アフリカにおけるバントゥー諸語話者の拡大
現代人と古代人のゲノムデータからアフリカにおけるバントゥー諸語話者の拡大を推測した研究(Fortes-Lima et al., 2024)が公表されました。本論文は遺伝学的観点から、アフリカにおけるバントゥー諸語話者拡大の様相を検証しています。本論文は、これまでゲノムデータが得られていなかったバントゥー諸語話者117集団も対象としており、現代人で最も遺伝的多様性の高い地域であるアフリカでの遺伝学的研究の進展は、現代人の遺伝学的理解をさらに深めるでしょう。また本論文は、アフリカにおいても完新世に人類集団の遺伝的混合が進み、現代人の遺伝的構成が確立していった、と改めて示しています。
●要約
バントゥー諸語話者の拡大は後期完新世アフリカにおける最も劇的な人口統計学的事象で、アフリカ大陸の言語と文化と生物学的な景観を根本的に作り変えました。アフリカの以前には標本抽出されていなかった地域から得られた現代人と古代人のDNAの新たに生成されたデータを含めて、本論文は包括的なゲノムデータセットで、アフリカ西部において6000~4000年前頃に始まったこの拡大への洞察を提示します。本論文は、アフリカの14ヶ国の147の人口集団から得られたバントゥー諸語話者1526人を含めて、1763人の参加者を遺伝子型決定し、後期鉄器時代12個体から得られた全ゲノム配列を生成しました。
その結果、バントゥー諸語話者人口集団における遺伝的多様性はアフリカ西部からの距離とともに減少し、現在のザンビアとコンゴ民主共和国が相互作用の十字路だったかもしれない、と示されます。本論文は空間明示的手法を用いて、遺伝学と言語学と地理のデータを相関させることで、連続創始者移動モデルの学際的裏づけを提供します。本論文ではさらに、バントゥー諸語話者は拡大先の地域の在来集団からかなりの遺伝子流動を受けた、と示されます。本論文のデータセットは、古代DNA研究のための網羅的なアフリカ現代人の比較データセットで、科学と人文学から、アフリカとアフリカ人の子孫の人口集団におけるヒトの遺伝的差異と健康を調べる医療分野まで広範な分野にとって重要になるでしょう。
●研究史
バントゥー諸語話者のアフリカの人口集団(Bantu-speaking populations、略してBSP)は、アフリカの全人口の約30%を構成しており、そのうち900万km²にまたがる約3億5千万人は500以上のバントゥー語を話します。考古学と言語学と歴史学と人類学の資料は、赤道付近のBSP拡大の複雑な歴史を証明しており、その拡大はアフリカ大陸の言語と文化と生物学的な景観を根本的に作り変えました。バントゥー諸語の最初の拡大は人口拡大で(関連記事)、祖先のBSPはまず今後の熱帯雨林を通って移動し、その後でさらに東方と南方のサバンナに移動した(関連記事)、という広範な学際的一致があります。しかし、拡大の経路と様相については議論が続いています。
最新のヒト拡大には類似の気候条件となる地域を通っての横方向(緯度に沿った)の移動が含まれていましたが、BSPの拡大は、おもに縦方向(経度に沿った)の軌跡だった点で顕著であり、高度に多様な気候と生物群系の地域を移動しており、その中には、カメルーンの高地やアフリカ中央部の熱帯雨林やアフリカのサバンナやアフリカ南西部の乾燥地帯も含まれます。人口拡大的な性質にも関わらず、BSP拡大の遺伝学的研究は、小さな移動集団が新たな地域に定住するさいに観察される、推定上の故地からの距離増加とともに遺伝的多様性の減少につながる、典型的な連続創始者効果を明らかにしていません。これは、在来の人口集団との混合、もしくは「拡大の上書き(spread over spread)」事象として知られているその後のバントゥー諸語話者の移動との長距離相互作用に由来する、その後の遺伝的多様性増加の結果かもしれません。この根底にある複雑さは、言語学と考古学と遺伝学により提案されたさまざまな移動史と組み合わされて、BSPの拡大を新たな集団遺伝学的手法および時空間的に敏感なモデル化手法で説明することを、興味深いものとしています。
アフリカの人口集団の全ゲノム研究は最近利用可能になり(関連記事1および関連記事2)、一部の局所的なゲノム規模研究が存在しますが(関連記事)、サハラ砂漠以南のアフリカ全体のBSPの包括的なゲノムデータはまだ限られています。その大規模な拡大をより深く理解するため、アフリカの14ヶ国のバントゥー諸語話者1526個体と他のサハラ砂漠以南のアフリカ人237個体を含めて、1763個体のゲノム規模の遺伝子型データセットが収集されました。このデータセットには、以前のゲノム研究では表されていなかった117の人口集団が含まれ、バントゥー諸語のほとんどの系統が網羅されます。それは、アフリカ西部北方2(north-western 2、略してNW2)の2系統(NW-BSP2)、西部西方(west-western、略してWW)の7系統(WW-BSP)、西部南方(south-western、略してSW)の13系統(SW-BSP)、東部(eastern、略してE)の44系統(E-BSP)です(図1a)。このうちWW-BSPについては、BSPと遺伝的特性を共有する、ナミビアのコエ・クワディ語族(Khoe-Kwadi family)話者人口集団であるダマラ人(Damara)が追加されます。さらに、688~97年前頃となる、アフリカの中央部南方および南部(現在のザンビアと南アフリカ共和国)の後期鉄器時代(Late Iron Age、略してLIA)遺跡の12個体のゲノムデータが生成されました。この包括的データセットにより、遺伝的多様性要約統計とアフリカの人口史への洞察を提供する空間的モデルである、アレル(対立遺伝子)頻度とハプロタイプに基づく手法を用いての、BSPの人口統計学的歴史の調査が可能となりました。
●遺伝的構造に影響を及ぼす混合
品質管理および代表的な民族集団から得られた公開利用可能データとの統合後に、124の人口集団(各人口集団について少なくとも10個体がある、サハラ砂漠以南のアフリカの111人口集団と、ユーラシアの13の人口集団)から得られた4950個体のデータセットが編集され、以後は「新アフリカ人」データセットと呼ばれます。人口集団間の遺伝的類似性を視覚的に表すため、4種類の次元削減手法が適用され、サハラ砂漠以南のアフリカの人口集団間の詳細な人口構造の証拠が、明確な地理的構成要素およびアフリカの主要な言語集団との対応を伴って、見つかりました(図1b・c)。以下は本論文の図1です。
BSP内の人口下部構造(NW-BSP2、WW-BSP、SW-BSP、E-BSP)を区別できます。人口の下部構造と混合の示唆は、モデルに基づくクラスタ化(まとまり)分析でも明らかで(図2a)、3系統の主要なBSP関連の遺伝的構成要素がある人口集団の祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)のより詳細な代表を示します(拡張図3および拡張図4)。それは、ほとんどのBSPで見られる濃緑色の構成要素、非バントゥー諸語のニジェール・コンゴ語族と西方BSP(NW-BSP2、WW-BSP、SW-BSP)との間で共有されている水色の構成要素、東部南方のBSPでおもに見られる橙色の構成要素です。以下は本論文の図2と拡張図3と拡張図4です。
