トラの進化史

 トラ(Panthera tigris)の進化史に関する研究(Sun et al., 2023)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。大型捕食動物であるトラは、同じヒョウ属のライオン(Panthera leo)とともに古くからヒトに畏怖されてきたようで、現在でも関心は高いようです。本論文は、現代だけではなく古代のトラの核ゲノムとミトコンドリアゲノムも報告してトラの進化史を推測するとともに、それが現在絶滅危惧種とされているトラの保護と回復にも重要であることを指摘しており、今後のトラの進化史の研究とともに、トラの保護と回復が進むことも期待されます。


●要約

 トラ(Panthera tigris)はアジアに起源があり多様化し、恐らくは現代のトラの低い遺伝的多様性をもたらした、更新世における個体数の縮小と拡大を経た、威信的な大型動物種です。しかし、古代の個体群におけるゲノム多様性のパターンについてはほとんど知られていません。この研究は、アジア本土全域で収集された古代もしくは歴史時代(10000~100年前頃)の標本の全ゲノム配列を生成し、その中には、10600年前頃となるロシア極東標本(RUSA21、網羅率は8倍)に加えて、6頭の古代のミトコンドリアゲノム、14頭の中国南部のトラ(網羅率は0.1~12倍)、3頭のカスピトラ(網羅率は4~8倍)が含まれます。

 混合分析から、RUSA21は現代のアジア北東部系統集団とクラスタ化し(まとまり)、部分的に絶滅した後期更新世系統に由来していた、と示されました。10000~8000年前頃のロシア極東のトラのミトコンドリアゲノムの一部は全てのトラの基底部に位置しますが、2000年前頃の標本1点は現在のアムールトラと類似しています。系統ゲノム分析から、カスピトラは恐らく祖先のアジア北東部個体群から拡散し、南ベンガルトラからの遺伝子流動を経た、と示唆されました。

 最後に、ゲノム規模単系統はミトコンドリアの側系統にも関わらず中国南部のトラを別亜種として裏づけたので、その長きにわたる分類学的論争が解決しました。生物地理学的モデル化により裏づけられるミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)の分布から、中国南西部は残存基底部系統にとって後期更新世の退避地だった、と示唆されました。適切な生息地が戻るにつれて、中国南部のトラの分岐した系統間の混合が中国東部で起き、他の北方亜種の進化を促進しました。まとめると、本論文における古代のトラのゲノム解析はトラの進化史に光を当て、現代の9亜種の存在を裏づけます。


●研究史

 現代のネコ科の放散は、最終的に現在の唸声ネコ科5種を生み出した古代の系統からの分岐とともに始まり、具体的には、ライオンとジャガー(Panthera onca)とユキヒョウ(Panthera uncia)とヒョウ(Panthera pardus)とトラです。他の大陸に広がって頂点捕食者となった一部の同属種とは異なり、トラはアジアのジャングルで誕生し、進化して、留まりました。トラかもしれない化石記録は中国北部とインドネシアのジャワ島では200万年前頃となる前期更新世にまでさかのぼり、トラ的なネコ科であるパンテーラ・ズダンスキイ(Panthera zdanskyi)がトラとみなされるならば、恐らくは鮮新世と更新世の境界である260万~220万年前頃にまでさかのぼります。かつては広く存在したにも関わらず、おそらくは中期~後期更新世における氷河と気候変動がトラの範囲の繰り返しの縮小と拡大を引き起こし、トラ種の相対的に低いゲノム多様性と上限で11万年前頃となる現生トラのミトコンドリアの合着(合祖)年代をもたらしました。最近の合着年代は、トラの小さな長期の有効個体群規模を示し、古代のトラには現在のトラから失われ遺伝的多様性があった可能性を示唆します。

