氷期後のユーラシア西部の人口史
氷期後のユーラシア西部の人口史に関する研究(Allentoft et al., 2024)が公表されました。本論文は、最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)後となる、ユーラシア西部と北部の中石器時代と新石器時代の317個体のゲノムデータを新たに報告し、既知の1300個体以上の古代人のゲノムと統合することで、ユーラシアにおける農耕への移行で、黒海からバルト海まで伸びる明確な遺伝的境界があったことを示します。新石器時代への移行において、この境界線の西側では大きな遺伝的構成の変容が起きましたが、その東側では大きな変化は起きませんでした。ユーラシア西部におけるこの大きな遺伝的境界は、新石器時代の後のユーラシア西方草原地帯からの人類集団の拡大により溶解していきました。本論文は、古代ゲノム研究がユーラシア西部、とくにヨーロッパにおいて最も進んでいることを改めて示しました。恐らくユーラシア東部でもユーラシア西部と同様の事象が完新世に起き、農耕集団の拡大により完新世に遺伝的均質化が進み、日本列島はその波に飲み込まれるのが比較的遅い地域だったと推測され、日本列島も含めてユーラシア東部圏の今後の古代ゲノム研究の進展が期待されます。
●要約
ユーラシア西部では完新世に、大規模なヒトの移動が複数回ありました(関連記事)。この研究は、これらの移動の大陸横断的な影響を調べるため、おもに中石器時代と新石器時代のユーラシア北部および西部全域の317個体のゲノムをショットガン配列決定しました。これらの新たなデータは刊行されているデータとともに補完され、古代人1600個体以上の二倍体遺伝子型が得られました。分析の結果、黒海からバルト海まで伸びる、「大分断域(great divide)」のゲノム境界が明らかになりました。中石器時代の狩猟採集民はこの地域の東西で高度に遺伝的に分化しており、新石器化の影響も同様に異なっていました。
農耕がもたらされたさいに、この地域の西側では大規模な祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の変化が起き、それには多くの地域における狩猟採集民の完全に近い置換が含まれていましたが、同じ期間なこの地域の東側では顕著な祖先系統の変化は起きませんでした。同様に、この地域の西側では新石器時代への移行後に近縁性が減少しましたが、ウラル山脈の東側では、近縁性は4000年前頃まで高いままで、狩猟採集民の局所的集団の存在と一致します。この東西の境界は、ヤムナヤ(Yamnaya)文化関連祖先系統が5000年前頃にユーラシア西部全域に拡大したさいに消滅し、第二の主要な入れ替わりがもたらされ、それは1000年間でヨーロッパの大半に到達しました。
ヤムナヤ文化集団の遺伝的起源と運命は分かりにくいままでしたが、本論文では、ドン川中流域の狩猟採集民がヤムナヤ文化集団に祖先系統を寄与した、と示されます。ヤムナヤ文化集団はその後、ヨーロッパへの拡大前に球状アンフォラ(Globular Amphora、略してGA)文化集団と関連する個体群と混合しました。同様の入れ替わりはシベリア西部で起きており、本論文は、シベリア森林草原地帯からバイカル湖にまで広がる「新石器時代草原地帯」からの新たなゲノムデータを報告します。先史時代の移動は、ユーラシア人口集団の遺伝的多様性に顕著で永続的な影響を及ぼしました。
●研究史
ユーラシア西部人口集団の遺伝的多様性は、おもに3回の主要な先史時代の移住により形成されました。それは、45000年前頃以降にこの地域に居住していた解剖学的現代人(Homo sapiens)の狩猟採集民(hunter-gatherer、略してHG)、11000年前頃以降に中東から拡大した新石器時代農耕民、5000年前頃にポントス・カスピ海草原(ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)から到来した草原地帯牧畜民です。古ゲノム解析は、ヨーロッパ中央部および西部のHG集団とさらに東方のHG集団との間の基底的な祖先の分裂につながった、初期の氷期後の入植経路(関連記事)を明らかにしてきました。
ヨーロッパ西部狩猟採集民(Western Hunter-Gatherers、略してWHG)祖先系統は、続グラヴェティアン(Epigravettian、続グラヴェット文化)やアジリアン(Azilian、フランコ・カンタブリア地域の続旧石器時代と中石器時代のマグダレニアン後の文化)や続旧石器時代文化に直接的に由来しているようで、イタリアのヴィッラブルーナ(Villabruna)遺跡個体に代表されるヴィッラブルーナクラスタ(まとまり)に分類されていますが、ヨーロッパ東部狩猟採集民(Eastern Hunter-Gatherers、略してEHG)祖先系統は、古代北ユーラシア人(Ancient North Eurasian、略してANE)と呼ばれている上部旧石器時代シベリア供給源とのさらなる混合を示します。
WHGの祖先系統組成は、中石器時代人口集団では地域的に異なっていました。イベリア半島HGにおける連続的な局所的混合の証拠があり(関連記事)、これはブリテン島やヨーロッパ北西部大陸部におけるより均一なWHG祖先系統特性と対照的で、拡大前の祖先系統形成を示唆しています。EHGを形成した祖先系統の混合年代は15000~13000年前頃と推定されており、その組成は大まかに地理と相関している勾配に従っているようで、バルト海地域とウクライナのHGは、より多くのANE祖先系統を示すロシアのHGと比較して、ヴィッラブルーナ上部旧石器時代クラスタ祖先系統とより多くの類似性を示します(関連記事1および関連記事2)。スカンジナビア半島から得られた中石器時代の骨格試料のゲノム解析は、その後の中石器時代人口集団におけるWHGおよびEHG祖先系統の多様な混在を明らかにしてきました(関連記事1および関連記事2)。
これら大規模な特徴づけを超えて、中石器時代の人口構造と人口統計学的過程についての知識は限られており、かなりの年代および地理的情報の間隙があります。これは部分的には、8000年以上前のよく保存されている中石器時代のヒト骨格が相対的に少ないことに起因し、また部分的には、中石器時代と新石器時代に関するほとんどの古代DNA研究がヨーロッパの個体群に限定されてきたからです。考古学的記録はバルト海東部から黒海にかけての境界を示唆しており、その境界の東側のHG社会は、中東の初期農耕の分布中心地への距離が類似しているにも関わらず、ヨーロッパ西部よりもずっと長く持続しました。EHGおよびWHG祖先系統の構成要素はこの境界ではひじょうに多様なようですが(関連記事)、この東西の区分のより広い時空間的な遺伝的意味は不明です。
同じ期間におけるアジア北部および中央部を含めてのヨーロッパの東側の人口動態の時空間的な地図化は、限られています。これらの地域では、「新石器化」は、社会的交流網の違いや石器技術の変化や土器の使用を含む、文化的および経済的変化により特徴づけられます。たとえば、アジア中央部草原地帯とロシアのタイガ帯の新石器時代文化には土器がありましたが、先行する中石器時代文化と類似した石刃技術とともにHG経済を保持していました。一部の主要な地域と期間のデータの根本的欠如により、新石器化がユーラシア北部および西部全域にわたってその時期と機序と影響でどのように異なっていたのかについて、より深い理解の獲得が困難になっています。
狩猟および採集から農耕への移行は、中東起源の植物の栽培化と動物の家畜化に基づいており、ヒトの先史時代の人口統計学と健康と生活様式と文化における最も根本的な変化の一つを表しています。ヨーロッパの大半における新石器化の過程には、アナトリア半島系の移民の到来が伴っていました。たとえば、イベリア半島では新石器時代はアナトリア半島およびエーゲ海祖先系統の移住農耕民の地中海および大西洋沿岸での急激な拡大で始まり、その後で在来のHGとの混合が漸進的に起きました(関連記事)。同様に、ヨーロッパ南東部および中央部では、農耕はアナトリア半島新石器時代農耕民とともに拡大し、そうした農耕民は在来のHGとその後である程度混合しました。
逆にブリテン島ではデータから、侵入してきた大陸からの農耕民により農耕がもたらされたさいにHG人口集団の完全な置換があり、その後の在来HG祖先系統の復活はなかった、と示唆されています(関連記事)。バルト海東部地域では、顕著に異なる新石器化の軌跡があり、家畜と栽培植物の導入は較正年代で4800年前頃となる縄目文土器複合(Corded Ware Complex、略してCWC)の出現時のみでした。同様にウクライナ東部では、中石器時代祖先系統のHGが数千年にわたってさらに西方の農耕集団と共存していました(関連記事)。これらの研究はすべて、ユーラシア西部の人口史に関する理解への重要な地域的寄与を提供してきましたが、本論文が把握している限りでは、より広範な大陸全体の観点からは知識が斑状のままです。
5000年前頃以降、ヤムナヤ文化など前期青銅器時代草原地帯牧畜民と関連する祖先系統構成要素が、CWCおよび関連する文化の拡大を通じてヨーロッパ全域に急速に拡大しました。先行研究はヨーロッパおよびアジア中央部へのこれら大規模な移住を特定してきましたが、人口統計学的過程に関する中心的側面は解決されていません。ヤムナヤ祖先系統(つまり、「草原地帯」祖先系統)は、EHG祖先系統とコーカサス狩猟採集民(Caucasus Hunter–Gatherers、略してCHG)祖先系統の混合として大まかに特徴づけられてきており、「北方」の草原地帯供給源と「南方」のコーカサス供給源との間の仮定的な混合で形成されました(関連記事)。
しかし、これらの祖先系統供給源の正確な起源は特定されていませんでした。さらに、いくつかの例外はありますが(関連記事1および関連記事2)、刊行されているヤムナヤ文化集団のY染色体ハプログループ(YHg)は、5000年前頃以後のヨーロッパで見られるYHgと一致せず、この父系の起源も未解決です。最後に、ヨーロッパでは、「草原地帯」祖先系統はこれまで、混合形態でしか特定されてきませんでしたが、この混合事象の起源と、この祖先系統がその後でCWCとともに拡大した機序は、分かりにくいままです。
大陸横断規模でこれらの形成過程を調べるため、加速器質量分析法(accelerator mass spectrometry、略してAMS)により放射性炭素年代測定された、ユーラシアの大半を網羅する、おもに中石器時代と新石器時代に由来する317個体のゲノムが配列決定されました。これらのデータは刊行されているショットガン配列決定されたデータと組み合わされ、1600個体以上の二倍体の古代人のゲノムのデータセットが補完されました。標本抽出された古代人367個体の骨格(図1)のうち、272個体はこの計画内で放射性炭素年代測定され、30個体は刊行されている文献に由来し、15例は考古学的状況により年代測定されました。以下は本論文の図1です。
年代は海洋および淡水貯蔵効果で補正され、その範囲は較正年代で27500年前頃(以下、明記のない場合は較正年代です)となる上部旧石器時代から中世(1200年前頃)です。しかし、個体のうち97%(309個体)の年代は11000~3000年前頃で、主要な焦点はさまざまな中石器時代および新石器時代の文化と関連する個体群に当てられています。地理的には、標本抽出された317個体の骨格は、バイカル湖から大西洋沿岸まで、およびスカンジナビア半島から中東まで、ユーラシア全域の広範な領域を網羅しており、古墳や洞窟や湿原や改訂を含むさまざまな状況に由来します。大まかには、この研究は3大地域に区分でき、それは、(1)ヨーロッパの中央部と西部と北部、(2)ロシア西部とベラルーシとウクライナを含むヨーロッパ東部、(3)ウラルとシベリア西部です。
標本は、ユーラシア西部の重要な中石器時代および新石器時代の文化の多くを網羅しており、たとえば、スカンジナビア半島のマグレモーゼ(Maglemose)文化やエルテベレ(Ertebølle)文化や漏斗状ビーカー文化(Trichterbecherkultu、Funnel Beaker Culture、略してTRB)やCWC/単葬墓(Single Grave)文化、地中海のカルディウム土器(Cardial Ware)文化、ヨーロッパ南東部および中央部のケレス(Körös)文化、ヴェレティエ(Veretye)文化やリヤロヴォ(Lyalovo)文化やヴォロソヴォ(Volosovo)文化やキトイ(Kitoi)文化などウクライナやロシア西部やトランス・ウラル地域の多くの考古学的文化です。本論文の標本抽出はとくにデンマークにおいて高密度で、関連論文はデンマークの前期中石器時代から青銅器時代にまたがる100個体のゲノム詳細で連続した配列を提示しています。高密度の標本抽出はウクライナとロシア西部とトランス・ウラル地域からも得られ、年代は前期中石器時代から新石器時代を経て5000年前頃にまでまたがります。
