タイ北西部の鉄器時代集団のゲノムデータ
タイ北西部の鉄器時代集団のゲノムデータを報告した研究(Carlhoff et al., 2023)が公表されました。本論文は、丸太棺(Log Coffin、木棺)により特徴づけられるタイ北西部の鉄器時代の33個体のゲノムデータを報告しています。これらのデータは、先行研究(関連記事)でも明らかにされていた、新石器時代にアジア東部から南下してきた集団と在来の狩猟採集民との混合、さらには鉄器時代以降に新たにアジア東部から南下してきた集団と在来農耕民集団との混合という、アジア南東部本土における人口史を改めて示しています。今後は、アジア南東部本土のさらに広範な地域で、新石器時代から鉄器時代にかけての人類集団の遺伝的構成の変容が解明されていくよう、期待されます。
●要約
タイ北西部のパーン・マパー(Pang Mapha)高地の鉄器時代は、丸太棺文化として知られている葬儀慣行により特徴づけられます。年代は2300~1000年前頃で、個々のチークから造られた大きな棺が40ヶ所以上の洞窟や岩陰で発見されてきました。先行研究は丸太棺関連遺跡の文化的発展焦点を当ててきましたが、慣行の起源、アジア南東部における他の木棺を用いていた集団とのつながり、地域内の社会的構造はまだ研究が不足しています。本論文は、5ヶ所の丸太棺文化遺跡から発見された33個体のゲノム規模データを提示し、遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)特性と遺伝的相関性を調べます。
丸太棺関連のゲノムは、ホアビン文化(Hoabinhian)狩猟採集民と長江流域農耕民と黄河流域農耕民の関連祖先系統間の混合としてモデル化できます。これは、文化的慣行に反映されているように、タイ北東部の青銅器時代と鉄器時代の個体群からの異なる影響圏を示唆しています。本論文の分析も、遺跡内の密接な遺伝的関係と、同じおよび異なる河川流域の遺跡間のより遠いつながりを確認します。高いミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)多様性とゲノム規模の均質性を組み合わせると、タイ北西部の丸太棺関連集団は大きくて深くつながっている共同体を有していたようで、そこでは遺伝的近縁性が葬儀に大きな役割を果たしていました。
●研究史
多くの洞窟が、タイ北西部のシャン丘(Shan Hills)南部の石灰岩カルスト層に点在しています。落葉樹流が優占し、熱帯モンスーン気候に制御されているこれらの多様な生息地は、旧石器時代の狩猟採集民とその後のヒトの植民に好適条件を提供しました。タイ北部における最初の石器は55万年前頃ですが、狩猟採集民の遺跡の発掘から、現生人類(Homo sapiens)は遅くとも35000年前頃以降にタイ北部に居住しており、タイ北部では高い環境の不均一性のため、この生計戦略といわゆる「ホアビン文化」石器技術が2万年以上にわたって存続した、と示唆されています。
狩猟採集民内の文化的および遺伝的差異は解明され始めたばかりなので(関連記事1および関連記事2)、考古学的および考古遺伝学的研究は、アジア東部からの初期の定住食料生産の拡大を伴う、在来の狩猟採集民集団における大規模な遺伝的および文化的変化を記録しています(関連記事1および関連記事2)。南に流れる河川流域沿いに広がる多くの居住地遺跡は、4500~4000年前頃に考古学的記録に現れます。そうした居住地遺跡は、土葬儀式と土器様式とイヌやブタやウシなどの家畜を共有しています。遺伝学的証拠から、その住民は新石器時代アジア東部南方と在来の狩猟採集民両方の関連祖先系統を有している、と示唆されています(関連記事)。
タイ全土で見つかった現在の証拠に基づくと、新石器時代の物質文化と技術はさまざまな移住経路と人類集団を含んでいたようです。一方の経路は、タイ北西部のサルウィン(Salween)川沿いで、もう一方の経路はタイ北東部のレッド(Red)川およびメコン川沿いとタイの東岸です。しかし、タイ北西部回廊の遺伝的多様性についてはほとんど知られていません。現在、タイ北西部のメーホンソーン(Mae Hong Son)県の地域であるパーン・マパー高地はサルウィン川の西側近くに位置し、多くの民族集団が居住しており、その中に含まれるのは、シャン人(Shan)、カレン人(Karen)、ラフ・ニュイ(Lahu Nyy)人(Red Lahu)、ラフ・ナ(Lahu Na)人(Black Lahu)、中国人、ラワ人(Lawa)、リス人(Lisu)、モン人(Hmong)、タイ人で、シナ・チベット語族やタイ・カダイ語族やミャオ・ヤオ語族やオーストロネシア語族の言語を話しています。これらの語族の初期の話者は、相互作用していたか、中国南部の3000~1000年前頃の同じ古代の共同体の一部だった可能性さえあります。
先行研究では、漢人により「百越(Baiyue)族」と呼ばれているさまざまな民族集団が、中国南部の懸棺(Hanging Coffin)およびタイ北西部丸太棺考古学的文化と関連しているかもしれない、と示唆されてきました。パーン・マパー高地では、木棺のある2300~1000年前頃の40ヶ所以上の洞窟と岩陰が、5河川の流域で発見されてきました。丸太棺文化は、アジア南東部本土の後期先史時代における葬儀慣行の地域的差異の一つを反映しています。棺は1本の木から切り出され、頭端と足端に独特な彫刻があり、これは、社会的信念や死者の地位や棺製作者の技術や家族もしくは氏族の墓地を反映しているかもしれません。
