5世紀のパンノニアの墓地の被葬者のゲノムデータ
5世紀のパンノニアの墓地の被葬者のゲノムデータを報告した研究(Vyask et al., 2023)が公表されました。近年の古代ゲノム研究の進展は目覚ましく、とくにヨーロッパの古代ゲノムデータは他地域よりもずっと多く蓄積されています(関連記事)。ヨーロッパの古代ゲノム研究では中世のデータも蓄積されつつあり、歴史学や考古学だけでは推測の難しい問題も解明していき、歴史像をより精緻にしていくでしょう。日本列島も含めてユーラシア東部圏は、先史時代でも歴史時代でもヨーロッパより古代ゲノム研究が大きく遅れていますが、中国の経済および学術的発展もあり、今後盛んになっていくのではないか、と期待されます
●要約
4~5世紀に西ローマ帝国の崩壊が加速するにつれて、到来した「蛮族」集団は衰退しつつある(最終的にはかつての)の帝国の国境地帯に新たな共同体を築き始めました。これは、こうした国境地域だけではなく、ヨーロッパ全体での顕著な文化的および政治的変化の時期でした。フン人の行動の崩壊後のこれら重要な辺境地帯の一つにおけるローマ後の共同体形成をより深く理解するため、ハンガリーのバラトン湖(Lake Balaton)における3ヶ所の5世紀の墓地の時系列から一連の38ヶ所の埋葬について、新たな古ゲノムデータが生成されました。以前に刊行された6世紀半ばの遺跡の38ヶ所の追加の埋葬からのデータとともにこれらの墓地を特徴づけるため、包括的な標本抽出手法が用いられ、それらが準同時代の550以上の個体のデータとともに分析されました。
これら局所的な4ヶ所の埋葬共同体全てにおける遺伝的多様性の範囲は、これまでに配列決定された準同時代のヨーロッパ人よりも広範です。埋葬慣行と人口動態における多くの共通点にも関わらず、遺跡間の遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)にはかなりの違いがあった、と分かりました。バラトン湖地域へのヨーロッパ北部からの遺伝子流動の証拠が検出されました。さらに、5世紀の遺伝的に女性の埋葬では服装工芸品と遺伝的祖先系統との間で統計的に有意な関連が観察されました。本論文の分析から、中世初期の共同体の形成は局所的水準でさえ雑多な過程で、遺伝的に異質な集団から構成される、と示されます。
●研究史
西ローマ帝国が崩壊し、5世紀はヨーロッパにおける大きな政治的および文化的および人口統計学的変化の期間でした。これはドナウ川中流域ではとくに当てはまり、ドナウ川中流域は長くローマ帝国の辺境地帯として機能し、395年にローマ帝国が東西に分裂した後に、国境地帯となりました。恐らく433年のローマ市民および軍事期間によるパンノニア地域の放棄のため、パンノニアはすでに以前の政治的および軍事的重要性を喪失していました。
この地域のその後の発展は、5世紀半ばのフン人支配の期間にまず決定され、その後で、ゴート人(Goth)やヘルール人(Herul)やランゴバルド人(Langobard)など、さまざまな「蛮族」集団の影響下に入りました。この地域の政治史は文献でよく記録されていますが、これらは、マルケリヌス・コムス(Marcellinus Comes)やパニウムのプリスクス(Priscus of Panium)やシドニウス・アポリナリス(Sidonius Apollinaris)やヨルダネス(Jordanes)やプロコピオス・アンテミウス帝(Procopius of Caesarea)やメナンデル・プロテクトル(Menander Protector)など、西ローマ帝国もしくは東ローマ帝国の同時代もしくはその後のギリシア語もしくはラテン語での外部の著者の記録で、そうした著者はさまざまな民族集団の移動を重視しましたが、これらの移動が共同体の生活にどのように影響を及ぼしたのか、記述していません。考古学的記録は、集落の構造およびパターンの変容、新たな考古学的現象の出現、この地域に時には何千基もの墓を含んでいる場合もある、4世紀の大規模な後期ローマ墓地とは大きく異なる小さな埋葬地を築いた新たな共同体の連続的出現を示します。
先行研究(関連記事)は、6世紀半ば頃となる、現在のハンガリーのバラトン湖の南岸、で発見されたランゴバルド期の墓地であるスゾラッド(Szólád)の包括的な古ゲノム特徴づけを実行しました。本論文では、この共同体はおもに、ヨーロッパ北部現代人で見られるゲノム祖先系統が濃縮されている、大規模で3世代の男性の生物学的親族(つまり、一連の密接に生物学的に関連している個体群)を中心に組織されており、墓の設計や服飾品や他の副葬品との関連で異なるさまざまなゲノム祖先系統を有する少なくとも2群に区別できる、と論証されました。
本論文では、5世紀の半ば~後半となるスゾラッドの近くに位置する3ヶ所の墓地、つまりフォニョード(Fonyód)とハクス(Hács)とバラトンセメシュ(Balatonszemes)の38個体について、高密度の時空間的標本抽出手法に由来する古ゲノムデータの分析が提示されます。これらの墓地はスゾラッドとの地理的近さに基づいて分析のため選ばれ、この地域と期間にかなり典型的と考えられています。これらの墓地は年代的に、5世紀後半の時間横断区を表しており、フォニョードは中盤、ハクスは後半、バラトンセメシュは末となります(図1)。以下は本論文の図1です。
これにより、スゾラッドで観察された遺伝的異質性がこの地域における長期のローマ後の構造を表しているのか、文献で記述されているように6世紀の人口移動の結果だったのか、調査が可能になりました。本論文がとくに関心を有したのは、(1)これら短命の共同体の連続的出現がどの程度、文献で証明されているように、この地域における広範なヒトの移動と新たな人口集団の出現の結果だったのか、(2)これらローマ後の共同体の社会的親族関係と組織の構築に生物学的近縁性がどのような役割を果たしたのか、ということです。換言すると、遺伝的差異は、遺跡の埋葬慣行と空間構成における顕著な社会的および文化的違いと対応していますか?
