ポーランドの上部旧石器時代の人類の歯の遺伝学的分析
ポーランドの上部旧石器時代の人類の歯の遺伝学的分析結果を報告した研究(Fewlass et al., 2023)が公表されました。本論文は、ポーランドのボルスカ洞窟(Borsuka Cave)で発見された6点のヒトの歯と112点の草食動物の歯で作られたペンダントについて、最小限の侵襲で分析する手法により、年代測定と遺伝学的分析を行ないました。上部旧石器時代というか更新世の遺骸や考古資料にはひじょうに貴重なものがすくなくないだけに、今後こうした手法が広く適用され、更新世の人類進化史の解明がさらに進むのではないか、と期待されます。
●要約
ボルスカ洞窟(Borsuka Cave)の6点のヒトの歯と112点の動物製のペンダントは、ポーランドで最古の埋葬と確認されました。しかし、その年代測定およびペンダントと歯の関連に関する不確実性は、上部旧石器考古学的インダストリーとの関連づけを妨げてきました。本論文は、各歯あたり67mg未満を用いて、2点の歯と6点の草食動物の歯のペンダントの年代測定と遺伝学的分析を統合し、これらの問題に対処しました。本論文の学際的手法は、限定的な標本抽出試料と高水準の分解および汚染にも関わらず、有益な結果をもたらしました。その結果、ヒト遺骸および草食動物製ペンダントの旧石器時代起源が確証され、乳児を女性と特定し、さまざまな旧石器時代インダストリーとの遺物群の関連を考察できました。本論文は、最小侵襲手法への発展と、貴重ではあるもののひじょうに劣化して汚染されている先史時代の資料からデータ回収を最大化する手法の統合の利点を例証します。
●研究史
ユーラシアの上部旧石器時代(Upper Palaeolithic、略してUP)のヒト遺骸は少ないものの、この時代は考古学的記録におけるヒトの埋葬の可視性増加により特徴づけられ、通常は34000~24000年前頃となるグラヴェット文化(Gravettian culture)、および時には時にはそれ以前(39000~34000年前頃)とさえ関連しています。ヨーロッパ中央部東方には旧石器時代考古学の豊富な記録があり、いくつかの遺跡にはさまざまな技術群と関連するヒト遺骸が含まれています(図1)。以下は本論文の図1です。
チェコ共和国のムラデチ洞窟(Mladeč Cave)、ポーランドのオブラゾワ洞窟(Oblazowa Cave)、ルーマニアの「女性の洞窟(Peştera Muierii、以下PM)」(関連記事)およびチオクロヴィナ・ウスカタ洞窟(Peștera Cioclovina Uscată、以下PCU、関連記事)、ベルギーのゴイエ(Goyet)の第三洞窟(Troisième caverne、個体Q116-1およびQ376-3、関連記事)における直接的に年代測定されたヒト遺骸はすべて、較正年代(以下、明記のない場合は基本的に較正年代です)で37000~33000年前頃の範囲内に収まり、暫定的にオーリナシアン(Aurignacian、オーリニャック文化)と関連づけられています。
ロシア西部のコステンキ・ボルシェヴォ(Kostenki-Borshchevo)複合はUPのさまざまな期間にまたがっており、多くのヒト遺骸が発見されていて、その中にはオーリナシアンとも関連している39000~37000年前頃のコステンキ14号の埋葬も含まれています。クリミアのブラン・カヤ3(Buran Kaya III)遺跡の遊離したヒト遺骸はグラヴェティアン(グラヴェット文化)遺物群と関連していますが、これはその初期の直接的年代が36800~35700年前頃であることと対照的です。
ヨーロッパ中央部では、グラヴェティアンは前期グラヴェティアン(34000~30000年前頃)とオーストリアのパブロフィアン(Pavlovian、31000~29000年前頃)と後期グラヴェティアン/ヴィレンドルフ・コステンキアン(Willendorf Kostenkian)に分岐していきます。パブロフィアン期は、チェコ共和国のドルニー・ヴェストニツェ・パブロフ(Dolní Věstonice-Pavlov)遺跡やプシェドモスティ(Předmostí)遺跡などで見られるような、赤色オーカー(鉄分を多く含んだ粘土)や副葬品により特徴づけられます。
オーストリアのクレムス・ヴァハトベルク(Krems-Wachtberg)遺跡(関連記事)を含めてUPの子供の埋葬がこの地域で確認されてきましたが、きわめて稀です。ロシアのスンギール(Sunghir)遺跡ではずっと精巧なUP埋葬が発見されており、複数個体や豊富なオーカーや例外的に豊富な副葬品群が含まれています。これらの個体の直接的な年代測定のいくつかの試みから、汚染の問題に起因する可能性が高い、大きく異なる結果が得られたので、スンギール遺跡の文化的関連に関する不確実性の一因となりました。最新で厳密な複合特定年代は、スンギール遺跡の埋葬を35800~32000年前頃に位置づけます。
ボルスカ洞窟(北緯50度9分53.94秒、統計19度42分12.23秒)はポーランド南部のシュクラルカ川(Szklarka River)流域に位置し(図2A)、この議論に重要なデータを追加します。2008~2010年の洞窟入口の横の発掘により、6点のヒトの乳歯が、ステップバイソン(Bison priscus/ Bos bison)/オーロックス(Bos primigenius)の78点およびヘラジカ(Alces alces)34点の合計112点の穿孔された歯とともに出土し、それらにはオーカーの痕跡がありました。7層が発掘され、下部の更新世単位(第7層~第5層)と上部の完新世単位(第4層~第1層)に分けられました。岩盤の上の層序の基部では、第7層には考古学的痕跡がありませんでした。第6層(深さ150~250cm)では、洞窟入口から斜面を下って北西に線状に分布して、ヒト遺骸と穿孔された歯が数m²にわたって広がって見つかりました。ペンダントは深さ160~220cmの試掘坑の南壁に集中しており、試掘坑の中央部と北部でいくつか見つかりました(図2)。
ヒトの歯は、区画C7とD7とE7内の試掘坑の北西隅の、ペンダントの集中の西側に位置していました(図2C・D)。これらの歯は全て、12~18ヶ月の1人の子供に属する、と確認されました。その幼い年齢を考えると、形態に基づいて性別を判断できませんでしたが、歯列の一貫した段階は1個体に属する可能性が高いことを示唆します。第6層にはヒト遺骸と穿孔された有蹄類の歯と燧石製石刃の先端断片1点が含まれていましたが、それ以外は考古学的痕跡がありませんでした。その上の第5層は考古学的および古生物学的にも痕跡がありませんでしたが、最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)の寒冷化と関連していました。第4層~第1層には、中世から現代にわたる完新世の遺物群が含まれています。以下は本論文の図2です。
ヒト遺骸に加えて、2000点以上の動物骨格断片が第6層から発掘されました。この遺物群には、ヘラジカやオーロックスやマツテン(Martes martes)やオオヤマネコ(Lynx lynx)やヨーロッパビーバー(Castor fiber)やヨーロッパアナグマ(Meles meles)などより温暖な森林環境に適応した分類群とともに、トナカイ(Rangifer tarandus)やホッキョクギツネ(Vulpes alopex)や野生ウマ(Equus ferus)やケブカサイ(Coelodonta antiquitatis)など寒冷な草原地帯とツンドラの種を含む動物相の異例な収集が含まれます。更新世の骨格遺骸の大半は自然の蓄積を表している可能性が高そうで、哺乳類と鳥類の骨の1.7%には肉食動物による変化の痕跡があり、穿孔された歯の他に人為的改変の痕跡はありません。
草食動物の歯のペンダントのうち2点は、95.4%の確率で直接的に32890~30760年前頃と放射性炭素(¹⁴C)年代測定されました(非較正で、Poz-32394は27350±450年前、Poz-38236は25150±160年前)。同じ層のトナカイの中足骨(Poz-38237)は31060~30270年前頃(非較正で26430±180年前)と年代測定されました。年代は第6層遺物群については中期UPを示唆しましたが、95%の確率範囲で2点のペンダントの年代間の一致の欠如から、ペンダントは厳密には同時代ではない、と示唆されました。これは、草食動物およびヒトの歯分布とともに、ペンダントとヒト遺骸との間の関連についての問題を未解決にしており、さらなる年代順の調査が必要です。しかし、その小さい規模のため、ヒトの歯の直接的な年代測定は当初不可能と判断されました。
