イタリア東部アルプスの古代末期~中世初期の被葬者のゲノムデータ
取り上げるのが遅れてしまいましたが、イタリア東部アルプスの古代末期~中世初期の被葬者のゲノムデータを報告した研究(Coia et al., 2023)が公表されました。本論文は、イタリア東部アルプスの1ヶ所の墓地で発見された、古代末期~中世初期の20個体(4~7世紀)のゲノムデータを報告し、その遺伝的構成と親族関係を分析しています。その結果、この20個体の遺伝的構成は均一ではない、と示されました。この期間のイタリア東部アルプスは考古学的記録から文化的混成が進んだと推測されており、そうした文化的混成には人々の移動と遺伝的混合が伴っていたようです。人々の遺伝的構成と文化との関係は複雑で一様ではなく(関連記事)、単純化して特定の遺伝的構成の集団と文化とを安易に関連づけてはならないのでしょう。
●要約
イタリア東部アルプスの南チロルでは古代末期~中世初期に、考古学的記録がさまざまな起源のアルプスの集団および人々の間の文化的混成を示唆しています。古ゲノミクスを用いて、1ヶ所の墓地で発見された20個体(4~7世紀)の祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)が再構築され、この20個体が不均質なのか均質なのか分析され、その社会組織が調べられました。その結果、ヨーロッパ南部からの主要な遺伝的祖先系統、およびヨーロッパ南西部と西部と北部からの追加の祖先系統が明らかになり、文化的混成には複雑な遺伝的混合が伴っていた、と示唆されました。親族関係分析では、副葬品を伴って埋葬されたわずか2個体間の遺伝的近縁性が見つかりませんでした。代わりに、父親と息子の組み合わせが1ヶ所の複葬墓で発見され、無関係の個体群と地元民ではないかもしれない女性1個体が伴っていました。これらの遺伝学的調査結果は、高い社会的地位の家系を示唆しており、それは文化的資料および教会の最も神聖な場所に墓が近いことにより裏づけられます。
●研究史
先史時代以降、とくにローマ期から中世初期(3~11世紀)以降、南チロルを含むイタリア東部アルプス(図1A)は、ヨーロッパの南北間の架け橋として重要な役割を果たしました。イザルコ(Isarco)/エイザック(Eisack)およびアディジェ(Adige)/エッチュ(Etsch)という二つの広大な渓谷のおかけで、この領域は人々とモノと着想の南北の経路に道を提供しました。以下は本論文の図1です。
南チロルでは、ローマ人の下での長期の政治的安定と社会文化的均質性(「ローマ化」過程)に続いて、地元の考古学的調査結果はおもに6世紀のものと示唆しています。紀元後には、社会が変わり、ヨーロッパ北部および東部のさまざまな人々(たとえば、バヴァリア人やフランク人やランゴバルド人やスラブ人)がこの地域に到達しました。したがって、墓地内のさまざまな物質文化(たとえば、副葬品)や社会的地位の混合を示す局所的な葬儀状況により証明されているように、文化的混成の複雑な過程がこの地域で起きました。
南チロルのさまざまな墓地で発見された数人の古代末期~中世初期(Late Antiquity-Early Middle Age、略してLA-EMA)の個体から得られた最近の全ミトコンドリアDNA(mtDNA)および炭素(C)や窒素(N)や硫黄(S)の安定同位体(δ¹³C、δ¹⁵N、δ³⁴S)の結果から、外来の人々との遺伝的交換があり、この地域においてその程度はさまざまであるものの、恐らくは移動パターンと地形的および歴史的要因における違いと関連していた、と示唆されました。一方で、アルプスの標本からの古代人の核ゲノムデータは本論文の前には、先史時代の3個体(関連記事1および関連記事2)を除いて利用可能ではありませんでした。
一般的に、LA-EMAのとくにヨーロッパ南部とイタリアの人々のゲノム構造と親族関係(本論文では生物学的近縁性として用いられます)については、ほとんど知られていません。さらに、単一の墓地の埋葬された個体群に焦点を当てた古代に関する研究は、この種の調査が局所的な考古学的情報に手にして古遺伝学的データのより適切な解釈に役立てるにも関わらず、ほとんどありません。
ランゴバルド文化と関連している、イタリア北部のコレーニヨ(Collegno)遺跡とハンガリーのソラッド(Szólád)遺跡というヨーロッパのそれぞれ南部と中央部の2ヶ所の中世初期墓地で行なわれた古ゲノム研究(関連記事)は、この点でひじょうに重要な貢献をしました。その研究では、2ヶ所の墓地は男性優位の生物学的親族関係集団を中心に沿破棄されており、両墓地の個体群はさまざまな祖先系統を有しているものの、おもにヨーロッパ中央部および北部の祖先系統を有していた、と明らかになりました。
異なる文化的状況からの別の墓地に基づく研究が、ドイツ南部のニーダーシュトツィンゲン(Niederstotzingen)遺跡のアレマン人墓地で行なわれ、7世紀初期にまでさかのぼります(関連記事)。少数の個体に基づいていますが、その研究さまざまな祖先系統を明確に明らかにしており、一部の個体は遺伝的にヨーロッパ北部および東部の人口集団とより関連していましたが、他の個体はヨーロッパ南部の人口集団とより関連していました。その研究ではさらに、親族関係と仲間意識が同等に保たれていた、と示唆されました。
本論文では、21点の標本のゲノムが分析されました(ショットガンデータに加えて4点の標本での核捕獲)。この標本は、南チロルの北西部地域のヴェノスタ(Venosta)/フィンシュガウ(Vinschgau)渓谷に位置する、マレス・ブルグシオ・サント・ステファノ(Malles Burgusio Santo Stefano)/マルス・サン・ステファン・オブ・ブルグシオ(Mals St. Stephan ob Burgeis)遺跡(略してBSS)のLA-EMA墓地(海抜1364m)に埋葬されていました。考古学的記録から、この埋葬遺跡は第1段階から第3段階まで複数の建設段階を経た(表1)、と示唆されています。埋葬された個体群の年代は4~7世紀で、単一もしくは複数の骨格とともにさまざまな類型の墓で見つかり、ほぼ関連する文化的資料なしで埋葬されていました。2基の墓のみに副葬品があり、ゲルマン様式の複数の帯が含まれていました。さらに、1ヶ所の複葬(T.2)には生物学的に関連している高位個体がある、と示唆されてきました。
古遺伝学的データを用いて、BSS墓地のアルプス個体群の祖先系統とその生物学的関係が再構築され、その社会組織の理解に寄与します。より具体的な研究上の問題は以下の通りで、(1)この個体群は均質な遺伝的祖先系統を示すのか、もしくはより混合した遺伝的祖先系統を示すのか、(2)ゲノムデータは考古学的記録により示唆されるように墓地における親族関係の存在を示唆するのか、また副葬品のある2個体は相互と関連しているのか、(3)本論文の結果とイタリアおよびヨーロッパ中央部の同じ期間の他の墓地の個体群から得られた結果との間に違いおよび/もしくは類似性があるのか、ということです。本論文は、この研究で生成された核の古代DNA結果を古代ミトコンドリアゲノムデータと統合し、同じ個体の利用可能な安定同位体比(δ¹³C、δ¹⁵N、δ³⁴S)と人類学的および考古学的情報を考慮して、遺伝的データを考察します。
●親族関係と性別と片親性遺伝標識
古代DNAの信頼性の基準に従って、古代DNAの典型的な損傷パターン、ひじょうに断片的な読み取り、mtDNAとX染色体のデータを用いて推定された現代人からの程度の汚染を示した20点の標本に、分析は限定されました。ヒトの読み取りの範囲は7~73%でしたが、平均ゲノム網羅率の範囲は0.021~1.97でした。分子性別分析は男性(XY)15個体と女性(XX)5個体を明らかにし、人類学的検査に基づくと性別を決定できなかった乳児2個体が含まれます。