●大規模な遺伝的構造
古代DNAは歯のセメント質もしくは錐体骨から抽出され、317個体のゲノムが、0.01倍~7.1倍の間の範囲の網羅率の深度(平均0.75倍、中央値は0.26倍)でショットガン配列決定され、81個体のゲノムが網羅率1倍以上でした。低網羅率のデータに最適化された計算手法を使って、参照パネルとして1000人ゲノム位相データを用いて遺伝子型が補完されました。この手法は以前に刊行されたショットガン配列決定のゲノムにともに適用され、1664個体の補完された二倍体の古代人のゲノムについて、850万の共通の一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)のデータセットが得られました。この場合のSNPは少数のアレル(対立遺伝子)頻度(minor allele frequency、略してMAF)が1%以上で、INFO得点が0.5以上です。ほとんどの下流分析では、71個体が、近い親族がいると分かったか、推定汚染率が5%以上だったので、除外されました。これにより1593個体のゲノムが得られ、そのうち1492個体(そのうち213個体はこの研究で配列決定されました)は補完された半数体として、101個体は低網羅率(0.1倍未満)および/もしくは低い補完品質(平均遺伝子型確率が0.98以下)のため疑似半数体として分析されました。
主成分分析(principal component analysis、略してPCA)とモデルに基づくクラスタ化(ADMIXTURE)を用いて、このデータセットの大規模な特徴づけが実行され、古代ユーラシア人口集団における以前に報告された祖先系統勾配が解像度を高めて再現されました(図1)。本論文の補完された全ゲノムにより、現在人の差異により定義された空間への投影の代わりに、入力として古代人のゲノムを用いてのPCAの実行が可能になりました。注目すべきことに、これにより古代の個体群で以前に観察されたよりもずっと高い分化が得られました。これはユーラシア西部の個体群のPCAにおいてとくに顕著で、最初の二つの主成分(PC)により説明される分散は1.5倍以上に増加し、現在の人口集団はPCA空間の小さな中央領域内に限定されています(図1d)。これらの結果は、ヨーロッパ古代人の間の遺伝的分化が現在の人口集団で観察されるよりも高いことと一致し、古代人集団におけるより大きい遺伝的孤立とより低い有効人口規模を反映しています。
時空間にわたる遺伝的祖先系統のより詳細な特徴づけを得るため、広く用いられているChromoPainter–FineSTRUCTUREワークフローと類似した手法が用いられました。まず、古代の個体間での対での同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)共有から構築された情報網で集団検出が実行され、古代の個体群は類似の遺伝的祖先系統の階層的に関連するクラスタに分類されました。階層のより高水準では、得られたクラスタは、EHG(HG_ヨーロッパE)やWHG(HG_ヨーロッパW)などの広範な遺伝的構造を反映する、以前に記載された祖先系統群を表しています。最低水準でのクラスタは詳細な規模の遺伝的構造を解明し、個体群は限定された時空間的範囲および/もしくは考古学的文脈内に分類されますが、より広範な地理的地域にまたがる以前には知られていなかったつながりも明らかになります。これらの得られたクラスタはその後、「標的」個体の一式が「供給源」集団の混合としてモデル化される教師有祖先系統モデル化に用いられました。
●LGM後のHGの人口構造
LGM後のHGの人口構造については、113個体のショットガン配列決定されたゲノムと補完されたHGのゲノムで構成され、そのうち79個体はこの研究で配列決定されました。そのうち、コーカサスに位置するジョージア(グルジア)西部のコティアス・クルデ洞窟(Kotias Klde Cave)の上部旧石器時代の、26052~25323年前頃(95%信頼区間)と直接的に年代測定された1個体(NEO283)の骨格の網羅率0.83倍のゲノムが報告されます。全ての非アフリカ系個体のPCAでは、この個体(NEO283)は他の以前に配列決定された上部旧石器時代個体とは異なる位置を占めており、PC1に沿ってユーラシア西部人の方へと動いています。
混合図モデル化を用いると、このコーカサス上部旧石器時代系統のよく適合する図では、この系統が、おもにユーラシア西部上部旧石器時代HG祖先系統(76%)と、「基底部ユーラシア人」からの約24%の寄与との混合に由来する、と分かります。「基底部ユーラシア人」とは、アジア西部の新石器時代個体群で最初に観察された亡霊(ゴースト)人口集団です(関連記事)。その後のヨーロッパHGの詳細な構造をさらに調べるため、次に増加させた代理供給源クラスタの一式を用いて教師有祖先系統モデル化が実行され、LGM後のヨーロッパの東西のHG間の大規模な遺伝的分化の以前の結果が再現されました。
LGM後初期の拡散において確立されたユーラシア人の遺伝子プール(関連記事)における深い祖先系統の区分は中石器時代を通じて存続した、と示されます。供給源としてLGM前のHGの遠位一式を用いて、本論文で報告されたコティアス・クルデ洞窟の25000年前頃の上部旧石器時代の1個体(NEO283)と関連する1供給源におもに由来するものとして、西方HGがモデル化されたのに対して、東方HGはバイカル湖近くの24000年前頃となるマリタ(Mal’ta)遺跡1号体(MA1、マリタ_24000年前)で表されるシベリアHGと関連するさまざまな量の祖先系統を示しました。LGM後の供給源を用いて、この区分はヨーロッパ南部(イタリア_15000年前_9000年前)およびロシア北西部(NW)のHG(ロシアNW_11000年前_8000年前)とそれぞれ関連する祖先系統によって最適に表され、先行研究で一般的に用いられている分類表示である、「WHG」と「EHG」にそれぞれ相当します。
余分の近位供給源を追加することで、ヨーロッパ北部HGの祖先系統組成をさらに洗練できるようになりました。デンマークでは、28個体の配列決定されて補完されたHGのゲノムは、ほぼ排他的にヨーロッパ南部の1供給源(イタリア_15000年前_9000年前)に由来し、5000年の期間にわたって顕著な均一性があります。対照的に、スカンジナビア半島の他地域のHGの祖先系統組成における顕著な地理的差異が観察されました。スカンジナビア半島の中石器時代個体群は大まかに、LGM後の遠位供給源(hgEur1)を用いて、東西のHGのさまざまな割合での混合としてモデル化されました(関連記事)。
スウェーデン南部の中石器時代個体群では、東方HG祖先系統構成要素はおもに、より近位のモデルではヨーロッパ南部供給源(ルーマニア_8800年前)によりほぼ置換され、最大で祖先系統の60~70%となります。ロシアHGと関連する祖先系統は、ずっと北方に向かっての勾配で増加し、その頂点はノルウェー北部のトロムソ(Tromso)遺跡の後期HG(4350年前頃)1個体(VK531)における約75%で、これは、そうした個体がロシア北部HGと最高のIBDを共有していた、という事実にも反映されていました。後期中石器時代には、沿岸部の個体群、つまりスウェーデン南部のエヴェンサス(Evensås)遺跡の1個体(NEO260)とスケートホルム(Skateholm)遺跡の1個体(NEO679)において、さらに内陸のそれ以前の個体群よりも高い割合のヨーロッパ南部HG祖先系統が観察されました。デンマークのHGを近位供給源として追加すると、それら2個体(hgEur3)で適合がかなり改善し、デンマークHGに由来する祖先系統の推定割合は58~76%となり、この祖先系統が優勢だったデンマークとの集団遺伝学的つながりを示唆しています。
これらの結果から、スカンジナビア半島への北上するHG祖先系統の少なくとも3回の異なる波があった、と示唆されます。それは、(1)デンマークおよびスウェーデン南西部沿岸へのおもにヨーロッパ南部祖先系統、(2)バルト海地域およびスウェーデン南東部へのヨーロッパ南東部HGと関連する供給源、(3)ずっと北方へのロシア北西部供給源で、これはその後でノルウェーの大西洋沿岸を南方へと拡大しました。これらの移動は、多くの動植物種と共有される退避地的な地域からの氷期後の拡大を表している可能性が高そうです。
イベリア半島では、この研究で配列決定されたスペイン東部のサンタ・マリア(Santa Maira)遺跡の9200年前頃のHG個体(NEO694)を含む最初の個体群は、おもにヨーロッパ南部HG祖先系統を示し、上部旧石器時代HG供給源からのわずかな寄与があります。この観察された上部旧石器時代HG祖先系統供給源の混合は、イベリア半島HGで以前に報告された(関連記事)LGM前のマグダレニアン(Magdalenian、マドレーヌ文化)関連祖先系統構成要素を反映している可能性が高そうで、本論文のデータセットではこの祖先系統にとって適切な供給源人口集団の代理は欠けています。
対照的に、イベリア半島北部のその後の個体群はヨーロッパ南部のHGとより類似しており、その祖先系統の30~40%は、より近位のモデルではバルカン半島のHGと関連する供給源に由来します。この遺伝子流動の最初の証拠は、スペインのエル・マゾ(El Mazo)遺跡の較正および貯蔵効果補正されて8200年前頃(95%信頼区間で8365~8182年前)と年代測定された(考古学的文脈による年代測定は8550~8330年前頃とわずかに古くなります)中石器時代の1個体(NEO646)で観察されました。この直接的に測定された年代は、エル・マゾ遺跡で8200年前頃に出現した、イベリア半島北部における最古級の中石器時代の幾何学的細石器と一致します。
中石器時代の後のウクライナの個体群におけるヨーロッパ南部HG関連祖先系統の流入は、ヨーロッパ南東部における類似の東方への拡大を示唆します。注目すべきことに、ポントス・カスピ海草原のドン川中流域のゴルバヤ・クリニッツァ(Golubaya Krinitsa)遺跡の新たに報告された7300年前頃となる2個体(NEO113とNEO212)のゲノムは、おもにそれ以前のウクライナHGに由来するものの、コーカサスのHG(コーカサス13000年前_10000年前)と関連する1供給源から18~24%の祖先系統の寄与がある、と分かりました。同じ遺跡の計画で発見されたさらに低網羅率の(補完されていない)ゲノムはPCA空間(図1d)では、ヨーロッパHG勾配から離れてイランおよびコーカサスの方へと動いていました。連鎖不平衡に基づく手法であるDATESを用いると、この混合は8300年前頃と年代測定されました。これらの結果は、以前に知られていたよりもずっと古いコーカサスと草原地帯の人口集団間の遺伝的接触を説明し、最近の仮説(関連記事1および関連記事2)以とは対照的に、その後の遊牧草原地帯文化の開始の前となる混合と、以前に報告されてきたよりもさらに西方での混合の証拠を提供します。
●ヨーロッパにおける大きな遺伝的移行
以前の古代ゲノム研究(関連記事)は、過去1万年間以内のヨーロッパにおける大規模な人口置換いくつかの事象を説明してきましたが、本論文で提示された317個体のゲノムは重要な知識の間隙を埋めます。本論文の分析は、ヨーロッパ全域の時空間的な新石器化の動態における顕著な違いを明らかにします。教師有混合モデル化(「深い」祖先系統一式を使用して)と時空間的な分析(関連記事)は、黒海からバルト海にわたる広範な東西の境界地帯区分を説明します。
この「大分水嶺」の西側では、新石器時代への移行には在来のHGからアナトリア半島関連祖先系統を有する農耕民への遺伝的祖先系統における大規模な変化が伴いました(図2aおよび図3)。このアナトリア半島祖先系統を有する集団は、ボンジュクル(Boncuklu)遺跡の1万年前頃の個体により表されます(ボンジュクル_10000年前)。さまざまな地域におけるアナトリア半島関連祖先系統の到来は、8700年前頃となるバルカン半島のレペンスキ・ヴィール(Lepenski Vir)遺跡の最古の証拠から、デンマークの5900年前頃の証拠まで、3000年以上の長期にまたがっています。以下は本論文の図2です。
さらに、ヨーロッパの農耕民と在来のHGとの間の広範で低水準の混合に関する以前の報告(関連記事)が確証され、その後の数世紀においてヨーロッパの多くの地域でHG祖先系統の復活が見られました。HG祖先系統の得られた推定割合が10%を超えることは稀で、顕著な例外は、ヨーロッパ南部の鉄門(Iron Gates)遺跡とスウェーデンの円洞尖底陶文化(Pitted Ware Culture、略してPCW)の個体群、および本論文で報告されたポルトガルの前期新石器時代のカルディウム土器文化個体群のゲノムで観察され、イベリア半島HG祖先系統(イベリア_9000年前_7000年前)の割合は27~43%と推定されています。
