アメリカ大陸先住民の遺伝的連続性と変化
現在のアメリカ合衆国カリフォルニア州やメキシコ北部の7400~200年前頃(基点は紀元後1950年)の人類集団の遺伝的連続性と変化に関する研究(Nakatsuka et al., 2023)が公表されました。本論文は、アメリカ合衆国(United States of America、略してUSA)カリフォルニア(California、略してCA)州とメキシコ(Mexico、略してMX)北部の合計100個体以上の古代人のゲノムデータに基づいて、これらの地域における長期の人口史を報告しています。アメリカ大陸は、アメリカ合衆国が存在することもあってか、ヨーロッパ程ではないとしても、古代ゲノム研究が進んでいる地域のように思われ、こうした古代ゲノムデータに基づく長期の人口史の推測も可能になりつつあります。日本列島でも、こうした大規模な古代ゲノムデータに基づく長期の人口史の推測が可能になるよう、日本人の一人として期待しています。
●要約
植民地時代より前のカリフォルニアには、ヨーロッパ全土よりも多くの言語の差異が存在しており、言語学的および考古学的分析は、この多様性を説明する多くの仮説につながりました。本論文は、7400~200年前頃となる、アメリカ合衆国カリフォルニア州で発見された古代人79個体と、メキシコ北部で発見された古代人40個体のゲノム規模データを報告します。本論文の分析は、7400年前頃からカリフォルニア州の北チャンネル諸島に暮らす人々と、7400年前頃以降の隣接する本土沿岸のサンタ・バーバラ沿岸で暮らしていた人々、および200年前頃に暮らしていた個体群により表される現代のチュマシュ人(Chumash)集団との間の、長期的な遺伝的連続性を立証しました。
メキシコ北西部の現代人および古代人を特徴づける独特の遺伝的系統は、5200年前頃までに南カリフォルニアおよび中央カリフォルニアで頻度が上昇しており、これは、メキシコからのトウモロコシ農耕拡散前に、ユト・アステカ語族を拡大させた候補である北方への移動の証拠を提供します。メキシコ最北のバハ・カリフォルニア州(Baja California)の個体群は、中央カリフォルニアのその後の個体とよりも、データセットにおける最古の個体の方とより多くのアレル(対立遺伝子)を共有しており、これはそれ以前の基層言語を反映しているかもしれませんが、在来の祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)への基層言語の影響は、内陸地域からのその後の移動により希釈されました。1600年前頃以後、チャンネル諸島の古代人共同体は、農耕前のカリブ海およびパタゴニアと類似しており、カリフォルニア本土およびメキシコの標本抽出された地域よりも小さい有効人口規模で暮らしていました。
●研究史
南カリフォルニアおよび本土沖合のチャンネル諸島から発見された考古学的証拠(関連記事)に基づいて、現在のアメリカ合衆国カリフォルニア州には人々が13000年前頃(以下、年代は全て較正された暦年代です)以降暮らしてきており、チャンネル諸島には、ヨーロッパ人との接触の時点ではチュマシュ(Chumashan)語族話者が暮らしていました。カリフォルニアにはアメリカ大陸で最高の言語多様性のいつくかがあり、言語は人々の移動と関連することが多いので、それは人口集団の関係の理解と関連しています。
カリフォルニア先住民における言語の多様性には、複数の主要な分類が含まれ、その分岐年代推定値は異なり、一部は6000年前を超えます。カリフォルニア北部の語族には、たとえばユロック(Yurok)語を含むアルギック(Algic)語族や、フーパ(Hupa)語を含むアサバスカ(Athabascan)諸語や、ユキ人(Yuki)に因んで命名されたユーキ(Yukian)語が含まれます。海岸や内陸部の渓谷を含むカリフォルニアの中央部では、ウティ(Utian)語族があり、ミオク人(Miwok)やオローニ人(Ohlone、Coastanoan)が話しています。チュマシュ語族内の言語は、北チャンネル諸島および連接する本土サンタ・バーバラ(Santa Barbara、略してSB)を特徴づけます。南カリフォルニアでは、ユト・アステカ(Uto-Aztecan)語族話者が多数を占めており、トングヴァ人(Tongva、Gabrielino)やパヨムカウィチュム人(Payomkawichum、Luiseño)が含まれます。
最後に、たとえばユーマ・コチミ(Yuman-Cochimí)語族などより小さな語族や、たとえばワショ(Washo)語など孤立言語があります。これら多様な語族がどのようにそうして近くに位置するようになったのかは、より大きな文脈で理解する必要があります。これは、アルギック語族やユト・アステカ語族など、一部の語族については、1方向もしくは別方向への移住が広く拡散したからに違いないからで、これらの場合、カリフォルニアをはるかに越えています。とくにユト・アステカ語族は、アメリカ大陸において最も地理的に広がった語族の一つで、アメリカ合衆国アイダホ州ショショーニ(ショショーニ)郡かにコスタリカのピピル(Pipil)にまで広がっており、メキシコの中央部および西部沿岸とアメリカ合衆国南西部を網羅しています。グレートベースン(Great Basin)やカリフォルニアの中央渓谷やメキシコ中央部(トウモロコシ農耕はここから広がった、と示唆されてきました)や南アリゾナからメキシコ本区部を含めて、多くの故地が提案されており、モデごとにさまざまな種類の言語と考古学の証拠が挙げられました。
本論文は119個体のデータを報告しそれには、中央および南カリフォルニアの7400~200年前頃の79個体と、メキシコ北西部および北中央部の2900~500年前頃の40個体が含まれます(図1)。本論文では、アメリカ合衆国やメキシコなど現在の政治国家が頻繁に言及されますが、現代の国境は先住民の文化領域を人為的に分割していることに要注意です。これらのデータを得るため、DNAが抽出され、一本鎖および二本鎖DNAライブラリが生成され(古代DNAと関連する特徴的な損傷痕跡を除去するよう処理)、ミトコンドリアDNA(mtDNA)とゲノム全体の約120万の一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)で濃縮されました。イルミナ(Illumina)社の機器を用いて濃縮生成物が配列決定され、データの信頼性が評価されました。その結果として分析は、実質的な現代人の汚染の証拠がない、新たに報告された112個体に限定されました。これらのデータは、以前に刊行された古代人および現代人のデータと組み合わされました。以下は本論文の図1です。
先行研究(関連記事)と一致して、カリフォルニアのチュマシュ人(Chumash)地域で配列決定された7400年前頃までさかのぼる最古のDNAは、南アメリカ大陸の現代人およびクローヴィス(Clovis)文化と関連するアメリカ合衆国モンタナ州西部のアンジック(Anzick)遺跡で発見された12800年前頃となる男児(アンジック1号)と最も密接に関連しており、これは南アメリカ大陸先住民(Southern Native American、略してSNA)祖先系統と呼ばれます。個体の遺伝的クラスタ化(まとまり)は地理および言語と相関し、チュマシュ語族やユト・アステカ語族やウティ(Utian)語族を話していた可能性が高い集団で集中する分枝が存在しました。メキシコ北西部から南および中央両方のカリフォルニアへの古代および現代の個体群に特徴的な遺伝的系統の、遅くとも5200年前頃までとなる大規模な移動の証拠が見つかりました。
この結果は、この移動がユト・アステカ語族の拡大と関連している、という可能性を提起し、農耕と関連しない南方からの大きな移動期を証明し、農耕がこれらの言語をもたらすのに必要だった、との議論を突き崩します。最後に、中央カリフォルニアのパシフィック・グローブ(Pacific Grove、略してPG)の5200年前頃となる最古の個体と、バハ・カリフォルニア州の古代の個体との間の、強い遺伝的関係がありました。この結果は、より早期の基層言語に由来する拳固を話す人々がかつてカリフォルニアの大半にわたって拡散し、この地域の人口集団はその後、遺伝学的および言語学的両方の景観を変えた新たな移民により変容した、という理論への裏づけを提供します。
●倫理と包括性の声明
この研究は、カリフォルニアとメキシコの先住民共同体や他の利害関係者との協議で実行され、標本抽出前の複数の契約と、論文提出前の結果報告が行なわれました。共著者は、チュマシュ人やトングヴァ人トやオローニ人の共同体およびメキシコのいくつかの共同体とともに会議に参加し、その目的は論文が共同体の視点を確実に反映することでした。本論文には、科学的研究に寄与しただけではなく、古代の個体群とつながりのある共同体の構成員でもある共著者が含まれます。
最終原稿は、共同体の構成員により特別な関心があるものとして強調された議題を扱っており、チャンネル諸島と本土の古代人が相互にどのように関連していたのかということや、カリフォルニアの古代人と近隣地域の古代人との間の関係や、先住民の言語の歴史的分布を生じた過程の理解が含まれます。これらの発表で強調されたのは、科学的発見はそれ自体が構築されていく動的かつ反復的過程で、この研究は科学的水準でさえ最終的な情報ではなく、それは、追加の研究がこの研究のモデルと解釈を洗練し、改善するだろうから、ということです。遺伝的祖先系統が、生物学的つながりではなく社会的関係に基づくことの多い帰属意識と異なっていることも強調されました。遺伝学的調査結果は、決して文化的帰属意識に異議を唱えるものとみなされるべきではありません。
●遺伝的データの概観
遺跡と年代に基づいて、個体は分類されました。これらの集団の個体は、qpWaveを用いると、他集団と比較して遺伝的に均一でした。集団をクラスタ化するため、近隣結合樹が生成され(図2)、ADMIXTUREソフトウェアを用いて教師なし分析が実行されました。2集団(集団1と集団2)間の共有された遺伝的浮動量を測定する外群f₃に基づいて、多次元尺度構成法(multidimensional scaling、略してMDS)も使用されました。たとえば、f₃(ムブティ人;集団1、集団2)で、ムブティ人が外群となります。対でのFST値も計算されました。
これらの手順を用いて得られたクラスタは、地理および年代と相関していました。地理的観点から、メキシコ北西部とバハ・カリフォルニアと南カリフォルニアの2地域(大まかに、南カリフォルニア本土と遺伝的に類似していた北チャンネル諸島と、南チャンネル諸島です)。地理に基づくクラスタ化は、局所的な人口連続性の指標となるかもしれず、その後の人口集団は以前の人口集団のかなりの部分の子孫です。一部の事例では、遺伝的クラスタ化は場所よりも年代の方と相関しており、地域間の移動の指標となる可能性があります。以下は本論文の図2です。
カリフォルニアにおけるmtDNAハプログループ(mtHg)頻度は、経時的に変動を示しました。判断な充分なデータのある3500年前頃以前の個体では、36個体のうち30個体はハプロタイプA2で、サンタ・バーバラとチャンネル諸島と近隣の本土でほぼ全てで、非A2ハプロタイプは全て南カリフォルニア本土の個体でした。3500年前頃以後の個体では、91個体のうち35個体のみがA2ハプロタイプを有しており、B2とC1bとC1cとC5bとD1とD4h3aが全て見られ、これは外部からカリフォルニアへの系統移動の全ゲノム証拠と一致する結果です。メキシコの個体はすべて3500年前頃以降となり、44個体のうち5個体のみがA2ハプロタイプで、B2とC1bとC1cとC5bとD4h3aも見られました。
