ネアンデルタール人によるホラアナライオンの狩猟

 ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)によるホラアナライオン(Panthera spelaea)の狩猟を報告した研究(Russo et al., 2023)が公表されました。大型哺乳類、頂点捕食者、アフリカ起源、世界規模での拡大、深刻なボトルネック(瓶首効果)経験(関連記事)、複雑な交雑史などといった点で、ライオンは、ホモ属、とくに現生人類(Homo sapiens)との類似性が見られます(関連記事)。上部旧石器時代には、ライオンは旧石器時代芸術の重要な題材となり、人為的な動物相群ではより頻繁に見られます。しかし、それ以前の人類とライオンとの間の関係はあまり知られておらず、おもに種間競合として解釈されています。本論文は、中部旧石器時代におけるネアンデルタール人とホラアナライオンの相互作用に関する新たな証拠を提示します。

 本論文は、ドイツのジークスドルフ(Siegsdorf)遺跡で1985年に発見された、48000年前頃となる中型ホラアナライオンの骨格の証拠を報告し、この骨格はヒトの歴史における大型捕食者殺害の最初の直接的事例を証明します。2本の肋骨や数本の椎骨や左大腿骨など骨の切り傷の比較分析から、このホラアナライオンにとって致命的な刺し傷は木製の槍で突いたことだった、と示唆されます。この刺し傷は傾斜しており、槍がライオンの左側の腹部に刺さり、重要な臓器を貫通して、右側の第3肋骨に到達したことを示唆しています。この刺し傷の特徴は、これまでに知られているネアンデルタール人の槍によるシカの椎骨の刺し傷に類似しています。

 本論文は、少なくとも19万年前頃となるドイツのアインホルンヘーレ(Einhornhöhle)遺跡で発見されたホラアナライオンの末節骨の発見も提示し、この骨はヨーロッパ中央部のネアンデルタール人によるホラアナライオンの使用の最古の事例を表しています。これらホラアナライオンの骨には、動物の皮を剥いだときにできる傷と矛盾しない切り傷が見られ、人為的に改変された骨の存在は、これらの骨がホラアナライオンの毛皮の中に残されて、後にその場に遺棄されたことを示唆しています。これらの切り傷の位置は、毛皮を剥ぐ作業が慎重に行なわれ、鉤爪が必ず毛皮の一部として保存されるようにしていたことを示唆しています。本論文は、ネアンデルタール人の行動の複雑さの新たな次元に関する新規の証拠を提供します。

 捕食者の大量殺害の直接的証拠は、考古学的記録では稀です。狩猟痕は、非ヒト動物が、自然死の直後に獲得したか、あるいは対決的な死肉漁りを通じてではなく、ヒトにより能動的に殺された、最も明確な証拠のいくつかを提供します。本論文で提示されたジークスドルフ遺跡の新たな証拠は、木製の槍で狩られたホラアナライオンの最古の事例です。ネアンデルタール人が尖った先端の石器も使用していた可能性がありながら、木製の槍を継続的に使用していたことは、ドイツのノイマルク・ノルト(Neumark-Nord)遺跡(関連記事)やレーリンゲン(Lehringen)遺跡などで明らかなので、ジークスドルフ遺跡での使用は驚くべきことではありません。

 ジークスドルフ遺跡標本の数点の骨の解体痕から、ライオンは殺害場所で処理された、と示唆されます。肉と内臓の獲得後、死骸は放棄されました。ジークスドルフ遺跡のネアンデルタール人は、状態の悪いライオンを殺害し、その肉を消費した可能性が高そうです。アインホルンヘーレ(Einhornhöhle)遺跡のより新しい考古学的堆積物はすでに、ネアンデルタール人の文化的行動の理解に顕著な証拠を提供してきました(関連記事)。ライオンの毛皮利用の最初期の証拠は、アインホルンヘーレ遺跡から新たに追加されました。回廊内側から発見されたライオンの遺骸は、早ければ少なくとも19万年前頃には人類によるライオンの皮膚を注意深く扱う能力を証明します。ライオンの毛皮はネアンデルタール人により洞窟へと持ち込まれ、その目的は、身体的な快適さか、社会文化的誇示か、その両方だったかもしれません。