親族関係分析が3通りの手法で実行され、BSSのLA-EMA墓地における親族関係のある3組が推定され、その中には、1基の複葬墓(T.2)から分析に成功した5点の標本のうち4点と、単葬墓(T.5)の標本1点が含まれます。じっさい、T.2墓の成人男性2個体(帯の一部とともに埋葬された2149号と2423号)は1親等水準の親族関係と分かり、ある手法(KIN)は具体的に1組の親子関係を検出しました。個体2423号は、同じ墓の成人女性1個体と2親等(TKGWV2)もしくは3親等(KIN)の近縁性を示しました。最後の親族関係は、T.2墓の別の成人男性(2417号)との間で見つかり、2147号は墓地T.5の男性(2404)と2親等水準で関連していました(つまり、オイ/メイとオジ/オバか、祖父母と孫か、両親の一方のみを同じくする半キョウダイ)。BSS墓地の残りの全個体は、副葬品のある男性2個体(2423号と2069号)を含めて遺伝的には、少なくとも3親等まででは密接に関連しておらず、3親等は、適用された手法により検出可能な上限水準です。
この研究で生成されたデータに基づく父系のY染色体ハプログループ(YHg)と母系のmtDNAで利用可能なmtDNAハプログループ(mtHg)の分析は、BSS個体間の両親の関係に関するさらなる情報を追加しました。じっさい、YHgの分類では親族関係にある男性(2419号と2423号)の最初の組み合わせでは、YHg-J(M304)の同じ派生的変異(グアニンからアデニンへの置換)が見つかり、残りの組み合わせ(2417号と2404号)ではYHg-R1b1a2a1a2b1c2∗が見つかりました。それにも関わらず、後者の組み合わせは最後の変異で異なっており、それは標本2417号ではR1b1a1b1a1a2b1c2b1aを定義する変異(A1168、チミンからシトシンへの置換)、他の標本ではR1b1a1b1a1a2b1c2を定義する変異(S8183、グアニンからチミンへの置換)でした。しかし、標本2404号で見つかったYHg-R1b1a1b1a1a2b1c2よりも派生的な亜系統を定義する一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)は検出されず、それはこの部位における読み取りの欠如もしくは低品質のデータに起因するので、標本2404号が標本2417号と同じYHgを有していた可能性を除外できません。
さらに、mtDNAデータから、男性の2組は異なるmtHg(一方は、2419号がHで2423号がH1eだったのに対して、もう一方は、2404号がN1a1a1a1で2417号がJ1c3c)明らかに有していた、と示されました。一方で、複葬のT.2墓の組み合わせ(男性の2423号と女性の2418号)は同じmtHg-Hを同一のハプロタイプ(変異部位は、263G、310.1C、750G、1438G、4080C、4769G、8860G、15326G、16519C8)で有していました。本論文の親族関係分析によると親族関係にない残りの男性のYHgは、J∗、E1b∗、G2a∗、I∗、R1∗、R1b∗、R1a∗でした。これらの男性は異なるmtHgもしくは同じmtHgの多様なハプロタイプも有しており、たとえば、2422号と2424号ではmtHg-H1、2419号と2425号ではmtHg-H1eです。
さらに、BSS個体群におけるmtDNA系統の分布の分析は、性別間のいくつかの違いを明らかにしました。じっさい、女性で見つかった母系となるmtHg(K1a4、T2k、J2a1a)は、男性(H1e、H1q、H3ap、H3b+16129、H5、H27+16093、H39、I2、J1c3c、N1a1a1、U5b2a3、U8a1a1)では決して見つからず、基底的なmtHg-HおよびH1系統を除いて、逆も同様です。デイヴィッド・ライク(David Reich)研究室のウェブページ(2022年11月の第54.1版)で利用可能なデータセットに従い、本論文で分析されたアルプスの標本と同じ期間の頃の古代の個体群を考慮すると、BSS墓地女性で見られるmtDNA系統は他にわずか数個体で観察されるだけで、そのほとんどはヨーロッパ北部のヴァイキング期とイタリアのローマ帝政期とドイツの中世後期で見られるものです。一方で、BSS墓地男性で見られる母系(mtHg)は、ヨーロッパの北部と南部~西部と中央部と南部(イタリア)の多くの他の古代の個体で検出されてきており、その中にはドイツとハンガリーとイタリアの中世初期の標本数点が含まれます。
●BSS墓地の個体群のゲノム構造
BSS墓地の親族関係にない18個体とヨーロッパおよび中東の現在の人口集団との間のゲノム関係が、主成分分析(principal component analysis、略してPCA)により調べられました。親族関係にある個体のうちより低い網羅率の標本2点(2417号と2423号)は、比較分析から除外されました。アルプスの個体のほとんどのゲノム多様性は、さらに離れている1個体(2427号)とともに、ヨーロッパ南部(トスカーナ州のイタリア北部および中央部)と南西部(イベリア半島)の現在の人口集団のゲノム多様性と重複します。しかし、5点の標本(2069号、2422号、2429号、2430号、2324号)は、ヨーロッパ西部(フランス)および北部(イギリス)の現代の個体群のゲノム多様性の方により近い位置に動いています(図2A)。以下は本論文の図2です。
ADMIXTUREによる教師なしクラスタ化(まとまり)分析が、分析された中世標本の祖先人口集団の代理として使用できる、現在の人口集団のゲノムデータを用いて計算されました。分析の結果、アルプス個体群の遺伝的構造はヨーロッパ人、とくにTSI(イタリア中央部のトスカーナ人)とIBS(イベリア半島人)のゲノム要素で構成されており、FIN(フィンランド人)からの構成要素は小さい、と示されました。この場合のADMIXTUREでは、K(系統構成要素数)=5および6で同じ最小交差検証誤差となりました。
古代BSS墓地標本のヨーロッパ祖先系統をさらに調べるため、教師有モデルに基づくクラスタ化分析(K=4)が現代ヨーロッパの参照人口集団で実行され(図2B)、その内訳は、TSIとIBSとFINとCEU(ヨーロッパ北部および西部の祖先系統を有するアメリカ合衆国ユタ州住民)とGBR(イギリス人)です。CEUとGBRはGBRと命名された1集団とみなされました。教師なしクラスタ化分析およびPCAと一致して、BSS墓地の本論文で分析されたLA-EMA個体群における主要な遺伝的構成要素はTSIで、TSIは本論文の標本全てに存在し(平均66.6%)、IBSがそれに続き(平均18.3%)、以下GBR(平均12.8%)、FIN(平均2.3%)となります。BSS個体群は、相対的な祖先系統の量に基づいて異なる4色の集団へと大まかに分類されました(図2B)。
BSS墓地の標本3点(2069号、2418号、2419号)は90%以上(93~98%)のTSI構成要素を示し、TSI的と分類されます。6個体(2068号、2404号、2424号、2425号、2426号、2428号)はおもにTSIおよびIBS祖先系統の組み合わせを示し、TSI+IBS的と分類されます。4個体(1895号、2405号、2420号、2422号)はTSIおよびGBR祖先系統の組み合わせを示し、TSI+GBR的と分類されます。残りの個体(2067号、2427号、2430号、2324号、2429号)は、さまざまな組み合わせと割合でTSIとのより混合した祖先系統を示し、TSI+GBR/IBS/FIN的と分類されます(図2B)。
全体的に、現在の人口集団のゲノム多様性との比較に基づく本論文の結果は、イタリア北部(コレーニヨ遺跡)とハンガリー(ソラッド遺跡)の同時代の他の2ヶ所の墓地で見つかった個体で得られた結果とは異なっています。じっさい、教師有クラスタ化分析に基づくと、この両墓地の標本で見つかった主要な遺伝的構成要素はCEU+GBR(57~64%)で、TSI(25~33%)がそれに続きました。
本論文の結果をこの先行研究の結果とより適切に比較するため、アルプス標本の使用により(親族関係の有無両方で)、コレーニヨおよびソラッド遺跡の個体とともに、先行研究(関連記事)と同じデータセットを用いて、再び教師有クラスタ化分析(K=7)が実行されました。このデータセットには、現代ヨーロッパの参照5人口集団に加えて、ユーラシアとアフリカの現代人のゲノムデータが吹決められました。その結果、TSI+IBS的およびTSI+GBR的ではなく、TSI的およびTSI+IBS/GBR的な祖先系統と分かった標本2404号および1895号を除いて、上述のように、本論文のデータセットで得られた結果が確証されました(図2B)。さらに、この結果は、本論文の上述の分析から除外された親族関係にある2個体(2417号と2423号)の祖先系統を示し、2417号はTSI+GBR的祖先系統、2423号はTSI的祖先系統でした。これは、ほとんどおもにヨーロッパ中央部および北部祖先系統を有していた、コレーニヨ遺跡の他の個体とは異なります。
