現代日本人男性におけるY染色体ハプログループ
現代日本人男性におけるY染色体ハプログループ(YHg)の最新版と頻度分布を報告した研究(Inoue, and Sato., 2023)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。YHgへの関心は現代日本社会でも比較的高いようで、YHgを特定の文化もしくは民族の分類と関連づけて、人類進化史や現生人類(Homo sapiens)の移動を論じる傾向が強いようですが、これはきわめて危険だと思います。たとえば、YHg-D1a2aを日本列島や「縄文人」と排他的に関連づける傾向はかなり強く、あたかも「確定した事実」として大前提とする見解は珍しくないように思いますが、そうとは限らない可能性も考慮しておくべきでしょう(関連記事)。とくに、現代人のYHgの分布と頻度に基づいて現生人類集団の移動経路やその年代を推定することは、古代DNA研究の裏づけなしに安易に行なうべきではないと思います。現時点では率直に言って、本論文の推測や想定を大前提とすべきではないと考えています。以下、敬称は省略します。
●要約
日本人男性は、YHgのC1a1とC2とD1a2aとD1a2a-12f2bとO1b2とO1b2a1a1とO2a2b1とO2a1bに属しています。注目すべきことに、各YHgの地域頻度は均一です。ゲノム配列決定技術の最近の発展により、YHgの系統樹は毎年更新されています。したがって本論文では、現代日本人男性のYHgの更新と、その地域分布の調査が目的とされました。日本の7都市(長崎と福岡と徳島と大阪と金沢と川崎と札幌)の日本人男性1640個体の標本を用いて、YHgのC1a1とC2とD1a2aとD1a2a-12f2bとO1b2とO1b2a1a1が最新の系統樹に基づいて更新されました。
YHg-C1a1はおもにC1a1a1aとC1a1a1bの下位群に分類され、C1a1a1bは他の地域よりも徳島と大阪でより一般的でした。YHg-C2はおもにC2aとC2b1a1aとC2b1a1bとC2b1a2とC2b1bの下位群に分類され、その頻度は徳島と大阪では異なりました。YHg-D1a2a-12f2bはD1a2a1a2b1a1aとD1a2a1a3の下位群に分類されましたが、有意な頻度差は観察されませんでした。YHg-O1b2はO1b2a1a2a1aとO1b2a1a2a1bとO1b2a1a3の下位群に分類され、長崎と金沢で頻度差がありました。YHg-O1b2a1a1はおもにO1b2a1a1aとO1b2a1a1bとO1b2a1a1cの下位群に分類されましたが、有意な頻度差は観察されませんでした。本論文の調査結果から、近畿地方の遺伝子流動はヒトの移住に起因する、と示唆されます。
●研究史
ヒトのY染色体は、約5000万塩基対と106個のタンパク質コード遺伝子から構成されます。Y染色体には、X染色体と相同な疑似常染色体領域(pseudo-autosomal region、略してPAR)と男性特有の領域(male-specific region on the human Y chromosome、略してMSY)があり、ヘテロクロマチンとユークロマチンから構成されています。Y染色体は父親から息子へと同じように受け継がれ、それは、Y染色体のPARのみがX染色体のPARと組換えられるからです。したがって、現代人のY染色体は男性の集団遺伝学の研究にとって優れた情報源であり、それは、祖先のDNAが元々の形態で子孫に伝えられるからです。
Y染色体は複数の変異の組み合わせに基づいて、ハプログループと呼ばれるさまざまな一群に分類されます。2001年の研究はまずヒトY染色体の配列を報告し、その後の多くのDNA多型の識別につながりました。47zとSRY 465における多型が日本で報告されてきました。2002年の研究ではY染色体の世界規模の分類が要約され、男性の世界的な系統樹が孝徳され、ヒトの世界規模の進化の研究が促進されました。埴原和郎は、日本の人類学における作業仮説である「二重構造モデル」を提案しました。広く受け入れられているこのモデルでは、現代日本人集団の形成は在来の「縄文人」系統と移住してきた「弥生人」系統の混合の結果である、と示唆されています。
在来の「縄文人」はアジア南東部に起源があり、樺太や千島列島から日本列島へ、および長江もしくは台湾周辺から北方へ渡海して朝鮮半島へと移動し、居住の範囲を沖縄から北海道へと広げました(40000~3000年前頃)。稲作と農耕技術を取り入れたアジア北東部から到来した「弥生人」は朝鮮半島を経由して九州北部から日本列島へと移動し、九州と四国と本州に拡大しました(紀元後3世紀の3000年前頃【紀元後3世紀ではなく、紀元前3世紀もしくは紀元前千年紀の間違いかもしれません】)。これらの調査結果は、遺伝的に独特な日本人集団における地理的勾配を示唆します。
2014年の研究は、7都市(長崎と福岡と徳島と大阪と金沢と川崎と札幌)から収集された2390点の標本におけるYHgを分析し、日本人男性における地理的勾配の可能性が識別されました。その研究で明らかになったのは、日本人男性は8系統のYHg(C1、C3、D2*、D2a1、O2b*、O2b1、O3a3c、O3a4)に分類できるかもしれない、ということです。しかし、YHg頻度における有意な地域差は報告されてきませんでした。
最近の技術的進歩は、日本人集団の全ゲノム配列決定を促進しました。遺伝子系譜学国際協会(International Society of Genetic Genealogy、略してISOGG)は毎年、遺伝子系譜の研究の系統樹を更新し、YHgはそれに応じて変更されます。たとえば、C1はC1a1、C3はC2、D2*はD1a2a、O2b*はO1b2、O2b1はO1b2a1a1、O3a3cはO2a2b1、O3a4はO2a1bです。本論文では、日本人男性におけるYHg(以前にCとDとO1b2に分類されたYHg)のより詳細な決定と、現代日本人男性集団における系統樹の構造の解明が目指されました。
●資料と手法
2014年の研究で報告されたYHg調査のための長崎と福岡と徳島と大阪と金沢と川崎と札幌に居住する日本人男性から収集された2390点の標本のうち、1640個体に相当する残余のDNA標本が本論文では用いられました。表1には、各都市の分析に使用されたYHgの数がまとめられています。この研究は、徳島大学倫理委員会の承認を得ました。全参加者は研究への参加前にインフォームド・コンセントが提供されました。
YHgはISOGGにより公開されている系統樹に基づいて決定されました。YHg-D2a1の遺伝標識はISOGGにより以前に削除されました。したがって本論文では、YHg-D2a1はD1a2a-12f2bと定義されました。YHgの分岐遺伝標識はポリメラーゼ連鎖反応(polymerase chain reaction、略してPCR)制限断片長多型、TaqMan PCR、サンガー配列決定を用いて決定されました。この研究で用いられた全てのプライマーセットとアニーリング温度と酵素制限と遺伝子型決定手法は、補足表S1~S3に掲載されています。
都市間のYHg多様性を比較するため、Arlequinの3.5.2.2版が用いられ、集団間の遺伝的分化の指標として、2集団の遺伝的分化の程度を表す固定指数(Fixation index、略してFₛₜ)が計算されました。集団間の差がないという帰無仮説下で、順列数は 100 に設定され、有意水準は0.05に設定されました。各YHg頻度は対でのFₛₜ値の帰無分布を導く統計的計算のため、入力ファイルとして用いられました。YHgの分岐の推定年代は、YFullのデータベースのY染色体系統樹の11.04版用いて得られました。
●YHg-C
YHg-C1a1(以前のC1)に属する110個体の下位系統が、ISOGGにより公開されている系統樹に基づいて分析されました。C1a1は下位系統3群に分類され、それはC1a1a(1.8%)とC1a1a1a(73.6%)とC1a1a1b(24.5%)です(図1A)。これら3向けの地域辺鄙の評価から、C1a1a1aとC1a1a1bは徳島と大阪の間で異なっている、と明らかになりました。C1a1a1aの頻度は、徳島(56.5%)および大阪(54.5%)と比較すると、長崎(90.0%)と福岡(100%)と金沢(90.0%)と川崎(78.9%)と札幌(66.7%)でより高くなっていました。
対照的に、C1a1a1bの頻度は、徳島(43.5%)および大阪(45.5%)と比較して、長崎(0%)と福岡(0%)と金沢(10.0%)と川崎(21.1%)と札幌(28.6%)でより低くなっていました(図1B)。7都市の人口間の多様性を比較するため、YHg-C1a1系統の頻度に基づいてFₛₜ値の対での比較が実行されました。その結、は徳島と長崎(Fₛₜ=0.229)、徳島と金沢(Fₛₜ=0.207)、大阪と長崎(Fₛₜ=0.261)、大阪と金沢(Fₛₜ=0.249)の間で有意な差(P<0.05)が示されました(表2)。以下は本論文の図1です。