●5世紀のパンノニア:フォニョードとハクスとバラトンセメシュ
フォニョードとハクスとバラトンセメシュは、ハンガリーのバラトン湖の南岸近くの黄土の隆起尾根上に、相互に18km以内に位置しています。これらの遺跡の考古学的年代測定は、特定の宝飾品の種類(胸飾りや留め針や耳飾り)や、クミ・ブリゲティオ(Čmi-Brigetio)様式の両側櫛という「遊牧民の鏡」などの道具に基づいています。これら3ヶ所の遺跡全て、短命な農村共同体を表している可能性が高そうです。これら3ヶ所の遺跡ではそれぞれ、19基(フォニョード)と29基(ハクス)と19基(バラトンセメシュ)の墓が発掘されています。しかし、空の墓と化石生成論的問題のため、紛失または破壊されていないか充分に保存されていた、ヒト遺骸がある墓は、フォニョードでは14基と、ハクスでは15基(現代の攪乱のため、男女1個体ずつの2個体の埋葬の混合となっている、ハクス5号墓を含みます)のみで、バラトンセメシュでは13基の墓にしかヒト遺骸がありません。
ハクスの失われたか破壊されたか保存状態の悪い埋葬の一部からの情報(および、利用可能な場合には、成人の骨学的性別評価が存在しない事例における遺伝学的性別)を含めると、成人女性の埋葬へのかなりの偏りがあり(つまり、成人女性21個体と成人男性5個体と未成年17個体)、このパターンは各遺跡で当てはまります(成人女性と成人男性と未成年の個体数はそれぞれ、フォニョードでは7・2・5、ハクスでは9・2・7、バラトンセメシュでは7・2・5)。ハクスとバラトンセメシュは埋葬慣行の観点でもひじょうに類似しており、それは、人工遺物がほぼ女性の埋葬で発見されており、一般的に貧弱な副葬品の男性とは対照的だからです。人工的な頭蓋変形(Artificial cranial deformation、略してACD)も全ての遺跡で観察できますが、フォニョードでのみ一般的で(保存された頭蓋11点のうち7点)、一方で他の2ヶ所の遺跡(ハクスとバラトンセメシュ)では単一の事例のみが含まれています。この3ヶ所の遺跡は埋葬の空間的構成の観点でも違いを示し、フォニョードは、相互に50~60mとほぼ均等な距離で配置されている6基の墓のクラスタ(まとまり)の点で独特です(図2)。以下は本論文の図2です。
●5~8世紀のイタリア:バルドネッキアとトリノ・ラヴァッツァ
ハンガリーの3ヶ所の遺跡(フォニョードとハクスとバラトンセメシュ)と準同時代の、バルドネッキア(Bardonecchia)とトリノ・ラヴァッツァ(Torino Lavazza)というイタリアの2ヶ所の遺跡が本論文では含められ、それは、利用可能な高品質の中世イタリアの配列決定された個体の数を増やすためです。これらのデータは、先行研究の低網羅率であることが多いイタリアのデータを補完します。
●ゲノム配列決定
ヒト遺骸のある墓からゲノムデータが得られたのは、フォニョードでは14基のうち13基、ハクスでは15基のうち14基(15番目のハクス23号墓は、標本抽出のためには利用できませんでした)、バラトンセメシュでは13基のうち11基でした。合計で38点の標本が新たに配列決定され、分析されました。標本10点は全ゲノム配列決定(whole-genome sequencing、略してWGS)に用いられ(網羅率は5~11倍の範囲で、平均8.36倍)、残りの標本28点は120万の一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)についてゲノム規模SNP捕獲で用いられました(網羅率の範囲は0.02~3.46倍で、平均1.47倍)。
WGS標本では、1126140の常染色体124万SNPの事実上全てが回収されましたが(1120721のSNPのうち1098348)、網羅されたSNPの捕獲数は24558~859675の範囲でした。ミトコンドリアの汚染率中央値は全ての個体で1~3%でしたが、男性14個体の核の汚染点推定値は0.4~2%の間でした。さらに、バルドネッキアとトリノ・ラヴァッツァ(5~8世紀のイタリア)の14点の新たな標本は、網羅率の範囲が0.39~3.85倍(SNPの数は306226~845032)で124万捕獲が行なわれましたが、バルドネッキアの1個体(Bard_T1)はWGSが行なわれました(網羅率は6.54倍で、SNPの数は1121223)。
●5世紀の人口集団の遺伝的構造における時間的差異
古代人561個体の主成分分析(principal component analysis、略してPCA)が実行され(網羅率0.1倍以上が対象)、smartPCAを使ってプロクラステス変換技術を用いて、古代の個体群は現代のPOPRES(Population Reference Sample、人口集団参照標本)参照個体群の背景へと変換されました。5~6世紀のバラトン湖の全個体(網羅率切断のため69個体)は、おもにヨーロッパ現代人の遺伝的多様性を反映している、と分かりました(図3A)。さらに、ヨーロッパ全域で標本抽出された、準同時代(4~8世紀頃)の比較対象の492個体一式(バルドネッキアとトリノ・ラヴァッツァの新たにゲノムデータが生成された15個体と以前に刊行された477個体)が分析されました。
主成分1(PC1)および主成分2(PC2)の座標の信頼楕円から、準同時代の地域はおもに同じ地理的地域の現代の個体群とクラスタ化する(まとまる)、つまり局在化しますが(図3B)、本論文で新たに提示される5~6世紀のバラトン湖の個体群は、POPRESデータセットにおけるヨーロッパ現代人の遺伝的差異の南北の軸全体を反映している範囲(図3A)が網羅される(ただ、ヨーロッパ西部もしくは東部は含まれません)、ずっと多様なゲノム祖先系統を有している、と論証されます。
バラトン湖の全個体は100年間にわたる200km²の単一の地域から標本抽出されましたが、準同時代の人口集団は一般的に、ずっと広い地理的地域と時間枠を含んでいます(したがって、より高い遺伝的多様性が予測されます)。これは、ヨーロッパ中央部のこの地域が、5~6世紀にとくに高い割合の遺伝子流動を経た、と示唆しています。FEEMSを使用し、本論文で新たに提示されるバラトン湖の個体群と同時代の個体群を用いて、ヨーロッパ全域の空間的状況における遺伝子流動が明確にモデル化され、じっさい、バラトン湖地域とそこから1000kmほど離れたヨーロッパ北部全域の人口集団との間の高い割合の遺伝子流動が見つかりました(図3D)。以下は本論文の図3です。
