大河ドラマ『どうする家康』全体的な感想
本作は、徳川家康が主人公で、当然ながら家康以外の戦国三傑である織田信長と羽柴秀吉も登場して、戦国時代でもとくに人気の高い時代が舞台となりますし、今川義元と武田信玄の配役が早くに発表され、真田昌幸と石田三成は強敵としての登場が公式サイトで早くから示唆されていたように、知名度の高い戦国時代の人物が多数登場することは明らかで、主演は「国民的アイドルグループ」とされた嵐の一員である松本潤氏ですから、放送開始前にはNHKも高視聴率を見込んでいたと思われます。それが、視聴率は低迷し、大河ドラマでは2019年放送の『いだてん~東京オリムピック噺~』に次ぐ低さでしたから、制作側の見込みは大きく外れたのでしょう。
私は基本的に、視聴率を根拠に面白さを判断しませんし、じっさい本作はそれなりに楽しめましたが、2018年末に4Kテレビを導入してから昨年までに視聴した大河ドラマ4作品は、迷わずに録画を保存したのに対して、本作については録画を残すべきか、やや迷いました。本作には満足した点も不満な点もありますが、視聴率低迷の一因になったと思われる点については、私も不満を抱くことがありました。それは捻った作風で、脚本家の他作品を視聴したことはありませんが、インターネットで収集した情報から判断すると、どうも脚本家が捻った作風を得意とし、多用してくるようです。
具体的には、過去の出来事をたびたび挿入し、「種明かし」のようにそれ以降の描写を説明というか上書きしてくることで、孤独を感じていた少年時代の織田信長が父親の信秀から、誰も信じてはいけないが、辛いならば、殺されてもよいと思うような友を1人作れ、と言われ、それは家康だったと本能寺の変のさいに明かされことや、家康の妻の一人だった於愛が、瀬名(築山殿)から家康に仕えるよう指示されても、当初は家康を慕っていなかった、との心情が死を間近にして初めて明かされたことや、子供の頃の茶々が母親であるお市の方の影響なのか家康を強く慕っており、その反動として家康を深く恨むようになったことなどです。こうした意外性狙いの捻ってくる作風は予定調和志向の強そうな大河ドラマの愛好者の多くには合わず、それが視聴率低迷の一因になったのかな、とも思います。私も、本作のこうした作風には疑問を抱くこともありましたが、全体的にはさほど気にならず、どちらかと言えば楽しめました。
おそらくは、本作の視聴率低迷の一因となり、本作で最も強く批判されたと思われるのは、家康の正妻である瀬名(築山殿)の描写でしょう。築山殿は、相互依存により戦を終わらせ、徳川は武田と戦う振りをし、織田信長を騙し、徳川と武田と北条と上杉で広域経済圏を作り、信長にそれを認めさせよう、と構想したわけですが、これを家康のみならず徳川家臣団も今川氏真夫妻も北条氏政も受け入れて賞賛し、その構想を進めたのは、さすがにやり過ぎた感があり、私もかなり不満に思いました。築山殿はこれまで、創作では「悪女」として描かれることが多く、2017年放送の大河ドラマ『おんな城主 直虎』は例外的と言えそうですが、捻ってくる作風の本作は、悪い意味で本当に視聴者の意表を突くものだったと思います。おそらく築山殿の描写が、脚本家にとっては最大の仕掛けで、最も描きたかったところなのでしょうが、盛大に外してしまった感は否めません。
これと関連して、築山殿の描写に力を入れすぎたため、同じく徳川家康を主人公とする大河ドラマである1983年放送の『徳川家康』と比較すると、物語の進行が遅く、家康が秀吉に臣従して以降、とくに家康の征夷大将軍就任はかなり駆け足だったように思います。本作には色々と不満もありますが、強かな小早川秀秋や、家康と秀吉の前で天下人が陥りやすい失敗を語る足利義昭など、人物描写に見どころもありましたし、配役には、単に豪華というだけではなく適役という点でも全体的に満足しているので、本作が失敗作だったとまでは考えていません。ただ、期待値をやや下回った感は否めませんでした。
私は基本的に、視聴率を根拠に面白さを判断しませんし、じっさい本作はそれなりに楽しめましたが、2018年末に4Kテレビを導入してから昨年までに視聴した大河ドラマ4作品は、迷わずに録画を保存したのに対して、本作については録画を残すべきか、やや迷いました。本作には満足した点も不満な点もありますが、視聴率低迷の一因になったと思われる点については、私も不満を抱くことがありました。それは捻った作風で、脚本家の他作品を視聴したことはありませんが、インターネットで収集した情報から判断すると、どうも脚本家が捻った作風を得意とし、多用してくるようです。
具体的には、過去の出来事をたびたび挿入し、「種明かし」のようにそれ以降の描写を説明というか上書きしてくることで、孤独を感じていた少年時代の織田信長が父親の信秀から、誰も信じてはいけないが、辛いならば、殺されてもよいと思うような友を1人作れ、と言われ、それは家康だったと本能寺の変のさいに明かされことや、家康の妻の一人だった於愛が、瀬名(築山殿)から家康に仕えるよう指示されても、当初は家康を慕っていなかった、との心情が死を間近にして初めて明かされたことや、子供の頃の茶々が母親であるお市の方の影響なのか家康を強く慕っており、その反動として家康を深く恨むようになったことなどです。こうした意外性狙いの捻ってくる作風は予定調和志向の強そうな大河ドラマの愛好者の多くには合わず、それが視聴率低迷の一因になったのかな、とも思います。私も、本作のこうした作風には疑問を抱くこともありましたが、全体的にはさほど気にならず、どちらかと言えば楽しめました。
おそらくは、本作の視聴率低迷の一因となり、本作で最も強く批判されたと思われるのは、家康の正妻である瀬名(築山殿)の描写でしょう。築山殿は、相互依存により戦を終わらせ、徳川は武田と戦う振りをし、織田信長を騙し、徳川と武田と北条と上杉で広域経済圏を作り、信長にそれを認めさせよう、と構想したわけですが、これを家康のみならず徳川家臣団も今川氏真夫妻も北条氏政も受け入れて賞賛し、その構想を進めたのは、さすがにやり過ぎた感があり、私もかなり不満に思いました。築山殿はこれまで、創作では「悪女」として描かれることが多く、2017年放送の大河ドラマ『おんな城主 直虎』は例外的と言えそうですが、捻ってくる作風の本作は、悪い意味で本当に視聴者の意表を突くものだったと思います。おそらく築山殿の描写が、脚本家にとっては最大の仕掛けで、最も描きたかったところなのでしょうが、盛大に外してしまった感は否めません。
これと関連して、築山殿の描写に力を入れすぎたため、同じく徳川家康を主人公とする大河ドラマである1983年放送の『徳川家康』と比較すると、物語の進行が遅く、家康が秀吉に臣従して以降、とくに家康の征夷大将軍就任はかなり駆け足だったように思います。本作には色々と不満もありますが、強かな小早川秀秋や、家康と秀吉の前で天下人が陥りやすい失敗を語る足利義昭など、人物描写に見どころもありましたし、配役には、単に豪華というだけではなく適役という点でも全体的に満足しているので、本作が失敗作だったとまでは考えていません。ただ、期待値をやや下回った感は否めませんでした。
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