メキシコのムエルトス・チキトス洞窟(Cueva de los Muertos Chiquitos、略してCMC)遺跡の1個体を除いて、全てのY染色体標本はY染色体ハプログループ(YHg)Q1b1aでした。この結果は、南カリフォルニアのひじょうに古い(5000年以上前)個体におけるYHg-Q1a2aのずっと高い割合(3個体のうち1個体)とは異なります。
●農耕開始前のカリフォルニアへのメキシコに特徴的な系統の拡大
近隣結合樹におけるクラスタ化の一部の時間依存性とmtHgにおける変化は、刑事着てきな祖先系統の変化を示唆しました。これらのパターンの定量化のため、サンタ・ローザ(Santa Rosa、略してSR)の北チャンネル諸島の最古級(7400年前頃)の個体群が、各期間でSR 島の集団について、f₄形式(ムブティ人、X;SR島7400年前頃、SR島7400年前頃未満)の統計を用いて、より新しい個体群と比較されました。SRはサマラ(Samala)語もしくはイネセニョー・チュマシュ(Ineseño Chumash)語でウィマ(wima’)と呼ばれています。カリフォルニア以外の人口集団Xについては、ほぼすべての統計量が0(|Z|<3)と一致しました。唯一の例外は、SR島の個体群のより新しい集団の南方のいくつかの集団との有意な遺伝的類似性でした。この類似性には、バハ・カリフォルニアの半島南端の500年前頃の個体群が含まれます。
メキシコ北西部のソノラ(Sonora)州のラプラヤ(LaPlaya)遺跡とセッロ・デ・トリンチェラス(Cerro De Trincheras、略してCDT)遺跡とタヨパ(Tayopa)遺跡の1000年前頃の個体群も、メキシコ北部のドゥランゴ(Durango)州のムエルトス・チキトス洞窟の集団と同様の結果でした。MX_ラプラヤ/CMC_600年前の個体群は、SR島のその後の個体群に外部との類似性の最も一貫した兆候を与えており、これはMX_ラプラヤ/CMC_600年前がカリフォルニアに地理的に最も近いことと一致する結果です。SR島からサンタ・バーバラ(SB)海峡を横断してカリフォルニア本土沿岸に位置するカーピンテリア(Carpinteria、略してCPT)の7000年前頃の個体群を同じ地域の600年前頃の個体群と比較しても、南チャンネル諸島の最古級(4800年前頃)の個体群を最も新しい(900年前頃)の個体群と比較しても有意な兆候が存在し、MX_ラプラヤ/CMC_600年前の個体群は再度、それ以前の集団と比較してその後の集団の方とより大きな類似性を示します。
qpAdmを用いて、カリフォルニアの個体群における祖先系統が、以前の分析により浮き彫りにされた以下の2つの代理と関連する供給源の混合として推定されました。その2つの代理とは、USA-CA_SR_7400年前とMX_ラプラヤ/CMC_600年前です(図3)。qpAdmは、関係が離れていても、偏らない推定値をもたらすよう設計されています。メキシコ関連祖先系統はUSA-CA_SR_4900年前で20±8%(±は標準誤差)、USA-CA_SR_3200年前では22±6%、USA-CA_SR_3000年前では23±6%、USA-CA_SR_300年前では37±5%で、全モデルはP>0.05で適合します。
対照的に、USA-CA_CPT_7000年前とUSA-CA_サン・ニコラス島(San Nicolas Island、略してSNI)_4800年前とUSA-CA_ゴリータ(Goleta)_3000年前は、同じ地域のそれ以前の集団との混合のない直接的子孫であることと一致していました。この結果は、これらの集団がクレード(単系統群)で、SR島の最古級の個体群とクラスタ化する(まとまる)ことと一致しており、移住が南方から北方だったことを示唆しています。USA-CA_ゴリータ_3000年前の1個体は放射性炭素年代測定されていなので、3000年前頃より古いかもしれないことに要注意です。USA-CA_SNI_4800年前もしくはUSA-CA_CPT_7000年前がUSA-CA_SR_7400年前の代わりに供給源として用いられると、推定値は有意には異なりませんでした。以下は本論文の図3です。
これらの統計から、カリフォルニアの人々およびメキシコ北西部の人々と関連する人々の間で、完新世後半に遺伝的交換があり、それは少なくともUSA-CA_SR_4900年前の4900年前頃までには始まった、と示されます。オーダム(O’odham)語話者のピマ人(Pima)は現在メキシコに居住し、これらの類似性を最大化する個体群がメキシコで暮らしており、本論文のデータセットにおける現代のオーダム語話者は、メキシコ北西部古代人とひじょうに類似した祖先系統を有しています(図2)。オーダム語はユト・アステカ語族に属しており、この地域の言語の多様性の程度、言語の地理的分布、言語の変化の津についての知識に基づいて、メキシコ北西部古代人はほぼ確実に、本論文のデータセットにおけるメキシコの古代人の期間である2900~500年前頃までにはユト・アステカ語族言語を話していた、と言語学者は主張してきました。
メキシコ関連祖先系統は経時的に増加し、南チャンネル諸島のその後の人口集団において最高水準に達します(図3)。メキシコ関連祖先系統の最高の割合(44~51%)は南チャンネル諸島のサン・ニコラス島とサン・クレメンテ(San Clemente、略してSCL)島とサンタ・カタリナ(Santa Catalina、略してSCT)島のその後の個体群で見られ、これは、入植者の接触時においてその地域の先住民がユト・アステカ語族のニコールニョ(Nicoleño)語を話していた、という観察と一致する結果です。ガブリエリーノ人(Gabrielino)とも呼ばれているこの地域の現代人であるトングヴァ人も、密接に関連したユト・アステカ語族系統言語を話します。対照的に、北チャンネル諸島のチュマシュ人は無関係な言語を話し、相応してメキシコ北西部のユト・アステカ語族言語話者とは少ない遺伝的類似性を示します。
メキシコの5200~2000年前頃の個体群と関連する祖先系統の拡大の注目に値する側面はその地理的範囲で、カリフォルニアの中央部から南部までに至る証拠があり、さらにはバハ・カリフォルニアにまで広がっていた可能性もあります。バハ・カリフォルニアは、時間横断区の欠如を考えると、厳密には検証できないかもしれませんが、USA-CA_SR_7400年前とMX_ラプラヤ_CDT_600年前の混合としてモデル化すると、バハ・カリフォルニアの集団は全て、60%以上のメキシコ関連祖先系統を有する、と推測されました。これがカリフォルニアへの移住により大規模に媒介されてきたに違いない、というさらなる証拠は、メキシコにおいてカリフォルニア関連祖先系統の増加の証拠が観察されなかったことです。MX_ラプラヤ_CDT_600年前をMX_ラプラヤ_CDT_2400年前およびUSA-CA_CPT_7000年前と関連する集団の混合としてモデル化すると、MX_ラプラヤ_CDT_600年前がMX_ラプラヤ_CDT_2400年前のみの子孫(0.5±2.3%程度のUSA-CA_CPT_7000年前の祖先系統もあります)としてよく適合するモデルが得られました。まとめると、本論文の結果は、メキシコ北西部のユト・アステカ語族話者と関連する人々から南チャンネル諸島およびカリフォルニア本土への5000年以上の祖先系統の移動を証明します。
メキシコ北西部と経時的に単調的に増加する類似性のこのパターンの注目すべき例外は、中央カリフォルニアの5200年前頃の1個体(USA-CA_PG_5200年前)で、この個体はメキシコ関連祖先系統38±8%でモデル化でき、データセットにおける中央カリフォルニアのその後の個体群は類似しているかより低い祖先系統の割合を有しています。標本規模は1個体のみに基づいていますが、これらの結果は、この時までにメキシコ関連祖先系統が存在したことを論証します。非単調的なパターンは、南方から北方への5200年前頃の移住から予想され、その後に最近のメキシコとの関連性のない他の(北部)集団との混合が続きます。
これらの調査結果から、メキシコ北西部の古代人現代人に共通する祖先系統と関連する祖先系統が、遅くとも5000年前頃以降に北方では遠く中央カリフォルニアにまで拡大し始めた、と示唆され、農耕拡大(4100年前頃に始まります)前の2地域間の人口統計学的に顕著な中期完新世の遺伝子流動が論証されます。トウモロコシ農耕のメキシコからアメリカ合衆国南西部への北方への拡大の前となる、カリフォルニアにおけるメキシコ関連祖先系統の存在の証拠は、4900年前頃となるSR島の1個体および4700年前頃となるゴリータの3個体の存在に由来し、メキシコ関連祖先系統が有意に増加しています(それぞれ20±8%と19±7%)。
グレートベースン地域のネバダ州(Nevada、略してNV)のラブロック洞窟(Lovelock Cave)の1900年前頃となる個体群で構成される1集団は、カリフォルニアのより新しい個体群およびより古い個体群との比較で、一つの有意な兆候を示しました(USA-CA_SB_4600年前と比較してUSA-CA_SB_900年前との類似性でZ=3.3)。これは複数の仮説検証に起因する無作為の統計的変動を反映しているかもしれませんが、人口移動の暫定的な証拠の提供には充分な兆候です。グレートベースン地域の集団からのより多くの個体が、そうした移住がグレートベースン地域およびカリフォルニアに及ぼした程度と、カリフォルニアへの影響がグレートベースン地域を通じて媒介されたかもしれない証拠の検証には必要です。
農耕がメキシコ中央部からアメリカ合衆国西部へのユト・アステカ語族の北方への拡大の媒介である、という最も有力な事例は、農耕の拡大は言語変化を推進する人口統計学的に充分変化させる力があるかもしれない唯一の過程である、という主張です。この主張では、農耕はアメリカ合衆国南西部における人口規模の増加につながり、それは、農耕が決して拡大しなかったとしても、個体群をカリフォルニア北部へと駆り立てました。しかし、本論文の分析では、南方から北方への大きな移住は農耕拡大が始まる前で、言語学者により「古ユト・アステカ語族」がヨクツ(Yokutsan)語族に置換される前にサンホアキン渓谷(San Joaquin Valley)に到達した、と主張された期間と一致する5200年前頃までに中央カリフォルニアに影響を及ぼした、と示されます。この結果は、5200年前頃以前の移住はユト・アステカ語族をこの地域にもたらした事象だったかもしれない、という理論を裏づける証拠の重要性を高めます。
しかし、本論文のデータは、5000~3000年前頃の南カリフォルニア本土および南チャンネル諸島におけるメキシコ関連祖先系統のその後の増加も証明しています。本論文のデータセットにおけるカリフォルニアの個体群はおもに、北ユト・アステカ語族分枝の下位語群であるタキッチ(Takic)語の話者が居住していた地域にいるのに対して、メキシコ北西部の個体群はおもに、ユト・アステカ語族分枝のピマン(Piman)語群の話者が居住する地域にいるので、これは注目すべき調査結果です。これら2言語の分岐年代は7000一部の再構築では7000年以上前、他の対抗地区では5000~4000年以上前と推定されています。5200年前頃以前および5000~3000年前頃となるカリフォルニアへの南方から北方への移住は、この再構築された両方の分岐年代と一致するかもしれません。