本論文で新たに報告されたバラトン湖墓地被葬者内の構造をさらに調べるため、モデルに基づくクラスタ化手法(fastNGSadmix)も用いて、あり得る供給源として1000人ゲノム計画(1000 Genomes Project、略して1000G)人口集団を使用し、各個体のゲノム祖先系統が特徴づけられました。さらに、準同時代のヨーロッパ人についてPCAで観察された局所化された地理的構造を考慮して、類似の地理的分布の古代の4~8世紀頃の準同時代参照個体群のパネルが孝徳され、8点の古代人パネルが形成されました。それは、台湾の漢本(Hanben)の16個体で構成されるEASIA(East Asia、アジア東部)、イタリア半島およびイベリア半島の40個体で構成されるMEDEU(Mediterranean Europe、地中海ヨーロッパ)、スーダンのクルブナルティ(Kulubnarti)島の20個体で構成されるNAFRICA(North Africa、アフリカ北部)、40個体で構成されるNGBI(Northern Germany/Britain、ドイツ北部およびブリテン島)、インドのループクンド湖(Roopkund Lake)の17個体で構成されるSASIA(South Asia、アジア南部)、40個体で構成されSCAND(Scandinavia/Estonia、スカンジナビア半島およびエストニア)、さまざまな遺跡の8個体で構成されるSUBSAHARAN(sub-Saharan Africa、サハラ砂漠以南のアフリカ)です。
現代人および古代人の参照一式から類似のパターンが得られ(図4A・B)、ほぼ全ての個体は、おもにトスカーナ(Tuscan、略してTSI)とヨーロッパ中央部および大ブリテン島(Central European and Great Britain、略してCEU+GBR)とフィンランド(Finnish、略してFIN)の現代人の祖先系統、もしくは地中海(Mediterranean、略してMEDEU)とドイツ北部およびブリテン島(northern Germany and British、略してNGBI)とスカンジナビア半島およびエストニア(Scandinavian/Estonian、略してSCAND)の準同時代個体の祖先系統のいくつかの組み合わせを有しています。MEDEU対TSIおよびNGBI対CEU+GBR、およびSCAND対FINの祖先系統の割合を比較した線形回帰が実行され、それぞれのR²値は0.79と0.54と0.36と分かりました。しかし、5世紀の3ヶ所の墓地の被葬者は全員、これらの構成要素の総体的割合に関して明確な特性を有しており、準同時代個体群の分析はこれらの違いを最も明らかに示しています。最も注目すべきは、5世紀の遺跡(フォニョードとハクスとバラトンセメシュ)の被葬者について、SCAND祖先系統における明確な漸進的で有意な増加で、それに対応する経時的なNGBI祖先系統の減少です。
フォニョードは年代的にはこの地域におけるフン人の権力最盛期となり、その後の5世紀の2ヶ所の遺跡(ハクスとバラトンセメシュ)とは、考古学的および遺伝学的観点では顕著に異なります。その独特な空間構造から、フォニョードはフン期集団の短命な共存の埋葬遺跡で、その一部は、パンノニアにおける外来の減少で、その後の遺跡ではさほど見られないACD(人工的な頭蓋変形)を実行していた、と示唆されます。ゲノムでは、フォニョードの被葬者は他のバラトン湖遺跡よりも有意に多くの(重複しない95%信頼区間により評価されるように)地中海祖先系統を有しており、PCAではいくぶん南方へと動いています(図3および図4)。全体的に、フォニョード遺跡はより多くの非ヨーロッパ人の多様性を示し、2個体(フォニョード278号および316号)は6%程度のアジア南部および/もしくはアジア東部祖先系統を、1個体(フォニョード469号)は12%のアフリカ祖先系統を有しています(図4)。したがって、フォニョード遺跡被葬者のゲノム特性は、ローマ後期の異質性および/もしくは東方からの近い過去の流入を反映しているかもしれません。以下は本論文の図4です。
ハクスとバラトンセメシュは両方、フォニョード遺跡被葬者ではさほど顕著ではないヨーロッパ北部祖先系統(NGBIおよびSCAND)をひじょうに高い割合で有する個体が多く(図3C)、5世紀後半におけるフン帝国の崩壊後の新たな「蛮族」権力の出現を記述している文献と一致する、この地域への新たな集団の到来を示唆しているかもしれません。バラトン湖個体群とヨーロッパ北部個体群との間の高水準の遺伝子流動は、これらその後の2ヶ所の共同体を調べた際に、本論文のFEEMS(Fast Estimation of Effective Migration Surfaces、有効移住表面の速成推定)分析でのみ見られますが、それ以前のフォニョード遺跡の使用では、この地域への遺伝子流動への障壁およびヨーロッパ南部とのより大きな遺伝子流動が得られました。
しかし、相対的なSCAND/NGBI構成要素における差異のため、より高いPC1値(つまり、より多くのヨーロッパ北部祖先系統)を有する個体は、PCAでは2ヶ所の遺跡(ハクスとバラトンセメシュ)間で重複を示さず(図3C)、ハクス遺跡被葬者はヨーロッパ北西部現代人へと、バラトンセメシュ遺跡被葬者はヨーロッパ北東部現代人へと傾いています。これらの違いから、類似しているものの、区別でき、ヨーロッパ北部起源の集団が、5世紀後半に複数の波でこの地域に到来した、と示唆されるかもしれません。
一方で、MEDEU祖先系統を多量有している個体の存在は4ヶ所の遺跡全てで一致し、PCAでは重複を示しており、これがこの期間全体にわたるより安定した在来のゲノム痕跡を表しているかもしれない、と示唆されます。フォニョードに続いてバラトン湖地域への北方からの遺伝子流動という本論文の調査結果を顕彰するため、qpAdm分析も実行されました。その結果、これらの調査結果はFEEMSおよびfastNGSadmixで得られた本論文の調査結果と一致するものの、要注意なのは、qpAdm手法が密接に関連する古代末期/中世初期の供給源人口集団の分析にとって理想的ではない、ということです。