BSS墓地個体間の遺伝的関係を形式的に検証するため、ショットガンデータのみの使用により、f₃形式(ヨルバ人:BSS1、BSS2)の外群f₃統計が実行されました。得られた値はヒートマップで視覚化されました。モデルに基づくクラスタ化分析と一致して、より多くの混合祖先系統(TSI+GBR/IBS/FIN的)を有する個体群(図2B)は、ヒートマップ図ではより赤みが勝った色のクラスタを形成する傾向にあります。じっさい、標本5点(2430号、2429号、2067号、2427号、2420号)は、自身の間でより多くの遺伝的類似性を、明確には遺伝的に区別されない残りの標本と比較してより少ない遺伝的類似性を示します。標本1点(2420号)を除いて、残りの標本4点は、その最高のゲノム類似性を説明できる、同じ異なる3祖先系統を共有していました、しかし、f₃統計はBSS標本間の大きな違いを示すだけで、微妙な違いを浮き彫りにはできず、これは恐らくこの分析で利用可能なSNPが少数であることに起因します。以下の結果の解釈は、おもにクラスタ化分析によるBSS標本の分類に基づいています。
個体群のゲノム多様性に関する追加の指標は、一部の男性におけるY染色体系統の分布により提供されます。たとえば、ヨーロッパ南部、とくにイベリア半島とイタリア半島に現在分布しているYHg-E1b1b1と、アラビア半島と地中海とイタリア半島中央部および南部を含めてのヨーロッパ南部で見られるYHg-J(M304)は、TSI的もしくはTSI+IBS的祖先系統の個体にしか存在しません。一方で、現在ヨーロッパ中央部および西部に分布している、YHg-I2a2a1b∗もしくはR1b1a∗や、ほぼコーカサスとヨーロッパ中央部とイタリアに分布しているYHg-G2a∗は、より混合した祖先系統を有する個体群で見つかりました(表1)。
本論文の結果から、個体の祖先系統と様々な墓地の分布もしくは埋葬地のさまざまな建設段階を指す年代順の段階との間に明確な関係はない、と浮き彫りになりました(図3)。複葬墓T.2(第3段階)には、主にヨーロッパ南部祖先系統を有する個体のほとんどが埋葬されており、これらの個体は遺伝的に相互と関連してもいました。さらに、複葬墓T.2にはより多くの混合した祖先系統(TSI+GBR的)を有する2個体も埋葬されており、一方は成人女性(2422号)、もう一方は男性(2417号)で、どちらも他の個体と生物学的関係を有していませんでした(図3)。より多くのヨーロッパ南部祖先系統を有する他の個体(2069号)のみが区画8に埋葬されて行幕下が、ヨーロッパ北部からの相対的祖先系統の割合は約7%で、図2AのPCA図における中間的位置を説明できるかもしれません。以下は本論文の図3です。
アルプスのBSS標本のゲノム構造に関する追加の情報は、他の古代の個体群のデータを用いて実行された教師なしクラスタ化分析により提供され、その中には、現代ヨーロッパ人の遺伝的構成に寄与した、主要な先史時代集団の個体群が含まれます。それは、中石器時代狩猟採集民、アナトリア半島とイランの新石器時代農耕民、ポントス・カスピ海草原(ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)の牧畜民です。全体的に、K=4での分析から、BSS標本はアナトリア半島の農耕民と関連する新石器時代構成要素を高い割合(全標本で平均55.9%)で保持している、と示され、現代人のデータを使用した比較分析に関する結果と一致するより多くのヨーロッパ南部祖先系統が示唆されます。新石器時代構成要素に続くのは、ポントス・カスピ海草原からの青銅器時代牧畜民と関連する構成要素(ヤムナヤ文化関連、平均36.2%)、イラン農耕民(3.5%)、最後に狩猟採集民と関連する構成要素(4.4%)です。
最後に、BSS標本がヨーロッパの他の古代人のゲノムとともに、現在の人口集団のゲノムデータを用いて実行されたPCAに投影されました(図4)。少数の標本(2068号、2425号、2405号、とくに2427号)は、サルデーニャ島古代人を含めてイタリアとヨーロッパ南西部の先史時代個体群(青銅器時代と鉄器時代)のゲノム多様性の方へとより動いており、恐らくはこれらBSS標本のゲノムにおけるアナトリア半島の農耕民にのみ由来する新石器時代構成要素の高い割合(62.5~66.3%)の結果です。これは、ヨーロッパ人においてアナトリア半島農耕民構成要素を最高の割合で保持しているサルデーニャ島現代人の方により近い、図2AのPCA図における標本2427号の位置も説明できます。以下は本論文の図4です。
しかし、残りの全てのBSS標本はさまざまな期間と起源の個体群とのゲノム類似性を示します(図4)。これらには、ハンガリーのランゴバルド人の外れ値1および2やイタリア北部の中世初期のランゴバルド人第2群など混合祖先系統を有するヨーロッパ中央部とイタリア北部のランゴバルド人集団と、ヨーロッパ中央部起源を有するイタリア中央部の中世初期~現代のより最近の標本と、ヨーロッパ中央部および西部の先史時代(青銅器時代と鉄器時代)の標本が含まれ、さらに、本論文の結果から、ヨーロッパ中央部および北部のヨーロッパ古代人の遺伝的多様性に向かって図では動いているBSS墓地の5個体(2324号、2069号、2422号、2429号、2430号)は一貫して、大ブリテン島の古代人および現代人とのより多くの遺伝的類似性を示す、草原地帯関連構成要素をより高い割合(約44~60%)で保持している、と示されます(図2A)。
最後に、少数のBSS墓地個体(2419号と2426号)はイラン新石器時代関連構成要素を有意な割合(それぞれ、11.4%と8.6%)で示しておりローマ帝政期イタリア(1~400年)のゲノム差異に向かっての図での動きを説明できます。じっさい、イタリア中央部帝政期の個体群は、ローマ期における地中海地域からの集団との混合により説明されるイラン新石器時代関連祖先系統を高水準で保持しています(関連記事)。
●考察
古遺伝学的調査を通じて、イタリア東部アルプスのBSSのLA-EMA墓地の個体群の祖先系統と親族関係が再構築されました。ゲノム解析は20個体に焦点を当て、この20個体は墓地で発掘された埋葬された個体の最小合計数の約60%を表しています。
分子的性別分類は乳児2個体の生物学的性別を決定し、1例を除いて人類学的推定を確証したので、女性と比較して男性のより高い割合の人口統計学的特性が確証されました。女性の少なさは、他のヨーロッパの葬儀状況や、南チロルを含めていくつかのLA-EMAのイタリアの墓地で記録されてきました。じっさい、BSS墓地のあるヴェノスタ渓谷における最近の人類学的研究では、成人のうち女性はわずか3.5%で、男性は17.3%だった(合計再少数は52個体)、と明らかにされました。しかし、この性比の歪みの背後にある理由は依然として議論になっており、これの議論には、女性もしくは社会的地位に基づく選択専用地区の存在のような、意図的な葬儀慣行の仮説が含まれます。
興味深いことに本論文は、mtDNA水準でのBSS墓地の個体間のいくらかの違いを示唆し、男女の異なる母系の遺伝的歴史が提案されます。本論文の重要な結果は、アルプス被葬者のゲノムにおける高度に不均一な祖先系統に関するもので、一部の個体の異なる起源や遺伝的交換の可能性が示唆されます。じっさい、BSS墓地の全個体はヨーロッパ南部現代人の主要な祖先構成要素を示しているものの、追加で、その個体のほとんどに、さまざまな地理的地域、とくにヨーロッパの南西部と西部と北部に分布している人口集団からの祖先系統の追加があります。
