Dan Carlin『危機の世界史』
ダン・カーリン(Dan Carlin)著、渡会圭子訳で、文藝春秋社より2021年2月に刊行されました。原書の刊行は2019年です。電子書籍での購入です。本書は、人類史における危機と崩壊を取り上げています。具体的には、紀元前1200年頃の青銅器時代の終焉、紀元前612年の新アッシリア帝国の崩壊、5世紀の西ローマ帝国の崩壊、第一次世界大戦と第二次世界大戦の後です。本書は冒頭で、「パンデミックは簡単に起こりうる。しかも状況が悪ければ、近代医療が発達する以前の人間の生活を思い知らされることになるかもしれない」と述べています。原書の刊行は新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)による新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的流行の直前で、「近代医療が発達する以前の人間の生活を思い知らされることになるかもしれない」状況にまでは至りませんでしたが、示唆的な内容だと思います。もちろん、過去の危機と崩壊が、現在そのまま再現されるわけではないとしても、現在の社会や文化や生活の水準が劇的に低下する危険性は、常に念頭に置いておくべきなのでしょう。
本書は上述の歴史上の危機と崩壊の前に、子供の立場が歴史上で大きく変わってきたことを指摘します。確かに、育児環境および育児に関する倫理は、歴史上で大きく変わってきたとは思います。本書は、そうした変化が歴史に及ぼす影響について論じますが、断定的ではありません。本書で取り上げられている過去の育児に関する慣習と倫理は、現代では確かにおぞましいものが多いものの、本書は、当時の人々が当時の世界で生きていけるよう、子供を育てており、その時点で分かっていることを学び、最善を尽くそうとしたのであって、現在の育児も未来の専門家にどう評価されるかは分からない、と指摘します。
地中海東部地域~メソポタミア地域にかけての青銅器時代の紀元前1200年頃の終焉は、交易も含めて複雑なつながりが破壊され、ヒッタイトのような大国が滅亡したことなどから、「文明」の崩壊と考えられてきました(関連記事)。本書はこれを西ローマ帝国の滅亡に匹敵する大転換と評価しています。この「文明」崩壊は比較的短期間に起きたようですが、その理由、さらにはそもそも何が起きたのかも、未解明のところがある、と本書は指摘します。本書はこの「文明」崩壊をもたらした要因として、「海の民」や気候変動に伴う旱魃と飢餓など、これまでに提示されてきた学説を検証し、複合的要因だった可能性を指摘します。また本書は、青銅器時代の複雑なつながりの崩壊が、当時の人々にとって悲惨な事態ではなく、ある意味では歓迎された可能性も提起します。なお古代ゲノム研究では、この「文明」崩壊期におけるヨーロッパからレヴァントへの一定以上の人口移動の可能性が指摘されています(関連記事)。
本書はアッシリアの滅亡を、世界史上でも屈指の地政学的事件と評価します。アッシリアの王は代々、周辺勢力や反逆者などへの、現代の基準から見て残酷な処置を誇っており、それは当時としては普通のことで、それが大帝国の維持と「文明の進歩」をもたらした、とも評価されています。しかし本書は、そうした残酷な処置への反動が、アッシリアをあっという間の滅亡に追い込んだのではないか、と指摘します。アッシリアの滅亡は、ローマ帝国のような長期の漸進的な過程ではなく、短期間の出来事だった、というわけです。アッシリアの記憶は比較的短期間で失われたようで、現代人は現代の「文明」がそのように滅亡することはないと思い込んでいるものの、太古の人々もそう思い込んでいただろう、と本書は指摘します。
ローマ帝国の滅亡は西洋社会を中心に古くから高い関心が寄せられてきており、滅亡の原因については古くから多くの仮説が提示されてきました。さらには、たとえば西ローマ帝国の滅亡は「文明」の崩壊なのか、長期的な変容の過程ではないのか、「暗黒時代」の到来との評価は妥当ではないなど、滅亡とされる事象をどう評価するのかさえ、20世紀後半以降に議論されてきました(関連記事)。本書はローマ帝国とゲルマンとの関係に注目し、ゲルマン側がローマ帝国から影響を受けただけではなく、ゲルマンを「野蛮」とみなしていたローマ側でも、服装などでゲルマン側の影響を受けており、ローマ軍もゲルマン化が次第に進んでいったことを指摘します。また本書は、西ローマ帝国を滅亡に追いやったゲルマン側が、混成的な集団に変容していたことも指摘します。
本書は疫病の大流行にも1章を割いており、疫病の世界的大流行が過去のものではなく、現代社会にとって大きな打撃となる可能性を指摘しています。本書の趣旨が歴史上の危機と崩壊から現代世界の脅威を示すことにあり、原書の刊行が新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)による新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的流行の直前だったことから、本書を「予言書」的に読む人も少なからずいるのではないか、と思います。疫病は文字記録では古代から見える現象で、それが正確にどの病原体に由来するのか、分からない場合も多いものの、考古学なども含めて学際的研究により解明される場合もあります。世界最初の真の世界的流行病として本書が挙げているのは6世紀半ばのユスティニアヌス疫病ですが、その影響は過大評価されてきた、と指摘する研究を伝えた報道もあります。本書においてユスティニアヌス疫病以上に大きな影響を及ぼしたと評価されているのが14世紀の黒死病で、さらには近代においても第一次世界大戦中から始まったスペイン風邪による影響の大きさも指摘されています。