 異質な景観全体の孤立に続く後期更新世の縮小後の拡大の波は、トラの現在の生物地理学的パターンに寄与したかもしれません。歴史的には、トラの9亜種が西方のカスピ海とアラル海から東方のアジア北東部と南方のスンダ諸島まで生息していました(図1)。しかし、20世紀には生息地喪失と断片化と狩猟により、現在では野放しのトラの数はおそらく10万頭以上から4000頭未満に減少しました。バリトラ(Panthera tigris balica、略称はBAL)とカスピトラ(Panthera tigris virgata、略称はVIR)とジャワトラ(Panthera tigris sondaica、略称はSON)はすべて現在では絶滅しており、中国南部のアモイトラ(Panthera tigris amoyensis、略称はAMO)は野生では30年以上観察されていません。最近のゲノム規模進化分析は、この範囲全体でのひじょうに限定的な遺伝子流動を確証し、現生6亜種を裏づけました。つまり、アムールトラ(Panthera tigris altaica、略称はALT)、インドシナトラ(Panthera tigris corbetti、略称はCOR)、マレートラ(Panthera tigris jacksoni、略称はJAX)、スマトラトラ(Panthera tigris sumatrae、略称はSUM)、ベンガルトラ(Panthera tigris tigris、略称はTIG)です。選択の兆候はいくつかの亜種でも明らかにされてきており、恐らくはさまざまな生態系への局所的適応と関連しています。以下は本論文の図1です。
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 トラの自然史を完全に解明するには、いくつかの疑問が残っています。第一に、種の年代とそのmtDNAの合着との間の対照から、古代のトラのゲノム多様性と個体群動態は現生トラとは異なっていたかもしれない、と示唆されます。第二に、現代のトラの系統発生分析は、スマトラ島とジャワ島とバリ島のトラを単系性クレード(単系統群)にクラスタ化し(まとめて)、スンダ島【更新世の寒冷期には、ジャワ島やスマトラ島やボルネオ島などはユーラシア大陸南東部と陸続きでスンダランドを形成していました】への単一の古代の移住事象が裏づけられますが、アジア本土のトラの進化経路はより複雑です。たとえば、mtDNAの遺伝子配列決定から、絶滅したカスピはアムールトラとほぼ区別できない、と示唆されました。頭蓋計測分析は、カスピトラと他のアジア本土亜種との間の広範な重複を示しており、カスピトラ亜種の起源が定まらないことを示唆しています。最後に、現代の亜種の以前の集団ゲノム解析は、全ての他の亜種の基底部に位置する中国南部のトラのmtDNA系統と、インドネシアのトラと類似した別の分岐系統を明らかにしました。この側系統が中国南部のトラの起源における混合した祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)か、あるいはインドネシアと中国南部のトラ間の定義不充分な地理的境界に起因するのかどうかは、確認された遺伝形質の証拠標本の明確な評価が必要でしょう。全体的に、古代の標本からのゲノム規模データがトラの進化の完全な理解の構築に重要である、という可能性が高そうです。

 過去10年間で、古代DNA研究においてかなりの進歩があり、今では100万年以上前にさかのぼる絶滅哺乳類からのゲノム情報回収が可能になりました(関連記事)。古代DNAは、剣歯虎(関連記事)や後期更新世の全北区ライオン(関連記事)やヨーロッパの後期更新世のヒョウを含めてネコ科から回収されてきました。しかし、これまでのところ、更新世~前期完新世のトラ標本から回収された全ゲノムは1頭だけで、これは部分的には、温帯~熱帯の森林生物群系とトラの分布の重複に起因し、そうした環境では、標本はより寒冷な地域よりも保存される可能性が低くなります。

 トラのより包括的な進化史を解明するため、広い地理的範囲と時間規模にまたがる60点以上の標本から高品質なゲノムが収集および生成され、その中には、アジア北東部で発掘された動物考古学/古代(つまり、10000~1000年前頃)と、アジア中央部および東部に由来する歴史時代(つまり、過去100年間)の博物館標本の両方の遺骸が含まれます(図1)。これらの標本は、10600年前頃となるロシア極東(Russian Far East、略してRFE)の1頭と1905年に指定された中国南部のトラの正基準標本を含めて、アジア本土全域にわたるトラの拡散と生息の理解に重要です。現存亜種の刊行されたゲノムと合わせて、生物地理学的退避地が明らかになり、トラ亜種の系統発生と分類学における長年の論争が解決され、初めて中国をトラ亜種がアジア=などで確立した飛び石もしくは「坩堝」として解明しました。

 野生トラにとって最適な保護戦略は、回廊の確立もしくはトラが絶滅した景観への再導入計画の実行を含んでいるかもしれません。この目的のため、古代DNAの観点からのトラ種進化史の理解は、もはや存在しないゲノム多様性のパターンと接続性を解明する見込みがあり、それは次に、現生亜種により生き残っている象徴的な種【トラ】を保存するための、現在の保護努力を導くかもしれません。


