200万年前頃のホモ・エレクトス化石と最古のアシューリアン石器
アフリカ東部で発見された200万年前頃のホモ・エレクトス(Homo erectus)化石と最古のアシューリアン(Acheulian、アシュール文化)石器群を報告した研究(Mussi et al., 2023)が公表されました。本論文は、エチオピア高地において発見された200万年前頃となる人類の乳児下顎をホモ・エレクトスと同定し、さらにその上の195万年前頃となる層にはアシューリアン石器群が含まれることを示しました。ホモ・エレクトスとしては最古級となることが示されたのはもちろん、最古となるアシューリアン石器群が確認されたこととともに、アシューリアンの出現とホモ属の海抜2000m以上の環境への適応との関連の可能性が示唆されていることもたいへん注目されます。ホモ・エレクトスと分類できそうな集団は200万年前頃までには出現しており、その少なくとも一部は初期からアシューリアン石器群も使用していた可能性が高そうで、人類史は古代DNA研究の進展により最近十数年で大きく書き換えられてきましたが、古代DNA研究の範囲外であるホモ属の初期進化史でも、有力な見解は十数年前とはかなり変わってきているように思います。
●要約
アフリカでは、石器と直接的に関連して見つかった人類遺骸が少ないため、ホモ・ハビリス(Homo habilis)とホモ・エレクトスを特定の石器インダストリーと関連づける試みが妨げられてきました。エチオピアの高地のメルカ・クンチュレ(Melka Kunture)層のガルバ4(Garba IV)遺跡のE層で発見された乳児下顎はこの問題にとって重要で、それは、オルドワン石器インダストリーと直接的に関連しているからです。本論文はシンクロトロン画像処理を用いて、萌出していない永久指令の内部無形態を調べ、ホモ・エレクトスとの同定を確証します。本論文はさらに、古磁気年代を推定し、(1)E層の下顎は200万年前頃で、最古のホモ・エレクトス化石の一つを表しており、(2)195万年前頃となるその上のD層には、最古となる既知のアシューリアン石器群が含まれる、と示します。
●研究史
メルカ・クンチュレ複合は、海抜2200mのエチオピア高原のアワッシュ川上流に数万km²にわたって広がる、先史時代遺跡のまとまりで構成されます(図1A)。この高地では更新世の気候は、ホモ属の初期種のほとんどの化石が発見されている地溝帯の低高度地帯よりも寒冷で湿潤だったでしょう。その古植生はアフロモンタン(Afromontane)複合に属しており、森林から大草原および低草原地帯に及んでおり、その植物種は、より乾燥してより温暖な環境のより低い高度で発達したアフリカのサバンナとは異なっています。この地域の地形の起伏の程度は、高地が比較的孤立していたことを意味しており、固有の哺乳類亜種の出現につながりました。以下は本論文の図1です。
1981年に、乳児下顎がガルバ4遺跡のE層で発見されましたが、それがどの人類種を表しているのかは、議論の対象となってきました。本論文では、ガルバ遺跡の堆積物の地質年代学的状況が再調査され、オルドワンおよびアシューリアン石器群が特徴づけられ、動物相遺骸群と花粉学の分析に基づいてガルバ遺跡の古生態学的状況が提示され、下顎の分類学的類似性が再評価されます。本論文の目的は、いつ、どのように、どの人類種が、前期更新世および関連するオルドワンからアシューリアン技術複合への移行において、メルカ・クンチュレの高地環境に最初に適応で来たのか、判断することです。サバンナや低地に限定せず、当時の環境の知識を広げることは、ホモ・エレクトスがアフリカからどのように拡大できたのか、理解することと関連しています。
●層序と年代
多層のガルバ4遺跡の堆積物層序は、移動する古アワシュ(Awash)水路および関連する氾濫事象により影響を受け、火山灰の堆積にも影響を受けた、氾濫原に位置する浅い池や水たまりに近い、礫などが残留するラグ堆積物な人類の活動を記録しています。ガルバ4遺跡は、アワシュ川の季節的な支流により切り込まれた、小さなガルバ小峡谷の入口に位置しています。本論文はここを、小峡谷の層序系列の基部に位置する3つの主要な考古学的層と呼びます(図1B)。F層とE層には非ヒト動物および人類遺骸とオルドワン石器があります。D層には非ヒト動物遺骸と前期アシューリアンインダストリーがあります。アルゴン(Ar)の同位体比(⁴⁰Ar/³⁹Ar)と予備的な磁気層序分析では以前に、これらの層が170万±20万年前の直前および直後と年代測定されましたが、その年代は充分には制約されませんでした。
新たな磁気層序研究では最近、これらの層の年代が確証されました。この層序では、オルドヴァイ/松山境界(1925000年前頃)と松山/レユニオン(Reunion)境界(2116000年前頃)の両方が特定され、これは、考古学的な3層序の上限年代と下限年代を提供します。オルドヴァイ/松山境界はD層の上で観察されました。推定堆積率と堆積物蓄積のモデルを用いると特定の年代は、F層が202万年前頃(-95000、+9600年前)、E層が200万年前頃(-7500、+10万年前)、D層が195万年前頃(-25000、+10万年前)と計算されました(図1C・D)。D~F層のこれらずっと古い年代は、ガルバ4遺跡で発見された考古学と人類化石の解釈に重要な意味を持っています。
