古代エジプトのミイラ製作に用いられた香油の成分
古代エジプトのミイラ製作に用いられた香油の成分を報告した研究(Huber et al., 2023)が公表されました。古代エジプトのミイラ化は、考古学的記録で報告された最も複雑な葬儀慣行のいくつの重要な特徴として、4000年近くにわたって行なわれました。死後のため死者の身体と臓器を保存する死体防腐処理は、エジプトのミイラ化過程の中心的な構成要素でした。本論文は、ハワード・カーター(Howard Carter)により1世紀以上前に王家の谷のKV42号墓から発掘されたミイラ製作に使用された香油を調べました。
香油残留物は、紀元前1450年頃の第18王朝の時代となる、貴婦人セネトネー(Senetnay)のミイラ化した臓器がかつて含まれていた、今では空のカノポス壺から削り取られました。セネトネーは紀元前1450年頃のエジプトの女性で、ファラオのアメンホテプ2世の幼少期の乳母を務め、「王の装飾(Khekeret-nisut)」の称号を与えられていた、と明らかになっています。セネトネーの死後、臓器のミイラが作られ、4個の壺に収納され、王家の谷にある王家の墓の1基に安置されました。
この研究は、セネトネーの肺と肝臓を保存するために使用された2個の壺から採取された香油の試料(6点)に含まれる物質を分析し、蜜蝋や植物油や動物性脂肪や瀝青やマツ科の樹脂芳香性物質やダンマル脂もしくはウルシ科カイノキ属の樹脂で香油は構成されている、と明らかになりました。両方の壺から採取された香油の試料に、化合物であるクマリンと安息香酸が含まれていることも確認されました。クマリンはバニラのような香りで、多種多様な植物(ニッケイ、エンドウマメなど)に含まれています。安息香酸は、いくつかの種類の高木や低木から採取される芳香性の樹脂やゴムから発生します。
両方の壺から採取された香油の組成はよく似ていると思われましたが、分析の結果、肺を保存するために使用された壺にのみ存在する2種類の物質が特定されました。その一方はカラマツの樹脂に含まれるラリキソールという化合物で、もう一方の芳香性樹脂は、インドやアジア南東部に生育するフタバガキ科の高木から採取されるダマールか、ウルシ科カイノキ属の高木から採取される樹脂のいずれかと推定されました。これらの成分が2個の壺のうち一方だけに存在することは、保存する臓器の種類によって異なる香油が用いられていたことを意味しているのかもしれません。
これはそれまでに第18王朝初期に特定された最も豊富で最も複雑な香油であり、エジプトの文献資料では情報が限定的な香油成分に光を当てます。この香油の成分と考えられる材料のほとんどがエジプト以外の地から輸入された可能性が高そうで、セネトネーの特別な地位と、紀元前二千年紀におけるエジプト人の無数の交易の両方が浮き彫りになります。これらの物質はさらに、元々の考古学的状況から長く除去されていた有機遺物でさえ、優れた保存が可能であることを示します。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
考古学:ミイラ製作に用いられた香油の成分は古代エジプトの高貴な女性の地位の高さを反映していた
西暦1900年、ハワード・カーター(Howard Carter)は、古代エジプトの墓の発掘調査中にSenetnayという名の高貴な生まれの女性のミイラ化した臓器を発見した。今回、この臓器が収納されていた壺からミイラの製作に使用された香油の残渣が採取され、成分分析が行われた。その結果を報告する論文が、Scientific Reportsに掲載される。香油の原産地と複雑性は、この人物の地位の高さに関する手掛かりとなる。
これまでの研究から、Senetnayは、紀元前1450年ごろのエジプトを生きた女性で、ファラオのアメンホテプ2世の幼少期の乳母を務め、「王の装飾(Khekeret-nisut)」の称号を与えられていたことが明らかになっている。Senetnayの死後、臓器のミイラが作られて、4つの壺に収納され、「王家の谷」にある王家の墓の1つに安置された。
今回、Barbara Huber、Nicole Boivinらは、Senetnayの肺と肝臓を保存するために使用された2つの壺から採取された香油の試料(6点)に含まれる物質を分析し、両方の壺から採取された香油に、蜜蝋、植物油、動物性脂肪、ビチューメン(天然に産する石油製品)、針葉樹(マツ、カラマツなど)の樹脂が含まれていたと報告している。また、両方の壺から採取された香油の試料に化合物であるクマリンと安息香酸が含まれていることも確認された。クマリンは、バニラのような香りで、多種多様な植物(ニッケイ、エンドウマメなど)に含まれている。一方、安息香酸は、いくつかのタイプの高木や低木から採取される芳香性の樹脂やゴムから発生する。
2つの壺から採取された香油の組成は非常に似ていると思われたが、分析の結果、肺を保存するために使用された壺にのみ存在する2種類の物質が特定された。その1つはカラマツの樹脂に含まれるラリキソールという化合物で、もう1つの芳香性樹脂は、インドや東南アジアに生育するフタバガキ科の高木から採取されるダマールか、ウルシ科カイノキ属の高木から採取される樹脂のいずれかとされた。これらの成分が2つの壺のうち1つだけに存在するということは、保存する臓器の種類によって異なる香油が用いられていたことを意味しているのかもしれない。
著者らは、ミイラ製作に用いられた香油に関する過去の分析結果を検討した上で、Senetnayの臓器に適用された香油の組成が、同時代の他の香油と比較して複雑度が高かったと報告し、この香油の成分と考えられる材料のほとんどがエジプト以外の地から輸入された可能性が高いという考えを示している。著者らはまた、Senetnayの臓器のミイラを製作する際に複雑度の高い香油と輸入された材料が用いられたことは、Senetnayの社会的地位が高かったことを反映しており、ファラオの側近として高く評価されていたことを示しているという見解を示している。
参考文献:
Huber B. et al.(2023): Biomolecular characterization of 3500-year-old ancient Egyptian mummification balms from the Valley of the Kings. Scientific Reports, 13, 12477.