次に、YHg-C2に属する130個体でハプログループ分析が実行されました。YHg-C2は以下の6系統の下位群に区分され、それは、C2a(14.6%)、C2b1(0.8%)、C2b1a1a(36.9%)、C2b1a1b(4.6%)、C2b1a2(24.6%)、C2b1b(18.5%)です(図1A)。地域比較から、YHg-C2の下位系統であるC2aとC2b1a1aとC2b1a2とC2b1bは大阪で頻度の差異を示す、と分かりました。YHg-C2aの頻度は長崎(6.7%)と福岡(0%)と徳島(11.8%)と金沢(15.6%)と川崎(9.5%)と札幌(20.0%)で大阪(42.9%)より低い、と示されました。
さらに、YHg-C2b1a2の頻度は、長崎(13.3%)と福岡(25.0%)と徳島(11.8%)と川崎(19.0%)と札幌(23.3%)で大阪(42.9%)と金沢(37.5%)より低い、と示されました。対照的に、YHg-C2b1a1aは長崎(53.3%)と福岡(50.0%)と徳島(35.3%)と金沢(34.4%)と川崎(47.6%)と札幌(30.0%)で一般的に観察されましたが、大阪(0%)では観察されませんでした。YHg-C2b1bは長崎(26.7%)と福岡(25.0%)と徳島(29.4%)と金沢(9.4%)と川崎(23.8%)と札幌(16.7%)で一般的に観察されましたが、大阪(0%)では観察されませんでした。Fₛₜ値大阪と長崎(Fₛₜ=0.249)、大阪と福岡(Fₛₜ=0.200)、大阪と徳島(Fₛₜ=0.139)、大阪と川崎(Fₛₜ=0.192)の間で有意に異なっていました(表2)。
●YHg-D
YHg-D1a2aは以下の13系統の下位群に区分され、それは、D1a2a1(0.3%)、D1a2a1c(2.2%)、D1a2a1c1(4.1%)、D1a2a1c1a(8.9%)、D1a2a1c1a1(4.7%)、D1a2a1c1a1a(3.5%)、D1a2a1c1a1b(1.9%)、D1a2a1c1a1b1(19.0%)、D1a2a1c1b(1.3%)、D1a2a1c1b1(8.5%)、D1a2a1c1c(6.6%)、D1a2a1c2(5.7%)、D1a2a2(32.3%)です(図2A)。男性3人がYHg-D1a2aに含められました(0.9%)。地域比較から、これら13系統の下位群では、D1a2a2の頻度が、徳島(45.5%)および大阪(55.6%)と比較して、長崎(14.7%)と福岡(23.5%)と金沢(33.3%)と川崎(29.3%)と札幌(32.1%)で低かった、と示されました(図2B)。Fₛₜ値は、徳島と長崎(Fₛₜ=0.037)、大阪と長崎(Fₛₜ=0.081)、大阪と福岡(Fₛₜ=0.073)の間で有意に異なっていました(表2)。以下は本論文の図2です。
次に、YHg-D1a2a1-12f2b(旧称はD2a1)に分類される380個体のハプログループが分析されました。YHg-D1a2a1-12f2b以下の11系統の下位群に区分され、それは、D1a2a1a2b(12.9%)、D1a2a1a2b1(0.5%)、D1a2a1a2b1a(1.6%)、D1a2a1a2b1a1(6.8%)、D1a2a1a2b1a1a(21.1%)、D1a2a1a2b1a1a1(15.8%)、D1a2a1a2b1a1a1a(13.7%)、D1a2a1a2b1a1a3(7.6%)、D1a2a1a2b1a1a9(4.2%)D1a2a1a2b1a1b(2.4%)、D1a2a1a3(13.4%)です(図3A)。これら11系統の下位群から、YHg-D1a2a1a2b1a1a1の頻度が福岡で高かったのに対して、YHg-D1a2a1a2b1a1a1aの頻度が大阪で高かった、と明らかになりました(図3B)。しかし、そのFₛₜ値は有意には異なっていませんでした(表2)。以下は本論文の図3です。
●YHg-O1b2
YHg-O1b2(旧称はO2b*)に属する214個体のハプログループが分析されました。YHg-O1b2は以下の9系統の下位群に区分され、それは、O1b2a(4.7%)、O1b2a1a(4.7%)、O1b2a1a2a(0.5%)、O1b2a1a2a1(24.3%)、O1b2a1a2a1a(28.0%)、O1b2a1a2a1b(0.5%)、O1b2a1a2a1b1(14.0%)、O1b2a1a3(16.4%)O1b2a1b(0.5%)です(図4A)。男性14人がYHg-O1b2に含められました(6.5%)。地域比較から、これら10系統では、O1b2a1a2a1の頻度が金沢よりも長崎(31.3%)と福岡(37.5%)の方で高かった、と示されました。Fₛₜ値は長崎と金沢()の間で有意に異なっていました(Fₛₜ=0.042)。以下は本論文の図4です。
次に、YHg-O1b2a1a1(旧称はO2b1)に属する490個体で詳細なハプログループ分析が実行されました。YHg-O1b2a1a1以下の3系統の下位群に区分され、それは、O1b2a1a1a(34.3%)、O1b2a1a1b(23.9%)、O1b2a1a1c(10.4%)です(図4A)。男性154人のみがYHg-O1b2a1a1に含まれ、これら4YHgの地域頻度で有意な違いは観察されませんでした(図4C)。そのFₛₜ値も有意な違いを示しませんでした(表2)。
●考察
YHg-DおよびCに分類される人々は、それぞれ日本列島に20000年前頃と12000年前頃に到来した、と示唆されており、これは二重構造モデルと一致します。YHg-C系統はおもにC1とC2下位群に分類されてきましたが、本論文では、さらに分岐している、と示されました。
YHg-Cはアジア東部とシベリアに広がっており、オセアニアとヨーロッパとアメリカ大陸において低頻度で観察されてきました。現代人の祖先がアフリカを去り、西方と北方と南方の3経路でユーラシア大陸を横断した、と考えられています。特定の下位ハプログループが、かく地域で特定されました。YHg-C1a1は日本列島に限定されており、日本列島に到来する前に分岐した、と考えられています。YHg-C2はC2aとC2b に分岐し、C2aはアジア中央部とアジア北東部と北アメリカ大陸なおいて一般的で、C2bは中国とモンゴルと朝鮮半島において一般的であり、YHg-C2bの一部は日本列島に到達しました。日本列島に固有のYHg-C1a1系統の姉妹群であるYHg-C1a2は、ヨーロッパにおいて低頻度で見られます。対照的に、初期の分岐系統であるYHg-C1bはインド南岸とオーストラリアとインドネシアで見られます。
日本列島におけるYHg-C1系統の主要な下位群は、おもに徳島と大阪で見られるC1a1a1aと、おもに長崎と福岡と金沢と札幌で見られるC1a1a1bです。Fₛₜ値は徳島と長崎および金沢、大阪と長崎および金沢の間で有意な違いを示しました。YHg-C1a1は日本列島な固有で、C1a1a1aとC1a1a1bに分岐しなかったC1a1a が札幌と長崎において低頻度で見られ、日本列島に均等に分布しているYHg-C1a1は、男性がおもに徳島と大阪から移住したさいに下位系統のYHgに分岐した、と示唆されます。日本列島における主要なYHg-C2系統の下位群には、C2aとC2b1a1とC2b1a2とC2b1bが含まれ、その全てが大阪においてYHg頻度の差異を示します。Fₛₜ値は大阪とその周辺地域(長崎と福岡と徳島と川崎)との間で顕著な違いを示しており、人口の分岐および移住が大阪を中心に起きた、と示唆されます。YHg頻度の差異は大阪でのみ観察されました。大阪は日本で最大級の都市の一つなので、この調査結果から、現代の遺伝子流動が大阪において高頻度で起きている、と示唆されます。
世界中のY染色体配列のデータベースであるYFullのY染色体系統樹(11.04版)に基づくと、一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)の分岐は、C1a1では45300年前頃(95%信頼区間では49400~41300年前)、C2では48800年前頃(95%信頼区間では51300~46400年前)に起きた、と推定されます。他の下位ハプログループの推定分岐年代は、C1a1a1aとC1a1bでは4500年前頃(95%信頼区間では5500~3600年前)、C2aでは34100年前頃(95%信頼区間では37000~31300年前)、C2b1a1とC2b1a2では10300年前頃(95%信頼区間では11200~9400年前)、C2b1bでは11000年前頃(95%信頼区間では12000~10000年前頃)です。「縄文人」系統は日本列島に遅くとも2万年前頃には広がり始め、下位YHgの分岐が日本列島内で起きたことを示唆しています。
YHg-Dは、日本列島に加えてチベット高原やアンダマン諸島やアフリカの特定地域で確認されてきており、YHg-D1a2aは日本列島で最もよく特徴づけられているハプログループです。YHg-D2がナイジェリアなどアフリカの一部地域のみで観察されたのに対して(関連記事)、YHg-D1はユーラシアへとY区大師、アジア中央部とチベット高原において一般的なD1a1と、日本列島で見られるD1a2に分岐しました。YHg-D1a2aの姉妹系統であるD1a2bは、アンダマン諸島において最も一般的なYHgです。
本論文では、YHg-D1a2aは、D1a2a1c1やD1a2a1c2やD1a2a2を含めていくつかの下位系統群に分類される、と確証されました。YHg-D1a2a2が徳島と大阪において他の地域よりも高頻度で観察されるのに対して、他のYHg-D1a2aは全地域で均等に分布していました。YHg-D1a2a系統は日本列島に固有なので、この下位系統の分岐は日本列島内で起きたかもしれず、日本全国で均一に分布していました。YHg-D1a2a2の不均一な分布は、徳島と大阪が人口移動と人口分岐の出発点であること、および/もしくはその後で日本列島に到来したYHg-O系統の台頭に起因する残りの地域の拡大のためかもしれません。