ポルトガルの前期新石器時代のカルディウム土器文化個体群のゲノム解析結果は、わずか200年前頃の混合年代を推定しており(イベリア初期農耕民)、広範な最初の接触に伴う混合を示唆しており、地中海西部ヨーロッパ全域での農耕拡大のモデル化に由来する考古学的推測と一致します。デンマークの新石器時代個体群は、HG祖先系統の最高の全体的な割合(最大で約25%)を示しますが、これはほぼ、在来ではないヨーロッパ西部(W)関連HG(ヨーロッパW_13500年前_8000年前)に由来しており、一部の個体における在来のデンマークHG集団からの寄与は少しだけでした。
その後の新石器時代集団では、初期新石器時代農耕民祖先系統において地域的な階層化の証拠が見つかりました。具体的には、ヨーロッパ南部の初期農耕民が、ヨーロッパ西部のその後の新石器時代集団に大きな遺伝的祖先系統を提供した、と分かったのに対して、ヨーロッパ中央部の初期農耕民祖先系統は、おもにヨーロッパ東部とスカンジナビア半島のその後の新石器時代集団で観察されました。これらの結果は、以前に示唆されたように(関連記事)、拡大する農耕民人口集団の異なる移住経路と一致します。
「大分水嶺」の東側では、祖先系統の変化はこの期間には観察できません。バルト海東部地域とウクライナとロシア西部では、在来のHG祖先系統が5000年前頃まで優勢で、アナトリア半島関連農耕民祖先系統の顕著な流入はありませんでした(図2および図3)。この東方の遺伝的連続性は、この広範な地域における土器を使用する採食民集団の存続と、耕作および畜産の到来の数千年の遅れを示す考古学的記録と一致します。
5000年前頃には、大きな人口統計学的事象がユーラシア草原地帯で広がり、草原地帯関連祖先系統の東西両方への急速な拡大をもたらし、巨大な人口のゲノム分水嶺を終焉させました(図3および図6)。この第二の変化は新石器化よりも速い速度で起き、4800年前頃となるバルト海東部地域における最初の出現後約1000年以内にヨーロッパの大半に到達した、と分かりました(図3)。以前の報告(関連記事)と一致して、4200年前頃までに草原地帯関連祖先系統はすでにブリテン島とフランスとイベリア半島の個体群において優勢だった、と観察されました。注目すべきことに、スカンジナビア半島南部における新石器化の遅れのため、これらの動態はデンマークの新石器時代とスウェーデン南部において、ほぼ1000年間以内の大規模な遺伝的入れ替わりの2回の事象をもたらしました(図3)。以下は本論文の図3です。
5000年前頃となる草原地帯の移動のより広範な影響はよく知られていますが、この祖先系統の起源は謎のままです。本論文では、草原地帯祖先系統組成(草原地帯_5000年前_4300年前)がドン川中流域の本論文で報告された狩猟採集民のゲノム(ドン川中流_7500年前)と関連する祖先系統約65%と、コーカサスのHG(コーカサス13000年前_10000年前)と関連する祖先系統約35%の混合としてモデル化できる、と示されます。したがって、すでにコーカサスHGと関連する祖先系統を有しているドン川中流域のHGは、ヤムナヤ文化関連集団のゲノムへの主要な祖先系統の寄与について、これまで知られていなかった近位供給源として機能します。問題となる個体群は、ゴルバヤ・クリニッツァ遺跡の墓地に由来します。
ゴルバヤ・クリニッツァ遺跡の物質文化と埋葬慣行は、たとえばドニエプル川沿いなど、ウクライナとロシア西部の近隣地域で広く見られるマリウポリ(Mariupol)様式墓と類似しています。ゴルバヤ・クリニッツァ遺跡個体群は、上述の複雑な土器を使用するHG集団に属していますが、その遺伝的組成は残りのウクライナ遺跡の個体群とは異なります(図2a)。先行研究(関連記事)は、「北方」草原地帯供給源(EHGおよびCHG祖先系統)と「南方」のコーカサス銅器時代供給源(CHG祖先系統)を含む、ヤムナヤ祖先系統形成のモデルを示唆しましたが、これらの供給源の正確な起源を特定しませんでした。本論文で分析されたドン川中流域から得られたゲノムはEHGおよびCHG祖先系統の適切な均衡を示しており、ドン川中流域HGがヤムナヤ祖先系統の欠落した北方の代理供給源の候補である、と示唆されます。
新石器時代農耕民祖先系統から草原地帯関連祖先系統への大陸規模の移行の動態も、地理的地域間で著しく異なります。流入集団への在来の新石器時代祖先系統の寄与はヨーロッパの東部と西部と南部で高く、イベリア半島では50%以上に達します(新石器時代後)。しかし、スカンジナビア半島はひじょうに異なる全体像を示し、ずっと低い寄与となっており(15%未満)、一部地域では在来人口集団の完全に近い置換が含まれます。草原地帯関連祖先系統は、ヨーロッパ全域でCWCの形成を伴い、CWCとともに拡大し、本論文の結果は、基礎的な混合事象に関する新たな証拠を提供します。CWCと関連する個体群は、草原地帯関連祖先系統と新石器時代農耕民関連祖先系統の混合を有しています。
本論文では、新石器時代農耕民関連祖先系統は、後期新石器時代の球状アンフォラ文化(Globular Amphora Culture、略してGAC)と関連する遺伝的クラスタ(ポーランド_5000年前_4700年前)にのみ由来するとモデル化でき、この祖先系統は全ての標本抽出されたヨーロッパの地域全体で草原地帯関連祖先系統と同時に起きた、と示されます(図4a)。これは、草原地帯関連祖先系統の拡大がおもに、ヨーロッパ東部平原のGAC関連農耕民集団とすでに混合していたことを通じて媒介された、ということを示唆しており、それはCWC出現の理解に大きな意味を有する観察です。以下は本論文の図4です。
GACとCWCの土器間の様式的つながりが長く示唆されてきており、アンフォラ(両取手付きの壺)型の容器の使用や縄の装飾パターンの発展が含まれます。さらに、最初のCWC集団出現の直前に、東方GAC集団と西方ヤムナヤ集団が黒海の北西側の森林と草原の移行地帯で文化的要素を好感しており、そこではGACの土器アンフォラと燧石製斧がヤムナヤ文化の埋葬に含まれ、典型的なヤムナヤ文化のオーカー(鉄分を多く含んだ粘土)使用がGAC埋葬に含まれており、これらの集団間の密接な相互作用が示唆されます。
数個体から得られた以前の古代ゲノムデータから、これは文化的影響に限られており、人口集団の混合ではなかった、と示唆されました。しかし、本論文で提示された新たな遺伝学的証拠に照らすと、この地帯、および恐らくはGAC集団と草原地帯の集団との間の接触の他の類似地帯はCWCの形成に重要で、CWCを通じて、草原地帯関連祖先系統とGAC関連祖先系統はともに西方および北方へとずっと遠くに拡散したようです。これは相互作用と混合の地域的に多様な状況をもたらしましたが(関連記事1および関連記事2)、CWC拡散のかなりの部分は、それ以前の期間にGACにより確立された、文化的および人口伝播を通じて起きました。
CWCとヤムナヤ文化との間のYHgにおける違いから、現時点で刊行されているヤムナヤ文化関連個体群のゲノムは、CWCにおける草原地帯祖先系統構成要素にとって最も直接的な供給源を表していない、と示唆されています(関連記事)。この見解は、別の供給源としてヤムナヤ文化もしくはアファナシェヴォ(Afanasievo)文化の文脈と関連する刊行されたゲノムを用いての近位祖先系統モデル化により裏づけられ、それは3000年前頃以前のヨーロッパ草原地帯祖先系統を有する初期の個体群における、ヤムナヤ文化関連供給源に対するアファナシェヴォ文化関連供給源への類似性の微妙な増加を明らかにしました(図4b)。この結果はヤムナヤ文化もしくはアファナシェヴォ文化と関連する人口集団における微妙なゲノム構造を確証し、草原地帯の遺構全体にわたるより密な標本抽出が、初期CWCにおける草原地帯祖先系統の直接的な供給源もしくは供給源を見つけるのに必要だろう、と示しています。
●ウラル山脈の東側のHGの回復力
これまでに研究されてきたユーラシア西部の古代のHGゲノムのかなりの数とは対照的に、ウラル山脈の東側のHGからのゲノムデータは希薄なままです。これらの地域は、さらに東方の地域からの土器の初期導入により特徴づけられ、複雑な採食民社会が存在し、永続的で時には要塞化された集落がありました。本論文は、38個体のデータの報告により、この地域の古代の人口集団に関する知識を大きく拡張しました。このうち28個体は、8300~5000年前頃の間となる土器関連HGの文脈に年代測定されています。これらのゲノムのほとんどは、以前には疎らにしか標本抽出されていなかった「新石器時代草原地帯」勾配を形成しており、この勾配はイルティシ(Irtysh)川やイシム(Ishim)川やオビ(Ob)川やエニセイ(Yenisei)川の流域のシベリアの森林草原地帯からバイカル湖地域にまで広がっています。
祖先系統供給源の「深い」一式を用いての教師有混合モデルは、ウラル山脈の東側のこれらHGにおける主要な3供給源からの寄与を明らかにしました。それは、西方森林草原地帯で優勢な初期シベリア西部HG祖先系統(草原地帯C_8300年前_7000年前)、バイカル湖地域で最高頻度となるアジア北東部HG祖先系統(アムール_7500年前)、シベリア北東部(NE)において森林草原地帯全域でバイカル湖地域北部から西方への割合現象の勾配で観察される森林草原地帯旧シベリア祖先系統(シベリアNE_9800年前)です。
これら新石器時代HGクラスタ(「新石器時代後」祖先系統供給源一式)をより近位の混合モデル化における推定供給源集団として用いて、新石器時代後の草原地帯とバイカル湖地域全域の祖先系統組成の時空間的動態が調べられました。バイカル湖地域の後期新石器時代および前期青銅器時代(Late Neolithic and Early Bronze Age、略してLNBA)の個体群(バイカル_5600年前_5400年前およびバイカル_4800年前_4200年前クラスタ)における、より高い割合の森林草原地帯HG祖先系統(草原地帯CE_7000年前_3600年前)への遺伝的変化について、以前に報告された証拠(関連記事)が再現されます。しかし、このクラスタと関連する祖先系統は、バイカル湖地域(NEO199とNEO200)と北方のアンガラ(Angara)川沿い(NEO843)の両方で、本論文において報告された新石器時代HGにもすでに存在します。バイカル湖地域の男性両個体(NEO199とNEO200)のYHgは、同じ地域のその後のLNBA 集団に特徴的なQ1b1です。
LNBA集団について初期の推定混合年代(上限は7300年前頃)と合わせると、これらの結果から、バイカル湖地域のHGとシベリア南部の森林草原地帯のHGとの間の遺伝子流動はすでに東方の前期新石器時代において起きていた、と示唆され、これは接触に関する考古学的解釈と一致します。この地域では、両面剥離された石器がまずバイカル湖地域の近くに出現し、そこからこの技術はずっと西方に拡大しました。6500~6000年前頃のカザフスタン北部および東部で、そうした両面剥離の模倣が、シデルティ3(Shiderty 3)やブルラ(Borly)やシャルバクティー1(Sharbakty 1)やウスチ・ナリム(Ust-Narym)といった考古学的複合で見られます。ここでは、アジア南西部文化で知られている礫や燧石製の石器により証明されているように、アジア南西部との中石器時代の文化的交流網も記録されてきました。
本論文で報告されたゲノムは、シベリア南部のミヌシンスク(Minusinsk)盆地の前期青銅器時代のオクネヴォ(Okunevo)文化の遺伝的起源にも光を当てます。以前の結果(関連記事)とは対照的に、推定近位供給源としてバイカル湖地域LNBA集団のゲノムとともに本論文で新たに報告されたシベリア森林草原地帯HGのゲノムを用いると、オクネヴォ文化個体群におけるバイカル湖地域HG関連祖先系統の証拠は見つかりませんでした。代わりに、オクネヴォ文化個体群は森林草原地帯HG供給源(草原地帯_6700年前_4600年前と草原地帯CE_7000年前_3600年前の混合として最適にモデル化されます)と草原地帯関連祖先系統(草原地帯_5300年前_4000年前)の混合に由来する、と分かりました。草原地帯関連祖先系統とのこの混合は4600年前頃と推定され、ヤムナヤ文化草原地帯祖先系統とアファナシェヴォ文化草原地帯祖先系統を分離する近位モデル化において、アファナシェヴォ文化関連供給源のみでモデル化される、と分かりました。これは、ヤムナヤ文化と密接に関連しており、草原地帯の移住期にアルタイ山脈およびミヌシンスク盆地の近くに存在したアファナシェヴォ文化の人々からの遺伝子流動の直接的証拠です。
