソコトラ島にはイトコ間の結婚への文化的選好があります。ソコトラ島の民族誌調査における既婚回答者の少なとも約35%~最大で約40%はイトコ婚で(この範囲は「父方/母方の親族」と分類された結婚の約5%を反映しています)。配偶者選好が過去にも同様だったのか判断するため、両親から継承された遺伝物質が同一であるゲノムの断片である、同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)が、充分な網羅率(標的常染色体SNPの網羅率が0.3倍超)のある中世ソコトラ島の14個体で調べられました。20 cM(センチモルガン)超となる長いROH断片は、数世代以内となる両親の近縁性を示唆しますが、4~8 cMのより短いROHは家系のより深い近縁性を示唆しており、限定的な交配集団を反映しています(関連記事)。

 中世ソコトラ島個体群の半数以上は少なくとも1ヶ所の長いROHを有しており、両親がヨイトコもしくはそれより近い水準で親族関係にある場合に発生する明らかな機会があり、中世ソコトラ島個体群における多くの結婚は同じ拡大家族に属していた人々の間で行なわれていた、と示唆されます。ROHデータは、イトコもしくはそれ以上密接と本論文で定義された近親婚欠如の証拠も提供します。ザフラー(Zaflah)の個体I20705は、20cM超のROHを最も多く有しており(20cM超のROHが80.3cMで、最大長は34.3cM)、イトコの子供で予測される範囲の下位に位置します(合計20cM超の観点からの百分位数では26番目、最長断片の観点からの百分位数では29番目)。20cM超のROHを最も多く有する個体はイトコ婚で予測される範囲の下端に位置することは、中世におけるイトコ婚の割合が現代と同じとの帰無仮説下では、驚くべきです。具体的には、14個体の標本において、現代の割合を用いると5個体がイトコ婚の子供と予測され、最も多くのROHを有する個体はイトコ婚による子供の分布のもっと上位の百分位数に位置する、と予測されます。

 模擬実験が実行され、本論文のデータにおいて最大長が20cM超より小さい14個体の標本における、イトコ婚の割合が評価されました(図3)。模擬実験の結果、データは40%のイトコ婚という現代の値と一致せず(P=0.007)、代わりにP=0.05の閾値は最大26%のイトコ婚に相当する、と示されます。このデータは、中世ソコトラ島の14個体においてイトコ婚がないこととも一致します。個体I20705における合計で20cM超のROHは、マタイトコ婚で予測される百分位数の95番目で(最大の単一断片の観点からは百分位数の81番目)で、本論文の中世14個体の標本には複数のマタイトコ婚が含まれる、という仮定的状況では驚くべきことではありません。以下は本論文の図3です。
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 創始者効果および近親婚と一致して、中世ソコトラ島の男性ではY染色体ハプログループ(YHg)の多様性が低く、1個体を除いて全てJ2(M172)の同じ分枝に属しており、外れ値個体はYHg-J1a2a1a2d2b2b(Z2324)です。YHg-J2がほぼ遍在しており、YHg-J1系統の少なさは、YHg-J1(M267)が優占する現在のイエメン本土とは異なります。これは、深い祖先系統モデル化で特定される、ソコトラ島とアラビア半島の大半との間の人口史の違いと一致します。充分な網羅率のある中世ソコトラ島個体群におけるROHの分布を用いて、668個体の有効集団規模(Nₑ)が推測されました(95%信頼区間では550~828個体)。わずか数百個体のNₑ推定値は、ソコトラ島人口集団の相対的な孤立のさらなる証拠を提供します。重要な交易路沿いの場所にも関わらず、配偶は、他の島嶼共同体で観察されてきたような(関連記事)、ゲノム島嶼性の兆候をもたらす限定的な集団で行なわれていました。


●ソコトラ島では埋葬風化穴における性的差別の証拠はありません

 ソコトラ島の考古学における長年の議論の主題は、複数埋葬のある風化穴が性別により分離されていたのかどうか、ということです。洞窟への集団埋葬はサウジアラビアやイエメン本土で記録されてきましたが、そうした被葬者が家族もしくは部族の構成員を表しているのかどうか、ほとんど知られていません。古代DNAは、これらの問題の解決の機会を提供します。本論文のデータセットにおけるソコトラ島の39個体について遺伝的性別が決定され、遺伝的に女性であること(性染色体がXX)と一致するのは21個体、遺伝的に男性であること(性染色体がXY)一致するのは18個体でした。

 個体と同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)両方に基づく手法で網羅される全ての常染色体SNPの平均的な不適正塩基対の割合を比較する手法の活用により、人々が近ければ1親等、遠ければ5~7親等の関係を共有する、4組の遺伝的家族が特定されました。複数個体の遺骸がある13ヶ所の風化穴のうち7ヶ所は両性の構成員をふくんでおり、死亡時に同性の個体をともに埋葬するような選好の裏づけを提起しません。しかし、常時ではないものの、密接な親族関係の個体が同じ風化穴に埋葬されました。遺跡に埋葬された親族の欠如は、故地以外で死亡した場合、埋葬のため故地の埋葬区域に人々を戻すような選好と一致します。


●考察

 中世ソコトラ島の人々から得られたゲノム水準のデータは、ごくわずかなサハラ砂漠以南のアフリカ関連祖先系統と、ハドラマウト地域との強い遺伝的つながりを有する、孤立した人口集団に新たな光を当てます。中世ソコトラ島は後期更新世ナトゥーフィアン狩猟採集民とより密接な古代人集団から相対的により多くの祖先系統を有しており、これはハドラマウト地域の現代人集団でも記録されている兆候です。対照的に、他の現在のアラブ人集団は、新石器時代農耕民関連供給源にそのレヴァント/アナトリア半島関連祖先系統がすべて由来する、とモデル化できます。ソコトラ島とハドラマウト地域におけるナトゥーフィアン関連祖先系統の置換減少は、アラビア半島全体での更新世と完新世の間での完全な人口置換はなかった、という強い証拠を提供します。