●考古学
ガルバ4遺跡のE層(200万年前頃)が1981年にまず検証され、34m²が最終的に露出し、その下のF層(202万年前頃)の12m²の追加の露出がありました。EおよびF層では両方とも豊富なオルドワン石器が発見され、関連する下顎は、前期更新世の人工遺物と直接的に関連する人類遺骸の一つを表しています。この下顎はE層で発掘され、E層はよく確立した層序系列内の塞がれた層です(図1C・D)。この人工遺物はほぼ黒曜石の丸石および小石で作られており、局所的な沖積堆積物で利用可能な岩から優先的に選択されています。これらの多くは小さな剥片で、長さはほぼ20~50mm、約30%は再加工され、小さな尖った石器に変わりました(図2Aの3~5)。以下は本論文の図2です。
E層の上のD層では、1973以降75 m²程度まで発掘され、195万年前頃と再年代測定されました。D層の7000点の石器はその下のオルドワン石器群とは、大型剥片(つまり、最大長もしくは幅が100mm超)の割合で異なっています。真の握斧(ハンドアックス)や鉈状石器や、大型剥片に形成された大型掻器もしくは刃など他の種類の大型の切断用石器(Large Cutting Tools、略してLCT)があります。大型剥片およびLCTは分析された石器群の約1%を構成していますが(大型剥片は41点、LCTは23点)、その下に位置するオルドワン石器群からの技術的移行の理解と関連しています。大型剥片やLCTの製作を含む石器群の特徴から、これは前期アシューリアンと特定されます。したがって、ガルバ4遺跡は、この独特な高地古環境における、5万~10万年間にわたるオルドワンとアシューリアンの石器製作間の急速な変化を記録しています。
●古生態学
ガルバ4遺跡の植生は乾燥常緑アフロモンタン森林および草原複合に属しており、これは現在、アフリカ東部の海抜1800m超の山脈で発達しています。180万年前頃あるいは恐らくそれよりも早く、花粉学はメルカ・クンチュレ地域において低木の多い森林地帯が斑状の草原と交互に変わっていた、と示唆しています。より開けた植生と山岳草原が続き、それはガルバ4遺跡のD層の堆積中にさらに拡大しました。アフロモンタン植生は大きな日中温度差のある山岳気候で発達し、低地のサバンナもしくは森林とは異なる植物種をもたらします。
EおよびF層の哺乳類遺骸はひじょうに断片化されており、種水準の同定は稀です。D層から得られた化石標本はより大きいものの、3つの遺骸群を生態学的に区別できません。E層で稀に見られるのは絶滅したジャコウネコ(Pseudocivetta ingens)で、アフリカ東部の240万~150万年前頃のいくつかの遺跡でも知られています。ゲラダヒヒ属(Theropithecus)はメルカ・クンチュレではたへん稀な属で、D層の単一の標本により表されます。D層では、有蹄類は大型のカバと草本を採食するウシ科が優占し、そのうちほぼ90%がハーテビーストおよびブラックバックで、明らかに開けた環境を示しており、比較的高頻度のウマ科と一致します。D層から得られたカバ(11点)とウシ科(1点)とウマ科(1点の歯)歯のエナメル質の炭素(C)の炭素同位体比(¹³C/¹²C)の測定も、開けた環境と一致します。その結果、カバとウシ科とウマ科はC1植物を消費している、と示され、C4の高地の草原が示唆されます。
E~F層で得られたウシ科の資料は、一般的な分類階級を超えて同定できませんが、D層のハーテビースト亜科(ヌーとササビー)は同時代のアフリカ東部の低地遺跡で知られているハーテビースト亜科と近いものの、少なくとも亜種水準では異なっています。したがって、動物相記録はエチオピア高地の一部の固有性を証明しており、これはこの古環境における人類進化および生計に取り組むさいに考慮すべき要因です。
●ガルバ4遺跡E層下顎の分類学
「MK 81 GAR IVE 0043(略してガルバ4E)」下顎(図3)の外部および内部形態に関する以前の分析は、ホモ・ハビリスやホモ・ルドルフェンシス(Homo rudolfensis)やホモ・エルガスター(Homo ergaster)やホモ・エレクトスなど、さまざまな初期ホモ属種との類似性を特定してきました。ガルバ4E下顎はエナメル質に影響を及ぼす稀な遺伝的疾患(エナメル質形成不全)に影響を受けている、と発表されましたが、これは最近、シンクロトロン画像処理を用いて間違いと判明し、病理学的と以前に解釈された特徴は、むしろ化石生成論的過程の結果と示されました。医療用CT(Computed Tomography、コンピュータ断層撮影)走査に基づいて、先行研究は以前の評価を拡張し、歯の発達の連続、歯冠組織の割合、萌出していない永久歯列の歯の大きさ、歯の緻密骨の厚さを調べました。その結論は、ガルバ4E下顎標本がホモ・ハビリス/ホモ・ルドルフェンシスおよび広義のホモ・エレクトスと類似性を共有していた、というものでした。