3700年前頃以降、草原地帯およびバイカル湖地域全域の個体群は、顕著に異なる祖先系統特性を示します(図5)。本論文は非在来祖先系統における急激な増加と、在来HGのごく限られた祖先系統の寄与を報告します。この移行の初期段階は草原地帯関連祖先系統の流入により特徴づけられ、草原地帯関連祖先系統は最初期の個体群における約70%を頂点に経時的に減少します。ユーラシア西部における動態と同様に、草原地帯関連祖先系統はここではGAC関連農耕民祖先系統(ポーランド_5000年前_4700年前)と相関しており(図5)、GAC集団から草原地帯および森林草原地帯の近隣集団への以前に記録された遺伝子流動と、青銅器時代におけるシンタシュタ(Sintashta)文化およびアンドロノヴォ(Andronovo)文化複合からの混合した西方草原地帯牧畜民の東方への拡大が再現されます。以下は本論文の図5です。
しかし、GAC関連祖先系統はオクネヴォ文化個体群では著しく欠けており、3700年前頃以後に草原地帯祖先系統を有する個体群は近位モデル化においてアファナシェヴォ文化個体群に対するヤムナヤ文化個体群へのわずかな過剰を示し、前期青銅器時代(ヤムナヤ文化関連)と後期青銅器時代(シンタシュタ文化およびアンドロノヴォ文化)における西方草原地帯牧畜民の2回の異なる移動へのさらなる裏づけを提供します。この移行の後半は、アジア中央部関連祖先系統構成要素(トルクメニスタン_7000年前_5000年前頃)とアジア北東部関連祖先系統構成要素(アムール_7500年前)の増加により特徴づけられます(図5)。
まとめると、これらの結果から、深く構造化されたHG祖先系統は、人口拡大の連続的な波が過去4000年間以内に草原地帯全域で広がった前に、ユーラシア西部よりもユーラシア東部草原地帯でかなり長く優勢だった、と示されます。これらには、新たな馬具および輻のある車輪の戦車(チャリオット)を伴う家畜化されたウマ系統の大規模な導入(関連記事)や、堅牢な生計作物としての雑穀の採用が含まれます。
●社会文化的洞察
個体間の対でのIBD共有のパターンを用いて、遺伝的クラスタ内での時間的変化について本論文のデータが調べられました。ユーラシアの東西両方で、経時的なクラスタ内の近縁性減少の明確な傾向が見つかりました。このパターンは、この期間における増加する有効人口規模の仮定的状況と一致します。それにも関わらず、ユーラシアの東西間の時間的な近縁性パターンにおける顕著な違いが観察され、上述の検討された人口動態のより広い違いを反映しています。ユーラシア西部では、集団内の近縁性は新石器時代の移行期(9000~6000年前頃)にかなり変化し、アナトリア半島農耕民関連祖先系統を有する個体群のクラスタは、HG関連祖先系統を有する個体群のクラスタと比較して、全体的に減少したIBD共有を示します。ユーラシア東部では、遺伝的近縁性は4000年前頃まで高いままで、より小さな局所的HG集団のずっと長い存続と一致します(図6)。以下は本論文の図6です。
次に、ゲノムの50 cM(センチモルガン)以上が長い(20 cM以上)同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)断片に含まれる個体の特定により、両親の近縁性の証拠についてのデータが調べられました(関連記事)。ユーラシア全域の合計1396個体の補完された古代人のゲノムの標本のうち、そうした個体はわずか29人しか検出されませんでした。これは、近親交配が本論文のデータにより網羅される地域と期間では一般的ではなかったことを示唆します。明確に区別できる時空間的もしくは文化的クラスタ化は、最近の両親の近縁性のある個体群では観察されませんでした。
注目すべきことに、テミャソヴォ(Temyaysovo)遺跡から発見された1700年前頃のサルマティア人(Sarmatian)1個体(tem003)は、2番染色体のほぼ全体で同型接合と分かりましたが、ゲノムの他の場所ではROHの証拠はなく、これは古代の個体における片親性二倍体(ダイソミー)の最初に報告された事例であることを示唆します。いくつかの注目すべき家族関係では、エルテベレ文化における中石器時代の父親と息子(NEO568とNEO569)の埋葬や、デンマークのドラッグショルム(Dragsholm)遺跡の母親と娘(NEO732とNEO733)が報告されます。
●分水嶺の形成と溶解
本論文は、考古学的観察を反映し、数千年間存続した、黒海からバルト海に伸びる明確な東西の区分の存在に関する証拠を提供してきました。LGM後の初期拡散期に確立したユーラシアのヒト遺伝子プールにおけるこの深い祖先系統の区分(関連記事)は、中石器時代と新石器時代を通じて維持されました(図6)。したがって、新石器時代への移行の遺伝的影響はこの境界の東西で大きく異なっていた、と示されます。これらの観察は、その根底にある要因の理解と関連する一連の問題を提起します。
ヨーロッパ東部では、新石器時代農耕の拡大は約3000年間停止し、この遅れは環境要因と関係しているかもしれず、この境界の東側の地域はより大陸的な気候で、冬はより過酷であり、恐らくは中東の農耕慣行にさほど適していませんでした。この境界の東側では、高度に発達したHG社会が安定して複雑で時には要塞化した集落や長距離交換や大規模墓地とともに存続しました。淡水魚を含む食性は、同位体データと土器の資質分析の両方から明らかです。この境界地帯の北部森林地域では、HG社会は5000年前頃となるCWCの出現まで存続したのに対して、南部および東部の草原地帯では、狩猟と採集は最終的にいくつかの畜産(ウシやヒツジ)で補完され、おそらくアジア中央部ではウマが飼育されました。ヴォルガ川のフヴァリンスク(Khvalynsk)遺跡などこれらの集団の一部では、ヨーロッパ中央部東方とコーカサスからの銅製品の幅広い交易関係に関わる男性の団体が出現しました。居住地は氾濫原と河川流域に限られていましたが、草原地帯はほぼ未開発のままでした。
この遺伝的および経済的および社会的境界の最終的な溶解は、草原地帯で展開した事象により引き起こされました。ここでは、技術的革新の二つの時間的段階を考古学的に観察できます。それは、5500年前頃となるウシで曳く車輪付き乗り物の広範な拡散と、騎乗のその後の開発です。変化していくかもしれない環境条件と組み合わせると、これは草原地帯を新たな経済地帯として開拓し、ヤムナヤ文化集団による5000年前頃となる牧畜遊牧民としての草原の利用を可能としました。河川流域沿いの金石併用時代の集落はこの新たな移動経済に置換され、最終的にはそれまでの数千年にわたって存続してきた大きなゲノム境界が溶解されました(図6)。
4000年前頃までに、戦車戦の発明と食用作物としての雑穀の採用により、アンドロノヴォ文化および関連する集団によるアジア中央部とそれを越えての最終的な東方への拡大が可能となり、インド・ヨーロッパ語族の拡大の世界的な遺産となりました。本論文は、二つの水準でこれら草原地帯の移住に関する新たな遺伝学的知識を提供してきました。本論文はまず、草原地帯牧畜民に祖先系統を寄与したドン川中流域のHGにおけるこれまで知られていなかった供給源を特定し、次に、CWCを介してのヨーロッパへの草原地帯関連祖先系統のその後の拡大が、GACと関連する人々を通じて最初にどのように媒介されたのか、説明しました。森林性の北方地域を含む接触地帯では、CWCはヤムナヤ文化と関連する草原地帯集団とヨーロッパ東部のGAC集団の文化的および遺伝的融合から急速に形成されました。混合した文化的および遺伝的背景と一致して、CWCはさまざまな環境でさまざまな生計戦略を用いて、混合経済を行なっていました。この柔軟性は、ごく短期間でのひじょうに異なる生態学的および気候的環境への定住と適応における成功にかなり寄与したでしょう。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。
ゲノミクス:古代ヨーロッパ人のゲノムは現代人集団のゲノムをどのように形作ったのか
古代ユーラシア人集団のゲノム史を洞察するための手掛かりが、古代DNAの解析によって得られた。この知見を報告する4編の論文が、今週、Natureに掲載される。これらの論文に示された研究では、合わせて1600人以上の古代人の遺伝的データが解析され、過去約1万5000年にわたるヨーロッパの人類集団史に関する知見がもたらされた。
現代の西ユーラシア人集団の遺伝的多様性は、3つの主要な移住現象によって形作られたと考えられている。すなわち、約4万5000年前以降の狩猟採集民の到来、約1万1000年前以降の中東からの新石器時代の農耕民の拡大、そして約5000年前のポントスステップからのステップ牧畜民の到来である。狩猟採集から農耕への転換は、人類の歴史における重要な移行であるが、この移行期におけるヨーロッパとアジアの集団の構造と人口動態の変化に関する詳細な情報は少ない。
Morten Allentoft、Martin Sikora、Eske Willerslevらは1つ目の論文で、こうした過程を大陸横断的な規模で調べるため、ユーラシア大陸の北部と西部で見つかった、主に中石器時代と新石器時代の古代人317人のゲノムデータについて塩基配列を決定したことを報告している(中石器時代には、狩猟採集民と新石器時代の農耕民との間の空白を埋めるという意義がある)。また、今回の研究では、既存の1300人以上の古代人の遺伝子データも解析された。その結果、狩猟採集民から農耕民への移行の遺伝的影響に関して、黒海からバルト海まで伸びる非常に明確な「ゲノムの境界線」が存在することが明らかになった。この境界線の西側では、農耕の導入によって血統の変化を示す大規模な遺伝的変化が起こったが、これと同じ時期に、境界線の東側では、大きな変化は起こらなかった。著者らは、こうした違いが生じたのは境界線の東側の地域の気候条件が中東の農耕技術にあまり適していなかったためで、そのため狩猟採集社会が境界線の西側より約3000年長く続いた可能性があると指摘している。ステップ牧畜民の到来と拡大は、このゲノムの境界線の消失と関連している。
この他に、今週のNatureには、こうした遺伝的変化が現代のヨーロッパ人にどのような形で残っているかを調べた複数の論文(1つ目の論文と著者が重複している)が同時掲載される。2つ目の論文では、神経系の自己免疫疾患である多発性硬化症(MS)に対するヨーロッパ人の遺伝的リスクが高い原因が特定されたことが報告されている。この研究では、古代ゲノムのデータセットの一部と現代の英国在住のヨーロッパ系白人(自己申告による)約41万人のゲノムが比較され、現代のヨーロッパ人において、異なる古代ヨーロッパ人集団由来の遺伝物質が占める割合が定量化された。その結果、MSの遺伝的リスクはポントスステップの牧畜民の間で生じ、約5000年前にヨーロッパに持ち込まれ、これが記録のある移住現象と同時期であったことが明らかになった。また、この論文では、MSに関連した遺伝的バリアントが、感染症の有病率が増加していた時期に、ステップ牧畜民の生活習慣と環境に関連する免疫的優位性をもたらした可能性が示唆されている。
3つ目の論文では、古代の祖先集団の形質と現代人の形質の関連性がさらに指摘されている。例えば、糖尿病とアルツハイマー病のリスクに関連する遺伝的バリアントは、西欧の狩猟採集民の祖先集団に関連しており、北ヨーロッパ人と南ヨーロッパ人の身長差は、異なるステップ牧畜民の祖先集団に関連していることが明らかになった。また、4つ目の論文では、古代デンマークの集団を対象とした研究で、デンマークで発見された100体のヒトの骨格(中石器時代、新石器時代、青銅器時代前期の7300年間にわたる)のゲノム解析の結果が報告されている。この研究では、人口動態、文化、土地利用、食生活の変化のパターンが解明された。
以上の知見は、古代人集団における遺伝的選択と移住現象が、現代のヨーロッパ人に見られる多様な形質にどのように顕著な寄与をしたかを示している。
古代DNA:氷期後のユーラシア西部の集団ゲノミクス
Cover Story:ステップ起源の変化:先史時代のユーラシアにおける移動と生活様式の変化が多発性硬化症の遺伝的リスクの上昇に関連している
今週号の4報の論文でE Willerslevたちは、古代ユーラシアから得られた遺伝学的データを用いて、先史時代の集団に対する大陸横断的な移動の影響を調べている。その結果、古代のステップ集団、農耕民集団、狩猟採集民集団の間の混合に由来すると思われる遺伝的な変化の一部が解き明かされた。特に、ステップ集団の移動が、おそらく狩猟採集から農耕と牧畜に集団が切り替わった際の病原体からの保護に伴う進化的圧力の結果として、ヨーロッパに多発性硬化症への遺伝的リスクの増大をもたらしたことが見いだされている。表紙は、ユーラシアステップの古代墓地で発見された典型的なクルガンの石碑のイラストを用いて、多発性硬化症のリスクとの遺伝的関連性に関わるイメージを表現している。
参考文献:
Allentoft ME. et al.(2024): Population genomics of post-glacial western Eurasia. Nature, 625, 7994, 301–311.