これらの洞窟から回収された他の人工遺物には、土器片や動物遺骸や鉄製品や青銅製品が含まれており、この地域の鉄器時代に位置づけられます。年輪年代分析および放射性炭素年代測定は、数百年間にわたる墓地としての使用を示唆しています。木棺の顕著さは、多くの科学的および公的関心を生み出しましたが、墓地と関連する略奪の多くの事例と居住地遺跡の欠如のため、関連する人々の生活、およびそうした人々がこの地域の過去および現在の住民とどのようにつながっているのか、ということへの洞察は、困難なままです。
これまで、アジア南東部ではDNAの保存状態が悪いので、ロン・ロン・ラク(Long Long Rak)遺跡で発掘された丸太棺と関連するわずか数点のほぼ低品質のゲノム(関連記事)が利用可能です(図1)。しかし、標本抽出されたより多くの個体からの高網羅率のデータが望ましく、それは、こうした高網羅率のデータが、共有された同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)の塊や共同体のつながりや墓地の構造など、遺伝的近縁性のより詳細な規模の分析を可能とするからです。以下は本論文の図1です。
本論文は、タイ北西部の鉄器時代丸太棺文化遺跡の新たに配列決定された33個体の遺伝学的および考古学的分析を提示します。タイおよび近隣地域の古代の個体群の遺伝的祖先系統特性が、狩猟採集民関連祖先系統と新石器時代農耕民関連祖先系統の違いに焦点を当てることにより評価されます。さらに、この地域の現在の住民と古代人の遺伝的兆候が比較され、さまざまな埋葬遺跡内および埋葬遺跡間の遺伝的近縁性とつながりが調べられます。
●分析結果
この研究のため、タイ北西部および北部の8ヶ所の遺跡から得られた骨格試料の64点の断片が評価され、それには、42点の側頭骨錐体部と22点の歯が含まれ、そのうち60点が古代DNAのため標本抽出されました。集団遺伝学的分析に適した遺伝的資料を回収できたのは、バン・ライ(Ban Rai)遺跡(1点)、ラフ・ポト(Lahu Pot)遺跡(1点)、タム・ロッド(Tham Lod)遺跡(3点)、ヤッパ・ンハエ1(Yappa Nhae 1)遺跡(2点)、ヤッパ・ンハエ2(Yappa Nhae 2)遺跡(26点)です。錐体骨の第二次標本は放射性炭素年代測定法により、較正年代で1800~1600年前頃と推定されました(図1)。
二本鎖ライブラリ調製とショットガン配列決定の後で、短いDNA断片長と内在性DNAの高い割合と、DNA鎖の5’末端におけるシトシンからチミンへの置換の評価を考慮して、古代DNA断片の信頼性と保存の水準が評価されました。これらの基準に基づいて、33点のDNAライブラリが選択され、溶液内DNA混成捕獲を用いて、約120万の一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)に濃縮されました。最終的な網羅率は異なっており、中央値の数は124万パネルで489787のSNPとなり(範囲は52907~935000のSNP)、汚染水準は最小限でした。高いX染色体の割合を有する17個体はXXの核型を有しており、YPN020の染色体はXXXの可能性が高そうですが、15個体は染色体XYを示唆するY染色体の割合が増加していました。主要なmtHgはF1a1aとF1fとM7b1a1とN8*でしたが、Y染色体ハプログループ(YHg)はほぼO1bとO2aで、さらにN1bとC2bが見られました。片親性遺伝標識(母系のmtDNAと父系のY染色体)の詳細な分析は、今後の研究で提供される予定です。
KINの3.1.3版で遺伝的近縁性が評価され、ヤッパ・ンハエ1遺跡内の2個体のゲノムは同一個体の可能性が高そうで、ヤッパ・ンハエ2遺跡内では親子が1組(YPN014とYPN021)ありました。4組の2親等の関係も決定され、それには、祖父母と孫の1組(YPN010とYPN011)と、ヤッパ・ンハエ1遺跡とヤッパ・ンハエ2遺跡の内部および相互の間の3組のオジもしくは半キョウダイ(両親の一方のみが同じキョウダイ)の関係が含まれます。さらに、ロン・ロン・ラク遺跡の刊行されたゲノムが分析され、標本2点(Th519とTh703)が同一個体と確認され、半キョウダイかもしれない1組が特定されました。同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)に基づくと、ヤッパ・ンハエ2遺跡の4個体(YPN001、YPN002、YPN006、YPN022)も密接に関連した両親の子供に分類されます。
より遠い遺伝的関係を調べるため、ラフ・ポト遺跡とタム・ロッド遺跡とヤッパ・ンハエ2遺跡の高網羅率の個体間の補完後に、20 cM(センチモルガン)超のIBDの塊が検出されました。ヤッパ・ンハエ2遺跡内で最高量のIBD共有が見つかり、最も長い合計IBDの塊の長さはYPN010とYPN011の間で共有されていました。ヤッパ・ンハエ2遺跡の個体群(YPN001とYPN006とYPN012とYPN027とYPN030)のクラスタ(まとまり)は相互に密接に関連していましたが、同遺跡の他の個体はこの集団の1もしくは2個体と遠い関連でしかありませんでした。YPN003とYPN007は825cMのIBDの塊とmtHgとYHgを共有しており、他のどの個体とも長いIBDの塊もしくはmtHgとYHgを共有していませんでした。ヤッパ・ンハエ2遺跡の一部の個体は、タム・ロッド遺跡およびラフ・ポト遺跡の個体とも遠い関係を共有していました(図2c)。以下は本論文の図2です。
