ドイツの初期現生人類の年代とミトコンドリアDNA
ドイツで発見された初期現生人類(Homo sapiens)の年代とミトコンドリアDNA(mtDNA)を報告した研究(Mylopotamitaki et al., 2024)が公表されました。この研究を含めて、ドイツのテューリンゲン州(Thuringia)のオーラ川(Orla River)流域に位置するラニス(Ranis)のイルゼン洞窟(Ilsenhöhle)で発見された初期現生人類(ラニス個体群)に関する複数の研究の解説記事(Curry.2024)は最近当ブログで取り上げ、本論文の見解に疑問を呈した研究者の見解に言及し、またヨーロッパにおける中部旧石器時代から上部旧石器時代への「移行期」との関連で、ラニス個体群の位置づけを考えてみました。ラニス個体群はおそらく、現代人には遺伝的影響をほぼ残しておらず、実質的に絶滅した集団を表しているのでしょうが、そうした初期現生人類集団は完新世には珍しくなかったのではないか、と思います(関連記事)。
●要約
ヨーロッパにおける中部旧石器時代から上部旧石器時代への移行は、ネアンデルタール人の地域的消滅および現生人類の拡大と関連しています。後期ネアンデルタール人はヨーロッパ西部においてヨーロッパ東部における現生人類の出現後数千年間ほど存続しました(Hublin et al., 2020)。この2集団【ネアンデルタール人と現生人類】間の局所的な交雑はありましたが(Hajdinjak et al., 2021)、全ての場合で起きていたわけではありませんでした(Prüfer et al., 2021)。考古学的証拠も、この移行期におけるいくつかの技術複合体の存在を示唆しており、理解や行動的適応と特定の人類集団との関連を複雑にしています。製作者不明なそうした技術複合体の一つがLRJ(Lincombian–Ranisian–Jerzmanowician、リンコンビアン・ラニシアン・エルツマノウィッチ)で、LRJはヨーロッパ北西部および中央部で報告されてきました(Higham et al., 2011)。
本論文は、ドイツのラニスのイルゼン洞窟遺跡で発見されたLRJ遺物群と直接的に関連するヒト遺骸の、形態学的およびプロテオーム(タンパク質の総体)的な分類学的同定とmtDNA解析と直接的な放射性炭素年代測定を提示します。これらのヒト遺骸は、ユーラシアにおける直接的に年代測定された上部旧石器時代の現生人類遺骸では最古級です。本論文では、LRJと関連する現生人類はヨーロッパ南西部におけるネアンデルタール人の消滅のずっと前にヨーロッパ中央部および北部に存在した、と示されます。本論文の結果は、この移行期においてヨーロッパに、異なる人口集団と技術複合体の寄せ集めが存在した、との見解を補強します。
●研究史
中部旧石器時代から上部旧石器時代にかけてのLRJ技術複合体は、ヨーロッパ北西部および中央部全域に広がっていました(図1b)。LRJは、ネアンデルタール人もしくは現生人類のどちらかの所産とされてきました。石器に基づき、イェジマノヴィッツァ尖頭器(Jerzmanowice points)と呼ばれる部分的な両面石刃の製作を目的とするラミナール(laminar、長さが幅の2倍以上となる本格的な石刃)製作を考慮して、LRJは、前期上部旧石器と分類されることが多くありました。以下は本論文の図1です。
対照的に、LRJはあるいは、ネアンデルタール人による在来の発展として解釈されており、それは、双方向の石刃製作が、現生人類により製作されたその後の単方向の上部旧石器の石刃製作体系とは異なるからです。さらに、一部のLRJ遺物群において両面葉形尖頭器(bifacial leaf point)がたまに見られることは、中部旧石器起源を示唆しました。年代的観点からは、【ネアンデルタール人か現生人類】どちらの所産の可能性もあり、それは、LRJ遺物群は一般的に較正年代【以下、明記のない場合は基本的に較正年代です】で44000~41000年前頃となり、この期間にはヨーロッパにおいてネアンデルタール人と現生人類の両集団の存在が知られているからです(Djakovic et al., 2022)。
●イルゼン洞窟遺跡
イルゼン洞窟遺跡(北緯50度39.7563分、東経11度33.9139分、以後はラニスと呼ばれます)は、両面および単面尖頭器の独特な組成に基づく名称の由来となったLRJ遺跡です(図1b)。ラニスはペルム紀の石灰岩礁の南向きの崖に形成されました。後期更新世に崩壊した以前の大きくて高い部屋から、2ヶ所の短い空洞だけが無傷で残りました。現地調査は1926年に始まり、1929年と1931年に継続されましたが、この遺跡は1932~1938年にヒューレ(W. M. Hülle)によっておもに発掘されました。8mの層序の基底部近くで、これらの発掘により5層の複雑な層序が明らかになり(底部から上部へ第11層~第7層)、両面葉形尖頭器の豊富な層と、イェジマノヴィッツァ石刃尖頭器のある1層が含まれています。この層はLRJの一部としてのラニシアンを表しています。
その層序と年代を明らかにし、LRJの製作者を特定するため、発掘調査団はラニスに2016年に戻りました。主要な1934年の試掘坑が再度開かれ、岩盤に隣接する区画が発掘されました。底部層のうち、第11層(図1a)には、診断できない、おそらくは中部旧石器時代の人工遺物が低密度であります。その上の第10層には、1932~1938年の発掘時の層序に相当する層がなく、第9層と第8層が続き、これらはヒューレの発掘のLRJ第10層もしくは灰色層(Graue Schicht)と相関します(図1a)。その後に続く第7層は、天井崩壊事象により密閉されています。厚さ1.7mの大きな岩石は第7層と第6層の黒い/暗い斑点(ヒューレの第8層)から分離し、第6層にはより新しい上部旧石器時代の人工遺物が含まれています。この大きな岩石は、ヒューレによるこの場所での重要な底部層の発掘を妨げました(図1b)。
●石器
ヒューレの発掘のLRJ第10層と2016~2022年の発掘で示された第9層~第8層との相関は、両方の収集物からの放射性炭素年代の広範な一式、古代DNA解析、堆積学、炭化した植物性物質の人為的投入を示す微細形態学に基づいています。第10層のように、第8層は、上部旧石器時代層(第6層の黒い/暗い斑点)の下にある底部層序系列の石器密度が最高で、LRJの主要な占拠をあらほしています。診断可能な尖頭器は回収されませんでしたが、この発掘調査で得られた人工遺物のうち2点は断片化された石刃で(図1c・d)、これはLRJ石刃尖頭器の典型的な原形です。