 機能に関わらず、ライオンの毛皮の扱いは、ネアンデルタール人社会にとってのライオンの重要性の証拠です。ジークスドルフおよびアインホルンヘーレ遺跡から発見された遺骸は、中部旧石器時代採食民の行動一覧に新たなデータを提供し、ネアンデルタール人の文化の複雑さを増やします。ネアンデルタール人はライオンなど非ヒト捕食者と、経済的だけではなく文化的にも関与できた、と本論文は結論づけます。これは、現生人類も後にそうしたことが証明されています。

 本論文は、ネアンデルタール人の文化的行動の複雑さを改めて示した、と言えそうですが、48000年前頃となると、ドイツのテューリンゲン州(Thuringia)のオーラ川(Orla River)流域に位置するラニス(Ranis)のイルゼン洞窟(Ilsenhöhle)遺跡における現生人類の痕跡の少し前となりそうで(関連記事)、可能性が低いかもしれませんが、ジークスドルフ遺跡のネアンデルタール人が現生人類と接触していたことも考慮しておくべきではないか、とも思います。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


考古学:ネアンデルタール人によるホラアナライオンの狩猟を示す最古の証拠

 ドイツで発見された4万8000年前のホラアナライオン(Panthera spelaea)の胸郭にあった刺し傷は、古代のネアンデルタール人の木製の槍によって突き刺さされた時の傷である可能性があり、ネアンデルタール人によるライオンの狩猟と解体の最も古い事例であるかもしれないと報告する論文が、Scientific Reportsに掲載される。今回の研究では、ネアンデルタール人がホラアナライオンの毛皮を使っていたことを示す最も古い証拠も示されている。

 ホラアナライオンは、さまざまな古代人の文化(例えば、ホモ・サピエンスの洞窟壁画)において目立った存在であるにもかかわらず、ネアンデルタール人との相互作用に関しては確かなことが分かっていない。

 今回、Gabriele Russoらは、1985年にドイツのジークスドルフで発掘され、年代測定によって4万8000年前のものとされたホラアナライオンのほぼ完全な骨格を分析した。この遺骨は、古代の中型のホラアナライオンのものと考えられている。2本の肋骨、数本の椎骨、左大腿骨などの骨に切り傷があったため、古代人がホラアナライオンの死体を解体したことがこれまでの研究で示唆されていた。しかし今回、Russoらは、ライオンの第3肋骨の内側の一部に刺し傷があり、この刺し傷が、先端部が木製の槍の衝撃痕と一致すると考えられると述べている。この刺し傷は傾斜しており、この槍がライオンの左側の腹部に刺さり、重要な臓器を貫通して、右側の第3肋骨に到達したことを示唆している。この刺し傷の特徴は、これまでに知られているネアンデルタール人の槍によるシカの椎骨の刺し傷に類似している。このことからRussoらは、ジークスドルフで収集された骨の標本が、ネアンデルタール人が特定の目的でホラアナライオンを狩猟していたことを示す最も古い証拠だという見解を示している。

 これとは別にRussoらは、2019年にドイツのアインホルンヘーレで発掘され、年代測定によって5万5000~4万5000年前のものとされたホラアナライオン3体の標本の足指と下肢の指骨と種子骨を分析した。これらの骨にも、動物の皮を剥いだときにできる傷と矛盾しない切り傷が見られた。人為的に改変された骨が存在するということは、これらの骨がホラアナライオンの毛皮の中に残されて、後にその場に遺棄されたことを示唆している。これらの切り傷の位置は、毛皮を剥ぐ作業が慎重に行われて、鉤爪が必ず毛皮の一部として保存されるようにしていたことを示唆している。Russoらは、これはネアンデルタール人がホラアナライオンの毛皮を使っていたことを示す最も古い証拠である可能性があり、毛皮は文化的目的で使用されていたのかもしれないと述べている。

 以上の知見を総合すると、更新世のネアンデルタール人とホラアナライオンの相互作用を解明するための新たな手掛かりになる。



参考文献:
Russo G. et al.(2023): First direct evidence of lion hunting and the early use of a lion pelt by Neanderthals. Scientific Reports, 13, 16405.
https://doi.org/10.1038/s41598-023-42764-0

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