主成分分析(principal component analysis、略してPCA)が実行され、この地域の新たに配列決定された個体群と古代および現在の既知の個体群との間の遺伝的類似性が評価されました(図2a)。丸太棺関連個体群は、以前に調べられた丸太棺のあるロン・ロン・ラク遺跡の個体群も含むクラスタを形成し、シナ・チベット語族話者のパドゥン・カレン人(Padaung Karen)やオーストロアジア語族話者の東ラワ人や西ラワ人やモン人(Mon)タイの現在の個体群の上部に収まります。この①は他の古代の個体群とは異なっており、それには、タイ北東部のバンチェン(Ban Chiang)遺跡の青銅器時代および鉄器時代個体群(関連記事)が含まれます。
PCA空間における個体群の観察された①の根底にある遺伝的過程を形式的に調べるため、一連のf統計が計算されました。アジア東部の古代人のゲノムと比較して、タイの新たに配列決定された個体群と既知の青銅器時代個体群との間の関係をf₄形式(ムブティ人、アジア東部古代人;青銅器時代のバンチェン遺跡個体、丸太棺関連個体)のf₄統計で検証した場合、qpAdmの1520版を用いると、丸太棺関連個体群のアジア東部北方、とくに黄河流域(関連記事)とモンゴル(関連記事)とネパール(関連記事)の古代人集団との有意な類似性が観察されました。
これらの結果に基づいて、新たに配列決定された古代人のゲノムとロン・ロン・ラク遺跡の以前に刊行された個体群は、qpAdmの1520版を用いると、バンチェン遺跡の青銅器時代と黄河もしくは西遼河の後期新石器時代/鉄器時代の個体群の2方向混合としてモデル化できました。対照的に、これらのモデルはバンチェン遺跡の鉄器時代の個体群には適合しませんでした。青銅器時代個体群の祖先系統を狩猟採集民関連構成要素と初期農耕民関連構成要素に区分すると、ラオスで発見されたホアビン文化関連の1個体が丸太棺関連個体群の最適な狩猟採集民供給源と決定されたのに対して、ホアビン文化関連個体および中華人民共和国広西チワン族自治区の隆林洞窟(Longlin Cave)個体(関連記事)の両方は、バンチェン遺跡の個体群にとって同様によく適合するモデルをもたらしました。
新たに生成された丸太棺関連個体群のゲノムは、13.0±1.5%のホアビン文化関連祖先系統、43.0±2.4%のアジア東部南方関連祖先系統、44.0±2.1%の黄河上流関連祖先系統の3方向混合としてのモデル化に成功し、ラオスの10000~2000年前頃と後期新石器時代および歴史時代のベトナムの個体群と類似しています(図2bと図3a)。逆に、バンチェン遺跡の青銅器時代および鉄器時代の個体群とベトナムのマン・バク(Man Bac)遺跡の新石器時代個体群のモデル化に、黄河上流関連祖先系統は必要ではありません。タイ北西部の丸太棺関連個体間で、これらの祖先系統の相対量にわずかな差異が観察されました。以下は本論文の図3です。
次に、タイの古代の個体群から現代人集団までの遺伝的連続性について検証されました。一部の現代人集団はPCA空間では古代の個体群とクラスタ化しましたが(まとまりましたが)、ADMIXTUREの1.3.0版での分析からは、ほとんどの現代人集団は古代人のゲノムと比較して祖先系統構成要素のより多くのおよび他の組み合わせを含んでいた、と示されました(図3b)。f₄形式(ムブティ人、現代タイ人;青銅器時代のバンチェン遺跡個体、丸太棺関連個体)のf₄統計でさらに検証すると、青銅器時代のバンチェン遺跡個体と比較した場合、現代人集団の新たに報告された古代人のゲノムとの一般的な類似性が確証されましたが、特定の集団もしくは語族との誘引はありませんでした。
●考察
本論文は、タイ北西部の鉄器時代丸太棺文化と関連する33個体のゲノム規模データを提示します。低水準のROHと高いmtHgの多様性から、大規模な共同体が高地に暮らしていた、と示唆され、それはこの地域で見つかった丸太棺遺跡の多さにより裏づけられます。集団遺伝学的観点からは、丸太棺関連個体群は遺伝的に均質で、PCAの位置と混合構成要素では差がほとんどありません(図2a)。このパターンは、遺伝的に異なる共同体とのより古い接触、もしくは最近混合した共同体内の大量の遺伝的交流を示唆しています。
タイ北西部における丸太棺関連共同体はホアビン文化関連集団からの祖先系統を保持していましたが、中国南部の8000年前頃の集団は隆林洞窟換券祖先系統を有しており、広西チワン族自治区と青銅器時代のベトナムのより新しい集団は、どちらの狩猟採集民関連構成要素も有していません。これは、侵入してきた集団の在来狩猟採集民との救数の相互作用、および在来集団との混合のほとんどない移動を示唆しており、アジア南東部における多様な新石器時代(後の)遺伝的景観をもたらしました。これは、後期更新世および前期完新世までさかのぼる一部の丸太棺関連洞窟の居住の歴史によりさらに裏づけられ、これらの相互作用と移行がいつどのように起きたのか、正確に理解する重要性が強調されます。しかし、この地域のDNAの保存状態が悪いため、より古い期間のDNA回収はとくに困難になります。
地域水準では、タイの古代の個体群において少なくとも二つの異なる祖先系統特性が確認されました。高地の丸太棺関連個体群は、タイ北東部のバンチェン遺跡の青銅器時代(3100年前頃)と鉄器時代(2500年前頃)の個体群には存在しない、黄河流域の集団と関連する大規模な追加の遺伝的構成要素を示します。その遺伝的結果は、タイ北東部の住居構造の下の埋葬と比較して、タイ北西部とベトナム中央高地と中国南部において木棺埋葬の類似性が並行する、鉄器時代におけるこれらの集団の影響の異なる範囲を示唆しています。