YHg-D1a2a-12f2b系統はいくつかの下位系統群と3クラスタを形成し、それはD1a2a1a2b1a1aとD1a2a1a2b1a1bとD1a2a1a3です。これらのYHgにおいて有意な地域差は観察されませんでした。YHg-D1a2aとYHg-D1a2a-12f2bは同時に日本列島に入ってきたかもしれませんが、いくつかのYHgが日本列島に均等に分布しているのに対して、他のYHgは頻度の偏りを示しました。
Y染色体系統樹によると、D1a2a1とD1a2a2の推定分岐年代が21200年前頃(95%信頼区間では23100~15000年前)なのに対して、D1a2a1aとD1a2a1cの推定分岐年代は17600年前頃(95%信頼区間では20300~15000年前)です。YHg-D1a2aは45200年前頃(95%信頼区間では48500~42000年前)までに分岐し、日本列島でのみ観察されており、YHg-D1a2a系統が日本列島で広範囲に分岐した、と示唆されます。
YHg-Oはアジア東部において最大のハプログループで、4000年前頃に日本列島に到来した、と示唆されました。その祖先系統のYHg-NOはアフリカから去った後に北方経路でユーラシアへと拡大し、YHg-OとYHg-Nに分岐しました。YHg-Oは広くO2とO1に分類され、O2は中国北部の黄河流域で繁栄し、O1は中国南部の長江流域で繁栄しました。YHg-O1b2はYHg-O1から派生し、日本列島と中国と満洲と朝鮮半島では一般的な系統なので、朝鮮半島経由で日本列島へと北方へ移動したかもしれません。ほとんどの現在の中国の漢人を構成するYHg-O2の一部は、O2a1bとO2a2b1に分岐した後で日本列島に到達したかもしれません。
YHg-O1b2系統は3クラスタを形成し、それはO1b2a1a1aとO1b2a1a1bとO1b2a1a1cなどの位系統です。YHg-O1b2a1a1系統も3クラスタを形成し、O1b2a1a1aとO1b2a1a1bとO1b2a1a1cなどがあります。地域によるYHg頻度の顕著な違いは検出されず、日本列島におけるYHg-O1b2の主要な下位系統の分岐は現代日本人男性では均一で、恐らくは朝鮮半島およびその周辺地域経由でのYHg-O1b2a1a1系統の分岐に起因する、と示唆されます。
Y染色体系統樹による推定分岐年代は、O1b2では28000年前頃(30400~26000年前)、O1b2a1a1では5500年前頃(6500~4600年前)です。「弥生人」系統が遅くとも4000年前頃には日本列島に拡大し始めたことを考慮すると、特定されたO1b2a1a1aとO1b2a1a1bとO1b2a1a1cとO1b2a1a2a1aの推定分岐年代は3400年前頃(95%信頼区間では4500~2500年前)です。これらの調査結果から、YHg-O1b2は準直線的に分岐し、日本列島への流入後に均一に拡大した、と示唆されます。
まとめると、本論文の結果から、YHgのC1a1とC2とD1a2とD1a2-12f2bとO1b2とO1b2a1a1の各系統をそれぞれ3と6と14と11と10と4の下位YHgに更新することが可能となりました。さらに、各YHgについて頻度の集中したいくつかのクラスタ(まとまり)の存在が確証されました。日本列島に固有のYHg-C1a1とC2とD1a2はその頻度で顕著な違いを示しており、日本列島内の系統分岐と人口移動がおもに徳島と大阪の周辺で起きた、と示唆されます。YHg-CおよびD系統については、以前には報告されなかった、日本人男性集団の多様性において違いが検出されました。日本人男性は、二重構造のより大きな枠組み内にあるものの、人口変化や遺伝的浮動やさまざまな遺伝子の流入に気五する遺伝的構造の多様性を保持してきた、と考えられています。DNA解析では最近、日本人男性は朝鮮半島とアジア東部大陸部から古墳時代以降(3世紀以降)に移動し、オホーツク文化人も北方から北海道に移動した、と明らかになっており、3段階モデル理論につながっています。将来の研究は、YHg-O2の日本人の下位系統の特定とさまざまな地域におけるその頻度の調査により、日本人男性の多様性をさらに解明すべきでしょう。
参考文献:
Inoue M, and Sato Y.(2023): An update and frequency distribution of Y chromosome haplogroups in modern Japanese males. Journal of Human Genetics, 69, 3, 107–114.
https://doi.org/10.1038/s10038-023-01214-5
●要約
日本人男性は、YHgのC1a1とC2とD1a2aとD1a2a-12f2bとO1b2とO1b2a1a1とO2a2b1とO2a1bに属しています。注目すべきことに、各YHgの地域頻度は均一です。ゲノム配列決定技術の最近の発展により、YHgの系統樹は毎年更新されています。したがって本論文では、現代日本人男性のYHgの更新と、その地域分布の調査が目的とされました。日本の7都市(長崎と福岡と徳島と大阪と金沢と川崎と札幌)の日本人男性1640個体の標本を用いて、YHgのC1a1とC2とD1a2aとD1a2a-12f2bとO1b2とO1b2a1a1が最新の系統樹に基づいて更新されました。
YHg-C1a1はおもにC1a1a1aとC1a1a1bの下位群に分類され、C1a1a1bは他の地域よりも徳島と大阪でより一般的でした。YHg-C2はおもにC2aとC2b1a1aとC2b1a1bとC2b1a2とC2b1bの下位群に分類され、その頻度は徳島と大阪では異なりました。YHg-D1a2a-12f2bはD1a2a1a2b1a1aとD1a2a1a3の下位群に分類されましたが、有意な頻度差は観察されませんでした。YHg-O1b2はO1b2a1a2a1aとO1b2a1a2a1bとO1b2a1a3の下位群に分類され、長崎と金沢で頻度差がありました。YHg-O1b2a1a1はおもにO1b2a1a1aとO1b2a1a1bとO1b2a1a1cの下位群に分類されましたが、有意な頻度差は観察されませんでした。本論文の調査結果から、近畿地方の遺伝子流動はヒトの移住に起因する、と示唆されます。
●研究史
ヒトのY染色体は、約5000万塩基対と106個のタンパク質コード遺伝子から構成されます。Y染色体には、X染色体と相同な疑似常染色体領域(pseudo-autosomal region、略してPAR)と男性特有の領域(male-specific region on the human Y chromosome、略してMSY)があり、ヘテロクロマチンとユークロマチンから構成されています。Y染色体は父親から息子へと同じように受け継がれ、それは、Y染色体のPARのみがX染色体のPARと組換えられるからです。したがって、現代人のY染色体は男性の集団遺伝学の研究にとって優れた情報源であり、それは、祖先のDNAが元々の形態で子孫に伝えられるからです。
Y染色体は複数の変異の組み合わせに基づいて、ハプログループと呼ばれるさまざまな一群に分類されます。2001年の研究はまずヒトY染色体の配列を報告し、その後の多くのDNA多型の識別につながりました。47zとSRY 465における多型が日本で報告されてきました。2002年の研究ではY染色体の世界規模の分類が要約され、男性の世界的な系統樹が孝徳され、ヒトの世界規模の進化の研究が促進されました。埴原和郎は、日本の人類学における作業仮説である「二重構造モデル」を提案しました。広く受け入れられているこのモデルでは、現代日本人集団の形成は在来の「縄文人」系統と移住してきた「弥生人」系統の混合の結果である、と示唆されています。
在来の「縄文人」はアジア南東部に起源があり、樺太や千島列島から日本列島へ、および長江もしくは台湾周辺から北方へ渡海して朝鮮半島へと移動し、居住の範囲を沖縄から北海道へと広げました(40000~3000年前頃)。稲作と農耕技術を取り入れたアジア北東部から到来した「弥生人」は朝鮮半島を経由して九州北部から日本列島へと移動し、九州と四国と本州に拡大しました(紀元後3世紀の3000年前頃【紀元後3世紀ではなく、紀元前3世紀もしくは紀元前千年紀の間違いかもしれません】)。これらの調査結果は、遺伝的に独特な日本人集団における地理的勾配を示唆します。
2014年の研究は、7都市(長崎と福岡と徳島と大阪と金沢と川崎と札幌)から収集された2390点の標本におけるYHgを分析し、日本人男性における地理的勾配の可能性が識別されました。その研究で明らかになったのは、日本人男性は8系統のYHg(C1、C3、D2*、D2a1、O2b*、O2b1、O3a3c、O3a4)に分類できるかもしれない、ということです。しかし、YHg頻度における有意な地域差は報告されてきませんでした。