本論文はシンクロトロンCTを用いて、エナメル質と萌出していない永久歯列のエナメル質および象牙質表面の高解像度の画像を作成しました。それは、これらが人類の歯における分類学的情報を最大化する、と示されてきたからです(関連記事)。第3および第4小臼歯と第1大臼歯のエナメル質と象牙質の接合部(enamel-dentine junction、略してEDJ)の三次元標識に基づく、幾何学的形態計測分析が実行されました。タンザニアとケニア両方のホモ・ハビリスの標本を決定的に含む拡張比較用標本に対して、ガルバ4E下顎標本の萌出していない永久歯列の比較もできました。以下は本論文の図3です。
永久歯の第3小臼歯のEDJ形態は、歯冠の高さと下顎大臼歯近心舌側咬頭の位置および相対的高さの類似性に基づいて、ホモ・エレクトスとの形態学的類似性を示します(図4A)。永久歯の第1大臼歯のEDJ形態は、アウストラロピテクス属とその後のホモ属との中間で、標本KNM-ER 992の最も近くに図示されます。これは、ホモ・エレクトスをホモ・ハビリスから区別する比較的減少した遠心咬頭を含む多くの特徴を反映しています(図4B)。永久歯の第4小臼歯のEDJ隆起は診断が難しく(歯は歯冠が完全ではなく、頚部を利用できないため)、ガルバ4E下顎標本はホモ・ハビリスおよびホモ・エレクトス両方との類似性を示します。両方の小臼歯(第3および第4小臼歯)は外側のエナメル質表面で標本KNM-WT 15000との強い類似性を示します。以下は本論文の図4です。
永久歯の犬歯は歯冠が完全ではありませんが、保存されたエナメル質の形態は標本KNM-ER 820などのホモ・エレクトス標本と類似しています。小臼歯と第1大臼歯の相対的な歯冠の大きさ(つまり、歯冠の大きさの類似した小臼歯)も、ホモ・エレクトスと類似しています(図4C)。現時点では、ホモ・ルドルフェンシスと決定的に帰属させられる資料(たとえば、標本KNM-ER 1482および1801と標本KNM-ER 60000)との比較は、限定的な標本数と下顎の多くの摩耗の保存状態/程度のため困難ですが、両者の歯列から測定可能なのは、ホモ・エレクトスとよりもホモ・ハビリスの方と類似している、と考えられます。全体的に、ガルバ4E下顎標本の外部および内部の形態の拡張分析は、ホモ・ハビリスではなくホモ・エレクトスへの帰属と一致します。
●考察
200万年前頃、ガルバ4E下顎標本はこれまでに発見された最古級のホモ・エレクトス化石の一つで、分類学的同定が、強い分類学的兆候を有すると知られている歯に基づいている、唯一の標本です。さらに、アフリカにおいてオルドワン石器のある塞がれた堆積物と直接的に関連しているのは、これが初めてです。同じインダストリーはその下のガルバ4遺跡F層でも見つかっており、ホモ・エレクトスの活動と考えられる完全に定着した行動を示しています。多くの小さな尖った石器と黒曜石の体系的な使用により、ガルバ4遺跡は他地域、とくにホモ・ハビリスの遺骸も発見された遺跡で見られる240万~160万年前頃のオルドワンとは著しく異なっています。
オルドワンと分類された6点の敲打された石器が、南アフリカ共和国北東部の世界遺産登録地域のドリモレン(Drimolen)古洞窟遺跡群で報告されており(関連記事)、204万年前頃の神経頭蓋が、ジャワ島東部のプルニン(Perning)遺跡のモジョケルト(Mojokerto)で発見された頭蓋との類似性に基づいてホモ・エレクトス近似種(Homo. aff. erectus)と分類されましたが(比較できる同様の年代のパラントロプス属頭蓋がないことに要注意です)、この遺跡はパラントロプス・ロブストス(Paranthropus robustus)遺骸が多くを占めているので、石器を製作した人類を確実に判断出来ません。
ケニアのクービフォラ(Koobi Fora)で発見された寛骨標本KNM-ER 3228は直接的に石器と関連していませんが、タンザニアのオルドヴァイ渓谷(Olduvai Gorge)にあるフィリップ・トビアス・コロンゴ(Philip Tobias Korongo、略してPTK)遺跡では、広義のホモ・エレクトスに分類されている標本OH 86の基節骨はオルドワン石器と関連しているものの、その年代は184万年前頃です。ホモ・ハビリスやパラントロプス属やアウストラロピテクス属のような人類の分類群が、アフリカ東部および南部の低地から中程度の標高(つまり、最高で海抜1500m)に生息しており、ドリモレンやオルドヴァイやクービフォラのようなホモ・エレクトスと共存していた可能性が高そうです。しかし、現在の研究に基づくと、ホモ・エレクトスのみがエチオピア高地もしくは海抜2000m以上で生息していた、と知られています。