さらに古プロテオーム(タンパク質の総体)研究は、ロン・ロン・ラク遺跡の丸太棺関連個体群について、強くC₃植物に基づく食性を示唆しており、これは他の食品のうちコメと淡水魚で構成されている可能性が高い一方で、新石器時代と鉄器時代のタイ北東部集団の食性はより多様であるものの、C₃食料源が枯渇しています。mtDNAのデータ分析から、丸太棺文化は中国の雲南省から文化伝播経由で到来した、と結論づけられているものの、新たに生成された常染色体データは、タイ北西部への丸太棺の導入の前もしくは同時の外部からの遺伝的影響を示しています。この区別はさまざまな新石器時代集団のさまざまな移住経路も反映しているかもしれず、パーン・マパー声地はサルウィン川および山脈沿いの北西部経路の一部でした。
黄河関連祖先系統を有する集団から調査された丸太棺共同体へのかなりの遺伝子流動は、アジア東部および南東部の他地域でも類似しています(図3a)。新石器時代後の中国の福建省で発見された古代人個体群で検出されたこの構成要素は、中国の広西チワン族自治区に6400~1500年前頃に到来し、その後にはマレーシアとミャンマーとラオスとベトナムの新石器時代および青銅器時代(4200~2100年前頃)の個体群に存在します(関連記事1および関連記事2)。最近刊行された古代人のゲノムデータでも、黄河上流関連祖先系統が一部の初期チベット人集団および現在のチベット人集団に80%超寄与している、と示され(関連記事)、チベット高原へのオオムギ農耕の導入前の遺伝的つながりを示唆しています。
中国の中原の一部の現代人集団は、黄河上流関連祖先系統とアジア東部南方関連祖先系統との間の遺伝的勾配を形成し、黄河上流関連祖先系統は、後期磁山(Cishan)文化および早期仰韶(Yangshao)文化(7400年前頃)における、シナ・チベット語族の故地からアジア南東部への黄河上流沿いの拡大と関連づけられてきました(関連記事)。タイ北東部のバンチェン遺跡の青銅器時代および鉄器時時代とベトナムの新石器時代のマン・バク遺跡は、この黄河上流関連祖先系統の欠如によって際立っており、この構成要素がタイとベトナムにその後に到来したか、あるいは恐らく文化的障壁がさらなる伝播を制約した、時間的パターンを示しています。追加の古代人のゲノムが、新たな混合モデル化および年代測定技術と組み合わされて、こりアジア東部北方構成要素の到来の年代測定と、アジア東部および南東部全域におけるこの祖先系統の分布と拡大の理解に、将来役立つでしょう。
mtHg頻度範囲の調査は、現在のコーン・ムアン人(Khon Mueang)とタイ・ユアン人(Thai Yuan)をタイ北東部の古代の丸太棺関連個体群と最も類似している、と特定しますが、ゲノム規模水準では、現代人集団はタイ北西部の古代の個体群と一般的な類似性を示すものの、追加の祖先系統構成要素も有しています(図3b)。これは、歴史時代におけるラオスやミャンマーや中国南部からの移住を含む、遺伝子プールにおける顕著な変化が1700年前頃以後に起きたことを示唆しています。それでも、タイ北西部の集団はタイの他地域とは遺伝的分化の水準を保持しています。
同じ考古学的複合と関連し、ごく近くで回収された多くの個体からのゲノムデータの生成は、古代のアジア南東部のある共同体の社会的構造の詳細な調査も可能とします。丸太棺関連遺跡では、マエ・ラナ(Mae Lana)渓谷に位置するヤッパ・ンハエ1および2遺跡で標本抽出された個体間と、ロン・ロン・ラク遺跡の以前に刊行された古代人のゲノム内で、数組の密接な遺伝的関係が特定されました。さらに、ラフ・ポト遺跡とタム・ロッド遺跡の個体群は3親等~6親等の近縁性を共有していましたが、ヤッパ・ンハエ2遺跡とラフ・ポト遺跡は5浸透~6親等の近縁性でより遠い関連でした。
この地域の現代人集団は、片親性遺伝標識で追跡できる母方居住および父方居住の両方を行なっていますが、片親性遺伝標識の分析はヤッパ・ンハエ2遺跡内における母系(たとえば、YPN014とYPN021)と父系(たとえば、YPN014とYPN027とYPN030)を通じての古代の関連する個体のつながりを示唆します。ヤッパ・ンハエ2遺跡の6個体とタム・ロッド遺跡の1個体が同じ遺跡の他の個体と比較して相互により密接に関連していることに加えて、ヤッパ・ンハエ遺跡とロン・ロン・ラク遺跡内におけるいくつかの1親等および2親等の関係は、同じ洞窟に埋葬される遺伝的親族の傾向を示唆しているかもしれません。これは、各河川流域の墓地遺跡は密接に関連しており、各共同体は河川流域全体で相互作用していた、と示唆する棺の取っ手に基づく社会的交流網分析と一致します。ロン・ロン・ラク遺跡における1親等の関係の個体2組も同じ棺に埋葬されたので、棺の取っ手の多様性はさまざまな期間のパーン・マパー高地に暮らす家族の多様性も反映しているかもしれません。
他の調査された遺跡における遺伝的近縁性と関連する埋葬位置の詳細な分析は、遺骸のその後の攪乱により妨げられています。これは、過去の共同体の生活と侵攻をさらに明らかにするための、考古遺伝学的結果を考古学的調査結果と単一の遺跡および考古学的複合の詳細な研究に組み込む価値を論証します。丸太棺埋葬のある他の遺跡の放射性炭素年代測定とゲノム解析は、これらの共同体の社会的構造のさらなる解明と、この葬儀慣行の地域を越えたつながりおよび拡大に役立つでしょう。
参考文献:
Carlhoff S. et al.(2023): Genomic portrait and relatedness patterns of the Iron Age Log Coffin culture in northwestern Thailand. Nature Communications, 14, 8527.
