『フロンティア』「日本人とは何者なのか」
表題のNHK衛星放送の番組を視聴しました。NHKのニュースサイトにて概要は紹介されていましたが、古代DNA解析による日本人起源論とのことで、どのような情報が得られるのか、注目していました。近隣の現代人集団と比較して現代日本人集団に特異的な特徴として、「縄文人(縄文文化関連個体群)」の要素がある、と強調されていました。確かに、近隣の現代人集団と比較しての、日本列島「本土(日本列島のうち本州・四国・九州とそのごく近隣の島々を中心とする地域)」の現代人集団の遺伝的独自性の多くはそこにあるでしょうから、この番組が「縄文人」の起源を中心とした構成になっていたのは、納得のいくところもあります。
「縄文人」の起源についておもに解説していたのは太田博樹氏で、「縄文人」が遺伝的にはアジア南東部の古代狩猟採集民だったホアビン文化(Hòabìnhian)関連個体と類似している、と太田氏は指摘します。太田氏は、ホアビン文化の担い手はアフリカからユーラシア南岸を東進してアジア南東部へと到達し、その集団(もしくは遺伝的にひじょうに類似した集団)がアジア南東部沿岸を北上して、「縄文人」の祖先になったのだろう、と推測します。このホアビン文化関連集団と沿岸部の集団との混合の痕跡が見られないことから、「縄文人」の祖先がアフリカからアジア東部へ初めて到達した集団で、「フロンティア精神が旺盛だった」だった可能性を指摘します。
当然、これは現生人類(Homo sapiens)に限定した見解で、アジア東部にはアフリカ起源の非現生人類ホモ属がそれ以前から存在していたわけです。ただ、「縄文人」の遺伝的起源がどうであれ、アジア東部に最初に拡散した現生人類集団は、アジア東部現代人の直接的祖先ではなさそうな、北京の南西56km にある田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃の男性個体に代表される集団(仮に田園洞集団と呼びます)だった可能性が高そうで、田園洞個体と類似した遺伝的構成の3万年以上前の遺骸がモンゴルとアムール川流域で確認されていること(Mao et al., 2021)からも、「縄文人」の祖先がアジア東部に拡散した最初の現生人類集団とはとても確定できないように思います。
覚張隆史氏は、現代「本土」日本人集団の形成過程に、「縄文人」と弥生時代にアジア東部大陸部から到来した集団(アジア北東部集団)的な遺伝的構成要素だけでは説明できず、古墳時代(もしくは弥生時代後期)以降にアジア東部大陸部から到来した集団(アジア東部集団)的な遺伝的構成要素の遺伝的影響が大きかった、と指摘します(Cooke et al., 2021)。覚張氏も関わったこの研究(Cooke et al., 2021)は、太田氏も関わった、ホアビン文化関連個体のゲノムデータを報告した研究(McColl et al., 2018)で推測された、「縄文人」をホアビン文化関連個体的集団と台湾のオーストロネシア語族話者先住民であるアミ人(Ami)的な集団との混合とする見解を否定しています。
一方で、Cooke et al., 2021は弥生時代の人類集団を、「縄文人」的な遺伝的構成要素の割合が高めな長崎県佐世保市の下本山岩陰遺跡の2個体に代表させていることが問題で、太田氏も関わった研究(Robbeets et al., 2021)では、「縄文人」的な遺伝的構成要素の割合が現代「本土」日本人と同程度かやや低めの個体が、下本山岩陰遺跡の2個体よりも前に存在した、と示されています。こうした見解の対立は、一般向けの番組としては複雑すぎるということか、この番組ではとくに言及されず、「縄文人」はアジア東部に最初に拡散した(現生人類)集団の子孫で、1万年以上の孤立を経た、と説明されていました。これと関連して、山田康弘氏も考古学的観点から縄文文化が日本列島以外との交流の低調な、比較的孤立した文化だったことを指摘していました。最近の考古学者による一般向けの縄文時代関連書籍でも、縄文文化の孤立性が指摘されていました(水ノ江., 2022)。
篠田謙一氏は、現代日本人と比較して大きな多様性があり、それが中世まで続いた可能性を指摘します。篠田氏の近年の見解から補足すると、日本列島「本土」集団は現代と比較して弥生時代の方が遺伝的にずっと多様で、それは中世まで続いたかもしれない、ということなのでしょう。篠田氏は、日本列島「本土」現代人集団の形成の解明は世界中の人々の起源と移動の解明につながり、日本列島「本土」現代人集団の形成がこれまで考えられていたよりもずっと複雑だった可能性を指摘し、示唆に富んだ発言だったように思います。