200万年前頃(つまり、1925000年前頃となるオルドヴァイ/松山境界の前)には、大型剥片で製作された握斧や鉈状石器など、アシューリアン石器の製作への移行があります。以前には、統計モデルのみがそうした初期の年代を示唆してきましたが、野外研究に基づいて公開されたデータベースは、この技術の180万年前頃の開発を暫定的に指摘しました(関連記事1および関連記事2)。ガルバ4遺跡D層のデータから、アシューリアンはじっさいには180万年前頃よりも20万年ほど早く出現し、ガルバ4遺跡の初期アシューリアンの出現と地溝帯の初期アシューリアンの出現との間にはかなりの年代的間隙がある、と示唆されます。
オルドワンにおける小型剥片製作と比較して、技術的および文化的発展のこの大きな段階は、正確な探索とより大きな石器原形の管理の両方、および顕著により大きな剥片を製作する強度を示唆します。一部の大型剥片はその後で部分的に再加工され、他の大型剥片はより複雑な道具へと成形されました。メルカ・クンチュレ以外では、完全に敲打された握斧が、真の両側性および両面の均衡のとれた形状で、タンザニアの西FLKにおいて170万年前頃に記録されています。メルカ・クンチュレでは、初期アシューリアンはゴンボレIB(Gombore IB)でも発見されており、その年代はより新しい166万年前頃で、ここではひじょうに頑丈なホモ属の上腕骨が関連して発見されています。ガルバ4遺跡D層と同様に、完全に成形された握斧があり、これは、アシューリアンの最初の段階では精神的な雛型と両面成形の技術がすでに発達していたことを示唆しています。
アフリカの乾燥化は280万年前頃以後に始まり、人類集団に以前占めていた環境を越えて移動させることになったかもしれません。海抜2000m以上となるガルバ4遺跡のような高地環境は、個体を低酸素とより強い紫外線とより降水量が多くて寒冷な気候に曝します。最近の研究は100万年前頃までのホモ属化石の記録を調べ、より寒冷な環境でのより大きな身体サイズを予測する、ベルクマンの法則が適用されることを示します。より大きな身体と脳のホモ・エレクトスは恐らく、アウストラロピテクス属やホモ・ハビリスなどより小柄な人類よりも高地によく適応しました。さらに、高地の植生はサバンナとは異なっていますが、一部の動物種はある程度の固有性を証明します。高地に進出した人類は、これら新たな資源の知識の獲得が必要だったでしょう。植物利用に関する情報は保存されませんが、近くの森林では、果実や堅果や塊茎や根などの資源が得られたでしょう。ガルバ4遺跡D層から発見されたカバとウシ科の骨では、屠殺痕が検出されてきました。
ガルバ4遺跡で得られた化石と考古学の証拠から、ホモ・エレクトスは過酷な条件に対処できた、と示唆されます。つまり、ゴンボレIBでも記録されているように、最終的には石器製作の方法が変わり、アシューリアン技術複合の出現を定義する断片が形成されました。メルカ・クンチュレにおいてホモ・エレクトスによって作られた200万年前頃の石核と剥片の石器群により、その後でも小型剥片を依然として含み、握斧もしくは他の大型石器のない、アフリカ北部とアジアの石器群(関連記事1および関連記事2および関連記事3)を新たな観点に置くことができるようになります。そうした握斧や他の大型石器がなく、依然として小型剥片も含むような石器群は、より早期の拡大の結果か、ホモ・エレクトスとアシューリアンがエチオピア高地よりも後で出現した地域からの拡大を記録しているかもしれません。
サハラ砂漠以南のアフリカでは、ガルバ4遺跡D層の初期アシューリアンは、オルドワンおよびアシューリアンインダストリーが少なくとも30万年間共存していたことを意味しており、これは低地での石核および剥片石器群の製作者が誰だったのか、ということについての議論を復活させます。オルドヴァイのベッド2(Bed II)やミドルアワシュでは、さまざまな石器インダストリーを製作していたさまざまな人類の共存が提案されてきました。人類の化石記録は、地溝帯の低地から中程度の標高地帯、南アフリカ共和国の洞窟堆積物でなされた発見によりおもに占められています。メルカ・クンチュレから発見された化石および考古学的遺骸により、さまざまな古環境のあるアフリカ東部の高地は、ホモ・エレクトスの行動の理解に重要と論証されます。
200万年前頃、ガルバ4遺跡のホモ・エレクトスは保存に近い行動の特徴を保持していた、という証拠があります。200万年前頃のガルバ4遺跡のホモ・エレクトスは依然として石核および剥片石器群を製作していましたが、典型的なオルドワン技術複合とは異なる特徴がありました。その後195万年前頃には、初期アシューリアンが典型的な両面石器とともに出現しました。200万~190万年前頃には、メルカ・クンチュレ遺跡は、まずオルドワン技術を製作し、その後でアシューリアン技術を開発した、すぐに高地環境に適応したホモ・エレクトスの最初の証拠を提供します。
参考文献:
Mussi M. et al.(2023): Early Homo erectus lived at high altitudes and produced both Oldowan and Acheulean tools. Science, 382, 6671, 713–718.