代替理論が議論されてきましたが、関連する「国内」考古学の欠如は、遺物群は堆積後に攪乱された乳児埋葬と副葬品を表しており、埋葬坑の欠如と斜面を下って広がった線形をもたらした、との解釈につながりました。旧石器時代考古学の欠如のため、埋葬の文化的関連の判断については、ペンダントの年代測定および様式分析に依拠せざるを得ません。既存のペンダントの¹⁴C年代は、200~300kmほど離れたチェコ共和国のドルニー・ヴェストニツェ・パブロフ遺跡のパブロフィアン埋葬および400kmほど離れたオーストリアのクレムス・ヴァハトベルク遺跡の乳児埋葬とほぼ同時代です。しかし、ペンダント自体の類型はムラデチ洞窟で見つかったペンダントと類似しており、後期オーリナシアンとの関連が示唆されます。さらに、元々は旧石器時代と推測されていたヒト遺骸が実際には旧石器時代の状況への完新世からの侵入を表している事例は、多くあります。断片的なヒト乳歯の小さな性質と上層における完新世考古学の存在を考えると、ボルスカ洞窟がこの事例である可能性を除外できません。
近年、古代のひじょうに劣化した資料の放射性炭素年代測定および遺伝学的分析で大きな進歩があり、年代測定のための標本規模の縮小、単一標本からの複数の手法での抽出の組み合わせ、有機保存物非破壊的な事前選別、汚染DNAの除去の処理および/もしくは内在性古代DNAの濃縮、骨製人工物からの非破壊的な古代DNA抽出(関連記事)などが含まれます。そうした発展により、以前には不可能だった資料の生体分子分析が可能になります。本論文は、ボルスカ洞窟のヒトとの歯と穿孔された草食動物の歯ひじょうに限定的な量の資料を考慮して、以下の3点を調べるため、複数の学際的研究を考案しました。それは、(1)ヒトの歯が単一個体に由来するのかどうか、(2)ヒトの歯とペンダントの年代関係、(3)さまざまな旧石器時代文化との遺物群の関連です。歯の旧石器時代起源を確証し、ヒト遺骸がペンダントと同時代なのかどうか確認するため、2点のヒト乳歯(図3)と6点の穿孔された草食動物の歯(図4)の放射性炭素年代測定が実行されました。以下は本論文の図3です。
ヒト資料から、部分的に無傷の歯根があり、歯冠形態が保存されている2点の歯(C7/675およびC7/683)と、さまざまな区画の草食動物の歯で作られたペンダントが選択され、散在する遺物群全体で検証されました。古代DNA解析は、同じ2点のヒトの歯で試みられ、それらが1個体に属するのか決定され、他の上部旧石器時代個体とこの個体がどのように関連するのか、調べられました。ボルスカ洞窟の遺物群は、ひじょうに限られた利用可能な資料、および放射性炭素年代測定と古代DNA解析の両方で古代標本の保存状態の悪さと汚染という固有の問題の観点で、課題を表しています。それにも関わらず、UPのより広い文脈内でのボルスカ洞窟遺物群に関する追加の情報を提供するため、ひじょうに小さな標本からのデータ回収の最大化が目指されました。以下は本論文の図4です。
●放射性炭素年代測定
2点のヒトの歯のコラーゲン収率(4.3~8.5%)は草食動物の歯(3.0~9.1)の範囲内で、劣化した旧石器時代資料ではあるものの、全て年代測定に必要な最小限の1%程度を大きく上回っていました。全抽出物の元素値(炭素%、窒素%、炭素/窒素)は、保存状態良好なコラーゲンの一般的に受け入れられている範囲内(炭素が30~45%、窒素が11~16%、炭素/窒素が2.9~3.6)に収まり、コラーゲン抽出物は放射性炭素年代測定に適している、と示唆されます。しかし、いくつかは許容される炭素(C)/窒素(N)の範囲の限界に達しており(3.5~3.6)、低水準の汚染が標本に存在する可能性を示唆します。C7/675とC7/658とC6/494については、フーリエ変換赤外分光分析(Fourier Transform Infrared Spectroscopy、略してFTIR)を用いての追加の品質分析に充分なコラーゲンが利用可能です。全抽出物には、古代の骨のコラーゲンに特徴的なFTIR範囲がありましたが、ヒトの歯(C7/675)の範囲における2900 cm⁻¹で最高点のより高い強度は、外部汚染を示唆しているかもしれません。
2点のヒトの歯のバルクコラーゲンδ¹³Cおよびδ¹⁵N値は、ユーラシアの他の中期UPのヒト(関連記事)で見られる安定同位体値の範囲内に収まり、ステップバイソン/オーロックスやヘラジカの歯の草食動物の痕跡を大きく上回るひじょうに高いδ¹⁵N値があります。2点のヒトの歯のδ¹³C値は機器の誤差内と一致しますが、C7/675のδ¹⁵N値はC7/683より1.3‰高くなっています。歯が両方とも同様の形成時期の乳歯大臼歯であることを考えると、この違いは古食性ではなく、汚染もしくは別個体を示唆している可能性がより高そうです。δ¹⁵N値の上昇は他の中期UPのヒトで見られる範囲の最高端および草食動物よりも2段階上(栄養檀家の増加が3‰~5‰)の範囲にあります。これは乳児の年齢を考えると母乳育児の兆候と一致しますが、成人の比較データとさらなる化学分析がなければ、これをさらには解明できません。
本論文は、小規模な象牙質標本(23.4~67.4mg)と抽出されたコラーゲン(1~4.5mg)を考えて、小さな標本についての以前に確立した手法に従いました。黒鉛化および二酸化炭素(CO₂)ガスイオン源(gas ion source、略してGIS)の両手法を用いて、その後に組み合わせることで、複数の¹⁴C年代が各コラーゲン抽出物から得られました。X²検定が実行され、同じ抽出物からの複製年代間の統計的一致が判断されました。得られた¹⁴C年代の全ては中期UPの範囲内に収まり、非較正年代で31070±770~24830±290年前もしくは較正年代で35290~29090年前頃でした(図5)。以下は本論文の図5です。
草食動物の歯で作られたペンダントについては、複製測定は各コラーゲン抽出物で統計的に一致しますが、C7/683の年代(非較正年代で26610±240年前、95.4%の確率の較正年代で31160~30320年前頃)は、C7/675(非較正年代で25100±140年前、95.4%の確率の較正年代で29860~29090年前頃)より1500年ほど古くなっています。したがって、第6層で得られた年代をOxCalにおいて1段階でまとめてモデル化すると、遺物群の範囲は6290~4770年間にまたがり、36650~27620年前頃となります(図5)。年代測定に適した資料の欠如のため、モデル化された範囲を制約する上下の層で利用可能な年代はないので、どの年代も外れ値として特定されませんでした。放射性炭素データは表S1に、背景のコラーゲン測定値は表S2に、ボルスカ洞窟のデータのモデル化された範囲は表3に含まれています。
●古代DNA解析
象牙質粉末の4.7~12.9mgの間の微小標本が、2点のヒトの歯(C7/675とC7/683)のそれぞれから穿孔されました。得られた4点の歯の粉末の第二次標本は、DNA抽出と一本鎖ライブラリ調整とショットガン配列決定を経ました。1628190~8575605の間の配列が各ライブラリで生成され、そのうち2495~37436の配列が各ライブラリについてヒト参照ゲノム(hg1963)にマッピング(多少の違いを許容しつつ、ヒトゲノム配列内の類似性が高い処理を同定する情報処理)されました。C7/683では古代DNAは検出されませんでしたが、C7/675の第二次標本の1点は、古代DNAに特徴的な、回収されたDNAの末端での12.4~20.6%のシトシン(C)からチミン(T)への置換に基づいて、古代DNAを含んでいると確認されました。これらのライブラリの重複率もしくは各DNA断片の配列決定回数はすべて1回前後で、全ての回収されたDNA断片が配列決定されたわけではないことを示唆しています。この第二次標本から生成されたライブラリの現代人のDNA汚染は、脱アミノ化パターンに基づいて汚染水準を計算する手法であるAuthentiCTを用いて、54~56%と推定されました。
解像度の限界までC7/683において古代DNAが検出されなかったにも関わらず、両方のヒトの歯はその後、同じ個体に由来する可能性が高いのかどうか判断するために、混成捕獲でヒトのミトコンドリアDNA(mtDNA)で濃縮されました。C7/683のライブラリは、ショットガン配列決定が網羅的ではなかったので、依然として混成捕獲に含められ、核DNAおよびmtDNAの内容は古代の標本では異なると示されてきており、少量の内在性DNAが検出されずに残っている可能性を残します。
濃縮されたライブラリには、ヒトmtDNAの改定ケンブリッジ参照配列にマッピングされ、CからTへの置換上昇(5′末端で21.3~35.1%、3′末端で14.5~24.6%)のある、34塩基対より長い243078~938984の配列が含まれていました。現代人の汚染が2.93~39.94%の範囲で各ライブラリにおいて検出されたため、全てのその後の分析は、最初の末端3塩基および/もしくは最後の末端3塩基内で3CからTへの置換を含んでいた、脱アミノ化が推定される断片に限定されました。
