斎藤成也、山田康弘、太田博樹、内藤健、神澤秀明、菅裕『ゲノムでたどる 古代の日本列島』

 東京書籍より2023年10月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書は全体的に、一般向け書籍を意識してか、著者の個人的な履歴も多く、親しみやすい内容になっていると思います。参考文献と索引もありますし、古代ゲノム研究を中心に日本列島の先史時代の学際的研究の現状を理解するための入門書として適していると思います。


0章●斎藤成也「日本列島人のはじまり」P5~29

 本論考はまず、「日本」は7世紀後半に制定された国家の名称なので、1960年代に島尾敏雄が提唱したヤポネシアという言葉を使用します。これはラテン語で日本列島を意味していますが、片仮名での表記により「日本」という字面からはかなり離れて見える、というわけです。正直なところ、本論考のこの提言にはまったく同意できません。「ヤポネシア」と言い換えたところで、元々の意味は「日本」なわけで、西暦(グレゴリオ暦)に関して、AD(Anno Domini)ではなくCE(Common Era)、BC(Before Christ)ではなくBCE(Before Common Era)と表記することと通ずる無意味さがあるように思います。「Common」と言い換えたところで、しょせんキリスト教起源であることは変わりません。この点にはまったく同意できませんが、遺伝の基本的な解説や日本列島の人類集団の起源と成立に関する研究史など、一般向け書籍の導入としては優れた論考だと思います。


1章●山田康弘「縄文時代を「掘る」」P31~91

 本論考は、著者の簡潔な自伝的性格も有しつつ、墓を中心に縄文時代の研究がどのように進められ、さらには学際的研究も行なわれるようになったのか、という研究史とともに、縄文時代の様相が解説される構成になっています。著者が関わった、茨城県取手市の中妻貝塚と愛知県田原市の保美貝塚については、とくに詳しく解説されています。保美貝塚に関しては、多数合葬・複葬例に含まれる人骨は単独埋葬の人骨と比較してひじょうに太くて頑丈なので、選択が作用していたかもしれないようです。保美貝塚の発掘調査報告書は現在制作中とのことで、多数の人骨が埋葬されていただけに、その分析結果は注目されます。また、岩手県一関市花泉町油島地区にある蝦島貝塚の人骨を対象に、放射性炭素年代測定やDNA解析が行なわれ、ミトコンドリアDNA(mtDNA)については分析された6個体で一致せず、核DNA解析が進行中とのことで、どのような結果が示されるのか、たいへん注目されます。


コラム●太田博樹「縄文人の血縁関係を古人骨のゲノム解析で調べる」P92~98

 愛知県田原市の伊川津貝塚遺跡で発見された人骨について、ゲノム解析結果(関連記事)や、親子と考えられた成人女性と幼児のmtDNAが異なっていたこと(関連記事)など、近年の研究が紹介されています。


2章●太田博樹「お酒に弱い遺伝子とウンコの化石のゲノムから何がわかるか」P99~158

 酒の強さと弱さに遺伝的基盤があることは一般層でも今ではよく知られているでしょうが、本論考はその仕組みを詳しく解説しており、広く関心が持たれているだろう話題を取り上げ、そこから個体間さらには集団間の遺伝的差異の意味を解説しているところは、一般向け書籍らしい配慮でよいと思います。酒が弱いとは、現代人ではアセトアルデヒドの分解能力が低いことを意味しており、アジア東部において高頻度で、ユーラシア西部やアフリカなどではほぼ見られません。著者は、これが自然選択と関連していることを示した研究者の一人です。現代人ではほぼアジア東部集団(およびアジア東部集団起源の他地域の集団)のみが酒に弱い理由について、寄生体感染への防御機構としての正の選択だった、稲作農耕と関連しているなど、さまざまな仮説が提示されていますが、まだ確定していないようです。縄文時代の糞石のDNA解析も進められていることが紹介されており、今後の研究の進展が期待されます。