興味深いことに、スゾラッドの被葬者は、標本規模がずっと大きいにも関わらず、5世紀の遺跡3ヶ所(フォニョードとハクスとバラトンセメシュ)すべてで観察されるゲノム差異が網羅される特性を論証します。ヨーロッパ北部祖先系統は、ハクスおよびバラトンセメシュの被葬者においてよりもさらに顕著で、これはおもに(完全ではありませんが)以前に特定された(関連記事)9個体の大家系により駆動されます(図4)。この家系の個体群では、ほとんどの他の北方的個体群とともに、バラトンセメシュ被葬者で観察された高い割合のSCAND構成要素が欠けており(代わりに、定性的にはフォニョードおよびハクスの被葬者と類似しており、3個体の顕著な例外は2親等の親族で、スゾラッド41および42号はそれぞれ92%と73%の、スゾラッド4号は59%のSCAND祖先系統を有しています)、これら2ヶ所の遺跡(フォニョードとハクス)間の大きな直接的連続性がないことを示唆しています。
スゾラッドはストロンチウム同位体データの点で注目に値し、スゾラッドの被葬者のほとんどの成人は、ゲノム祖先系統に関係なく外来だった、と示唆されます(関連記事)。しかし、本論文のデータが明らかにしたのは、スゾラッドで観察された遺伝的祖先系統の主要なパターンは5世紀後半にはバラトン湖地域およびその周辺ですでに確立されていた、ということです。したがって、この共同体(スゾラッド遺跡)は、単に新たな人口集団、つまり歴史学および考古学両方の研究により解釈されているようにランゴバルドの到来の結果ではなく、50年以上前に確立された遺伝的差異の既存の多様な地域的蓄積から形成されたかもしれません。
●生物学的近縁性と社会的関係
フォニョード遺跡の小さな埋葬集団は以前には、強い社会的つながりの痕跡としはて解釈され、ハクスおよびバラトンセメシュ遺跡は家族の墓地として記載されてきました。lcMLkinを用いて、5世紀の遺跡3ヶ所(フォニョードとハクスとバラトンセメシュ)全てで密接な生物学的親族が特定されました。3ヶ所の遺跡すべてで、生物学的親族関係はわずか数組のひじょうに密接な1親等および2親等の親族で構成されており、そのほとんどは母方でした(図2)。これらの分析は、同じ親族関係を見つけたREAD分析でも確証されました。これは、墓地がおもに男性の生物学的親族を中心に構成され、大規模な拡張家系のあるスゾラッド遺跡(関連記事)とはひじょうに対照的です。
フォニョードとバラトンセメシュの生物学的に関連する個体群は相互に近くに埋葬されており、バラトンセメシュ遺跡の事例では、そのつながりは埋葬慣行の類似性にも明らかに反映されており、これらのつながりには意味のある社会的価値があった、と示唆されます。しかし、恐らくは遺跡の短い居住期間と埋葬された個体の少なさにも影響を受けている、生物学的に関連する個体数の相対的な少なさや、小規模な親族関係や、ほとんどの埋葬群における生物学的関連の欠如から、他の要因がこれら5世紀の共同体形成に大きな影響を与えたかもしれない、と示唆されます。
密接な生物学的親族関係を超えて個体のより広範な生物学的背景(ゲノム祖先系統により決定されます)が意味のある社会的つながりとしてどの程度認識されていたのか調べるため、ロジスティック回帰の枠組みを用いて、差異を示す埋葬慣行も、POPRESとPCAのPC1およびPC2の座標と比較されました。その結果、5世紀の女性埋葬に特徴的なさまざまな宝石の種類および服飾品(つまり、多面体の耳飾りやさまざまな胸飾りの種類や腕輪や琥珀製ビーズなど)と、遺伝的差異との間に強い顕著な関連が観察されました。これは、おもにヨーロッパ北部祖先系統を多量に有しており(16個体のうち13個体の主要な構成要素はSCAND/NGBI)、服飾品を伴うほとんどの個体に起因しているようで、そのため、遺跡固有の回帰はハクスおよびバラトンセメシュのみで有意であり、フォニョードでは有意ではありませんでした。
これらの結果は、それぞれの共同体により死亡時に異なる扱いを受けた、ヨーロッパ北部の遺伝的背景のある個体群を示しており、恐らくはこの地域における在来民とより近い過去の遺民との間の文化的および/もしくは社会的違いを示しています。フォニョード遺跡の(頭蓋が保存されている)個体群では、PCAの結果とACDとの間の強い関連も見つかりました。密接な生物学的親族は稀ですが、全ての生物学的親族はおもに北方のゲノム祖先系統を有する個体群が含まれていることも注目に値し、恐らくはこの生物学的に構造化された社会組織の別の側面を反映しています。
スゾラッドの被葬者は5世紀の3ヶ所の遺跡(フォニョードとハクスとバラトンセメシュ)の被葬者と類似したゲノム特性を示しますが、葬儀慣行や空間構成や人口動態の観点では著しく異なります。遺伝的差異と、さまざまな形態と種類で5世紀の3ヶ所の遺跡(フォニョードとハクスとバラトンセメシュ)および6世紀のスゾラッド遺跡に存在する人工遺物である、一般的に女性の埋葬から発見される胸飾りとの間には有意な関連はなく、社会的および経済的違いはもはやこの共同体では遺伝的背景の断層線に沿って形成されていなかった、と示唆されます。
この人工遺物とゲノム祖先系統との間の関連の弱体化が、5世紀以降の社会的親族関係慣行におけるより一般的な移行(少なくとも女性に関して)とランゴバルドの支配の確立を反映しているのかどうかは、本論文のデータでは結論づけるのが難しく、それは、他の6世紀のバラトン湖の遺跡であるスゾラッドでさえ、成人および思春期の男性の大半(19個体のうち15個体)は武器とともに埋葬されている点で、やや独特と考えられているからです。北方ゲノム背景の重要性はこの共同体(スゾラッド)では依然として明らかなようですが、それはむしろ、空間的に固まり、おもに男性の親族による墓地の優勢を通じてです。
●まとめ
民族考古学の一般的な過程では、西方におけるローマ帝国崩壊後の、中世初期の移住共同体の共通の祖先と民族と文化の遺産が想定されます。最近の歴史学と考古学と人類学の研究では、これが過度に単純化されており、物質文化は遺跡と地域両方の水準で顕著な複雑さを示す、と分かってきました。本論文は、この複雑さの顕著な証拠を追加します。バラトン湖のローマ後となる5世紀の3ヶ所の遺跡(フォニョードとハクスとバラトンセメシュ)は、準同時代のヨーロッパと比較して、均質性ではなく、かなりのゲノム多様性を示します。