核兵器は、冷戦末期に子供期から思春期を過ごした私にとっては現実的な脅威でした。冷戦構造とソ連の崩壊以後、核兵器への脅威感はかなり低下しているようにも思いますが、2022年2月に核兵器大国のロシアがウクライナへの侵攻を開始し、ウクライナ側の激しい抵抗により戦争が長期化したことで、再度核兵器への脅威感は高まっているようにも思います。本書は核兵器をめぐる倫理的問題を深く取り上げつつ、核兵器が人類社会にとってきわめて危険で、過去の疫病や大国の崩壊とは比較にならないような人類社会の「後退」をもたらすかもしれない、と改めて強調しており、この問題は冷戦期以上に現代人が真剣に考えるべき問題だと思います。
参考文献:
Carlin D.著(2021)、渡会圭子訳『危機の世界史』(文藝春秋社、原書の刊行は2019年)
本書は上述の歴史上の危機と崩壊の前に、子供の立場が歴史上で大きく変わってきたことを指摘します。確かに、育児環境および育児に関する倫理は、歴史上で大きく変わってきたとは思います。本書は、そうした変化が歴史に及ぼす影響について論じますが、断定的ではありません。本書で取り上げられている過去の育児に関する慣習と倫理は、現代では確かにおぞましいものが多いものの、本書は、当時の人々が当時の世界で生きていけるよう、子供を育てており、その時点で分かっていることを学び、最善を尽くそうとしたのであって、現在の育児も未来の専門家にどう評価されるかは分からない、と指摘します。
地中海東部地域~メソポタミア地域にかけての青銅器時代の紀元前1200年頃の終焉は、交易も含めて複雑なつながりが破壊され、ヒッタイトのような大国が滅亡したことなどから、「文明」の崩壊と考えられてきました(関連記事)。本書はこれを西ローマ帝国の滅亡に匹敵する大転換と評価しています。この「文明」崩壊は比較的短期間に起きたようですが、その理由、さらにはそもそも何が起きたのかも、未解明のところがある、と本書は指摘します。本書はこの「文明」崩壊をもたらした要因として、「海の民」や気候変動に伴う旱魃と飢餓など、これまでに提示されてきた学説を検証し、複合的要因だった可能性を指摘します。また本書は、青銅器時代の複雑なつながりの崩壊が、当時の人々にとって悲惨な事態ではなく、ある意味では歓迎された可能性も提起します。なお古代ゲノム研究では、この「文明」崩壊期におけるヨーロッパからレヴァントへの一定以上の人口移動の可能性が指摘されています(関連記事)。
本書はアッシリアの滅亡を、世界史上でも屈指の地政学的事件と評価します。アッシリアの王は代々、周辺勢力や反逆者などへの、現代の基準から見て残酷な処置を誇っており、それは当時としては普通のことで、それが大帝国の維持と「文明の進歩」をもたらした、とも評価されています。しかし本書は、そうした残酷な処置への反動が、アッシリアをあっという間の滅亡に追い込んだのではないか、と指摘します。アッシリアの滅亡は、ローマ帝国のような長期の漸進的な過程ではなく、短期間の出来事だった、というわけです。アッシリアの記憶は比較的短期間で失われたようで、現代人は現代の「文明」がそのように滅亡することはないと思い込んでいるものの、太古の人々もそう思い込んでいただろう、と本書は指摘します。
ローマ帝国の滅亡は西洋社会を中心に古くから高い関心が寄せられてきており、滅亡の原因については古くから多くの仮説が提示されてきました。さらには、たとえば西ローマ帝国の滅亡は「文明」の崩壊なのか、長期的な変容の過程ではないのか、「暗黒時代」の到来との評価は妥当ではないなど、滅亡とされる事象をどう評価するのかさえ、20世紀後半以降に議論されてきました(関連記事)。本書はローマ帝国とゲルマンとの関係に注目し、ゲルマン側がローマ帝国から影響を受けただけではなく、ゲルマンを「野蛮」とみなしていたローマ側でも、服装などでゲルマン側の影響を受けており、ローマ軍もゲルマン化が次第に進んでいったことを指摘します。また本書は、西ローマ帝国を滅亡に追いやったゲルマン側が、混成的な集団に変容していたことも指摘します。
本書は疫病の大流行にも1章を割いており、疫病の世界的大流行が過去のものではなく、現代社会にとって大きな打撃となる可能性を指摘しています。本書の趣旨が歴史上の危機と崩壊から現代世界の脅威を示すことにあり、原書の刊行が新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)による新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的流行の直前だったことから、本書を「予言書」的に読む人も少なからずいるのではないか、と思います。疫病は文字記録では古代から見える現象で、それが正確にどの病原体に由来するのか、分からない場合も多いものの、考古学なども含めて学際的研究により解明される場合もあります。世界最初の真の世界的流行病として本書が挙げているのは6世紀半ばのユスティニアヌス疫病ですが、その影響は過大評価されてきた、と指摘する研究を伝えた報道もあります。本書においてユスティニアヌス疫病以上に大きな影響を及ぼしたと評価されているのが14世紀の黒死病で、さらには近代においても第一次世界大戦中から始まったスペイン風邪による影響の大きさも指摘されています。
核兵器は、冷戦末期に子供期から思春期を過ごした私にとっては現実的な脅威でした。冷戦構造とソ連の崩壊以後、核兵器への脅威感はかなり低下しているようにも思いますが、2022年2月に核兵器大国のロシアがウクライナへの侵攻を開始し、ウクライナ側の激しい抵抗により戦争が長期化したことで、再度核兵器への脅威感は高まっているようにも思います。本書は核兵器をめぐる倫理的問題を深く取り上げつつ、核兵器が人類社会にとってきわめて危険で、過去の疫病や大国の崩壊とは比較にならないような人類社会の「後退」をもたらすかもしれない、と改めて強調しており、この問題は冷戦期以上に現代人が真剣に考えるべき問題だと思います。
参考文献:
Carlin D.著(2021)、渡会圭子訳『危機の世界史』(文藝春秋社、原書の刊行は2019年)
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