 ソコトラ島個体群の遺伝子プールは、ソコトラ島における外国人の存在の広範な考古学的証拠にも関わらず、1000年間以上にわたって安定したままで、在来民が外国の貿易商の関心から逃れる退避地として機能したソコトラ島内陸部の高原に言及している、ソコトラ島の口承史と一致します。貿易商と船員はソコトラ島にその豊富な資源と主要なインド洋交易路沿いの位置に惹きつけられましたが、海路でのみ到来でき、沿岸地域からの移動は稀でした。紀元前2世紀から紀元後6世紀の間のホク洞窟内で発見されたインドのブラーフミー文字やエチオピアのゲエズ語やローマ期エジプト語やパルミラの碑文の顕著な考古学的証拠にも関わらず、ソコトラ島個体群の遺伝子プールは代理供給源としてイエメン_砂漠を約86%でモデル化でき、ハドラマウト地域からの移住が中世ソコトラ島個体群の遺伝子プールの形成に支配的な影響を及ぼした、と示唆されます。

 最大2%のインド亜大陸からの祖先系統を伴うイラン関連供給源により最適に代理化される残りの祖先系統が、どのようなソコトラ島個体群の遺伝子プールにもたらされたのかは不明ですが、アラビア半島をペルシアやインドや地中海東部とつないだ広範な海上交易網と関連している可能性が高そうです。ソコトラ島個体群の遺伝子プールにおけるインド関連祖先系統は本論文における決定的な検出に近いか限界未満ですが、考古学的および歴史的証拠はソコトラ島における広範なインド人の活動を裏づけます。たとえば、ホク洞窟におけるインドの碑文はほぼ全て、ブラーフミー文字の非公式な種類やサンスクリット語もしくは口語化したサンスクリット語で書かれており、2~4世紀と年代測定されていますが、航海記の文章は、ソコトラ島への女性奴隷のインドの供給を記録しています。

 航海記と碑文両方の証拠は具体的に、インド北西部沿岸に位置するグジャラート州の、現在ではブローチ(Broach)となるバリュガザ(Barygaza)やハーザブ(Hāthab)から到来した貿易商の記録を提供しています。碑文の証拠は、インド南西部のマラバール海岸からソコトラ島に旅をしたインド人も示唆していますが、単一の原文はインド北西部でのみ用いられているカローシュティー(Kharosthī)文字で書かれています。ソコトラ島におけるインド人の存在は、10世紀から13世紀まで継続的に言及されていますが、沿岸部人口集団と少なくとも何人かの子供を儲けた海賊として描かることが増えました。

 中世から現在にかけのソコトラ島のイトコ婚の頻度増加へと向かう、慣行の変化の証拠も見つかりました。イトコ婚の割合のこの減少は、900~500年前頃にイスラム教徒の文脈で埋葬された4個体のどれも密接な両親の親族関係の証拠がなく、高い割合の現代のパターンとはひじょうに対照的である、中世のパキスタン北西部で観察された類似のパターン(関連記事)と一致します。まとめて検討すると、これらの結果はイトコ婚への選好に向かうソコトラ島における文化的慣行の比較的最近の変化を示唆しているだけではなく、これはイスラム教徒の世界におけるそうした結婚への選好に向かうより広範な文化的変化の一部だった、という可能性も提起します。とくに、イスラム教徒の世界では現在一般的で、7~8世紀におけるアラブ人部族の移動とともにアラビア半島から拡大した、との仮説が立てられてきた、父方のイトコ間のビント・アンム(Bint’amm)婚の慣行の拡大は、中世から近代への移行の間にのみたいへん広がりました。これらの結果は暫定的で、将来の研究にとって重要な主題は、この仮説を、イトコ婚が現在一般的なイスラム教世界の他地域で検証することです。

 最後に、ソコトラ島の自然風化穴における人々の埋葬パターンに関する、ソコトラ島の考古学における長年の議論の主題は、まず17世紀にカルメライト・P・ヴィンチェンツォ(Carmelite P. Vincenzo)により記録され、ヴィンチェンツォは、ソコトラ島の各家族は死者を安置する洞窟を有していた、と述べました。洞窟に親族を埋葬するこの習慣は、伝染病もしくは飢饉のため、墓を掘る力が残っていない家族を反映している、と報告されました。しかし今まで、風化穴が性別により分離されていたのかどうか、不明でした。本論文では、複数個体の遺骸を含む風化穴13ヶ所のうち7ヶ所は両性の個体を含んでおり、風化穴に埋葬された人々では家族関係だけではなく母系および父系の関係の証拠を提供している、と示され、これは、可能ならば家族の風化穴において地元の埋葬地に埋葬されることへの、あるいは他の事例では他の部族民と埋葬されることへの、強い選好と一致します。さらなる洞察を得るための重要な機会は、ソコトラ島現代人からのゲノム規模データの収集によりもたらされ、それはソコトラ島の人々が1000年前頃にソコトラ島に居住していた人々とどのように関連しているのか、理解することを可能とするでしょう。


参考文献:
Sirak K. et al.(2024): Medieval DNA from Soqotra points to Eurasian origins of an isolated population at the crossroads of Africa and Arabia. Nature Ecology & Evolution.
https://doi.org/10.1038/s41559-024-02322-x

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