この地域はこの期間にとくに高水準の遺伝子流動を経ており、5世紀のわずか50年間ほどの時間横断区を通じて、ゲノム祖先系統では顕著な変化があります。これは、さまざまな供給源、おそらくはヨーロッパ北部の地域からこの地域への移住を示唆しており、歴史的記録で記載されたこの期間の継続的に変化する政治的状況と一致しています。これらローマ後の共同体は在来集団と遺民の混合から形成されたので、類似のゲノム背景の個体間の社会的結びつきは、依然としてある程度維持されたようですが、これらのつながりは、社会組織の永続的状態ではなく、急速に変化したかもしれず、密接な生物学的近縁性の重要性は大きく変わりました。
これら4ヶ所の墓地(フォニョードとハクスとバラトンセメシュとスゾラッド)で観察された膨大な複雑さを考えると、包括的できめ細かい時空間的なゲノム標本抽出が、現代ヨーロッパのその後の発展の根底にある過程の解明に重要なのは明らかです。
参考文献:
Vyas DN. et al.(2023): Fine-scale sampling uncovers the complexity of migrations in 5th–6th century Pannonia. Current Biology, 33, 18, 3951–3961.E11.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2023.07.063
●要約
4~5世紀に西ローマ帝国の崩壊が加速するにつれて、到来した「蛮族」集団は衰退しつつある(最終的にはかつての)の帝国の国境地帯に新たな共同体を築き始めました。これは、こうした国境地域だけではなく、ヨーロッパ全体での顕著な文化的および政治的変化の時期でした。フン人の行動の崩壊後のこれら重要な辺境地帯の一つにおけるローマ後の共同体形成をより深く理解するため、ハンガリーのバラトン湖(Lake Balaton)における3ヶ所の5世紀の墓地の時系列から一連の38ヶ所の埋葬について、新たな古ゲノムデータが生成されました。以前に刊行された6世紀半ばの遺跡の38ヶ所の追加の埋葬からのデータとともにこれらの墓地を特徴づけるため、包括的な標本抽出手法が用いられ、それらが準同時代の550以上の個体のデータとともに分析されました。
これら局所的な4ヶ所の埋葬共同体全てにおける遺伝的多様性の範囲は、これまでに配列決定された準同時代のヨーロッパ人よりも広範です。埋葬慣行と人口動態における多くの共通点にも関わらず、遺跡間の遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)にはかなりの違いがあった、と分かりました。バラトン湖地域へのヨーロッパ北部からの遺伝子流動の証拠が検出されました。さらに、5世紀の遺伝的に女性の埋葬では服装工芸品と遺伝的祖先系統との間で統計的に有意な関連が観察されました。本論文の分析から、中世初期の共同体の形成は局所的水準でさえ雑多な過程で、遺伝的に異質な集団から構成される、と示されます。
●研究史
西ローマ帝国が崩壊し、5世紀はヨーロッパにおける大きな政治的および文化的および人口統計学的変化の期間でした。これはドナウ川中流域ではとくに当てはまり、ドナウ川中流域は長くローマ帝国の辺境地帯として機能し、395年にローマ帝国が東西に分裂した後に、国境地帯となりました。恐らく433年のローマ市民および軍事期間によるパンノニア地域の放棄のため、パンノニアはすでに以前の政治的および軍事的重要性を喪失していました。
この地域のその後の発展は、5世紀半ばのフン人支配の期間にまず決定され、その後で、ゴート人(Goth)やヘルール人(Herul)やランゴバルド人(Langobard)など、さまざまな「蛮族」集団の影響下に入りました。この地域の政治史は文献でよく記録されていますが、これらは、マルケリヌス・コムス(Marcellinus Comes)やパニウムのプリスクス(Priscus of Panium)やシドニウス・アポリナリス(Sidonius Apollinaris)やヨルダネス(Jordanes)やプロコピオス・アンテミウス帝(Procopius of Caesarea)やメナンデル・プロテクトル(Menander Protector)など、西ローマ帝国もしくは東ローマ帝国の同時代もしくはその後のギリシア語もしくはラテン語での外部の著者の記録で、そうした著者はさまざまな民族集団の移動を重視しましたが、これらの移動が共同体の生活にどのように影響を及ぼしたのか、記述していません。考古学的記録は、集落の構造およびパターンの変容、新たな考古学的現象の出現、この地域に時には何千基もの墓を含んでいる場合もある、4世紀の大規模な後期ローマ墓地とは大きく異なる小さな埋葬地を築いた新たな共同体の連続的出現を示します。
先行研究(関連記事)は、6世紀半ば頃となる、現在のハンガリーのバラトン湖の南岸、で発見されたランゴバルド期の墓地であるスゾラッド(Szólád)の包括的な古ゲノム特徴づけを実行しました。本論文では、この共同体はおもに、ヨーロッパ北部現代人で見られるゲノム祖先系統が濃縮されている、大規模で3世代の男性の生物学的親族(つまり、一連の密接に生物学的に関連している個体群)を中心に組織されており、墓の設計や服飾品や他の副葬品との関連で異なるさまざまなゲノム祖先系統を有する少なくとも2群に区別できる、と論証されました。
本論文では、5世紀の半ば~後半となるスゾラッドの近くに位置する3ヶ所の墓地、つまりフォニョード(Fonyód)とハクス(Hács)とバラトンセメシュ(Balatonszemes)の38個体について、高密度の時空間的標本抽出手法に由来する古ゲノムデータの分析が提示されます。これらの墓地はスゾラッドとの地理的近さに基づいて分析のため選ばれ、この地域と期間にかなり典型的と考えられています。これらの墓地は年代的に、5世紀後半の時間横断区を表しており、フォニョードは中盤、ハクスは後半、バラトンセメシュは末となります(図1)。以下は本論文の図1です。
これにより、スゾラッドで観察された遺伝的異質性がこの地域における長期のローマ後の構造を表しているのか、文献で記述されているように6世紀の人口移動の結果だったのか、調査が可能になりました。本論文がとくに関心を有したのは、(1)これら短命の共同体の連続的出現がどの程度、文献で証明されているように、この地域における広範なヒトの移動と新たな人口集団の出現の結果だったのか、(2)これらローマ後の共同体の社会的親族関係と組織の構築に生物学的近縁性がどのような役割を果たしたのか、ということです。換言すると、遺伝的差異は、遺跡の埋葬慣行と空間構成における顕著な社会的および文化的違いと対応していますか?