●絶滅および現存トラのゲノムデータセット

 古代ロシア極東(RFE)のネコ科化石遺骸25点のうち7点からゲノム配列が回収され、その内在性DNAの信頼性が評価されました。最終的なRFEのトラのゲノムデータセットには、レタチャヤ・ミシュ洞窟(Letuchaya Mysh Cave)で発掘された指骨から回収された網羅率8倍の全ゲノムアセンブリ1点(RUSA21)と、RNAプローブ標的捕獲濃縮により得られたミトコンドリアゲノム6点が含まれます(図1)。RUSA21は放射性炭素年代測定では10600年前頃で、他の6点の標本の年代は8600~1800年前頃です。

 アモイトラやカスピトラやジャワトラやバリトラを含めて、何世紀もの時間規模にわたるゲノム配列決定データが得られました(図1)。11点のアモイトラ標本は、中国の湖北省漢口で収集された正基準標本1点と副基準標本3点を含めて、1~12倍の網羅率で配列決定されました。ウズベキスタンとカザフスタンに由来するカスピトラ標本3点は、網羅率4~8倍で配列決定されました。亜種と診断される部位を含む部分的なmtDNA断片でアモイトラの博物館標本16点も配列決定され、次世代配列決定データを用いて、古代の標本から2点のmtDNAと、17点の新規標本を含む39点のミトコンドリアゲノムが生成されました。


●細胞核不一致で分割される異なる亜種

 全毛の系統発生(図2a)が、常染色体中立領域で特定された120万ヶ所の異性塩基対置換(transversion、プリン塩基、つまりアデニンおよびグアニンと、ピリミジン塩基、つまりシトシンとチミンとの間の置換)に基づいて再構築されました。先行研究と一致して、スマトラ島の亜種(スマトラトラ)が最初の分枝で、それに続くのが、インド亜大陸へのベンガルトラの分岐と、中国およびインドシナ半島のアムールトラの拡大で、最新の分岐はインドシナ半島(インドシナトラ)とマレー半島(マレートラ)のトラ間で起きました。以下は本論文の図2です。
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 さらに、ひじょうに異なる5亜種のうち、絶滅したアモイトラとカスピトラの新たに生成されたゲノムはそれぞれ、単系性クレードを形成するので、亜種分類および分類学的指定と一致する堅牢なゲノム規模の証拠を提供します。ゲノム規模の常染色体系統発生は、アモイトラの標本11点のうち9点を高度に裏づけられたクレードに位置づけ、次にアムールトラと一致します。アモイトラの外れ値の標本2点(Y14とNGH2)は、アジア南東部クレード(インドシナトラとマレートラ)への外群としてクラスタ化し、恐らくはインドシナトラと隣接する接触地帯における中国南西部起源を反映しています。カスピトラを構成する一群はベンガルトラ分枝との姉妹クレードを形成しますが、カスピトラとベンガルトラの関連へのブートストラップの裏づけは統計的に有意ではありませんでした(図2a)。

 興味深いことに、ミトコンドリアゲノムの系統発生は異なる進化史を明らかにしており、細胞核の不一致が絶滅したトラから得られた本論文の全標本で示されました(図2b)。常染色体系統発生により示唆されるカスピトラとベンガルトラの関連とは対照的に、カスピトラの正基準標本2点はアモイトラの正基準標本1点およびアムールトラとクラスタ化します(図2b)。単系性の代わりに、5つの側系統mtHgがアモイトラの標本14点で検出され、これら14点は全ての現存トラ亜種の基底部の明確なクレード(7点)か、ベンガルトラを除いて、それぞれ主要なアジア本土のトラのmtHgと一致します。さらに、アモイトラの16点の歴史時代の標本16から部分的なmtDNA配列が回収され、亜種診断部位に基づくと類似のmtDNA多様性が得られました(図1)。常染色体の単系性とは著しく対照的に、アモイトラ30頭から得られたmtDNAのハプロタイプは、4種類の標本内でさえ一貫して側系統を示しました。とくに、中国東部の湖北省漢口から収集された正基準標本(3311)は、カスピトラと最も密接に関連していました。全標本は一般的にアモイトラの範囲内に地理的起源をたどれたので、細胞核の不一致は、以前に示唆されたように飼育下で人為的にもたらされた混合ではなく、複雑な個体群史と一致する自然個体群の固有の特徴である、と推測されました。