本論文の遺伝学的調査結果は、メキシコ中央部の農耕民起源に関する理論を支持する最も有力な主張を突き崩すだけではなく、ユト・アステカ語族の故地の可能性が高い地域について、議論に情報をもたらします。これは、本論文の結果から、農耕の拡大と関連する人々の移動は人口統計学的に有意な南方から北方への移住だけではなかったかもしれない、と証明されるからです。言語学的再構築を行なったある集団は、ユト・アステカ語族祖語は現在のアメリカ合衆国アリゾナ州南部とメキシコ北部(UMX_ラプラヤ_CDT個体群のすぐ北東)の間の、山地森林に近い森林と草原の故地に暮らす狩猟採集民により話されていた、と示唆してきました。この提案は、再構築された言語がこの地域の動物と植物(たとえば、リュウゼツランや長針のマツやタカやフクロウ)の単語を含んでいた、という証拠に基づいています。
5200年前頃に始まり、少なくとも3000年前頃まで続いたカリフォルニアへの南方から北方への移住に関する本論文の遺伝学的調査結果は、少なくとも4000年前頃となる、メキシコとカリフォルニアとの間の物質文化交換の考古学的証拠(たとえば、収縮する茎の投げ矢の先端や、トルコ石の拡大)とともに、この理論の証拠の重要性を増します。逆に、メキシコ北部におけるグレートベースン(ラブロック洞窟関連)もしくはカリフォルニア中央渓谷関連祖先系統の有意な増加が観察される、という事実は、グレートベースンもしくはカリフォルニア中央渓谷どちらかの起源に関する証拠の重要性を減少させます。
●中央カリフォルニアにおける遺伝的連続性と移民
中央カリフォルニアの最古の個体(女性)の祖先系統が、f₄統計(ムブティ人、検証対象;USA-CA_PG_5200年前、USA-CA_SR_7400年前)で、SR島の最古級の個体群との比較により評価されました。USA-CA_PG_5200年前への最も有意な誘引はメキシコ北部のペリキュエ(Pericúes)の500年前頃の個体であるMX_CA_ペリキュエ_500年前.SGで(Z=6.46、f₄=0.00413)で、これは現在のメキシコのバハ・カリフォルニア州の南端に居住していた比較的孤立した集団です。この兆候は、USA-CA_PG_5200年前を、カリフォルニア州カラベラス(Calaveras)郡の個体であるUSA-CA_カラベラス郡_1500年前と比較すると(MX_CA_ペリキュエ_500年前.SGへの誘引は、Z=6.46、f₄=0.00384)、同様に強いものでした。
USA-CA_カラベラス郡_1500年前はPGの東方約290kmの集団で、おそらくはワショ語話者により季節的に居住されていた領域内にいました。この兆候はメキシコ北西部以外の祖先系統の構成要素により起きており、それは、ペリキュエにおけるメキシコ北西部関連祖先系統は、中央カリフォルニアのその後の個体群、つまり24~42%のメキシコ北西部関連祖先系統を有する、USA-CA_PG_200年前やUSA-CA_モントレー湾(Monterey)_1000年前やUSA-CA_カーメル(Carmel)_600年前やUSA-CA_カストロヴィル(Castroville)_900年前と類似しているからですが、USA-CA_PG_5200年前は依然として、これらの集団と比較して、MX_CA_ペリキュエ_500年前.SGへの有意な誘引(2.1< Z<4.3、0.00209< f₄<0.00427)を有しています。
ショットガンと捕獲の古代DNA手法間の記述的違いも、人為的結果でこの影響をもたらしている可能性は低そうです。結果として、ショットガン配列決定群との差異を示す類似性(1群がショットガン処理でもう一方が捕獲ならば予測されるような)はないはずです。この結果は、ペリキュエ関連祖先系統が経時的に減少した、という可能性を提起しまが、要注意なのは、5200年前頃のデータ点は1個体のみに由来しており、これらの祖先系統の経時的な分布の理解にはより多くの個体が必要なことです。
中央カリフォルニアの5200年前頃の1個体におけるバハ・カリフォルニア関連の兆候は、カリフォルニアおよびバハ・カリフォルニアに広がったより早期の基層言語との以前の仮説と一致しているかもしれず(図1a)、これは中央カリフォルニアでは後に内陸から沿岸に4000年前頃に到来したウティ(Utian)語族話者によりほぼ置換された、と推測されています。これは恐らく、この期間内のその地域への移住を伴っており、それは、考古学的証拠から、言語変化は人々の移動を媒介にすることが多い、と示されているからです。この移住の可能性のある供給源の一つは、東中央渓谷のカリフォルニア州カラベラス郡で、それは、USA-CA_PG_5200年前と比較して、USA-CA_カーメル_600年前にとってUSA-CA_カラベラス郡_600年前の遺伝的類似性が観察されるからで、これは、5200~600年前頃のこれらの地域間の移住と一致します(USA-CA_カーメル_600年前が比較に用いられたのは、地理的にPGと最も近く、複数の高網羅率個体が配列決定されたからです)。しかし、カラベラス郡の個体群は非ウティ語族(ワショ語)も話していたと考えられていたので、この地域からの移住はウティ語族話者の移住仮説には適切に当てはまりません。より確実に中央カリフォルニア沿岸へと移動した供給源人口集団の地理的起源をより確実に決定し、この地域の歴史のより明確な全体像を提供するには、5000~3000年前頃のより密な標本抽出が必要でしょう。
中央カリフォルニアの人々の移動はこの地域の元々の祖先系統を完全には置換せず、それは、中央カリフォルニアのその後の人口集団が、USA-CA_PG_5200年前の1個体と関連する祖先系統を有しているからです。この結果は、ある程度の局所的な連続性に関する以前の証拠(f₄統計は、USA-CA_SR_7400年前と比較しての中央カリフォルニア沿岸のより新しい個体群とのUSA-CA_PG_5200年前の有意な類似性を示しますが、カラベラス郡の集団と比較すると統計量は有意ではないか僅かしか有意ではなく、おそらくは検出力の不足に起因します)と一致します。USA-CA_PG_5200年前とUSA-CA_カラベラス郡_600年前の混合として中央カリフォルニアのその後の個体群をモデル化すると、USA-CA_PG_5200年前との55±14%~76±9%の関連祖先系統でよく適合するモデルが見つかりました。この結果から、南カリフォルニアにおけるパターンと同様に、祖先系統の最大の割合は深い在来の起源があることと一致する、と示されます。
●最古級の配列決定されたアメリカ大陸先住民との関係
ブラジルと地理とアメリカ合衆国ネバダ州の全完新世個体群、つまりブラジル東部中央のラゴア・サンタ(Lagoa Santa)地域のラパ・ド・サント(Lapa Do Santo、略してLDS)遺跡の9800~9200年前頃の個体群(ブラジル_LDS_9600年前)、チリの11900年前頃となるロス・リーレス(Los Rieles、略してLR)遺跡個体(チリ_LR_12000年前)、アメリカ合衆国ネバダ州の1万年前頃となる精霊洞窟(Spirit Cave)個体(USA-NV_精霊洞窟_10000年前)は、同じ地域のその後の人口集団とよりも、クローヴィス文化と関連するアメリカ合衆国モンタナ州(Montana、略してMT)西部のアンジック(Anzick)遺跡で発見された12800年前頃となる男児アンジック1号(USA-MT_アンジック_12800年前)の方と多くのアレルを共有しています。本論文の分析から、クローヴィス文化の1個体とのこの特有の類似性は、アメリカ大陸の標本抽出された他のどの地域よりもカリフォルニアのチュマシュ人地域で何千年も長く存続した、と示されます。
アラスカ(Alaska、略してAK)のアップウォードサン川(Upward Sun River、略してUSR)で発見された11600~11270年前頃の1個体(USR1)により表されるUSA-AK_USR_11500年前などの外群と比較して、アンジック1号とのアレル(対立遺伝子)共有の割合を評価する対称f₄統計および外群f₃統計から、カリフォルニアの最古級の個体群(USA-CA_SR_7400年前とUSA-CA_CPT_7000年前)はブラジルや地理やネバダ州の最古級の個体群と同様の類似性を有している、と示されました。さらに、これらの個体はペルーの8600年前頃となるラウリコチャ(Lauricocha)遺跡個体(ペルー_ラウリコチャ_8600年前)および9000年前頃となるクンカイチャ(Cuncaicha)遺跡個体(ペルー_クンカイチャ_9000年前)と比較して、アンジック1号と有意により多い類似性を有していました。この結果から、カリフォルニアの古代の個体群は、USA-MT_アンジック_12800年前との類似性を有する人々の初期拡大の子孫で、アンデス中央部の同様の年代の最古級の個体群よりもこの系統(USA-MT_アンジック_12800年前)との類似性が多い、と示唆されます。
本論文のデータセットにおけるカリフォルニアとメキシコの古代の個体群、とくにより新しい個体群が、カナダのオンタリオ州南部のルシエ(Lucier)遺跡で発見された古代の個体群(カナダ_ルシエ_4800-500年前)と関連する、北アメリカ大陸先住民(Northern Native American、NNA)祖先系統の他の主要な分枝からの祖先系統の証拠を示すのかどうか、評価されました。これに敏感な統計がf₄(ムブティ人.DG、カナダ_ルシエ_4800-500年前;検証対象、チリ_LR_12000年前)で計算され、カリフォルニアとメキシコの全ての古代人集団についてゼロと一致する、と分かったので、NNA祖先系統の証拠は提供されません。
外群としてカナダ_ルシエ_4800-500年前でqpGraphを用いて、混合図も作成されました。その結果、カリフォルニアのほぼ全ての古代人集団がカナダ_ルシエ_4800-500年前と関連する分枝から追加の祖先系統を必要としない、妥当な適合(全Z得点が3.0未満)で混合図が見つかりました。例外は、USA-CA_SCL_500年前とUSA-CA_SCT_400年前.SGで、適合度が低かったものの(Zは3.05超で3.25未満)、カナダ_ルシエ_4800-500年前との誘引に起因するわけではありませんでした。USA-CA_SCL_900年前集団が良好な適合度を有しており、USA-CA_SCT集団がショットガン配列決定と捕獲データとの間で異なる技術的偏りのため低い適合度であることを考えると、これらは人為的結果の可能性が高い、と見なせます。全体的に、カリフォルニアとメキシコの古代の個体群において、NNA祖先系統の一貫した証拠は見つかりませんでした。この結果は、本論文で再分析されたカリフォルニアの全個体における中間的割合をモデル化した先行研究(関連記事)と対照的です。
●メキシコの古代人におけるクローヴィス文化と関連していない南方への拡大からの祖先系統
メキシコ北西部の古代の個体群をモデル化すると、全ての適合混合図(最悪の残差ではZ<3.0)で、この集団の主要な祖先系統は、チリ_LR_12000年前およびカリフォルニアの古代の個体群よりも基底的(初期の分岐)ですが、NNAよりは依然として基底的でありません。これは、アンジック1号に対して基底部に位置し、チリ_LR_12000年前やカリフォルニアの個体群が有しているアンジック1号との同じ類似性を有していない、南アメリカ大陸先住民(Southern Native American、略してSNA)系統にいるメキシコの集団に起因します。この調査結果は、MX_タヨパ_1000年前やMX_CMC_1100年前やMX_ラプラヤ/CMC_600年前と比較して、USA-CA_SR_7400年前およびUSA-CA_CPT_7000年前についてUSA-MT_アンジック_12800年前の有意な類似性を示した、f₄統計によっても裏づけられます。