https://doi.org/10.1038/s41467-023-44328-2
●要約
タイ北西部のパーン・マパー(Pang Mapha)高地の鉄器時代は、丸太棺文化として知られている葬儀慣行により特徴づけられます。年代は2300~1000年前頃で、個々のチークから造られた大きな棺が40ヶ所以上の洞窟や岩陰で発見されてきました。先行研究は丸太棺関連遺跡の文化的発展焦点を当ててきましたが、慣行の起源、アジア南東部における他の木棺を用いていた集団とのつながり、地域内の社会的構造はまだ研究が不足しています。本論文は、5ヶ所の丸太棺文化遺跡から発見された33個体のゲノム規模データを提示し、遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)特性と遺伝的相関性を調べます。
丸太棺関連のゲノムは、ホアビン文化(Hoabinhian)狩猟採集民と長江流域農耕民と黄河流域農耕民の関連祖先系統間の混合としてモデル化できます。これは、文化的慣行に反映されているように、タイ北東部の青銅器時代と鉄器時代の個体群からの異なる影響圏を示唆しています。本論文の分析も、遺跡内の密接な遺伝的関係と、同じおよび異なる河川流域の遺跡間のより遠いつながりを確認します。高いミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)多様性とゲノム規模の均質性を組み合わせると、タイ北西部の丸太棺関連集団は大きくて深くつながっている共同体を有していたようで、そこでは遺伝的近縁性が葬儀に大きな役割を果たしていました。
●研究史
多くの洞窟が、タイ北西部のシャン丘(Shan Hills)南部の石灰岩カルスト層に点在しています。落葉樹流が優占し、熱帯モンスーン気候に制御されているこれらの多様な生息地は、旧石器時代の狩猟採集民とその後のヒトの植民に好適条件を提供しました。タイ北部における最初の石器は55万年前頃ですが、狩猟採集民の遺跡の発掘から、現生人類(Homo sapiens)は遅くとも35000年前頃以降にタイ北部に居住しており、タイ北部では高い環境の不均一性のため、この生計戦略といわゆる「ホアビン文化」石器技術が2万年以上にわたって存続した、と示唆されています。
狩猟採集民内の文化的および遺伝的差異は解明され始めたばかりなので(関連記事1および関連記事2)、考古学的および考古遺伝学的研究は、アジア東部からの初期の定住食料生産の拡大を伴う、在来の狩猟採集民集団における大規模な遺伝的および文化的変化を記録しています(関連記事1および関連記事2)。南に流れる河川流域沿いに広がる多くの居住地遺跡は、4500~4000年前頃に考古学的記録に現れます。そうした居住地遺跡は、土葬儀式と土器様式とイヌやブタやウシなどの家畜を共有しています。遺伝学的証拠から、その住民は新石器時代アジア東部南方と在来の狩猟採集民両方の関連祖先系統を有している、と示唆されています(関連記事)。
タイ全土で見つかった現在の証拠に基づくと、新石器時代の物質文化と技術はさまざまな移住経路と人類集団を含んでいたようです。一方の経路は、タイ北西部のサルウィン(Salween)川沿いで、もう一方の経路はタイ北東部のレッド(Red)川およびメコン川沿いとタイの東岸です。しかし、タイ北西部回廊の遺伝的多様性についてはほとんど知られていません。現在、タイ北西部のメーホンソーン(Mae Hong Son)県の地域であるパーン・マパー高地はサルウィン川の西側近くに位置し、多くの民族集団が居住しており、その中に含まれるのは、シャン人(Shan)、カレン人(Karen)、ラフ・ニュイ(Lahu Nyy)人(Red Lahu)、ラフ・ナ(Lahu Na)人(Black Lahu)、中国人、ラワ人(Lawa)、リス人(Lisu)、モン人(Hmong)、タイ人で、シナ・チベット語族やタイ・カダイ語族やミャオ・ヤオ語族やオーストロネシア語族の言語を話しています。これらの語族の初期の話者は、相互作用していたか、中国南部の3000~1000年前頃の同じ古代の共同体の一部だった可能性さえあります。
先行研究では、漢人により「百越(Baiyue)族」と呼ばれているさまざまな民族集団が、中国南部の懸棺(Hanging Coffin)およびタイ北西部丸太棺考古学的文化と関連しているかもしれない、と示唆されてきました。パーン・マパー高地では、木棺のある2300~1000年前頃の40ヶ所以上の洞窟と岩陰が、5河川の流域で発見されてきました。丸太棺文化は、アジア南東部本土の後期先史時代における葬儀慣行の地域的差異の一つを反映しています。棺は1本の木から切り出され、頭端と足端に独特な彫刻があり、これは、社会的信念や死者の地位や棺製作者の技術や家族もしくは氏族の墓地を反映しているかもしれません。
これらの洞窟から回収された他の人工遺物には、土器片や動物遺骸や鉄製品や青銅製品が含まれており、この地域の鉄器時代に位置づけられます。年輪年代分析および放射性炭素年代測定は、数百年間にわたる墓地としての使用を示唆しています。木棺の顕著さは、多くの科学的および公的関心を生み出しましたが、墓地と関連する略奪の多くの事例と居住地遺跡の欠如のため、関連する人々の生活、およびそうした人々がこの地域の過去および現在の住民とどのようにつながっているのか、ということへの洞察は、困難なままです。