BSPは他の人口集団との特定の遺伝的類似性も示します(図1b・c)。このパターンは、赤道付近のアフリカ全域にわたるBSP拡大の期間および/もしくはその後の在来の人口集団との遺伝的混合の結果かもしれません。f3およびf4統計を用いて、混合とその地域的特徴の仮説が形式的に検証されました。その結果、ケニアとウガンダの東方BSPにおけるアフロ・アジア語族話者関連祖先系統、コンゴ民主共国(Democratic Republic of Congo、略してDRC)と中央アフリカ共和国(Central African Republic、略してCAR)の西方BSPにおける西方熱帯雨林狩猟採集民(western rainforest hunter-gatherer、略してwRHG)関連祖先系統、南アフリカ共和国とボツワナとザンビアとナミビアの南方BSPにおけるコイサン諸語話者関連祖先系統有意で特定の寄与が確証されました。なお、ここでのザンビアの人口集団とはフウェ人(Fwe)です。これらの調査結果は、アフリカ赤道付近の特定の地理的地域における多様な在来集団との明確な混合パターンにより特徴づけられる、BSPの複雑な遺伝的歴史を強調しています。
●BSP固有の人口下部構造
在来集団との混合がBSPにおける下部構造の空間的パターンを駆動する主要な過程なのかどうか評価するため、BSPにおける混合ゲノム領域を隠して、アフリカ中央部西方(west-central African、略してWCA)の人々のゲノム構成要素のみが残されました。この混合ゲノム領域が隠されたデータセットにより、その後の分析において非バントゥー諸語話者祖先系統の影響を最小化できます。混合ゲノム領域を隠したデータセットでの主成分分析(principal component analysis、略してPCA)から、BSPは、地理的(図3b・d)および言語的(図3a・c)特徴と一致する明確な遺伝的構造を保持している、と示され、遺伝的混合以外の過程がBSPの多様性の空間的パターンに影響を及ぼしている、と示唆されます。しかし、この構造は、遺伝的浮動の増加を有する外れ値のBSPによっても駆動される可能性があり、たとえば、ナミビアのヘレロ人(Herero)とヒンバ人(Himba)は主成分2(PC2)に大きく影響を及ぼしています(図3a・b)。したがって、ヒンバ人とヘレロ人を分析から除外した後にPCAが繰り返され、依然として残りのBSPでは人口下部構造が観察されました。以下は本論文の図3です。
次に、BSPが観察された構造を駆動するかもしれない遺伝的孤立と人口規模変化の兆候を有しているのかどうか、調べられました。ほとんどのBSPは、同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)と、過去10~30世代の人口拡大の兆候を裏づける有効人口規模(Nₑ)の変化に反映されている、遺伝的浮動の類似のパターンを示します。ヒンバ人およびヘレロ人集団はBSPの一般的パターンから顕著に逸れており、他のBSPよりも、近交係数の高い値、最長のROH分類での高い平均値、創始者効果の高い強度を示します。これらの痕跡は、アフリカ西部南方における到来以降の遺伝的孤立もしくは共有された文化的慣行の結果かもしれません。たとえば、ミトコンドリアDNA(mtDNA)データや遺伝子型データ(関連記事)やエクソーム配列決定データにより示唆されているように、ウシの家畜生業と関連しているかもしれない族内結婚です。ドイツ帝国による20世紀初頭のヘレロ人虐殺は、ROH兆候の増加の契機とは予測されず、それは、この虐殺が人口史の文脈では比較的最近の事象だからです。
●BSPの下部構造の根底にあるモデル
さまざまなモデルを探し、観察された遺伝的データへの適合を分析することで、BSPの遺伝的パターンと地理的分布の背景にある人口史への貴重な洞察を得ることができます。遺伝的関連性と地理との間の強い相関は、同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)モデルを示唆しており、IBDモデルは地理的空間全体にわたる遺伝的類似性の勾配につながる、近隣の集団間の段階的な遺伝子流動を想定しています。本論文のBSPのデータセットは、混合が除去される場合を含めてIBDパターンに適合し、より少ないBSPとより小さなデータセットに基づいた以前の調査結果と一致します。しかし、代替モデルもこれらのパターンを説明できるかもしれません。たとえば、連続創始者効果モデル下でも、共有された遺伝的祖先系統と地理との間の強い相関が予測されます。しかし、IBDモデルとは対照的に、連続創始者効果モデルは、推定される起源地域からの遺伝的多様性の減少も示します。
これら2モデルを区別するため、配列に基づく遺伝子型データに適した、3種類の遺伝的多様性要約統計(ハプロタイプの豊富さ、ハプロタイプの異型接合性、連鎖不平衡)の空間的分布が調べられました。推定された統計は、最高の遺伝的多様性が西方BSPで見つかり、東方および南方BSPに向かっての距離とともに着実に減少する、連続創始者モデルを裏づけます。このパターンは、混合が隠されたデータセットにおいてより強くなります(図4)。さらなる証拠は、アフリカ中央部西方からのBSP拡大期における連続的な創始者動態を裏づけます。たとえば、顕著な人口統計学的創始者事象が19のBSPで推測され、混合を隠したBSPデータセットの最尤系統樹は、系統樹の基底部におけるWW-BSPと、単系統集団を形成するほとんどのE-BSPを示します。対照的に、混合が隠されていないデータセットについては、混合はおもに最尤系統樹の形態を駆動しました。以下は本論文の図4です。
これらの分析は全体的に、BSPの拡大はアフリカ中央部西方から始まり、赤道付近のアフリカ全体に連続したボトルネック(瓶首効果)を経て拡大した、との提案を裏づけます。遺伝的多様性と起源地からの距離との間の負の相関は、混合を隠していないデータでさえ、混合はBSPの遺伝的多様性に小さな影響を及ぼし、それは先住集団との遺伝子流動がさほど多くなかったからか、一部のBSPがかなりの局所的な遺伝子流動を受ける前に移動したからだ、と示唆します。混合パターンがほぼ地域特有である、つまり各人口集団において、他地域からではなく在来集団から非BSP祖先系統が検出されるという事実は、後者を示唆します。
●BSP拡大の経路と年代