メキシコの古代人との比較では、USA-MT_アンジック_12800年前とブラジル_LDS_9600年前との間、チリ_LR_12000年前とUSA-NV_精霊洞窟_10000年前との間のf₄統計に基づいても有意な類似性がありましたが、ペルー_クンカイチャ_9000年前およびペルー_ラウリコチャ_8600年前との比較ではゼロと一致しました(この結果は、異性塩基対置換のSNPのみを用いても定性的に同じでした)。この結果から、カリフォルニアの最古級の個体群はチリやブラジルやネバダ州で見られるアンジック1号関連の個体群と祖先系統を共有しているかもしれないものの、本論文のデータセットにおけるメキシコの古代人はペルーの最古級の人々と祖先系統を共有しているかもしれない、と示唆されます。
これらの調査結果は、アリドアメリカ(現在のメキシコ北西部とアメリカ合衆国南西部)と一部のメソアメリカのメキシコ人(本論文で提示されたメキシコの全古代人はアリドアメリカで発見されました)におけるアンジック1号への基底部系統からの寄与を見つけた先行研究と、表面的には類似しているようです。しかし、本論文でメキシコの集団で推測された分岐したSNA系統は、メキシコ人に寄与した亡霊遺伝的祖先系統であるUPopA1もしくはUPopA2系統に関する以前の調査結果(関連記事)とは異なります。これは、両UPopA人口集団がSNAとNNA両方の系統にとってより基底的に位置する系統と推測されたのに対して、本論文の深いメキシコ系統はSNAであることと一致するからです。
●世界の他地域の人々との関係
チュマシュ人とトングヴァ人のトモル(tomol)と呼ばれる厚板の丸木舟(カヌー)はポリネシアからの影響を受けたかもしれない、という提案に基づいて、ポリネシア祖先系統の証拠が検証されました。f₄統計を用いて、USA-CA_SR_7400年前と比較しての、ポリネシアの個体群(現代のハワイ先住民か、トンガもの古代人1個体か、ポリネシア祖先系統の別の古代人標本)とカリフォルニアの7100~300年前頃の個体群との間の遺伝的類似性が検証されました。qpAdmも用いて、カリフォルニアの個体群におけるポリネシア祖先系統が検証されました。その結果、カリフォルニアのどの個体でもポリネシア祖先系統の証拠は見つからず、これは、トモルの開発へのポリネシア人の寄与に反する主張と一致する結果です。
f₄(ムブティ人、オンゲ人もしくはパプア人;検証対象、ミヘー人)を用いて、オーストラレーシア(オーストラリアとニュージーランドとその近隣の南太平洋諸島で構成される地域)人(Y集団)との過剰な関連性についても検証されましたが、カリフォルニアとメキシコ北西部のどの古代の個体でもその証拠は見つかりませんでした。Y集団とは、現代および先コロンブス期の一部の南アメリカ大陸先住民集団のゲノムにおいて見られる(関連記事)、アンダマン諸島およびオーストラレーシアの現代人と関連する3~5%ほどの祖先系統をもたらした仮定的な集団(亡霊集団)です。
南カリフォルニアの古代の個体群と独特に関連している人々による、アンデス中央部への4200年前頃以後となる古代の移住との主張(関連記事)が検証されました。その結果、以前に報告された兆候が確証され、新たな観察が得られましたるつまり、この兆候はメキシコ関連祖先系統を有する外群がqpAdmで用いられる時だけ確認できる、ということです。したがって、USA-CA_SR_7400年前かUSA-CA_CPT_7000年前かUSA-CA_SNI_4800年前がメキシコ祖先系統の証拠のない外群として用いられると、4200年前頃以後のペルーへの外部からの移住の兆候はありません。
しかし、メキシコ北西部関連祖先系統のあるカリフォルニアの集団を外群として用いると、兆候は存在します(P<0.005)。この調査結果を報告した文献(関連記事1および関連記事2)では、メキシコ関連祖先系統を有するカリフォルニアの集団が外群として用いられました。この結果から、外群でメキシコ南部のミヘー人(Mixe)を用いた独立した分析でも見つかった兆候は、アンデス中央部とカリフォルニアのチャンネル諸島に4200年前頃以後に同時にもたらされたメキシコ関連祖先系統の移動に起因するかもしれない、と示唆されます。この兆候は、アンデス中央部への新たな移住なしに4200年前頃以後にメキシコに影響を及ぼした、アンデス中央部関連の南方から北方への移住とも関連しているかもしれません(関連記事)。
●本土よりも小さかったチャンネル諸島における共同体規模
同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)が分析され、カリフォルニアとメキシコの古代人集団の有効共同体規模が推定され、過去数世代の配偶者集団の規模が参照されました。この目的のため、ソフトウェアhapROHが用いられ、40万以上のSNPにおいてデータのある古代人85個体が分析されました。最も顕著なパターンは、4~8 cM(センチモルガン)の小さなROHと8~20cMの中間規模のROHにおいて明らかで、南および中央カリフォルニアの本土よりもチャンネル諸島においてより高い割合で見られます(図4a)。この結果から、個体の両親は過去数世代において同じ祖先の子孫だったことが多い、と示唆されます。以下は本論文の図4です。
4~20 cMの全ての空間規模におけるROHの長さの分布を用いて有効共同体規模(Ne)が推定され、これは過去50世代におけるさまざまな時間深度での共有された祖先系統から生じ、この時間規模での近隣共同体との規模変化および移住率の兆候の検出を可能とします。1600年前頃以降の個体群を分析し、最近の密接な親族結婚の証拠(合計で50cM以上となる、20cM超のROH断片のある個体)のある個体の除去後に、北および南チャンネル諸島のNeは、それぞれ388±42および175±13と推定され、農耕開始前の「古代(Archaic)」カリブ海の遺跡の232±8(関連記事)、およびパタゴニア(171±7)とグアム(333±11)とスペイン(375±16)の古代人集団と類似しています。南カリフォルニア本土と中央カリフォルニアは、それぞれ519±49と418±39のNe値でした。対照的に、メキシコ北西部古代人のNeは839±74で、現代人のゲノムを用いた推定値と一致し、農耕を伴う土器関連のカリブ海の遺跡(681±21)および同様の年代のペルー集団(817±51)と類似しています。
メキシコ南部の有効共同体規模はメキシコ北部よりも大きく、南方から北方へと順に、CMC(ムエルトス・チキトス洞窟)では1105±181、タヨパ遺跡では895±142、ラプラヤ/CDT(セッロ・デ・トリンチェラス)は605±94でした。この結果は、南部の定住がより多くの水と沃土を利用しやすく、それ故により大きな共同体の発展を可能としたのかもしれません。あるいは、これらのパターンは南部の村落間の北部の村落間よりも高頻度の配偶者交換を反映しているのかもしれませんが、南北2地域の村落が相互に規模で異なっていたことは示唆されていません。この調査結果は、条件付きの異型接合性(アフリカのヨルバ人のような外群における多型部位の差異の割合)によりさらに裏づけられ、それは、カリフォルニア諸島の古代人では、祖先の差異が一貫して小さい共同体規模のため失われる場合に予測されるように、他のどの集団よりも低い異型接合性が見つかっているからです。しかし、チャンネル諸島と南カリフォルニアにおける経時的な配偶者集団の規模は、減少するROHにより示唆されているように、経時的に増加しました。
●まとめ
カリフォルニアの先住民の歴史は、この地域への後期更新世の移住と、その後の中期完新世におけるメキシコ北西部のユト・アステカ語族話者集団と関連する人々の南方から北方への移住を反映しています。中央カリフォルニア沿岸に影響を及ぼした別の移住があり、内陸部中央カリフォルニア渓谷人口集団で見つかった祖先系統と相関しています。本論文のデータと分析から、チュマシュ人地域で最古級の配列決定された人々は後期更新世の年代のクローヴィス文化関連のアンジック1号個体と著しく密接に関連していた、と論証されます。そこでの遺伝的連続性は、200年前頃の配列により表されているように、何千年を経て現代のチュマシュ人に至るまで証明できます。
ユト・アステカ語族の初期の話者の起源が、現在のアメリカ合衆国南西部とメキシコ北西部の国境地域の狩猟採集民か、メキシコ中央部のトウモロコシ農耕民か、南方へと拡大した現在のアメリカ合衆国のグレートベースン地域なのかどうかについて、かなりの議論がありました。本論文の結果から、現在のメキシコのユト・アステカ語族話者と関連する祖先系統は中央カリフォルニアにおいて混合した形態で遅くとも5200年前頃に、南カリフォルニアには遅くとも4900年前頃に存在していた、と示され、中央カリフォルニア関連もしくはグレートベースン祖先系統のメキシコへの南進拡大の証拠は提供されません。この調査結果は、狩猟採集民がカリフォルニアへと北西に、メキシコへと南方に、両方向に移動した、とする仮定的状況と最良に適合します。
本論文の結果は、トウモロコシ農耕の拡大とは別の、カリフォルニアへのメキシコ祖先系統の拡大についての代替的な媒介を提供します。これは、ユト・アステカ語族の南方から北方への移動が農耕民と関連していることについての、以前の最良の論拠でした。それは、南西へのトウモロコシの拡大の最古級の証拠が、わずか4000年前頃だったからです。5200年前頃の中央カリフォルニアにおけるこの祖先系統の発見は、ユト・アステカ語族が中期完新世までに中央渓谷ですでに話されていた、という言語学的理論とも一致します。
南カリフォルニアおよびメキシコ北西部以外(たとえば、グレートベースン西部)の現時点で標本抽出されていない古代人集団が、この両地域へと混合し、遺伝的兆候の一部を生み出したかもしれません。たとえば、6300~4800年前頃には、とくに沿岸部とメキシコ北西部の砂漠で旱魃状態の証拠があるのに対して、グレートベースンはこの期間にはより湿潤でした。これらの状況がユト・アステカ語族祖語の北方および南方分枝への多様化につながり、北方分枝はこの期間にグレートベースン地域にまで拡大した、と一部の言語学者は提案してきました。南チャンネル諸島や近隣の南カリフォルニア沿岸や中央カリフォルニアで製作されたオリヴェッラ(Olivella)式溝付長方形ビーズの分布や、これらの地域全体での黒曜石の拡大に基づく、5900~4700年前頃となるグレートベースンと南北のチャンネル諸島間の文化的交流の考古学的証拠もあります。
本論文の分析は、遅くとも5200年前頃には始まった南カリフォルニアへの移住の地理的起源についての情報を提供しません。カリフォルニアの現在の先住民集団の遺伝的データの収集と、カリフォルニアおよびそれ以外の地域の古代人のデータでの分析が、追加の洞察を提供するでしょう。本論文や先行研究で行なわれたような手法に従い、古代の先住民個体からのDNAの倫理的分析に関する最近の議論や勧告を参考にして、現在の先住民の子孫集団と関わる方法でのそうした研究の実行が重要です。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
古代DNA:カリフォルニア先住民の間の遺伝的な連続性および変化
古代DNA:古代カリフォルニア先住民の移動と遺伝的関連
今回、7400〜200年前(1950年を基点とする較正年代)にカリフォルニアやメキシコ北部に居住していた人々の遺骸から回収された古代DNAの解析が報告された。その結果、集団の移動と遺伝的近縁度についての手掛かりが得られた。
参考文献:
Nakatsuka N. et al.(2023): Genetic continuity and change among the Indigenous peoples of California. Nature, 624, 7990, 122–129.