https://doi.org/10.1126/science.add9115
●要約
アフリカでは、石器と直接的に関連して見つかった人類遺骸が少ないため、ホモ・ハビリス(Homo habilis)とホモ・エレクトスを特定の石器インダストリーと関連づける試みが妨げられてきました。エチオピアの高地のメルカ・クンチュレ(Melka Kunture)層のガルバ4(Garba IV)遺跡のE層で発見された乳児下顎はこの問題にとって重要で、それは、オルドワン石器インダストリーと直接的に関連しているからです。本論文はシンクロトロン画像処理を用いて、萌出していない永久指令の内部無形態を調べ、ホモ・エレクトスとの同定を確証します。本論文はさらに、古磁気年代を推定し、(1)E層の下顎は200万年前頃で、最古のホモ・エレクトス化石の一つを表しており、(2)195万年前頃となるその上のD層には、最古となる既知のアシューリアン石器群が含まれる、と示します。
●研究史
メルカ・クンチュレ複合は、海抜2200mのエチオピア高原のアワッシュ川上流に数万km²にわたって広がる、先史時代遺跡のまとまりで構成されます(図1A)。この高地では更新世の気候は、ホモ属の初期種のほとんどの化石が発見されている地溝帯の低高度地帯よりも寒冷で湿潤だったでしょう。その古植生はアフロモンタン(Afromontane)複合に属しており、森林から大草原および低草原地帯に及んでおり、その植物種は、より乾燥してより温暖な環境のより低い高度で発達したアフリカのサバンナとは異なっています。この地域の地形の起伏の程度は、高地が比較的孤立していたことを意味しており、固有の哺乳類亜種の出現につながりました。以下は本論文の図1です。
1981年に、乳児下顎がガルバ4遺跡のE層で発見されましたが、それがどの人類種を表しているのかは、議論の対象となってきました。本論文では、ガルバ遺跡の堆積物の地質年代学的状況が再調査され、オルドワンおよびアシューリアン石器群が特徴づけられ、動物相遺骸群と花粉学の分析に基づいてガルバ遺跡の古生態学的状況が提示され、下顎の分類学的類似性が再評価されます。本論文の目的は、いつ、どのように、どの人類種が、前期更新世および関連するオルドワンからアシューリアン技術複合への移行において、メルカ・クンチュレの高地環境に最初に適応で来たのか、判断することです。サバンナや低地に限定せず、当時の環境の知識を広げることは、ホモ・エレクトスがアフリカからどのように拡大できたのか、理解することと関連しています。
●層序と年代
多層のガルバ4遺跡の堆積物層序は、移動する古アワシュ(Awash)水路および関連する氾濫事象により影響を受け、火山灰の堆積にも影響を受けた、氾濫原に位置する浅い池や水たまりに近い、礫などが残留するラグ堆積物な人類の活動を記録しています。ガルバ4遺跡は、アワシュ川の季節的な支流により切り込まれた、小さなガルバ小峡谷の入口に位置しています。本論文はここを、小峡谷の層序系列の基部に位置する3つの主要な考古学的層と呼びます(図1B)。F層とE層には非ヒト動物および人類遺骸とオルドワン石器があります。D層には非ヒト動物遺骸と前期アシューリアンインダストリーがあります。アルゴン(Ar)の同位体比(⁴⁰Ar/³⁹Ar)と予備的な磁気層序分析では以前に、これらの層が170万±20万年前の直前および直後と年代測定されましたが、その年代は充分には制約されませんでした。
新たな磁気層序研究では最近、これらの層の年代が確証されました。この層序では、オルドヴァイ/松山境界(1925000年前頃)と松山/レユニオン(Reunion)境界(2116000年前頃)の両方が特定され、これは、考古学的な3層序の上限年代と下限年代を提供します。オルドヴァイ/松山境界はD層の上で観察されました。推定堆積率と堆積物蓄積のモデルを用いると特定の年代は、F層が202万年前頃(-95000、+9600年前)、E層が200万年前頃(-7500、+10万年前)、D層が195万年前頃(-25000、+10万年前)と計算されました(図1C・D)。D~F層のこれらずっと古い年代は、ガルバ4遺跡で発見された考古学と人類化石の解釈に重要な意味を持っています。
●考古学
ガルバ4遺跡のE層(200万年前頃)が1981年にまず検証され、34m²が最終的に露出し、その下のF層(202万年前頃)の12m²の追加の露出がありました。EおよびF層では両方とも豊富なオルドワン石器が発見され、関連する下顎は、前期更新世の人工遺物と直接的に関連する人類遺骸の一つを表しています。この下顎はE層で発掘され、E層はよく確立した層序系列内の塞がれた層です(図1C・D)。この人工遺物はほぼ黒曜石の丸石および小石で作られており、局所的な沖積堆積物で利用可能な岩から優先的に選択されています。これらの多くは小さな剥片で、長さはほぼ20~50mm、約30%は再加工され、小さな尖った石器に変わりました(図2Aの3~5)。以下は本論文の図2です。
