大河ドラマ『光る君へ』第1回「約束の月」
いよいよ今年(2024年)の大河ドラマが始まりました。近年は大河ドラマの感想記事を惰性で執筆しているところも多分にありますが、当ブログを始めてから昨年まで17年連続で大河ドラマの初回の感想記事を掲載してきたので、今年も少なくとも初回記事は執筆します。まあこの間の大河ドラマ感想記事の執筆は、2008年放送の『篤姫』は初回だけで、2009年放送の『天地人』は後半で、2013年放送の『八重の桜』は前半で挫折したものの、それ以外は全回の感想記事を掲載してきましたし、本作は大河ドラマの空白期間(関連記事)を埋めるという点でも注目しているので、よほど多忙になるか執筆できなくなるような個人的事情に追い込まれなければ、全回の感想記事を執筆することになるでしょう。
昨年と出演者を比較し、本作にはあまり力が入れられていないのではないか、と疑問に思う長年の大河ドラマ愛好者もいるかもしれませんが、豪華さという点では昨年より見劣りしているとしても、私にとってはなかなか楽しみな配役になっており、配役の点でさほど不安はありません。心配なのは、大河ドラマの空白期間で、同じく大河ドラマの空白期間を舞台としても、来年のように時代劇の定番である江戸時代ではなく、時代劇では滅多に取り上げられない10世紀後半~11世紀前半を対象とするだけに、視聴者に馴染みが薄く、昨年よりもさらに視聴率が低迷するのではないか、ということです。
大河ドラマの空白期間を埋めるという楽しみも、それ故の視聴率低迷という不安もある中でついに放送開始となりましたが、物語は、977年(以下、西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)、安倍晴明が天文を占っている場面から始まります。冒頭で登場するとは、安倍晴明は本作で重要な役割を担うのでしょうか。この後、紫式部(まひろ)の幼少期と家族の様子が少し描かれた後でオープニングとなりましたが、雅な感じの曲ではあったものの、私の平安時代の印象とは異なるものでした。まあ、私の印象にすぎず、話が進んでいけば、作風に合った曲に思えてくるかもしれません。
初回は、下級貴族の紫式部側と上級貴族側の藤原道長(三郎)側の様子が描かれ、主人公と準主人公で時代を多面的に描く構成は、2008年放送の大河ドラマ『篤姫』と通ずるものがあるように思います。今回、市井の人々の様子も描かれ、今後は宋の人々も登場するそうですから、庶民や大陸の視点も描かれることになりそうで、さらに紫式部の越前時代には地方の様子も描かれるでしょうから、こうした多面的描写の試みが成功すれば名作になるのではないか、と期待されます。本作では、紫式部と道長は特別な絆で結ばれていると明かされていますが、今回二人は互いの境遇を知らないままというか偽って出会い、「まひろ」は自分を帝の子、三郎は自分を貴族の子ではないと名乗ります。紫式部は子供の頃から学問に優れているだけではなく、創作の才もある、という描写なのでしょうか。漢籍の素養もすでに三郎より「まひろ」の方が優れており、道長(三郎)の「まひろ」への敬意が、両者の生涯にわたる関係を決定づけるのでしょうか。
今回意外だったのは、主演の吉高由里子氏が出演せず、主人公の「まひろ」はずっと子役だったことです。近年の大河ドラマでは、主役の子供時代を描く場合でも、初回の冒頭で主演が少し先の時代を描いた場面に登場し、遅くとも第2回の最後までに登場することで、主演を全話登場する構成になることが多いように思われるだけに、これには驚きました。初回は、貴族の政争の激しさや重要人物の個性を描き、今後に期待を持たせる内容で楽しめました。紫式部の母親は早くに死亡したと推測されていますが、まさか初回で激昂した藤原道兼に殺されるとは全く予想していませんでした。これにより、長期の連続ドラマとして視聴者をつかむことができたのか、あるいは視聴者が離れてしまうのか、不安もありますが、大河ドラマ存続のためにも、何とか高視聴率を取ってもらいたいものです。
昨年と出演者を比較し、本作にはあまり力が入れられていないのではないか、と疑問に思う長年の大河ドラマ愛好者もいるかもしれませんが、豪華さという点では昨年より見劣りしているとしても、私にとってはなかなか楽しみな配役になっており、配役の点でさほど不安はありません。心配なのは、大河ドラマの空白期間で、同じく大河ドラマの空白期間を舞台としても、来年のように時代劇の定番である江戸時代ではなく、時代劇では滅多に取り上げられない10世紀後半~11世紀前半を対象とするだけに、視聴者に馴染みが薄く、昨年よりもさらに視聴率が低迷するのではないか、ということです。
大河ドラマの空白期間を埋めるという楽しみも、それ故の視聴率低迷という不安もある中でついに放送開始となりましたが、物語は、977年(以下、西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)、安倍晴明が天文を占っている場面から始まります。冒頭で登場するとは、安倍晴明は本作で重要な役割を担うのでしょうか。この後、紫式部(まひろ)の幼少期と家族の様子が少し描かれた後でオープニングとなりましたが、雅な感じの曲ではあったものの、私の平安時代の印象とは異なるものでした。まあ、私の印象にすぎず、話が進んでいけば、作風に合った曲に思えてくるかもしれません。
初回は、下級貴族の紫式部側と上級貴族側の藤原道長(三郎)側の様子が描かれ、主人公と準主人公で時代を多面的に描く構成は、2008年放送の大河ドラマ『篤姫』と通ずるものがあるように思います。今回、市井の人々の様子も描かれ、今後は宋の人々も登場するそうですから、庶民や大陸の視点も描かれることになりそうで、さらに紫式部の越前時代には地方の様子も描かれるでしょうから、こうした多面的描写の試みが成功すれば名作になるのではないか、と期待されます。本作では、紫式部と道長は特別な絆で結ばれていると明かされていますが、今回二人は互いの境遇を知らないままというか偽って出会い、「まひろ」は自分を帝の子、三郎は自分を貴族の子ではないと名乗ります。紫式部は子供の頃から学問に優れているだけではなく、創作の才もある、という描写なのでしょうか。漢籍の素養もすでに三郎より「まひろ」の方が優れており、道長(三郎)の「まひろ」への敬意が、両者の生涯にわたる関係を決定づけるのでしょうか。
今回意外だったのは、主演の吉高由里子氏が出演せず、主人公の「まひろ」はずっと子役だったことです。近年の大河ドラマでは、主役の子供時代を描く場合でも、初回の冒頭で主演が少し先の時代を描いた場面に登場し、遅くとも第2回の最後までに登場することで、主演を全話登場する構成になることが多いように思われるだけに、これには驚きました。初回は、貴族の政争の激しさや重要人物の個性を描き、今後に期待を持たせる内容で楽しめました。紫式部の母親は早くに死亡したと推測されていますが、まさか初回で激昂した藤原道兼に殺されるとは全く予想していませんでした。これにより、長期の連続ドラマとして視聴者をつかむことができたのか、あるいは視聴者が離れてしまうのか、不安もありますが、大河ドラマ存続のためにも、何とか高視聴率を取ってもらいたいものです。
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