https://doi.org/10.1038/s41586-023-06771-5
●要約
植民地時代より前のカリフォルニアには、ヨーロッパ全土よりも多くの言語の差異が存在しており、言語学的および考古学的分析は、この多様性を説明する多くの仮説につながりました。本論文は、7400~200年前頃となる、アメリカ合衆国カリフォルニア州で発見された古代人79個体と、メキシコ北部で発見された古代人40個体のゲノム規模データを報告します。本論文の分析は、7400年前頃からカリフォルニア州の北チャンネル諸島に暮らす人々と、7400年前頃以降の隣接する本土沿岸のサンタ・バーバラ沿岸で暮らしていた人々、および200年前頃に暮らしていた個体群により表される現代のチュマシュ人(Chumash)集団との間の、長期的な遺伝的連続性を立証しました。
メキシコ北西部の現代人および古代人を特徴づける独特の遺伝的系統は、5200年前頃までに南カリフォルニアおよび中央カリフォルニアで頻度が上昇しており、これは、メキシコからのトウモロコシ農耕拡散前に、ユト・アステカ語族を拡大させた候補である北方への移動の証拠を提供します。メキシコ最北のバハ・カリフォルニア州(Baja California)の個体群は、中央カリフォルニアのその後の個体とよりも、データセットにおける最古の個体の方とより多くのアレル(対立遺伝子)を共有しており、これはそれ以前の基層言語を反映しているかもしれませんが、在来の祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)への基層言語の影響は、内陸地域からのその後の移動により希釈されました。1600年前頃以後、チャンネル諸島の古代人共同体は、農耕前のカリブ海およびパタゴニアと類似しており、カリフォルニア本土およびメキシコの標本抽出された地域よりも小さい有効人口規模で暮らしていました。
●研究史
南カリフォルニアおよび本土沖合のチャンネル諸島から発見された考古学的証拠(関連記事)に基づいて、現在のアメリカ合衆国カリフォルニア州には人々が13000年前頃(以下、年代は全て較正された暦年代です)以降暮らしてきており、チャンネル諸島には、ヨーロッパ人との接触の時点ではチュマシュ(Chumashan)語族話者が暮らしていました。カリフォルニアにはアメリカ大陸で最高の言語多様性のいつくかがあり、言語は人々の移動と関連することが多いので、それは人口集団の関係の理解と関連しています。
カリフォルニア先住民における言語の多様性には、複数の主要な分類が含まれ、その分岐年代推定値は異なり、一部は6000年前を超えます。カリフォルニア北部の語族には、たとえばユロック(Yurok)語を含むアルギック(Algic)語族や、フーパ(Hupa)語を含むアサバスカ(Athabascan)諸語や、ユキ人(Yuki)に因んで命名されたユーキ(Yukian)語が含まれます。海岸や内陸部の渓谷を含むカリフォルニアの中央部では、ウティ(Utian)語族があり、ミオク人(Miwok)やオローニ人(Ohlone、Coastanoan)が話しています。チュマシュ語族内の言語は、北チャンネル諸島および連接する本土サンタ・バーバラ(Santa Barbara、略してSB)を特徴づけます。南カリフォルニアでは、ユト・アステカ(Uto-Aztecan)語族話者が多数を占めており、トングヴァ人(Tongva、Gabrielino)やパヨムカウィチュム人(Payomkawichum、Luiseño)が含まれます。
最後に、たとえばユーマ・コチミ(Yuman-Cochimí)語族などより小さな語族や、たとえばワショ(Washo)語など孤立言語があります。これら多様な語族がどのようにそうして近くに位置するようになったのかは、より大きな文脈で理解する必要があります。これは、アルギック語族やユト・アステカ語族など、一部の語族については、1方向もしくは別方向への移住が広く拡散したからに違いないからで、これらの場合、カリフォルニアをはるかに越えています。とくにユト・アステカ語族は、アメリカ大陸において最も地理的に広がった語族の一つで、アメリカ合衆国アイダホ州ショショーニ(ショショーニ)郡かにコスタリカのピピル(Pipil)にまで広がっており、メキシコの中央部および西部沿岸とアメリカ合衆国南西部を網羅しています。グレートベースン(Great Basin)やカリフォルニアの中央渓谷やメキシコ中央部(トウモロコシ農耕はここから広がった、と示唆されてきました)や南アリゾナからメキシコ本区部を含めて、多くの故地が提案されており、モデごとにさまざまな種類の言語と考古学の証拠が挙げられました。
本論文は119個体のデータを報告しそれには、中央および南カリフォルニアの7400~200年前頃の79個体と、メキシコ北西部および北中央部の2900~500年前頃の40個体が含まれます(図1)。本論文では、アメリカ合衆国やメキシコなど現在の政治国家が頻繁に言及されますが、現代の国境は先住民の文化領域を人為的に分割していることに要注意です。これらのデータを得るため、DNAが抽出され、一本鎖および二本鎖DNAライブラリが生成され(古代DNAと関連する特徴的な損傷痕跡を除去するよう処理)、ミトコンドリアDNA(mtDNA)とゲノム全体の約120万の一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)で濃縮されました。イルミナ(Illumina)社の機器を用いて濃縮生成物が配列決定され、データの信頼性が評価されました。その結果として分析は、実質的な現代人の汚染の証拠がない、新たに報告された112個体に限定されました。これらのデータは、以前に刊行された古代人および現代人のデータと組み合わされました。以下は本論文の図1です。
先行研究(関連記事)と一致して、カリフォルニアのチュマシュ人(Chumash)地域で配列決定された7400年前頃までさかのぼる最古のDNAは、南アメリカ大陸の現代人およびクローヴィス(Clovis)文化と関連するアメリカ合衆国モンタナ州西部のアンジック(Anzick)遺跡で発見された12800年前頃となる男児(アンジック1号)と最も密接に関連しており、これは南アメリカ大陸先住民(Southern Native American、略してSNA)祖先系統と呼ばれます。個体の遺伝的クラスタ化(まとまり)は地理および言語と相関し、チュマシュ語族やユト・アステカ語族やウティ(Utian)語族を話していた可能性が高い集団で集中する分枝が存在しました。メキシコ北西部から南および中央両方のカリフォルニアへの古代および現代の個体群に特徴的な遺伝的系統の、遅くとも5200年前頃までとなる大規模な移動の証拠が見つかりました。
この結果は、この移動がユト・アステカ語族の拡大と関連している、という可能性を提起し、農耕と関連しない南方からの大きな移動期を証明し、農耕がこれらの言語をもたらすのに必要だった、との議論を突き崩します。最後に、中央カリフォルニアのパシフィック・グローブ(Pacific Grove、略してPG)の5200年前頃となる最古の個体と、バハ・カリフォルニア州の古代の個体との間の、強い遺伝的関係がありました。この結果は、より早期の基層言語に由来する拳固を話す人々がかつてカリフォルニアの大半にわたって拡散し、この地域の人口集団はその後、遺伝学的および言語学的両方の景観を変えた新たな移民により変容した、という理論への裏づけを提供します。
●倫理と包括性の声明
この研究は、カリフォルニアとメキシコの先住民共同体や他の利害関係者との協議で実行され、標本抽出前の複数の契約と、論文提出前の結果報告が行なわれました。共著者は、チュマシュ人やトングヴァ人トやオローニ人の共同体およびメキシコのいくつかの共同体とともに会議に参加し、その目的は論文が共同体の視点を確実に反映することでした。本論文には、科学的研究に寄与しただけではなく、古代の個体群とつながりのある共同体の構成員でもある共著者が含まれます。
最終原稿は、共同体の構成員により特別な関心があるものとして強調された議題を扱っており、チャンネル諸島と本土の古代人が相互にどのように関連していたのかということや、カリフォルニアの古代人と近隣地域の古代人との間の関係や、先住民の言語の歴史的分布を生じた過程の理解が含まれます。これらの発表で強調されたのは、科学的発見はそれ自体が構築されていく動的かつ反復的過程で、この研究は科学的水準でさえ最終的な情報ではなく、それは、追加の研究がこの研究のモデルと解釈を洗練し、改善するだろうから、ということです。遺伝的祖先系統が、生物学的つながりではなく社会的関係に基づくことの多い帰属意識と異なっていることも強調されました。遺伝学的調査結果は、決して文化的帰属意識に異議を唱えるものとみなされるべきではありません。
●遺伝的データの概観
遺跡と年代に基づいて、個体は分類されました。これらの集団の個体は、qpWaveを用いると、他集団と比較して遺伝的に均一でした。集団をクラスタ化するため、近隣結合樹が生成され(図2)、ADMIXTUREソフトウェアを用いて教師なし分析が実行されました。2集団(集団1と集団2)間の共有された遺伝的浮動量を測定する外群f₃に基づいて、多次元尺度構成法(multidimensional scaling、略してMDS)も使用されました。たとえば、f₃(ムブティ人;集団1、集団2)で、ムブティ人が外群となります。対でのFST値も計算されました。
これらの手順を用いて得られたクラスタは、地理および年代と相関していました。地理的観点から、メキシコ北西部とバハ・カリフォルニアと南カリフォルニアの2地域(大まかに、南カリフォルニア本土と遺伝的に類似していた北チャンネル諸島と、南チャンネル諸島です)。地理に基づくクラスタ化は、局所的な人口連続性の指標となるかもしれず、その後の人口集団は以前の人口集団のかなりの部分の子孫です。一部の事例では、遺伝的クラスタ化は場所よりも年代の方と相関しており、地域間の移動の指標となる可能性があります。以下は本論文の図2です。
カリフォルニアにおけるmtDNAハプログループ(mtHg)頻度は、経時的に変動を示しました。判断な充分なデータのある3500年前頃以前の個体では、36個体のうち30個体はハプロタイプA2で、サンタ・バーバラとチャンネル諸島と近隣の本土でほぼ全てで、非A2ハプロタイプは全て南カリフォルニア本土の個体でした。3500年前頃以後の個体では、91個体のうち35個体のみがA2ハプロタイプを有しており、B2とC1bとC1cとC5bとD1とD4h3aが全て見られ、これは外部からカリフォルニアへの系統移動の全ゲノム証拠と一致する結果です。メキシコの個体はすべて3500年前頃以降となり、44個体のうち5個体のみがA2ハプロタイプで、B2とC1bとC1cとC5bとD4h3aも見られました。
メキシコのムエルトス・チキトス洞窟(Cueva de los Muertos Chiquitos、略してCMC)遺跡の1個体を除いて、全てのY染色体標本はY染色体ハプログループ(YHg)Q1b1aでした。この結果は、南カリフォルニアのひじょうに古い(5000年以上前)個体におけるYHg-Q1a2aのずっと高い割合(3個体のうち1個体)とは異なります。
●農耕開始前のカリフォルニアへのメキシコに特徴的な系統の拡大