残念ながら、現在のアルプス個体群の比較できる核データは利用可能ではなく、より局所的な水準での古代と現代のアルプス集団間の可能な比較を妨げています。しかし、現在のイタリア東部アルプス人口集団の高い遺伝的多様性は、常染色体とmtDNAの低解像度データにより検出されてきました。先史時代集団を含む他の古代人のゲノムとの比較分析も、おもにヨーロッパ南部からのゲノム祖先系統を示唆しました。さらに、比較分析ではさまざまな期間(青銅器時代から現代)と地理的起源とイタリア北部のランゴバルド人などの文化的集団の標本とのBSS墓地のアルプス個体群のゲノム類似性における違いが証明され、ランゴバルド人は混合祖先系統もしくはハンガリーもしくはブリテン島のヴァイキングからの祖先系統を有していました。
分析されたアルプス個体群における安定同位体値(δ¹³C、δ¹⁵N、δ³⁴S)を通じて、さらなる指標が提供されました。δ¹³Cおよびδ¹⁵N比は、動物性タンパク質の多い陸生に基づく食性を示唆しており、ヴェノスタ渓谷の他の古代の個体群とのデータの比較は、BSS墓地における外れ値の存在を示唆しません。移動性に関する情報はδ³⁴S安定同位体分析から得られ、単一の外れ値(5~7歳の2324号)を示しました。他の一例は複葬墓T.2から発掘された女性(30~35歳の2422号)かもしれず、この女性の示した硫黄値(+5.56‰)は、BSS遺跡の動物相の基準(+6.86±0.8‰)からわずかに逸れており、異なる起源の可能性を示唆しています。興味深いことに、2422号はヨーロッパ北部からの相対的な祖先系統の最高の割合(51.5%)も示しています。これらの結果から、BSS墓地の移送された個体のほとんどは、調査されたアルプス地域外からの移民ではなく、地元出身だった可能性が高い、と示唆されます。
さらに、本論文の調査結果から、さまざまな起源の他集団との複雑な遺伝的交換が南チロルで起きた、と示唆されます。これらの観察は、人口集団間の接触地域としてのイタリア東部アルプスを確証しました。それにも関わらず、そうしたゲノムの複雑さが比較的孤立したアルプス渓谷に位置する小さな墓地(海抜1364m)で見られることは、同位体とミトコンドリアゲノムのデータに関する先行研究が、たとえばイザルコ渓谷など南チロルの他の場所と比較して、ヴェノスタ渓谷におけるより低い移動性と遺伝的交換示唆したことも考慮すると、注目に値します。
本論文の追加の結果は、墓地の全ての埋葬された個体間の密接な遺伝的近縁性の一般的な低水準に関するものです。しかし、考古学的解釈と一致して、親族関係はおもに、墓地建設の発展段階(第3段階)にさかのぼることができる、複葬墓T.2の個体群を含んでいる(図3)、と分かりました。とくに、この複葬墓では、本論文の調査も、親族関係の有無両方がある構成員の社会的集団である、高位家系の存在を明らかにしました。じっさい、親族関係と片親性遺伝標識(母系のmtDNAと父系のY染色体)では、同じY染色体ではあるものの異なるmtHgで、これらは、同じT.2墓の帯を有する男性(2423号、死亡時年齢は40歳くらいで、年代は557~634年頃)と別の男性(2419号、死亡時年齢は40~50歳くらいで、年代は428~567年頃)との間の、父親と息子の関係を裏づけました。考古学的記録によると、個体2423号は墓に埋葬された最後の死者の一人だったので、2423号が2419号の息子と推測できます。さらに、2423号は同じT.2墓の女性(2418号、死亡時年齢は25~30歳くらい)と2親等もしくは2親等の水準で母系でも親族関係にあり、2418号の骨格遺骸は、墓の底の二次堆積で見つかりました。
T.2墓では、遺伝的に親族関係にない、混合祖先系統を有する2個体も存在しました。一方の個体(2417号、死亡時年齢は50歳超)は、墓地建設の初期段階(第1段階)とされる単葬墓T.5に埋葬されていた別の個体(2404号、死亡時年齢は35~40歳くらいで、年代は387~532年頃)と2親等の父系親族関係を示します。もう一方の個体は外部起源かもしれない女性(2422号)で、2419号の息子と推測される帯のある個体(2423号)の隣に埋葬されていました。この2点の骨格は、相互に仰向けの姿勢で見つかりました。考古学的記録に基づくと、この女性はその型が男性の型の上部に位置していたので、最後に埋葬された可能性が高く、両者間の密接な関係が示唆されます。親族関係の結果からも、すでに4世紀までには、この特権的な家系は墓地に埋葬されていた、と示唆されました。それは、男性個体(2404号)が第1段階(4~5世紀)に埋葬されたのに対して、他者は教会のその後の段階(7世紀)に埋葬されていたからです(図3)。
T.2墓に埋葬された個体の威信は、男性個体(2423号)に共伴していた複数の帯の存在と、協会の最も権威がある区域となる祭壇近くの墓の位置により示唆されます。じっさい、教会時代の構造が、墓の空間を作るために変更されました。複数の帯の一部とともに見つかった他の唯一の個体(2067号)も、祭壇近くのT.3墓で回収されました。興味深いことに、この男性(2067号)の骨格遺骸が第2段階においてT.3墓へと意図的に動かされたのに対して、T.2墓はその後の第3段階において同じ区域に位置していました。したがって、T.3墓の個体は、高位家系との親族関係なしに、同様に指導的階級に属していたかもしれません。両墓(T.2とT.3)で見つかった帯に関して、人類学的解釈では、これらの物は恐らく土井南部の高い社会的地位の個体によりもたらされたか、地元のローマ化した個体群により文化的に獲得されたかもしれない、と示唆されています。検証困難ですが、全体的に本論文の結果は、そうした副葬品の文化的獲得を示唆しているかもしれません。以下は本論文の要約図です。
最後に、本論文は、中世初期におけるヨーロッパ南部の共同体の社会組織に関する知識を強化します。本論文は、単一の墓に基づく同じ期間の先行研究(関連記事)と比較しての、興味深い違いと類似性を浮き彫りにしました。じっさい、イタリア北部(コレーニヨ遺跡)とハンガリー(ソラッド遺跡)における他の2ヶ所の墓地では、先行研究は、個体のほとんどがおもにヨーロッパ中央部/北部祖先系統を有しており、恐らくはヨーロッパ中央部からの移民で、拡大親族関係を示した、と明らかにしました。代わりに、ドイツ南部のニーダーシュトツィンゲンの中世初期遺跡と比較すると、12基の墓から発掘された個体はさまざまな起源の集団との遺伝的類似性と、BSS墓地との類似の家族構造を示しました(関連記事)。
それにも関わらず、ゲノムデータのさまざまな解像度と葬儀状況における違い(たとえば、BSS遺跡の事例のような教会の中および周辺の墓地に対して、ニーダーシュトツィンゲン遺跡の事例のようなローマの十字路近くの墓地)は、文化的集団の多様性とともに、考慮されねばなりません。じっさい、考古学的データだけでは、BSS墓地における明確な文化的集団を定義できません。代わりにこれは、ランゴバルド人の葬儀慣行と物質文化の発見のおかげでのコレーニヨ遺跡(ランゴバルド人の墓地)と、アレマン人集団に帰属するウマおよび軍事装備と、その地理的地域の当時のアレマン人の存在に関する歴史的証拠の明確な裏づけのおかげでのニーダーシュトツィンゲン遺跡(アレマン人の墓)の両方で、可能でした。しかし、本論文は他の研究と同様に、中世初期の同じ墓地内の高度な遺伝的複雑さを確証し、より詳細な規模での古代人のゲノムの差異の研究の重要性を示します。
●この研究の限界
全体的に、本論文の調査結果は、LA-EMAアルプス個体群と異なる起源の他集団との間の複雑な遺伝的交換を示唆します。しかし、これらの交換の範囲と時期は、本論文では確認できません。さらに、利用可能なSNP数の少なさとデータの種類(ショットガン)のため、より定量的な分析によるBSS墓地標本間の微妙な違いの検出ができません。これらの点は、より多くの遺跡のより古い標本と同じアルプス地域の現在の個体群からのゲノムデータを含めて、より高解像度のゲノムデータでさらに調査される必要があるでしょう。
参考文献:
Coia V. et al.(2023): Ancestry and kinship in a Late Antiquity-Early Middle Ages cemetery in the Eastern Italian Alps. iScience, 26, 11, 108215.