3章●内藤健「アズキはどこで生まれたのか」P159~211

 アズキは、縄文土器の圧痕から、縄文時代中期~後期にかけて種子が大きくなっていった、と示されています。さらに、アズキの大型化は現在の韓国や中国よりも日本で早く起きたことも明らかになっています。ただ、アズキの種子は気温が低いと大きくなるので、大型化したアズキの種子が出現する5000年前頃の縄文文化遺跡は、北関東の山間地が多いことから、栽培化で日本が早いとは断定できない、との反論もあります。ただ、低温でアズキの種子は大きくなるものの、平均値に2倍の差が出ることはまずなく、3000年前頃以降のより温暖な九州でもアズキの種子が大きい、と本論考では指摘されており、アズキの栽培化がまず日本列島で起きた可能性は低くなさそうです。

 世界中の栽培アズキとその基本種であるヤブツルアズキのゲノム解析の結果、中国のヤブツルアズキは中国の栽培アズキとは遺伝的にかなり異なり、日本と韓国の栽培アズキとヤブツルアズキは相互にかなり近い関係にある、と示されました。つまり、中国のアズキは中国のヤブツルアズキが栽培化されたものではなさそうなのですが、中国のヤブツルアズキは政治的理由からきわめて入手困難なので、もっと中国の栽培アズキに近いものが存在する可能性も、本論考は指摘します。また、アズキが中国で生まれ、日本や韓国に伝わって現地のヤブツルアズキと交雑した可能性も想定されます。

 本論考は、ヤブツルアズキと栽培アズキの種子の色と関連する遺伝子領域の比較から、栽培アズキに最も近いのが長崎県で採取されたヤブツルアズキであることを示します。ただ、豆類の種子は鳥類により運ばれることがあるので、このヤブツルアズキ系統が1万年前からずっと現在の長崎県に存在したとは断定できないものの、少なくとも種子の赤色の起源が日本列島にある可能性はきわめて高い、と本論考は指摘します。また、栽培アズキの起源が日本列島であることを示す強い証拠がもう一つあるそうで、それは近いうちに論文で公表されるそうです。なお、種子の色では、ヤブツルアズキの黒色は栽培アズキの赤色に対して顕性(優性)です。


コラム●菅裕「漆の過去・現在・未来」P212~230

 ウルシ(Toxicodendron vernicifluum)が日本列島において塗料として遅くとも縄文時代早期には使用されており、ウルシの塗料としての使用は現在の中国の領域よりも日本列島の方が早かった可能性もあります。日本列島の漆産業は江戸時代に最盛期を迎えますが(推定年1000t超)、現在は年2t弱とのことで、近代になって安価な輸入漆により国内の漆産業は大打撃を受けたようです。ただ、昭和初期には、漆の錆止め効果が注目され、機械部品の塗料として生産量が増加したようですが、戦後はまた生産量が低下していきました。ただ、それでも漆産業は完全に途絶えることなく、現在も江戸時代と比較すると細々ではあるものの続いています。ウルシのゲノム解析も進められているそうですが、本書刊行の直前に中国の研究者に先を越されたそうです。


4章●神澤秀明「日本列島人はどこから来たのか」P231~279

 まず、古代DNAの研究史と具体的な手法が簡潔に解説されており、一般向け書籍らしい配慮になっています。本論考は、著者が悪戦苦闘しつつ古代DNA解析を進めてきた、と一般読者にも分かりやすい内容になっており、ついには北海道の礼文島の船泊遺跡で発掘された3800年前頃の縄文文化関連個体(F23)で高精度ゲノムが得られたこと(関連記事)も紹介されています。なお、F23と同等の品質のゲノム情報が得られた個体もあり、現在は論文化に向けて研究が行なわれているとのことで、その刊行がたいへん注目されます。


参考文献:
斎藤成也、山田康弘、太田博樹、内藤健、神澤秀明、菅裕(2023)『ゲノムでたどる 古代の日本列島』(東京書籍)

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