●5世紀のパンノニア:フォニョードとハクスとバラトンセメシュ
フォニョードとハクスとバラトンセメシュは、ハンガリーのバラトン湖の南岸近くの黄土の隆起尾根上に、相互に18km以内に位置しています。これらの遺跡の考古学的年代測定は、特定の宝飾品の種類(胸飾りや留め針や耳飾り)や、クミ・ブリゲティオ(Čmi-Brigetio)様式の両側櫛という「遊牧民の鏡」などの道具に基づいています。これら3ヶ所の遺跡全て、短命な農村共同体を表している可能性が高そうです。これら3ヶ所の遺跡ではそれぞれ、19基(フォニョード)と29基(ハクス)と19基(バラトンセメシュ)の墓が発掘されています。しかし、空の墓と化石生成論的問題のため、紛失または破壊されていないか充分に保存されていた、ヒト遺骸がある墓は、フォニョードでは14基と、ハクスでは15基(現代の攪乱のため、男女1個体ずつの2個体の埋葬の混合となっている、ハクス5号墓を含みます)のみで、バラトンセメシュでは13基の墓にしかヒト遺骸がありません。
ハクスの失われたか破壊されたか保存状態の悪い埋葬の一部からの情報(および、利用可能な場合には、成人の骨学的性別評価が存在しない事例における遺伝学的性別)を含めると、成人女性の埋葬へのかなりの偏りがあり(つまり、成人女性21個体と成人男性5個体と未成年17個体)、このパターンは各遺跡で当てはまります(成人女性と成人男性と未成年の個体数はそれぞれ、フォニョードでは7・2・5、ハクスでは9・2・7、バラトンセメシュでは7・2・5)。ハクスとバラトンセメシュは埋葬慣行の観点でもひじょうに類似しており、それは、人工遺物がほぼ女性の埋葬で発見されており、一般的に貧弱な副葬品の男性とは対照的だからです。人工的な頭蓋変形(Artificial cranial deformation、略してACD)も全ての遺跡で観察できますが、フォニョードでのみ一般的で(保存された頭蓋11点のうち7点)、一方で他の2ヶ所の遺跡(ハクスとバラトンセメシュ)では単一の事例のみが含まれています。この3ヶ所の遺跡は埋葬の空間的構成の観点でも違いを示し、フォニョードは、相互に50~60mとほぼ均等な距離で配置されている6基の墓のクラスタ(まとまり)の点で独特です(図2)。以下は本論文の図2です。
●5~8世紀のイタリア:バルドネッキアとトリノ・ラヴァッツァ
ハンガリーの3ヶ所の遺跡(フォニョードとハクスとバラトンセメシュ)と準同時代の、バルドネッキア(Bardonecchia)とトリノ・ラヴァッツァ(Torino Lavazza)というイタリアの2ヶ所の遺跡が本論文では含められ、それは、利用可能な高品質の中世イタリアの配列決定された個体の数を増やすためです。これらのデータは、先行研究の低網羅率であることが多いイタリアのデータを補完します。
●ゲノム配列決定
ヒト遺骸のある墓からゲノムデータが得られたのは、フォニョードでは14基のうち13基、ハクスでは15基のうち14基(15番目のハクス23号墓は、標本抽出のためには利用できませんでした)、バラトンセメシュでは13基のうち11基でした。合計で38点の標本が新たに配列決定され、分析されました。標本10点は全ゲノム配列決定(whole-genome sequencing、略してWGS)に用いられ(網羅率は5~11倍の範囲で、平均8.36倍)、残りの標本28点は120万の一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)についてゲノム規模SNP捕獲で用いられました(網羅率の範囲は0.02~3.46倍で、平均1.47倍)。
WGS標本では、1126140の常染色体124万SNPの事実上全てが回収されましたが(1120721のSNPのうち1098348)、網羅されたSNPの捕獲数は24558~859675の範囲でした。ミトコンドリアの汚染率中央値は全ての個体で1~3%でしたが、男性14個体の核の汚染点推定値は0.4~2%の間でした。さらに、バルドネッキアとトリノ・ラヴァッツァ(5~8世紀のイタリア)の14点の新たな標本は、網羅率の範囲が0.39~3.85倍(SNPの数は306226~845032)で124万捕獲が行なわれましたが、バルドネッキアの1個体(Bard_T1)はWGSが行なわれました(網羅率は6.54倍で、SNPの数は1121223)。
●5世紀の人口集団の遺伝的構造における時間的差異
古代人561個体の主成分分析(principal component analysis、略してPCA)が実行され(網羅率0.1倍以上が対象)、smartPCAを使ってプロクラステス変換技術を用いて、古代の個体群は現代のPOPRES(Population Reference Sample、人口集団参照標本)参照個体群の背景へと変換されました。5~6世紀のバラトン湖の全個体(網羅率切断のため69個体)は、おもにヨーロッパ現代人の遺伝的多様性を反映している、と分かりました(図3A)。さらに、ヨーロッパ全域で標本抽出された、準同時代(4~8世紀頃)の比較対象の492個体一式(バルドネッキアとトリノ・ラヴァッツァの新たにゲノムデータが生成された15個体と以前に刊行された477個体)が分析されました。
主成分1(PC1)および主成分2(PC2)の座標の信頼楕円から、準同時代の地域はおもに同じ地理的地域の現代の個体群とクラスタ化する(まとまる)、つまり局在化しますが(図3B)、本論文で新たに提示される5~6世紀のバラトン湖の個体群は、POPRESデータセットにおけるヨーロッパ現代人の遺伝的差異の南北の軸全体を反映している範囲(図3A)が網羅される(ただ、ヨーロッパ西部もしくは東部は含まれません)、ずっと多様なゲノム祖先系統を有している、と論証されます。
バラトン湖の全個体は100年間にわたる200km²の単一の地域から標本抽出されましたが、準同時代の人口集団は一般的に、ずっと広い地理的地域と時間枠を含んでいます(したがって、より高い遺伝的多様性が予測されます)。これは、ヨーロッパ中央部のこの地域が、5~6世紀にとくに高い割合の遺伝子流動を経た、と示唆しています。FEEMSを使用し、本論文で新たに提示されるバラトン湖の個体群と同時代の個体群を用いて、ヨーロッパ全域の空間的状況における遺伝子流動が明確にモデル化され、じっさい、バラトン湖地域とそこから1000kmほど離れたヨーロッパ北部全域の人口集団との間の高い割合の遺伝子流動が見つかりました(図3D)。以下は本論文の図3です。