番組の冒頭ではタイ南部の狩猟採集民マニ人(Maniq)が取り上げられていましたが、それは、マニ人とホアビン文化集団との文化的および遺伝的近縁性から、「縄文人」の「親戚」とも言えるから、という理由でした。マニ人は、ホアビン文化関連個体的な遺伝的構成要素(約62%)と、残りの、オーストロネシア語族話者集団の主要な祖先集団ときわめて近縁と考えられる、福建省の前期新石器時代の個体的な遺伝的構成要素の混合と推測されています(Göllner et al., 2022)。その意味で、マニ人はホアビン文化集団と遺伝的に近いわけですが、それを言えば、現代人ではアンダマン諸島のオンゲ人(Onge)の方がホアビン文化集団と遺伝的に近いことになりそうです(Göllner et al., 2022)。
上述の太田氏なども関わった研究(McColl et al., 2018)やその後のアジア東部現代人の形成に関する古代ゲノム研究(Wang et al., 2021)を踏まえると、「縄文人」はホアビン文化関連個体的な遺伝的構成要素と福建省の前期新石器時代の個体的な遺伝的構成要素の混合と推測されており、その点でマニ人と類似しているとも言えます。この番組はその点も踏まえてマニ人を冒頭で取り上げたのかもしれませんが、マニ人とホアビン文化集団との関連のみが取り上げられていたので、どうもよく分かりませんでした。全体的に、第一線の複数の研究者に取材し、興味深い構成ではありましたが、研究者間の見解の相違はとくに言及されず、古代ゲノム研究では新情報もとくになかったのは、やや残念でした。
「縄文人」の起源や縄文時代以降の日本列島の人口史については当ブログで最近まとめており(関連記事)、それ以上のことは現在の私の見識では言えませんが、「縄文人」の起源については、恐らく太田氏の見解の方が実際の人口史に近いように思います。以前の研究で、縄文文化関連個体とユーラシア東部沿岸集団との類似性が報告されましたが(Yang et al., 2020)、これも踏まえると、「縄文人」の起源については、2021年の研究(Wang et al., 2021)よりもさらに複雑なモデルを提示した、2022年の研究(Huang et al., 2022)が現時点では最も妥当なように思われます。以下は、Huang et al., 2022の図4です。
Huang et al., 2022では、「縄文人」祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)が大きくことなる祖先系統間の混合により形成された、と以下のように推測されています。ユーラシア東部系が、まず初期ユーラシア東部系と初期アジア東部系に分岐し、初期アジア東部系が南北に分岐して、南部系は南部(内陸部)系と沿岸部系(アジア東部沿岸部祖先系統)に分岐します。「縄文人」関連祖先系統は、アンダマン諸島のオンゲ人関連祖先系統に比較的近い初期ユーラシア東部祖先系統(54%)とアジア東部沿岸部祖先系統(46%)の混合とモデル化されています。もちろん実際の人口史はこのモデル通りではなく、もっと複雑なのでしょうし、初期ユーラシア東部祖先系統をもたらした集団が、南方から日本列島へと北進したとも限らず、その解明には古代ゲノム研究の進展および考古学など他分野との学際的研究が必要でしょう。
参考文献:
Cooke NP. et al.(2021): Ancient genomics reveals tripartite origins of Japanese populations. Science Advances, 7, 38, eabh2419.
https://doi.org/10.1126/sciadv.abh2419
関連記事
Göllner T. et al.(2022): Unveiling the Genetic History of the Maniq, a Primary Hunter-Gatherer Society. Genome Biology and Evolution, 14, 4, evac021.
https://doi.org/10.1093/gbe/evac021
関連記事
Huang X. et al.(2022): Genomic Insights Into the Demographic History of the Southern Chinese. Frontiers in Ecology and Evolution, 10:853391.
https://doi.org/10.3389/fevo.2022.853391
関連記事
Mao X. et al.(2021): The deep population history of northern East Asia from the Late Pleistocene to the Holocene. Cell, 184, 12, 3256–3266.E13.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2021.04.040
関連記事
McColl H. et al.(2018): The prehistoric peopling of Southeast Asia. Science, 361, 6397, 88–92.