E層の上のD層では、1973以降75 m²程度まで発掘され、195万年前頃と再年代測定されました。D層の7000点の石器はその下のオルドワン石器群とは、大型剥片(つまり、最大長もしくは幅が100mm超)の割合で異なっています。真の握斧(ハンドアックス)や鉈状石器や、大型剥片に形成された大型掻器もしくは刃など他の種類の大型の切断用石器(Large Cutting Tools、略してLCT)があります。大型剥片およびLCTは分析された石器群の約1%を構成していますが(大型剥片は41点、LCTは23点)、その下に位置するオルドワン石器群からの技術的移行の理解と関連しています。大型剥片やLCTの製作を含む石器群の特徴から、これは前期アシューリアンと特定されます。したがって、ガルバ4遺跡は、この独特な高地古環境における、5万~10万年間にわたるオルドワンとアシューリアンの石器製作間の急速な変化を記録しています。
●古生態学
ガルバ4遺跡の植生は乾燥常緑アフロモンタン森林および草原複合に属しており、これは現在、アフリカ東部の海抜1800m超の山脈で発達しています。180万年前頃あるいは恐らくそれよりも早く、花粉学はメルカ・クンチュレ地域において低木の多い森林地帯が斑状の草原と交互に変わっていた、と示唆しています。より開けた植生と山岳草原が続き、それはガルバ4遺跡のD層の堆積中にさらに拡大しました。アフロモンタン植生は大きな日中温度差のある山岳気候で発達し、低地のサバンナもしくは森林とは異なる植物種をもたらします。
EおよびF層の哺乳類遺骸はひじょうに断片化されており、種水準の同定は稀です。D層から得られた化石標本はより大きいものの、3つの遺骸群を生態学的に区別できません。E層で稀に見られるのは絶滅したジャコウネコ(Pseudocivetta ingens)で、アフリカ東部の240万~150万年前頃のいくつかの遺跡でも知られています。ゲラダヒヒ属(Theropithecus)はメルカ・クンチュレではたへん稀な属で、D層の単一の標本により表されます。D層では、有蹄類は大型のカバと草本を採食するウシ科が優占し、そのうちほぼ90%がハーテビーストおよびブラックバックで、明らかに開けた環境を示しており、比較的高頻度のウマ科と一致します。D層から得られたカバ(11点)とウシ科(1点)とウマ科(1点の歯)歯のエナメル質の炭素(C)の炭素同位体比(¹³C/¹²C)の測定も、開けた環境と一致します。その結果、カバとウシ科とウマ科はC1植物を消費している、と示され、C4の高地の草原が示唆されます。
E~F層で得られたウシ科の資料は、一般的な分類階級を超えて同定できませんが、D層のハーテビースト亜科(ヌーとササビー)は同時代のアフリカ東部の低地遺跡で知られているハーテビースト亜科と近いものの、少なくとも亜種水準では異なっています。したがって、動物相記録はエチオピア高地の一部の固有性を証明しており、これはこの古環境における人類進化および生計に取り組むさいに考慮すべき要因です。
●ガルバ4遺跡E層下顎の分類学
「MK 81 GAR IVE 0043(略してガルバ4E)」下顎(図3)の外部および内部形態に関する以前の分析は、ホモ・ハビリスやホモ・ルドルフェンシス(Homo rudolfensis)やホモ・エルガスター(Homo ergaster)やホモ・エレクトスなど、さまざまな初期ホモ属種との類似性を特定してきました。ガルバ4E下顎はエナメル質に影響を及ぼす稀な遺伝的疾患(エナメル質形成不全)に影響を受けている、と発表されましたが、これは最近、シンクロトロン画像処理を用いて間違いと判明し、病理学的と以前に解釈された特徴は、むしろ化石生成論的過程の結果と示されました。医療用CT(Computed Tomography、コンピュータ断層撮影)走査に基づいて、先行研究は以前の評価を拡張し、歯の発達の連続、歯冠組織の割合、萌出していない永久歯列の歯の大きさ、歯の緻密骨の厚さを調べました。その結論は、ガルバ4E下顎標本がホモ・ハビリス/ホモ・ルドルフェンシスおよび広義のホモ・エレクトスと類似性を共有していた、というものでした。
本論文はシンクロトロンCTを用いて、エナメル質と萌出していない永久歯列のエナメル質および象牙質表面の高解像度の画像を作成しました。それは、これらが人類の歯における分類学的情報を最大化する、と示されてきたからです(関連記事)。第3および第4小臼歯と第1大臼歯のエナメル質と象牙質の接合部(enamel-dentine junction、略してEDJ)の三次元標識に基づく、幾何学的形態計測分析が実行されました。タンザニアとケニア両方のホモ・ハビリスの標本を決定的に含む拡張比較用標本に対して、ガルバ4E下顎標本の萌出していない永久歯列の比較もできました。以下は本論文の図3です。
