縄文時代早期の人類のミトコンドリアDNAデータ

 縄文時代早期の人類のミトコンドリアDNA(mtDNA)データを報告した研究(Mizuno et al., 2023)が公表されました。mtDNAは核DNAと比較して解析が容易なため、かつては人類進化史の研究の主流とも言えました。現在では核DNAの解析が容易となり、核ゲノムデータによる人類進化史の研究が主流となっていますが、古代人のDNAでは核よりもミトコンドリアの方が解析しやすいことは今でも変わらず、mtDNAデータは核DNAデータよりもずっと蓄積しやすい利点があります。さらに、mtDNAは人口集団の社会構造の分析にも役立つので、今後もmtDNAの解析は人類進化史の研究において重要な役割を果たし続けるでしょう。


●要約

 日本の縄文時代は、定住と狩猟・採集生活様の式独特な組み合わせにより特徴づけられ、末期更新世から完新世までの1万年間にわたります。先行する旧石器時代から縄文時代への移行は土器使用の出現で始まった、と知られています。しかし、「縄文人」の遺伝的背景に関する知識は限定的です。縄文時代早期のヒト遺骸の人口集団規模の完全なミトコンドリアゲノム配列の決定と、時空間的観点からの縄文時代におけるミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)の発生の比較が目的とされました。

 8600~8200年前頃のヒト遺骸について、標的濃縮結合次世代配列決定を用いて、その完全なミトコンドリアゲノム配列が決定されました。高深度の網羅率での完全なミトコンドリアゲノム配列と、参照配列での高い一致を得ることに成功しました。これらの配列は、完全に同一の配列を有する2個体を除いて、それぞれ3塩基以上異なっていました。mtHg-N9bおよびM7aを有する個体の共存が、縄文時代早期の同じ遺跡で初めて観察されました。人口集団内の遺伝的多様性は、縄文時代早期でさえ低くありませんでした。


●研究史

 日本列島の縄文時代は、定住と狩猟・採集生活様の式独特な組み合わせにより特徴づけられ、末期更新世から完新世までの1万年間にわたります。縄文時代には16500年前頃に土器が出現し、その後で3000~2400年前頃に弥生時代の移民により水田稲作がもたらされました。「縄文人」はひじょうに発達した社会と文化を有しており、たとえば東日本では縄文時代中期(5000年前頃)に、優美で精巧な土器が日常生活で用いられました。縄文土器は製作に基づいて時空間的に異なります。しかし、時空間的な類似性と違いに関して、「縄文人」の遺伝的背景についてはほとんど知られていません。

 最近数十年で発展した高処理能力配列決定技術により、多数のヌクレオチドとゲノム規模配列の取得が可能になりました。さらに、その費用は大幅に減少しました。結果として、古代ゲノム解析は保存状態の良好な古代人標本に限定されなくなり、広範な古代人標本に使用できます。母系継承のmtDNA/ミトコンドリアゲノムは、個体間のヌクレオチド配列で大きな違いを示すので、母系関係の個体の識別だけではなく、人口集団間の遺伝的関係にも貴重な指標として用いられてきました。本論文は、較正年代で8600~8200年前頃となる縄文時代早期の遺跡、つまり群馬県北西部の吾妻郡長野原町貝瀬地区にある居家以岩陰遺跡から発掘された古代人個体の遺骸のミトコンドリアゲノムの完全なヌクレオチド配列の決定を目的とします。7個体の母系関係も調べられました。複数のmtHgデータがポリメラーゼ連鎖反応(polymerase chain reaction、略してPCR)遺伝子型決定だけで決定されましたが、とくに、時空間的観点から縄文時代におけるmtHgの出現が比較されました。


●標本

 居家以岩陰遺跡の埋葬坑1・4・8号からヒト遺骸が発掘され、居家以3号(左大腿骨)と10号(右側錐体骨)と12号(左錐体骨)と15号(左錐体骨)が分析されました。これら4個体は個々の埋葬坑から発掘され、近接しており、埋葬坑1号と同じ層でした(図1)。放射性炭素年代測定により、埋葬坑1号は較正年代で8300~8200年前頃と推定され、これは縄文時代早期の後半に相当します。以下は本論文の図1です。
画像


●居家以岩陰遺跡個体の完全なミトコンドリアゲノム配列

 本論文では、標的濃縮と次世代配列決定(next-generation sequencing、略してNGS)分析の組み合わせを用いて、充分な深度で縄文時代早期の4個体のゲノムについて完全なヌクレオチド配列情報が得られました。表1には、本論文と先行研究で得られた7個体の高精度の結果が示され、本論文で新たに提示される個体の深度は、居家以10号が61倍で、居家以3・12・15号は200倍超です。全個体で充分な深度と全長のミトコンドリアゲノム配列が得られました。参照配列との一致は、居家以3号が0.989、居家以10号が0.988、居家以12号が0.986、居家以15号が0.988です。これらの個体は、古代DNAの指標である脱アミノ化パターンを示します。


●完全なミトコンドリアゲノム配列から推測されたmtHg

 7個体のうち、6個体はmtHg-N9bで、1個体がmtHg-M7aです。mtHg-N9bで全長配列が利用可能な、現代人71個体と、北海道の礼文島の船泊遺跡(関連記事)の女性1個体(F23)と、愛知県田原市の伊川津貝塚遺跡(関連記事)の女性1個体(IK002)と、居家以岩陰遺跡の6個体を組み合わせて、近隣結合(neighbor joining、略してNJ)系統樹(図2)と最尤(maximum likelihood、略してML)系統樹(図3)が構築されました。以下は本論文の図2です。
画像