 集団遺伝学的構造の分析は、現代のトラにおける亜種区分へのさらなる裏づけを提供しました。トラの明確な構造が、それぞれ自身のクラスタを形成したアモイトラとカスピトラを含めて、主成分分析(principal component analysis、略してPCA)で観察され(図3a)ました。ADMIXTUREは、集団の数であるK(系統構成要素数)を7に設定すると、トラのゲノムをその愛種分類にしたがって分類しました(図3b)。常染色体系統発生ではインドシナトラのクレード内に収まる中国南西部の同じトラ標本2点(Y14とNGH2)も、インドシナトラと関連する半分以上の遺伝的同一性を示し、これは接触地帯の位置に起因する可能性が最も高そうです。全体的に、カスピトラとアモイトラは核ゲノム規模の系統発生と集団ゲノムの示差性を示し、これは亜種としての伝統的分類を裏づけます。以下は本論文の図3です。
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●1万年以上前となる古代RFEトラの個体群動態

 網羅率8.1倍で高品質な古代ゲノムが生成された、ロシア極東(RFE)で発掘された10600年前頃となるトラの標本(RUSA21)は、同じ地域の現代のアムールトラとだけではなく、さらに南方のトラ集団とも遺伝的類似性を有していました。常染色体系統発生では、RUSA21は同じ地域の現在のアムールトラとクラスタ化し、ともに単系性のアモイトラ集団の姉妹クレードを形成しました(図2a)。しかし、PCAでは、RUSA21はアモイトラと関連しており、同じ地域の現代のアムールトラとは関連していませんでした(図3a)。ADMIXTURE分析も、RUSA21における高度に混合した背景を論証し、アモイトラ的な構成要素の割合が最大にも関わらず、ほぼ全てのアジア本土のトラ亜種からの構成要素が含まれます(図3b)。

 D統計からはさらに、現代の亜種とRUSA21との間の遺伝子流動の程度は、現代の2亜種間の遺伝子流動と比較して小さく(図4)、いくつかの外群的で深く分岐した「亡霊(ghost)」系統との類似性が示唆されました。古代のアムール川流域のトラ(RUSA)と現代のアムールトラ(ALT)が全ての他のアジア本土のトラ(集団X)へとクラスタ化された核系統発生の枠組みに従うと、D統計は、現代と古代の集団間と比較して、アムールトラと他のアジア本土亜種との間の過剰な水準のアレル(対立遺伝子)共有を推測しました(図4b)。あるいは、ゼロ未満の有意なD統計値は、古代のトラと外群との間での過剰な量のアレル共有として解釈できる可能性があり、これは、現代のトラ系統が古代のRFEトラに寄与したよりも早く分岐した、アジア東部における祖先の「亡霊系統」の遺伝的寄与を反映しているかもしれません。単体標本ですが、RUSA21で明らかになった多様性パターンは、RFE地域における、現代の同地域のトラとは異なる、古代のトラ集団ゲノム祖先系統を明らかにしました。以下は本論文の図4です。
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 本論文の標本抽出されたスーダンRFEトラのミトコンドリアゲノム配列は、10600年前頃と8600年前頃と1800年前頃と現在と、さまざまな地質学的機関にまたがっており、集団のゲノム多様性の時間的動態を明らかにします(図2bおよび図5)。さまざまな標本にわたる配列の同一性と発掘場所と放射性炭素年代測定の一貫性から、RFEの古代のトラ標本7点(RUSA)は3個体もしくは母系に属し、2クラスタに相当する、と裏づけられました(図1)。2つの密接に関連するmtDNAハプロタイプ、つまりテトゥヒンスカヤ洞窟(Tetukhinskaya Cave)の8600年前頃となる4点の標本(RUSAの04と06と12と14)により共有されている古代_MT2と、レタチャヤ・ミシュ洞窟の10600年前頃となる標本2点(RUSAの21と23)で構成される古代_MT3は、独特なアモイトラ系統と91500年前頃(95%信頼区間で137000~53900年前)と古くに合着し(図5a)、全ての現代のトラの基底部に位置するmtDNAクレードを形成します。対照的に、より新しい標本(レタチャヤ・ミシュ洞窟で発見された1800年前頃のRUSA20)は、同じ地域の現存アムールトラと密接に関連するmtDNAハプロタイプ(古代_MT1)を有しており、このmtDNAの2系統は最新共通祖先(most recent common ancestor、略してTMRCA)を16100年前頃(95%信頼区間で26200~6700年前)に有していました(図5a)。したがって、RFEトラ標本の古代の3点と現代の1点は1万年間の年代にまたがり、その生息範囲の北東端でトラの集団遺伝学的動態の一部を再現しているかもしれません。以下は本論文の図5です。
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 限定的な標本抽出にも関わらず、10600年前頃と8600年前頃と1800年前頃との間のmtDNA系統の時間的変遷は明らかで、中国の東部および北部からRFEへの最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)後の移動の波というシナリオと一致します。1万年前頃の古代RFE標本は恐らく、LGM後の生態学的地位モデル化(ecological niche modelling、略してENM)に基づくと、トラの生息範囲の北東端への拡大の初期の波の一つを表していました。RUSA21の遺伝的祖先系統は、現代のトラでは基底部に位置して存在しない初期の分岐系統は、現存アムールトラと関連する系統からの寄与を含んでいました(図4c)。ENMに基づく生息地モデル化は残存トラ系統を維持したかもしれない、氷期極大期における退避地の存在を極東アジア(現在の日本列島)に予測しました(図6)。RFEの南側の退避地の存在可能性は、ナキウサギとムササビの新固有種や、早くも前期更新世にその領域の残りでは絶滅した種の後期更新世の洞窟堆積物でも証明されています。より最近では、1800年前頃~現在のRFEトラ間の進化的関連が、現代のアムールトラの確立と、過去2000年にわたるこの地域の集団遺伝学的連続性の証拠を提供しました。以下は本論文の図6です。
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●カスピトラの進化的起源

