岡本隆司『中国史とつなげて学ぶ 日本全史』

 2021年10月に東洋経済新報社より刊行されました。電子書籍での購入です。本書は中国史の視点からの日本通史です。著者の著書をそれなりの数読んできたこともあり、本書の内容について大きな驚きはありませんでしたし、織田信長の評価などとくに前近代の日本史の解釈について疑問に思うところも少なからずありましたが、改めて興味深い見解と思った見解も多く、備忘録としてまとめます。まず本書が指摘するのは、日本はユーラシアにおける草原遊牧世界と定住農耕世界との接触から離れた場所に位置しており、それはヨーロッパ西部も同様だった、ということです。そのため、隋や唐の律令を日本に当てはめることには無理があった、というわけです。ただ、オリエント文化がギリシアとローマを経て連続して伝わったヨーロッパ西部とは異なり、日本はこの文化伝播から取り残されたことも指摘されています。本書は、系統的な日本史の開始を6世紀末以降と把握しています。

 これ以降の日本は、隋と唐の圧力からその「コピー国家」を志向したものの、唐の衰退によりその圧力が弱まり、8~9世紀にかけて「コピー国家」から脱却し土着化していき、それは唐の弱体化によるユーラシア東部の多元化に位置づけられる、というのが本書の見通しです。本書はこれを、「アジア・システム」からの日本の離脱と評価し、9~10世紀頃の温暖化による影響と関連づけています。本書はその前提として、隋や唐の統治体系が気候の寒冷化に対応したものだったことを指摘します。この期間の日本の特徴として、中国とは逆方向の、政治体制の多元化および権威と権力の分岐という二重構造化が指摘されています。

 前近代に関する見解で興味深いのは、日本の「中国離れ」の契機として享保の改革を位置づけていることです。日本では17世紀後半に金銀の枯渇により輸入への依存度の高かった生糸や綿花や茶などの国内生産への転換が進んだ、と本書は指摘しており、その意味で「中国離れ」とは言えるかもしれません。ただ、徳川吉宗が武断政治の復活を試みた、との評価自体は、そうした側面がないわけではないとしても、儒教を気に入らなかった、との評価がどこまで妥当なのか、今後関連文献を読んで考えてみたい問題です。蘭学の導入も「中国離れ」と言えるかもしれませんが、一方で漢学的素養の重要性は幕末まで続くわけで、江戸時代における「中国離れ」との評価の問題は、なかなか難しいところがあるように思います。

 この「中国離れ」が幕末以降に加速した、と本書は指摘します。当時の日本の知識層は、西洋文化を取り入れるにあたって、漢語を用いて翻訳していったわけですが、そこに関わるはずの儒教や中国史と切り離しての翻訳だった、というわけです。これと関連して、近代化における日本の「和魂洋才」は中国の「中体西用」とは似て非なるものだった、と本書は指摘します。「中体西用」はあくまでも中国を中心とすることが前提で、西洋由来のものの使用にさいしては、必ず中国のものに擬えるか、こじつけることが必要だった、というわけです。本書はこれを「附会」と呼んでいます。また本書は、「中体西用」の特徴として担い手の分離・乖離を挙げます。「西用」の担い手は実務家や庶民で、「中体」を体現するのは皇帝など中央の政治家や知識人で、一体化していた「和魂洋才」とは異なる、というわけです。

 近代では、日清修好条規を巡る日清間の思惑の違いが指摘されています。ダイチン・グルン(大清帝国)にとって、日清修好条規の相互不可侵条項には「属国」=朝貢国も対象とされていましたが、日本側は「領地」と解釈し、朝鮮半島は大清帝国の領地ではない、と判断していました。これが、「琉球処分」をめぐる両国の対立ともつながります。本書は、現在も中国は「琉球処分」を認めておらず、つまり沖縄県の存在もそこが日本領であることも肯定していない、と指摘していますが、これも今後関連文献を読んで考えてみたい問題です。そういえば、2000年に九州・沖縄サミットが開催されたさい、日本が中国も招待しようとしたのは、中国に沖縄を日本領と認めさせる意味合いもあった、との解説を当時読んだ記憶があります。

 本書は大日本帝国の破綻を、「脱欧」してみたものの「入亜」できず、対外的自己認識が破綻した結果としての、西洋にもアジアにも属せない結末として把握しており、なかなか興味深いと思います。また中国において、日本による中国侵略の責任を軍部など日本の一部の支配層にのみ負わせる傾向にあるのは、単に政治的思惑だけからではなく、中国自体が一部の支配層とそうではない大多数の民衆との間の激しい乖離を抱える社会構造だからである、との指摘も興味深いものでした。日本は、中国との歴史的過程の違いを考慮して、対中関係を構築していかねばならないのでしょう。現代的な表現を用いれば、日中間の「経路依存性」の違いということでしょうか。

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