第10層のLRJ遺物群と同様に、第9層および第8層の人工遺物の大半はバルト海地域の燧石で製作されていました。これは、ラニスのLRJと、燧石が産出するその北方の低地とのつながりを示しています。表面の整形と端部の再加工から生じる3点の小さな剥片は、珪岩で製作されています(図1e)。この石材は、1932~1938年の発掘で得られた数点の人工遺物にも見られます。その中には、おそらく葉形尖頭器である両面石器の断片が含まれています。1点の断塊を除いて、第7層には人工遺物が含まれていませんが、数点の燧石の断片が、第7層と第8層の接触面から選別された発掘堆積物の分類中に見つかりました。これらの人工遺物は、第9層~第8層の考古学的層準に割り当てられました。LRJ層とは対照的に、燧石製の人工遺物はその下の第10層と第11層には存在しません。燧石の同様の低頻度の使用は、1932~1938年の発掘の第11層でも報告されました。
●年代測定
直接的に年代測定されたヒト遺骸や人為的に改変された骨や炭を含めて、第11層~第7層の新たに発掘された資料から得られた28点の放射性炭素年代に基づいて、年代モデルが構築されました。骨のコラーゲンの保存状態は例外的で、平均収率は11.8%(5.3~16.3%の範囲、33点)でした。モデルのうち1点の年代のみが外れ値と特定され、層の層序的整合性が浮き彫りになります。底部では、診断できない人工遺物を含む第11層の年代は、55860~48710年前頃です。LRJと関連している第9層と第8層の年代は、それぞれ475000~45770年前頃と46820~43260年前頃です(95.4%の確率)。
その上の第7層の年代は45890~39110年前頃で、天井崩壊により密閉されています。さらに、1930年代の収集物でLRJと関連していると考えられる第10層から6点の人骨が新たに同定され、直接的に放射性炭素年代測定されました。これらの年代(95.4%の確率で46950~42200年前頃)は第9層および第8層について本論文のモデルで得られた年代範囲内と一致するので(図2)、1930年代の発掘における第10層のLRJを、本論文での第9層および第8層と関連づけるさらなる裏づけが提供されます。以下は本論文の図2です。
●プロテオーム解析
マトリックス支援レーザー脱離イオン化法飛行時間型質量分析(matrix-assisted laser desorption ionization–time-of-flight mass spectrometry)および液体色層縦列質量分析(liquid chromatography–tandem mass spectrometry)という2種類のプロテオーム選別手法と、2016~2022年および1932~1938年の発掘で得られた骨標本への形態学的同定の組み合わせが実行されました。合計13点の人類の骨の標本を回収できましたるこれらのうち、4点の人類の骨はプロテオーム手法を通じて発見され、2016~2022年の発掘で回収されました。それは、第9層の1点(標本識別番号は16/116-159416)と第8層の3点(標本識別番号は16/116-159253と16/116-159327と16/116-159199)です(図1a)。
1932~1938年の発掘で得られた資料のうち、追加で9点の人類の骨標本が特定され、そのうち4点(標本識別番号はR10318とR10355とR10396とR10400)はプロテオーム解析で特定され、全て第10層に由来し、第9層と第10層(2016~2022年の発掘)もしくは第10層と第11層(1932~1938年の発掘)に分類された6点の骨から形態学的分析を通じて5点の骨(標本識別番号はR10873とR10874とR10875とR10876とR10879)が特定されました(図1a)。1932~1938年の発掘で混合層標識のついた骨は、1930年代の迅速な発掘手法の結果です。しかし、人類遺骸はほとんどの場合、同日もしくは同じ区画のLRJ人工遺物発見の1日以内に発掘されました。
すべてのプロテオーム的に同定された人類標本における内在性プロテオームの識別を裏づけるため、特定された部位ごとのアミノ酸分解と網羅率が評価されました。動物相のプロテオーム脱アミノ化測定(マトリックス支援レーザー脱離イオン化法飛行時間型質量分析と縦列質量分析での液体色層分析)は、人類遺骸の全てと一致するコラーゲン1型の続成作用を明らかにしました。最後に、この結果がヒト亜科の既存の参照プロテオームと比較され、同定された人類標本の全てについて、アミノ酸部位ごとのプロテオーム網羅率が計算されました。本論文のプロテオーム配列決定の結果から、プロテオーム調査経路により人類種と分析された全ての人類標本で回収されたアミノ酸部位は、ヒト亜科の参照プロテオームと一致した、と示されました。しかし、既存のプロテオーム参照データベースの限界のため、人類集団間のさらなる分類学的区別は行なわれていません。
●mtDNA解析
古代mtDNAの保存状態について、人類遺骸11点が検証されました。ヒトmtDNA参照ゲノムにマッピング(多少の違いを許容しつつ、ヒトゲノム配列内の類似性が高い処理を同定する情報処理)された4413~175688の独特な読み取りが、骨格断片1点につき回収されました。これらのmtDNAの読み取りは、シトシン(C)からチミン(T)への置換頻度が上昇し(5’末端では32.6%から49.6%、3’末端では19.0%から47.9%への上昇)、これは古代DNAを示唆しています。現生人類とネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)のゲノム間の区別に情報をもたらすと示されている部位により、11点の骨格断片はそれぞれ古代現生人類に属すると同定出来ました。
11点の骨格断片のうち10点から得られたライブラリには、完全に近いmtDNAゲノムの再構成に充分なデータが含まれていました。これらのmtDNAゲノムのうち5点は、その部位で対での違いを示さず、同一個体もしくは母系で親族関係にある複数個体に由来する、と示唆されます。これらの骨格断片のうち4点は1932~1938年の収集物に、1点(16/116-159327)は2016~2022年の発掘から得られたもので(図1)、第9層および第8層(2016~2022年の発掘)と第10層(1932~1938年の発掘)との相関への追加の裏づけを提供します。これらの断片のうち4点(2016~2022年の発掘からは16/116-159327、1930年代の収集物からはR10874とR10879とR10396)も、統計的に区別できない放射性炭素年代を示しました(図2)。R10874の形態と安定同位体値から、R10874は異なる個体に由来する、と示唆され、母系関係と一致します。