最近の技術的進歩は、日本人集団の全ゲノム配列決定を促進しました。遺伝子系譜学国際協会(International Society of Genetic Genealogy、略してISOGG)は毎年、遺伝子系譜の研究の系統樹を更新し、YHgはそれに応じて変更されます。たとえば、C1はC1a1、C3はC2、D2*はD1a2a、O2b*はO1b2、O2b1はO1b2a1a1、O3a3cはO2a2b1、O3a4はO2a1bです。本論文では、日本人男性におけるYHg(以前にCとDとO1b2に分類されたYHg)のより詳細な決定と、現代日本人男性集団における系統樹の構造の解明が目指されました。
●資料と手法
2014年の研究で報告されたYHg調査のための長崎と福岡と徳島と大阪と金沢と川崎と札幌に居住する日本人男性から収集された2390点の標本のうち、1640個体に相当する残余のDNA標本が本論文では用いられました。表1には、各都市の分析に使用されたYHgの数がまとめられています。この研究は、徳島大学倫理委員会の承認を得ました。全参加者は研究への参加前にインフォームド・コンセントが提供されました。
YHgはISOGGにより公開されている系統樹に基づいて決定されました。YHg-D2a1の遺伝標識はISOGGにより以前に削除されました。したがって本論文では、YHg-D2a1はD1a2a-12f2bと定義されました。YHgの分岐遺伝標識はポリメラーゼ連鎖反応(polymerase chain reaction、略してPCR)制限断片長多型、TaqMan PCR、サンガー配列決定を用いて決定されました。この研究で用いられた全てのプライマーセットとアニーリング温度と酵素制限と遺伝子型決定手法は、補足表S1~S3に掲載されています。
都市間のYHg多様性を比較するため、Arlequinの3.5.2.2版が用いられ、集団間の遺伝的分化の指標として、2集団の遺伝的分化の程度を表す固定指数(Fixation index、略してFₛₜ)が計算されました。集団間の差がないという帰無仮説下で、順列数は 100 に設定され、有意水準は0.05に設定されました。各YHg頻度は対でのFₛₜ値の帰無分布を導く統計的計算のため、入力ファイルとして用いられました。YHgの分岐の推定年代は、YFullのデータベースのY染色体系統樹の11.04版用いて得られました。
●YHg-C
YHg-C1a1(以前のC1)に属する110個体の下位系統が、ISOGGにより公開されている系統樹に基づいて分析されました。C1a1は下位系統3群に分類され、それはC1a1a(1.8%)とC1a1a1a(73.6%)とC1a1a1b(24.5%)です(図1A)。これら3向けの地域辺鄙の評価から、C1a1a1aとC1a1a1bは徳島と大阪の間で異なっている、と明らかになりました。C1a1a1aの頻度は、徳島(56.5%)および大阪(54.5%)と比較すると、長崎(90.0%)と福岡(100%)と金沢(90.0%)と川崎(78.9%)と札幌(66.7%)でより高くなっていました。
対照的に、C1a1a1bの頻度は、徳島(43.5%)および大阪(45.5%)と比較して、長崎(0%)と福岡(0%)と金沢(10.0%)と川崎(21.1%)と札幌(28.6%)でより低くなっていました(図1B)。7都市の人口間の多様性を比較するため、YHg-C1a1系統の頻度に基づいてFₛₜ値の対での比較が実行されました。その結、は徳島と長崎(Fₛₜ=0.229)、徳島と金沢(Fₛₜ=0.207)、大阪と長崎(Fₛₜ=0.261)、大阪と金沢(Fₛₜ=0.249)の間で有意な差(P<0.05)が示されました(表2)。以下は本論文の図1です。
次に、YHg-C2に属する130個体でハプログループ分析が実行されました。YHg-C2は以下の6系統の下位群に区分され、それは、C2a(14.6%)、C2b1(0.8%)、C2b1a1a(36.9%)、C2b1a1b(4.6%)、C2b1a2(24.6%)、C2b1b(18.5%)です(図1A)。地域比較から、YHg-C2の下位系統であるC2aとC2b1a1aとC2b1a2とC2b1bは大阪で頻度の差異を示す、と分かりました。YHg-C2aの頻度は長崎(6.7%)と福岡(0%)と徳島(11.8%)と金沢(15.6%)と川崎(9.5%)と札幌(20.0%)で大阪(42.9%)より低い、と示されました。
さらに、YHg-C2b1a2の頻度は、長崎(13.3%)と福岡(25.0%)と徳島(11.8%)と川崎(19.0%)と札幌(23.3%)で大阪(42.9%)と金沢(37.5%)より低い、と示されました。対照的に、YHg-C2b1a1aは長崎(53.3%)と福岡(50.0%)と徳島(35.3%)と金沢(34.4%)と川崎(47.6%)と札幌(30.0%)で一般的に観察されましたが、大阪(0%)では観察されませんでした。YHg-C2b1bは長崎(26.7%)と福岡(25.0%)と徳島(29.4%)と金沢(9.4%)と川崎(23.8%)と札幌(16.7%)で一般的に観察されましたが、大阪(0%)では観察されませんでした。Fₛₜ値大阪と長崎(Fₛₜ=0.249)、大阪と福岡(Fₛₜ=0.200)、大阪と徳島(Fₛₜ=0.139)、大阪と川崎(Fₛₜ=0.192)の間で有意に異なっていました(表2)。
●YHg-D
YHg-D1a2aは以下の13系統の下位群に区分され、それは、D1a2a1(0.3%)、D1a2a1c(2.2%)、D1a2a1c1(4.1%)、D1a2a1c1a(8.9%)、D1a2a1c1a1(4.7%)、D1a2a1c1a1a(3.5%)、D1a2a1c1a1b(1.9%)、D1a2a1c1a1b1(19.0%)、D1a2a1c1b(1.3%)、D1a2a1c1b1(8.5%)、D1a2a1c1c(6.6%)、D1a2a1c2(5.7%)、D1a2a2(32.3%)です(図2A)。男性3人がYHg-D1a2aに含められました(0.9%)。地域比較から、これら13系統の下位群では、D1a2a2の頻度が、徳島(45.5%)および大阪(55.6%)と比較して、長崎(14.7%)と福岡(23.5%)と金沢(33.3%)と川崎(29.3%)と札幌(32.1%)で低かった、と示されました(図2B)。Fₛₜ値は、徳島と長崎(Fₛₜ=0.037)、大阪と長崎(Fₛₜ=0.081)、大阪と福岡(Fₛₜ=0.073)の間で有意に異なっていました(表2)。以下は本論文の図2です。
次に、YHg-D1a2a1-12f2b(旧称はD2a1)に分類される380個体のハプログループが分析されました。YHg-D1a2a1-12f2b以下の11系統の下位群に区分され、それは、D1a2a1a2b(12.9%)、D1a2a1a2b1(0.5%)、D1a2a1a2b1a(1.6%)、D1a2a1a2b1a1(6.8%)、D1a2a1a2b1a1a(21.1%)、D1a2a1a2b1a1a1(15.8%)、D1a2a1a2b1a1a1a(13.7%)、D1a2a1a2b1a1a3(7.6%)、D1a2a1a2b1a1a9(4.2%)D1a2a1a2b1a1b(2.4%)、D1a2a1a3(13.4%)です(図3A)。これら11系統の下位群から、YHg-D1a2a1a2b1a1a1の頻度が福岡で高かったのに対して、YHg-D1a2a1a2b1a1a1aの頻度が大阪で高かった、と明らかになりました(図3B)。しかし、そのFₛₜ値は有意には異なっていませんでした(表2)。以下は本論文の図3です。
●YHg-O1b2
YHg-O1b2(旧称はO2b*)に属する214個体のハプログループが分析されました。YHg-O1b2は以下の9系統の下位群に区分され、それは、O1b2a(4.7%)、O1b2a1a(4.7%)、O1b2a1a2a(0.5%)、O1b2a1a2a1(24.3%)、O1b2a1a2a1a(28.0%)、O1b2a1a2a1b(0.5%)、O1b2a1a2a1b1(14.0%)、O1b2a1a3(16.4%)O1b2a1b(0.5%)です(図4A)。男性14人がYHg-O1b2に含められました(6.5%)。地域比較から、これら10系統では、O1b2a1a2a1の頻度が金沢よりも長崎(31.3%)と福岡(37.5%)の方で高かった、と示されました。Fₛₜ値は長崎と金沢()の間で有意に異なっていました(Fₛₜ=0.042)。以下は本論文の図4です。
次に、YHg-O1b2a1a1(旧称はO2b1)に属する490個体で詳細なハプログループ分析が実行されました。YHg-O1b2a1a1以下の3系統の下位群に区分され、それは、O1b2a1a1a(34.3%)、O1b2a1a1b(23.9%)、O1b2a1a1c(10.4%)です(図4A)。男性154人のみがYHg-O1b2a1a1に含まれ、これら4YHgの地域頻度で有意な違いは観察されませんでした(図4C)。そのFₛₜ値も有意な違いを示しませんでした(表2)。
●考察
YHg-DおよびCに分類される人々は、それぞれ日本列島に20000年前頃と12000年前頃に到来した、と示唆されており、これは二重構造モデルと一致します。YHg-C系統はおもにC1とC2下位群に分類されてきましたが、本論文では、さらに分岐している、と示されました。
