初期現生人類のレヴァント経由でのアフリカからの拡散

 初期現生人類(Homo sapiens)の拡散経路に関する研究(Abbas et al., 2023)が公表されました。現生人類のアフリカからの拡散は、現代人の分布と直結しているだけに、多くの関心が寄せられてきました。本論文は、レヴァント南部の最終間氷期の遺跡の年代測定結果を報告し、この期間に水を利用可能だったレヴァント南部が、現生人類の拡散経路として適していたことを示します。ただ、本論文も指摘するように、現生人類は中期~後期更新世にかけて複数回アフリカからユーラシアへと拡散したと考えられ、古気候や考古学的記録や人類化石や遺伝学的データなどから、初期現生人類の拡散の様相がより詳しく解明されていくのではないか、と期待されます。


●要約

 現生人類は中期および後期更新世に、アフリカからユーラシアへと複数回拡散しました。アフリカ北東部を横断してレヴァントへと至るその経路は有効な陸上回廊で、それは、現在の過酷なレヴァント南部が恐らく、最終間氷期にはサバンナや草原だったからです。本論文は、レヴァント南部の最終間氷期に相当する発光年代の湿地堆積物を記載し、長期にわたる水の利用可能性を示します。ルヴァロワ(Levallois)式人工遺物を含むワディ・ガランダル(Wadi Gharandal)の湿地堆積物の年代は、84000年前頃でした。本論文の調査結果は、アジア西部およびアラビア半島北部へと移民を送り込んだ、水の豊富なヨルダン地溝帯についての高まりつつある合意を裏づけます。


●研究史

 我々の種であるホモ・サピエンス(現生人類)は、30万~20万年前頃にアフリカで進化し(関連記事1および関連記事2)、海洋酸素同位体ステージ(Marine Isotope Stage、略してMIS)5(129000~71000年前頃)を含めて複数事象の間にアフリカ大陸から拡散しました(関連記事1および関連記事2)。ユーラシアへの拡散経路長く議論されており(関連記事)、たとえば、シナイ半島からレヴァント南部、次にアラビア半島への北方経路や、アラビア半島南部周辺へのバブ・エル・マンデブ海峡経由での南方経路です(図1A)。

 南方経路、つまり紅海横断は、海面が低い氷期には可能と考えられています。一方、13万~9万年前頃における北方回廊経由での拡散は、考古学および子生物学の発見数の増加を考慮すると、MIS5における最も実行可能な経路と考えられてきました。これらの発見には地中海レヴァントのよく知られた洞窟(図1B)の人類化石および人工遺物(関連記事1および関連記事2)、および12万~85000年前頃となるネフド砂漠の化石の発見やヒトの足跡や中部旧石器時代の人工遺物が含まれています(関連記事1および関連記事2)。以下は本論文の図1です。
画像

 最近の研究では、拡散経路はユーラシアへの人類の移動を促進した水の豊富な回廊と関連していた、と示唆されています(関連記事)。アラビア半島の北部と中央部と南部の調査から、これらの地域はMIS5、とくにMIS5e(128000~121000年前頃)とMIS5c(104000~97000年前頃)とMIS5a(82000~77000年前頃)とMIS3(54000年前頃)には、気候改善と湿度上昇により居住可能だった、と示されました(関連記事1および関連記事2)。しかし、重要な移住回廊としてのレヴァント南部およびヨルダンの気候および古環境の記録は、この地域の古水域の年代的枠組みが乏しいため、よく理解されていません。

 ヨルダン地溝帯とヨルダン高原に広く分布する古水生堆積物は、堆積物の隅と有機物の放射性炭素年代測定により、MIS3および最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)と以前に年代測定されました。より広範な野外調査と光刺激発光(Optically Stimulated Luminescence、略してOSL)年代測定の結果から最近、これらの他世紀物は12万~65000年前頃に形成された、と示唆されています。この研究は、ヨルダンの砂漠の3ヶ所の古水域、つまりヨルダン川流域のワディ・ハサ(Wadi Hasa)とヨルダン西部および中央部とワディ・ガランダルについて、石英および長石のOSLおよび赤外線後赤外光発光法(post-infrared infrared-stimulated luminescence、略してpIR-IRSL)体系的な発光年表を提供します。この年表は、アフリカに近い北方経路沿いの3ヶ所の調査された湿地の重要な地理的位置のため、地域的な気候や人類および哺乳類の生物地理と関連する重要な議論と関係します。