注目すべきことに、再構成されたmtDNAゲノム10点のうち9点がmtDNAハプログループ(mtHg)Nに属したのに対して、1点(16/116-159199)はmtHg-Rと特定されました。たの古代人との系統樹に位置づけると、mtHg-NのmtDNAゲノムは、チェコのコニェプルシ(Koněprusy)洞窟群で発見された洞窟群の頂上の丘にちなんでズラティクン(Zlatý kůň)と呼ばれる成人女性1個体のmtDNAゲノムとクラスタ化し(まとまり)、ズラティクン個体の年代は遺伝学的推定に基づいて45000年前頃(Prüfer et al., 2021)とされています(図3)。ラニス個体群のmtDNAゲノムの推定される平均的な遺伝学的年代の範囲は49105~40918年前頃で、第9層および第8層の放射性炭素年代と一致します。以下は本論文の図3です。
●考察
2016~2022年および1932~1938年の発掘で得られた人類遺骸は、広範な動物の分類群と関連しています。全体的に、動物考古学およびプロテオーム解析の両方は、トナカイ(Rangifer tarandus)が優占する合計17の分類群を同定しました。他の分類群には、オーロックス(Bos primigenius)とステップバイソン(Bison priscus)、シベリアアカシカ(Cervus elaphus)、野生ウマ(Equus ferus)、ケブカサイ(Coelodonta antiquitatis)やケナガマンモス(Mammuthus primigenius)のような大型動物が含まれていました。さまざまな肉食動物も同定され、ホラアナグマ(Ursus spelaeus)が優占していました。この種組成は、海洋酸素同位体ステージ(Marine Isotope Stage、略してMIS)3のヨーロッパ中央部の動物相記録と一致します。
本論文の分析から、大型肉食動物がほとんどの骨遺骸を蓄積しており、ヒト集団の使用は時折で短期的だった、と示唆され、これはこうしたLRJ層における回収された古代堆積物DNAおよび比較的少ない数の石器と一致します(Smith et al.2024)。これは、他のLRJ遺跡での観察と類似しています。本論文の堆積学的分析は、第9層から第7層(2016~2022年の発掘)のより寒冷な気候条件に向けての気温低下を示唆しています。これは、低い気温および開けた草原地帯環境とともに、LRJの占拠の全段階において気温が低下した、と示唆するウマ類の歯の安定同位体分析と一致します。45000~43000年前頃となる(2016~2022年の発掘での第8層および第7層と重なります)最寒期について再構築された気温は現代より7~15度低く、完全な亜氷期状況における高度に季節的な亜北極圏気候と一致します(Pederzani et al.2024)。
要約すると、本論文では、ラニスのLRJは現生人類系統のmtDNAを有する人類により製作されていた、と示されます。これが示唆しているのは、現生人類の先駆者集団がより高緯度の中緯度地帯に、おそらくは遠く現代のブリテン諸島にまで急速に拡大し(図1b)、それはヨーロッパ南西部へのずっと後の拡大の前だった、ということです。ヨーロッパ南西部では、直接的に年代測定されたネアンデルタール人遺骸が、42000年前頃まで記録されています(図2)。直接的に年代測定されておらず、遺伝学的に特定されていませんが、マンドリン洞窟(Grotte Mandrin)のヒトの乳歯1点も、早ければ54000年前頃となるフランス南東部への現生人類の侵入を示唆しています(Slimak et al., 2022)。これが確証されれば、この証拠は、55000~45000年前頃のヨーロッパにおけるネアンデルタール人集団と現生人類集団の複雑な斑状の全体像を作り出すことでしょう。
考古学と動物考古学の証拠に基づくと、先駆者的な現生人類集団は小規模で、おそらくヨーロッパの上部旧石器時代の狩猟採集民に顕著な遺伝的痕跡を残しませんでした(Posth et al., 2023)【最近の研究(Bennett et al., 2023)では、ヨーロッパの上部旧石器時代の現生人類に、ラニスのLRJ個体群的な遺伝的構成要素がわずかながら明確に存在する、と示されています】。現代のブリテン諸島における現生人類の初期の存在は、ケンツ洞窟(Kent’s Cavern)の上顎の論争になっている年代測定によりさらに証明され(Higham et al., 2011)、この上顎はおそらく、ケンツ洞窟遺跡のLRJ石器群と関連しています。
考古学とmtDNAのデータからさらに、ラニスのLRJ現生人類はヨーロッパ東部および中央部の人口集団とつながっていた、と示唆されます。ラニスにおける両面尖頭器の豊富なLRJと、セレッティアン(Szeletian、セレタ文化)やアルトミューリアン(Altmühlian、アルトミュール文化)などヨーロッパ中央部の他の年代的に重なる両面尖頭器インダストリーとの間の関係は、まだ調べられていません。モラヴィアの初期上部旧石器(Initial Upper Paleolithic、略してIUP)のボフニチアン(Bohunician)とLRJが関連している技術複合体ならば、LRJはヨーロッパへのIUP拡大の一部です。ボフニチアンからの保存されたヒト遺骸はありませんが、チェコ共和国の現生人類頭蓋であるズラティクン個体は、ボフニチアンおよびラニスのLRJの両方と年代が重なります。
注目すべきことに、ラニスのmtDNAゲノム10点のうち9点はズラティクン個体と、他の1個体はイタリア北部のフマネ洞窟(Grotta di Fumane)の1個体(フマネ2号)とクラスタ化し、両者は本論文で説明されたラニス標本群とヨーロッパでは同じ頃に生存していた他の初期現生人類個体です。これは、LRJ人類をヨーロッパへの最初の現生人類侵入のより広範な人口集団の交流網とつなげます。最後に、LRJが現生人類により製作された、との論証は、45000年前頃となるヨーロッパ北西部および中央部の最後のネアンデルタール人と現生人類の記録における重要な間隙を埋めます。ネアンデルタール人がヨーロッパ北西部から現生人類到来のずっと前に消滅した、という仮説は、ネアンデルタール人の製作した後期中部旧石器時代遺物群と現生人類の製作したオーリナシアン(Aurignacian、オーリニャック文化)遺物群との間で観察された年代的空白におもに基づいていましたが、今や却下できます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。