これまで、アジア南東部ではDNAの保存状態が悪いので、ロン・ロン・ラク(Long Long Rak)遺跡で発掘された丸太棺と関連するわずか数点のほぼ低品質のゲノム(関連記事)が利用可能です(図1)。しかし、標本抽出されたより多くの個体からの高網羅率のデータが望ましく、それは、こうした高網羅率のデータが、共有された同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)の塊や共同体のつながりや墓地の構造など、遺伝的近縁性のより詳細な規模の分析を可能とするからです。以下は本論文の図1です。
本論文は、タイ北西部の鉄器時代丸太棺文化遺跡の新たに配列決定された33個体の遺伝学的および考古学的分析を提示します。タイおよび近隣地域の古代の個体群の遺伝的祖先系統特性が、狩猟採集民関連祖先系統と新石器時代農耕民関連祖先系統の違いに焦点を当てることにより評価されます。さらに、この地域の現在の住民と古代人の遺伝的兆候が比較され、さまざまな埋葬遺跡内および埋葬遺跡間の遺伝的近縁性とつながりが調べられます。
●分析結果
この研究のため、タイ北西部および北部の8ヶ所の遺跡から得られた骨格試料の64点の断片が評価され、それには、42点の側頭骨錐体部と22点の歯が含まれ、そのうち60点が古代DNAのため標本抽出されました。集団遺伝学的分析に適した遺伝的資料を回収できたのは、バン・ライ(Ban Rai)遺跡(1点)、ラフ・ポト(Lahu Pot)遺跡(1点)、タム・ロッド(Tham Lod)遺跡(3点)、ヤッパ・ンハエ1(Yappa Nhae 1)遺跡(2点)、ヤッパ・ンハエ2(Yappa Nhae 2)遺跡(26点)です。錐体骨の第二次標本は放射性炭素年代測定法により、較正年代で1800~1600年前頃と推定されました(図1)。
二本鎖ライブラリ調製とショットガン配列決定の後で、短いDNA断片長と内在性DNAの高い割合と、DNA鎖の5’末端におけるシトシンからチミンへの置換の評価を考慮して、古代DNA断片の信頼性と保存の水準が評価されました。これらの基準に基づいて、33点のDNAライブラリが選択され、溶液内DNA混成捕獲を用いて、約120万の一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)に濃縮されました。最終的な網羅率は異なっており、中央値の数は124万パネルで489787のSNPとなり(範囲は52907~935000のSNP)、汚染水準は最小限でした。高いX染色体の割合を有する17個体はXXの核型を有しており、YPN020の染色体はXXXの可能性が高そうですが、15個体は染色体XYを示唆するY染色体の割合が増加していました。主要なmtHgはF1a1aとF1fとM7b1a1とN8*でしたが、Y染色体ハプログループ(YHg)はほぼO1bとO2aで、さらにN1bとC2bが見られました。片親性遺伝標識(母系のmtDNAと父系のY染色体)の詳細な分析は、今後の研究で提供される予定です。
KINの3.1.3版で遺伝的近縁性が評価され、ヤッパ・ンハエ1遺跡内の2個体のゲノムは同一個体の可能性が高そうで、ヤッパ・ンハエ2遺跡内では親子が1組(YPN014とYPN021)ありました。4組の2親等の関係も決定され、それには、祖父母と孫の1組(YPN010とYPN011)と、ヤッパ・ンハエ1遺跡とヤッパ・ンハエ2遺跡の内部および相互の間の3組のオジもしくは半キョウダイ(両親の一方のみが同じキョウダイ)の関係が含まれます。さらに、ロン・ロン・ラク遺跡の刊行されたゲノムが分析され、標本2点(Th519とTh703)が同一個体と確認され、半キョウダイかもしれない1組が特定されました。同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)に基づくと、ヤッパ・ンハエ2遺跡の4個体(YPN001、YPN002、YPN006、YPN022)も密接に関連した両親の子供に分類されます。
より遠い遺伝的関係を調べるため、ラフ・ポト遺跡とタム・ロッド遺跡とヤッパ・ンハエ2遺跡の高網羅率の個体間の補完後に、20 cM(センチモルガン)超のIBDの塊が検出されました。ヤッパ・ンハエ2遺跡内で最高量のIBD共有が見つかり、最も長い合計IBDの塊の長さはYPN010とYPN011の間で共有されていました。ヤッパ・ンハエ2遺跡の個体群(YPN001とYPN006とYPN012とYPN027とYPN030)のクラスタ(まとまり)は相互に密接に関連していましたが、同遺跡の他の個体はこの集団の1もしくは2個体と遠い関連でしかありませんでした。YPN003とYPN007は825cMのIBDの塊とmtHgとYHgを共有しており、他のどの個体とも長いIBDの塊もしくはmtHgとYHgを共有していませんでした。ヤッパ・ンハエ2遺跡の一部の個体は、タム・ロッド遺跡およびラフ・ポト遺跡の個体とも遠い関係を共有していました(図2c)。以下は本論文の図2です。
主成分分析(principal component analysis、略してPCA)が実行され、この地域の新たに配列決定された個体群と古代および現在の既知の個体群との間の遺伝的類似性が評価されました(図2a)。丸太棺関連個体群は、以前に調べられた丸太棺のあるロン・ロン・ラク遺跡の個体群も含むクラスタを形成し、シナ・チベット語族話者のパドゥン・カレン人(Padaung Karen)やオーストロアジア語族話者の東ラワ人や西ラワ人やモン人(Mon)タイの現在の個体群の上部に収まります。この①は他の古代の個体群とは異なっており、それには、タイ北東部のバンチェン(Ban Chiang)遺跡の青銅器時代および鉄器時代個体群(関連記事)が含まれます。