https://doi.org/10.1038/s41586-023-06865-0
●要約
ユーラシア西部では完新世に、大規模なヒトの移動が複数回ありました(関連記事)。この研究は、これらの移動の大陸横断的な影響を調べるため、おもに中石器時代と新石器時代のユーラシア北部および西部全域の317個体のゲノムをショットガン配列決定しました。これらの新たなデータは刊行されているデータとともに補完され、古代人1600個体以上の二倍体遺伝子型が得られました。分析の結果、黒海からバルト海まで伸びる、「大分断域(great divide)」のゲノム境界が明らかになりました。中石器時代の狩猟採集民はこの地域の東西で高度に遺伝的に分化しており、新石器化の影響も同様に異なっていました。
農耕がもたらされたさいに、この地域の西側では大規模な祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の変化が起き、それには多くの地域における狩猟採集民の完全に近い置換が含まれていましたが、同じ期間なこの地域の東側では顕著な祖先系統の変化は起きませんでした。同様に、この地域の西側では新石器時代への移行後に近縁性が減少しましたが、ウラル山脈の東側では、近縁性は4000年前頃まで高いままで、狩猟採集民の局所的集団の存在と一致します。この東西の境界は、ヤムナヤ(Yamnaya)文化関連祖先系統が5000年前頃にユーラシア西部全域に拡大したさいに消滅し、第二の主要な入れ替わりがもたらされ、それは1000年間でヨーロッパの大半に到達しました。
ヤムナヤ文化集団の遺伝的起源と運命は分かりにくいままでしたが、本論文では、ドン川中流域の狩猟採集民がヤムナヤ文化集団に祖先系統を寄与した、と示されます。ヤムナヤ文化集団はその後、ヨーロッパへの拡大前に球状アンフォラ(Globular Amphora、略してGA)文化集団と関連する個体群と混合しました。同様の入れ替わりはシベリア西部で起きており、本論文は、シベリア森林草原地帯からバイカル湖にまで広がる「新石器時代草原地帯」からの新たなゲノムデータを報告します。先史時代の移動は、ユーラシア人口集団の遺伝的多様性に顕著で永続的な影響を及ぼしました。
●研究史
ユーラシア西部人口集団の遺伝的多様性は、おもに3回の主要な先史時代の移住により形成されました。それは、45000年前頃以降にこの地域に居住していた解剖学的現代人(Homo sapiens)の狩猟採集民(hunter-gatherer、略してHG)、11000年前頃以降に中東から拡大した新石器時代農耕民、5000年前頃にポントス・カスピ海草原(ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)から到来した草原地帯牧畜民です。古ゲノム解析は、ヨーロッパ中央部および西部のHG集団とさらに東方のHG集団との間の基底的な祖先の分裂につながった、初期の氷期後の入植経路(関連記事)を明らかにしてきました。
ヨーロッパ西部狩猟採集民(Western Hunter-Gatherers、略してWHG)祖先系統は、続グラヴェティアン(Epigravettian、続グラヴェット文化)やアジリアン(Azilian、フランコ・カンタブリア地域の続旧石器時代と中石器時代のマグダレニアン後の文化)や続旧石器時代文化に直接的に由来しているようで、イタリアのヴィッラブルーナ(Villabruna)遺跡個体に代表されるヴィッラブルーナクラスタ(まとまり)に分類されていますが、ヨーロッパ東部狩猟採集民(Eastern Hunter-Gatherers、略してEHG)祖先系統は、古代北ユーラシア人(Ancient North Eurasian、略してANE)と呼ばれている上部旧石器時代シベリア供給源とのさらなる混合を示します。
WHGの祖先系統組成は、中石器時代人口集団では地域的に異なっていました。イベリア半島HGにおける連続的な局所的混合の証拠があり(関連記事)、これはブリテン島やヨーロッパ北西部大陸部におけるより均一なWHG祖先系統特性と対照的で、拡大前の祖先系統形成を示唆しています。EHGを形成した祖先系統の混合年代は15000~13000年前頃と推定されており、その組成は大まかに地理と相関している勾配に従っているようで、バルト海地域とウクライナのHGは、より多くのANE祖先系統を示すロシアのHGと比較して、ヴィッラブルーナ上部旧石器時代クラスタ祖先系統とより多くの類似性を示します(関連記事1および関連記事2)。スカンジナビア半島から得られた中石器時代の骨格試料のゲノム解析は、その後の中石器時代人口集団におけるWHGおよびEHG祖先系統の多様な混在を明らかにしてきました(関連記事1および関連記事2)。
これら大規模な特徴づけを超えて、中石器時代の人口構造と人口統計学的過程についての知識は限られており、かなりの年代および地理的情報の間隙があります。これは部分的には、8000年以上前のよく保存されている中石器時代のヒト骨格が相対的に少ないことに起因し、また部分的には、中石器時代と新石器時代に関するほとんどの古代DNA研究がヨーロッパの個体群に限定されてきたからです。考古学的記録はバルト海東部から黒海にかけての境界を示唆しており、その境界の東側のHG社会は、中東の初期農耕の分布中心地への距離が類似しているにも関わらず、ヨーロッパ西部よりもずっと長く持続しました。EHGおよびWHG祖先系統の構成要素はこの境界ではひじょうに多様なようですが(関連記事)、この東西の区分のより広い時空間的な遺伝的意味は不明です。
同じ期間におけるアジア北部および中央部を含めてのヨーロッパの東側の人口動態の時空間的な地図化は、限られています。これらの地域では、「新石器化」は、社会的交流網の違いや石器技術の変化や土器の使用を含む、文化的および経済的変化により特徴づけられます。たとえば、アジア中央部草原地帯とロシアのタイガ帯の新石器時代文化には土器がありましたが、先行する中石器時代文化と類似した石刃技術とともにHG経済を保持していました。一部の主要な地域と期間のデータの根本的欠如により、新石器化がユーラシア北部および西部全域にわたってその時期と機序と影響でどのように異なっていたのかについて、より深い理解の獲得が困難になっています。
狩猟および採集から農耕への移行は、中東起源の植物の栽培化と動物の家畜化に基づいており、ヒトの先史時代の人口統計学と健康と生活様式と文化における最も根本的な変化の一つを表しています。ヨーロッパの大半における新石器化の過程には、アナトリア半島系の移民の到来が伴っていました。たとえば、イベリア半島では新石器時代はアナトリア半島およびエーゲ海祖先系統の移住農耕民の地中海および大西洋沿岸での急激な拡大で始まり、その後で在来のHGとの混合が漸進的に起きました(関連記事)。同様に、ヨーロッパ南東部および中央部では、農耕はアナトリア半島新石器時代農耕民とともに拡大し、そうした農耕民は在来のHGとその後である程度混合しました。
逆にブリテン島ではデータから、侵入してきた大陸からの農耕民により農耕がもたらされたさいにHG人口集団の完全な置換があり、その後の在来HG祖先系統の復活はなかった、と示唆されています(関連記事)。バルト海東部地域では、顕著に異なる新石器化の軌跡があり、家畜と栽培植物の導入は較正年代で4800年前頃となる縄目文土器複合(Corded Ware Complex、略してCWC)の出現時のみでした。同様にウクライナ東部では、中石器時代祖先系統のHGが数千年にわたってさらに西方の農耕集団と共存していました(関連記事)。これらの研究はすべて、ユーラシア西部の人口史に関する理解への重要な地域的寄与を提供してきましたが、本論文が把握している限りでは、より広範な大陸全体の観点からは知識が斑状のままです。
5000年前頃以降、ヤムナヤ文化など前期青銅器時代草原地帯牧畜民と関連する祖先系統構成要素が、CWCおよび関連する文化の拡大を通じてヨーロッパ全域に急速に拡大しました。先行研究はヨーロッパおよびアジア中央部へのこれら大規模な移住を特定してきましたが、人口統計学的過程に関する中心的側面は解決されていません。ヤムナヤ祖先系統(つまり、「草原地帯」祖先系統)は、EHG祖先系統とコーカサス狩猟採集民(Caucasus Hunter–Gatherers、略してCHG)祖先系統の混合として大まかに特徴づけられてきており、「北方」の草原地帯供給源と「南方」のコーカサス供給源との間の仮定的な混合で形成されました(関連記事)。
しかし、これらの祖先系統供給源の正確な起源は特定されていませんでした。さらに、いくつかの例外はありますが(関連記事1および関連記事2)、刊行されているヤムナヤ文化集団のY染色体ハプログループ(YHg)は、5000年前頃以後のヨーロッパで見られるYHgと一致せず、この父系の起源も未解決です。最後に、ヨーロッパでは、「草原地帯」祖先系統はこれまで、混合形態でしか特定されてきませんでしたが、この混合事象の起源と、この祖先系統がその後でCWCとともに拡大した機序は、分かりにくいままです。
大陸横断規模でこれらの形成過程を調べるため、加速器質量分析法(accelerator mass spectrometry、略してAMS)により放射性炭素年代測定された、ユーラシアの大半を網羅する、おもに中石器時代と新石器時代に由来する317個体のゲノムが配列決定されました。これらのデータは刊行されているショットガン配列決定されたデータと組み合わされ、1600個体以上の二倍体の古代人のゲノムのデータセットが補完されました。標本抽出された古代人367個体の骨格(図1)のうち、272個体はこの計画内で放射性炭素年代測定され、30個体は刊行されている文献に由来し、15例は考古学的状況により年代測定されました。以下は本論文の図1です。
年代は海洋および淡水貯蔵効果で補正され、その範囲は較正年代で27500年前頃(以下、明記のない場合は較正年代です)となる上部旧石器時代から中世(1200年前頃)です。しかし、個体のうち97%(309個体)の年代は11000~3000年前頃で、主要な焦点はさまざまな中石器時代および新石器時代の文化と関連する個体群に当てられています。地理的には、標本抽出された317個体の骨格は、バイカル湖から大西洋沿岸まで、およびスカンジナビア半島から中東まで、ユーラシア全域の広範な領域を網羅しており、古墳や洞窟や湿原や改訂を含むさまざまな状況に由来します。大まかには、この研究は3大地域に区分でき、それは、(1)ヨーロッパの中央部と西部と北部、(2)ロシア西部とベラルーシとウクライナを含むヨーロッパ東部、(3)ウラルとシベリア西部です。
標本は、ユーラシア西部の重要な中石器時代および新石器時代の文化の多くを網羅しており、たとえば、スカンジナビア半島のマグレモーゼ(Maglemose)文化やエルテベレ(Ertebølle)文化や漏斗状ビーカー文化(Trichterbecherkultu、Funnel Beaker Culture、略してTRB)やCWC/単葬墓(Single Grave)文化、地中海のカルディウム土器(Cardial Ware)文化、ヨーロッパ南東部および中央部のケレス(Körös)文化、ヴェレティエ(Veretye)文化やリヤロヴォ(Lyalovo)文化やヴォロソヴォ(Volosovo)文化やキトイ(Kitoi)文化などウクライナやロシア西部やトランス・ウラル地域の多くの考古学的文化です。本論文の標本抽出はとくにデンマークにおいて高密度で、関連論文はデンマークの前期中石器時代から青銅器時代にまたがる100個体のゲノム詳細で連続した配列を提示しています。高密度の標本抽出はウクライナとロシア西部とトランス・ウラル地域からも得られ、年代は前期中石器時代から新石器時代を経て5000年前頃にまでまたがります。
●大規模な遺伝的構造
古代DNAは歯のセメント質もしくは錐体骨から抽出され、317個体のゲノムが、0.01倍~7.1倍の間の範囲の網羅率の深度(平均0.75倍、中央値は0.26倍)でショットガン配列決定され、81個体のゲノムが網羅率1倍以上でした。低網羅率のデータに最適化された計算手法を使って、参照パネルとして1000人ゲノム位相データを用いて遺伝子型が補完されました。この手法は以前に刊行されたショットガン配列決定のゲノムにともに適用され、1664個体の補完された二倍体の古代人のゲノムについて、850万の共通の一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)のデータセットが得られました。この場合のSNPは少数のアレル(対立遺伝子)頻度(minor allele frequency、略してMAF)が1%以上で、INFO得点が0.5以上です。ほとんどの下流分析では、71個体が、近い親族がいると分かったか、推定汚染率が5%以上だったので、除外されました。これにより1593個体のゲノムが得られ、そのうち1492個体(そのうち213個体はこの研究で配列決定されました)は補完された半数体として、101個体は低網羅率(0.1倍未満)および/もしくは低い補完品質(平均遺伝子型確率が0.98以下)のため疑似半数体として分析されました。