近隣結合樹におけるクラスタ化の一部の時間依存性とmtHgにおける変化は、刑事着てきな祖先系統の変化を示唆しました。これらのパターンの定量化のため、サンタ・ローザ(Santa Rosa、略してSR)の北チャンネル諸島の最古級(7400年前頃)の個体群が、各期間でSR 島の集団について、f₄形式(ムブティ人、X;SR島7400年前頃、SR島7400年前頃未満)の統計を用いて、より新しい個体群と比較されました。SRはサマラ(Samala)語もしくはイネセニョー・チュマシュ(Ineseño Chumash)語でウィマ(wima’)と呼ばれています。カリフォルニア以外の人口集団Xについては、ほぼすべての統計量が0(|Z|<3)と一致しました。唯一の例外は、SR島の個体群のより新しい集団の南方のいくつかの集団との有意な遺伝的類似性でした。この類似性には、バハ・カリフォルニアの半島南端の500年前頃の個体群が含まれます。
メキシコ北西部のソノラ(Sonora)州のラプラヤ(LaPlaya)遺跡とセッロ・デ・トリンチェラス(Cerro De Trincheras、略してCDT)遺跡とタヨパ(Tayopa)遺跡の1000年前頃の個体群も、メキシコ北部のドゥランゴ(Durango)州のムエルトス・チキトス洞窟の集団と同様の結果でした。MX_ラプラヤ/CMC_600年前の個体群は、SR島のその後の個体群に外部との類似性の最も一貫した兆候を与えており、これはMX_ラプラヤ/CMC_600年前がカリフォルニアに地理的に最も近いことと一致する結果です。SR島からサンタ・バーバラ(SB)海峡を横断してカリフォルニア本土沿岸に位置するカーピンテリア(Carpinteria、略してCPT)の7000年前頃の個体群を同じ地域の600年前頃の個体群と比較しても、南チャンネル諸島の最古級(4800年前頃)の個体群を最も新しい(900年前頃)の個体群と比較しても有意な兆候が存在し、MX_ラプラヤ/CMC_600年前の個体群は再度、それ以前の集団と比較してその後の集団の方とより大きな類似性を示します。
qpAdmを用いて、カリフォルニアの個体群における祖先系統が、以前の分析により浮き彫りにされた以下の2つの代理と関連する供給源の混合として推定されました。その2つの代理とは、USA-CA_SR_7400年前とMX_ラプラヤ/CMC_600年前です(図3)。qpAdmは、関係が離れていても、偏らない推定値をもたらすよう設計されています。メキシコ関連祖先系統はUSA-CA_SR_4900年前で20±8%(±は標準誤差)、USA-CA_SR_3200年前では22±6%、USA-CA_SR_3000年前では23±6%、USA-CA_SR_300年前では37±5%で、全モデルはP>0.05で適合します。
対照的に、USA-CA_CPT_7000年前とUSA-CA_サン・ニコラス島(San Nicolas Island、略してSNI)_4800年前とUSA-CA_ゴリータ(Goleta)_3000年前は、同じ地域のそれ以前の集団との混合のない直接的子孫であることと一致していました。この結果は、これらの集団がクレード(単系統群)で、SR島の最古級の個体群とクラスタ化する(まとまる)ことと一致しており、移住が南方から北方だったことを示唆しています。USA-CA_ゴリータ_3000年前の1個体は放射性炭素年代測定されていなので、3000年前頃より古いかもしれないことに要注意です。USA-CA_SNI_4800年前もしくはUSA-CA_CPT_7000年前がUSA-CA_SR_7400年前の代わりに供給源として用いられると、推定値は有意には異なりませんでした。以下は本論文の図3です。
これらの統計から、カリフォルニアの人々およびメキシコ北西部の人々と関連する人々の間で、完新世後半に遺伝的交換があり、それは少なくともUSA-CA_SR_4900年前の4900年前頃までには始まった、と示されます。オーダム(O’odham)語話者のピマ人(Pima)は現在メキシコに居住し、これらの類似性を最大化する個体群がメキシコで暮らしており、本論文のデータセットにおける現代のオーダム語話者は、メキシコ北西部古代人とひじょうに類似した祖先系統を有しています(図2)。オーダム語はユト・アステカ語族に属しており、この地域の言語の多様性の程度、言語の地理的分布、言語の変化の津についての知識に基づいて、メキシコ北西部古代人はほぼ確実に、本論文のデータセットにおけるメキシコの古代人の期間である2900~500年前頃までにはユト・アステカ語族言語を話していた、と言語学者は主張してきました。
メキシコ関連祖先系統は経時的に増加し、南チャンネル諸島のその後の人口集団において最高水準に達します(図3)。メキシコ関連祖先系統の最高の割合(44~51%)は南チャンネル諸島のサン・ニコラス島とサン・クレメンテ(San Clemente、略してSCL)島とサンタ・カタリナ(Santa Catalina、略してSCT)島のその後の個体群で見られ、これは、入植者の接触時においてその地域の先住民がユト・アステカ語族のニコールニョ(Nicoleño)語を話していた、という観察と一致する結果です。ガブリエリーノ人(Gabrielino)とも呼ばれているこの地域の現代人であるトングヴァ人も、密接に関連したユト・アステカ語族系統言語を話します。対照的に、北チャンネル諸島のチュマシュ人は無関係な言語を話し、相応してメキシコ北西部のユト・アステカ語族言語話者とは少ない遺伝的類似性を示します。
メキシコの5200~2000年前頃の個体群と関連する祖先系統の拡大の注目に値する側面はその地理的範囲で、カリフォルニアの中央部から南部までに至る証拠があり、さらにはバハ・カリフォルニアにまで広がっていた可能性もあります。バハ・カリフォルニアは、時間横断区の欠如を考えると、厳密には検証できないかもしれませんが、USA-CA_SR_7400年前とMX_ラプラヤ_CDT_600年前の混合としてモデル化すると、バハ・カリフォルニアの集団は全て、60%以上のメキシコ関連祖先系統を有する、と推測されました。これがカリフォルニアへの移住により大規模に媒介されてきたに違いない、というさらなる証拠は、メキシコにおいてカリフォルニア関連祖先系統の増加の証拠が観察されなかったことです。MX_ラプラヤ_CDT_600年前をMX_ラプラヤ_CDT_2400年前およびUSA-CA_CPT_7000年前と関連する集団の混合としてモデル化すると、MX_ラプラヤ_CDT_600年前がMX_ラプラヤ_CDT_2400年前のみの子孫(0.5±2.3%程度のUSA-CA_CPT_7000年前の祖先系統もあります)としてよく適合するモデルが得られました。まとめると、本論文の結果は、メキシコ北西部のユト・アステカ語族話者と関連する人々から南チャンネル諸島およびカリフォルニア本土への5000年以上の祖先系統の移動を証明します。
メキシコ北西部と経時的に単調的に増加する類似性のこのパターンの注目すべき例外は、中央カリフォルニアの5200年前頃の1個体(USA-CA_PG_5200年前)で、この個体はメキシコ関連祖先系統38±8%でモデル化でき、データセットにおける中央カリフォルニアのその後の個体群は類似しているかより低い祖先系統の割合を有しています。標本規模は1個体のみに基づいていますが、これらの結果は、この時までにメキシコ関連祖先系統が存在したことを論証します。非単調的なパターンは、南方から北方への5200年前頃の移住から予想され、その後に最近のメキシコとの関連性のない他の(北部)集団との混合が続きます。
これらの調査結果から、メキシコ北西部の古代人現代人に共通する祖先系統と関連する祖先系統が、遅くとも5000年前頃以降に北方では遠く中央カリフォルニアにまで拡大し始めた、と示唆され、農耕拡大(4100年前頃に始まります)前の2地域間の人口統計学的に顕著な中期完新世の遺伝子流動が論証されます。トウモロコシ農耕のメキシコからアメリカ合衆国南西部への北方への拡大の前となる、カリフォルニアにおけるメキシコ関連祖先系統の存在の証拠は、4900年前頃となるSR島の1個体および4700年前頃となるゴリータの3個体の存在に由来し、メキシコ関連祖先系統が有意に増加しています(それぞれ20±8%と19±7%)。
グレートベースン地域のネバダ州(Nevada、略してNV)のラブロック洞窟(Lovelock Cave)の1900年前頃となる個体群で構成される1集団は、カリフォルニアのより新しい個体群およびより古い個体群との比較で、一つの有意な兆候を示しました(USA-CA_SB_4600年前と比較してUSA-CA_SB_900年前との類似性でZ=3.3)。これは複数の仮説検証に起因する無作為の統計的変動を反映しているかもしれませんが、人口移動の暫定的な証拠の提供には充分な兆候です。グレートベースン地域の集団からのより多くの個体が、そうした移住がグレートベースン地域およびカリフォルニアに及ぼした程度と、カリフォルニアへの影響がグレートベースン地域を通じて媒介されたかもしれない証拠の検証には必要です。
農耕がメキシコ中央部からアメリカ合衆国西部へのユト・アステカ語族の北方への拡大の媒介である、という最も有力な事例は、農耕の拡大は言語変化を推進する人口統計学的に充分変化させる力があるかもしれない唯一の過程である、という主張です。この主張では、農耕はアメリカ合衆国南西部における人口規模の増加につながり、それは、農耕が決して拡大しなかったとしても、個体群をカリフォルニア北部へと駆り立てました。しかし、本論文の分析では、南方から北方への大きな移住は農耕拡大が始まる前で、言語学者により「古ユト・アステカ語族」がヨクツ(Yokutsan)語族に置換される前にサンホアキン渓谷(San Joaquin Valley)に到達した、と主張された期間と一致する5200年前頃までに中央カリフォルニアに影響を及ぼした、と示されます。この結果は、5200年前頃以前の移住はユト・アステカ語族をこの地域にもたらした事象だったかもしれない、という理論を裏づける証拠の重要性を高めます。
しかし、本論文のデータは、5000~3000年前頃の南カリフォルニア本土および南チャンネル諸島におけるメキシコ関連祖先系統のその後の増加も証明しています。本論文のデータセットにおけるカリフォルニアの個体群はおもに、北ユト・アステカ語族分枝の下位語群であるタキッチ(Takic)語の話者が居住していた地域にいるのに対して、メキシコ北西部の個体群はおもに、ユト・アステカ語族分枝のピマン(Piman)語群の話者が居住する地域にいるので、これは注目すべき調査結果です。これら2言語の分岐年代は7000一部の再構築では7000年以上前、他の対抗地区では5000~4000年以上前と推定されています。5200年前頃以前および5000~3000年前頃となるカリフォルニアへの南方から北方への移住は、この再構築された両方の分岐年代と一致するかもしれません。
本論文の遺伝学的調査結果は、メキシコ中央部の農耕民起源に関する理論を支持する最も有力な主張を突き崩すだけではなく、ユト・アステカ語族の故地の可能性が高い地域について、議論に情報をもたらします。これは、本論文の結果から、農耕の拡大と関連する人々の移動は人口統計学的に有意な南方から北方への移住だけではなかったかもしれない、と証明されるからです。言語学的再構築を行なったある集団は、ユト・アステカ語族祖語は現在のアメリカ合衆国アリゾナ州南部とメキシコ北部(UMX_ラプラヤ_CDT個体群のすぐ北東)の間の、山地森林に近い森林と草原の故地に暮らす狩猟採集民により話されていた、と示唆してきました。この提案は、再構築された言語がこの地域の動物と植物(たとえば、リュウゼツランや長針のマツやタカやフクロウ)の単語を含んでいた、という証拠に基づいています。