考古学:初期のヨーロッパ人がアルプスを越えた時期
現生人類が約4万5000年前にアルプス山脈の北側に拡散したことを示唆する証拠を示した複数の論文が、NatureとNature Ecology & Evolutionに掲載される。この知見は、初期人類の先駆的な集団が北ヨーロッパに急拡大したことを示唆している。
ヨーロッパにおける中期/後期旧石器時代移行期(約4万7000~4万2000年前)は、ネアンデルタール人の地域的絶滅と現生人類の拡大に関連している。後期ネアンデルタール人は、現生人類が東ヨーロッパに到達してから数千年わたり西ヨーロッパで生き残っており、現生人類との交雑も起きていた。考古学的証拠から、この移行期にいくつかの異なる文化が勃興したことが示されているが、そのために特定のヒト族集団と行動適応の関連性が複雑化し、理解することが難しくなっている。例えば、北西ヨーロッパと中央ヨーロッパの石器産業の一種であるリンコンビアン・ラニシアン・エルツマノウィッチ(LRJ)の担い手が誰だったかが正確には分かっておらず、その候補としてネアンデルタール人と現生人類の両方が挙がっている。LRJは北ヨーロッパ(ドイツから英国まで)に広く分布していたため、LRJの担い手を解明することは、人類の移動を解明する上で重要な意味を持っている。
Natureに掲載される論文で、Jean-Jacques Hublinらは、ドイツのラニスにあるイルセンヘーレ洞窟で出土したLRJの遺物に直接関連する4万5000年前のものとされるヒト遺骸を調べたことを報告している。これらのヒト遺骸は、直接的な年代測定が行われたユーラシア大陸の後期旧石器時代の現生人類の遺骸の中でも最も古い年代のものとされる。解析の結果、LRJに関連した初期現生人類は、南西ヨーロッパで後期ネアンデルタール人が絶滅するよりもずっと前から、中央ヨーロッパと北西ヨーロッパに存在していたことが判明した。これらの知見は、中期/後期旧石器時代のヨーロッパが異なるヒト集団と文化のパッチワーク状態だったとする説を裏付けている。
一方、Nature Ecology & Evolutionに掲載される論文では、Geoff Smithらが、ドイツのラニスで出土した遺骸を分析したことを報告している。ラニスの遺跡は、寒冷なステップ・ツンドラ地帯に位置しており、移動生活をしていた現生人類の先駆的な小集団が、短期間の滞在のために便利な場所として使用して、ウマ、ケサイ、トナカイなどの大型陸生哺乳類を食べていたという見解が示されている。また、Nature Ecology & Evolutionに掲載される別の論文では、Sarah Pederzaniらが、この時代を生きた現生人類が異なる気候や生活環境に適応する能力を有していたことを示す証拠を調べたと報告している。Pederzaniらは、現生人類が4万5000~4万3000年前の極寒期においてもこの遺跡の場所を使用していたことを発見し、現生人類が初期の数回のヨーロッパへの拡散において厳しい寒さの中で活動していたことを明らかにし、特に寒冷環境に適応する能力を有していたという見方を示している。
考古学:ホモ・サピエンスは4万5000年前にはヨーロッパの高緯度域に到達していた
考古学:ホモ・サピエンスの北方への拡大は予想より早かった
今回、現生人類が4万5000年前にアルプス北方のドイツに存在していたことが明らかにされた。
参考文献:
Bennett EA. et al.(2023): Genome sequences of 36,000- to 37,000-year-old modern humans at Buran-Kaya III in Crimea. Nature Ecology & Evolution, 7, 12, 2160–2172.
https://doi.org/10.1038/s41559-023-02211-9
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Curry A.(2024): In Europe, an early, cold dawn for modern humans. Science, 383, 6682, 468–469.
https://doi.org/10.1126/science.zfsld58
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Djakovic I, Key A, and Soressi M.(2022): Optimal linear estimation models predict 1400–2900 years of overlap between Homo sapiens and Neandertals prior to their disappearance from France and northern Spain. Scientific Reports, 12, 15000.
https://doi.org/10.1038/s41598-022-19162-z
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Hajdinjak M. et al.(2021): Initial Upper Palaeolithic humans in Europe had recent Neanderthal ancestry. Nature, 592, 7853, 253–257.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-03335-3
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Higham T. et al.(2011): The earliest evidence for anatomically modern humans in northwestern Europe. Nature, 479, 7374, 521–524.