本論文で新たに報告されたバラトン湖墓地被葬者内の構造をさらに調べるため、モデルに基づくクラスタ化手法(fastNGSadmix)も用いて、あり得る供給源として1000人ゲノム計画(1000 Genomes Project、略して1000G)人口集団を使用し、各個体のゲノム祖先系統が特徴づけられました。さらに、準同時代のヨーロッパ人についてPCAで観察された局所化された地理的構造を考慮して、類似の地理的分布の古代の4~8世紀頃の準同時代参照個体群のパネルが孝徳され、8点の古代人パネルが形成されました。それは、台湾の漢本(Hanben)の16個体で構成されるEASIA(East Asia、アジア東部)、イタリア半島およびイベリア半島の40個体で構成されるMEDEU(Mediterranean Europe、地中海ヨーロッパ)、スーダンのクルブナルティ(Kulubnarti)島の20個体で構成されるNAFRICA(North Africa、アフリカ北部)、40個体で構成されるNGBI(Northern Germany/Britain、ドイツ北部およびブリテン島)、インドのループクンド湖(Roopkund Lake)の17個体で構成されるSASIA(South Asia、アジア南部)、40個体で構成されSCAND(Scandinavia/Estonia、スカンジナビア半島およびエストニア)、さまざまな遺跡の8個体で構成されるSUBSAHARAN(sub-Saharan Africa、サハラ砂漠以南のアフリカ)です。
現代人および古代人の参照一式から類似のパターンが得られ(図4A・B)、ほぼ全ての個体は、おもにトスカーナ(Tuscan、略してTSI)とヨーロッパ中央部および大ブリテン島(Central European and Great Britain、略してCEU+GBR)とフィンランド(Finnish、略してFIN)の現代人の祖先系統、もしくは地中海(Mediterranean、略してMEDEU)とドイツ北部およびブリテン島(northern Germany and British、略してNGBI)とスカンジナビア半島およびエストニア(Scandinavian/Estonian、略してSCAND)の準同時代個体の祖先系統のいくつかの組み合わせを有しています。MEDEU対TSIおよびNGBI対CEU+GBR、およびSCAND対FINの祖先系統の割合を比較した線形回帰が実行され、それぞれのR²値は0.79と0.54と0.36と分かりました。しかし、5世紀の3ヶ所の墓地の被葬者は全員、これらの構成要素の総体的割合に関して明確な特性を有しており、準同時代個体群の分析はこれらの違いを最も明らかに示しています。最も注目すべきは、5世紀の遺跡(フォニョードとハクスとバラトンセメシュ)の被葬者について、SCAND祖先系統における明確な漸進的で有意な増加で、それに対応する経時的なNGBI祖先系統の減少です。
フォニョードは年代的にはこの地域におけるフン人の権力最盛期となり、その後の5世紀の2ヶ所の遺跡(ハクスとバラトンセメシュ)とは、考古学的および遺伝学的観点では顕著に異なります。その独特な空間構造から、フォニョードはフン期集団の短命な共存の埋葬遺跡で、その一部は、パンノニアにおける外来の減少で、その後の遺跡ではさほど見られないACD(人工的な頭蓋変形)を実行していた、と示唆されます。ゲノムでは、フォニョードの被葬者は他のバラトン湖遺跡よりも有意に多くの(重複しない95%信頼区間により評価されるように)地中海祖先系統を有しており、PCAではいくぶん南方へと動いています(図3および図4)。全体的に、フォニョード遺跡はより多くの非ヨーロッパ人の多様性を示し、2個体(フォニョード278号および316号)は6%程度のアジア南部および/もしくはアジア東部祖先系統を、1個体(フォニョード469号)は12%のアフリカ祖先系統を有しています(図4)。したがって、フォニョード遺跡被葬者のゲノム特性は、ローマ後期の異質性および/もしくは東方からの近い過去の流入を反映しているかもしれません。以下は本論文の図4です。
ハクスとバラトンセメシュは両方、フォニョード遺跡被葬者ではさほど顕著ではないヨーロッパ北部祖先系統(NGBIおよびSCAND)をひじょうに高い割合で有する個体が多く(図3C)、5世紀後半におけるフン帝国の崩壊後の新たな「蛮族」権力の出現を記述している文献と一致する、この地域への新たな集団の到来を示唆しているかもしれません。バラトン湖個体群とヨーロッパ北部個体群との間の高水準の遺伝子流動は、これらその後の2ヶ所の共同体を調べた際に、本論文のFEEMS(Fast Estimation of Effective Migration Surfaces、有効移住表面の速成推定)分析でのみ見られますが、それ以前のフォニョード遺跡の使用では、この地域への遺伝子流動への障壁およびヨーロッパ南部とのより大きな遺伝子流動が得られました。
しかし、相対的なSCAND/NGBI構成要素における差異のため、より高いPC1値(つまり、より多くのヨーロッパ北部祖先系統)を有する個体は、PCAでは2ヶ所の遺跡(ハクスとバラトンセメシュ)間で重複を示さず(図3C)、ハクス遺跡被葬者はヨーロッパ北西部現代人へと、バラトンセメシュ遺跡被葬者はヨーロッパ北東部現代人へと傾いています。これらの違いから、類似しているものの、区別でき、ヨーロッパ北部起源の集団が、5世紀後半に複数の波でこの地域に到来した、と示唆されるかもしれません。
一方で、MEDEU祖先系統を多量有している個体の存在は4ヶ所の遺跡全てで一致し、PCAでは重複を示しており、これがこの期間全体にわたるより安定した在来のゲノム痕跡を表しているかもしれない、と示唆されます。フォニョードに続いてバラトン湖地域への北方からの遺伝子流動という本論文の調査結果を顕彰するため、qpAdm分析も実行されました。その結果、これらの調査結果はFEEMSおよびfastNGSadmixで得られた本論文の調査結果と一致するものの、要注意なのは、qpAdm手法が密接に関連する古代末期/中世初期の供給源人口集団の分析にとって理想的ではない、ということです。
興味深いことに、スゾラッドの被葬者は、標本規模がずっと大きいにも関わらず、5世紀の遺跡3ヶ所(フォニョードとハクスとバラトンセメシュ)すべてで観察されるゲノム差異が網羅される特性を論証します。ヨーロッパ北部祖先系統は、ハクスおよびバラトンセメシュの被葬者においてよりもさらに顕著で、これはおもに(完全ではありませんが)以前に特定された(関連記事)9個体の大家系により駆動されます(図4)。この家系の個体群では、ほとんどの他の北方的個体群とともに、バラトンセメシュ被葬者で観察された高い割合のSCAND構成要素が欠けており(代わりに、定性的にはフォニョードおよびハクスの被葬者と類似しており、3個体の顕著な例外は2親等の親族で、スゾラッド41および42号はそれぞれ92%と73%の、スゾラッド4号は59%のSCAND祖先系統を有しています)、これら2ヶ所の遺跡(フォニョードとハクス)間の大きな直接的連続性がないことを示唆しています。