主成分分析(principal component analysis、略してPCA)とモデルに基づくクラスタ化(ADMIXTURE)を用いて、このデータセットの大規模な特徴づけが実行され、古代ユーラシア人口集団における以前に報告された祖先系統勾配が解像度を高めて再現されました(図1)。本論文の補完された全ゲノムにより、現在人の差異により定義された空間への投影の代わりに、入力として古代人のゲノムを用いてのPCAの実行が可能になりました。注目すべきことに、これにより古代の個体群で以前に観察されたよりもずっと高い分化が得られました。これはユーラシア西部の個体群のPCAにおいてとくに顕著で、最初の二つの主成分(PC)により説明される分散は1.5倍以上に増加し、現在の人口集団はPCA空間の小さな中央領域内に限定されています(図1d)。これらの結果は、ヨーロッパ古代人の間の遺伝的分化が現在の人口集団で観察されるよりも高いことと一致し、古代人集団におけるより大きい遺伝的孤立とより低い有効人口規模を反映しています。
時空間にわたる遺伝的祖先系統のより詳細な特徴づけを得るため、広く用いられているChromoPainter–FineSTRUCTUREワークフローと類似した手法が用いられました。まず、古代の個体間での対での同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)共有から構築された情報網で集団検出が実行され、古代の個体群は類似の遺伝的祖先系統の階層的に関連するクラスタに分類されました。階層のより高水準では、得られたクラスタは、EHG(HG_ヨーロッパE)やWHG(HG_ヨーロッパW)などの広範な遺伝的構造を反映する、以前に記載された祖先系統群を表しています。最低水準でのクラスタは詳細な規模の遺伝的構造を解明し、個体群は限定された時空間的範囲および/もしくは考古学的文脈内に分類されますが、より広範な地理的地域にまたがる以前には知られていなかったつながりも明らかになります。これらの得られたクラスタはその後、「標的」個体の一式が「供給源」集団の混合としてモデル化される教師有祖先系統モデル化に用いられました。
●LGM後のHGの人口構造
LGM後のHGの人口構造については、113個体のショットガン配列決定されたゲノムと補完されたHGのゲノムで構成され、そのうち79個体はこの研究で配列決定されました。そのうち、コーカサスに位置するジョージア(グルジア)西部のコティアス・クルデ洞窟(Kotias Klde Cave)の上部旧石器時代の、26052~25323年前頃(95%信頼区間)と直接的に年代測定された1個体(NEO283)の骨格の網羅率0.83倍のゲノムが報告されます。全ての非アフリカ系個体のPCAでは、この個体(NEO283)は他の以前に配列決定された上部旧石器時代個体とは異なる位置を占めており、PC1に沿ってユーラシア西部人の方へと動いています。
混合図モデル化を用いると、このコーカサス上部旧石器時代系統のよく適合する図では、この系統が、おもにユーラシア西部上部旧石器時代HG祖先系統(76%)と、「基底部ユーラシア人」からの約24%の寄与との混合に由来する、と分かります。「基底部ユーラシア人」とは、アジア西部の新石器時代個体群で最初に観察された亡霊(ゴースト)人口集団です(関連記事)。その後のヨーロッパHGの詳細な構造をさらに調べるため、次に増加させた代理供給源クラスタの一式を用いて教師有祖先系統モデル化が実行され、LGM後のヨーロッパの東西のHG間の大規模な遺伝的分化の以前の結果が再現されました。
LGM後初期の拡散において確立されたユーラシア人の遺伝子プール(関連記事)における深い祖先系統の区分は中石器時代を通じて存続した、と示されます。供給源としてLGM前のHGの遠位一式を用いて、本論文で報告されたコティアス・クルデ洞窟の25000年前頃の上部旧石器時代の1個体(NEO283)と関連する1供給源におもに由来するものとして、西方HGがモデル化されたのに対して、東方HGはバイカル湖近くの24000年前頃となるマリタ(Mal’ta)遺跡1号体(MA1、マリタ_24000年前)で表されるシベリアHGと関連するさまざまな量の祖先系統を示しました。LGM後の供給源を用いて、この区分はヨーロッパ南部(イタリア_15000年前_9000年前)およびロシア北西部(NW)のHG(ロシアNW_11000年前_8000年前)とそれぞれ関連する祖先系統によって最適に表され、先行研究で一般的に用いられている分類表示である、「WHG」と「EHG」にそれぞれ相当します。
余分の近位供給源を追加することで、ヨーロッパ北部HGの祖先系統組成をさらに洗練できるようになりました。デンマークでは、28個体の配列決定されて補完されたHGのゲノムは、ほぼ排他的にヨーロッパ南部の1供給源(イタリア_15000年前_9000年前)に由来し、5000年の期間にわたって顕著な均一性があります。対照的に、スカンジナビア半島の他地域のHGの祖先系統組成における顕著な地理的差異が観察されました。スカンジナビア半島の中石器時代個体群は大まかに、LGM後の遠位供給源(hgEur1)を用いて、東西のHGのさまざまな割合での混合としてモデル化されました(関連記事)。
スウェーデン南部の中石器時代個体群では、東方HG祖先系統構成要素はおもに、より近位のモデルではヨーロッパ南部供給源(ルーマニア_8800年前)によりほぼ置換され、最大で祖先系統の60~70%となります。ロシアHGと関連する祖先系統は、ずっと北方に向かっての勾配で増加し、その頂点はノルウェー北部のトロムソ(Tromso)遺跡の後期HG(4350年前頃)1個体(VK531)における約75%で、これは、そうした個体がロシア北部HGと最高のIBDを共有していた、という事実にも反映されていました。後期中石器時代には、沿岸部の個体群、つまりスウェーデン南部のエヴェンサス(Evensås)遺跡の1個体(NEO260)とスケートホルム(Skateholm)遺跡の1個体(NEO679)において、さらに内陸のそれ以前の個体群よりも高い割合のヨーロッパ南部HG祖先系統が観察されました。デンマークのHGを近位供給源として追加すると、それら2個体(hgEur3)で適合がかなり改善し、デンマークHGに由来する祖先系統の推定割合は58~76%となり、この祖先系統が優勢だったデンマークとの集団遺伝学的つながりを示唆しています。
これらの結果から、スカンジナビア半島への北上するHG祖先系統の少なくとも3回の異なる波があった、と示唆されます。それは、(1)デンマークおよびスウェーデン南西部沿岸へのおもにヨーロッパ南部祖先系統、(2)バルト海地域およびスウェーデン南東部へのヨーロッパ南東部HGと関連する供給源、(3)ずっと北方へのロシア北西部供給源で、これはその後でノルウェーの大西洋沿岸を南方へと拡大しました。これらの移動は、多くの動植物種と共有される退避地的な地域からの氷期後の拡大を表している可能性が高そうです。
イベリア半島では、この研究で配列決定されたスペイン東部のサンタ・マリア(Santa Maira)遺跡の9200年前頃のHG個体(NEO694)を含む最初の個体群は、おもにヨーロッパ南部HG祖先系統を示し、上部旧石器時代HG供給源からのわずかな寄与があります。この観察された上部旧石器時代HG祖先系統供給源の混合は、イベリア半島HGで以前に報告された(関連記事)LGM前のマグダレニアン(Magdalenian、マドレーヌ文化)関連祖先系統構成要素を反映している可能性が高そうで、本論文のデータセットではこの祖先系統にとって適切な供給源人口集団の代理は欠けています。
対照的に、イベリア半島北部のその後の個体群はヨーロッパ南部のHGとより類似しており、その祖先系統の30~40%は、より近位のモデルではバルカン半島のHGと関連する供給源に由来します。この遺伝子流動の最初の証拠は、スペインのエル・マゾ(El Mazo)遺跡の較正および貯蔵効果補正されて8200年前頃(95%信頼区間で8365~8182年前)と年代測定された(考古学的文脈による年代測定は8550~8330年前頃とわずかに古くなります)中石器時代の1個体(NEO646)で観察されました。この直接的に測定された年代は、エル・マゾ遺跡で8200年前頃に出現した、イベリア半島北部における最古級の中石器時代の幾何学的細石器と一致します。
中石器時代の後のウクライナの個体群におけるヨーロッパ南部HG関連祖先系統の流入は、ヨーロッパ南東部における類似の東方への拡大を示唆します。注目すべきことに、ポントス・カスピ海草原のドン川中流域のゴルバヤ・クリニッツァ(Golubaya Krinitsa)遺跡の新たに報告された7300年前頃となる2個体(NEO113とNEO212)のゲノムは、おもにそれ以前のウクライナHGに由来するものの、コーカサスのHG(コーカサス13000年前_10000年前)と関連する1供給源から18~24%の祖先系統の寄与がある、と分かりました。同じ遺跡の計画で発見されたさらに低網羅率の(補完されていない)ゲノムはPCA空間(図1d)では、ヨーロッパHG勾配から離れてイランおよびコーカサスの方へと動いていました。連鎖不平衡に基づく手法であるDATESを用いると、この混合は8300年前頃と年代測定されました。これらの結果は、以前に知られていたよりもずっと古いコーカサスと草原地帯の人口集団間の遺伝的接触を説明し、最近の仮説(関連記事1および関連記事2)以とは対照的に、その後の遊牧草原地帯文化の開始の前となる混合と、以前に報告されてきたよりもさらに西方での混合の証拠を提供します。
●ヨーロッパにおける大きな遺伝的移行
以前の古代ゲノム研究(関連記事)は、過去1万年間以内のヨーロッパにおける大規模な人口置換いくつかの事象を説明してきましたが、本論文で提示された317個体のゲノムは重要な知識の間隙を埋めます。本論文の分析は、ヨーロッパ全域の時空間的な新石器化の動態における顕著な違いを明らかにします。教師有混合モデル化(「深い」祖先系統一式を使用して)と時空間的な分析(関連記事)は、黒海からバルト海にわたる広範な東西の境界地帯区分を説明します。
この「大分水嶺」の西側では、新石器時代への移行には在来のHGからアナトリア半島関連祖先系統を有する農耕民への遺伝的祖先系統における大規模な変化が伴いました(図2aおよび図3)。このアナトリア半島祖先系統を有する集団は、ボンジュクル(Boncuklu)遺跡の1万年前頃の個体により表されます(ボンジュクル_10000年前)。さまざまな地域におけるアナトリア半島関連祖先系統の到来は、8700年前頃となるバルカン半島のレペンスキ・ヴィール(Lepenski Vir)遺跡の最古の証拠から、デンマークの5900年前頃の証拠まで、3000年以上の長期にまたがっています。以下は本論文の図2です。
さらに、ヨーロッパの農耕民と在来のHGとの間の広範で低水準の混合に関する以前の報告(関連記事)が確証され、その後の数世紀においてヨーロッパの多くの地域でHG祖先系統の復活が見られました。HG祖先系統の得られた推定割合が10%を超えることは稀で、顕著な例外は、ヨーロッパ南部の鉄門(Iron Gates)遺跡とスウェーデンの円洞尖底陶文化(Pitted Ware Culture、略してPCW)の個体群、および本論文で報告されたポルトガルの前期新石器時代のカルディウム土器文化個体群のゲノムで観察され、イベリア半島HG祖先系統(イベリア_9000年前_7000年前)の割合は27~43%と推定されています。
ポルトガルの前期新石器時代のカルディウム土器文化個体群のゲノム解析結果は、わずか200年前頃の混合年代を推定しており(イベリア初期農耕民)、広範な最初の接触に伴う混合を示唆しており、地中海西部ヨーロッパ全域での農耕拡大のモデル化に由来する考古学的推測と一致します。デンマークの新石器時代個体群は、HG祖先系統の最高の全体的な割合(最大で約25%)を示しますが、これはほぼ、在来ではないヨーロッパ西部(W)関連HG(ヨーロッパW_13500年前_8000年前)に由来しており、一部の個体における在来のデンマークHG集団からの寄与は少しだけでした。