5200年前頃に始まり、少なくとも3000年前頃まで続いたカリフォルニアへの南方から北方への移住に関する本論文の遺伝学的調査結果は、少なくとも4000年前頃となる、メキシコとカリフォルニアとの間の物質文化交換の考古学的証拠(たとえば、収縮する茎の投げ矢の先端や、トルコ石の拡大)とともに、この理論の証拠の重要性を増します。逆に、メキシコ北部におけるグレートベースン(ラブロック洞窟関連)もしくはカリフォルニア中央渓谷関連祖先系統の有意な増加が観察される、という事実は、グレートベースンもしくはカリフォルニア中央渓谷どちらかの起源に関する証拠の重要性を減少させます。
●中央カリフォルニアにおける遺伝的連続性と移民
中央カリフォルニアの最古の個体(女性)の祖先系統が、f₄統計(ムブティ人、検証対象;USA-CA_PG_5200年前、USA-CA_SR_7400年前)で、SR島の最古級の個体群との比較により評価されました。USA-CA_PG_5200年前への最も有意な誘引はメキシコ北部のペリキュエ(Pericúes)の500年前頃の個体であるMX_CA_ペリキュエ_500年前.SGで(Z=6.46、f₄=0.00413)で、これは現在のメキシコのバハ・カリフォルニア州の南端に居住していた比較的孤立した集団です。この兆候は、USA-CA_PG_5200年前を、カリフォルニア州カラベラス(Calaveras)郡の個体であるUSA-CA_カラベラス郡_1500年前と比較すると(MX_CA_ペリキュエ_500年前.SGへの誘引は、Z=6.46、f₄=0.00384)、同様に強いものでした。
USA-CA_カラベラス郡_1500年前はPGの東方約290kmの集団で、おそらくはワショ語話者により季節的に居住されていた領域内にいました。この兆候はメキシコ北西部以外の祖先系統の構成要素により起きており、それは、ペリキュエにおけるメキシコ北西部関連祖先系統は、中央カリフォルニアのその後の個体群、つまり24~42%のメキシコ北西部関連祖先系統を有する、USA-CA_PG_200年前やUSA-CA_モントレー湾(Monterey)_1000年前やUSA-CA_カーメル(Carmel)_600年前やUSA-CA_カストロヴィル(Castroville)_900年前と類似しているからですが、USA-CA_PG_5200年前は依然として、これらの集団と比較して、MX_CA_ペリキュエ_500年前.SGへの有意な誘引(2.1< Z<4.3、0.00209< f₄<0.00427)を有しています。
ショットガンと捕獲の古代DNA手法間の記述的違いも、人為的結果でこの影響をもたらしている可能性は低そうです。結果として、ショットガン配列決定群との差異を示す類似性(1群がショットガン処理でもう一方が捕獲ならば予測されるような)はないはずです。この結果は、ペリキュエ関連祖先系統が経時的に減少した、という可能性を提起しまが、要注意なのは、5200年前頃のデータ点は1個体のみに由来しており、これらの祖先系統の経時的な分布の理解にはより多くの個体が必要なことです。
中央カリフォルニアの5200年前頃の1個体におけるバハ・カリフォルニア関連の兆候は、カリフォルニアおよびバハ・カリフォルニアに広がったより早期の基層言語との以前の仮説と一致しているかもしれず(図1a)、これは中央カリフォルニアでは後に内陸から沿岸に4000年前頃に到来したウティ(Utian)語族話者によりほぼ置換された、と推測されています。これは恐らく、この期間内のその地域への移住を伴っており、それは、考古学的証拠から、言語変化は人々の移動を媒介にすることが多い、と示されているからです。この移住の可能性のある供給源の一つは、東中央渓谷のカリフォルニア州カラベラス郡で、それは、USA-CA_PG_5200年前と比較して、USA-CA_カーメル_600年前にとってUSA-CA_カラベラス郡_600年前の遺伝的類似性が観察されるからで、これは、5200~600年前頃のこれらの地域間の移住と一致します(USA-CA_カーメル_600年前が比較に用いられたのは、地理的にPGと最も近く、複数の高網羅率個体が配列決定されたからです)。しかし、カラベラス郡の個体群は非ウティ語族(ワショ語)も話していたと考えられていたので、この地域からの移住はウティ語族話者の移住仮説には適切に当てはまりません。より確実に中央カリフォルニア沿岸へと移動した供給源人口集団の地理的起源をより確実に決定し、この地域の歴史のより明確な全体像を提供するには、5000~3000年前頃のより密な標本抽出が必要でしょう。
中央カリフォルニアの人々の移動はこの地域の元々の祖先系統を完全には置換せず、それは、中央カリフォルニアのその後の人口集団が、USA-CA_PG_5200年前の1個体と関連する祖先系統を有しているからです。この結果は、ある程度の局所的な連続性に関する以前の証拠(f₄統計は、USA-CA_SR_7400年前と比較しての中央カリフォルニア沿岸のより新しい個体群とのUSA-CA_PG_5200年前の有意な類似性を示しますが、カラベラス郡の集団と比較すると統計量は有意ではないか僅かしか有意ではなく、おそらくは検出力の不足に起因します)と一致します。USA-CA_PG_5200年前とUSA-CA_カラベラス郡_600年前の混合として中央カリフォルニアのその後の個体群をモデル化すると、USA-CA_PG_5200年前との55±14%~76±9%の関連祖先系統でよく適合するモデルが見つかりました。この結果から、南カリフォルニアにおけるパターンと同様に、祖先系統の最大の割合は深い在来の起源があることと一致する、と示されます。
●最古級の配列決定されたアメリカ大陸先住民との関係
ブラジルと地理とアメリカ合衆国ネバダ州の全完新世個体群、つまりブラジル東部中央のラゴア・サンタ(Lagoa Santa)地域のラパ・ド・サント(Lapa Do Santo、略してLDS)遺跡の9800~9200年前頃の個体群(ブラジル_LDS_9600年前)、チリの11900年前頃となるロス・リーレス(Los Rieles、略してLR)遺跡個体(チリ_LR_12000年前)、アメリカ合衆国ネバダ州の1万年前頃となる精霊洞窟(Spirit Cave)個体(USA-NV_精霊洞窟_10000年前)は、同じ地域のその後の人口集団とよりも、クローヴィス文化と関連するアメリカ合衆国モンタナ州(Montana、略してMT)西部のアンジック(Anzick)遺跡で発見された12800年前頃となる男児アンジック1号(USA-MT_アンジック_12800年前)の方と多くのアレルを共有しています。本論文の分析から、クローヴィス文化の1個体とのこの特有の類似性は、アメリカ大陸の標本抽出された他のどの地域よりもカリフォルニアのチュマシュ人地域で何千年も長く存続した、と示されます。
アラスカ(Alaska、略してAK)のアップウォードサン川(Upward Sun River、略してUSR)で発見された11600~11270年前頃の1個体(USR1)により表されるUSA-AK_USR_11500年前などの外群と比較して、アンジック1号とのアレル(対立遺伝子)共有の割合を評価する対称f₄統計および外群f₃統計から、カリフォルニアの最古級の個体群(USA-CA_SR_7400年前とUSA-CA_CPT_7000年前)はブラジルや地理やネバダ州の最古級の個体群と同様の類似性を有している、と示されました。さらに、これらの個体はペルーの8600年前頃となるラウリコチャ(Lauricocha)遺跡個体(ペルー_ラウリコチャ_8600年前)および9000年前頃となるクンカイチャ(Cuncaicha)遺跡個体(ペルー_クンカイチャ_9000年前)と比較して、アンジック1号と有意により多い類似性を有していました。この結果から、カリフォルニアの古代の個体群は、USA-MT_アンジック_12800年前との類似性を有する人々の初期拡大の子孫で、アンデス中央部の同様の年代の最古級の個体群よりもこの系統(USA-MT_アンジック_12800年前)との類似性が多い、と示唆されます。
本論文のデータセットにおけるカリフォルニアとメキシコの古代の個体群、とくにより新しい個体群が、カナダのオンタリオ州南部のルシエ(Lucier)遺跡で発見された古代の個体群(カナダ_ルシエ_4800-500年前)と関連する、北アメリカ大陸先住民(Northern Native American、NNA)祖先系統の他の主要な分枝からの祖先系統の証拠を示すのかどうか、評価されました。これに敏感な統計がf₄(ムブティ人.DG、カナダ_ルシエ_4800-500年前;検証対象、チリ_LR_12000年前)で計算され、カリフォルニアとメキシコの全ての古代人集団についてゼロと一致する、と分かったので、NNA祖先系統の証拠は提供されません。
外群としてカナダ_ルシエ_4800-500年前でqpGraphを用いて、混合図も作成されました。その結果、カリフォルニアのほぼ全ての古代人集団がカナダ_ルシエ_4800-500年前と関連する分枝から追加の祖先系統を必要としない、妥当な適合(全Z得点が3.0未満)で混合図が見つかりました。例外は、USA-CA_SCL_500年前とUSA-CA_SCT_400年前.SGで、適合度が低かったものの(Zは3.05超で3.25未満)、カナダ_ルシエ_4800-500年前との誘引に起因するわけではありませんでした。USA-CA_SCL_900年前集団が良好な適合度を有しており、USA-CA_SCT集団がショットガン配列決定と捕獲データとの間で異なる技術的偏りのため低い適合度であることを考えると、これらは人為的結果の可能性が高い、と見なせます。全体的に、カリフォルニアとメキシコの古代の個体群において、NNA祖先系統の一貫した証拠は見つかりませんでした。この結果は、本論文で再分析されたカリフォルニアの全個体における中間的割合をモデル化した先行研究(関連記事)と対照的です。
●メキシコの古代人におけるクローヴィス文化と関連していない南方への拡大からの祖先系統
メキシコ北西部の古代の個体群をモデル化すると、全ての適合混合図(最悪の残差ではZ<3.0)で、この集団の主要な祖先系統は、チリ_LR_12000年前およびカリフォルニアの古代の個体群よりも基底的(初期の分岐)ですが、NNAよりは依然として基底的でありません。これは、アンジック1号に対して基底部に位置し、チリ_LR_12000年前やカリフォルニアの個体群が有しているアンジック1号との同じ類似性を有していない、南アメリカ大陸先住民(Southern Native American、略してSNA)系統にいるメキシコの集団に起因します。この調査結果は、MX_タヨパ_1000年前やMX_CMC_1100年前やMX_ラプラヤ/CMC_600年前と比較して、USA-CA_SR_7400年前およびUSA-CA_CPT_7000年前についてUSA-MT_アンジック_12800年前の有意な類似性を示した、f₄統計によっても裏づけられます。
メキシコの古代人との比較では、USA-MT_アンジック_12800年前とブラジル_LDS_9600年前との間、チリ_LR_12000年前とUSA-NV_精霊洞窟_10000年前との間のf₄統計に基づいても有意な類似性がありましたが、ペルー_クンカイチャ_9000年前およびペルー_ラウリコチャ_8600年前との比較ではゼロと一致しました(この結果は、異性塩基対置換のSNPのみを用いても定性的に同じでした)。この結果から、カリフォルニアの最古級の個体群はチリやブラジルやネバダ州で見られるアンジック1号関連の個体群と祖先系統を共有しているかもしれないものの、本論文のデータセットにおけるメキシコの古代人はペルーの最古級の人々と祖先系統を共有しているかもしれない、と示唆されます。