https://doi.org/10.1038/nature10484
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Hublin JJ. et al.(2020): Initial Upper Palaeolithic Homo sapiens from Bacho Kiro Cave, Bulgaria. Nature, 581, 7808, 299–302.
https://doi.org/10.1038/s41586-020-2259-z
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Mylopotamitaki D. et al.(2024): Homo sapiens reached the higher latitudes of Europe by 45,000 years ago. Nature, 626, 7998, 341–346.
https://doi.org/10.1038/s41586-023-06923-7
Pederzani S. et al.(2024): Stable isotopes show Homo sapiens dispersed into cold steppes ~45,000 years ago at Ilsenhöhle in Ranis, Germany, Germany. Nature Ecology & Evolution, 8, 3, 578–588.
https://doi.org/10.1038/s41559-023-02318-z
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Posth C. et al.(2023): Palaeogenomics of Upper Palaeolithic to Neolithic European hunter-gatherers. Nature, 615, 7950, 117–126.
https://doi.org/10.1038/s41586-023-05726-0
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Prüfer K. et al.(2021): A genome sequence from a modern human skull over 45,000 years old from Zlatý kůň in Czechia. Nature Ecology & Evolution, 5, 6, 820–825.
https://doi.org/10.1038/s41559-021-01443-x
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Slimak L. et al.(2022): Modern human incursion into Neanderthal territories 54,000 years ago at Mandrin, France. Science Advances, 8, 6, eabj9496.
https://doi.org/10.1126/sciadv.abj9496
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Smith GM. et al.(2024): The ecology, subsistence and diet of ~45,000-year-old Homo sapiens at Ilsenhöhle in Ranis, Germany. Nature Ecology & Evolution, 8, 3, 564–577.
https://doi.org/10.1038/s41559-023-02303-6
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●要約
ヨーロッパにおける中部旧石器時代から上部旧石器時代への移行は、ネアンデルタール人の地域的消滅および現生人類の拡大と関連しています。後期ネアンデルタール人はヨーロッパ西部においてヨーロッパ東部における現生人類の出現後数千年間ほど存続しました(Hublin et al., 2020)。この2集団【ネアンデルタール人と現生人類】間の局所的な交雑はありましたが(Hajdinjak et al., 2021)、全ての場合で起きていたわけではありませんでした(Prüfer et al., 2021)。考古学的証拠も、この移行期におけるいくつかの技術複合体の存在を示唆しており、理解や行動的適応と特定の人類集団との関連を複雑にしています。製作者不明なそうした技術複合体の一つがLRJ(Lincombian–Ranisian–Jerzmanowician、リンコンビアン・ラニシアン・エルツマノウィッチ)で、LRJはヨーロッパ北西部および中央部で報告されてきました(Higham et al., 2011)。
本論文は、ドイツのラニスのイルゼン洞窟遺跡で発見されたLRJ遺物群と直接的に関連するヒト遺骸の、形態学的およびプロテオーム(タンパク質の総体)的な分類学的同定とmtDNA解析と直接的な放射性炭素年代測定を提示します。これらのヒト遺骸は、ユーラシアにおける直接的に年代測定された上部旧石器時代の現生人類遺骸では最古級です。本論文では、LRJと関連する現生人類はヨーロッパ南西部におけるネアンデルタール人の消滅のずっと前にヨーロッパ中央部および北部に存在した、と示されます。本論文の結果は、この移行期においてヨーロッパに、異なる人口集団と技術複合体の寄せ集めが存在した、との見解を補強します。
●研究史
中部旧石器時代から上部旧石器時代にかけてのLRJ技術複合体は、ヨーロッパ北西部および中央部全域に広がっていました(図1b)。LRJは、ネアンデルタール人もしくは現生人類のどちらかの所産とされてきました。石器に基づき、イェジマノヴィッツァ尖頭器(Jerzmanowice points)と呼ばれる部分的な両面石刃の製作を目的とするラミナール(laminar、長さが幅の2倍以上となる本格的な石刃)製作を考慮して、LRJは、前期上部旧石器と分類されることが多くありました。以下は本論文の図1です。