15269~60728の脱アミノ化断片(それぞれ46倍と223倍のmtDNA網羅率に相当します)が、ほぼ完全な一致mtDNAゲノムの再構築に用いられました。各歯から得られたmtDNAのハプロタイプは同じで、歯が同じ個体であるか、同じ母系であることと一致します。しかし、どちらのmtDNAゲノムも完全ではないので、個々に識別できる多様体が検出されなかった可能性を除外できません。C7/675から得られたより完全なゲノムが、次に系統樹構築と分子枝の短縮に用いられました。得られた分子年代は33533年前頃(95%最高事後密度間隔で38935~28200年前)と推定され、mtDNAゲノムはmtDNAハプログループ(mtHg)U6内に収まります(図6C)。mtHg-U6は現代人ではアフリカ北部において最も一般的に観察され、以前には旧石器時代のヨーロッパにおいて、ルーマニアのPM(女性の洞窟)遺跡の標本(34000年前頃)でのみ観察されました(関連記事)。
同じ個体に属するとその後に判断された(関連記事)PM1号および2号のmtDNAゲノムと同様に、ボルスカ洞窟のヒトの歯のmtDNAゲノムはmtHg-U6の基底部で、3348Gと10517Aと16172Cの部位を共有しています。重要なことに、重複する部位(6ヶ所の欠落部位)では、PM2号とボルスカ洞窟個体のmtDNAゲノム間で違いは観察されません。ボルスカ洞窟の歯とPM2号が同じmtDNAゲノムを共有しているとしても、これは両者が互いに2500年以内に生きていた可能性が高いことを示唆しているだけです。以下は本論文の図6です。
ボルスカ洞窟に埋葬された子供のUPの他の個体との遺伝的類似性を判断するため、C7/675のライブラリが、人口の研究に情報をもたらすと知られている120万の一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)で濃縮されました。得られたライブラリは513237のSNPを網羅しましたが、約56%の現代人の汚染を含んでいることも確認されました。これは、全ての下流分析を、子供の性別決定に用いられる46286の推定される脱アミノ化断片に限定することを要求しています。124万SNPの常染色体とX染色体とY染色体のSNPの比率は各標的に起因して慣例的な予測に従わないので、この種のデータで以前に実行されたように、X染色体とY染色体の比率の調整が用いられました。これから「X染色体の比率」0.68と「Y染色体の比率」0.04が得られ、この個体が女性であることと一致します。
ユーラシア西部とアジア中央部とアジア東部の現代の個体群の主成分分析(principal component analysis、略してPCA)に投影すると、ボルスカ洞窟個体は以前に刊行されたUPユーラシア西部人および近現代ユーラシア西部人とクラスタ化し(まとまり)ました(図6B)。ボルスカ洞窟個体と以前に刊行された現代および古代の個体との間での遺伝的共有がf₃統計で計算され、外群人口集団として現在のムブティ人個体が用いられました(図6A)。PCAと一致して、現代の人口集団で最大の類似性はユーラシア西部人とでした。基底部ユーラシア人(関連記事)祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)は、ボルスカ洞窟個体では検出されませんでした。
f₃統計で検証すると、ボルスカ洞窟個体は古代の個体では、35000年前頃となるブルガリアのバチョキロ洞窟(Bacho Kiro Cave)の個体(BK1653)、34000年前頃となるPM1号、31000年前頃となるヴェストニツェ16号、34000年前頃となるスンギール3号と、最も多くのアレル(対立遺伝子)を共有していました。ボルスカ洞窟個体を他の古代の個体とD統計で直接的に比較すると、ボルスカ洞窟の女児個体はグラヴェティアンおよびオーリナシアンの個体群とより多くの類似性を有しています。しかし、ボルスカ洞窟個体との類似性は、ヴェストニツェ16号とスンギール3号とBK1653とPM1号の間では有意な違いが観察されず、これらの集団のうち1集団とのボルスカ洞窟の女児個体の直接的な関連は除外されます。
●考察
本論文で提示された年代および遺伝的データは、ボルスカ洞窟の乳児遺骸のUP起源を確証し、これらの遺骸は現時点で、これまでに特定された最古の女児埋葬となります。核DNAなしでは歯が同じ個体に由来するのか確証できませんが、ミトコンドリア分析は2点のヒトの歯が同じ個体か同じ母系であることと一致します。
放射性炭素年代測定は、経時的な¹⁴Cの指数関数的崩壊に基づいています。したがって、現代の炭素における¹⁴Cの濃度は古代の標本よりずっと高いので、現代の炭素での汚染は、標本の真の年代より新しい¹⁴C年代をもたらし、より古い資料ほどしだいに悪影響を受けます。人工遺物の埋葬環境や取扱や保管や分析を通じてもたらされた現代の炭素の遍在を考えると、一致しない年代測定結果が旧石器時代の資料から得られた場合、より古い¹⁴C年代が一般的により正確です。ヒトの歯(C7/683)の直接的な年代は、別のヒトの歯(C7/675)の年代より古くなっています。2点の歯が同じ個体に由来するのならば、これは、(1)C7/683のより古い年代が正しく、C7/675の年代は外部からの炭素汚染の存在のため真の年代が過小評価されているか、(2)両方の年代が過小評価されています。
あるいは、ヒトの歯は幼児2個体に由来し、両者の年代が正しいのかもしれません。直接的なヒトの年代とペンダントの年代範囲との間の不一致に加えて、これは歯の間のδ¹⁵N値の違いと数m²にわたる遺物群の散在によっても示唆されるかもしれません。ペンダントの製作の一貫した形式と、mtDNA分析から歯が少なくとも母方親族と示唆していること(同じ個体ではないとしても)を考えると、この仮定的状況では、年代測定結果の説明に同じ母系の集団による4000~6000年間のボルスカ洞窟遺跡の使用が必要となるでしょう。
C7/675抽出物におけるC/N値の上昇と2900 cm⁻¹という追加のFTIRの最高値は、汚染が年代と潜在的にはδ¹⁵N値に影響を及ぼしているかもしれない、と示唆します。したがって、この結果の最節約的な解釈は、2点のヒトの歯は同じ個体に由来し、汚染の影響を受けている、ということです。この歯を1個体に由来するとみなすならば、汚染は通常年代を繰り下げるので、C7/683のより古い年代の方が、C7/675のより古い年代より正確である可能性が高そうです。標本抽出に利用可能な少量の資料と、両方のヒトの歯の3.5~3.6というC/N値を考えると、C7/683の31200~30300年前頃という年代は、ヒト遺骸の下限年代と考えられます。
C7/683のより古い年代は、ボルスカ洞窟のペンダントから以前に得られた年代、およびドルニー・ヴェストニツェ・パブロフ遺跡とクレムス・ヴァハトベルク遺跡の31000年前頃のパブロフィアン埋葬と同時代で、これはヨーロッパ中央部におけるパブロフィアン文化とのボルスカ洞窟の関連を裏づけるでしょう(図7)。しかし、草食動物の歯で作られたペンダントの新たな¹⁴C年代の範囲は35290~33260年前頃です(95.4%の確率)。ペンダントのこれら新たなデータはヒトの乳児の歯から得られた年代より古いものの、同じ層の2点のペンダントとトナカイの骨で以前に得られた年代よりずっと古くもなります(図5)。以下は本論文の図7です。
この埋葬遺物群の年代は31000~30000年前頃の可能性があり、首飾りはさまざまな年齢の草食動物の歯の収集から作られ、その中には動物の死のずっと後に穿孔されて装飾品の製作に用いられたものも含まれています。ヘラジカの孤立的な生活様式から、ヘラジカの歯が1回の出来事で収集された可能性は低かった、と示唆されます。ヘラジカの歯で作られたペンダントのうち4点(少なくとも3個体)のストロンチウム(Sr)同位体組成と痕跡要素分析に関する最近の研究は歯の外来起源を論証し、ペンダントは西カルパチア山脈の南側をオーストリアとスロヴァキアの国境もしくはハンガリー北部近くの地域からボルスカ洞窟へと約250km輸送された、と示唆されます。