https://doi.org/10.1126/science.aat3628
関連記事
Robbeets M. et al.(2021): Triangulation supports agricultural spread of the Transeurasian languages. Nature, 599, 7886, 616–621.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-04108-8
関連記事
Wang CC. et al.(2021): Genomic insights into the formation of human populations in East Asia. Nature, 591, 7850, 413–419.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-03336-2
関連記事
Yang MA. et al.(2020): Ancient DNA indicates human population shifts and admixture in northern and southern China. Science, 369, 6501, 282–288.
https://doi.org/10.1126/science.aba0909
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水ノ江和同(2022)『縄文人は海を越えたか 言葉と文化圏』(朝日新聞出版)
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「縄文人」の起源についておもに解説していたのは太田博樹氏で、「縄文人」が遺伝的にはアジア南東部の古代狩猟採集民だったホアビン文化(Hòabìnhian)関連個体と類似している、と太田氏は指摘します。太田氏は、ホアビン文化の担い手はアフリカからユーラシア南岸を東進してアジア南東部へと到達し、その集団(もしくは遺伝的にひじょうに類似した集団)がアジア南東部沿岸を北上して、「縄文人」の祖先になったのだろう、と推測します。このホアビン文化関連集団と沿岸部の集団との混合の痕跡が見られないことから、「縄文人」の祖先がアフリカからアジア東部へ初めて到達した集団で、「フロンティア精神が旺盛だった」だった可能性を指摘します。
当然、これは現生人類(Homo sapiens)に限定した見解で、アジア東部にはアフリカ起源の非現生人類ホモ属がそれ以前から存在していたわけです。ただ、「縄文人」の遺伝的起源がどうであれ、アジア東部に最初に拡散した現生人類集団は、アジア東部現代人の直接的祖先ではなさそうな、北京の南西56km にある田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃の男性個体に代表される集団(仮に田園洞集団と呼びます)だった可能性が高そうで、田園洞個体と類似した遺伝的構成の3万年以上前の遺骸がモンゴルとアムール川流域で確認されていること(Mao et al., 2021)からも、「縄文人」の祖先がアジア東部に拡散した最初の現生人類集団とはとても確定できないように思います。
覚張隆史氏は、現代「本土」日本人集団の形成過程に、「縄文人」と弥生時代にアジア東部大陸部から到来した集団(アジア北東部集団)的な遺伝的構成要素だけでは説明できず、古墳時代(もしくは弥生時代後期)以降にアジア東部大陸部から到来した集団(アジア東部集団)的な遺伝的構成要素の遺伝的影響が大きかった、と指摘します(Cooke et al., 2021)。覚張氏も関わったこの研究(Cooke et al., 2021)は、太田氏も関わった、ホアビン文化関連個体のゲノムデータを報告した研究(McColl et al., 2018)で推測された、「縄文人」をホアビン文化関連個体的集団と台湾のオーストロネシア語族話者先住民であるアミ人(Ami)的な集団との混合とする見解を否定しています。
一方で、Cooke et al., 2021は弥生時代の人類集団を、「縄文人」的な遺伝的構成要素の割合が高めな長崎県佐世保市の下本山岩陰遺跡の2個体に代表させていることが問題で、太田氏も関わった研究(Robbeets et al., 2021)では、「縄文人」的な遺伝的構成要素の割合が現代「本土」日本人と同程度かやや低めの個体が、下本山岩陰遺跡の2個体よりも前に存在した、と示されています。こうした見解の対立は、一般向けの番組としては複雑すぎるということか、この番組ではとくに言及されず、「縄文人」はアジア東部に最初に拡散した(現生人類)集団の子孫で、1万年以上の孤立を経た、と説明されていました。これと関連して、山田康弘氏も考古学的観点から縄文文化が日本列島以外との交流の低調な、比較的孤立した文化だったことを指摘していました。最近の考古学者による一般向けの縄文時代関連書籍でも、縄文文化の孤立性が指摘されていました(水ノ江., 2022)。
篠田謙一氏は、現代日本人と比較して大きな多様性があり、それが中世まで続いた可能性を指摘します。篠田氏の近年の見解から補足すると、日本列島「本土」集団は現代と比較して弥生時代の方が遺伝的にずっと多様で、それは中世まで続いたかもしれない、ということなのでしょう。篠田氏は、日本列島「本土」現代人集団の形成の解明は世界中の人々の起源と移動の解明につながり、日本列島「本土」現代人集団の形成がこれまで考えられていたよりもずっと複雑だった可能性を指摘し、示唆に富んだ発言だったように思います。
番組の冒頭ではタイ南部の狩猟採集民マニ人(Maniq)が取り上げられていましたが、それは、マニ人とホアビン文化集団との文化的および遺伝的近縁性から、「縄文人」の「親戚」とも言えるから、という理由でした。マニ人は、ホアビン文化関連個体的な遺伝的構成要素(約62%)と、残りの、オーストロネシア語族話者集団の主要な祖先集団ときわめて近縁と考えられる、福建省の前期新石器時代の個体的な遺伝的構成要素の混合と推測されています(Göllner et al., 2022)。その意味で、マニ人はホアビン文化集団と遺伝的に近いわけですが、それを言えば、現代人ではアンダマン諸島のオンゲ人(Onge)の方がホアビン文化集団と遺伝的に近いことになりそうです(Göllner et al., 2022)。