 本論文は全ゲノムの観点から西端の範囲のトラの進化史を初めて解明し、カスピトラの確立を特徴づけました。絶滅したカスピトラはかつて、中国北西部の河川や森林の生息地からトゥガイ食性のカスピ海までの広大な領域を占めていました。先行研究では、中国北西部とカザフスタンとタジキスタンとウズベキスタンとトルクメニスタンとアゼルバイジャンとイランに由来するさまざまな博物館のカスピトラ標本20点に基づいて、主要な1つのmtDNAハプロタイプが特定され、それは1200塩基対のミトコンドリア領域全体でアムールトラとわずか1ヶ所のヌクレオチドが異なっていたので、カスピトラとアムールトラとの間の同義性が提案されました。しかし本論文では、その先行研究で用いられたのと同じ標本のミトコンドリアゲノム規模での分析は、カスピトラとアムールトラのミトコンドリアゲノムの、密接な関連性ではあるものの違いを明らかにしました(図2b)。カスピトラのミトコンドリアゲノム(ハプロタイプVIR1およびVIR2)は、アモイトラの基準標本2点のミトコンドリアゲノム(標本3305と3311により共有されるハプロタイプAMO2)と最も密接に関連しており、次にアムールトラのハプログループ(ハプロタイプALT1およびALT2)とクラスタ化し、アジア北部本土クレードを形成します。さらに、核ゲノム単系性およびベンガルトラとの系統発生関連(図2a)はさらに、カスピトラの独特な進化的起源を示唆しました。

 トラのアジア中央部における古代の定着に関する3シナリオが以前に想定されており、それは、(1)インド亜大陸経由での南方経路、(2)シベリア平原経由の北方経路、(3)中国北西部の甘粛回廊を通る歴史時代の「絹の道(Silk Road)」経路です。系統ゲノム解析と生物地理学的モデル化は、シベリア北部経路でのアジア東部からアジア中央部の現代の範囲への拡大(経路2)を裏づけ、その後で、以前に提案された生物地理学的通路である、ヒマラヤ回廊経由(経路1)での古代のベンガルトラの祖先集団からの遺伝子流動が続きました。

 カスピトラはアモイトラ1標本のミトコンドリアゲノムと最近の共通祖先を有していましたが、LGMから現在にかけての「絹の道」沿いにおける適した生息地の連続的分布の欠如は、潜在的なトラの拡散経路として「絹の道」(経路3)を除外しました。1ミトコンドリアクレードにおけるアムールトラとカスピトラとアモイトラからの独特な系統の包摂(図2b)は、トラの北部生息範囲におけるこれらアジア本土亜種のかつての共通祖先を裏づけ、その古代の放散の中心はアジア東部に位置していたかもしれません。古代の1系統は北方においてシベリア経由で西方へと拡大し、最終的にはアジア中央部でカスピトラを生み出しました(図1)。