https://doi.org/10.1038/s41598-023-39393-y
香油残留物は、紀元前1450年頃の第18王朝の時代となる、貴婦人セネトネー(Senetnay)のミイラ化した臓器がかつて含まれていた、今では空のカノポス壺から削り取られました。セネトネーは紀元前1450年頃のエジプトの女性で、ファラオのアメンホテプ2世の幼少期の乳母を務め、「王の装飾(Khekeret-nisut)」の称号を与えられていた、と明らかになっています。セネトネーの死後、臓器のミイラが作られ、4個の壺に収納され、王家の谷にある王家の墓の1基に安置されました。
この研究は、セネトネーの肺と肝臓を保存するために使用された2個の壺から採取された香油の試料(6点)に含まれる物質を分析し、蜜蝋や植物油や動物性脂肪や瀝青やマツ科の樹脂芳香性物質やダンマル脂もしくはウルシ科カイノキ属の樹脂で香油は構成されている、と明らかになりました。両方の壺から採取された香油の試料に、化合物であるクマリンと安息香酸が含まれていることも確認されました。クマリンはバニラのような香りで、多種多様な植物(ニッケイ、エンドウマメなど)に含まれています。安息香酸は、いくつかの種類の高木や低木から採取される芳香性の樹脂やゴムから発生します。
両方の壺から採取された香油の組成はよく似ていると思われましたが、分析の結果、肺を保存するために使用された壺にのみ存在する2種類の物質が特定されました。その一方はカラマツの樹脂に含まれるラリキソールという化合物で、もう一方の芳香性樹脂は、インドやアジア南東部に生育するフタバガキ科の高木から採取されるダマールか、ウルシ科カイノキ属の高木から採取される樹脂のいずれかと推定されました。これらの成分が2個の壺のうち一方だけに存在することは、保存する臓器の種類によって異なる香油が用いられていたことを意味しているのかもしれません。
これはそれまでに第18王朝初期に特定された最も豊富で最も複雑な香油であり、エジプトの文献資料では情報が限定的な香油成分に光を当てます。この香油の成分と考えられる材料のほとんどがエジプト以外の地から輸入された可能性が高そうで、セネトネーの特別な地位と、紀元前二千年紀におけるエジプト人の無数の交易の両方が浮き彫りになります。これらの物質はさらに、元々の考古学的状況から長く除去されていた有機遺物でさえ、優れた保存が可能であることを示します。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
考古学:ミイラ製作に用いられた香油の成分は古代エジプトの高貴な女性の地位の高さを反映していた
西暦1900年、ハワード・カーター(Howard Carter)は、古代エジプトの墓の発掘調査中にSenetnayという名の高貴な生まれの女性のミイラ化した臓器を発見した。今回、この臓器が収納されていた壺からミイラの製作に使用された香油の残渣が採取され、成分分析が行われた。その結果を報告する論文が、Scientific Reportsに掲載される。香油の原産地と複雑性は、この人物の地位の高さに関する手掛かりとなる。
これまでの研究から、Senetnayは、紀元前1450年ごろのエジプトを生きた女性で、ファラオのアメンホテプ2世の幼少期の乳母を務め、「王の装飾(Khekeret-nisut)」の称号を与えられていたことが明らかになっている。Senetnayの死後、臓器のミイラが作られて、4つの壺に収納され、「王家の谷」にある王家の墓の1つに安置された。
今回、Barbara Huber、Nicole Boivinらは、Senetnayの肺と肝臓を保存するために使用された2つの壺から採取された香油の試料(6点)に含まれる物質を分析し、両方の壺から採取された香油に、蜜蝋、植物油、動物性脂肪、ビチューメン(天然に産する石油製品)、針葉樹(マツ、カラマツなど)の樹脂が含まれていたと報告している。また、両方の壺から採取された香油の試料に化合物であるクマリンと安息香酸が含まれていることも確認された。クマリンは、バニラのような香りで、多種多様な植物(ニッケイ、エンドウマメなど)に含まれている。一方、安息香酸は、いくつかのタイプの高木や低木から採取される芳香性の樹脂やゴムから発生する。
2つの壺から採取された香油の組成は非常に似ていると思われたが、分析の結果、肺を保存するために使用された壺にのみ存在する2種類の物質が特定された。その1つはカラマツの樹脂に含まれるラリキソールという化合物で、もう1つの芳香性樹脂は、インドや東南アジアに生育するフタバガキ科の高木から採取されるダマールか、ウルシ科カイノキ属の高木から採取される樹脂のいずれかとされた。これらの成分が2つの壺のうち1つだけに存在するということは、保存する臓器の種類によって異なる香油が用いられていたことを意味しているのかもしれない。
著者らは、ミイラ製作に用いられた香油に関する過去の分析結果を検討した上で、Senetnayの臓器に適用された香油の組成が、同時代の他の香油と比較して複雑度が高かったと報告し、この香油の成分と考えられる材料のほとんどがエジプト以外の地から輸入された可能性が高いという考えを示している。著者らはまた、Senetnayの臓器のミイラを製作する際に複雑度の高い香油と輸入された材料が用いられたことは、Senetnayの社会的地位が高かったことを反映しており、ファラオの側近として高く評価されていたことを示しているという見解を示している。
参考文献:
Huber B. et al.(2023): Biomolecular characterization of 3500-year-old ancient Egyptian mummification balms from the Valley of the Kings. Scientific Reports, 13, 12477.
https://doi.org/10.1038/s41598-023-39393-y
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