その後の新石器時代集団では、初期新石器時代農耕民祖先系統において地域的な階層化の証拠が見つかりました。具体的には、ヨーロッパ南部の初期農耕民が、ヨーロッパ西部のその後の新石器時代集団に大きな遺伝的祖先系統を提供した、と分かったのに対して、ヨーロッパ中央部の初期農耕民祖先系統は、おもにヨーロッパ東部とスカンジナビア半島のその後の新石器時代集団で観察されました。これらの結果は、以前に示唆されたように(関連記事)、拡大する農耕民人口集団の異なる移住経路と一致します。
「大分水嶺」の東側では、祖先系統の変化はこの期間には観察できません。バルト海東部地域とウクライナとロシア西部では、在来のHG祖先系統が5000年前頃まで優勢で、アナトリア半島関連農耕民祖先系統の顕著な流入はありませんでした(図2および図3)。この東方の遺伝的連続性は、この広範な地域における土器を使用する採食民集団の存続と、耕作および畜産の到来の数千年の遅れを示す考古学的記録と一致します。
5000年前頃には、大きな人口統計学的事象がユーラシア草原地帯で広がり、草原地帯関連祖先系統の東西両方への急速な拡大をもたらし、巨大な人口のゲノム分水嶺を終焉させました(図3および図6)。この第二の変化は新石器化よりも速い速度で起き、4800年前頃となるバルト海東部地域における最初の出現後約1000年以内にヨーロッパの大半に到達した、と分かりました(図3)。以前の報告(関連記事)と一致して、4200年前頃までに草原地帯関連祖先系統はすでにブリテン島とフランスとイベリア半島の個体群において優勢だった、と観察されました。注目すべきことに、スカンジナビア半島南部における新石器化の遅れのため、これらの動態はデンマークの新石器時代とスウェーデン南部において、ほぼ1000年間以内の大規模な遺伝的入れ替わりの2回の事象をもたらしました(図3)。以下は本論文の図3です。
5000年前頃となる草原地帯の移動のより広範な影響はよく知られていますが、この祖先系統の起源は謎のままです。本論文では、草原地帯祖先系統組成(草原地帯_5000年前_4300年前)がドン川中流域の本論文で報告された狩猟採集民のゲノム(ドン川中流_7500年前)と関連する祖先系統約65%と、コーカサスのHG(コーカサス13000年前_10000年前)と関連する祖先系統約35%の混合としてモデル化できる、と示されます。したがって、すでにコーカサスHGと関連する祖先系統を有しているドン川中流域のHGは、ヤムナヤ文化関連集団のゲノムへの主要な祖先系統の寄与について、これまで知られていなかった近位供給源として機能します。問題となる個体群は、ゴルバヤ・クリニッツァ遺跡の墓地に由来します。
ゴルバヤ・クリニッツァ遺跡の物質文化と埋葬慣行は、たとえばドニエプル川沿いなど、ウクライナとロシア西部の近隣地域で広く見られるマリウポリ(Mariupol)様式墓と類似しています。ゴルバヤ・クリニッツァ遺跡個体群は、上述の複雑な土器を使用するHG集団に属していますが、その遺伝的組成は残りのウクライナ遺跡の個体群とは異なります(図2a)。先行研究(関連記事)は、「北方」草原地帯供給源(EHGおよびCHG祖先系統)と「南方」のコーカサス銅器時代供給源(CHG祖先系統)を含む、ヤムナヤ祖先系統形成のモデルを示唆しましたが、これらの供給源の正確な起源を特定しませんでした。本論文で分析されたドン川中流域から得られたゲノムはEHGおよびCHG祖先系統の適切な均衡を示しており、ドン川中流域HGがヤムナヤ祖先系統の欠落した北方の代理供給源の候補である、と示唆されます。
新石器時代農耕民祖先系統から草原地帯関連祖先系統への大陸規模の移行の動態も、地理的地域間で著しく異なります。流入集団への在来の新石器時代祖先系統の寄与はヨーロッパの東部と西部と南部で高く、イベリア半島では50%以上に達します(新石器時代後)。しかし、スカンジナビア半島はひじょうに異なる全体像を示し、ずっと低い寄与となっており(15%未満)、一部地域では在来人口集団の完全に近い置換が含まれます。草原地帯関連祖先系統は、ヨーロッパ全域でCWCの形成を伴い、CWCとともに拡大し、本論文の結果は、基礎的な混合事象に関する新たな証拠を提供します。CWCと関連する個体群は、草原地帯関連祖先系統と新石器時代農耕民関連祖先系統の混合を有しています。
本論文では、新石器時代農耕民関連祖先系統は、後期新石器時代の球状アンフォラ文化(Globular Amphora Culture、略してGAC)と関連する遺伝的クラスタ(ポーランド_5000年前_4700年前)にのみ由来するとモデル化でき、この祖先系統は全ての標本抽出されたヨーロッパの地域全体で草原地帯関連祖先系統と同時に起きた、と示されます(図4a)。これは、草原地帯関連祖先系統の拡大がおもに、ヨーロッパ東部平原のGAC関連農耕民集団とすでに混合していたことを通じて媒介された、ということを示唆しており、それはCWC出現の理解に大きな意味を有する観察です。以下は本論文の図4です。
GACとCWCの土器間の様式的つながりが長く示唆されてきており、アンフォラ(両取手付きの壺)型の容器の使用や縄の装飾パターンの発展が含まれます。さらに、最初のCWC集団出現の直前に、東方GAC集団と西方ヤムナヤ集団が黒海の北西側の森林と草原の移行地帯で文化的要素を好感しており、そこではGACの土器アンフォラと燧石製斧がヤムナヤ文化の埋葬に含まれ、典型的なヤムナヤ文化のオーカー(鉄分を多く含んだ粘土)使用がGAC埋葬に含まれており、これらの集団間の密接な相互作用が示唆されます。
数個体から得られた以前の古代ゲノムデータから、これは文化的影響に限られており、人口集団の混合ではなかった、と示唆されました。しかし、本論文で提示された新たな遺伝学的証拠に照らすと、この地帯、および恐らくはGAC集団と草原地帯の集団との間の接触の他の類似地帯はCWCの形成に重要で、CWCを通じて、草原地帯関連祖先系統とGAC関連祖先系統はともに西方および北方へとずっと遠くに拡散したようです。これは相互作用と混合の地域的に多様な状況をもたらしましたが(関連記事1および関連記事2)、CWC拡散のかなりの部分は、それ以前の期間にGACにより確立された、文化的および人口伝播を通じて起きました。
CWCとヤムナヤ文化との間のYHgにおける違いから、現時点で刊行されているヤムナヤ文化関連個体群のゲノムは、CWCにおける草原地帯祖先系統構成要素にとって最も直接的な供給源を表していない、と示唆されています(関連記事)。この見解は、別の供給源としてヤムナヤ文化もしくはアファナシェヴォ(Afanasievo)文化の文脈と関連する刊行されたゲノムを用いての近位祖先系統モデル化により裏づけられ、それは3000年前頃以前のヨーロッパ草原地帯祖先系統を有する初期の個体群における、ヤムナヤ文化関連供給源に対するアファナシェヴォ文化関連供給源への類似性の微妙な増加を明らかにしました(図4b)。この結果はヤムナヤ文化もしくはアファナシェヴォ文化と関連する人口集団における微妙なゲノム構造を確証し、草原地帯の遺構全体にわたるより密な標本抽出が、初期CWCにおける草原地帯祖先系統の直接的な供給源もしくは供給源を見つけるのに必要だろう、と示しています。
●ウラル山脈の東側のHGの回復力
これまでに研究されてきたユーラシア西部の古代のHGゲノムのかなりの数とは対照的に、ウラル山脈の東側のHGからのゲノムデータは希薄なままです。これらの地域は、さらに東方の地域からの土器の初期導入により特徴づけられ、複雑な採食民社会が存在し、永続的で時には要塞化された集落がありました。本論文は、38個体のデータの報告により、この地域の古代の人口集団に関する知識を大きく拡張しました。このうち28個体は、8300~5000年前頃の間となる土器関連HGの文脈に年代測定されています。これらのゲノムのほとんどは、以前には疎らにしか標本抽出されていなかった「新石器時代草原地帯」勾配を形成しており、この勾配はイルティシ(Irtysh)川やイシム(Ishim)川やオビ(Ob)川やエニセイ(Yenisei)川の流域のシベリアの森林草原地帯からバイカル湖地域にまで広がっています。
祖先系統供給源の「深い」一式を用いての教師有混合モデルは、ウラル山脈の東側のこれらHGにおける主要な3供給源からの寄与を明らかにしました。それは、西方森林草原地帯で優勢な初期シベリア西部HG祖先系統(草原地帯C_8300年前_7000年前)、バイカル湖地域で最高頻度となるアジア北東部HG祖先系統(アムール_7500年前)、シベリア北東部(NE)において森林草原地帯全域でバイカル湖地域北部から西方への割合現象の勾配で観察される森林草原地帯旧シベリア祖先系統(シベリアNE_9800年前)です。
これら新石器時代HGクラスタ(「新石器時代後」祖先系統供給源一式)をより近位の混合モデル化における推定供給源集団として用いて、新石器時代後の草原地帯とバイカル湖地域全域の祖先系統組成の時空間的動態が調べられました。バイカル湖地域の後期新石器時代および前期青銅器時代(Late Neolithic and Early Bronze Age、略してLNBA)の個体群(バイカル_5600年前_5400年前およびバイカル_4800年前_4200年前クラスタ)における、より高い割合の森林草原地帯HG祖先系統(草原地帯CE_7000年前_3600年前)への遺伝的変化について、以前に報告された証拠(関連記事)が再現されます。しかし、このクラスタと関連する祖先系統は、バイカル湖地域(NEO199とNEO200)と北方のアンガラ(Angara)川沿い(NEO843)の両方で、本論文において報告された新石器時代HGにもすでに存在します。バイカル湖地域の男性両個体(NEO199とNEO200)のYHgは、同じ地域のその後のLNBA 集団に特徴的なQ1b1です。
LNBA集団について初期の推定混合年代(上限は7300年前頃)と合わせると、これらの結果から、バイカル湖地域のHGとシベリア南部の森林草原地帯のHGとの間の遺伝子流動はすでに東方の前期新石器時代において起きていた、と示唆され、これは接触に関する考古学的解釈と一致します。この地域では、両面剥離された石器がまずバイカル湖地域の近くに出現し、そこからこの技術はずっと西方に拡大しました。6500~6000年前頃のカザフスタン北部および東部で、そうした両面剥離の模倣が、シデルティ3(Shiderty 3)やブルラ(Borly)やシャルバクティー1(Sharbakty 1)やウスチ・ナリム(Ust-Narym)といった考古学的複合で見られます。ここでは、アジア南西部文化で知られている礫や燧石製の石器により証明されているように、アジア南西部との中石器時代の文化的交流網も記録されてきました。
本論文で報告されたゲノムは、シベリア南部のミヌシンスク(Minusinsk)盆地の前期青銅器時代のオクネヴォ(Okunevo)文化の遺伝的起源にも光を当てます。以前の結果(関連記事)とは対照的に、推定近位供給源としてバイカル湖地域LNBA集団のゲノムとともに本論文で新たに報告されたシベリア森林草原地帯HGのゲノムを用いると、オクネヴォ文化個体群におけるバイカル湖地域HG関連祖先系統の証拠は見つかりませんでした。代わりに、オクネヴォ文化個体群は森林草原地帯HG供給源(草原地帯_6700年前_4600年前と草原地帯CE_7000年前_3600年前の混合として最適にモデル化されます)と草原地帯関連祖先系統(草原地帯_5300年前_4000年前)の混合に由来する、と分かりました。草原地帯関連祖先系統とのこの混合は4600年前頃と推定され、ヤムナヤ文化草原地帯祖先系統とアファナシェヴォ文化草原地帯祖先系統を分離する近位モデル化において、アファナシェヴォ文化関連供給源のみでモデル化される、と分かりました。これは、ヤムナヤ文化と密接に関連しており、草原地帯の移住期にアルタイ山脈およびミヌシンスク盆地の近くに存在したアファナシェヴォ文化の人々からの遺伝子流動の直接的証拠です。
3700年前頃以降、草原地帯およびバイカル湖地域全域の個体群は、顕著に異なる祖先系統特性を示します(図5)。本論文は非在来祖先系統における急激な増加と、在来HGのごく限られた祖先系統の寄与を報告します。この移行の初期段階は草原地帯関連祖先系統の流入により特徴づけられ、草原地帯関連祖先系統は最初期の個体群における約70%を頂点に経時的に減少します。ユーラシア西部における動態と同様に、草原地帯関連祖先系統はここではGAC関連農耕民祖先系統(ポーランド_5000年前_4700年前)と相関しており(図5)、GAC集団から草原地帯および森林草原地帯の近隣集団への以前に記録された遺伝子流動と、青銅器時代におけるシンタシュタ(Sintashta)文化およびアンドロノヴォ(Andronovo)文化複合からの混合した西方草原地帯牧畜民の東方への拡大が再現されます。以下は本論文の図5です。