 その結果、mtHg-N9bをN9b1とN9b2とN9b3と「他のN9b」に分類すると、F23とIK002はmtHg-N9b1、居家以4・12号はmtHg-N9b3、その他のmtHg-N9bの個体は「他のN9b」でした。対照的にmtHg-M7a系統については、居家以3号が下位ハプログループであるmtHg-M7a+16324で複数のシングルトン(固有変異)変異を有していました。居家以8・10号を除く全個体は、それぞれ2塩基以上異なる配列を有していました。以下は本論文の図3です。
画像


●考察

 本論文では把握している限り初めて、mtHg-N9bおよびM7aが縄文時代早期の同じ遺跡で観察されました。完全なミトコンドリアゲノム配列を用いての分析により、固有変異に関する情報を含む正確なハプロタイプの定義の知徳が可能になりました。mtHg-M7aの居家以3号は、既知の下位ハプログループに分類されませんでしたが、いくつかの固有変異がありました。mtHg-N9b個体のうち、居家以4・12号は既知の下位ハプログループN9b3に分類されました。居家以岩陰遺跡の残りの4個体(居家以1・8・10・15号)は、mtHg-N9bの既知のどの下位ハプログループにも属さない、まだ識別されていない新たなハプロタイプを有しています。とくに居家以8・10号は、完全なミトコンドリアゲノムにわたって完全に同一のmtHg-N9bを有していました。この調査結果から、居家以8号と居家以10号は母系で関連している、と明らかになります。居家以8号と居家以10号は、ほぼ同年代で、発掘された人骨は相互に隣に位置していたので、恐らくは密接な親族でした。

 縄文時代は土器形式編年に基づいて、草創期と早期と前期と中期と後期と晩期に区分されています。縄文時代のmtHgデータは時代区分に従って表2に示されています。合計94点のデータのうち、完全なミトコンドリアゲノム配列に基づいたハプログループ識別は28個体に限定されています。しかし、残り66個体のハプログループ識別は、PCRに基づくハプログループ決定データの限定的な配列情報から推測されました。縄文時代早期では4ヶ所の遺跡から報告されており、本論文で対象とされた、mtHg-N9bおよびM7aが分布する遺跡も含まれます。他のmtHgは、長野県上高井郡高山村の湯倉洞窟のD4b2と、佐賀市の東名貝塚遺跡のN9a2aです。縄文時代前期では6ヶ所の遺跡から報告されており、mtHg-M7aが南北の遺跡で見つかったのに対して、mtHg-N9bは九州以南の遺跡では見つかりませんでした。

 縄文時代中期には、mtHg-N9bおよびM7aの両方が観察され、その全ての遺跡は千葉県に位置しています。縄文時代後期では6ヶ所の遺跡から報告されており、北は北海道、南は沖縄県に位置しており、mtHg-M7aは北(北海道)と南(沖縄県)の両方で検出されました。mtHg-N9bは船泊遺跡で多数観察され、他のmtHgは横浜市の称名寺貝塚遺跡(関連記事)のD4b2と船泊遺跡のD4h2です。縄文時代晩期では、mtHg-N9bが北海道の遺跡で多数観察されました。mtHg-N9bおよびM7aは両方とも、本州の遺跡で観察されました。他のmtHgはほとんどが北海道伊達市有珠町の有珠モシリ遺跡で観察され、同じく伊達市の有珠モシリ遺跡ではG1bとD4h2、南有珠6遺跡ではG1b、北海道稚内市宗谷村のオンコロマナイ遺跡ではD4h2です。

 これらのデータを用いて、これまでに報告されている日本列島の「縄文人」のデータがまとめられました(図4)。第一に、mtHg-M7aは日本列島全体で広く分布しています。第二に、mtHg-N9bは九州およびその南方を除いて日本列島全体で広く分布しています。第三に、mtHg-G1bおよびD4hは北海道のみに分布しています。第四に、地域的な違いが観察されましたが、(現時点では)期間の違いは観察されませんでした。第五に、mtHg-M7aおよびN9bは、西方を除いて、日本列島全体で同じ遺跡に共存しています。以下は本論文の図4です。
画像

 本論文が把握している限りでは、これは縄文時代早期の同じ遺跡(居家以岩陰遺跡)から複数個体の完全長のミトコンドリアゲノム配列が決定された初めての研究です。同じmtHgの個体でさえ、ヌクレオチド配列は完全長の水準ではひじょうに多様と観察されました。さらに、人口集団内の遺伝的多様性は縄文時代早期に低くなく、少なくとも母系では、他集団との活発な遺伝的相互作用が示唆されます。

 さらに、「縄文人」の核ゲノムの分析も行なわれており、将来の研究では、母系だけではなく父系にも基づいた関係を確証できるでしょう。一般的に、家族はヒト社会において最も基本的な親族集団で、技術が未発達な狩猟採集社会において自然環境への適応手段の一つです。完全な核ヌクレオチド配列の取得により、婚姻体系が同一の母系親族で構成されていたのかどうか、確認できるようになるでしょう。多数のヒト遺骸が居家以岩陰遺跡の縄文時代早期層から発掘される、と予測されます。縄文時代早期の居家以岩陰遺跡の全てのヒト遺骸のゲノムデータは、この仮説の検証に貴重な手がかりを提供するでしょう。


参考文献:
Mizuno F. et al.(2023): Diversity in matrilineages among the Jomon individuals of Japan. Annals of Human Biology, 50, 1, 324–331.
https://doi.org/10.1080/03014460.2023.2224060

この記事へのコメント