大河ドラマ『どうする家康』第48回(最終回)「神の君へ」

 いよいよ最終回を迎えました。1年近く視聴してきただけに、寂しさもあります。大坂夏の陣が始まり、真田信繁が徳川軍本陣に攻めかかる場面は、賛否の別れる描写だったとは思いますが、幻想的というか、徳川家康の心象風景を表していた、と解釈すべきでしょうか。前回、徳川との戦いを決意し、「乱世の亡霊」の一員であるかのように語られた羽柴秀頼がけっきょく出陣しなかったのがどう描かれるのか、気になっていましたが、秀頼が出陣しなかった経緯やそれに関する秀頼の真意は語られず自害に至り、ここは疑問の残るところです。茶々の最期の独白はやや浮いていた感があり、ここも疑問の残るところではありました。千姫役の原菜乃華氏は熱演で、まだ存命ながら最終回には出陣しなかった亀姫役の當真あみ氏とともに、近い将来朝ドラの主演を務めるのではないか、と予感させられる存在感でした。

 大坂夏の陣はそれなりに描かれましたが、予想していたよりも短く、その後に家康が「神の君」として語られる過程の描写では、色々と仕掛けがありました。すでに公式サイトや報道などで明かされていましたが、語りの春日局は竹千代(徳川家光)に家康を「神の君」として語り聞かせ、そうした家康像の創出に深く関わっていたのが南光坊天海でした。南光坊天海役は最終回放送の直前になって小栗旬氏と明かされ、南光坊天海が『吾妻鏡』を手に取って源頼朝に言及するなど、昨年(2022年)放送の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を強く意識した演出になっていました。ここは狙いすぎとして、批判も少なくなさそうです。瀬名(築山殿)と信康の登場も、幻想的として批判の多いところかもしれませんが、家康の心象風景の描写として悪くはないように思います。ただ、その後の信康と五徳の婚姻の儀にまつわる話は、「神の君」と家康の実像の対比という意図だったのかもしれませんが、正直なところ蛇足だったように思います。この場面には、すでに没している本作の主要な家康の三河時代の家臣が登場しましたが、いつ撮影したのでしょうか。来年の大河ドラマ『光る君へ』の予告も少し流れましたが、なかなかの映像美で、この点ではかなり期待できそうです。

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