交換もしくはヒトの地域的移動のこの証拠は、好適な環境条件にも関わらず、ボルスカ洞窟が海洋酸素同位体ステージ(Marine Isotope Stage、略してMIS)2の始まりとなる27000年前頃のヘラジカの存在の証拠を含む、この地域における唯一の遺跡であることにより裏づけられています。ヨーロッパ中央部におけるトランス・カルパチアの石材の存在も、西カルパチア山脈地域周辺での高いヒトの移動性を示します。この証拠から、一定期間にわたる草食動物の歯の収集は実現可能と示唆されますが、ペンダントが5000年以上の年代が異なる可動物を表している可能性は低いようです。あるいは、低水準の汚染が、ペンダントとヒトの歯の真の年代を過小評価している、32000~29000年前頃との¹⁴C結果の一部に影響を及ぼしているかもしれません。
35300~33300年前頃となるペンダントのより古い年代範囲は、チェコ共和国のムラデチ洞窟の直接的に年代測定されたヒト遺骸の36800~34700年前頃と時間的に重複します。ムラデチ洞窟の較的浅いヒト遺骸は意図的な堆積の結果かもしれない、と示唆されてきたものの、状況情報の欠如はこの仮説が検証できないことを意味しています。その不確実性の状況にも関わらず、年代に基づいて、ムラデチ洞窟のヒトは、ムラデチ洞窟の他の場所で見つかったオーリナシアン人口遺物と関連づけられてきており、それにはムラデチ式の骨の尖頭器や大型有蹄類(ヘラジカやウマやステップバイソン/オーロックス)の歯で作られたペンダントが含まれます。
他のUPの穿孔された歯との比較では、ボルスカ洞窟のペンダントはムラデチ洞窟および一般的にオーリナシアン遺跡で発見された先行された歯との密接な類似性を示します。穿孔された歯の根全体は両面で大きく削られ、歯根の厚さが大きく減少し、穿孔が両側から穴を開けることにより歯根頂点のひじょうに近くでなされました。ボルスカ洞窟とムラデチ洞窟で発見されたペンダントの間の唯一の違いは、ムラデチ洞窟で用いられた歯の種の範囲がより大きい点で観察できます。それによって、ボルスカ洞窟の遺物群は、オーリニャック文化と関連するかもしれない大型有蹄類の歯で作られたペンダントの最大の収集を表しています。現時点で、この関連をさらに調べるための、ムラデチ洞窟個体群から利用可能な古代DNAはありません。
グラヴェティアンの起源は広く議論されてきましたが、ユーラシア全域での比較的大規模な埋葬集合は、広い時空間的範囲でのグラヴェティアンのヒトに関する形態学および行動学の大量のデータを提供してきました。最近の古代DNA研究(関連記事1および関連記事2)は、ヨーロッパ中央部と南東部のグラヴェット文化間の遺伝的つながりを論証してきました。グラヴェティアン関連個体およびユーラシア西部現代人との遺伝的連続性を有する、これまでに発見された最古の個体は、3つの異なる遺伝的祖先系統構成要素により表され、それは、ベルギーの35000年前頃となるゴイエQ116-1個体と、ブルガリアのバチョキロ洞窟(関連記事)の35000年前頃となる個体(BK1653)と、ロシア西部の38000年前頃となるコステンキ14号(関連記事)です。
BK1653個体は、ヨーロッパ南西部のグラヴェティアン個体群の遺伝的祖先系統に寄与したゴイエQ116-1個体の遺伝的祖先系統と関連しているものの同一ではありませんが、BK1653個体はヨーロッパ中央部のグラヴェティアン個体群に祖先系統を寄与しました。コステンキ14号の遺伝的祖先系統は、グラヴェット文化と関連する全個体で見つけられてきました。本論文では、さまざまな旧石器時代文化の個体群とボルスカ洞窟個体の遺伝的関係の解明が目的とされましたが、これらの関連は回収されたデータ量の少なさのため限定的でした。ボルスカ洞窟個体はPM2号とmtHg-U6の基底部を共有していますが、他の古代人との状況でこれらの個体間の完全な遺伝的関係を判断するのに充分な核DNAデータはありません。
利用可能なデータから、ボルスカ洞窟個体はBK1653個体(オーリナシアンとの関連が推測されています)や、ドルニー・ヴェストニツェ遺跡(グラヴェティアン)およびスンギール遺跡(初期UP)の個体群と最も多くの核DNAの遺伝的類似性を有する、と示されます。興味深いことに、ボルスカ洞窟個体はコステンキ14号とよりもBK1653個体の方と有意に近くなっています。これは、ボルスカ洞窟個体がUPヨーロッパ中央部個体であることと一致しますが、ヨーロッパ中央部内のグラヴェティアンもしくはオーリナシアンのどちらとより密接な類似性があるのか、判断しません。¹⁴C年代はボルスカ洞窟のヒト遺骸について31300~30300年前頃の下限年代を提供し、これは後期オーリナシアンと前期グラヴェティアンとの間の境界らほぼ収まる、33500年前頃との分子年代推定と一致します。
ボルスカ洞窟遺物群は、UP埋葬感想の時空間的範囲の調査について、旧石器時代ヒト遺骸の目録で重要なデータ点を表しています。発見されて古代DNAの分析に成功したひじょう限定的な数のUP乳児埋葬のうち、ボルスカ洞窟個体は最初に特定された女性です。これ以前に最古と確証された女性乳児埋葬は中石器時代のイタリアで見つかっており(関連記事)、ボルスカ洞窟の少女個体の埋葬の少なくとも2万年後になります。したがって本論文は、副葬品を伴う子供の埋葬がUPには男児に限定されていなかった最初の証拠を提供します。本論文はさらに、限定的で保存状態の悪い古代資料での研究の課題を浮き彫りにし、学際的で複数の手法の採用が旧石器時代の状況の詳細な調査を可能とする貴重な洞察を依然として提供できる、と強調します。以下は本論文の要約図です。
●この研究の限界
旧石器時代のヒト遺骸は稀で、UP乳児はさらに稀です。ボルスカ洞窟の乳児の歯は小規模で部分的な断片であり、分析に適した資料の量はひじょうに限られていました。この研究はできるだけ少なく資料を採取しようと試みたので、歯冠の形態を保存し、将来の研究にとって保存を確保するために、6点のヒトの歯のうち2点で限定的な破壊的標本抽出が採用されました。
¹⁴C標本における現代の炭素汚染は、資料の真の年代の過小評価をもたらします。標本規模が減少するにつれて、汚染の危険性は増加し、これは示されたデータにとって明らかに考慮すべき事柄です。これは、(潜在的に)同じ個体からの2点のヒトの歯の年代における一致の欠如と、そのわずかに上昇したC/N値により浮き彫りにされ、低水準の炭素汚染は前処理もしくは実験室でもたらされた環境汚染の不完全な除去に起因するかもしれない、と示唆されます。環境と実験室における炭素汚染の遍在を考えると、同じ資料から生成されたより古い年代が、一般的にはより正確で信頼できる、と考えられています。汚染の問題を克服するために、厳密な混合物特異的年代測定手法を、骨のコラーゲンにおける内在性ヒドロキシプロリンの分離に使用できます(関連記事)。しかし、コラーゲンにおけるヒドロキシプロリンの小さな割合は、この手法には大きな開始時の標本規模が必要であることを意味しているので、この手法は本論文では実行できませんでした。
ヒトの年代の汚染が示唆されているので、それは下限年代とみなされました。分子年代測定技術(他の直接的に放射性炭素年代測定されたヒト遺骸を用いての較正)は、(ひじょうに広い信頼区間にも関わらず)非較正で33500年前頃の年代を示唆しており、31000年前頃という下限年代を裏づけます。それにも関わらず、提示された新たなデータはボルスカ洞窟のヒト遺骸のUP起源を確証します。課題と利用可能な限定的データを考えると、ボルスカ洞窟の埋葬遺物群の決定的な年代、もしくは特定の旧石器時代文化とのより決定的な関連性を結論づけることはできません。しかし、年代測定にとってひじょうに小さな標本規模(古代DNAの標本規模の単位では)を用いてさえ、古代DNA解析とペンダントの類型論により裏づけられた、遺物群の後期オーリナシアンと前期グラヴェティアンの境界付近への位置づけが確証されます。
乳児の2点の歯で提示された高水準の現代人の汚染と内在性DNAの限定的な量は、人口集団の遺伝的関係を超えた、さまざまな遺伝的類似性を決定する能力を制約しました。これは、mtDNAと核ゲノム両方の網羅率減少をもたらしました。図S6~S9で示されるように、データ量の減少は一部の遺伝的類似性の喪失をもたらします。より多くのデータがあれば、ボルスカ洞窟の少女個体とBK1653個体もしくはヴェストニツェおよびスンギールクラスタ(まとまり)との関連を解明できる可能性がありますが、残念ながら限定的なデータはこれを妨げました。汚染に起因する制約は、考古資料の汚染を最小限とする努力の重要性を強調します。これには、ヒト遺骸や人工遺物の発掘および取り扱いにおける手袋と顔マスクの着用、適切な保存、癒合薬や接着剤の塗布前の標本抽出の検討などが含まれます。
参考文献:
Fewlass H. et al.(2023): Chronological and genetic analysis of an Upper Palaeolithic female infant burial from Borsuka Cave, Poland. iScience, 26, 12, 108283.