BSPの拡大がどのように展開したのか、より深い洞察を得るため、BSPの移動の空間的経路と年代が調べられました。まず、気候情報をもたらす空間的に明示的なモデルを用いて、言語学的研究により提案された「後期分岐」および「初期分岐」仮説に相当する人口拡大の特定の仮定的状況で、最も可能性の高い最初の拡大経路が推測されました。ライト・フィッシャー(Wright–Fisher)模擬実験が100万回実行され、BSPがコンゴの熱帯雨林を通って南方へ拡大できるか(つまり、「南方経路」もしくは後期分岐)、熱帯雨林の北側を通って拡大できるか(「北方経路」もしくは初期分岐)、両経路で拡大できるのか、異なる3通りの拡大仮定的状況が検証されました。各模擬実験では、遺伝子系譜が選択されたアフリカの人口集団について生成されました。北方経路のみの仮定的状況は、両経路もしくは南方経路の仮定的状況と比較して、データからの統計的裏づけがかなり少なくなりました。したがって、結果が支持するのは後期分岐仮説で、最近の言語学および考古学および遺伝学の証拠と一致し、BSPの最初の拡大におけるコンゴの熱帯雨林の重要性を浮き彫りにします。
先行研究は、バントゥー諸語話者の東西の分枝間の遺伝子流動を提案しました。東西のバントゥー諸語言語を話す人口集団がPCAでは分布の端に向かってより分離されているものの、とくに現在のザンビアとDRCのBSPにおいて、中間に向かって重複があります(図3)。したがって、この2ヶ国は、遺伝的組成にも反映されている、さまざまな言語学的な下位集団間の接触地帯を表しています。地理的景観に対する最も近い遺伝的距離(fixation index、略してFₛₜ)の追跡によるBSP拡大経路に関する本論文の推測も、相互作用の関連の可能性としてザンビアを示唆します(図5a)。具体的には、ロジ人(Lozi)集団はDRC西部からジンバブエやモザンビークやエスワティニ(旧スワジランド)や南アフリカ共和国へのバントゥー諸語話者移民の代理人口集団を表しています。しかし、ザンビアの西部州とその近隣地域において共通語として広く用いられているロジ語は、19世紀にやっとこの地域に現在の南アフリカ共和国からのソト(Sotho)語移民によりもたらされました。分析からロジ人集団を除くと、西方BSPとの東方と東方南部のBSP間の接続点はDRC西部へと動きます(図5b)。以下は本論文の図5です。
BSP拡大経路間の分岐点としての現在のザンビアは、全バントゥー諸語話者地域の代表ではないいくつかのBSPを用いて、以前に提案されました(関連記事)。本論文では、BSPのとくに適切な地理的代表で、重要な関連地帯としてザンビアとDRC西部が特定されました。しかし、EEMSとFEEMSとMAPSとFₛₜ推定値を用いての空間的に明示的な分析とクラスタ化手法は、これらの地帯においてさえ、恐らくはBSP間の言語境界により起きた、遺伝子流動と人口構造への障壁を示唆します。将来の研究とモデル検証手法は、これらがバントゥー諸語の東部と西部南方の系統を話す人口集団間の相互作用地帯なのか、あるいは過去の拡大経路における分岐点なのか、確証することができるかもしれません。空間的手法はさらに、以前に報告されたように、アフリカ大陸中央部のより低い移動率の縦方向の地帯(図5cの茶色および図5dの濃い赤色の地域)とともに、ケニアから南アフリカ共和国東部のインド洋海岸沿いの高い効率的な移住率(図5cの青色の地域)を示唆しています。
混合事象の年代測定は、アフリカ赤道付近全域のBSP拡大の主要な方向を強く裏づけます。混合年代(図2b)は、BSPの故地からの地理的距離と有意に相関しており、アフリカ中央部西方における混合年代がより古く、拡大の極にむかって混合年代はより新しくなります。これらの結果から、BSPの移動率は広範な環境と人口集団の相互作用にも関わらず、経時的に多かれ少なかれ一定だったことも示唆されます。混合年代は西方地域(たとえば、DRC西部におけるBSPとwRHGとの間)のBSPで予測されるより古く、特定の東方地域(たとえば、ウガンダとケニアにおけるBSPとさまざまなアフリカ東部集団との間)ではより新しくなっており、これらの地域へのBSPの移動率は平均速度より早かったか遅かったか、あるいは混合が他地域よりも到来後に早かったか遅かった、と示唆されます。言語学的および文化的に多様な人口集団との相互作用の社会文化的側面と、拡大期におけるBSPが遭遇した環境変化、とくに多様な生態学的地帯への適応と新たな生計慣行の獲得へのさらなる調査は、将来の学際的研究への有望な方法を提示します。
●拡大の上書き事象対連続性
アフリカ中央部西方全域にわたる最初のBSP拡大に続いて、同様の経路沿いの移住があり、拡大の上書き事象のパターンを形成したかもしれません。一部の事例では、これらの後期の移動はそれ以前の移住者とその言語を置換したかもしれません。その結果、バントゥー諸語の特定の系統はもはや正確に最初のBSP拡大を表していないかもしれません。これは、祖先のBSPの移動を示すさいに、系統地理学的分析のため現代バントゥー諸語から得られた語彙と地理的データのみを用いての信頼性について問題が生じます。侵入してきたバントゥー諸語話者集団と以前に定住したバントゥー諸語話者集団との間の接触と混合は、移動事象の混合を反映している遺伝的データにつながるかもしれませんが、言語学的データは最新の拡大事象しか反映していないかもしれません。結果として、言語学と遺伝学両方は地理と相関しているかもしれないものの、相互とは必ずしも相関していないかもしれません。
マンテル検定を用いてこれが検証されました。対での人口集団の言語と地理の距離は有意に相関しており、遺伝と地理の距離も同様です。しかし、遺伝的距離と言語的距離との間の相関は有意ではありません。遺伝と地理との間の相関は、言語学的データの制御後に増加し、それは遺伝学的データの制御後の言語と地理との間の相関も同様です。言語と遺伝との間のわずかに有意な負の相関が、地理の制御後観察されます。遺伝と言語との間のこの全体的に弱い相関(一方で、遺伝と言語はともに地理と強く相関します)は、二次的でより局所的かもしれない拡大の波を含んでいる可能性がある、遺伝学および言語学のデータの根底にある別々の歴史を示しているかもしれません。他の説明も可能で、たとえば、言語学的に遠く関連しているBSP間の混合です。
拡大の上書き事象の可能性をさらに調べるため、現在のBSPアフリカの古代の個体群の遺伝的多様性が比較され、その中には、本論文で新たに提示される12個体(688~97年前頃)の全ゲノム配列決定データと、以前の古代DNA研究から得られた83個体(8895~150年前頃)が含まれています。これらの個体の考古学的および形態学的説明と配列決定された個体群の年代測定は、先行研究と補足データの表14に掲載されています。次元削減およびクラスタ化(まとまり)分析は、古代人と現代の個体群との間の遺伝的類似性を表しています(図1d)。南アフリカ共和国では、LIA(後期鉄器時代)個体群(688年前頃以降)が同地域の現代のBSPとの均質性と遺伝的類似性を示しているので、LIA以降の遺伝的連続性との仮定的状況がほぼ裏づけられます。しかし、本論文で新たに提示されるザンビアのLIA個体群(311年前頃以降)は、より広範な地理的地域から得られた現代のBSPとの遺伝的類似性を示す、より不均一な遺伝的構成を有しています。これは、ザンビアがBSPのさまざまな移動の十字路だったかもしれない、との提案を裏づけます。