永久歯の第3小臼歯のEDJ形態は、歯冠の高さと下顎大臼歯近心舌側咬頭の位置および相対的高さの類似性に基づいて、ホモ・エレクトスとの形態学的類似性を示します(図4A)。永久歯の第1大臼歯のEDJ形態は、アウストラロピテクス属とその後のホモ属との中間で、標本KNM-ER 992の最も近くに図示されます。これは、ホモ・エレクトスをホモ・ハビリスから区別する比較的減少した遠心咬頭を含む多くの特徴を反映しています(図4B)。永久歯の第4小臼歯のEDJ隆起は診断が難しく(歯は歯冠が完全ではなく、頚部を利用できないため)、ガルバ4E下顎標本はホモ・ハビリスおよびホモ・エレクトス両方との類似性を示します。両方の小臼歯(第3および第4小臼歯)は外側のエナメル質表面で標本KNM-WT 15000との強い類似性を示します。以下は本論文の図4です。
永久歯の犬歯は歯冠が完全ではありませんが、保存されたエナメル質の形態は標本KNM-ER 820などのホモ・エレクトス標本と類似しています。小臼歯と第1大臼歯の相対的な歯冠の大きさ(つまり、歯冠の大きさの類似した小臼歯)も、ホモ・エレクトスと類似しています(図4C)。現時点では、ホモ・ルドルフェンシスと決定的に帰属させられる資料(たとえば、標本KNM-ER 1482および1801と標本KNM-ER 60000)との比較は、限定的な標本数と下顎の多くの摩耗の保存状態/程度のため困難ですが、両者の歯列から測定可能なのは、ホモ・エレクトスとよりもホモ・ハビリスの方と類似している、と考えられます。全体的に、ガルバ4E下顎標本の外部および内部の形態の拡張分析は、ホモ・ハビリスではなくホモ・エレクトスへの帰属と一致します。
●考察
200万年前頃、ガルバ4E下顎標本はこれまでに発見された最古級のホモ・エレクトス化石の一つで、分類学的同定が、強い分類学的兆候を有すると知られている歯に基づいている、唯一の標本です。さらに、アフリカにおいてオルドワン石器のある塞がれた堆積物と直接的に関連しているのは、これが初めてです。同じインダストリーはその下のガルバ4遺跡F層でも見つかっており、ホモ・エレクトスの活動と考えられる完全に定着した行動を示しています。多くの小さな尖った石器と黒曜石の体系的な使用により、ガルバ4遺跡は他地域、とくにホモ・ハビリスの遺骸も発見された遺跡で見られる240万~160万年前頃のオルドワンとは著しく異なっています。
オルドワンと分類された6点の敲打された石器が、南アフリカ共和国北東部の世界遺産登録地域のドリモレン(Drimolen)古洞窟遺跡群で報告されており(関連記事)、204万年前頃の神経頭蓋が、ジャワ島東部のプルニン(Perning)遺跡のモジョケルト(Mojokerto)で発見された頭蓋との類似性に基づいてホモ・エレクトス近似種(Homo. aff. erectus)と分類されましたが(比較できる同様の年代のパラントロプス属頭蓋がないことに要注意です)、この遺跡はパラントロプス・ロブストス(Paranthropus robustus)遺骸が多くを占めているので、石器を製作した人類を確実に判断出来ません。
ケニアのクービフォラ(Koobi Fora)で発見された寛骨標本KNM-ER 3228は直接的に石器と関連していませんが、タンザニアのオルドヴァイ渓谷(Olduvai Gorge)にあるフィリップ・トビアス・コロンゴ(Philip Tobias Korongo、略してPTK)遺跡では、広義のホモ・エレクトスに分類されている標本OH 86の基節骨はオルドワン石器と関連しているものの、その年代は184万年前頃です。ホモ・ハビリスやパラントロプス属やアウストラロピテクス属のような人類の分類群が、アフリカ東部および南部の低地から中程度の標高(つまり、最高で海抜1500m)に生息しており、ドリモレンやオルドヴァイやクービフォラのようなホモ・エレクトスと共存していた可能性が高そうです。しかし、現在の研究に基づくと、ホモ・エレクトスのみがエチオピア高地もしくは海抜2000m以上で生息していた、と知られています。
200万年前頃(つまり、1925000年前頃となるオルドヴァイ/松山境界の前)には、大型剥片で製作された握斧や鉈状石器など、アシューリアン石器の製作への移行があります。以前には、統計モデルのみがそうした初期の年代を示唆してきましたが、野外研究に基づいて公開されたデータベースは、この技術の180万年前頃の開発を暫定的に指摘しました(関連記事1および関連記事2)。ガルバ4遺跡D層のデータから、アシューリアンはじっさいには180万年前頃よりも20万年ほど早く出現し、ガルバ4遺跡の初期アシューリアンの出現と地溝帯の初期アシューリアンの出現との間にはかなりの年代的間隙がある、と示唆されます。
