長谷川眞理子『進化的人間考』
東京大学出版会より2023年2月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書は、人文および社会科学と自然科学のヒト理解の統合を試みます。気宇壮大ですが、研究の細分化が進んだ現代において、こうした学際的な試みに一人で取り組むことが困難なのは当然で、ほとんどの場合は上手くいかないものだと思います。しかし、本書の著者は碩学なので、得るものが多いのではないか、との期待から読むことにました。本書は、現代的な意味で人文社会系諸学と自然科学とを統合しようとした最初の試みとして、アメリカの生態学者であるエドワード・オズボーン・ウィルソン(Edward Osborne Wilson)による『社会生物学』を挙げます。同書は1975年に出版され、大きな論争を巻き起こしました。アリを中心とする昆虫生態学の大家であるウィルソンは同書で、1975年までの時点で明らかになっていた行動生態学と進化生物学の理論を駆使し、動物に見られる社会行動を包括的に説明しようとし試みました。ウィルソンはその最後に、人間も動物であり、人間の社会行動の研究が人文社会系の諸学であるとすると、それらはやがて、大きな意味での社会生物学の中に包含されるようになるだろう、と論じ、それに対して激しい反論が展開され、その後長く続いた社会生物学論争が始まり、そこから進化心理学と人間行動生態学が発展しました。
本書は、常習的な直立二足歩行や脳の大型化や子供期および寿命の延長や言語や三項表象など、現代人にとって最近縁の現生分類群であるチンパンジーとの相違を指摘し、それが進化の過程でどのように現れたのか、検証します。寿命の延長について本書の指摘で重要なのは、ヒトの潜在寿命は太古から長く、1万年前でも10万年前でもごく少数の高齢者は常に存在したのであって、現代は大半のヒトが長寿になる点で特殊性である、ということです。ヒトの重要な特徴として共同繁殖も挙げられており、これはヒト以外の動物種でもわずかながら見られますが、共同繁殖が行なわれるようになった進化学的理由は、まだ明確にはなっていません。本書は、ヒトは子供を社会で育てる分類群と把握します。これと関連して現代における少子化の進化的要因として挙げられているのは、繁殖可能開始が遅いこと、繁殖可能期間が短いこと、適正密度の観点では人口が多すぎることです。
近年では言及すら警戒する人も一定の割合でいると思われる生物学的性差について本書は、現代人にも哺乳類、さらには霊長類としての進化の名残としてさまざまな側面に存在し、文化は性差を増幅するよう作用していることが多い、と指摘します。文化があたかも独立して存在するかのような見解もあるものの、文化を可能とする性質時代がヒトの脳の生物学的性質の一つで、文化の生成や伝搬自体にヒトの生物学的性質が関与しているとして、セックスとジェンダーはなかなか分けられないだろう、というのが本書の見解です。本書の立場は、歴史的に性差の認識は性差別と密接に関連してきたものの、差異を認めることと差別の正当化は論理的に別である、というものです。私も本書のこの認識に基本的に同意します。本書はこうした生物学的性差の要因として、潜在的な繁殖速度の差を挙げます。
具体的に現代人の性差については、世界中どこでも身長では男性が女性の1.08倍ほど、体重では男性が女性の1.2倍程度となります。一般的に、雄間競争が激しいほど、体格では雄が雌よりも大きくなる傾向にあり、これは複雑な社会を形成する種もいる霊長類にもおおむね当てはまります。霊長類の中では、ヒトの体格の性差は小さい方です。雄の犬歯の大きさも雄間競争の激しさと相関していますが、ヒトでは犬歯の性差は小さく、この特徴は400万年以上前の人類系統であるアルディピテクス・ラミダス(Ardipithecus ramidus)にも見られます。本書は、現代人の性差が霊長類では比較的小さいことから、配偶体系として極端な一夫多妻はなかっただろう、と推測します。民族誌からは、ヒト社会において一夫多妻が多いと示されていますが、じっさいに一夫多妻の男性は少なく、多くの男性は一夫一妻だった、と本書は指摘します。
ヒトの性差形成の一因として本書が重視するのは、食料獲得の在り様です。現代の狩猟採集民の事例から、おもに狩猟は男性、採集は女性が担う傾向にあり(女性が小型動物を狩猟することも、男性が採集をすることもありますが)、本書はこの性別分業にはホモ属で200万~150万年間、現生人類(Homo sapiens)で20万年間の進化的歴史がある、と推測します。そこから、性差をもたらす淘汰圧が作用したのではないか、というわけです。本書はその根拠として、三次元空間把握能力では女性よりも男性の方が優れていることを挙げます。ただ本書は、こうした性差が生物学的基盤に起因すると断定することには慎重です。