https://doi.org/10.1016/j.isci.2023.108215
●要約
イタリア東部アルプスの南チロルでは古代末期~中世初期に、考古学的記録がさまざまな起源のアルプスの集団および人々の間の文化的混成を示唆しています。古ゲノミクスを用いて、1ヶ所の墓地で発見された20個体(4~7世紀)の祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)が再構築され、この20個体が不均質なのか均質なのか分析され、その社会組織が調べられました。その結果、ヨーロッパ南部からの主要な遺伝的祖先系統、およびヨーロッパ南西部と西部と北部からの追加の祖先系統が明らかになり、文化的混成には複雑な遺伝的混合が伴っていた、と示唆されました。親族関係分析では、副葬品を伴って埋葬されたわずか2個体間の遺伝的近縁性が見つかりませんでした。代わりに、父親と息子の組み合わせが1ヶ所の複葬墓で発見され、無関係の個体群と地元民ではないかもしれない女性1個体が伴っていました。これらの遺伝学的調査結果は、高い社会的地位の家系を示唆しており、それは文化的資料および教会の最も神聖な場所に墓が近いことにより裏づけられます。
●研究史
先史時代以降、とくにローマ期から中世初期(3~11世紀)以降、南チロルを含むイタリア東部アルプス(図1A)は、ヨーロッパの南北間の架け橋として重要な役割を果たしました。イザルコ(Isarco)/エイザック(Eisack)およびアディジェ(Adige)/エッチュ(Etsch)という二つの広大な渓谷のおかけで、この領域は人々とモノと着想の南北の経路に道を提供しました。以下は本論文の図1です。
南チロルでは、ローマ人の下での長期の政治的安定と社会文化的均質性(「ローマ化」過程)に続いて、地元の考古学的調査結果はおもに6世紀のものと示唆しています。紀元後には、社会が変わり、ヨーロッパ北部および東部のさまざまな人々(たとえば、バヴァリア人やフランク人やランゴバルド人やスラブ人)がこの地域に到達しました。したがって、墓地内のさまざまな物質文化(たとえば、副葬品)や社会的地位の混合を示す局所的な葬儀状況により証明されているように、文化的混成の複雑な過程がこの地域で起きました。
南チロルのさまざまな墓地で発見された数人の古代末期~中世初期(Late Antiquity-Early Middle Age、略してLA-EMA)の個体から得られた最近の全ミトコンドリアDNA(mtDNA)および炭素(C)や窒素(N)や硫黄(S)の安定同位体(δ¹³C、δ¹⁵N、δ³⁴S)の結果から、外来の人々との遺伝的交換があり、この地域においてその程度はさまざまであるものの、恐らくは移動パターンと地形的および歴史的要因における違いと関連していた、と示唆されました。一方で、アルプスの標本からの古代人の核ゲノムデータは本論文の前には、先史時代の3個体(関連記事1および関連記事2)を除いて利用可能ではありませんでした。
一般的に、LA-EMAのとくにヨーロッパ南部とイタリアの人々のゲノム構造と親族関係(本論文では生物学的近縁性として用いられます)については、ほとんど知られていません。さらに、単一の墓地の埋葬された個体群に焦点を当てた古代に関する研究は、この種の調査が局所的な考古学的情報に手にして古遺伝学的データのより適切な解釈に役立てるにも関わらず、ほとんどありません。
ランゴバルド文化と関連している、イタリア北部のコレーニヨ(Collegno)遺跡とハンガリーのソラッド(Szólád)遺跡というヨーロッパのそれぞれ南部と中央部の2ヶ所の中世初期墓地で行なわれた古ゲノム研究(関連記事)は、この点でひじょうに重要な貢献をしました。その研究では、2ヶ所の墓地は男性優位の生物学的親族関係集団を中心に沿破棄されており、両墓地の個体群はさまざまな祖先系統を有しているものの、おもにヨーロッパ中央部および北部の祖先系統を有していた、と明らかになりました。
異なる文化的状況からの別の墓地に基づく研究が、ドイツ南部のニーダーシュトツィンゲン(Niederstotzingen)遺跡のアレマン人墓地で行なわれ、7世紀初期にまでさかのぼります(関連記事)。少数の個体に基づいていますが、その研究さまざまな祖先系統を明確に明らかにしており、一部の個体は遺伝的にヨーロッパ北部および東部の人口集団とより関連していましたが、他の個体はヨーロッパ南部の人口集団とより関連していました。その研究ではさらに、親族関係と仲間意識が同等に保たれていた、と示唆されました。
本論文では、21点の標本のゲノムが分析されました(ショットガンデータに加えて4点の標本での核捕獲)。この標本は、南チロルの北西部地域のヴェノスタ(Venosta)/フィンシュガウ(Vinschgau)渓谷に位置する、マレス・ブルグシオ・サント・ステファノ(Malles Burgusio Santo Stefano)/マルス・サン・ステファン・オブ・ブルグシオ(Mals St. Stephan ob Burgeis)遺跡(略してBSS)のLA-EMA墓地(海抜1364m)に埋葬されていました。考古学的記録から、この埋葬遺跡は第1段階から第3段階まで複数の建設段階を経た(表1)、と示唆されています。埋葬された個体群の年代は4~7世紀で、単一もしくは複数の骨格とともにさまざまな類型の墓で見つかり、ほぼ関連する文化的資料なしで埋葬されていました。2基の墓のみに副葬品があり、ゲルマン様式の複数の帯が含まれていました。さらに、1ヶ所の複葬(T.2)には生物学的に関連している高位個体がある、と示唆されてきました。
古遺伝学的データを用いて、BSS墓地のアルプス個体群の祖先系統とその生物学的関係が再構築され、その社会組織の理解に寄与します。より具体的な研究上の問題は以下の通りで、(1)この個体群は均質な遺伝的祖先系統を示すのか、もしくはより混合した遺伝的祖先系統を示すのか、(2)ゲノムデータは考古学的記録により示唆されるように墓地における親族関係の存在を示唆するのか、また副葬品のある2個体は相互と関連しているのか、(3)本論文の結果とイタリアおよびヨーロッパ中央部の同じ期間の他の墓地の個体群から得られた結果との間に違いおよび/もしくは類似性があるのか、ということです。本論文は、この研究で生成された核の古代DNA結果を古代ミトコンドリアゲノムデータと統合し、同じ個体の利用可能な安定同位体比(δ¹³C、δ¹⁵N、δ³⁴S)と人類学的および考古学的情報を考慮して、遺伝的データを考察します。
●親族関係と性別と片親性遺伝標識
古代DNAの信頼性の基準に従って、古代DNAの典型的な損傷パターン、ひじょうに断片的な読み取り、mtDNAとX染色体のデータを用いて推定された現代人からの程度の汚染を示した20点の標本に、分析は限定されました。ヒトの読み取りの範囲は7~73%でしたが、平均ゲノム網羅率の範囲は0.021~1.97でした。分子性別分析は男性(XY)15個体と女性(XX)5個体を明らかにし、人類学的検査に基づくと性別を決定できなかった乳児2個体が含まれます。
親族関係分析が3通りの手法で実行され、BSSのLA-EMA墓地における親族関係のある3組が推定され、その中には、1基の複葬墓(T.2)から分析に成功した5点の標本のうち4点と、単葬墓(T.5)の標本1点が含まれます。じっさい、T.2墓の成人男性2個体(帯の一部とともに埋葬された2149号と2423号)は1親等水準の親族関係と分かり、ある手法(KIN)は具体的に1組の親子関係を検出しました。個体2423号は、同じ墓の成人女性1個体と2親等(TKGWV2)もしくは3親等(KIN)の近縁性を示しました。最後の親族関係は、T.2墓の別の成人男性(2417号)との間で見つかり、2147号は墓地T.5の男性(2404)と2親等水準で関連していました(つまり、オイ/メイとオジ/オバか、祖父母と孫か、両親の一方のみを同じくする半キョウダイ)。BSS墓地の残りの全個体は、副葬品のある男性2個体(2423号と2069号)を含めて遺伝的には、少なくとも3親等まででは密接に関連しておらず、3親等は、適用された手法により検出可能な上限水準です。