https://doi.org/10.1016/j.isci.2023.108283
●要約
ボルスカ洞窟(Borsuka Cave)の6点のヒトの歯と112点の動物製のペンダントは、ポーランドで最古の埋葬と確認されました。しかし、その年代測定およびペンダントと歯の関連に関する不確実性は、上部旧石器考古学的インダストリーとの関連づけを妨げてきました。本論文は、各歯あたり67mg未満を用いて、2点の歯と6点の草食動物の歯のペンダントの年代測定と遺伝学的分析を統合し、これらの問題に対処しました。本論文の学際的手法は、限定的な標本抽出試料と高水準の分解および汚染にも関わらず、有益な結果をもたらしました。その結果、ヒト遺骸および草食動物製ペンダントの旧石器時代起源が確証され、乳児を女性と特定し、さまざまな旧石器時代インダストリーとの遺物群の関連を考察できました。本論文は、最小侵襲手法への発展と、貴重ではあるもののひじょうに劣化して汚染されている先史時代の資料からデータ回収を最大化する手法の統合の利点を例証します。
●研究史
ユーラシアの上部旧石器時代(Upper Palaeolithic、略してUP)のヒト遺骸は少ないものの、この時代は考古学的記録におけるヒトの埋葬の可視性増加により特徴づけられ、通常は34000~24000年前頃となるグラヴェット文化(Gravettian culture)、および時には時にはそれ以前(39000~34000年前頃)とさえ関連しています。ヨーロッパ中央部東方には旧石器時代考古学の豊富な記録があり、いくつかの遺跡にはさまざまな技術群と関連するヒト遺骸が含まれています(図1)。以下は本論文の図1です。
チェコ共和国のムラデチ洞窟(Mladeč Cave)、ポーランドのオブラゾワ洞窟(Oblazowa Cave)、ルーマニアの「女性の洞窟(Peştera Muierii、以下PM)」(関連記事)およびチオクロヴィナ・ウスカタ洞窟(Peștera Cioclovina Uscată、以下PCU、関連記事)、ベルギーのゴイエ(Goyet)の第三洞窟(Troisième caverne、個体Q116-1およびQ376-3、関連記事)における直接的に年代測定されたヒト遺骸はすべて、較正年代(以下、明記のない場合は基本的に較正年代です)で37000~33000年前頃の範囲内に収まり、暫定的にオーリナシアン(Aurignacian、オーリニャック文化)と関連づけられています。
ロシア西部のコステンキ・ボルシェヴォ(Kostenki-Borshchevo)複合はUPのさまざまな期間にまたがっており、多くのヒト遺骸が発見されていて、その中にはオーリナシアンとも関連している39000~37000年前頃のコステンキ14号の埋葬も含まれています。クリミアのブラン・カヤ3(Buran Kaya III)遺跡の遊離したヒト遺骸はグラヴェティアン(グラヴェット文化)遺物群と関連していますが、これはその初期の直接的年代が36800~35700年前頃であることと対照的です。
ヨーロッパ中央部では、グラヴェティアンは前期グラヴェティアン(34000~30000年前頃)とオーストリアのパブロフィアン(Pavlovian、31000~29000年前頃)と後期グラヴェティアン/ヴィレンドルフ・コステンキアン(Willendorf Kostenkian)に分岐していきます。パブロフィアン期は、チェコ共和国のドルニー・ヴェストニツェ・パブロフ(Dolní Věstonice-Pavlov)遺跡やプシェドモスティ(Předmostí)遺跡などで見られるような、赤色オーカー(鉄分を多く含んだ粘土)や副葬品により特徴づけられます。
オーストリアのクレムス・ヴァハトベルク(Krems-Wachtberg)遺跡(関連記事)を含めてUPの子供の埋葬がこの地域で確認されてきましたが、きわめて稀です。ロシアのスンギール(Sunghir)遺跡ではずっと精巧なUP埋葬が発見されており、複数個体や豊富なオーカーや例外的に豊富な副葬品群が含まれています。これらの個体の直接的な年代測定のいくつかの試みから、汚染の問題に起因する可能性が高い、大きく異なる結果が得られたので、スンギール遺跡の文化的関連に関する不確実性の一因となりました。最新で厳密な複合特定年代は、スンギール遺跡の埋葬を35800~32000年前頃に位置づけます。
ボルスカ洞窟(北緯50度9分53.94秒、統計19度42分12.23秒)はポーランド南部のシュクラルカ川(Szklarka River)流域に位置し(図2A)、この議論に重要なデータを追加します。2008~2010年の洞窟入口の横の発掘により、6点のヒトの乳歯が、ステップバイソン(Bison priscus/ Bos bison)/オーロックス(Bos primigenius)の78点およびヘラジカ(Alces alces)34点の合計112点の穿孔された歯とともに出土し、それらにはオーカーの痕跡がありました。7層が発掘され、下部の更新世単位(第7層~第5層)と上部の完新世単位(第4層~第1層)に分けられました。岩盤の上の層序の基部では、第7層には考古学的痕跡がありませんでした。第6層(深さ150~250cm)では、洞窟入口から斜面を下って北西に線状に分布して、ヒト遺骸と穿孔された歯が数m²にわたって広がって見つかりました。ペンダントは深さ160~220cmの試掘坑の南壁に集中しており、試掘坑の中央部と北部でいくつか見つかりました(図2)。
ヒトの歯は、区画C7とD7とE7内の試掘坑の北西隅の、ペンダントの集中の西側に位置していました(図2C・D)。これらの歯は全て、12~18ヶ月の1人の子供に属する、と確認されました。その幼い年齢を考えると、形態に基づいて性別を判断できませんでしたが、歯列の一貫した段階は1個体に属する可能性が高いことを示唆します。第6層にはヒト遺骸と穿孔された有蹄類の歯と燧石製石刃の先端断片1点が含まれていましたが、それ以外は考古学的痕跡がありませんでした。その上の第5層は考古学的および古生物学的にも痕跡がありませんでしたが、最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)の寒冷化と関連していました。第4層~第1層には、中世から現代にわたる完新世の遺物群が含まれています。以下は本論文の図2です。
ヒト遺骸に加えて、2000点以上の動物骨格断片が第6層から発掘されました。この遺物群には、ヘラジカやオーロックスやマツテン(Martes martes)やオオヤマネコ(Lynx lynx)やヨーロッパビーバー(Castor fiber)やヨーロッパアナグマ(Meles meles)などより温暖な森林環境に適応した分類群とともに、トナカイ(Rangifer tarandus)やホッキョクギツネ(Vulpes alopex)や野生ウマ(Equus ferus)やケブカサイ(Coelodonta antiquitatis)など寒冷な草原地帯とツンドラの種を含む動物相の異例な収集が含まれます。更新世の骨格遺骸の大半は自然の蓄積を表している可能性が高そうで、哺乳類と鳥類の骨の1.7%には肉食動物による変化の痕跡があり、穿孔された歯の他に人為的改変の痕跡はありません。
草食動物の歯のペンダントのうち2点は、95.4%の確率で直接的に32890~30760年前頃と放射性炭素(¹⁴C)年代測定されました(非較正で、Poz-32394は27350±450年前、Poz-38236は25150±160年前)。同じ層のトナカイの中足骨(Poz-38237)は31060~30270年前頃(非較正で26430±180年前)と年代測定されました。年代は第6層遺物群については中期UPを示唆しましたが、95%の確率範囲で2点のペンダントの年代間の一致の欠如から、ペンダントは厳密には同時代ではない、と示唆されました。これは、草食動物およびヒトの歯分布とともに、ペンダントとヒト遺骸との間の関連についての問題を未解決にしており、さらなる年代順の調査が必要です。しかし、その小さい規模のため、ヒトの歯の直接的な年代測定は当初不可能と判断されました。
代替理論が議論されてきましたが、関連する「国内」考古学の欠如は、遺物群は堆積後に攪乱された乳児埋葬と副葬品を表しており、埋葬坑の欠如と斜面を下って広がった線形をもたらした、との解釈につながりました。旧石器時代考古学の欠如のため、埋葬の文化的関連の判断については、ペンダントの年代測定および様式分析に依拠せざるを得ません。既存のペンダントの¹⁴C年代は、200~300kmほど離れたチェコ共和国のドルニー・ヴェストニツェ・パブロフ遺跡のパブロフィアン埋葬および400kmほど離れたオーストリアのクレムス・ヴァハトベルク遺跡の乳児埋葬とほぼ同時代です。しかし、ペンダント自体の類型はムラデチ洞窟で見つかったペンダントと類似しており、後期オーリナシアンとの関連が示唆されます。さらに、元々は旧石器時代と推測されていたヒト遺骸が実際には旧石器時代の状況への完新世からの侵入を表している事例は、多くあります。断片的なヒト乳歯の小さな性質と上層における完新世考古学の存在を考えると、ボルスカ洞窟がこの事例である可能性を除外できません。