YHg-Cはアジア東部とシベリアに広がっており、オセアニアとヨーロッパとアメリカ大陸において低頻度で観察されてきました。現代人の祖先がアフリカを去り、西方と北方と南方の3経路でユーラシア大陸を横断した、と考えられています。特定の下位ハプログループが、かく地域で特定されました。YHg-C1a1は日本列島に限定されており、日本列島に到来する前に分岐した、と考えられています。YHg-C2はC2aとC2b に分岐し、C2aはアジア中央部とアジア北東部と北アメリカ大陸なおいて一般的で、C2bは中国とモンゴルと朝鮮半島において一般的であり、YHg-C2bの一部は日本列島に到達しました。日本列島に固有のYHg-C1a1系統の姉妹群であるYHg-C1a2は、ヨーロッパにおいて低頻度で見られます。対照的に、初期の分岐系統であるYHg-C1bはインド南岸とオーストラリアとインドネシアで見られます。
日本列島におけるYHg-C1系統の主要な下位群は、おもに徳島と大阪で見られるC1a1a1aと、おもに長崎と福岡と金沢と札幌で見られるC1a1a1bです。Fₛₜ値は徳島と長崎および金沢、大阪と長崎および金沢の間で有意な違いを示しました。YHg-C1a1は日本列島な固有で、C1a1a1aとC1a1a1bに分岐しなかったC1a1a が札幌と長崎において低頻度で見られ、日本列島に均等に分布しているYHg-C1a1は、男性がおもに徳島と大阪から移住したさいに下位系統のYHgに分岐した、と示唆されます。日本列島における主要なYHg-C2系統の下位群には、C2aとC2b1a1とC2b1a2とC2b1bが含まれ、その全てが大阪においてYHg頻度の差異を示します。Fₛₜ値は大阪とその周辺地域(長崎と福岡と徳島と川崎)との間で顕著な違いを示しており、人口の分岐および移住が大阪を中心に起きた、と示唆されます。YHg頻度の差異は大阪でのみ観察されました。大阪は日本で最大級の都市の一つなので、この調査結果から、現代の遺伝子流動が大阪において高頻度で起きている、と示唆されます。
世界中のY染色体配列のデータベースであるYFullのY染色体系統樹(11.04版)に基づくと、一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)の分岐は、C1a1では45300年前頃(95%信頼区間では49400~41300年前)、C2では48800年前頃(95%信頼区間では51300~46400年前)に起きた、と推定されます。他の下位ハプログループの推定分岐年代は、C1a1a1aとC1a1bでは4500年前頃(95%信頼区間では5500~3600年前)、C2aでは34100年前頃(95%信頼区間では37000~31300年前)、C2b1a1とC2b1a2では10300年前頃(95%信頼区間では11200~9400年前)、C2b1bでは11000年前頃(95%信頼区間では12000~10000年前頃)です。「縄文人」系統は日本列島に遅くとも2万年前頃には広がり始め、下位YHgの分岐が日本列島内で起きたことを示唆しています。
YHg-Dは、日本列島に加えてチベット高原やアンダマン諸島やアフリカの特定地域で確認されてきており、YHg-D1a2aは日本列島で最もよく特徴づけられているハプログループです。YHg-D2がナイジェリアなどアフリカの一部地域のみで観察されたのに対して(関連記事)、YHg-D1はユーラシアへとY区大師、アジア中央部とチベット高原において一般的なD1a1と、日本列島で見られるD1a2に分岐しました。YHg-D1a2aの姉妹系統であるD1a2bは、アンダマン諸島において最も一般的なYHgです。
本論文では、YHg-D1a2aは、D1a2a1c1やD1a2a1c2やD1a2a2を含めていくつかの下位系統群に分類される、と確証されました。YHg-D1a2a2が徳島と大阪において他の地域よりも高頻度で観察されるのに対して、他のYHg-D1a2aは全地域で均等に分布していました。YHg-D1a2a系統は日本列島に固有なので、この下位系統の分岐は日本列島内で起きたかもしれず、日本全国で均一に分布していました。YHg-D1a2a2の不均一な分布は、徳島と大阪が人口移動と人口分岐の出発点であること、および/もしくはその後で日本列島に到来したYHg-O系統の台頭に起因する残りの地域の拡大のためかもしれません。
YHg-D1a2a-12f2b系統はいくつかの下位系統群と3クラスタを形成し、それはD1a2a1a2b1a1aとD1a2a1a2b1a1bとD1a2a1a3です。これらのYHgにおいて有意な地域差は観察されませんでした。YHg-D1a2aとYHg-D1a2a-12f2bは同時に日本列島に入ってきたかもしれませんが、いくつかのYHgが日本列島に均等に分布しているのに対して、他のYHgは頻度の偏りを示しました。
Y染色体系統樹によると、D1a2a1とD1a2a2の推定分岐年代が21200年前頃(95%信頼区間では23100~15000年前)なのに対して、D1a2a1aとD1a2a1cの推定分岐年代は17600年前頃(95%信頼区間では20300~15000年前)です。YHg-D1a2aは45200年前頃(95%信頼区間では48500~42000年前)までに分岐し、日本列島でのみ観察されており、YHg-D1a2a系統が日本列島で広範囲に分岐した、と示唆されます。
YHg-Oはアジア東部において最大のハプログループで、4000年前頃に日本列島に到来した、と示唆されました。その祖先系統のYHg-NOはアフリカから去った後に北方経路でユーラシアへと拡大し、YHg-OとYHg-Nに分岐しました。YHg-Oは広くO2とO1に分類され、O2は中国北部の黄河流域で繁栄し、O1は中国南部の長江流域で繁栄しました。YHg-O1b2はYHg-O1から派生し、日本列島と中国と満洲と朝鮮半島では一般的な系統なので、朝鮮半島経由で日本列島へと北方へ移動したかもしれません。ほとんどの現在の中国の漢人を構成するYHg-O2の一部は、O2a1bとO2a2b1に分岐した後で日本列島に到達したかもしれません。
YHg-O1b2系統は3クラスタを形成し、それはO1b2a1a1aとO1b2a1a1bとO1b2a1a1cなどの位系統です。YHg-O1b2a1a1系統も3クラスタを形成し、O1b2a1a1aとO1b2a1a1bとO1b2a1a1cなどがあります。地域によるYHg頻度の顕著な違いは検出されず、日本列島におけるYHg-O1b2の主要な下位系統の分岐は現代日本人男性では均一で、恐らくは朝鮮半島およびその周辺地域経由でのYHg-O1b2a1a1系統の分岐に起因する、と示唆されます。
Y染色体系統樹による推定分岐年代は、O1b2では28000年前頃(30400~26000年前)、O1b2a1a1では5500年前頃(6500~4600年前)です。「弥生人」系統が遅くとも4000年前頃には日本列島に拡大し始めたことを考慮すると、特定されたO1b2a1a1aとO1b2a1a1bとO1b2a1a1cとO1b2a1a2a1aの推定分岐年代は3400年前頃(95%信頼区間では4500~2500年前)です。これらの調査結果から、YHg-O1b2は準直線的に分岐し、日本列島への流入後に均一に拡大した、と示唆されます。
まとめると、本論文の結果から、YHgのC1a1とC2とD1a2とD1a2-12f2bとO1b2とO1b2a1a1の各系統をそれぞれ3と6と14と11と10と4の下位YHgに更新することが可能となりました。さらに、各YHgについて頻度の集中したいくつかのクラスタ(まとまり)の存在が確証されました。日本列島に固有のYHg-C1a1とC2とD1a2はその頻度で顕著な違いを示しており、日本列島内の系統分岐と人口移動がおもに徳島と大阪の周辺で起きた、と示唆されます。YHg-CおよびD系統については、以前には報告されなかった、日本人男性集団の多様性において違いが検出されました。日本人男性は、二重構造のより大きな枠組み内にあるものの、人口変化や遺伝的浮動やさまざまな遺伝子の流入に気五する遺伝的構造の多様性を保持してきた、と考えられています。DNA解析では最近、日本人男性は朝鮮半島とアジア東部大陸部から古墳時代以降(3世紀以降)に移動し、オホーツク文化人も北方から北海道に移動した、と明らかになっており、3段階モデル理論につながっています。将来の研究は、YHg-O2の日本人の下位系統の特定とさまざまな地域におけるその頻度の調査により、日本人男性の多様性をさらに解明すべきでしょう。
参考文献:
Inoue M, and Sato Y.(2023): An update and frequency distribution of Y chromosome haplogroups in modern Japanese males. Journal of Human Genetics, 69, 3, 107–114.
https://doi.org/10.1038/s10038-023-01214-5
この記事へのコメント
私は何かを危険視し、遠ざけようとする態度こそ危険だと思います。
そういった態度を取らないと語り得ないこの状況が一番おかしいのですけれども。
念のために言っておきますが、私は別に危険だから「遠ざけよう」と主張しているわけではなく、安易に推測し、さらにはそれを大前提とするような議論は行なうべきではない、と主張しているだけです。
まあ、それが「遠ざけよう」という行為に他ならない、との反論もあるのかもしれませんが。
上記は誰が書いた文章ですか?