この研究で生成されたデータに基づく父系のY染色体ハプログループ(YHg)と母系のmtDNAで利用可能なmtDNAハプログループ(mtHg)の分析は、BSS個体間の両親の関係に関するさらなる情報を追加しました。じっさい、YHgの分類では親族関係にある男性(2419号と2423号)の最初の組み合わせでは、YHg-J(M304)の同じ派生的変異(グアニンからアデニンへの置換)が見つかり、残りの組み合わせ(2417号と2404号)ではYHg-R1b1a2a1a2b1c2∗が見つかりました。それにも関わらず、後者の組み合わせは最後の変異で異なっており、それは標本2417号ではR1b1a1b1a1a2b1c2b1aを定義する変異(A1168、チミンからシトシンへの置換)、他の標本ではR1b1a1b1a1a2b1c2を定義する変異(S8183、グアニンからチミンへの置換)でした。しかし、標本2404号で見つかったYHg-R1b1a1b1a1a2b1c2よりも派生的な亜系統を定義する一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)は検出されず、それはこの部位における読み取りの欠如もしくは低品質のデータに起因するので、標本2404号が標本2417号と同じYHgを有していた可能性を除外できません。
さらに、mtDNAデータから、男性の2組は異なるmtHg(一方は、2419号がHで2423号がH1eだったのに対して、もう一方は、2404号がN1a1a1a1で2417号がJ1c3c)明らかに有していた、と示されました。一方で、複葬のT.2墓の組み合わせ(男性の2423号と女性の2418号)は同じmtHg-Hを同一のハプロタイプ(変異部位は、263G、310.1C、750G、1438G、4080C、4769G、8860G、15326G、16519C8)で有していました。本論文の親族関係分析によると親族関係にない残りの男性のYHgは、J∗、E1b∗、G2a∗、I∗、R1∗、R1b∗、R1a∗でした。これらの男性は異なるmtHgもしくは同じmtHgの多様なハプロタイプも有しており、たとえば、2422号と2424号ではmtHg-H1、2419号と2425号ではmtHg-H1eです。
さらに、BSS個体群におけるmtDNA系統の分布の分析は、性別間のいくつかの違いを明らかにしました。じっさい、女性で見つかった母系となるmtHg(K1a4、T2k、J2a1a)は、男性(H1e、H1q、H3ap、H3b+16129、H5、H27+16093、H39、I2、J1c3c、N1a1a1、U5b2a3、U8a1a1)では決して見つからず、基底的なmtHg-HおよびH1系統を除いて、逆も同様です。デイヴィッド・ライク(David Reich)研究室のウェブページ(2022年11月の第54.1版)で利用可能なデータセットに従い、本論文で分析されたアルプスの標本と同じ期間の頃の古代の個体群を考慮すると、BSS墓地女性で見られるmtDNA系統は他にわずか数個体で観察されるだけで、そのほとんどはヨーロッパ北部のヴァイキング期とイタリアのローマ帝政期とドイツの中世後期で見られるものです。一方で、BSS墓地男性で見られる母系(mtHg)は、ヨーロッパの北部と南部~西部と中央部と南部(イタリア)の多くの他の古代の個体で検出されてきており、その中にはドイツとハンガリーとイタリアの中世初期の標本数点が含まれます。
●BSS墓地の個体群のゲノム構造
BSS墓地の親族関係にない18個体とヨーロッパおよび中東の現在の人口集団との間のゲノム関係が、主成分分析(principal component analysis、略してPCA)により調べられました。親族関係にある個体のうちより低い網羅率の標本2点(2417号と2423号)は、比較分析から除外されました。アルプスの個体のほとんどのゲノム多様性は、さらに離れている1個体(2427号)とともに、ヨーロッパ南部(トスカーナ州のイタリア北部および中央部)と南西部(イベリア半島)の現在の人口集団のゲノム多様性と重複します。しかし、5点の標本(2069号、2422号、2429号、2430号、2324号)は、ヨーロッパ西部(フランス)および北部(イギリス)の現代の個体群のゲノム多様性の方により近い位置に動いています(図2A)。以下は本論文の図2です。
ADMIXTUREによる教師なしクラスタ化(まとまり)分析が、分析された中世標本の祖先人口集団の代理として使用できる、現在の人口集団のゲノムデータを用いて計算されました。分析の結果、アルプス個体群の遺伝的構造はヨーロッパ人、とくにTSI(イタリア中央部のトスカーナ人)とIBS(イベリア半島人)のゲノム要素で構成されており、FIN(フィンランド人)からの構成要素は小さい、と示されました。この場合のADMIXTUREでは、K(系統構成要素数)=5および6で同じ最小交差検証誤差となりました。
古代BSS墓地標本のヨーロッパ祖先系統をさらに調べるため、教師有モデルに基づくクラスタ化分析(K=4)が現代ヨーロッパの参照人口集団で実行され(図2B)、その内訳は、TSIとIBSとFINとCEU(ヨーロッパ北部および西部の祖先系統を有するアメリカ合衆国ユタ州住民)とGBR(イギリス人)です。CEUとGBRはGBRと命名された1集団とみなされました。教師なしクラスタ化分析およびPCAと一致して、BSS墓地の本論文で分析されたLA-EMA個体群における主要な遺伝的構成要素はTSIで、TSIは本論文の標本全てに存在し(平均66.6%)、IBSがそれに続き(平均18.3%)、以下GBR(平均12.8%)、FIN(平均2.3%)となります。BSS個体群は、相対的な祖先系統の量に基づいて異なる4色の集団へと大まかに分類されました(図2B)。
BSS墓地の標本3点(2069号、2418号、2419号)は90%以上(93~98%)のTSI構成要素を示し、TSI的と分類されます。6個体(2068号、2404号、2424号、2425号、2426号、2428号)はおもにTSIおよびIBS祖先系統の組み合わせを示し、TSI+IBS的と分類されます。4個体(1895号、2405号、2420号、2422号)はTSIおよびGBR祖先系統の組み合わせを示し、TSI+GBR的と分類されます。残りの個体(2067号、2427号、2430号、2324号、2429号)は、さまざまな組み合わせと割合でTSIとのより混合した祖先系統を示し、TSI+GBR/IBS/FIN的と分類されます(図2B)。
全体的に、現在の人口集団のゲノム多様性との比較に基づく本論文の結果は、イタリア北部(コレーニヨ遺跡)とハンガリー(ソラッド遺跡)の同時代の他の2ヶ所の墓地で見つかった個体で得られた結果とは異なっています。じっさい、教師有クラスタ化分析に基づくと、この両墓地の標本で見つかった主要な遺伝的構成要素はCEU+GBR(57~64%)で、TSI(25~33%)がそれに続きました。
本論文の結果をこの先行研究の結果とより適切に比較するため、アルプス標本の使用により(親族関係の有無両方で)、コレーニヨおよびソラッド遺跡の個体とともに、先行研究(関連記事)と同じデータセットを用いて、再び教師有クラスタ化分析(K=7)が実行されました。このデータセットには、現代ヨーロッパの参照5人口集団に加えて、ユーラシアとアフリカの現代人のゲノムデータが吹決められました。その結果、TSI+IBS的およびTSI+GBR的ではなく、TSI的およびTSI+IBS/GBR的な祖先系統と分かった標本2404号および1895号を除いて、上述のように、本論文のデータセットで得られた結果が確証されました(図2B)。さらに、この結果は、本論文の上述の分析から除外された親族関係にある2個体(2417号と2423号)の祖先系統を示し、2417号はTSI+GBR的祖先系統、2423号はTSI的祖先系統でした。これは、ほとんどおもにヨーロッパ中央部および北部祖先系統を有していた、コレーニヨ遺跡の他の個体とは異なります。