●新しく包括的なゲノムデータセット
本論文のデータセットは、古代DNAと比較するための、効率的な現代の背景遺伝的データセットを提供する可能性を論証します(図1d)。BSPの根底にある歴史的パターンは、現代のデータのみに基づくと区別はひじょうに困難です。IBDおよび連続創始者モデルの両方が、同じ位置から類似の経路を通っての複数回の重複する拡大など、研究対象のBSPにおけるより複雑な根底にある人口史を表すことができます。このパターンの明確な現れは、現代人のDNAと古代人のDNAに基づくヨーロッパ史の推測の比較で見られてきました。言語学と地理と遺伝学との間の本論文のマンテル検定などの分析は暫定的に、複雑な歴史と拡大の上書き事象の可能性を示し、最近の考古学的研究と一致します。アフリカの前期・中期・後期鉄器時代と関連する、さまざまな考古学的文脈やさまざまな土器伝統から得られたヒト遺骸での将来の古代DNA研究は、バントゥー諸語話者関連祖先系統の相互および現在のBSPとの類似性評価に必要となるでしょう。したがって、BSPの完全な地理的範囲を含んでいる本論文の広範なゲノムデータセットの利用可能性は、古代DNAを用いての拡大の上書きとの提案のさらなる検証を可能とするでしょう。
●まとめ
本論文は、アフリカ西部からコンゴの熱帯雨林経由でアフリカ東部および南部へと連続創始者的に拡大する祖先系統を有する、BSPの大規模な人口拡大を裏づけます。この調査結果は、起源地からの遺伝的多様性の減少とFₛₜの増加のパターン、およびアフリカ西部からの距離に伴って新しくなる在来集団との混合年代により裏づけられます。本論文の遺伝学的調査結果は、既存の言語学的モデルと比較して提供する精度は低いものの、BSP拡散追跡のため、現代の言語学的データのみに依存することを警告しています。それは、拡大の上書き事象と言語学的に遠く関連しているBSP間の遺伝的混合の可能性のためです。本論文の遺伝学的調査結果は、BSPの人口統計学的歴史がその言語進化にどのような影響を及ぼしたのかについて、包括的な学際的研究のための必要性を浮き彫りにします。
BSP起源地からの距離との混合年代の有意な相関は、BSP拡大の景観の極度に不均一な性質にも関わらず、比較的一定のBSP拡大の速度を裏づけられます。アフリカの景観全域にわたって、有効移動率にはより高かったりより低かったりする回廊がありましたが、現在のザンビアとDRCがBSPの拡大にとって重要な十字路もしくは相互作用点のようです。比較データと新たな空間モデル化手法としての本論文のデータセットを用いての将来の古代DNA研究は、BSP拡大および他のアフリカ人口集団との相互作用に関する本論文の理解を洗練するでしょう。この新たな調査結果とデータは、集団遺伝学者や考古学者や歴史言語学者や人類学者や歴史学者だけではなく、アフリカの人口集団およびアフリカ系人口集団におけるヒトの遺伝的差異とヒトの健康を研究する、医療および保険分野にも役立つでしょう。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。
遺伝学:アフリカにおけるバントゥー語の歴史を探究する
アフリカのサハラ砂漠以南に存在するバントゥー語話者の非常に大きな集団は、西アフリカを起源として、その後、南方と東方に徐々に持続的に居住域を拡大していった可能性が非常に高いことが研究によって示された。このことを報告する論文が、Natureに掲載される。今回の研究では、現代人と古代人の遺伝的解析から、バントゥー語話者の進化史に関する新たな知見が得られた。バントゥー語話者の人口は、約6000~4000年前に西アフリカで増え始めた。
バントゥー語族は500以上の異なる言語で構成されており、サハラ以南のアフリカ全体で約3億5000万人がバントゥー語を話している。バントゥー語話者集団の拡大パターンは経度に沿ったものであり、さまざまな気候や環境を通過していた点は注目に値する。これは、緯度に沿って移動し、類似した地形を横断することよりずっとまれなことだった。
今回、Carina Schlebuschらは、1763人の現代人のゲノムデータセットを照合した。その内訳は、147集団に属するバントゥー語話者1526人とそれ以外のサハラ以南のアフリカの住民237人で、過去の遺伝学的研究で解析対象にならなかった117集団のバントゥー語話者も含まれており、これによってバントゥー語族の主要な語派が全て研究対象となった。これに加えて、現在のザンビアと南アフリカに所在する後期鉄器時代の遺跡で出土した12体の遺骨(97~688年前のもの)から採取されたDNAの塩基配列が解読され、古代のバントゥー語話者の移動パターンの歴史に関する知見が得られた。Schlebuschらは、遺伝的モデル化、言語的モデル化、地理的モデル化を併用して、バントゥー語話者の集団の歴史と移動を分析した。
遺伝的データから、バントゥー語話者の集団は西アフリカを起源とし、コンゴの熱帯雨林を通ってアフリカの東部と南部に拡大したことを示す証拠が得られた。Schlebuschらは、バントゥー語話者集団の発祥地からの距離が長くなるにつれて遺伝的多様性が低下するというパターンを観察した。また、こうした分析から、バントゥー語話者集団と先住民群の間で混合があった証拠が得られ、それも集団の発祥地からの距離が長くなるとともに減少していた。この相関関係は、バントゥー語話者集団が移動する際に多様な気候や地形を通過したにもかかわらず、この集団が拡大する勢いが比較的一定であったことを示唆している。そして、現在のザンビアとコンゴ民主共和国が、異なる語派の間の相互作用があった地点であり、バントゥー語話者の集団の拡大にとって重要な地点だったことも明らかになった。
以上の結果は、アフリカの集団に関する将来の研究のための貴重な情報資源であり、これらの集団における遺伝的変異や健康を研究するための情報資源にもなる可能性がある。
進化遺伝学:アフリカにおけるバントゥー諸語話者の拡大の遺伝的遺産
進化遺伝学:遺伝的データから明らかになったバントゥー諸語話者の拡大
今回、アフリカの14カ国にわたる147集団の1526人のバントゥー諸語話者を含む計1763人の遺伝的データの分析によって、過去6000年にわたるバントゥー諸語話者の拡大が追跡された。
参考文献:
Fortes-Lima CA. et al.(2024): The genetic legacy of the expansion of Bantu-speaking peoples in Africa. Nature, 625, 7995, 540–547.