Y染色体ハプログループO1b2-M176が「中国と満洲と。。。で。。。一般的な系統」だというのは誤りです。O1b2は中国全土で約0.70%、中国東北部の主な先住民族である満洲族の男性でさえO1b2に属す者は全体の3.1%ほどです。決して「一般的」なY染色体ハプログループだとは言えないでしょう。しかも、中国で観察されるO1b2は(O1b2a1a2b-F940といい現代中国人男性の約0.12%が属し最も近い共通祖先が約2700年前の者と推定されるという珍しい系統を除けば)古くから中国に土着の可能性がある系統ではなく、有史時代に朝鮮から流出した系統ばかりです。つまり「朝鮮系中国人(満洲人、蒙古人等)」と考えた方がよさそうです。ちなみに約0.12%の現代中国人男性に観察されるO1b2a1a2b-F940は現代ソウル特別市及び大田広域市の約19.0%の男性に観察されているO1b2a1a2a-L682と姉妹群を成す系統です。即ち両者の関係は現代日本人の約23%(18%~28%)の男性に観察されているO1b1a1a1-47zよりも近いのです。
要するに、O1b2が元々(例えば新石器時代以前から)日韓のどこかに居住していて、先ず日本と朝鮮の二集団に分かれてから、朝鮮集団から流出し中国へ移住して現地民の女性と子を成した男性が少数いた、というシナリオが最も現実的なのです。
冒頭で述べたように、本論文の推測や想定を大前提とすべきではなく、現代人のYHgの分布と頻度に基づいて現生人類集団の移動経路やその年代を推定することは、古代DNA研究の裏づけなしに安易に行なうべきではない、と私は考えていますが、YHgについて詳しいわけではないので、参考情報として翻訳しています。
本論文の引用文献を確認すると、YHg-O1b2(旧O2b)は中国と満洲で一般的とは言えない頻度なので、本論文で一般的な系統とされた理由はよく分かりません。
https://doi.org/10.1186/2041-2223-2-10
https://www.23mofang.com/ancestry/ytree/O-M268
https://www.theytree.com/?snp=M268
https://discover.familytreedna.com/y-dna/O-M268/scientific?section=tmrca
https://www.yfull.com/tree/O-M268/
23mofangとTheYtreeのものは中国(前者は四川省成都市に本社を置く会社で、後者は広東省深圳市に本社を置くWeGene及び上海市に本社を置くYooGeneの両方と提携を結んでいる)の人員による系統樹で、FamilyTreeDNAのものはアメリカ・テキサス州ヒューストン市に本社を置く会社の人員による系統樹で、YFullのものはロシア・モスクワに本社を置く会社の人員による系統樹です。
23mofangによるハプログループO1b2の形成年代: 今より29340年前
TheYtreeによるハプログループO1b2の形成年代: 今より30360年前
FTDNAによるハプログループO1b2の形成年代: 今より28,272 (99% CI 34,658 - 22,732)年前
YFullによるハプログループO1b2の形成年代: 今より28200 (95% CI 30400 <-> 26000)年前
ロシアのYFullによる推定年代が全般的に「低め」であるということが従来より様々なフォーラムに於いて議論の的となっています。アメリカのFTDNAはその限りではないが、O1b2の形成年代に関しては低めの推定値となっています。(Full disclosure: 私本人はアメリカの者ですが、FTDNAと何ら関係が無く、FTDNAを特別に贔屓しているわけでもありません。)ハプログループO1b2の形成年代の推定に関しては、中国の23mofang及びTheYtreeの推定が最も信頼性が高いだろうと思います。何故ならばロシア及びアメリカはハプログループO1bに属す人が中国よりずっと少なく、年代の推定に必要なデータの個数も少ないため、年代推定の精度が劣ってしまうことが容易に想像できるためです。それに、2022年に発表された論文(Monika Karmin, Rodrigo Flores, Lauri Saagほか、"Episodes of Diversification and Isolation in Island Southeast Asian and Near Oceanian Male Lineages," Mol. Biol. Evol. 39(3): msac045 doi:10.1093/molbev/msac045)のTable S5の第192行を参照すれば、ハプログループO1b-M268の最も近い共通祖先の年代(即ちハプログループO1b2の形成年代)が今より31108 (95% CIの下限が今より22844年前、95% CIの上限が今より34893年前)と推定されているのが見えます。Y染色体の一部のみの塩基配列を決定する従来の検査方法とは違って、「complete Y-chromosome sequence」(Y染色体全体の塩基配列を決定し徹底的に調べた検査)による検査結果が昨年の論文で発表されたのですが、その論文によればハプログループOを含むハプログループNO-M214が他のどのハプログループよりも従来の領域の(部分的な)検査に基づいた推定年代が、Y染色体全体の検査に基づいた推定年代を最も大きく下回ったという結果が出ていて、どうもハプログループO(及びその姉妹群であるハプログループN)に関しては、推定年代の95% CIの上限あたりが実際の年代に近いだろうということが言えそうです。(言い換えれば、従来の検査で調べらているY染色体の一部は、特にハプログループOとハプログループNの場合、突然変異の数を過少評価してしまっているというわけです。)
簡潔にまとめますと、ハプログループO1b2は今より約30,000年前には既に最も近縁の外群を成すハプログループO1b1とは別の系統と成っていた、という事です。
ちなみにハプログループO1b2に属しているけれども今より約25450年前~今より約28250年前に現存する多くのO1b2と父系の血統が分かれた、非常に「古い」というか特異なO1b2のサブクレードが現代の日本と韓国(及び中国吉林省松原市寧江区趙氏及び河北省滄州市南皮県趙氏の二人)で稀に観察されています。この傍系を含めると、ハプログループO1b2は実はハプログループD1a2a-M64.1よりも多様性が多少高い。ハプログループC1a1-M8やハプログループD1a2a-M64.1よりも先に、ハプログループO1b2がいち早く拡散し始めた可能性だってあるというわけです。(しかし、現存するハプログループO1b2の大多数の者が今より約8,000年前に一人の共通祖先を持っているということも事実です。)
最後に申し上げたい事は、ハプログループD1a2a、ハプログループC1a1、ハプログループO1b2の他にも、実は最近他所から日本に渡来してきたのではなく、かなり古くから日本に土着の系統となっている可能性があるものが他に現存しているということです。これは特に現代の東アジアの大陸部に於いて主流となっているハプログループO2-M122及びハプログループC2-M217に関して最も確信を持って言えることですが、少数派となっているハプログループN、ハプログループO1b1、ハプログループO1a1に関しても、日本で観察されている系統は特異なものが多く、考古学から得られた知見に基づいて提唱されてきた従来の「渡来系弥生人」の枠には当てはまらない可能性のあるものが結構あります。
最も顕著な一例としては、ハプログループO2a2a1a1b2b2b-SK1702が挙げられます。この系統に属す人骨は既に金官伽耶国の大成洞古墳群(現在の大韓民国慶尚南道金海市大成洞所在)の一基の古墳から出土していて、同じ系統の(今は絶滅したかも知れない)傍系の一例も大韓民国全羅南道麗水市南面安島里(朝鮮半島南岸沖に位置する小さな離島)から出土した、紀元前6300年~紀元前3000年の新石器時代初期のAndo 1という古人骨から検出されています。23mofangの統計によれば、現代中国の約1000人に1人の男性がこの系統に属していると推定されているけれども、これらもハプログループO1b2と同様、有史時代の朝鮮から中国へ流入した者の後裔と見られています。
cf. Hallast P, Ebert P, Loftus M, et al., "Assembly of 43 human Y chromosomes reveals extensive complexity and variation." Nature, 2023 Sep;621(7978):355-364. doi: 10.1038/s41586-023-06425-6.