対照的に、LRJはあるいは、ネアンデルタール人による在来の発展として解釈されており、それは、双方向の石刃製作が、現生人類により製作されたその後の単方向の上部旧石器の石刃製作体系とは異なるからです。さらに、一部のLRJ遺物群において両面葉形尖頭器(bifacial leaf point)がたまに見られることは、中部旧石器起源を示唆しました。年代的観点からは、【ネアンデルタール人か現生人類】どちらの所産の可能性もあり、それは、LRJ遺物群は一般的に較正年代【以下、明記のない場合は基本的に較正年代です】で44000~41000年前頃となり、この期間にはヨーロッパにおいてネアンデルタール人と現生人類の両集団の存在が知られているからです(Djakovic et al., 2022)。
●イルゼン洞窟遺跡
イルゼン洞窟遺跡(北緯50度39.7563分、東経11度33.9139分、以後はラニスと呼ばれます)は、両面および単面尖頭器の独特な組成に基づく名称の由来となったLRJ遺跡です(図1b)。ラニスはペルム紀の石灰岩礁の南向きの崖に形成されました。後期更新世に崩壊した以前の大きくて高い部屋から、2ヶ所の短い空洞だけが無傷で残りました。現地調査は1926年に始まり、1929年と1931年に継続されましたが、この遺跡は1932~1938年にヒューレ(W. M. Hülle)によっておもに発掘されました。8mの層序の基底部近くで、これらの発掘により5層の複雑な層序が明らかになり(底部から上部へ第11層~第7層)、両面葉形尖頭器の豊富な層と、イェジマノヴィッツァ石刃尖頭器のある1層が含まれています。この層はLRJの一部としてのラニシアンを表しています。
その層序と年代を明らかにし、LRJの製作者を特定するため、発掘調査団はラニスに2016年に戻りました。主要な1934年の試掘坑が再度開かれ、岩盤に隣接する区画が発掘されました。底部層のうち、第11層(図1a)には、診断できない、おそらくは中部旧石器時代の人工遺物が低密度であります。その上の第10層には、1932~1938年の発掘時の層序に相当する層がなく、第9層と第8層が続き、これらはヒューレの発掘のLRJ第10層もしくは灰色層(Graue Schicht)と相関します(図1a)。その後に続く第7層は、天井崩壊事象により密閉されています。厚さ1.7mの大きな岩石は第7層と第6層の黒い/暗い斑点(ヒューレの第8層)から分離し、第6層にはより新しい上部旧石器時代の人工遺物が含まれています。この大きな岩石は、ヒューレによるこの場所での重要な底部層の発掘を妨げました(図1b)。
●石器
ヒューレの発掘のLRJ第10層と2016~2022年の発掘で示された第9層~第8層との相関は、両方の収集物からの放射性炭素年代の広範な一式、古代DNA解析、堆積学、炭化した植物性物質の人為的投入を示す微細形態学に基づいています。第10層のように、第8層は、上部旧石器時代層(第6層の黒い/暗い斑点)の下にある底部層序系列の石器密度が最高で、LRJの主要な占拠をあらほしています。診断可能な尖頭器は回収されませんでしたが、この発掘調査で得られた人工遺物のうち2点は断片化された石刃で(図1c・d)、これはLRJ石刃尖頭器の典型的な原形です。
第10層のLRJ遺物群と同様に、第9層および第8層の人工遺物の大半はバルト海地域の燧石で製作されていました。これは、ラニスのLRJと、燧石が産出するその北方の低地とのつながりを示しています。表面の整形と端部の再加工から生じる3点の小さな剥片は、珪岩で製作されています(図1e)。この石材は、1932~1938年の発掘で得られた数点の人工遺物にも見られます。その中には、おそらく葉形尖頭器である両面石器の断片が含まれています。1点の断塊を除いて、第7層には人工遺物が含まれていませんが、数点の燧石の断片が、第7層と第8層の接触面から選別された発掘堆積物の分類中に見つかりました。これらの人工遺物は、第9層~第8層の考古学的層準に割り当てられました。LRJ層とは対照的に、燧石製の人工遺物はその下の第10層と第11層には存在しません。燧石の同様の低頻度の使用は、1932~1938年の発掘の第11層でも報告されました。
●年代測定
直接的に年代測定されたヒト遺骸や人為的に改変された骨や炭を含めて、第11層~第7層の新たに発掘された資料から得られた28点の放射性炭素年代に基づいて、年代モデルが構築されました。骨のコラーゲンの保存状態は例外的で、平均収率は11.8%(5.3~16.3%の範囲、33点)でした。モデルのうち1点の年代のみが外れ値と特定され、層の層序的整合性が浮き彫りになります。底部では、診断できない人工遺物を含む第11層の年代は、55860~48710年前頃です。LRJと関連している第9層と第8層の年代は、それぞれ475000~45770年前頃と46820~43260年前頃です(95.4%の確率)。
その上の第7層の年代は45890~39110年前頃で、天井崩壊により密閉されています。さらに、1930年代の収集物でLRJと関連していると考えられる第10層から6点の人骨が新たに同定され、直接的に放射性炭素年代測定されました。これらの年代(95.4%の確率で46950~42200年前頃)は第9層および第8層について本論文のモデルで得られた年代範囲内と一致するので(図2)、1930年代の発掘における第10層のLRJを、本論文での第9層および第8層と関連づけるさらなる裏づけが提供されます。以下は本論文の図2です。
●プロテオーム解析
マトリックス支援レーザー脱離イオン化法飛行時間型質量分析(matrix-assisted laser desorption ionization–time-of-flight mass spectrometry)および液体色層縦列質量分析(liquid chromatography–tandem mass spectrometry)という2種類のプロテオーム選別手法と、2016~2022年および1932~1938年の発掘で得られた骨標本への形態学的同定の組み合わせが実行されました。合計13点の人類の骨の標本を回収できましたるこれらのうち、4点の人類の骨はプロテオーム手法を通じて発見され、2016~2022年の発掘で回収されました。それは、第9層の1点(標本識別番号は16/116-159416)と第8層の3点(標本識別番号は16/116-159253と16/116-159327と16/116-159199)です(図1a)。