BSS墓地個体間の遺伝的関係を形式的に検証するため、ショットガンデータのみの使用により、f₃形式(ヨルバ人:BSS1、BSS2)の外群f₃統計が実行されました。得られた値はヒートマップで視覚化されました。モデルに基づくクラスタ化分析と一致して、より多くの混合祖先系統(TSI+GBR/IBS/FIN的)を有する個体群(図2B)は、ヒートマップ図ではより赤みが勝った色のクラスタを形成する傾向にあります。じっさい、標本5点(2430号、2429号、2067号、2427号、2420号)は、自身の間でより多くの遺伝的類似性を、明確には遺伝的に区別されない残りの標本と比較してより少ない遺伝的類似性を示します。標本1点(2420号)を除いて、残りの標本4点は、その最高のゲノム類似性を説明できる、同じ異なる3祖先系統を共有していました、しかし、f₃統計はBSS標本間の大きな違いを示すだけで、微妙な違いを浮き彫りにはできず、これは恐らくこの分析で利用可能なSNPが少数であることに起因します。以下の結果の解釈は、おもにクラスタ化分析によるBSS標本の分類に基づいています。
個体群のゲノム多様性に関する追加の指標は、一部の男性におけるY染色体系統の分布により提供されます。たとえば、ヨーロッパ南部、とくにイベリア半島とイタリア半島に現在分布しているYHg-E1b1b1と、アラビア半島と地中海とイタリア半島中央部および南部を含めてのヨーロッパ南部で見られるYHg-J(M304)は、TSI的もしくはTSI+IBS的祖先系統の個体にしか存在しません。一方で、現在ヨーロッパ中央部および西部に分布している、YHg-I2a2a1b∗もしくはR1b1a∗や、ほぼコーカサスとヨーロッパ中央部とイタリアに分布しているYHg-G2a∗は、より混合した祖先系統を有する個体群で見つかりました(表1)。
本論文の結果から、個体の祖先系統と様々な墓地の分布もしくは埋葬地のさまざまな建設段階を指す年代順の段階との間に明確な関係はない、と浮き彫りになりました(図3)。複葬墓T.2(第3段階)には、主にヨーロッパ南部祖先系統を有する個体のほとんどが埋葬されており、これらの個体は遺伝的に相互と関連してもいました。さらに、複葬墓T.2にはより多くの混合した祖先系統(TSI+GBR的)を有する2個体も埋葬されており、一方は成人女性(2422号)、もう一方は男性(2417号)で、どちらも他の個体と生物学的関係を有していませんでした(図3)。より多くのヨーロッパ南部祖先系統を有する他の個体(2069号)のみが区画8に埋葬されて行幕下が、ヨーロッパ北部からの相対的祖先系統の割合は約7%で、図2AのPCA図における中間的位置を説明できるかもしれません。以下は本論文の図3です。
アルプスのBSS標本のゲノム構造に関する追加の情報は、他の古代の個体群のデータを用いて実行された教師なしクラスタ化分析により提供され、その中には、現代ヨーロッパ人の遺伝的構成に寄与した、主要な先史時代集団の個体群が含まれます。それは、中石器時代狩猟採集民、アナトリア半島とイランの新石器時代農耕民、ポントス・カスピ海草原(ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)の牧畜民です。全体的に、K=4での分析から、BSS標本はアナトリア半島の農耕民と関連する新石器時代構成要素を高い割合(全標本で平均55.9%)で保持している、と示され、現代人のデータを使用した比較分析に関する結果と一致するより多くのヨーロッパ南部祖先系統が示唆されます。新石器時代構成要素に続くのは、ポントス・カスピ海草原からの青銅器時代牧畜民と関連する構成要素(ヤムナヤ文化関連、平均36.2%)、イラン農耕民(3.5%)、最後に狩猟採集民と関連する構成要素(4.4%)です。
最後に、BSS標本がヨーロッパの他の古代人のゲノムとともに、現在の人口集団のゲノムデータを用いて実行されたPCAに投影されました(図4)。少数の標本(2068号、2425号、2405号、とくに2427号)は、サルデーニャ島古代人を含めてイタリアとヨーロッパ南西部の先史時代個体群(青銅器時代と鉄器時代)のゲノム多様性の方へとより動いており、恐らくはこれらBSS標本のゲノムにおけるアナトリア半島の農耕民にのみ由来する新石器時代構成要素の高い割合(62.5~66.3%)の結果です。これは、ヨーロッパ人においてアナトリア半島農耕民構成要素を最高の割合で保持しているサルデーニャ島現代人の方により近い、図2AのPCA図における標本2427号の位置も説明できます。以下は本論文の図4です。
しかし、残りの全てのBSS標本はさまざまな期間と起源の個体群とのゲノム類似性を示します(図4)。これらには、ハンガリーのランゴバルド人の外れ値1および2やイタリア北部の中世初期のランゴバルド人第2群など混合祖先系統を有するヨーロッパ中央部とイタリア北部のランゴバルド人集団と、ヨーロッパ中央部起源を有するイタリア中央部の中世初期~現代のより最近の標本と、ヨーロッパ中央部および西部の先史時代(青銅器時代と鉄器時代)の標本が含まれ、さらに、本論文の結果から、ヨーロッパ中央部および北部のヨーロッパ古代人の遺伝的多様性に向かって図では動いているBSS墓地の5個体(2324号、2069号、2422号、2429号、2430号)は一貫して、大ブリテン島の古代人および現代人とのより多くの遺伝的類似性を示す、草原地帯関連構成要素をより高い割合(約44~60%)で保持している、と示されます(図2A)。
最後に、少数のBSS墓地個体(2419号と2426号)はイラン新石器時代関連構成要素を有意な割合(それぞれ、11.4%と8.6%)で示しておりローマ帝政期イタリア(1~400年)のゲノム差異に向かっての図での動きを説明できます。じっさい、イタリア中央部帝政期の個体群は、ローマ期における地中海地域からの集団との混合により説明されるイラン新石器時代関連祖先系統を高水準で保持しています(関連記事)。
●考察
古遺伝学的調査を通じて、イタリア東部アルプスのBSSのLA-EMA墓地の個体群の祖先系統と親族関係が再構築されました。ゲノム解析は20個体に焦点を当て、この20個体は墓地で発掘された埋葬された個体の最小合計数の約60%を表しています。
分子的性別分類は乳児2個体の生物学的性別を決定し、1例を除いて人類学的推定を確証したので、女性と比較して男性のより高い割合の人口統計学的特性が確証されました。女性の少なさは、他のヨーロッパの葬儀状況や、南チロルを含めていくつかのLA-EMAのイタリアの墓地で記録されてきました。じっさい、BSS墓地のあるヴェノスタ渓谷における最近の人類学的研究では、成人のうち女性はわずか3.5%で、男性は17.3%だった(合計再少数は52個体)、と明らかにされました。しかし、この性比の歪みの背後にある理由は依然として議論になっており、これの議論には、女性もしくは社会的地位に基づく選択専用地区の存在のような、意図的な葬儀慣行の仮説が含まれます。
興味深いことに本論文は、mtDNA水準でのBSS墓地の個体間のいくらかの違いを示唆し、男女の異なる母系の遺伝的歴史が提案されます。本論文の重要な結果は、アルプス被葬者のゲノムにおける高度に不均一な祖先系統に関するもので、一部の個体の異なる起源や遺伝的交換の可能性が示唆されます。じっさい、BSS墓地の全個体はヨーロッパ南部現代人の主要な祖先構成要素を示しているものの、追加で、その個体のほとんどに、さまざまな地理的地域、とくにヨーロッパの南西部と西部と北部に分布している人口集団からの祖先系統の追加があります。
残念ながら、現在のアルプス個体群の比較できる核データは利用可能ではなく、より局所的な水準での古代と現代のアルプス集団間の可能な比較を妨げています。しかし、現在のイタリア東部アルプス人口集団の高い遺伝的多様性は、常染色体とmtDNAの低解像度データにより検出されてきました。先史時代集団を含む他の古代人のゲノムとの比較分析も、おもにヨーロッパ南部からのゲノム祖先系統を示唆しました。さらに、比較分析ではさまざまな期間(青銅器時代から現代)と地理的起源とイタリア北部のランゴバルド人などの文化的集団の標本とのBSS墓地のアルプス個体群のゲノム類似性における違いが証明され、ランゴバルド人は混合祖先系統もしくはハンガリーもしくはブリテン島のヴァイキングからの祖先系統を有していました。