 分岐後の遺伝子流動がカスピトラにおける細胞核不一致(mtDNAではアモイトラと関連しているのに対して、核DNAではベンガルトラと類似しています)に寄与したかもしれないのかどうか解明するため、D統計が適用され、集団間での過剰なアレル共有量が評価されました(図4)。過剰なアレル共有の統計的に有意な水準がカスピトラとベンガルトラとの間で検出され(図4a)、ベンガルトラの姉妹クレードとしてのカスピトラとの核DNAの系統発生的位置づけ(図2a)は両者間の分岐後の遺伝子流動に起因した、との仮説を裏づけます。そうした遺伝的混合は恐らく、長距離の雄に偏った拡散を媒介としており、それはトラの自然史およびカスピトラにおけるベンガルトラ型mtDNAハプロタイプの欠如と一致します。これらの調査結果は、絶滅したカスピトラの歴史時代の範囲へのトラの再導入に対する直接的な科学的根拠を提供し、アムールトラとベンガルトラは最も近縁な現生亜種として、したがってトラの進化史を再生させる可能性がある候補として、役立つかもしれません。


●集団統計学的モデル化と合着の年代測定

 絶滅および現存のトラからのゲノム情報で、集団統計学的モデル化手法が、トラ種の最も包括的な進化史解明のため実行されました。f統計に基づく混合図が構築され、単一のモデルへとD系統により明らかにされた複数の古代の混合シナリオが調べられました。最適混合図はヒョウ属の外群からのトラの分岐後の主要な3系統を示しており、それには、古代のロシアのトラ(RUSA21)のゲノム祖先系統のほぼ半分に寄与した1つの「亡霊系統」と、全ての絶滅トラ亜種と1つの初期分岐系統で構成される1系統群(b)と、最終的にはベンガルトラにつながる初期の分岐系統(d)が含まれます。RUSA21のゲノムの他の半分は、現在のアムールトラおよびアモイトラと関連していたアジア北東部の他の祖先的系統(c)との遺伝的混合に由来しました。

 現代のトラ亜種につながるその後の分岐は、さらに2波に区分でき、qpGraphにおける相対的に短い長さの枝は急速でほぼ同時の放散を示唆します。一方の系統(e)はスマトラトラと恐らくは他のスンダランド集団の祖先となり、もう一方の系統(f)はアジア本土で他の亜種を確立し、アモイトラとつながる初期の分岐(g)を含んでいます。混合図モデル化(図4c)とTreeMix系統発生手法の両方が裏づけたモデルでは、アジア中央部におけるカスピトラの混合した祖先系統は、ベンガルトラと関連する古代系統(図4cのh)、および現代のアムールトラとアモイトラの祖先となるアジア東部系統(図4cのi)に由来しました。全体的に、分岐後の遺伝子流動を検討した集団統計学的歴史から裏づけられたのは、ほとんどの混合事象は最初の分岐後ではあるものの、現代の亜種を生み出した最新の分岐の前に起きた、ということです。現代の亜種間の遺伝子流動の水準は、その集団の椅子伝的特徴に応じてひじょうに限定的です。

 BEAST2を用いて、ミトコンドリアゲノムデータで合着年代測定が実行されました(図5a)。先行研究と一致して、全てのトラのミトコンドリアのハプロタイプのTMRCAは107200年前頃(95%信頼区間では148400~67900年前)にさかのぼりました。10600年前頃の古代RFEトラは現代のトラのクレード内でクラスタ化したので、現代のトラに基づくトラ種の母系TMRCA推定値を変えませんでした。