オルドワンにおける小型剥片製作と比較して、技術的および文化的発展のこの大きな段階は、正確な探索とより大きな石器原形の管理の両方、および顕著により大きな剥片を製作する強度を示唆します。一部の大型剥片はその後で部分的に再加工され、他の大型剥片はより複雑な道具へと成形されました。メルカ・クンチュレ以外では、完全に敲打された握斧が、真の両側性および両面の均衡のとれた形状で、タンザニアの西FLKにおいて170万年前頃に記録されています。メルカ・クンチュレでは、初期アシューリアンはゴンボレIB(Gombore IB)でも発見されており、その年代はより新しい166万年前頃で、ここではひじょうに頑丈なホモ属の上腕骨が関連して発見されています。ガルバ4遺跡D層と同様に、完全に成形された握斧があり、これは、アシューリアンの最初の段階では精神的な雛型と両面成形の技術がすでに発達していたことを示唆しています。
アフリカの乾燥化は280万年前頃以後に始まり、人類集団に以前占めていた環境を越えて移動させることになったかもしれません。海抜2000m以上となるガルバ4遺跡のような高地環境は、個体を低酸素とより強い紫外線とより降水量が多くて寒冷な気候に曝します。最近の研究は100万年前頃までのホモ属化石の記録を調べ、より寒冷な環境でのより大きな身体サイズを予測する、ベルクマンの法則が適用されることを示します。より大きな身体と脳のホモ・エレクトスは恐らく、アウストラロピテクス属やホモ・ハビリスなどより小柄な人類よりも高地によく適応しました。さらに、高地の植生はサバンナとは異なっていますが、一部の動物種はある程度の固有性を証明します。高地に進出した人類は、これら新たな資源の知識の獲得が必要だったでしょう。植物利用に関する情報は保存されませんが、近くの森林では、果実や堅果や塊茎や根などの資源が得られたでしょう。ガルバ4遺跡D層から発見されたカバとウシ科の骨では、屠殺痕が検出されてきました。
ガルバ4遺跡で得られた化石と考古学の証拠から、ホモ・エレクトスは過酷な条件に対処できた、と示唆されます。つまり、ゴンボレIBでも記録されているように、最終的には石器製作の方法が変わり、アシューリアン技術複合の出現を定義する断片が形成されました。メルカ・クンチュレにおいてホモ・エレクトスによって作られた200万年前頃の石核と剥片の石器群により、その後でも小型剥片を依然として含み、握斧もしくは他の大型石器のない、アフリカ北部とアジアの石器群(関連記事1および関連記事2および関連記事3)を新たな観点に置くことができるようになります。そうした握斧や他の大型石器がなく、依然として小型剥片も含むような石器群は、より早期の拡大の結果か、ホモ・エレクトスとアシューリアンがエチオピア高地よりも後で出現した地域からの拡大を記録しているかもしれません。
サハラ砂漠以南のアフリカでは、ガルバ4遺跡D層の初期アシューリアンは、オルドワンおよびアシューリアンインダストリーが少なくとも30万年間共存していたことを意味しており、これは低地での石核および剥片石器群の製作者が誰だったのか、ということについての議論を復活させます。オルドヴァイのベッド2(Bed II)やミドルアワシュでは、さまざまな石器インダストリーを製作していたさまざまな人類の共存が提案されてきました。人類の化石記録は、地溝帯の低地から中程度の標高地帯、南アフリカ共和国の洞窟堆積物でなされた発見によりおもに占められています。メルカ・クンチュレから発見された化石および考古学的遺骸により、さまざまな古環境のあるアフリカ東部の高地は、ホモ・エレクトスの行動の理解に重要と論証されます。
200万年前頃、ガルバ4遺跡のホモ・エレクトスは保存に近い行動の特徴を保持していた、という証拠があります。200万年前頃のガルバ4遺跡のホモ・エレクトスは依然として石核および剥片石器群を製作していましたが、典型的なオルドワン技術複合とは異なる特徴がありました。その後195万年前頃には、初期アシューリアンが典型的な両面石器とともに出現しました。200万~190万年前頃には、メルカ・クンチュレ遺跡は、まずオルドワン技術を製作し、その後でアシューリアン技術を開発した、すぐに高地環境に適応したホモ・エレクトスの最初の証拠を提供します。
参考文献:
Mussi M. et al.(2023): Early Homo erectus lived at high altitudes and produced both Oldowan and Acheulean tools. Science, 382, 6671, 713–718.
https://doi.org/10.1126/science.add9115
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