これらの調査結果は、アリドアメリカ(現在のメキシコ北西部とアメリカ合衆国南西部)と一部のメソアメリカのメキシコ人(本論文で提示されたメキシコの全古代人はアリドアメリカで発見されました)におけるアンジック1号への基底部系統からの寄与を見つけた先行研究と、表面的には類似しているようです。しかし、本論文でメキシコの集団で推測された分岐したSNA系統は、メキシコ人に寄与した亡霊遺伝的祖先系統であるUPopA1もしくはUPopA2系統に関する以前の調査結果(関連記事)とは異なります。これは、両UPopA人口集団がSNAとNNA両方の系統にとってより基底的に位置する系統と推測されたのに対して、本論文の深いメキシコ系統はSNAであることと一致するからです。
●世界の他地域の人々との関係
チュマシュ人とトングヴァ人のトモル(tomol)と呼ばれる厚板の丸木舟(カヌー)はポリネシアからの影響を受けたかもしれない、という提案に基づいて、ポリネシア祖先系統の証拠が検証されました。f₄統計を用いて、USA-CA_SR_7400年前と比較しての、ポリネシアの個体群(現代のハワイ先住民か、トンガもの古代人1個体か、ポリネシア祖先系統の別の古代人標本)とカリフォルニアの7100~300年前頃の個体群との間の遺伝的類似性が検証されました。qpAdmも用いて、カリフォルニアの個体群におけるポリネシア祖先系統が検証されました。その結果、カリフォルニアのどの個体でもポリネシア祖先系統の証拠は見つからず、これは、トモルの開発へのポリネシア人の寄与に反する主張と一致する結果です。
f₄(ムブティ人、オンゲ人もしくはパプア人;検証対象、ミヘー人)を用いて、オーストラレーシア(オーストラリアとニュージーランドとその近隣の南太平洋諸島で構成される地域)人(Y集団)との過剰な関連性についても検証されましたが、カリフォルニアとメキシコ北西部のどの古代の個体でもその証拠は見つかりませんでした。Y集団とは、現代および先コロンブス期の一部の南アメリカ大陸先住民集団のゲノムにおいて見られる(関連記事)、アンダマン諸島およびオーストラレーシアの現代人と関連する3~5%ほどの祖先系統をもたらした仮定的な集団(亡霊集団)です。
南カリフォルニアの古代の個体群と独特に関連している人々による、アンデス中央部への4200年前頃以後となる古代の移住との主張(関連記事)が検証されました。その結果、以前に報告された兆候が確証され、新たな観察が得られましたるつまり、この兆候はメキシコ関連祖先系統を有する外群がqpAdmで用いられる時だけ確認できる、ということです。したがって、USA-CA_SR_7400年前かUSA-CA_CPT_7000年前かUSA-CA_SNI_4800年前がメキシコ祖先系統の証拠のない外群として用いられると、4200年前頃以後のペルーへの外部からの移住の兆候はありません。
しかし、メキシコ北西部関連祖先系統のあるカリフォルニアの集団を外群として用いると、兆候は存在します(P<0.005)。この調査結果を報告した文献(関連記事1および関連記事2)では、メキシコ関連祖先系統を有するカリフォルニアの集団が外群として用いられました。この結果から、外群でメキシコ南部のミヘー人(Mixe)を用いた独立した分析でも見つかった兆候は、アンデス中央部とカリフォルニアのチャンネル諸島に4200年前頃以後に同時にもたらされたメキシコ関連祖先系統の移動に起因するかもしれない、と示唆されます。この兆候は、アンデス中央部への新たな移住なしに4200年前頃以後にメキシコに影響を及ぼした、アンデス中央部関連の南方から北方への移住とも関連しているかもしれません(関連記事)。
●本土よりも小さかったチャンネル諸島における共同体規模
同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)が分析され、カリフォルニアとメキシコの古代人集団の有効共同体規模が推定され、過去数世代の配偶者集団の規模が参照されました。この目的のため、ソフトウェアhapROHが用いられ、40万以上のSNPにおいてデータのある古代人85個体が分析されました。最も顕著なパターンは、4~8 cM(センチモルガン)の小さなROHと8~20cMの中間規模のROHにおいて明らかで、南および中央カリフォルニアの本土よりもチャンネル諸島においてより高い割合で見られます(図4a)。この結果から、個体の両親は過去数世代において同じ祖先の子孫だったことが多い、と示唆されます。以下は本論文の図4です。
4~20 cMの全ての空間規模におけるROHの長さの分布を用いて有効共同体規模(Ne)が推定され、これは過去50世代におけるさまざまな時間深度での共有された祖先系統から生じ、この時間規模での近隣共同体との規模変化および移住率の兆候の検出を可能とします。1600年前頃以降の個体群を分析し、最近の密接な親族結婚の証拠(合計で50cM以上となる、20cM超のROH断片のある個体)のある個体の除去後に、北および南チャンネル諸島のNeは、それぞれ388±42および175±13と推定され、農耕開始前の「古代(Archaic)」カリブ海の遺跡の232±8(関連記事)、およびパタゴニア(171±7)とグアム(333±11)とスペイン(375±16)の古代人集団と類似しています。南カリフォルニア本土と中央カリフォルニアは、それぞれ519±49と418±39のNe値でした。対照的に、メキシコ北西部古代人のNeは839±74で、現代人のゲノムを用いた推定値と一致し、農耕を伴う土器関連のカリブ海の遺跡(681±21)および同様の年代のペルー集団(817±51)と類似しています。
メキシコ南部の有効共同体規模はメキシコ北部よりも大きく、南方から北方へと順に、CMC(ムエルトス・チキトス洞窟)では1105±181、タヨパ遺跡では895±142、ラプラヤ/CDT(セッロ・デ・トリンチェラス)は605±94でした。この結果は、南部の定住がより多くの水と沃土を利用しやすく、それ故により大きな共同体の発展を可能としたのかもしれません。あるいは、これらのパターンは南部の村落間の北部の村落間よりも高頻度の配偶者交換を反映しているのかもしれませんが、南北2地域の村落が相互に規模で異なっていたことは示唆されていません。この調査結果は、条件付きの異型接合性(アフリカのヨルバ人のような外群における多型部位の差異の割合)によりさらに裏づけられ、それは、カリフォルニア諸島の古代人では、祖先の差異が一貫して小さい共同体規模のため失われる場合に予測されるように、他のどの集団よりも低い異型接合性が見つかっているからです。しかし、チャンネル諸島と南カリフォルニアにおける経時的な配偶者集団の規模は、減少するROHにより示唆されているように、経時的に増加しました。
●まとめ
カリフォルニアの先住民の歴史は、この地域への後期更新世の移住と、その後の中期完新世におけるメキシコ北西部のユト・アステカ語族話者集団と関連する人々の南方から北方への移住を反映しています。中央カリフォルニア沿岸に影響を及ぼした別の移住があり、内陸部中央カリフォルニア渓谷人口集団で見つかった祖先系統と相関しています。本論文のデータと分析から、チュマシュ人地域で最古級の配列決定された人々は後期更新世の年代のクローヴィス文化関連のアンジック1号個体と著しく密接に関連していた、と論証されます。そこでの遺伝的連続性は、200年前頃の配列により表されているように、何千年を経て現代のチュマシュ人に至るまで証明できます。
ユト・アステカ語族の初期の話者の起源が、現在のアメリカ合衆国南西部とメキシコ北西部の国境地域の狩猟採集民か、メキシコ中央部のトウモロコシ農耕民か、南方へと拡大した現在のアメリカ合衆国のグレートベースン地域なのかどうかについて、かなりの議論がありました。本論文の結果から、現在のメキシコのユト・アステカ語族話者と関連する祖先系統は中央カリフォルニアにおいて混合した形態で遅くとも5200年前頃に、南カリフォルニアには遅くとも4900年前頃に存在していた、と示され、中央カリフォルニア関連もしくはグレートベースン祖先系統のメキシコへの南進拡大の証拠は提供されません。この調査結果は、狩猟採集民がカリフォルニアへと北西に、メキシコへと南方に、両方向に移動した、とする仮定的状況と最良に適合します。
本論文の結果は、トウモロコシ農耕の拡大とは別の、カリフォルニアへのメキシコ祖先系統の拡大についての代替的な媒介を提供します。これは、ユト・アステカ語族の南方から北方への移動が農耕民と関連していることについての、以前の最良の論拠でした。それは、南西へのトウモロコシの拡大の最古級の証拠が、わずか4000年前頃だったからです。5200年前頃の中央カリフォルニアにおけるこの祖先系統の発見は、ユト・アステカ語族が中期完新世までに中央渓谷ですでに話されていた、という言語学的理論とも一致します。
南カリフォルニアおよびメキシコ北西部以外(たとえば、グレートベースン西部)の現時点で標本抽出されていない古代人集団が、この両地域へと混合し、遺伝的兆候の一部を生み出したかもしれません。たとえば、6300~4800年前頃には、とくに沿岸部とメキシコ北西部の砂漠で旱魃状態の証拠があるのに対して、グレートベースンはこの期間にはより湿潤でした。これらの状況がユト・アステカ語族祖語の北方および南方分枝への多様化につながり、北方分枝はこの期間にグレートベースン地域にまで拡大した、と一部の言語学者は提案してきました。南チャンネル諸島や近隣の南カリフォルニア沿岸や中央カリフォルニアで製作されたオリヴェッラ(Olivella)式溝付長方形ビーズの分布や、これらの地域全体での黒曜石の拡大に基づく、5900~4700年前頃となるグレートベースンと南北のチャンネル諸島間の文化的交流の考古学的証拠もあります。
本論文の分析は、遅くとも5200年前頃には始まった南カリフォルニアへの移住の地理的起源についての情報を提供しません。カリフォルニアの現在の先住民集団の遺伝的データの収集と、カリフォルニアおよびそれ以外の地域の古代人のデータでの分析が、追加の洞察を提供するでしょう。本論文や先行研究で行なわれたような手法に従い、古代の先住民個体からのDNAの倫理的分析に関する最近の議論や勧告を参考にして、現在の先住民の子孫集団と関わる方法でのそうした研究の実行が重要です。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
古代DNA:カリフォルニア先住民の間の遺伝的な連続性および変化
古代DNA:古代カリフォルニア先住民の移動と遺伝的関連
今回、7400〜200年前(1950年を基点とする較正年代)にカリフォルニアやメキシコ北部に居住していた人々の遺骸から回収された古代DNAの解析が報告された。その結果、集団の移動と遺伝的近縁度についての手掛かりが得られた。
参考文献:
Nakatsuka N. et al.(2023): Genetic continuity and change among the Indigenous peoples of California. Nature, 624, 7990, 122–129.
https://doi.org/10.1038/s41586-023-06771-5
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