しかし、GAC関連祖先系統はオクネヴォ文化個体群では著しく欠けており、3700年前頃以後に草原地帯祖先系統を有する個体群は近位モデル化においてアファナシェヴォ文化個体群に対するヤムナヤ文化個体群へのわずかな過剰を示し、前期青銅器時代(ヤムナヤ文化関連)と後期青銅器時代(シンタシュタ文化およびアンドロノヴォ文化)における西方草原地帯牧畜民の2回の異なる移動へのさらなる裏づけを提供します。この移行の後半は、アジア中央部関連祖先系統構成要素(トルクメニスタン_7000年前_5000年前頃)とアジア北東部関連祖先系統構成要素(アムール_7500年前)の増加により特徴づけられます(図5)。
まとめると、これらの結果から、深く構造化されたHG祖先系統は、人口拡大の連続的な波が過去4000年間以内に草原地帯全域で広がった前に、ユーラシア西部よりもユーラシア東部草原地帯でかなり長く優勢だった、と示されます。これらには、新たな馬具および輻のある車輪の戦車(チャリオット)を伴う家畜化されたウマ系統の大規模な導入(関連記事)や、堅牢な生計作物としての雑穀の採用が含まれます。
●社会文化的洞察
個体間の対でのIBD共有のパターンを用いて、遺伝的クラスタ内での時間的変化について本論文のデータが調べられました。ユーラシアの東西両方で、経時的なクラスタ内の近縁性減少の明確な傾向が見つかりました。このパターンは、この期間における増加する有効人口規模の仮定的状況と一致します。それにも関わらず、ユーラシアの東西間の時間的な近縁性パターンにおける顕著な違いが観察され、上述の検討された人口動態のより広い違いを反映しています。ユーラシア西部では、集団内の近縁性は新石器時代の移行期(9000~6000年前頃)にかなり変化し、アナトリア半島農耕民関連祖先系統を有する個体群のクラスタは、HG関連祖先系統を有する個体群のクラスタと比較して、全体的に減少したIBD共有を示します。ユーラシア東部では、遺伝的近縁性は4000年前頃まで高いままで、より小さな局所的HG集団のずっと長い存続と一致します(図6)。以下は本論文の図6です。
次に、ゲノムの50 cM(センチモルガン)以上が長い(20 cM以上)同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)断片に含まれる個体の特定により、両親の近縁性の証拠についてのデータが調べられました(関連記事)。ユーラシア全域の合計1396個体の補完された古代人のゲノムの標本のうち、そうした個体はわずか29人しか検出されませんでした。これは、近親交配が本論文のデータにより網羅される地域と期間では一般的ではなかったことを示唆します。明確に区別できる時空間的もしくは文化的クラスタ化は、最近の両親の近縁性のある個体群では観察されませんでした。
注目すべきことに、テミャソヴォ(Temyaysovo)遺跡から発見された1700年前頃のサルマティア人(Sarmatian)1個体(tem003)は、2番染色体のほぼ全体で同型接合と分かりましたが、ゲノムの他の場所ではROHの証拠はなく、これは古代の個体における片親性二倍体(ダイソミー)の最初に報告された事例であることを示唆します。いくつかの注目すべき家族関係では、エルテベレ文化における中石器時代の父親と息子(NEO568とNEO569)の埋葬や、デンマークのドラッグショルム(Dragsholm)遺跡の母親と娘(NEO732とNEO733)が報告されます。
●分水嶺の形成と溶解
本論文は、考古学的観察を反映し、数千年間存続した、黒海からバルト海に伸びる明確な東西の区分の存在に関する証拠を提供してきました。LGM後の初期拡散期に確立したユーラシアのヒト遺伝子プールにおけるこの深い祖先系統の区分(関連記事)は、中石器時代と新石器時代を通じて維持されました(図6)。したがって、新石器時代への移行の遺伝的影響はこの境界の東西で大きく異なっていた、と示されます。これらの観察は、その根底にある要因の理解と関連する一連の問題を提起します。
ヨーロッパ東部では、新石器時代農耕の拡大は約3000年間停止し、この遅れは環境要因と関係しているかもしれず、この境界の東側の地域はより大陸的な気候で、冬はより過酷であり、恐らくは中東の農耕慣行にさほど適していませんでした。この境界の東側では、高度に発達したHG社会が安定して複雑で時には要塞化した集落や長距離交換や大規模墓地とともに存続しました。淡水魚を含む食性は、同位体データと土器の資質分析の両方から明らかです。この境界地帯の北部森林地域では、HG社会は5000年前頃となるCWCの出現まで存続したのに対して、南部および東部の草原地帯では、狩猟と採集は最終的にいくつかの畜産(ウシやヒツジ)で補完され、おそらくアジア中央部ではウマが飼育されました。ヴォルガ川のフヴァリンスク(Khvalynsk)遺跡などこれらの集団の一部では、ヨーロッパ中央部東方とコーカサスからの銅製品の幅広い交易関係に関わる男性の団体が出現しました。居住地は氾濫原と河川流域に限られていましたが、草原地帯はほぼ未開発のままでした。
この遺伝的および経済的および社会的境界の最終的な溶解は、草原地帯で展開した事象により引き起こされました。ここでは、技術的革新の二つの時間的段階を考古学的に観察できます。それは、5500年前頃となるウシで曳く車輪付き乗り物の広範な拡散と、騎乗のその後の開発です。変化していくかもしれない環境条件と組み合わせると、これは草原地帯を新たな経済地帯として開拓し、ヤムナヤ文化集団による5000年前頃となる牧畜遊牧民としての草原の利用を可能としました。河川流域沿いの金石併用時代の集落はこの新たな移動経済に置換され、最終的にはそれまでの数千年にわたって存続してきた大きなゲノム境界が溶解されました(図6)。
4000年前頃までに、戦車戦の発明と食用作物としての雑穀の採用により、アンドロノヴォ文化および関連する集団によるアジア中央部とそれを越えての最終的な東方への拡大が可能となり、インド・ヨーロッパ語族の拡大の世界的な遺産となりました。本論文は、二つの水準でこれら草原地帯の移住に関する新たな遺伝学的知識を提供してきました。本論文はまず、草原地帯牧畜民に祖先系統を寄与したドン川中流域のHGにおけるこれまで知られていなかった供給源を特定し、次に、CWCを介してのヨーロッパへの草原地帯関連祖先系統のその後の拡大が、GACと関連する人々を通じて最初にどのように媒介されたのか、説明しました。森林性の北方地域を含む接触地帯では、CWCはヤムナヤ文化と関連する草原地帯集団とヨーロッパ東部のGAC集団の文化的および遺伝的融合から急速に形成されました。混合した文化的および遺伝的背景と一致して、CWCはさまざまな環境でさまざまな生計戦略を用いて、混合経済を行なっていました。この柔軟性は、ごく短期間でのひじょうに異なる生態学的および気候的環境への定住と適応における成功にかなり寄与したでしょう。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。
ゲノミクス:古代ヨーロッパ人のゲノムは現代人集団のゲノムをどのように形作ったのか
古代ユーラシア人集団のゲノム史を洞察するための手掛かりが、古代DNAの解析によって得られた。この知見を報告する4編の論文が、今週、Natureに掲載される。これらの論文に示された研究では、合わせて1600人以上の古代人の遺伝的データが解析され、過去約1万5000年にわたるヨーロッパの人類集団史に関する知見がもたらされた。
現代の西ユーラシア人集団の遺伝的多様性は、3つの主要な移住現象によって形作られたと考えられている。すなわち、約4万5000年前以降の狩猟採集民の到来、約1万1000年前以降の中東からの新石器時代の農耕民の拡大、そして約5000年前のポントスステップからのステップ牧畜民の到来である。狩猟採集から農耕への転換は、人類の歴史における重要な移行であるが、この移行期におけるヨーロッパとアジアの集団の構造と人口動態の変化に関する詳細な情報は少ない。
Morten Allentoft、Martin Sikora、Eske Willerslevらは1つ目の論文で、こうした過程を大陸横断的な規模で調べるため、ユーラシア大陸の北部と西部で見つかった、主に中石器時代と新石器時代の古代人317人のゲノムデータについて塩基配列を決定したことを報告している(中石器時代には、狩猟採集民と新石器時代の農耕民との間の空白を埋めるという意義がある)。また、今回の研究では、既存の1300人以上の古代人の遺伝子データも解析された。その結果、狩猟採集民から農耕民への移行の遺伝的影響に関して、黒海からバルト海まで伸びる非常に明確な「ゲノムの境界線」が存在することが明らかになった。この境界線の西側では、農耕の導入によって血統の変化を示す大規模な遺伝的変化が起こったが、これと同じ時期に、境界線の東側では、大きな変化は起こらなかった。著者らは、こうした違いが生じたのは境界線の東側の地域の気候条件が中東の農耕技術にあまり適していなかったためで、そのため狩猟採集社会が境界線の西側より約3000年長く続いた可能性があると指摘している。ステップ牧畜民の到来と拡大は、このゲノムの境界線の消失と関連している。
この他に、今週のNatureには、こうした遺伝的変化が現代のヨーロッパ人にどのような形で残っているかを調べた複数の論文(1つ目の論文と著者が重複している)が同時掲載される。2つ目の論文では、神経系の自己免疫疾患である多発性硬化症(MS)に対するヨーロッパ人の遺伝的リスクが高い原因が特定されたことが報告されている。この研究では、古代ゲノムのデータセットの一部と現代の英国在住のヨーロッパ系白人(自己申告による)約41万人のゲノムが比較され、現代のヨーロッパ人において、異なる古代ヨーロッパ人集団由来の遺伝物質が占める割合が定量化された。その結果、MSの遺伝的リスクはポントスステップの牧畜民の間で生じ、約5000年前にヨーロッパに持ち込まれ、これが記録のある移住現象と同時期であったことが明らかになった。また、この論文では、MSに関連した遺伝的バリアントが、感染症の有病率が増加していた時期に、ステップ牧畜民の生活習慣と環境に関連する免疫的優位性をもたらした可能性が示唆されている。
3つ目の論文では、古代の祖先集団の形質と現代人の形質の関連性がさらに指摘されている。例えば、糖尿病とアルツハイマー病のリスクに関連する遺伝的バリアントは、西欧の狩猟採集民の祖先集団に関連しており、北ヨーロッパ人と南ヨーロッパ人の身長差は、異なるステップ牧畜民の祖先集団に関連していることが明らかになった。また、4つ目の論文では、古代デンマークの集団を対象とした研究で、デンマークで発見された100体のヒトの骨格(中石器時代、新石器時代、青銅器時代前期の7300年間にわたる)のゲノム解析の結果が報告されている。この研究では、人口動態、文化、土地利用、食生活の変化のパターンが解明された。
以上の知見は、古代人集団における遺伝的選択と移住現象が、現代のヨーロッパ人に見られる多様な形質にどのように顕著な寄与をしたかを示している。
古代DNA:氷期後のユーラシア西部の集団ゲノミクス
Cover Story:ステップ起源の変化:先史時代のユーラシアにおける移動と生活様式の変化が多発性硬化症の遺伝的リスクの上昇に関連している
今週号の4報の論文でE Willerslevたちは、古代ユーラシアから得られた遺伝学的データを用いて、先史時代の集団に対する大陸横断的な移動の影響を調べている。その結果、古代のステップ集団、農耕民集団、狩猟採集民集団の間の混合に由来すると思われる遺伝的な変化の一部が解き明かされた。特に、ステップ集団の移動が、おそらく狩猟採集から農耕と牧畜に集団が切り替わった際の病原体からの保護に伴う進化的圧力の結果として、ヨーロッパに多発性硬化症への遺伝的リスクの増大をもたらしたことが見いだされている。表紙は、ユーラシアステップの古代墓地で発見された典型的なクルガンの石碑のイラストを用いて、多発性硬化症のリスクとの遺伝的関連性に関わるイメージを表現している。
参考文献:
Allentoft ME. et al.(2024): Population genomics of post-glacial western Eurasia. Nature, 625, 7994, 301–311.
https://doi.org/10.1038/s41586-023-06865-0
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