この論文のFigure S1によるハプログループの推定年代と、従来の(Y染色体の一部のみの塩基配列を決定し調べるFTDNAの検査による)ハプログループの推定年代は下記の通り:
TMRCA NO-M214
Hallast et al. 2023 45,300 (95% HPD interval 39,400 <-> 51,900) ybp
FTDNA 37,587 (95% CI 32,844 <-> 42,644) ybp
Hallast/FTDNA = 1.205
TMRCA O-M175
Hallast et al. 2023 37,200 (95% HPD interval 32,300 <-> 42,800) ybp
FTDNA 31,296 (95% CI 27,363 <-> 35,795) ybp
Hallast/FTDNA = 1.189
Mean difference (NO-M214 and O-M175) 1.197
残念ながら、Hallast et al. 2023はハプログループO1b2に属すY染色体を一つも調べていません。彼らが調べているものの中で最もO1b2と系統的に近いものは、O1b1a2b1a-F1127に属すNA18534 CHB (北京漢族)で、次に近いものはハプログループO2-M122に属す四本の検体(華南漢族3人とベトナムホーチミン市キン族1人から得られたY-DNA)。
Hallast et al. 2023によるハプログループNOのTMRCA及びハプログループOのTMRCAの推定値に倣って、FTDNAによるハプログループO1b2のTMRCAの推定値に(1.197を端折って)1.2という修正率を掛ければ、次の通りの結果が得られます:
O1b-M268 TMRCA約34,000年
*O1b2-P49 TMRCA約32,000年
**O-F855 TMRCA約14,000年
***O-CTS9259 TMRCA約13,000年
****O-F1204 TMRCA約8,900年
*****O-CTS10687 TMRCA約6,600年
*****O-K4 TMRCA約7,300年
******O-CTS723 TMRCA約3,500年
*****O-K7(=O-47z) TMRCA約7,600年
******O-K2(=O-CTS713) TMRCA約4,100年
したがって、現存するハプログループO1b2の大多数のメンバーが属すサブクレードであるO1b2a1a-F1204は、今より約9000年前ごろ拡散し始めた可能性があります。これは日本の考古学による時代区分では、縄文時代早期の中頃、もしくは縄文時代早期の中頃を少し過ぎた頃でしょうか。朝鮮半島の考古学による時代区分では、櫛目文土器時代草創期の中頃、南方(九州?)から隆起文土器が伝来し、それに触発されたためか、朝鮮半島でも土器が作られ始めた頃でしょうか。
さて、削除される覚悟で書き込みます(笑)。
最近の韓国の研究では、「縄文人が朝鮮半島に進出した」という論文が出ていて、ご自分のブログにも紹介されています。
縄文時代の人類集団の遺伝的構造と非縄文文化圏への遺伝的影響
https://sicambre.seesaa.net/article/202312article_26.html
元論文
Gichan Jeong et al. (2023). An ancient genome perspective on the dynamic history of the prehistoric Jomon people in and around the Japanese archipelago
https://doi.org/10.1016/j.cub.2022.06.004
Y染色体だけではなく、核ゲノム解析(主成分分析やIBDの分析)の結果でも、朝鮮半島古代人は縄文人や弥生人と同じ(共通点が多い)です。
最近の中国や韓国の研究は、ほぼ同じ結果になっていて、次はその例です。
Na Su et al. (2023). The genetic structure and admixture of Manchus and Koreans in northeast China.
https://doi.org/10.1080/03014460.2023.2182912
Pere Gelabert et al. (2022). Northeastern Asian and Jomon-related genetic structure in the Three Kingdoms period of Gimhae, Korea.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2022.06.004
不思議なことに、日本だけタブー(?)なのか知りませんが、誰も朝鮮半島古代人はやってないようです。
データ自体はオーブンなので、時間ができたら自分でもやってみたいと考えています。
(ただ、データの劣化を補正するのが難しい…)
ところで、朝鮮半島古代人は、どのぐらいの人数のデータがあれば満足されますか? 参考までにお聞きしたいです。
縄文文化圏外の「縄文人」的な遺伝的構成要素を有する個体が、実際に「縄文人」の子孫であるとは限らない可能性も考慮しておくべきでしょう
と述べており、リンクも貼っているわけですが。
https://sicambre.seesaa.net/article/202312article_17.html
朝鮮半島南岸の前期新石器時代の獐項遺跡や煙台島遺跡や長項遺跡の個体も、実際に「縄文人」の子孫と確定したわけではありません。後期新石器時代の欲知島遺跡個体は、「縄文人」の子孫である可能性が高そうですが、「縄文人」の形成過程も含めてその実態を解明するには、アジア東部圏の時空間的にずっと広範囲の多くのデータが必要でしょう。この場合、解析数が多いほどよいのは当然ですが、それ以上に時空間的に広範囲の標本抽出が必要だと思います。現時点では、上記のリンク先で述べましたが、朝鮮半島南岸の6300年前頃となる獐項遺跡個体により表される集団が現代日本人の主要な祖先だった可能性はきわめて低そうで、弥生時代に日本列島へ到来した集団の主要な祖先でもないだろう、と推測されます。
また、私は縄文文化と関連する個体という意味で「縄文人」と使用しており、できるだけ「」をつけるよう意識していますが、そもそも「縄文時代」という時代区分自体に問題がある、との考古学者からの指摘があります。
https://twitter.com/fujimicho/status/1726165350302294146
https://twitter.com/fujimicho/status/1726166782573154455
https://twitter.com/fujimicho/status/1727511124600606897
https://twitter.com/fujimicho/status/1739252698074226793
https://twitter.com/fujimicho/status/1727539248172347615
「式」が「型式」なのか「様式」なのか技術技法の特徴を指すのかはよくわからないけれどいずれにしても「縄文時代」を通じて全体を説明可能な定義範疇は存在しないので「縄文式土器」も成立しないと思います。
「縄文時代」の土器を「縄文式」と呼称するのだとしたらまず「縄文時代」を定義しないと。
この指摘を踏まえての日本列島の更新世~完新世人類史の提示は、今の私の見識ではとても無理ですが、「縄文時代」の人類史についての考察では念頭に置かねばならないでしょう。
昨秋にユーラシア西部の後期更新世人類史に関する論文を読んで以降、文化の拡散や変容と人類集団の遺伝的構成を安易に関連づけてはならず、ある仮説を大前提としてしまい、そこから「考察」を展開すると砂上の楼閣になりかねない、と以前以上に強く自戒するようになり、ネット上で何度か繰り返し述べましたが、これはあるアカウントを強く意識しての発言でした。この発言のさいに貴殿のことは念頭にありませんでしたが、貴殿にもよく当てはまるな、と今回思った次第です。
貴殿が当ブログで「朝鮮半島には新石器時代の遺跡は(事実上)ゼロ=無人」と主張したさいにも私は述べましたが、貴殿の一連の話は私にとって全く有益ではないので(新規性がないことや、朝鮮半島の新石器時代の遺跡は事実上ない、といった与太話)、有料ブログでもないのに、貴殿の相手をするのには心底うんざりしています。二度と当ブログにはコメントしないでください。「自説」発表の場はネットにいくらでもあるでしょうから、当ブログ以外でお願いします。今回は相手をしましたが、新規性のある情報がなければ次回からは無視します。それでも執拗に当ブログにコメントするようならば、出禁にします。
また、ご丁寧なご返事ありがとうございます。
今回で最後にしようと思いますが、再度勝手ながら私見を述べさせていただけると、ご紹介いただいたリンク先にある藤尾氏の2023年の論文、
国立歴史民俗博物館研究報告 第242集
[論文] 弥生人の成立と展開Ⅱ : 韓半島新石器時代人との遺伝的な関係を中心に
https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/records/2000021
で参照されている、
Robbeets M et al. (2021). Triangulation supports agricultural spread of the Transeurasian languages.
Triangulation supports agricultural spread of the Transeurasian languages.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-04108-8
のExtended Figure 8では、「主成分分析」が行われており、
https://www.nature.com/articles/s41586-021-04108-8/figures/12
これは、前回私が示した3編の論文、
Na Su et al. (2023). The genetic structure and admixture of Manchus and Koreans in northeast China.
https://doi.org/10.1080/03014460.2023.2182912
Pere Gelabert et al. (2022). Northeastern Asian and Jomon-related genetic structure in the Three Kingdoms period of Gimhae, Korea.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2022.06.004
Gichan Jeong et al. (2023). An ancient genome perspective on the dynamic history of the prehistoric Jomon people in and around the Japanese archipelago.