https://doi.org/10.1038/s41586-023-06770-6
●要約
バントゥー諸語話者の拡大は後期完新世アフリカにおける最も劇的な人口統計学的事象で、アフリカ大陸の言語と文化と生物学的な景観を根本的に作り変えました。アフリカの以前には標本抽出されていなかった地域から得られた現代人と古代人のDNAの新たに生成されたデータを含めて、本論文は包括的なゲノムデータセットで、アフリカ西部において6000~4000年前頃に始まったこの拡大への洞察を提示します。本論文は、アフリカの14ヶ国の147の人口集団から得られたバントゥー諸語話者1526人を含めて、1763人の参加者を遺伝子型決定し、後期鉄器時代12個体から得られた全ゲノム配列を生成しました。
その結果、バントゥー諸語話者人口集団における遺伝的多様性はアフリカ西部からの距離とともに減少し、現在のザンビアとコンゴ民主共和国が相互作用の十字路だったかもしれない、と示されます。本論文は空間明示的手法を用いて、遺伝学と言語学と地理のデータを相関させることで、連続創始者移動モデルの学際的裏づけを提供します。本論文ではさらに、バントゥー諸語話者は拡大先の地域の在来集団からかなりの遺伝子流動を受けた、と示されます。本論文のデータセットは、古代DNA研究のための網羅的なアフリカ現代人の比較データセットで、科学と人文学から、アフリカとアフリカ人の子孫の人口集団におけるヒトの遺伝的差異と健康を調べる医療分野まで広範な分野にとって重要になるでしょう。
●研究史
バントゥー諸語話者のアフリカの人口集団(Bantu-speaking populations、略してBSP)は、アフリカの全人口の約30%を構成しており、そのうち900万km²にまたがる約3億5千万人は500以上のバントゥー語を話します。考古学と言語学と歴史学と人類学の資料は、赤道付近のBSP拡大の複雑な歴史を証明しており、その拡大はアフリカ大陸の言語と文化と生物学的な景観を根本的に作り変えました。バントゥー諸語の最初の拡大は人口拡大で(関連記事)、祖先のBSPはまず今後の熱帯雨林を通って移動し、その後でさらに東方と南方のサバンナに移動した(関連記事)、という広範な学際的一致があります。しかし、拡大の経路と様相については議論が続いています。
最新のヒト拡大には類似の気候条件となる地域を通っての横方向(緯度に沿った)の移動が含まれていましたが、BSPの拡大は、おもに縦方向(経度に沿った)の軌跡だった点で顕著であり、高度に多様な気候と生物群系の地域を移動しており、その中には、カメルーンの高地やアフリカ中央部の熱帯雨林やアフリカのサバンナやアフリカ南西部の乾燥地帯も含まれます。人口拡大的な性質にも関わらず、BSP拡大の遺伝学的研究は、小さな移動集団が新たな地域に定住するさいに観察される、推定上の故地からの距離増加とともに遺伝的多様性の減少につながる、典型的な連続創始者効果を明らかにしていません。これは、在来の人口集団との混合、もしくは「拡大の上書き(spread over spread)」事象として知られているその後のバントゥー諸語話者の移動との長距離相互作用に由来する、その後の遺伝的多様性増加の結果かもしれません。この根底にある複雑さは、言語学と考古学と遺伝学により提案されたさまざまな移動史と組み合わされて、BSPの拡大を新たな集団遺伝学的手法および時空間的に敏感なモデル化手法で説明することを、興味深いものとしています。
アフリカの人口集団の全ゲノム研究は最近利用可能になり(関連記事1および関連記事2)、一部の局所的なゲノム規模研究が存在しますが(関連記事)、サハラ砂漠以南のアフリカ全体のBSPの包括的なゲノムデータはまだ限られています。その大規模な拡大をより深く理解するため、アフリカの14ヶ国のバントゥー諸語話者1526個体と他のサハラ砂漠以南のアフリカ人237個体を含めて、1763個体のゲノム規模の遺伝子型データセットが収集されました。このデータセットには、以前のゲノム研究では表されていなかった117の人口集団が含まれ、バントゥー諸語のほとんどの系統が網羅されます。それは、アフリカ西部北方2(north-western 2、略してNW2)の2系統(NW-BSP2)、西部西方(west-western、略してWW)の7系統(WW-BSP)、西部南方(south-western、略してSW)の13系統(SW-BSP)、東部(eastern、略してE)の44系統(E-BSP)です(図1a)。このうちWW-BSPについては、BSPと遺伝的特性を共有する、ナミビアのコエ・クワディ語族(Khoe-Kwadi family)話者人口集団であるダマラ人(Damara)が追加されます。さらに、688~97年前頃となる、アフリカの中央部南方および南部(現在のザンビアと南アフリカ共和国)の後期鉄器時代(Late Iron Age、略してLIA)遺跡の12個体のゲノムデータが生成されました。この包括的データセットにより、遺伝的多様性要約統計とアフリカの人口史への洞察を提供する空間的モデルである、アレル(対立遺伝子)頻度とハプロタイプに基づく手法を用いての、BSPの人口統計学的歴史の調査が可能となりました。
●遺伝的構造に影響を及ぼす混合
品質管理および代表的な民族集団から得られた公開利用可能データとの統合後に、124の人口集団(各人口集団について少なくとも10個体がある、サハラ砂漠以南のアフリカの111人口集団と、ユーラシアの13の人口集団)から得られた4950個体のデータセットが編集され、以後は「新アフリカ人」データセットと呼ばれます。人口集団間の遺伝的類似性を視覚的に表すため、4種類の次元削減手法が適用され、サハラ砂漠以南のアフリカの人口集団間の詳細な人口構造の証拠が、明確な地理的構成要素およびアフリカの主要な言語集団との対応を伴って、見つかりました(図1b・c)。以下は本論文の図1です。
BSP内の人口下部構造(NW-BSP2、WW-BSP、SW-BSP、E-BSP)を区別できます。人口の下部構造と混合の示唆は、モデルに基づくクラスタ化(まとまり)分析でも明らかで(図2a)、3系統の主要なBSP関連の遺伝的構成要素がある人口集団の祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)のより詳細な代表を示します(拡張図3および拡張図4)。それは、ほとんどのBSPで見られる濃緑色の構成要素、非バントゥー諸語のニジェール・コンゴ語族と西方BSP(NW-BSP2、WW-BSP、SW-BSP)との間で共有されている水色の構成要素、東部南方のBSPでおもに見られる橙色の構成要素です。以下は本論文の図2と拡張図3と拡張図4です。