分析されたアルプス個体群における安定同位体値(δ¹³C、δ¹⁵N、δ³⁴S)を通じて、さらなる指標が提供されました。δ¹³Cおよびδ¹⁵N比は、動物性タンパク質の多い陸生に基づく食性を示唆しており、ヴェノスタ渓谷の他の古代の個体群とのデータの比較は、BSS墓地における外れ値の存在を示唆しません。移動性に関する情報はδ³⁴S安定同位体分析から得られ、単一の外れ値(5~7歳の2324号)を示しました。他の一例は複葬墓T.2から発掘された女性(30~35歳の2422号)かもしれず、この女性の示した硫黄値(+5.56‰)は、BSS遺跡の動物相の基準(+6.86±0.8‰)からわずかに逸れており、異なる起源の可能性を示唆しています。興味深いことに、2422号はヨーロッパ北部からの相対的な祖先系統の最高の割合(51.5%)も示しています。これらの結果から、BSS墓地の移送された個体のほとんどは、調査されたアルプス地域外からの移民ではなく、地元出身だった可能性が高い、と示唆されます。
さらに、本論文の調査結果から、さまざまな起源の他集団との複雑な遺伝的交換が南チロルで起きた、と示唆されます。これらの観察は、人口集団間の接触地域としてのイタリア東部アルプスを確証しました。それにも関わらず、そうしたゲノムの複雑さが比較的孤立したアルプス渓谷に位置する小さな墓地(海抜1364m)で見られることは、同位体とミトコンドリアゲノムのデータに関する先行研究が、たとえばイザルコ渓谷など南チロルの他の場所と比較して、ヴェノスタ渓谷におけるより低い移動性と遺伝的交換示唆したことも考慮すると、注目に値します。
本論文の追加の結果は、墓地の全ての埋葬された個体間の密接な遺伝的近縁性の一般的な低水準に関するものです。しかし、考古学的解釈と一致して、親族関係はおもに、墓地建設の発展段階(第3段階)にさかのぼることができる、複葬墓T.2の個体群を含んでいる(図3)、と分かりました。とくに、この複葬墓では、本論文の調査も、親族関係の有無両方がある構成員の社会的集団である、高位家系の存在を明らかにしました。じっさい、親族関係と片親性遺伝標識(母系のmtDNAと父系のY染色体)では、同じY染色体ではあるものの異なるmtHgで、これらは、同じT.2墓の帯を有する男性(2423号、死亡時年齢は40歳くらいで、年代は557~634年頃)と別の男性(2419号、死亡時年齢は40~50歳くらいで、年代は428~567年頃)との間の、父親と息子の関係を裏づけました。考古学的記録によると、個体2423号は墓に埋葬された最後の死者の一人だったので、2423号が2419号の息子と推測できます。さらに、2423号は同じT.2墓の女性(2418号、死亡時年齢は25~30歳くらい)と2親等もしくは2親等の水準で母系でも親族関係にあり、2418号の骨格遺骸は、墓の底の二次堆積で見つかりました。
T.2墓では、遺伝的に親族関係にない、混合祖先系統を有する2個体も存在しました。一方の個体(2417号、死亡時年齢は50歳超)は、墓地建設の初期段階(第1段階)とされる単葬墓T.5に埋葬されていた別の個体(2404号、死亡時年齢は35~40歳くらいで、年代は387~532年頃)と2親等の父系親族関係を示します。もう一方の個体は外部起源かもしれない女性(2422号)で、2419号の息子と推測される帯のある個体(2423号)の隣に埋葬されていました。この2点の骨格は、相互に仰向けの姿勢で見つかりました。考古学的記録に基づくと、この女性はその型が男性の型の上部に位置していたので、最後に埋葬された可能性が高く、両者間の密接な関係が示唆されます。親族関係の結果からも、すでに4世紀までには、この特権的な家系は墓地に埋葬されていた、と示唆されました。それは、男性個体(2404号)が第1段階(4~5世紀)に埋葬されたのに対して、他者は教会のその後の段階(7世紀)に埋葬されていたからです(図3)。
T.2墓に埋葬された個体の威信は、男性個体(2423号)に共伴していた複数の帯の存在と、協会の最も権威がある区域となる祭壇近くの墓の位置により示唆されます。じっさい、教会時代の構造が、墓の空間を作るために変更されました。複数の帯の一部とともに見つかった他の唯一の個体(2067号)も、祭壇近くのT.3墓で回収されました。興味深いことに、この男性(2067号)の骨格遺骸が第2段階においてT.3墓へと意図的に動かされたのに対して、T.2墓はその後の第3段階において同じ区域に位置していました。したがって、T.3墓の個体は、高位家系との親族関係なしに、同様に指導的階級に属していたかもしれません。両墓(T.2とT.3)で見つかった帯に関して、人類学的解釈では、これらの物は恐らく土井南部の高い社会的地位の個体によりもたらされたか、地元のローマ化した個体群により文化的に獲得されたかもしれない、と示唆されています。検証困難ですが、全体的に本論文の結果は、そうした副葬品の文化的獲得を示唆しているかもしれません。以下は本論文の要約図です。
最後に、本論文は、中世初期におけるヨーロッパ南部の共同体の社会組織に関する知識を強化します。本論文は、単一の墓に基づく同じ期間の先行研究(関連記事)と比較しての、興味深い違いと類似性を浮き彫りにしました。じっさい、イタリア北部(コレーニヨ遺跡)とハンガリー(ソラッド遺跡)における他の2ヶ所の墓地では、先行研究は、個体のほとんどがおもにヨーロッパ中央部/北部祖先系統を有しており、恐らくはヨーロッパ中央部からの移民で、拡大親族関係を示した、と明らかにしました。代わりに、ドイツ南部のニーダーシュトツィンゲンの中世初期遺跡と比較すると、12基の墓から発掘された個体はさまざまな起源の集団との遺伝的類似性と、BSS墓地との類似の家族構造を示しました(関連記事)。
それにも関わらず、ゲノムデータのさまざまな解像度と葬儀状況における違い(たとえば、BSS遺跡の事例のような教会の中および周辺の墓地に対して、ニーダーシュトツィンゲン遺跡の事例のようなローマの十字路近くの墓地)は、文化的集団の多様性とともに、考慮されねばなりません。じっさい、考古学的データだけでは、BSS墓地における明確な文化的集団を定義できません。代わりにこれは、ランゴバルド人の葬儀慣行と物質文化の発見のおかげでのコレーニヨ遺跡(ランゴバルド人の墓地)と、アレマン人集団に帰属するウマおよび軍事装備と、その地理的地域の当時のアレマン人の存在に関する歴史的証拠の明確な裏づけのおかげでのニーダーシュトツィンゲン遺跡(アレマン人の墓)の両方で、可能でした。しかし、本論文は他の研究と同様に、中世初期の同じ墓地内の高度な遺伝的複雑さを確証し、より詳細な規模での古代人のゲノムの差異の研究の重要性を示します。
●この研究の限界
全体的に、本論文の調査結果は、LA-EMAアルプス個体群と異なる起源の他集団との間の複雑な遺伝的交換を示唆します。しかし、これらの交換の範囲と時期は、本論文では確認できません。さらに、利用可能なSNP数の少なさとデータの種類(ショットガン)のため、より定量的な分析によるBSS墓地標本間の微妙な違いの検出ができません。これらの点は、より多くの遺跡のより古い標本と同じアルプス地域の現在の個体群からのゲノムデータを含めて、より高解像度のゲノムデータでさらに調査される必要があるでしょう。
参考文献:
Coia V. et al.(2023): Ancestry and kinship in a Late Antiquity-Early Middle Ages cemetery in the Eastern Italian Alps. iScience, 26, 11, 108215.
https://doi.org/10.1016/j.isci.2023.108215
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