https://doi.org/10.47248/hpgg2303040008
の結果と基本的に一致しているようです。
具体的には、
Changhang(一部)、Taejungni、Yokchido →縄文人に最も類似
Ando、Changhang(一部)、Yondaedo →現代日本人に最も類似
また、Gelabert氏らの2023年の論文のFigure 5 B では、「IBD分析」の結果が表示されています。
見たとおり、金海地区の8体の核ゲノムは、縄文人や古墳人に最も類似しているのです。
しかし、不思議なことに、これらは藤尾氏の2023年の論文の内容に反映されていないようです。
従って、藤尾氏の2023年の論文の図1は、明確に「誤り」ということになります。
以上は、「考え方の違い」ではなく「事実」です。
もちろん、管理人さんの考え方は尊重しますし、貴重な情報の提供にはいつも感謝しておりますが、「事実」と異なることを書くのはいかがかと思います。
失礼しました。
次に、そもそも、主成分分析結果の図示の見かけ上の位置で個体Aが個体B(もしくは個体Bも含む複数個体)と近いからといって、個体Bにより表される集団が個体Aの祖先集団の一部と確定するわけではありません。
主成分分析以外の手法で、朝鮮半島南岸を含めてアジア東部北方沿岸の新石器時代の複数個体は一定の割合の「縄文人」的な遺伝的構成要素でモデル化できますが、それにより「縄文人」が祖先と確定するわけではなく、たとえば、「縄文人」的な遺伝的構成要素でモデル化できるロシア極東沿岸の中期新石器時代個体が、「縄文人」的な遺伝的構成要素なしでもモデル化可能なことは、藤尾論文を取り上げた記事でも言及しました。
現代日本列島「本土」集団は、外国人との比較では、現代韓国人集団と遺伝的に近縁で、9割程度の現代韓国人集団的な遺伝的構成要素と1割合程度の「縄文人」的な遺伝的構成要素でモデル化できますが、現代韓国人集団的な遺伝的構成要素の集団が3000年代以上前から朝鮮半島に存在し、その一部が現代日本列島「本土」集団の主要な祖先になった、とはとても断定できず、実際にはもっと複雑だったでしょう。その意味で、朝鮮半島南岸の複数の新石器時代の複数個体の遺伝的構成要素として、「縄文人」ではなく「古代アジア東部沿岸集団」を想定した藤尾論文図1の間違いが「明らか」なのは「事実」とは、とても言えません。ある仮説を大前提としてしまい、そこから「考察」を展開すると砂上の楼閣になりかねない、と言ったそばからこれですから、本当にうんざりします。
藤尾論文と私見との大きな違いは、藤尾論文が、朝鮮半島には「縄文人」が遺伝的痕跡を強く残すほどの「縄文文化」の考古学的痕跡はない、と想定しているのに対して、私は、遺伝学と考古学を安易に関連づけてはいけない、との基本的立場から、朝鮮半島に「縄文文化」の痕跡がきわめて少なく、「縄文文化」が定着したとはとても言えないのはほぼ間違いないとしても、「縄文人」が朝鮮半島南岸新石器時代集団に一定の割合の明確な遺伝学痕跡を残さなかったとは限らない、と考えていることです。繰り返しになりますが、とくに朝鮮半島南岸後期新石器時代の欲知島遺跡個体については、「縄文人」が祖先にいる可能性は高いと思います。藤尾論文図1は、少なくとも朝鮮半島南岸前期新石器時代個体については、現時点で「明確な誤り」とはとても言えないでしょう。
またしても、私にとって全く新規性がなく、有益ではないやり取りをしてしまいました。貴殿とのやり取りは私にとって全く有益ではなく、無駄な時間でしかないので、二度と私に絡んでこないよう、強く要求します。こうしたやり取りの後はいつも、無視すべきだったかな、と反省もします。ただ、「朝鮮半島には新石器時代の遺跡は(事実上)ゼロ=無人」などと主張するような人は、与太話だからといって無視すると、「反論できなかった」とか「認めた」とか吹聴する可能性が高いので、困ったものです。また、さほど影響力がなさそうな相手は無視しても実害はほとんどないのかもしれませんが、そうした対応の積み重ねにより、日本社会の一部?で「朝鮮半島には新石器時代の遺跡は(事実上)ゼロ=無人」などといった与太話が定着することにもなりかねず、悩ましいところです。
私も当論文に関しては疑問に思う点があり、先達のEbizurさんの知見は大いに参考になりました
以下私の駄文です
Y-O2a2a1a1が、韓国の安島(ando)遺跡という九州本島と目鼻の先の離島で発見されているという事で、
年代は大体5000〜8000年前、日本の考古学区分で言うところの縄文時代前期末葉〜中期に当たりますかね
O1b2は確定的な事が言えないまでも、少なくとも現時点で情報の出ているこのO2傍流に関しては整理が必要でしょう
この頃の九州本島縄文文化は、朝鮮の櫛目文土器文化と交流があった事が知られていて、
縄文前期轟B式が韓半島南端でも少数出土する一方で、櫛目文土器特有の滑石混入文化が轟B式後裔に当たる曽畑式の焼成法に取り入れられています
この他、佐賀県産黒曜石や西北九州式結合式釣り針の朝鮮における存在、貝殻に3つの穴を開けて仮面の代わりにする「貝面」という文化要素でも、多少なりの共通が両地域にあるようです
また、同じく縄文前期において、中国や朝鮮でしか産しない特殊な石材で出来たけつ状耳飾りが群馬や福井でも出土しており、列島広域で俯瞰できる国際交流があったようです
物質文化を伴う文化交流という事は人的交流もあったと想定できる訳で、当然この櫛目文時代人と列島縄文人の間に混血があったんじゃないか、というのは当然生じる疑問ですね
既に新石器時代の朝鮮側では、縄文と混血していたり、縄文そのものみたいなのが見つかっており議論の余地もないですが、
同じく混血した子孫(この場合、縄文人と呼ぶべきかは?ですが)は少なくとも対馬、九州北部、山陰日本海側くらいには居たんじゃないでしょうか?
彼らが弥生にも繋がるまでは言いませんよ
昨年9月に出た国立歴史民俗博物館研究報告第242集には、
「ただ,以前より福岡県芦屋町山鹿遺跡で見つかっている長頭の人びとのような,渡来系 弥生人に類似する形質をもつ人びとの存在は縄文時代にも想定されてきたし,ヤポネシアゲノムプ ロジェクトでも倉敷市中津貝塚から見つかった縄文後期末~晩期初頭の人骨には,渡来系弥生人の 特徴の一つであるシャベル状切歯がみられたので[藤原編 2021],現段階では渡来系弥生人に類似 する核ゲノムをもつ人が縄文時代に存在した可能性を完全に否定することはできないと予想してい る。
[弥生人の成立と展開II]......藤尾慎一郎」
とあるので、
まぁ大量ではないにしろ、列島の辺縁部において既知の縄文人祖先集団のみで構成されない「縄文人」の標本が今後出てくる可能性は高そうだと考えていますが、どうですか?
個人的には、西日本日本海側の「縄文人」からY-O2a2a1a1が検出された、というのが近い将来あったとしてもあまり驚きを感じませんね(もちろんO2a2a1a1だけ、というわけでもないでしょう)
以上のような事は、続縄文恵山期には既に「オホーツク的渡来形質」の見られる北海道北部や、台湾以南の無土器文化を共有していたとされる貝塚時代前期の先島諸島にも言えますね
×年代は大体5000〜8000年前、日本の考古学区分で言うところの縄文時代前期末葉〜中期
○ 年代は大体5000〜8000年前、日本の考古学区分で言うところの縄文時代早期〜前期末葉
その他にも誤字や文法おかしい箇所ありますね
駄文のほどご容赦ください
逆に日本列島側については、新石器時代の朝鮮半島から複数個体が到来していても不思議ではありませんが、古代ゲノム研究で検出できるだけの痕跡を残したかというと、現時点ではとても断定できません。ただ、とくに縄文時代後期以降についてはその可能性を念頭に置いておくべきとは思います。対馬では、一定期間ほぼ完全に朝鮮半島新石器文化系の遺跡が「縄文文化」の遺跡と共存していたので、朝鮮半島新石器時代的な遺伝的構成の個体が確認されても不思議ではないと考えています。
オホーツク文化関連個体の研究では、アジア北東部大陸部集団的な遺伝的構成要素が続縄文時代に北海道の人類集団にもたらされていたかもしれない、と指摘されていたので、アイヌ集団の遺伝的な形成過程の観点で注目しています。
「縄文文化」の痕跡がなく、台湾以南との文化的共通性が指摘されているグスク時代よりも前の先島諸島については、他の「縄文人」と遺伝的に一まとまりを形成する紀元前の個体群が確認されているので、先島諸島全体がそうした遺伝的構成の集団に占められていたのか、他の遺伝的構成の集団と共存して混合していったのか、遺伝的構成の異なる先住集団が存在したのか、などの点で注目しています。
「Y-O2a2a1a1が、韓国の安島(ando)遺跡という九州本島と目鼻の先の離島で発見されているという事で」と仰いましたが、安島から九州本島までの最短距離は正確に申し上げますと、202キロメートルでございます(安島南東端~平戸牛ヶ首灯台間の距離)。平戸牛ヶ首灯台の所在地は、長崎県平戸市田平町野田免でございます。九州北西部から突き出た、北松浦半島の更にその北西端に位置している灯台ですね。
やはり、半島~九州間の往来は、古くは対馬島や壱岐島を挟んで、半島南東部(巨済島、加徳島、本土の釜山市付近)と九州島北岸(唐津、糸島、博多付近)の間を行くことしか敵わなかったのではないでしょうか。