BSPは他の人口集団との特定の遺伝的類似性も示します(図1b・c)。このパターンは、赤道付近のアフリカ全域にわたるBSP拡大の期間および/もしくはその後の在来の人口集団との遺伝的混合の結果かもしれません。f3およびf4統計を用いて、混合とその地域的特徴の仮説が形式的に検証されました。その結果、ケニアとウガンダの東方BSPにおけるアフロ・アジア語族話者関連祖先系統、コンゴ民主共国(Democratic Republic of Congo、略してDRC)と中央アフリカ共和国(Central African Republic、略してCAR)の西方BSPにおける西方熱帯雨林狩猟採集民(western rainforest hunter-gatherer、略してwRHG)関連祖先系統、南アフリカ共和国とボツワナとザンビアとナミビアの南方BSPにおけるコイサン諸語話者関連祖先系統有意で特定の寄与が確証されました。なお、ここでのザンビアの人口集団とはフウェ人(Fwe)です。これらの調査結果は、アフリカ赤道付近の特定の地理的地域における多様な在来集団との明確な混合パターンにより特徴づけられる、BSPの複雑な遺伝的歴史を強調しています。
●BSP固有の人口下部構造
在来集団との混合がBSPにおける下部構造の空間的パターンを駆動する主要な過程なのかどうか評価するため、BSPにおける混合ゲノム領域を隠して、アフリカ中央部西方(west-central African、略してWCA)の人々のゲノム構成要素のみが残されました。この混合ゲノム領域が隠されたデータセットにより、その後の分析において非バントゥー諸語話者祖先系統の影響を最小化できます。混合ゲノム領域を隠したデータセットでの主成分分析(principal component analysis、略してPCA)から、BSPは、地理的(図3b・d)および言語的(図3a・c)特徴と一致する明確な遺伝的構造を保持している、と示され、遺伝的混合以外の過程がBSPの多様性の空間的パターンに影響を及ぼしている、と示唆されます。しかし、この構造は、遺伝的浮動の増加を有する外れ値のBSPによっても駆動される可能性があり、たとえば、ナミビアのヘレロ人(Herero)とヒンバ人(Himba)は主成分2(PC2)に大きく影響を及ぼしています(図3a・b)。したがって、ヒンバ人とヘレロ人を分析から除外した後にPCAが繰り返され、依然として残りのBSPでは人口下部構造が観察されました。以下は本論文の図3です。
次に、BSPが観察された構造を駆動するかもしれない遺伝的孤立と人口規模変化の兆候を有しているのかどうか、調べられました。ほとんどのBSPは、同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)と、過去10~30世代の人口拡大の兆候を裏づける有効人口規模(Nₑ)の変化に反映されている、遺伝的浮動の類似のパターンを示します。ヒンバ人およびヘレロ人集団はBSPの一般的パターンから顕著に逸れており、他のBSPよりも、近交係数の高い値、最長のROH分類での高い平均値、創始者効果の高い強度を示します。これらの痕跡は、アフリカ西部南方における到来以降の遺伝的孤立もしくは共有された文化的慣行の結果かもしれません。たとえば、ミトコンドリアDNA(mtDNA)データや遺伝子型データ(関連記事)やエクソーム配列決定データにより示唆されているように、ウシの家畜生業と関連しているかもしれない族内結婚です。ドイツ帝国による20世紀初頭のヘレロ人虐殺は、ROH兆候の増加の契機とは予測されず、それは、この虐殺が人口史の文脈では比較的最近の事象だからです。
●BSPの下部構造の根底にあるモデル
さまざまなモデルを探し、観察された遺伝的データへの適合を分析することで、BSPの遺伝的パターンと地理的分布の背景にある人口史への貴重な洞察を得ることができます。遺伝的関連性と地理との間の強い相関は、同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)モデルを示唆しており、IBDモデルは地理的空間全体にわたる遺伝的類似性の勾配につながる、近隣の集団間の段階的な遺伝子流動を想定しています。本論文のBSPのデータセットは、混合が除去される場合を含めてIBDパターンに適合し、より少ないBSPとより小さなデータセットに基づいた以前の調査結果と一致します。しかし、代替モデルもこれらのパターンを説明できるかもしれません。たとえば、連続創始者効果モデル下でも、共有された遺伝的祖先系統と地理との間の強い相関が予測されます。しかし、IBDモデルとは対照的に、連続創始者効果モデルは、推定される起源地域からの遺伝的多様性の減少も示します。
これら2モデルを区別するため、配列に基づく遺伝子型データに適した、3種類の遺伝的多様性要約統計(ハプロタイプの豊富さ、ハプロタイプの異型接合性、連鎖不平衡)の空間的分布が調べられました。推定された統計は、最高の遺伝的多様性が西方BSPで見つかり、東方および南方BSPに向かっての距離とともに着実に減少する、連続創始者モデルを裏づけます。このパターンは、混合が隠されたデータセットにおいてより強くなります(図4)。さらなる証拠は、アフリカ中央部西方からのBSP拡大期における連続的な創始者動態を裏づけます。たとえば、顕著な人口統計学的創始者事象が19のBSPで推測され、混合を隠したBSPデータセットの最尤系統樹は、系統樹の基底部におけるWW-BSPと、単系統集団を形成するほとんどのE-BSPを示します。対照的に、混合が隠されていないデータセットについては、混合はおもに最尤系統樹の形態を駆動しました。以下は本論文の図4です。
これらの分析は全体的に、BSPの拡大はアフリカ中央部西方から始まり、赤道付近のアフリカ全体に連続したボトルネック(瓶首効果)を経て拡大した、との提案を裏づけます。遺伝的多様性と起源地からの距離との間の負の相関は、混合を隠していないデータでさえ、混合はBSPの遺伝的多様性に小さな影響を及ぼし、それは先住集団との遺伝子流動がさほど多くなかったからか、一部のBSPがかなりの局所的な遺伝子流動を受ける前に移動したからだ、と示唆します。混合パターンがほぼ地域特有である、つまり各人口集団において、他地域からではなく在来集団から非BSP祖先系統が検出されるという事実は、後者を示唆します。
●BSP拡大の経路と年代
BSPの拡大がどのように展開したのか、より深い洞察を得るため、BSPの移動の空間的経路と年代が調べられました。まず、気候情報をもたらす空間的に明示的なモデルを用いて、言語学的研究により提案された「後期分岐」および「初期分岐」仮説に相当する人口拡大の特定の仮定的状況で、最も可能性の高い最初の拡大経路が推測されました。ライト・フィッシャー(Wright–Fisher)模擬実験が100万回実行され、BSPがコンゴの熱帯雨林を通って南方へ拡大できるか(つまり、「南方経路」もしくは後期分岐)、熱帯雨林の北側を通って拡大できるか(「北方経路」もしくは初期分岐)、両経路で拡大できるのか、異なる3通りの拡大仮定的状況が検証されました。各模擬実験では、遺伝子系譜が選択されたアフリカの人口集団について生成されました。北方経路のみの仮定的状況は、両経路もしくは南方経路の仮定的状況と比較して、データからの統計的裏づけがかなり少なくなりました。したがって、結果が支持するのは後期分岐仮説で、最近の言語学および考古学および遺伝学の証拠と一致し、BSPの最初の拡大におけるコンゴの熱帯雨林の重要性を浮き彫りにします。