本書は進化心理学の研究史と解説にもかなりの分量を割いており、進化心理学への批判と警戒が根強いことは、日本語環境のみでもよく了解されますが、本書の解説を読んで改めて、現時点で進化心理学に多くの問題があるとしても、将来はさらに有効な分野になるだろう、と思いました。本書は、ヒトの進化史で適応的になるように形成されてきたのは、個々の表出としての行動ではなく、情報処理および意思決定の解決法で、それが心理を指す、と指摘します。ヒトの行動は可塑性に富んでいる、というわけです。
参考文献:
長谷川眞理子(2023)『進化的人間考』(東京大学出版会)
本書は、常習的な直立二足歩行や脳の大型化や子供期および寿命の延長や言語や三項表象など、現代人にとって最近縁の現生分類群であるチンパンジーとの相違を指摘し、それが進化の過程でどのように現れたのか、検証します。寿命の延長について本書の指摘で重要なのは、ヒトの潜在寿命は太古から長く、1万年前でも10万年前でもごく少数の高齢者は常に存在したのであって、現代は大半のヒトが長寿になる点で特殊性である、ということです。ヒトの重要な特徴として共同繁殖も挙げられており、これはヒト以外の動物種でもわずかながら見られますが、共同繁殖が行なわれるようになった進化学的理由は、まだ明確にはなっていません。本書は、ヒトは子供を社会で育てる分類群と把握します。これと関連して現代における少子化の進化的要因として挙げられているのは、繁殖可能開始が遅いこと、繁殖可能期間が短いこと、適正密度の観点では人口が多すぎることです。
近年では言及すら警戒する人も一定の割合でいると思われる生物学的性差について本書は、現代人にも哺乳類、さらには霊長類としての進化の名残としてさまざまな側面に存在し、文化は性差を増幅するよう作用していることが多い、と指摘します。文化があたかも独立して存在するかのような見解もあるものの、文化を可能とする性質時代がヒトの脳の生物学的性質の一つで、文化の生成や伝搬自体にヒトの生物学的性質が関与しているとして、セックスとジェンダーはなかなか分けられないだろう、というのが本書の見解です。本書の立場は、歴史的に性差の認識は性差別と密接に関連してきたものの、差異を認めることと差別の正当化は論理的に別である、というものです。私も本書のこの認識に基本的に同意します。本書はこうした生物学的性差の要因として、潜在的な繁殖速度の差を挙げます。
具体的に現代人の性差については、世界中どこでも身長では男性が女性の1.08倍ほど、体重では男性が女性の1.2倍程度となります。一般的に、雄間競争が激しいほど、体格では雄が雌よりも大きくなる傾向にあり、これは複雑な社会を形成する種もいる霊長類にもおおむね当てはまります。霊長類の中では、ヒトの体格の性差は小さい方です。雄の犬歯の大きさも雄間競争の激しさと相関していますが、ヒトでは犬歯の性差は小さく、この特徴は400万年以上前の人類系統であるアルディピテクス・ラミダス(Ardipithecus ramidus)にも見られます。本書は、現代人の性差が霊長類では比較的小さいことから、配偶体系として極端な一夫多妻はなかっただろう、と推測します。民族誌からは、ヒト社会において一夫多妻が多いと示されていますが、じっさいに一夫多妻の男性は少なく、多くの男性は一夫一妻だった、と本書は指摘します。
ヒトの性差形成の一因として本書が重視するのは、食料獲得の在り様です。現代の狩猟採集民の事例から、おもに狩猟は男性、採集は女性が担う傾向にあり(女性が小型動物を狩猟することも、男性が採集をすることもありますが)、本書はこの性別分業にはホモ属で200万~150万年間、現生人類(Homo sapiens)で20万年間の進化的歴史がある、と推測します。そこから、性差をもたらす淘汰圧が作用したのではないか、というわけです。本書はその根拠として、三次元空間把握能力では女性よりも男性の方が優れていることを挙げます。ただ本書は、こうした性差が生物学的基盤に起因すると断定することには慎重です。
本書は進化心理学の研究史と解説にもかなりの分量を割いており、進化心理学への批判と警戒が根強いことは、日本語環境のみでもよく了解されますが、本書の解説を読んで改めて、現時点で進化心理学に多くの問題があるとしても、将来はさらに有効な分野になるだろう、と思いました。本書は、ヒトの進化史で適応的になるように形成されてきたのは、個々の表出としての行動ではなく、情報処理および意思決定の解決法で、それが心理を指す、と指摘します。ヒトの行動は可塑性に富んでいる、というわけです。
参考文献:
長谷川眞理子(2023)『進化的人間考』(東京大学出版会)
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