1932~1938年の発掘で得られた資料のうち、追加で9点の人類の骨標本が特定され、そのうち4点(標本識別番号はR10318とR10355とR10396とR10400)はプロテオーム解析で特定され、全て第10層に由来し、第9層と第10層(2016~2022年の発掘)もしくは第10層と第11層(1932~1938年の発掘)に分類された6点の骨から形態学的分析を通じて5点の骨(標本識別番号はR10873とR10874とR10875とR10876とR10879)が特定されました(図1a)。1932~1938年の発掘で混合層標識のついた骨は、1930年代の迅速な発掘手法の結果です。しかし、人類遺骸はほとんどの場合、同日もしくは同じ区画のLRJ人工遺物発見の1日以内に発掘されました。
すべてのプロテオーム的に同定された人類標本における内在性プロテオームの識別を裏づけるため、特定された部位ごとのアミノ酸分解と網羅率が評価されました。動物相のプロテオーム脱アミノ化測定(マトリックス支援レーザー脱離イオン化法飛行時間型質量分析と縦列質量分析での液体色層分析)は、人類遺骸の全てと一致するコラーゲン1型の続成作用を明らかにしました。最後に、この結果がヒト亜科の既存の参照プロテオームと比較され、同定された人類標本の全てについて、アミノ酸部位ごとのプロテオーム網羅率が計算されました。本論文のプロテオーム配列決定の結果から、プロテオーム調査経路により人類種と分析された全ての人類標本で回収されたアミノ酸部位は、ヒト亜科の参照プロテオームと一致した、と示されました。しかし、既存のプロテオーム参照データベースの限界のため、人類集団間のさらなる分類学的区別は行なわれていません。
●mtDNA解析
古代mtDNAの保存状態について、人類遺骸11点が検証されました。ヒトmtDNA参照ゲノムにマッピング(多少の違いを許容しつつ、ヒトゲノム配列内の類似性が高い処理を同定する情報処理)された4413~175688の独特な読み取りが、骨格断片1点につき回収されました。これらのmtDNAの読み取りは、シトシン(C)からチミン(T)への置換頻度が上昇し(5’末端では32.6%から49.6%、3’末端では19.0%から47.9%への上昇)、これは古代DNAを示唆しています。現生人類とネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)のゲノム間の区別に情報をもたらすと示されている部位により、11点の骨格断片はそれぞれ古代現生人類に属すると同定出来ました。
11点の骨格断片のうち10点から得られたライブラリには、完全に近いmtDNAゲノムの再構成に充分なデータが含まれていました。これらのmtDNAゲノムのうち5点は、その部位で対での違いを示さず、同一個体もしくは母系で親族関係にある複数個体に由来する、と示唆されます。これらの骨格断片のうち4点は1932~1938年の収集物に、1点(16/116-159327)は2016~2022年の発掘から得られたもので(図1)、第9層および第8層(2016~2022年の発掘)と第10層(1932~1938年の発掘)との相関への追加の裏づけを提供します。これらの断片のうち4点(2016~2022年の発掘からは16/116-159327、1930年代の収集物からはR10874とR10879とR10396)も、統計的に区別できない放射性炭素年代を示しました(図2)。R10874の形態と安定同位体値から、R10874は異なる個体に由来する、と示唆され、母系関係と一致します。
注目すべきことに、再構成されたmtDNAゲノム10点のうち9点がmtDNAハプログループ(mtHg)Nに属したのに対して、1点(16/116-159199)はmtHg-Rと特定されました。たの古代人との系統樹に位置づけると、mtHg-NのmtDNAゲノムは、チェコのコニェプルシ(Koněprusy)洞窟群で発見された洞窟群の頂上の丘にちなんでズラティクン(Zlatý kůň)と呼ばれる成人女性1個体のmtDNAゲノムとクラスタ化し(まとまり)、ズラティクン個体の年代は遺伝学的推定に基づいて45000年前頃(Prüfer et al., 2021)とされています(図3)。ラニス個体群のmtDNAゲノムの推定される平均的な遺伝学的年代の範囲は49105~40918年前頃で、第9層および第8層の放射性炭素年代と一致します。以下は本論文の図3です。
●考察
2016~2022年および1932~1938年の発掘で得られた人類遺骸は、広範な動物の分類群と関連しています。全体的に、動物考古学およびプロテオーム解析の両方は、トナカイ(Rangifer tarandus)が優占する合計17の分類群を同定しました。他の分類群には、オーロックス(Bos primigenius)とステップバイソン(Bison priscus)、シベリアアカシカ(Cervus elaphus)、野生ウマ(Equus ferus)、ケブカサイ(Coelodonta antiquitatis)やケナガマンモス(Mammuthus primigenius)のような大型動物が含まれていました。さまざまな肉食動物も同定され、ホラアナグマ(Ursus spelaeus)が優占していました。この種組成は、海洋酸素同位体ステージ(Marine Isotope Stage、略してMIS)3のヨーロッパ中央部の動物相記録と一致します。
本論文の分析から、大型肉食動物がほとんどの骨遺骸を蓄積しており、ヒト集団の使用は時折で短期的だった、と示唆され、これはこうしたLRJ層における回収された古代堆積物DNAおよび比較的少ない数の石器と一致します(Smith et al.2024)。これは、他のLRJ遺跡での観察と類似しています。本論文の堆積学的分析は、第9層から第7層(2016~2022年の発掘)のより寒冷な気候条件に向けての気温低下を示唆しています。これは、低い気温および開けた草原地帯環境とともに、LRJの占拠の全段階において気温が低下した、と示唆するウマ類の歯の安定同位体分析と一致します。45000~43000年前頃となる(2016~2022年の発掘での第8層および第7層と重なります)最寒期について再構築された気温は現代より7~15度低く、完全な亜氷期状況における高度に季節的な亜北極圏気候と一致します(Pederzani et al.2024)。
要約すると、本論文では、ラニスのLRJは現生人類系統のmtDNAを有する人類により製作されていた、と示されます。これが示唆しているのは、現生人類の先駆者集団がより高緯度の中緯度地帯に、おそらくは遠く現代のブリテン諸島にまで急速に拡大し(図1b)、それはヨーロッパ南西部へのずっと後の拡大の前だった、ということです。ヨーロッパ南西部では、直接的に年代測定されたネアンデルタール人遺骸が、42000年前頃まで記録されています(図2)。直接的に年代測定されておらず、遺伝学的に特定されていませんが、マンドリン洞窟(Grotte Mandrin)のヒトの乳歯1点も、早ければ54000年前頃となるフランス南東部への現生人類の侵入を示唆しています(Slimak et al., 2022)。これが確証されれば、この証拠は、55000~45000年前頃のヨーロッパにおけるネアンデルタール人集団と現生人類集団の複雑な斑状の全体像を作り出すことでしょう。