PCA空間における個体群の観察された①の根底にある遺伝的過程を形式的に調べるため、一連のf統計が計算されました。アジア東部の古代人のゲノムと比較して、タイの新たに配列決定された個体群と既知の青銅器時代個体群との間の関係をf₄形式(ムブティ人、アジア東部古代人;青銅器時代のバンチェン遺跡個体、丸太棺関連個体)のf₄統計で検証した場合、qpAdmの1520版を用いると、丸太棺関連個体群のアジア東部北方、とくに黄河流域(関連記事)とモンゴル(関連記事)とネパール(関連記事)の古代人集団との有意な類似性が観察されました。
これらの結果に基づいて、新たに配列決定された古代人のゲノムとロン・ロン・ラク遺跡の以前に刊行された個体群は、qpAdmの1520版を用いると、バンチェン遺跡の青銅器時代と黄河もしくは西遼河の後期新石器時代/鉄器時代の個体群の2方向混合としてモデル化できました。対照的に、これらのモデルはバンチェン遺跡の鉄器時代の個体群には適合しませんでした。青銅器時代個体群の祖先系統を狩猟採集民関連構成要素と初期農耕民関連構成要素に区分すると、ラオスで発見されたホアビン文化関連の1個体が丸太棺関連個体群の最適な狩猟採集民供給源と決定されたのに対して、ホアビン文化関連個体および中華人民共和国広西チワン族自治区の隆林洞窟(Longlin Cave)個体(関連記事)の両方は、バンチェン遺跡の個体群にとって同様によく適合するモデルをもたらしました。
新たに生成された丸太棺関連個体群のゲノムは、13.0±1.5%のホアビン文化関連祖先系統、43.0±2.4%のアジア東部南方関連祖先系統、44.0±2.1%の黄河上流関連祖先系統の3方向混合としてのモデル化に成功し、ラオスの10000~2000年前頃と後期新石器時代および歴史時代のベトナムの個体群と類似しています(図2bと図3a)。逆に、バンチェン遺跡の青銅器時代および鉄器時代の個体群とベトナムのマン・バク(Man Bac)遺跡の新石器時代個体群のモデル化に、黄河上流関連祖先系統は必要ではありません。タイ北西部の丸太棺関連個体間で、これらの祖先系統の相対量にわずかな差異が観察されました。以下は本論文の図3です。
次に、タイの古代の個体群から現代人集団までの遺伝的連続性について検証されました。一部の現代人集団はPCA空間では古代の個体群とクラスタ化しましたが(まとまりましたが)、ADMIXTUREの1.3.0版での分析からは、ほとんどの現代人集団は古代人のゲノムと比較して祖先系統構成要素のより多くのおよび他の組み合わせを含んでいた、と示されました(図3b)。f₄形式(ムブティ人、現代タイ人;青銅器時代のバンチェン遺跡個体、丸太棺関連個体)のf₄統計でさらに検証すると、青銅器時代のバンチェン遺跡個体と比較した場合、現代人集団の新たに報告された古代人のゲノムとの一般的な類似性が確証されましたが、特定の集団もしくは語族との誘引はありませんでした。
●考察
本論文は、タイ北西部の鉄器時代丸太棺文化と関連する33個体のゲノム規模データを提示します。低水準のROHと高いmtHgの多様性から、大規模な共同体が高地に暮らしていた、と示唆され、それはこの地域で見つかった丸太棺遺跡の多さにより裏づけられます。集団遺伝学的観点からは、丸太棺関連個体群は遺伝的に均質で、PCAの位置と混合構成要素では差がほとんどありません(図2a)。このパターンは、遺伝的に異なる共同体とのより古い接触、もしくは最近混合した共同体内の大量の遺伝的交流を示唆しています。
タイ北西部における丸太棺関連共同体はホアビン文化関連集団からの祖先系統を保持していましたが、中国南部の8000年前頃の集団は隆林洞窟換券祖先系統を有しており、広西チワン族自治区と青銅器時代のベトナムのより新しい集団は、どちらの狩猟採集民関連構成要素も有していません。これは、侵入してきた集団の在来狩猟採集民との救数の相互作用、および在来集団との混合のほとんどない移動を示唆しており、アジア南東部における多様な新石器時代(後の)遺伝的景観をもたらしました。これは、後期更新世および前期完新世までさかのぼる一部の丸太棺関連洞窟の居住の歴史によりさらに裏づけられ、これらの相互作用と移行がいつどのように起きたのか、正確に理解する重要性が強調されます。しかし、この地域のDNAの保存状態が悪いため、より古い期間のDNA回収はとくに困難になります。
地域水準では、タイの古代の個体群において少なくとも二つの異なる祖先系統特性が確認されました。高地の丸太棺関連個体群は、タイ北東部のバンチェン遺跡の青銅器時代(3100年前頃)と鉄器時代(2500年前頃)の個体群には存在しない、黄河流域の集団と関連する大規模な追加の遺伝的構成要素を示します。その遺伝的結果は、タイ北東部の住居構造の下の埋葬と比較して、タイ北西部とベトナム中央高地と中国南部において木棺埋葬の類似性が並行する、鉄器時代におけるこれらの集団の影響の異なる範囲を示唆しています。
さらに古プロテオーム(タンパク質の総体)研究は、ロン・ロン・ラク遺跡の丸太棺関連個体群について、強くC₃植物に基づく食性を示唆しており、これは他の食品のうちコメと淡水魚で構成されている可能性が高い一方で、新石器時代と鉄器時代のタイ北東部集団の食性はより多様であるものの、C₃食料源が枯渇しています。mtDNAのデータ分析から、丸太棺文化は中国の雲南省から文化伝播経由で到来した、と結論づけられているものの、新たに生成された常染色体データは、タイ北西部への丸太棺の導入の前もしくは同時の外部からの遺伝的影響を示しています。この区別はさまざまな新石器時代集団のさまざまな移住経路も反映しているかもしれず、パーン・マパー声地はサルウィン川および山脈沿いの北西部経路の一部でした。