 全ゲノムデータに基づくG-PhoCS集団統計学的モデル化(図5b)は、全てのトラの19550年前頃(95%信頼区間で26630~13610年前)とかなり新しい合着年代を明らかにしました。最後の合着事象はマレートラのインドシナトラからの分岐で、5740年前頃(95%信頼区間で14350~1640年前)と推定されました。亜種間の分岐後の総移動量は3~12%と低く、ほとんどが地理的に隣接する集団間でした。複雑な集団統計学的モデル化における、限定的な標本規模と低いゲノム配列決定網羅率と動物考古学的標本と関連するデータ品質の制約に注意すべきですが、本論文のゲノム規模合着年代推定値は以前の推定値の範囲内に収まります。G-PhoCSにより推定された核ゲノム合着は、集団間の「最終的に明確な分岐」の年代を示唆しましたが、じっさいの分岐はずっと前に始まっていたかもしれず、恐らくはミトコンドリアゲノムの合着年代に反映されていました。

 最近の分岐年代推定値を考慮すると、RFEの10600年前頃となる古代のトラ標本と、絶滅したカスピトラと、アモイトラが、対での逐次マルコフ合着(pairwise sequentially Markovian coalescent、略してPSMC、関連記事)モデルにおいて1万年前頃まで類似の有効個体群規模の軌跡をたどったことは、驚きではありません。


●中国南西部における歴史的なトラの退避地

 アモイトラの分類はすべてのトラで最も論争になっており、それは、アモイトラが野生では絶滅しており、不確実な起源の少数の創始者に由来する近親交配の捕獲集団が生存しているだけからです。アモイトラにおけるミトコンドリアの側系統性と常染色体の単系統性の系統発生パターンは、集団統計学的歴史および遺伝子流動の推測とともに、明確なアモイトラ(Panthera tigris amoyensis)亜種の裏づけを示し、アモイトラの起源に関する長期の論争解決への妥当なシナリオを示唆しました。アモイトラに固有ではないmtDNAハプロタイプ(つまり、他の亜種と共有されています)は中国東部に限定されているものの、陝西省や重慶や貴州省など中国西方には存在せず、中国西方にはアモイトラに固有の基底部系統のみが存在していました(図1および図2b)。中国におけるアモイトラのmtDNAハプロタイプの地理的分布は、中国南西部がかつて残存トラ集団を抱える退避地だった一方で、中国東部は、生物地理学的条件が最適になった場合にのみこの地域へと広がったさまざまな古代系統の遺伝的坩堝だった、との仮説を提起しました。

 この仮説を検証するためENMが実行され、最終間氷期(Last Interglacial、略してLIG、130000~115000年前頃)から現在までの気候変動の影響下での、トラの生息地適合性が予測されました(図5)。潜在的なトラの生息範囲と関連する気候変動は、氷河の前進および交替の交互の事象とほぼ対応していました。LIGや中期完新世や現在のような穏やかで湿潤な間氷期には、適切なトラの生息地は、西方ではカスピ海とインド亜大陸から、北方ではシベリア、南方ではスンダ諸島、極東では日本列島まで、アジアのほとんどにわたって広がって連続していました。LGM(22000年前頃)のような寒冷で乾燥した期間(図6b)には、海面低下により陸橋が形成され、拡散を促進したかもしれないものの、かなりの気候寒冷化はおそらく、トラの景観に顕著に負の影響を及ぼし、局所的な絶滅と生息範囲の断片化をもたらしました。

 ENMがトラにとって適した食性の種類に重ねられると(図6)、LGMにおけるさらに限定されたトラの分布が明らかで、そこでは現在の中国東部の大半は疎らな森林の点在する温帯草原で構成されており、トラにとって最適な生息地ではありませんでした。対照的に、トラと獲物の集団を維持したかもしれないアジア北部のあり得る2ヶ所の退避地が明らかになり、それは中国南西部の山地およびもう一方の日本列島の孤立地帯が含まれます。古代日本列島におけるトラの到来と絶滅はやや曖昧なままでしたが、中国南西部に提案された退避地は、ミトコンドリア系統発生において基底部に位置するハプロタイプ(つまり、図2bにおけるmtDNAハプロタイプのAMO7とAMO8とAMO9とAMO10)を有するトラが、おそらくは退避地で生き残り、現代のアモイトラにのみ存在している、とのシナリオと一致します。


●トラの拡大期における中国東部での遺伝的混合

 トラの複数の遺伝学的研究は、トラ種における長期の小さな有効個体群規模と対応する、低水準の遺伝的多様性に収束しました。ミトコンドリアゲノムのTMRCAから、この長い収縮はおそらく115000年前頃に始まる最終氷期の開始と関連しており、その後でさまざまな生息地および選択圧と関連する複数の系統群に分化していった、と示唆されました(図5)。