先行研究は、バントゥー諸語話者の東西の分枝間の遺伝子流動を提案しました。東西のバントゥー諸語言語を話す人口集団がPCAでは分布の端に向かってより分離されているものの、とくに現在のザンビアとDRCのBSPにおいて、中間に向かって重複があります(図3)。したがって、この2ヶ国は、遺伝的組成にも反映されている、さまざまな言語学的な下位集団間の接触地帯を表しています。地理的景観に対する最も近い遺伝的距離(fixation index、略してFₛₜ)の追跡によるBSP拡大経路に関する本論文の推測も、相互作用の関連の可能性としてザンビアを示唆します(図5a)。具体的には、ロジ人(Lozi)集団はDRC西部からジンバブエやモザンビークやエスワティニ(旧スワジランド)や南アフリカ共和国へのバントゥー諸語話者移民の代理人口集団を表しています。しかし、ザンビアの西部州とその近隣地域において共通語として広く用いられているロジ語は、19世紀にやっとこの地域に現在の南アフリカ共和国からのソト(Sotho)語移民によりもたらされました。分析からロジ人集団を除くと、西方BSPとの東方と東方南部のBSP間の接続点はDRC西部へと動きます(図5b)。以下は本論文の図5です。
BSP拡大経路間の分岐点としての現在のザンビアは、全バントゥー諸語話者地域の代表ではないいくつかのBSPを用いて、以前に提案されました(関連記事)。本論文では、BSPのとくに適切な地理的代表で、重要な関連地帯としてザンビアとDRC西部が特定されました。しかし、EEMSとFEEMSとMAPSとFₛₜ推定値を用いての空間的に明示的な分析とクラスタ化手法は、これらの地帯においてさえ、恐らくはBSP間の言語境界により起きた、遺伝子流動と人口構造への障壁を示唆します。将来の研究とモデル検証手法は、これらがバントゥー諸語の東部と西部南方の系統を話す人口集団間の相互作用地帯なのか、あるいは過去の拡大経路における分岐点なのか、確証することができるかもしれません。空間的手法はさらに、以前に報告されたように、アフリカ大陸中央部のより低い移動率の縦方向の地帯(図5cの茶色および図5dの濃い赤色の地域)とともに、ケニアから南アフリカ共和国東部のインド洋海岸沿いの高い効率的な移住率(図5cの青色の地域)を示唆しています。
混合事象の年代測定は、アフリカ赤道付近全域のBSP拡大の主要な方向を強く裏づけます。混合年代(図2b)は、BSPの故地からの地理的距離と有意に相関しており、アフリカ中央部西方における混合年代がより古く、拡大の極にむかって混合年代はより新しくなります。これらの結果から、BSPの移動率は広範な環境と人口集団の相互作用にも関わらず、経時的に多かれ少なかれ一定だったことも示唆されます。混合年代は西方地域(たとえば、DRC西部におけるBSPとwRHGとの間)のBSPで予測されるより古く、特定の東方地域(たとえば、ウガンダとケニアにおけるBSPとさまざまなアフリカ東部集団との間)ではより新しくなっており、これらの地域へのBSPの移動率は平均速度より早かったか遅かったか、あるいは混合が他地域よりも到来後に早かったか遅かった、と示唆されます。言語学的および文化的に多様な人口集団との相互作用の社会文化的側面と、拡大期におけるBSPが遭遇した環境変化、とくに多様な生態学的地帯への適応と新たな生計慣行の獲得へのさらなる調査は、将来の学際的研究への有望な方法を提示します。
●拡大の上書き事象対連続性
アフリカ中央部西方全域にわたる最初のBSP拡大に続いて、同様の経路沿いの移住があり、拡大の上書き事象のパターンを形成したかもしれません。一部の事例では、これらの後期の移動はそれ以前の移住者とその言語を置換したかもしれません。その結果、バントゥー諸語の特定の系統はもはや正確に最初のBSP拡大を表していないかもしれません。これは、祖先のBSPの移動を示すさいに、系統地理学的分析のため現代バントゥー諸語から得られた語彙と地理的データのみを用いての信頼性について問題が生じます。侵入してきたバントゥー諸語話者集団と以前に定住したバントゥー諸語話者集団との間の接触と混合は、移動事象の混合を反映している遺伝的データにつながるかもしれませんが、言語学的データは最新の拡大事象しか反映していないかもしれません。結果として、言語学と遺伝学両方は地理と相関しているかもしれないものの、相互とは必ずしも相関していないかもしれません。
マンテル検定を用いてこれが検証されました。対での人口集団の言語と地理の距離は有意に相関しており、遺伝と地理の距離も同様です。しかし、遺伝的距離と言語的距離との間の相関は有意ではありません。遺伝と地理との間の相関は、言語学的データの制御後に増加し、それは遺伝学的データの制御後の言語と地理との間の相関も同様です。言語と遺伝との間のわずかに有意な負の相関が、地理の制御後観察されます。遺伝と言語との間のこの全体的に弱い相関(一方で、遺伝と言語はともに地理と強く相関します)は、二次的でより局所的かもしれない拡大の波を含んでいる可能性がある、遺伝学および言語学のデータの根底にある別々の歴史を示しているかもしれません。他の説明も可能で、たとえば、言語学的に遠く関連しているBSP間の混合です。
拡大の上書き事象の可能性をさらに調べるため、現在のBSPアフリカの古代の個体群の遺伝的多様性が比較され、その中には、本論文で新たに提示される12個体(688~97年前頃)の全ゲノム配列決定データと、以前の古代DNA研究から得られた83個体(8895~150年前頃)が含まれています。これらの個体の考古学的および形態学的説明と配列決定された個体群の年代測定は、先行研究と補足データの表14に掲載されています。次元削減およびクラスタ化(まとまり)分析は、古代人と現代の個体群との間の遺伝的類似性を表しています(図1d)。南アフリカ共和国では、LIA(後期鉄器時代)個体群(688年前頃以降)が同地域の現代のBSPとの均質性と遺伝的類似性を示しているので、LIA以降の遺伝的連続性との仮定的状況がほぼ裏づけられます。しかし、本論文で新たに提示されるザンビアのLIA個体群(311年前頃以降)は、より広範な地理的地域から得られた現代のBSPとの遺伝的類似性を示す、より不均一な遺伝的構成を有しています。これは、ザンビアがBSPのさまざまな移動の十字路だったかもしれない、との提案を裏づけます。