考古学と動物考古学の証拠に基づくと、先駆者的な現生人類集団は小規模で、おそらくヨーロッパの上部旧石器時代の狩猟採集民に顕著な遺伝的痕跡を残しませんでした(Posth et al., 2023)【最近の研究(Bennett et al., 2023)では、ヨーロッパの上部旧石器時代の現生人類に、ラニスのLRJ個体群的な遺伝的構成要素がわずかながら明確に存在する、と示されています】。現代のブリテン諸島における現生人類の初期の存在は、ケンツ洞窟(Kent’s Cavern)の上顎の論争になっている年代測定によりさらに証明され(Higham et al., 2011)、この上顎はおそらく、ケンツ洞窟遺跡のLRJ石器群と関連しています。
考古学とmtDNAのデータからさらに、ラニスのLRJ現生人類はヨーロッパ東部および中央部の人口集団とつながっていた、と示唆されます。ラニスにおける両面尖頭器の豊富なLRJと、セレッティアン(Szeletian、セレタ文化)やアルトミューリアン(Altmühlian、アルトミュール文化)などヨーロッパ中央部の他の年代的に重なる両面尖頭器インダストリーとの間の関係は、まだ調べられていません。モラヴィアの初期上部旧石器(Initial Upper Paleolithic、略してIUP)のボフニチアン(Bohunician)とLRJが関連している技術複合体ならば、LRJはヨーロッパへのIUP拡大の一部です。ボフニチアンからの保存されたヒト遺骸はありませんが、チェコ共和国の現生人類頭蓋であるズラティクン個体は、ボフニチアンおよびラニスのLRJの両方と年代が重なります。
注目すべきことに、ラニスのmtDNAゲノム10点のうち9点はズラティクン個体と、他の1個体はイタリア北部のフマネ洞窟(Grotta di Fumane)の1個体(フマネ2号)とクラスタ化し、両者は本論文で説明されたラニス標本群とヨーロッパでは同じ頃に生存していた他の初期現生人類個体です。これは、LRJ人類をヨーロッパへの最初の現生人類侵入のより広範な人口集団の交流網とつなげます。最後に、LRJが現生人類により製作された、との論証は、45000年前頃となるヨーロッパ北西部および中央部の最後のネアンデルタール人と現生人類の記録における重要な間隙を埋めます。ネアンデルタール人がヨーロッパ北西部から現生人類到来のずっと前に消滅した、という仮説は、ネアンデルタール人の製作した後期中部旧石器時代遺物群と現生人類の製作したオーリナシアン(Aurignacian、オーリニャック文化)遺物群との間で観察された年代的空白におもに基づいていましたが、今や却下できます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。
考古学:初期のヨーロッパ人がアルプスを越えた時期
現生人類が約4万5000年前にアルプス山脈の北側に拡散したことを示唆する証拠を示した複数の論文が、NatureとNature Ecology & Evolutionに掲載される。この知見は、初期人類の先駆的な集団が北ヨーロッパに急拡大したことを示唆している。
ヨーロッパにおける中期/後期旧石器時代移行期(約4万7000~4万2000年前)は、ネアンデルタール人の地域的絶滅と現生人類の拡大に関連している。後期ネアンデルタール人は、現生人類が東ヨーロッパに到達してから数千年わたり西ヨーロッパで生き残っており、現生人類との交雑も起きていた。考古学的証拠から、この移行期にいくつかの異なる文化が勃興したことが示されているが、そのために特定のヒト族集団と行動適応の関連性が複雑化し、理解することが難しくなっている。例えば、北西ヨーロッパと中央ヨーロッパの石器産業の一種であるリンコンビアン・ラニシアン・エルツマノウィッチ(LRJ)の担い手が誰だったかが正確には分かっておらず、その候補としてネアンデルタール人と現生人類の両方が挙がっている。LRJは北ヨーロッパ(ドイツから英国まで)に広く分布していたため、LRJの担い手を解明することは、人類の移動を解明する上で重要な意味を持っている。
Natureに掲載される論文で、Jean-Jacques Hublinらは、ドイツのラニスにあるイルセンヘーレ洞窟で出土したLRJの遺物に直接関連する4万5000年前のものとされるヒト遺骸を調べたことを報告している。これらのヒト遺骸は、直接的な年代測定が行われたユーラシア大陸の後期旧石器時代の現生人類の遺骸の中でも最も古い年代のものとされる。解析の結果、LRJに関連した初期現生人類は、南西ヨーロッパで後期ネアンデルタール人が絶滅するよりもずっと前から、中央ヨーロッパと北西ヨーロッパに存在していたことが判明した。これらの知見は、中期/後期旧石器時代のヨーロッパが異なるヒト集団と文化のパッチワーク状態だったとする説を裏付けている。
一方、Nature Ecology & Evolutionに掲載される論文では、Geoff Smithらが、ドイツのラニスで出土した遺骸を分析したことを報告している。ラニスの遺跡は、寒冷なステップ・ツンドラ地帯に位置しており、移動生活をしていた現生人類の先駆的な小集団が、短期間の滞在のために便利な場所として使用して、ウマ、ケサイ、トナカイなどの大型陸生哺乳類を食べていたという見解が示されている。また、Nature Ecology & Evolutionに掲載される別の論文では、Sarah Pederzaniらが、この時代を生きた現生人類が異なる気候や生活環境に適応する能力を有していたことを示す証拠を調べたと報告している。Pederzaniらは、現生人類が4万5000~4万3000年前の極寒期においてもこの遺跡の場所を使用していたことを発見し、現生人類が初期の数回のヨーロッパへの拡散において厳しい寒さの中で活動していたことを明らかにし、特に寒冷環境に適応する能力を有していたという見方を示している。
考古学:ホモ・サピエンスは4万5000年前にはヨーロッパの高緯度域に到達していた
考古学:ホモ・サピエンスの北方への拡大は予想より早かった
今回、現生人類が4万5000年前にアルプス北方のドイツに存在していたことが明らかにされた。
参考文献:
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