 乾燥して寒冷な気候により促進された氷期の開始において、アジア本土全域の一部のトラ集団間のつながりは消滅したかもしれず、残存系統は断片化した景観に散在したでしょう。独特なアモイトラのミトコンドリアハプロタイプを有する1つの祖先的系統は恐らく、中国南西部の山岳地帯で生き残りました。長期の孤立は氷期極大期後に終わりました。ボトルネック(瓶首効果)後の放散の中心は恐らくインドシナ地域に位置しており、アジア本土とスンダランドの分離とともに遺伝子流動を伴って始まり(図1bのM1とG1)、インド亜大陸へのベンガルトラの分岐が続きました(図1bのM2)。北半球全体、とくに高緯度で気候が温暖化して生息地が戻ってくると、インドシナ半島の古代の集団は回復して中国東部へと拡散し(図1bのM3)、そこで中国南西部の退避地から拡大した残存トラ集団と遭遇しました(図1bのM4)。次に、中国東部は森林や灌木地などトラにとって適した生息地で覆われ、遠方の以前には孤立した系統が統合し、現在のアモイトラの遺伝的構成を生み出した「坩堝」として機能したかもしれません。

 過去12000年間以内に最後の氷河が完全に後退した後で、中国東部のトラは北方へと拡散を続けてアジア北東部へと到達し、それは恐らく気候変動により促進された複数回の波でした。初期の波の一つには、10600年前頃のトラ標本RUSA21により表される絶滅系統と、現代のアムールトラを生み出した最新の置換を含んでいました(図1bのM5とG2)。アジア中央部のカスピトラは2供給源に起源があり、まずシベリア回廊経由のアジア北東部の祖先的集団の拡大から確立し(図1bのM6)、次にインド亜大陸の集団と混合しました(図1bのG3)。現代のトラ亜種の分岐パターンは、LGM後の移動の最後の波の後で完成しました。


●まとめとトラ保護への示唆

 本論文では、1万年間にわたるトラのゲノムの解析により、トラ種の包括的な進化史が明らかになりました。個体群構造とゲノム規模の系統発生の単系統性は、アモイトラとカスピトラを異な根亜種として裏づけましたが、細胞核不一致はその起源に寄与した他系統からの古代の遺伝的混合も明らかにしました。そうしたパターンは、中国南西部における謎めいたトラの退避地、生息地の回復に続く中国東部におけるさまざまな異なる系統の遺伝的均質化、RFE地域における個体群拡大と混合と置換の複数の波を含む提案されたシナリオにつながりました。

 古代ゲノムから、現代のトラ亜種の系統地理学的分割にいたる過程において、中国南西部は残存トラ系統にとっての後期更新世の退避地として、中国東部は、さまざまな系統が適切な生息地の回復に続いて範囲を拡大するにつれて、遭遇し統合する古代の坩堝として機能したかもしれない、と示されました。アジア北東部、次に西方のアジア中央部への中国を横断する経路でのトラの退避地拡大は、アムールトラやカスピトラなど北方の亜種を、ベンガルトラやインドシナトラなどアジア本土南方の亜種と結びつけました。中国は、かつてトラの現生9亜種のうち5亜種、もしくはアジア本土の全亜種が存在した世界で唯一の国です。これらの新たな調査結果は、トラの進化史における飛び石としての中国本土の重要性をさらに浮き彫りにします。

 トラの進化的ゲノム多様性の完全な理解は、この威信的な大型動物の保護と回復計画とって重要です。トラの管理戦略は、野生と飼育下の両方で、その地理的差異と亜種分類群の認識に影響を受けてきました。本論文は、今では絶滅した個体群から回収されたゲノムデータで、トラの系統発生の根源を解決し、現存の景観の遺伝的パターンの形成について重要な、謎めいた生物地理学的退避地と拡散経路を明らかにしました。これらの結果が、絶滅景観へのトラの回復や、断片化された生息地にわたる歴史的な接続性の差異性など、保護の指針となるひじょうに必要な科学的基盤に寄与するよう、期待されます。


参考文献:
Sun X. et al.(2023): Ancient DNA reveals genetic admixture in China during tiger evolution. Nature Ecology & Evolution, 7, 11, 1914–1929.
https://doi.org/10.1038/s41559-023-02185-8

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