上述の太田氏なども関わった研究(McColl et al., 2018)やその後のアジア東部現代人の形成に関する古代ゲノム研究(Wang et al., 2021)を踏まえると、「縄文人」はホアビン文化関連個体的な遺伝的構成要素と福建省の前期新石器時代の個体的な遺伝的構成要素の混合と推測されており、その点でマニ人と類似しているとも言えます。この番組はその点も踏まえてマニ人を冒頭で取り上げたのかもしれませんが、マニ人とホアビン文化集団との関連のみが取り上げられていたので、どうもよく分かりませんでした。全体的に、第一線の複数の研究者に取材し、興味深い構成ではありましたが、研究者間の見解の相違はとくに言及されず、古代ゲノム研究では新情報もとくになかったのは、やや残念でした。
「縄文人」の起源や縄文時代以降の日本列島の人口史については当ブログで最近まとめており(関連記事)、それ以上のことは現在の私の見識では言えませんが、「縄文人」の起源については、恐らく太田氏の見解の方が実際の人口史に近いように思います。以前の研究で、縄文文化関連個体とユーラシア東部沿岸集団との類似性が報告されましたが(Yang et al., 2020)、これも踏まえると、「縄文人」の起源については、2021年の研究(Wang et al., 2021)よりもさらに複雑なモデルを提示した、2022年の研究(Huang et al., 2022)が現時点では最も妥当なように思われます。以下は、Huang et al., 2022の図4です。
Huang et al., 2022では、「縄文人」祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)が大きくことなる祖先系統間の混合により形成された、と以下のように推測されています。ユーラシア東部系が、まず初期ユーラシア東部系と初期アジア東部系に分岐し、初期アジア東部系が南北に分岐して、南部系は南部(内陸部)系と沿岸部系(アジア東部沿岸部祖先系統)に分岐します。「縄文人」関連祖先系統は、アンダマン諸島のオンゲ人関連祖先系統に比較的近い初期ユーラシア東部祖先系統(54%)とアジア東部沿岸部祖先系統(46%)の混合とモデル化されています。もちろん実際の人口史はこのモデル通りではなく、もっと複雑なのでしょうし、初期ユーラシア東部祖先系統をもたらした集団が、南方から日本列島へと北進したとも限らず、その解明には古代ゲノム研究の進展および考古学など他分野との学際的研究が必要でしょう。
参考文献:
Cooke NP. et al.(2021): Ancient genomics reveals tripartite origins of Japanese populations. Science Advances, 7, 38, eabh2419.
https://doi.org/10.1126/sciadv.abh2419
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Göllner T. et al.(2022): Unveiling the Genetic History of the Maniq, a Primary Hunter-Gatherer Society. Genome Biology and Evolution, 14, 4, evac021.
https://doi.org/10.1093/gbe/evac021
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Huang X. et al.(2022): Genomic Insights Into the Demographic History of the Southern Chinese. Frontiers in Ecology and Evolution, 10:853391.
https://doi.org/10.3389/fevo.2022.853391
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Mao X. et al.(2021): The deep population history of northern East Asia from the Late Pleistocene to the Holocene. Cell, 184, 12, 3256–3266.E13.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2021.04.040
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https://doi.org/10.1126/science.aat3628
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Robbeets M. et al.(2021): Triangulation supports agricultural spread of the Transeurasian languages. Nature, 599, 7886, 616–621.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-04108-8
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Wang CC. et al.(2021): Genomic insights into the formation of human populations in East Asia. Nature, 591, 7850, 413–419.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-03336-2
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Yang MA. et al.(2020): Ancient DNA indicates human population shifts and admixture in northern and southern China. Science, 369, 6501, 282–288.
https://doi.org/10.1126/science.aba0909
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