近年、古代のひじょうに劣化した資料の放射性炭素年代測定および遺伝学的分析で大きな進歩があり、年代測定のための標本規模の縮小、単一標本からの複数の手法での抽出の組み合わせ、有機保存物非破壊的な事前選別、汚染DNAの除去の処理および/もしくは内在性古代DNAの濃縮、骨製人工物からの非破壊的な古代DNA抽出(関連記事)などが含まれます。そうした発展により、以前には不可能だった資料の生体分子分析が可能になります。本論文は、ボルスカ洞窟のヒトとの歯と穿孔された草食動物の歯ひじょうに限定的な量の資料を考慮して、以下の3点を調べるため、複数の学際的研究を考案しました。それは、(1)ヒトの歯が単一個体に由来するのかどうか、(2)ヒトの歯とペンダントの年代関係、(3)さまざまな旧石器時代文化との遺物群の関連です。歯の旧石器時代起源を確証し、ヒト遺骸がペンダントと同時代なのかどうか確認するため、2点のヒト乳歯(図3)と6点の穿孔された草食動物の歯(図4)の放射性炭素年代測定が実行されました。以下は本論文の図3です。
ヒト資料から、部分的に無傷の歯根があり、歯冠形態が保存されている2点の歯(C7/675およびC7/683)と、さまざまな区画の草食動物の歯で作られたペンダントが選択され、散在する遺物群全体で検証されました。古代DNA解析は、同じ2点のヒトの歯で試みられ、それらが1個体に属するのか決定され、他の上部旧石器時代個体とこの個体がどのように関連するのか、調べられました。ボルスカ洞窟の遺物群は、ひじょうに限られた利用可能な資料、および放射性炭素年代測定と古代DNA解析の両方で古代標本の保存状態の悪さと汚染という固有の問題の観点で、課題を表しています。それにも関わらず、UPのより広い文脈内でのボルスカ洞窟遺物群に関する追加の情報を提供するため、ひじょうに小さな標本からのデータ回収の最大化が目指されました。以下は本論文の図4です。
●放射性炭素年代測定
2点のヒトの歯のコラーゲン収率(4.3~8.5%)は草食動物の歯(3.0~9.1)の範囲内で、劣化した旧石器時代資料ではあるものの、全て年代測定に必要な最小限の1%程度を大きく上回っていました。全抽出物の元素値(炭素%、窒素%、炭素/窒素)は、保存状態良好なコラーゲンの一般的に受け入れられている範囲内(炭素が30~45%、窒素が11~16%、炭素/窒素が2.9~3.6)に収まり、コラーゲン抽出物は放射性炭素年代測定に適している、と示唆されます。しかし、いくつかは許容される炭素(C)/窒素(N)の範囲の限界に達しており(3.5~3.6)、低水準の汚染が標本に存在する可能性を示唆します。C7/675とC7/658とC6/494については、フーリエ変換赤外分光分析(Fourier Transform Infrared Spectroscopy、略してFTIR)を用いての追加の品質分析に充分なコラーゲンが利用可能です。全抽出物には、古代の骨のコラーゲンに特徴的なFTIR範囲がありましたが、ヒトの歯(C7/675)の範囲における2900 cm⁻¹で最高点のより高い強度は、外部汚染を示唆しているかもしれません。
2点のヒトの歯のバルクコラーゲンδ¹³Cおよびδ¹⁵N値は、ユーラシアの他の中期UPのヒト(関連記事)で見られる安定同位体値の範囲内に収まり、ステップバイソン/オーロックスやヘラジカの歯の草食動物の痕跡を大きく上回るひじょうに高いδ¹⁵N値があります。2点のヒトの歯のδ¹³C値は機器の誤差内と一致しますが、C7/675のδ¹⁵N値はC7/683より1.3‰高くなっています。歯が両方とも同様の形成時期の乳歯大臼歯であることを考えると、この違いは古食性ではなく、汚染もしくは別個体を示唆している可能性がより高そうです。δ¹⁵N値の上昇は他の中期UPのヒトで見られる範囲の最高端および草食動物よりも2段階上(栄養檀家の増加が3‰~5‰)の範囲にあります。これは乳児の年齢を考えると母乳育児の兆候と一致しますが、成人の比較データとさらなる化学分析がなければ、これをさらには解明できません。
本論文は、小規模な象牙質標本(23.4~67.4mg)と抽出されたコラーゲン(1~4.5mg)を考えて、小さな標本についての以前に確立した手法に従いました。黒鉛化および二酸化炭素(CO₂)ガスイオン源(gas ion source、略してGIS)の両手法を用いて、その後に組み合わせることで、複数の¹⁴C年代が各コラーゲン抽出物から得られました。X²検定が実行され、同じ抽出物からの複製年代間の統計的一致が判断されました。得られた¹⁴C年代の全ては中期UPの範囲内に収まり、非較正年代で31070±770~24830±290年前もしくは較正年代で35290~29090年前頃でした(図5)。以下は本論文の図5です。
草食動物の歯で作られたペンダントについては、複製測定は各コラーゲン抽出物で統計的に一致しますが、C7/683の年代(非較正年代で26610±240年前、95.4%の確率の較正年代で31160~30320年前頃)は、C7/675(非較正年代で25100±140年前、95.4%の確率の較正年代で29860~29090年前頃)より1500年ほど古くなっています。したがって、第6層で得られた年代をOxCalにおいて1段階でまとめてモデル化すると、遺物群の範囲は6290~4770年間にまたがり、36650~27620年前頃となります(図5)。年代測定に適した資料の欠如のため、モデル化された範囲を制約する上下の層で利用可能な年代はないので、どの年代も外れ値として特定されませんでした。放射性炭素データは表S1に、背景のコラーゲン測定値は表S2に、ボルスカ洞窟のデータのモデル化された範囲は表3に含まれています。
●古代DNA解析
象牙質粉末の4.7~12.9mgの間の微小標本が、2点のヒトの歯(C7/675とC7/683)のそれぞれから穿孔されました。得られた4点の歯の粉末の第二次標本は、DNA抽出と一本鎖ライブラリ調整とショットガン配列決定を経ました。1628190~8575605の間の配列が各ライブラリで生成され、そのうち2495~37436の配列が各ライブラリについてヒト参照ゲノム(hg1963)にマッピング(多少の違いを許容しつつ、ヒトゲノム配列内の類似性が高い処理を同定する情報処理)されました。C7/683では古代DNAは検出されませんでしたが、C7/675の第二次標本の1点は、古代DNAに特徴的な、回収されたDNAの末端での12.4~20.6%のシトシン(C)からチミン(T)への置換に基づいて、古代DNAを含んでいると確認されました。これらのライブラリの重複率もしくは各DNA断片の配列決定回数はすべて1回前後で、全ての回収されたDNA断片が配列決定されたわけではないことを示唆しています。この第二次標本から生成されたライブラリの現代人のDNA汚染は、脱アミノ化パターンに基づいて汚染水準を計算する手法であるAuthentiCTを用いて、54~56%と推定されました。
解像度の限界までC7/683において古代DNAが検出されなかったにも関わらず、両方のヒトの歯はその後、同じ個体に由来する可能性が高いのかどうか判断するために、混成捕獲でヒトのミトコンドリアDNA(mtDNA)で濃縮されました。C7/683のライブラリは、ショットガン配列決定が網羅的ではなかったので、依然として混成捕獲に含められ、核DNAおよびmtDNAの内容は古代の標本では異なると示されてきており、少量の内在性DNAが検出されずに残っている可能性を残します。
濃縮されたライブラリには、ヒトmtDNAの改定ケンブリッジ参照配列にマッピングされ、CからTへの置換上昇(5′末端で21.3~35.1%、3′末端で14.5~24.6%)のある、34塩基対より長い243078~938984の配列が含まれていました。現代人の汚染が2.93~39.94%の範囲で各ライブラリにおいて検出されたため、全てのその後の分析は、最初の末端3塩基および/もしくは最後の末端3塩基内で3CからTへの置換を含んでいた、脱アミノ化が推定される断片に限定されました。