黄河関連祖先系統を有する集団から調査された丸太棺共同体へのかなりの遺伝子流動は、アジア東部および南東部の他地域でも類似しています(図3a)。新石器時代後の中国の福建省で発見された古代人個体群で検出されたこの構成要素は、中国の広西チワン族自治区に6400~1500年前頃に到来し、その後にはマレーシアとミャンマーとラオスとベトナムの新石器時代および青銅器時代(4200~2100年前頃)の個体群に存在します(関連記事1および関連記事2)。最近刊行された古代人のゲノムデータでも、黄河上流関連祖先系統が一部の初期チベット人集団および現在のチベット人集団に80%超寄与している、と示され(関連記事)、チベット高原へのオオムギ農耕の導入前の遺伝的つながりを示唆しています。
中国の中原の一部の現代人集団は、黄河上流関連祖先系統とアジア東部南方関連祖先系統との間の遺伝的勾配を形成し、黄河上流関連祖先系統は、後期磁山(Cishan)文化および早期仰韶(Yangshao)文化(7400年前頃)における、シナ・チベット語族の故地からアジア南東部への黄河上流沿いの拡大と関連づけられてきました(関連記事)。タイ北東部のバンチェン遺跡の青銅器時代および鉄器時時代とベトナムの新石器時代のマン・バク遺跡は、この黄河上流関連祖先系統の欠如によって際立っており、この構成要素がタイとベトナムにその後に到来したか、あるいは恐らく文化的障壁がさらなる伝播を制約した、時間的パターンを示しています。追加の古代人のゲノムが、新たな混合モデル化および年代測定技術と組み合わされて、こりアジア東部北方構成要素の到来の年代測定と、アジア東部および南東部全域におけるこの祖先系統の分布と拡大の理解に、将来役立つでしょう。
mtHg頻度範囲の調査は、現在のコーン・ムアン人(Khon Mueang)とタイ・ユアン人(Thai Yuan)をタイ北東部の古代の丸太棺関連個体群と最も類似している、と特定しますが、ゲノム規模水準では、現代人集団はタイ北西部の古代の個体群と一般的な類似性を示すものの、追加の祖先系統構成要素も有しています(図3b)。これは、歴史時代におけるラオスやミャンマーや中国南部からの移住を含む、遺伝子プールにおける顕著な変化が1700年前頃以後に起きたことを示唆しています。それでも、タイ北西部の集団はタイの他地域とは遺伝的分化の水準を保持しています。
同じ考古学的複合と関連し、ごく近くで回収された多くの個体からのゲノムデータの生成は、古代のアジア南東部のある共同体の社会的構造の詳細な調査も可能とします。丸太棺関連遺跡では、マエ・ラナ(Mae Lana)渓谷に位置するヤッパ・ンハエ1および2遺跡で標本抽出された個体間と、ロン・ロン・ラク遺跡の以前に刊行された古代人のゲノム内で、数組の密接な遺伝的関係が特定されました。さらに、ラフ・ポト遺跡とタム・ロッド遺跡の個体群は3親等~6親等の近縁性を共有していましたが、ヤッパ・ンハエ2遺跡とラフ・ポト遺跡は5浸透~6親等の近縁性でより遠い関連でした。
この地域の現代人集団は、片親性遺伝標識で追跡できる母方居住および父方居住の両方を行なっていますが、片親性遺伝標識の分析はヤッパ・ンハエ2遺跡内における母系(たとえば、YPN014とYPN021)と父系(たとえば、YPN014とYPN027とYPN030)を通じての古代の関連する個体のつながりを示唆します。ヤッパ・ンハエ2遺跡の6個体とタム・ロッド遺跡の1個体が同じ遺跡の他の個体と比較して相互により密接に関連していることに加えて、ヤッパ・ンハエ遺跡とロン・ロン・ラク遺跡内におけるいくつかの1親等および2親等の関係は、同じ洞窟に埋葬される遺伝的親族の傾向を示唆しているかもしれません。これは、各河川流域の墓地遺跡は密接に関連しており、各共同体は河川流域全体で相互作用していた、と示唆する棺の取っ手に基づく社会的交流網分析と一致します。ロン・ロン・ラク遺跡における1親等の関係の個体2組も同じ棺に埋葬されたので、棺の取っ手の多様性はさまざまな期間のパーン・マパー高地に暮らす家族の多様性も反映しているかもしれません。
他の調査された遺跡における遺伝的近縁性と関連する埋葬位置の詳細な分析は、遺骸のその後の攪乱により妨げられています。これは、過去の共同体の生活と侵攻をさらに明らかにするための、考古遺伝学的結果を考古学的調査結果と単一の遺跡および考古学的複合の詳細な研究に組み込む価値を論証します。丸太棺埋葬のある他の遺跡の放射性炭素年代測定とゲノム解析は、これらの共同体の社会的構造のさらなる解明と、この葬儀慣行の地域を越えたつながりおよび拡大に役立つでしょう。
参考文献:
Carlhoff S. et al.(2023): Genomic portrait and relatedness patterns of the Iron Age Log Coffin culture in northwestern Thailand. Nature Communications, 14, 8527.
https://doi.org/10.1038/s41467-023-44328-2
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