●新しく包括的なゲノムデータセット
本論文のデータセットは、古代DNAと比較するための、効率的な現代の背景遺伝的データセットを提供する可能性を論証します(図1d)。BSPの根底にある歴史的パターンは、現代のデータのみに基づくと区別はひじょうに困難です。IBDおよび連続創始者モデルの両方が、同じ位置から類似の経路を通っての複数回の重複する拡大など、研究対象のBSPにおけるより複雑な根底にある人口史を表すことができます。このパターンの明確な現れは、現代人のDNAと古代人のDNAに基づくヨーロッパ史の推測の比較で見られてきました。言語学と地理と遺伝学との間の本論文のマンテル検定などの分析は暫定的に、複雑な歴史と拡大の上書き事象の可能性を示し、最近の考古学的研究と一致します。アフリカの前期・中期・後期鉄器時代と関連する、さまざまな考古学的文脈やさまざまな土器伝統から得られたヒト遺骸での将来の古代DNA研究は、バントゥー諸語話者関連祖先系統の相互および現在のBSPとの類似性評価に必要となるでしょう。したがって、BSPの完全な地理的範囲を含んでいる本論文の広範なゲノムデータセットの利用可能性は、古代DNAを用いての拡大の上書きとの提案のさらなる検証を可能とするでしょう。
●まとめ
本論文は、アフリカ西部からコンゴの熱帯雨林経由でアフリカ東部および南部へと連続創始者的に拡大する祖先系統を有する、BSPの大規模な人口拡大を裏づけます。この調査結果は、起源地からの遺伝的多様性の減少とFₛₜの増加のパターン、およびアフリカ西部からの距離に伴って新しくなる在来集団との混合年代により裏づけられます。本論文の遺伝学的調査結果は、既存の言語学的モデルと比較して提供する精度は低いものの、BSP拡散追跡のため、現代の言語学的データのみに依存することを警告しています。それは、拡大の上書き事象と言語学的に遠く関連しているBSP間の遺伝的混合の可能性のためです。本論文の遺伝学的調査結果は、BSPの人口統計学的歴史がその言語進化にどのような影響を及ぼしたのかについて、包括的な学際的研究のための必要性を浮き彫りにします。
BSP起源地からの距離との混合年代の有意な相関は、BSP拡大の景観の極度に不均一な性質にも関わらず、比較的一定のBSP拡大の速度を裏づけられます。アフリカの景観全域にわたって、有効移動率にはより高かったりより低かったりする回廊がありましたが、現在のザンビアとDRCがBSPの拡大にとって重要な十字路もしくは相互作用点のようです。比較データと新たな空間モデル化手法としての本論文のデータセットを用いての将来の古代DNA研究は、BSP拡大および他のアフリカ人口集団との相互作用に関する本論文の理解を洗練するでしょう。この新たな調査結果とデータは、集団遺伝学者や考古学者や歴史言語学者や人類学者や歴史学者だけではなく、アフリカの人口集団およびアフリカ系人口集団におけるヒトの遺伝的差異とヒトの健康を研究する、医療および保険分野にも役立つでしょう。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。
遺伝学:アフリカにおけるバントゥー語の歴史を探究する
アフリカのサハラ砂漠以南に存在するバントゥー語話者の非常に大きな集団は、西アフリカを起源として、その後、南方と東方に徐々に持続的に居住域を拡大していった可能性が非常に高いことが研究によって示された。このことを報告する論文が、Natureに掲載される。今回の研究では、現代人と古代人の遺伝的解析から、バントゥー語話者の進化史に関する新たな知見が得られた。バントゥー語話者の人口は、約6000~4000年前に西アフリカで増え始めた。
バントゥー語族は500以上の異なる言語で構成されており、サハラ以南のアフリカ全体で約3億5000万人がバントゥー語を話している。バントゥー語話者集団の拡大パターンは経度に沿ったものであり、さまざまな気候や環境を通過していた点は注目に値する。これは、緯度に沿って移動し、類似した地形を横断することよりずっとまれなことだった。
今回、Carina Schlebuschらは、1763人の現代人のゲノムデータセットを照合した。その内訳は、147集団に属するバントゥー語話者1526人とそれ以外のサハラ以南のアフリカの住民237人で、過去の遺伝学的研究で解析対象にならなかった117集団のバントゥー語話者も含まれており、これによってバントゥー語族の主要な語派が全て研究対象となった。これに加えて、現在のザンビアと南アフリカに所在する後期鉄器時代の遺跡で出土した12体の遺骨(97~688年前のもの)から採取されたDNAの塩基配列が解読され、古代のバントゥー語話者の移動パターンの歴史に関する知見が得られた。Schlebuschらは、遺伝的モデル化、言語的モデル化、地理的モデル化を併用して、バントゥー語話者の集団の歴史と移動を分析した。
遺伝的データから、バントゥー語話者の集団は西アフリカを起源とし、コンゴの熱帯雨林を通ってアフリカの東部と南部に拡大したことを示す証拠が得られた。Schlebuschらは、バントゥー語話者集団の発祥地からの距離が長くなるにつれて遺伝的多様性が低下するというパターンを観察した。また、こうした分析から、バントゥー語話者集団と先住民群の間で混合があった証拠が得られ、それも集団の発祥地からの距離が長くなるとともに減少していた。この相関関係は、バントゥー語話者集団が移動する際に多様な気候や地形を通過したにもかかわらず、この集団が拡大する勢いが比較的一定であったことを示唆している。そして、現在のザンビアとコンゴ民主共和国が、異なる語派の間の相互作用があった地点であり、バントゥー語話者の集団の拡大にとって重要な地点だったことも明らかになった。
以上の結果は、アフリカの集団に関する将来の研究のための貴重な情報資源であり、これらの集団における遺伝的変異や健康を研究するための情報資源にもなる可能性がある。
進化遺伝学:アフリカにおけるバントゥー諸語話者の拡大の遺伝的遺産
進化遺伝学:遺伝的データから明らかになったバントゥー諸語話者の拡大
今回、アフリカの14カ国にわたる147集団の1526人のバントゥー諸語話者を含む計1763人の遺伝的データの分析によって、過去6000年にわたるバントゥー諸語話者の拡大が追跡された。
参考文献:
Fortes-Lima CA. et al.(2024): The genetic legacy of the expansion of Bantu-speaking peoples in Africa. Nature, 625, 7995, 540–547.
https://doi.org/10.1038/s41586-023-06770-6
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