15269~60728の脱アミノ化断片(それぞれ46倍と223倍のmtDNA網羅率に相当します)が、ほぼ完全な一致mtDNAゲノムの再構築に用いられました。各歯から得られたmtDNAのハプロタイプは同じで、歯が同じ個体であるか、同じ母系であることと一致します。しかし、どちらのmtDNAゲノムも完全ではないので、個々に識別できる多様体が検出されなかった可能性を除外できません。C7/675から得られたより完全なゲノムが、次に系統樹構築と分子枝の短縮に用いられました。得られた分子年代は33533年前頃(95%最高事後密度間隔で38935~28200年前)と推定され、mtDNAゲノムはmtDNAハプログループ(mtHg)U6内に収まります(図6C)。mtHg-U6は現代人ではアフリカ北部において最も一般的に観察され、以前には旧石器時代のヨーロッパにおいて、ルーマニアのPM(女性の洞窟)遺跡の標本(34000年前頃)でのみ観察されました(関連記事)。
同じ個体に属するとその後に判断された(関連記事)PM1号および2号のmtDNAゲノムと同様に、ボルスカ洞窟のヒトの歯のmtDNAゲノムはmtHg-U6の基底部で、3348Gと10517Aと16172Cの部位を共有しています。重要なことに、重複する部位(6ヶ所の欠落部位)では、PM2号とボルスカ洞窟個体のmtDNAゲノム間で違いは観察されません。ボルスカ洞窟の歯とPM2号が同じmtDNAゲノムを共有しているとしても、これは両者が互いに2500年以内に生きていた可能性が高いことを示唆しているだけです。以下は本論文の図6です。
ボルスカ洞窟に埋葬された子供のUPの他の個体との遺伝的類似性を判断するため、C7/675のライブラリが、人口の研究に情報をもたらすと知られている120万の一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)で濃縮されました。得られたライブラリは513237のSNPを網羅しましたが、約56%の現代人の汚染を含んでいることも確認されました。これは、全ての下流分析を、子供の性別決定に用いられる46286の推定される脱アミノ化断片に限定することを要求しています。124万SNPの常染色体とX染色体とY染色体のSNPの比率は各標的に起因して慣例的な予測に従わないので、この種のデータで以前に実行されたように、X染色体とY染色体の比率の調整が用いられました。これから「X染色体の比率」0.68と「Y染色体の比率」0.04が得られ、この個体が女性であることと一致します。
ユーラシア西部とアジア中央部とアジア東部の現代の個体群の主成分分析(principal component analysis、略してPCA)に投影すると、ボルスカ洞窟個体は以前に刊行されたUPユーラシア西部人および近現代ユーラシア西部人とクラスタ化し(まとまり)ました(図6B)。ボルスカ洞窟個体と以前に刊行された現代および古代の個体との間での遺伝的共有がf₃統計で計算され、外群人口集団として現在のムブティ人個体が用いられました(図6A)。PCAと一致して、現代の人口集団で最大の類似性はユーラシア西部人とでした。基底部ユーラシア人(関連記事)祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)は、ボルスカ洞窟個体では検出されませんでした。
f₃統計で検証すると、ボルスカ洞窟個体は古代の個体では、35000年前頃となるブルガリアのバチョキロ洞窟(Bacho Kiro Cave)の個体(BK1653)、34000年前頃となるPM1号、31000年前頃となるヴェストニツェ16号、34000年前頃となるスンギール3号と、最も多くのアレル(対立遺伝子)を共有していました。ボルスカ洞窟個体を他の古代の個体とD統計で直接的に比較すると、ボルスカ洞窟の女児個体はグラヴェティアンおよびオーリナシアンの個体群とより多くの類似性を有しています。しかし、ボルスカ洞窟個体との類似性は、ヴェストニツェ16号とスンギール3号とBK1653とPM1号の間では有意な違いが観察されず、これらの集団のうち1集団とのボルスカ洞窟の女児個体の直接的な関連は除外されます。
●考察
本論文で提示された年代および遺伝的データは、ボルスカ洞窟の乳児遺骸のUP起源を確証し、これらの遺骸は現時点で、これまでに特定された最古の女児埋葬となります。核DNAなしでは歯が同じ個体に由来するのか確証できませんが、ミトコンドリア分析は2点のヒトの歯が同じ個体か同じ母系であることと一致します。
放射性炭素年代測定は、経時的な¹⁴Cの指数関数的崩壊に基づいています。したがって、現代の炭素における¹⁴Cの濃度は古代の標本よりずっと高いので、現代の炭素での汚染は、標本の真の年代より新しい¹⁴C年代をもたらし、より古い資料ほどしだいに悪影響を受けます。人工遺物の埋葬環境や取扱や保管や分析を通じてもたらされた現代の炭素の遍在を考えると、一致しない年代測定結果が旧石器時代の資料から得られた場合、より古い¹⁴C年代が一般的により正確です。ヒトの歯(C7/683)の直接的な年代は、別のヒトの歯(C7/675)の年代より古くなっています。2点の歯が同じ個体に由来するのならば、これは、(1)C7/683のより古い年代が正しく、C7/675の年代は外部からの炭素汚染の存在のため真の年代が過小評価されているか、(2)両方の年代が過小評価されています。
あるいは、ヒトの歯は幼児2個体に由来し、両者の年代が正しいのかもしれません。直接的なヒトの年代とペンダントの年代範囲との間の不一致に加えて、これは歯の間のδ¹⁵N値の違いと数m²にわたる遺物群の散在によっても示唆されるかもしれません。ペンダントの製作の一貫した形式と、mtDNA分析から歯が少なくとも母方親族と示唆していること(同じ個体ではないとしても)を考えると、この仮定的状況では、年代測定結果の説明に同じ母系の集団による4000~6000年間のボルスカ洞窟遺跡の使用が必要となるでしょう。
C7/675抽出物におけるC/N値の上昇と2900 cm⁻¹という追加のFTIRの最高値は、汚染が年代と潜在的にはδ¹⁵N値に影響を及ぼしているかもしれない、と示唆します。したがって、この結果の最節約的な解釈は、2点のヒトの歯は同じ個体に由来し、汚染の影響を受けている、ということです。この歯を1個体に由来するとみなすならば、汚染は通常年代を繰り下げるので、C7/683のより古い年代の方が、C7/675のより古い年代より正確である可能性が高そうです。標本抽出に利用可能な少量の資料と、両方のヒトの歯の3.5~3.6というC/N値を考えると、C7/683の31200~30300年前頃という年代は、ヒト遺骸の下限年代と考えられます。
C7/683のより古い年代は、ボルスカ洞窟のペンダントから以前に得られた年代、およびドルニー・ヴェストニツェ・パブロフ遺跡とクレムス・ヴァハトベルク遺跡の31000年前頃のパブロフィアン埋葬と同時代で、これはヨーロッパ中央部におけるパブロフィアン文化とのボルスカ洞窟の関連を裏づけるでしょう(図7)。しかし、草食動物の歯で作られたペンダントの新たな¹⁴C年代の範囲は35290~33260年前頃です(95.4%の確率)。ペンダントのこれら新たなデータはヒトの乳児の歯から得られた年代より古いものの、同じ層の2点のペンダントとトナカイの骨で以前に得られた年代よりずっと古くもなります(図5)。以下は本論文の図7です。
この埋葬遺物群の年代は31000~30000年前頃の可能性があり、首飾りはさまざまな年齢の草食動物の歯の収集から作られ、その中には動物の死のずっと後に穿孔されて装飾品の製作に用いられたものも含まれています。ヘラジカの孤立的な生活様式から、ヘラジカの歯が1回の出来事で収集された可能性は低かった、と示唆されます。ヘラジカの歯で作られたペンダントのうち4点(少なくとも3個体)のストロンチウム(Sr)同位体組成と痕跡要素分析に関する最近の研究は歯の外来起源を論証し、ペンダントは西カルパチア山脈の南側をオーストリアとスロヴァキアの国境もしくはハンガリー北部近くの地域からボルスカ洞窟へと約250km輸送された、と示唆されます。
交換もしくはヒトの地域的移動のこの証拠は、好適な環境条件にも関わらず、ボルスカ洞窟が海洋酸素同位体ステージ(Marine Isotope Stage、略してMIS)2の始まりとなる27000年前頃のヘラジカの存在の証拠を含む、この地域における唯一の遺跡であることにより裏づけられています。ヨーロッパ中央部におけるトランス・カルパチアの石材の存在も、西カルパチア山脈地域周辺での高いヒトの移動性を示します。この証拠から、一定期間にわたる草食動物の歯の収集は実現可能と示唆されますが、ペンダントが5000年以上の年代が異なる可動物を表している可能性は低いようです。あるいは、低水準の汚染が、ペンダントとヒトの歯の真の年代を過小評価している、32000~29000年前頃との¹⁴C結果の一部に影響を及ぼしているかもしれません。