スゾラッドはストロンチウム同位体データの点で注目に値し、スゾラッドの被葬者のほとんどの成人は、ゲノム祖先系統に関係なく外来だった、と示唆されます(関連記事)。しかし、本論文のデータが明らかにしたのは、スゾラッドで観察された遺伝的祖先系統の主要なパターンは5世紀後半にはバラトン湖地域およびその周辺ですでに確立されていた、ということです。したがって、この共同体(スゾラッド遺跡)は、単に新たな人口集団、つまり歴史学および考古学両方の研究により解釈されているようにランゴバルドの到来の結果ではなく、50年以上前に確立された遺伝的差異の既存の多様な地域的蓄積から形成されたかもしれません。
●生物学的近縁性と社会的関係
フォニョード遺跡の小さな埋葬集団は以前には、強い社会的つながりの痕跡としはて解釈され、ハクスおよびバラトンセメシュ遺跡は家族の墓地として記載されてきました。lcMLkinを用いて、5世紀の遺跡3ヶ所(フォニョードとハクスとバラトンセメシュ)全てで密接な生物学的親族が特定されました。3ヶ所の遺跡すべてで、生物学的親族関係はわずか数組のひじょうに密接な1親等および2親等の親族で構成されており、そのほとんどは母方でした(図2)。これらの分析は、同じ親族関係を見つけたREAD分析でも確証されました。これは、墓地がおもに男性の生物学的親族を中心に構成され、大規模な拡張家系のあるスゾラッド遺跡(関連記事)とはひじょうに対照的です。
フォニョードとバラトンセメシュの生物学的に関連する個体群は相互に近くに埋葬されており、バラトンセメシュ遺跡の事例では、そのつながりは埋葬慣行の類似性にも明らかに反映されており、これらのつながりには意味のある社会的価値があった、と示唆されます。しかし、恐らくは遺跡の短い居住期間と埋葬された個体の少なさにも影響を受けている、生物学的に関連する個体数の相対的な少なさや、小規模な親族関係や、ほとんどの埋葬群における生物学的関連の欠如から、他の要因がこれら5世紀の共同体形成に大きな影響を与えたかもしれない、と示唆されます。
密接な生物学的親族関係を超えて個体のより広範な生物学的背景(ゲノム祖先系統により決定されます)が意味のある社会的つながりとしてどの程度認識されていたのか調べるため、ロジスティック回帰の枠組みを用いて、差異を示す埋葬慣行も、POPRESとPCAのPC1およびPC2の座標と比較されました。その結果、5世紀の女性埋葬に特徴的なさまざまな宝石の種類および服飾品(つまり、多面体の耳飾りやさまざまな胸飾りの種類や腕輪や琥珀製ビーズなど)と、遺伝的差異との間に強い顕著な関連が観察されました。これは、おもにヨーロッパ北部祖先系統を多量に有しており(16個体のうち13個体の主要な構成要素はSCAND/NGBI)、服飾品を伴うほとんどの個体に起因しているようで、そのため、遺跡固有の回帰はハクスおよびバラトンセメシュのみで有意であり、フォニョードでは有意ではありませんでした。
これらの結果は、それぞれの共同体により死亡時に異なる扱いを受けた、ヨーロッパ北部の遺伝的背景のある個体群を示しており、恐らくはこの地域における在来民とより近い過去の遺民との間の文化的および/もしくは社会的違いを示しています。フォニョード遺跡の(頭蓋が保存されている)個体群では、PCAの結果とACDとの間の強い関連も見つかりました。密接な生物学的親族は稀ですが、全ての生物学的親族はおもに北方のゲノム祖先系統を有する個体群が含まれていることも注目に値し、恐らくはこの生物学的に構造化された社会組織の別の側面を反映しています。
スゾラッドの被葬者は5世紀の3ヶ所の遺跡(フォニョードとハクスとバラトンセメシュ)の被葬者と類似したゲノム特性を示しますが、葬儀慣行や空間構成や人口動態の観点では著しく異なります。遺伝的差異と、さまざまな形態と種類で5世紀の3ヶ所の遺跡(フォニョードとハクスとバラトンセメシュ)および6世紀のスゾラッド遺跡に存在する人工遺物である、一般的に女性の埋葬から発見される胸飾りとの間には有意な関連はなく、社会的および経済的違いはもはやこの共同体では遺伝的背景の断層線に沿って形成されていなかった、と示唆されます。
この人工遺物とゲノム祖先系統との間の関連の弱体化が、5世紀以降の社会的親族関係慣行におけるより一般的な移行(少なくとも女性に関して)とランゴバルドの支配の確立を反映しているのかどうかは、本論文のデータでは結論づけるのが難しく、それは、他の6世紀のバラトン湖の遺跡であるスゾラッドでさえ、成人および思春期の男性の大半(19個体のうち15個体)は武器とともに埋葬されている点で、やや独特と考えられているからです。北方ゲノム背景の重要性はこの共同体(スゾラッド)では依然として明らかなようですが、それはむしろ、空間的に固まり、おもに男性の親族による墓地の優勢を通じてです。
●まとめ
民族考古学の一般的な過程では、西方におけるローマ帝国崩壊後の、中世初期の移住共同体の共通の祖先と民族と文化の遺産が想定されます。最近の歴史学と考古学と人類学の研究では、これが過度に単純化されており、物質文化は遺跡と地域両方の水準で顕著な複雑さを示す、と分かってきました。本論文は、この複雑さの顕著な証拠を追加します。バラトン湖のローマ後となる5世紀の3ヶ所の遺跡(フォニョードとハクスとバラトンセメシュ)は、準同時代のヨーロッパと比較して、均質性ではなく、かなりのゲノム多様性を示します。
この地域はこの期間にとくに高水準の遺伝子流動を経ており、5世紀のわずか50年間ほどの時間横断区を通じて、ゲノム祖先系統では顕著な変化があります。これは、さまざまな供給源、おそらくはヨーロッパ北部の地域からこの地域への移住を示唆しており、歴史的記録で記載されたこの期間の継続的に変化する政治的状況と一致しています。これらローマ後の共同体は在来集団と遺民の混合から形成されたので、類似のゲノム背景の個体間の社会的結びつきは、依然としてある程度維持されたようですが、これらのつながりは、社会組織の永続的状態ではなく、急速に変化したかもしれず、密接な生物学的近縁性の重要性は大きく変わりました。
これら4ヶ所の墓地(フォニョードとハクスとバラトンセメシュとスゾラッド)で観察された膨大な複雑さを考えると、包括的できめ細かい時空間的なゲノム標本抽出が、現代ヨーロッパのその後の発展の根底にある過程の解明に重要なのは明らかです。
参考文献:
Vyas DN. et al.(2023): Fine-scale sampling uncovers the complexity of migrations in 5th–6th century Pannonia. Current Biology, 33, 18, 3951–3961.E11.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2023.07.063
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