35300~33300年前頃となるペンダントのより古い年代範囲は、チェコ共和国のムラデチ洞窟の直接的に年代測定されたヒト遺骸の36800~34700年前頃と時間的に重複します。ムラデチ洞窟の較的浅いヒト遺骸は意図的な堆積の結果かもしれない、と示唆されてきたものの、状況情報の欠如はこの仮説が検証できないことを意味しています。その不確実性の状況にも関わらず、年代に基づいて、ムラデチ洞窟のヒトは、ムラデチ洞窟の他の場所で見つかったオーリナシアン人口遺物と関連づけられてきており、それにはムラデチ式の骨の尖頭器や大型有蹄類(ヘラジカやウマやステップバイソン/オーロックス)の歯で作られたペンダントが含まれます。
他のUPの穿孔された歯との比較では、ボルスカ洞窟のペンダントはムラデチ洞窟および一般的にオーリナシアン遺跡で発見された先行された歯との密接な類似性を示します。穿孔された歯の根全体は両面で大きく削られ、歯根の厚さが大きく減少し、穿孔が両側から穴を開けることにより歯根頂点のひじょうに近くでなされました。ボルスカ洞窟とムラデチ洞窟で発見されたペンダントの間の唯一の違いは、ムラデチ洞窟で用いられた歯の種の範囲がより大きい点で観察できます。それによって、ボルスカ洞窟の遺物群は、オーリニャック文化と関連するかもしれない大型有蹄類の歯で作られたペンダントの最大の収集を表しています。現時点で、この関連をさらに調べるための、ムラデチ洞窟個体群から利用可能な古代DNAはありません。
グラヴェティアンの起源は広く議論されてきましたが、ユーラシア全域での比較的大規模な埋葬集合は、広い時空間的範囲でのグラヴェティアンのヒトに関する形態学および行動学の大量のデータを提供してきました。最近の古代DNA研究(関連記事1および関連記事2)は、ヨーロッパ中央部と南東部のグラヴェット文化間の遺伝的つながりを論証してきました。グラヴェティアン関連個体およびユーラシア西部現代人との遺伝的連続性を有する、これまでに発見された最古の個体は、3つの異なる遺伝的祖先系統構成要素により表され、それは、ベルギーの35000年前頃となるゴイエQ116-1個体と、ブルガリアのバチョキロ洞窟(関連記事)の35000年前頃となる個体(BK1653)と、ロシア西部の38000年前頃となるコステンキ14号(関連記事)です。
BK1653個体は、ヨーロッパ南西部のグラヴェティアン個体群の遺伝的祖先系統に寄与したゴイエQ116-1個体の遺伝的祖先系統と関連しているものの同一ではありませんが、BK1653個体はヨーロッパ中央部のグラヴェティアン個体群に祖先系統を寄与しました。コステンキ14号の遺伝的祖先系統は、グラヴェット文化と関連する全個体で見つけられてきました。本論文では、さまざまな旧石器時代文化の個体群とボルスカ洞窟個体の遺伝的関係の解明が目的とされましたが、これらの関連は回収されたデータ量の少なさのため限定的でした。ボルスカ洞窟個体はPM2号とmtHg-U6の基底部を共有していますが、他の古代人との状況でこれらの個体間の完全な遺伝的関係を判断するのに充分な核DNAデータはありません。
利用可能なデータから、ボルスカ洞窟個体はBK1653個体(オーリナシアンとの関連が推測されています)や、ドルニー・ヴェストニツェ遺跡(グラヴェティアン)およびスンギール遺跡(初期UP)の個体群と最も多くの核DNAの遺伝的類似性を有する、と示されます。興味深いことに、ボルスカ洞窟個体はコステンキ14号とよりもBK1653個体の方と有意に近くなっています。これは、ボルスカ洞窟個体がUPヨーロッパ中央部個体であることと一致しますが、ヨーロッパ中央部内のグラヴェティアンもしくはオーリナシアンのどちらとより密接な類似性があるのか、判断しません。¹⁴C年代はボルスカ洞窟のヒト遺骸について31300~30300年前頃の下限年代を提供し、これは後期オーリナシアンと前期グラヴェティアンとの間の境界らほぼ収まる、33500年前頃との分子年代推定と一致します。
ボルスカ洞窟遺物群は、UP埋葬感想の時空間的範囲の調査について、旧石器時代ヒト遺骸の目録で重要なデータ点を表しています。発見されて古代DNAの分析に成功したひじょう限定的な数のUP乳児埋葬のうち、ボルスカ洞窟個体は最初に特定された女性です。これ以前に最古と確証された女性乳児埋葬は中石器時代のイタリアで見つかっており(関連記事)、ボルスカ洞窟の少女個体の埋葬の少なくとも2万年後になります。したがって本論文は、副葬品を伴う子供の埋葬がUPには男児に限定されていなかった最初の証拠を提供します。本論文はさらに、限定的で保存状態の悪い古代資料での研究の課題を浮き彫りにし、学際的で複数の手法の採用が旧石器時代の状況の詳細な調査を可能とする貴重な洞察を依然として提供できる、と強調します。以下は本論文の要約図です。
●この研究の限界
旧石器時代のヒト遺骸は稀で、UP乳児はさらに稀です。ボルスカ洞窟の乳児の歯は小規模で部分的な断片であり、分析に適した資料の量はひじょうに限られていました。この研究はできるだけ少なく資料を採取しようと試みたので、歯冠の形態を保存し、将来の研究にとって保存を確保するために、6点のヒトの歯のうち2点で限定的な破壊的標本抽出が採用されました。
¹⁴C標本における現代の炭素汚染は、資料の真の年代の過小評価をもたらします。標本規模が減少するにつれて、汚染の危険性は増加し、これは示されたデータにとって明らかに考慮すべき事柄です。これは、(潜在的に)同じ個体からの2点のヒトの歯の年代における一致の欠如と、そのわずかに上昇したC/N値により浮き彫りにされ、低水準の炭素汚染は前処理もしくは実験室でもたらされた環境汚染の不完全な除去に起因するかもしれない、と示唆されます。環境と実験室における炭素汚染の遍在を考えると、同じ資料から生成されたより古い年代が、一般的にはより正確で信頼できる、と考えられています。汚染の問題を克服するために、厳密な混合物特異的年代測定手法を、骨のコラーゲンにおける内在性ヒドロキシプロリンの分離に使用できます(関連記事)。しかし、コラーゲンにおけるヒドロキシプロリンの小さな割合は、この手法には大きな開始時の標本規模が必要であることを意味しているので、この手法は本論文では実行できませんでした。
ヒトの年代の汚染が示唆されているので、それは下限年代とみなされました。分子年代測定技術(他の直接的に放射性炭素年代測定されたヒト遺骸を用いての較正)は、(ひじょうに広い信頼区間にも関わらず)非較正で33500年前頃の年代を示唆しており、31000年前頃という下限年代を裏づけます。それにも関わらず、提示された新たなデータはボルスカ洞窟のヒト遺骸のUP起源を確証します。課題と利用可能な限定的データを考えると、ボルスカ洞窟の埋葬遺物群の決定的な年代、もしくは特定の旧石器時代文化とのより決定的な関連性を結論づけることはできません。しかし、年代測定にとってひじょうに小さな標本規模(古代DNAの標本規模の単位では)を用いてさえ、古代DNA解析とペンダントの類型論により裏づけられた、遺物群の後期オーリナシアンと前期グラヴェティアンの境界付近への位置づけが確証されます。
乳児の2点の歯で提示された高水準の現代人の汚染と内在性DNAの限定的な量は、人口集団の遺伝的関係を超えた、さまざまな遺伝的類似性を決定する能力を制約しました。これは、mtDNAと核ゲノム両方の網羅率減少をもたらしました。図S6~S9で示されるように、データ量の減少は一部の遺伝的類似性の喪失をもたらします。より多くのデータがあれば、ボルスカ洞窟の少女個体とBK1653個体もしくはヴェストニツェおよびスンギールクラスタ(まとまり)との関連を解明できる可能性がありますが、残念ながら限定的なデータはこれを妨げました。汚染に起因する制約は、考古資料の汚染を最小限とする努力の重要性を強調します。これには、ヒト遺骸や人工遺物の発掘および取り扱いにおける手袋と顔マスクの着用、適切な保存、癒合薬や接着剤の塗布前の標本抽出の検討などが含まれます。
参考文献:
Fewlass H. et al.(2023): Chronological and genetic analysis of an Upper Palaeolithic female infant burial from Borsuka Cave, Poland. iScience, 26, 12, 108283.
https://doi.org/10.1016/j.isci.2023.108283
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