●ワディ・ガランダル

 全ての発光年代測定結果は、表1と図2に示されます。ワディ・ガランダルでは、沼地堆積物が125000~7万年前頃に形成されました(図2のGH2およびGH3)。そこでは、石器3点がGH3の深さ1.25mで発見され、石器2点はルヴァロワ式剥片と同定されました(図2の挿入図)。2点の発光標本は、区画GH3で発見されました(図2)。以下は本論文の図2です。
画像

 深さ1.05mの標本GH3-OSL2では、石英のOSL年代が71000±5000年前で、単一粒の長石のpIR-IRSL₂₉₀年代は65000±10000年前、ルヴァロワ式剥片を含む同じ堆積物層の深さ1.25mのGH3-OSL3は石英OSLでは84000±5000年前、長石の単一粒のpIR-IRSL₂₉₀手法では72000±6000年前でした。標本GH3-OSL3の測定された石英のOSL Dₑはは161000±5グレイ(Gy)ですが、2D₀の値は154Gyで、浸透の可能性が示唆されます。しかし、この標本の石英のOSL年代(84000±5000年前)と長石の単一粒のpIR-IRSL₂₉₀年代(72000±6000年前)は、不確実性を考慮すると相互に近くなっています。標本GH3-OSL2の単一粒の長石のpIR-IRSL₂₉₀年代(65000±10000年前)も、年代の不確実性を考慮すると、石英のOSL年代(71000±5000年前)と一致を示します。


●ワディ・ハサ

 ワディ・ハサの堆積物は、有機物が豊富な泥灰土で構成されており、時折黒い層や空洞や砂質沈泥や砂利があります(図2のHS1)。層序の差異は、堆積環境の経時的変化を示唆します。泥灰土は白色から黄褐色までありますが、一般的には薄緑色で、根の痕跡や穴や植物の残骸や植物の根の痕跡があり、植物のある沼地(paludal)環境での堆積が示唆されます。HS4区画における岩質の急激な変化は、分類が不充分な小石や丸石や玉石が伴っており、湿地環境における鉄砲水の影響を示唆しています。ワディ・ハサ湿地はかつて、海抜779mの標高で堰き止められていました。この堰き止めは以前に判断されており、先行研究では地滑りによる岩石破片の蓄積の結果と確証されました。以前の堰き止めの可能性が高い機序として、土石流堆積物とともに、ワジ(砂漠の雨季にしか水がない谷川)の南側の野原では落石が指摘されており、提案された堰き止め地域の中心部は、おもに角張って文明の不充分な小石と丸石と玉石で構成される河川堆積物で構成されています。

 発光年代測定結果は表1に掲載されており、層序記録に示されます(図2のHS1)。ワディ・ハサの石英のOSL年代から、堆積物の堆積は81000±5000年前と43000±3000年前の間に起きた、と示されます。区画HS1では、底部から得られた最古の年代は81000±5000年前で(HS2-OSL2、146 GyのDₑ)で、72000±5000年前の年代(HS2-OSL1、152 GyのDₑ)は同じ層の上部から得られており、ワディ・ハサにおける湿地環境の開始はMIS5a期だった、と示唆されます。HS1区画の中部および上部から得られた年代は、53000~42000年前頃における堆積を示唆します。死海の地震史の要約は、後期更新世における一連の地震性現象を示しており、堰の崩壊が死海変断層の活動化と関連しているかもしれない、と示唆されます。


●グレグラ

 グレグラ(Gregra)地域の湿地堆積物は、ワディ・ハサで指摘されたものと同様の堆積学的特徴を示しており、おもに根の痕跡や根の集積やマンガン団塊を伴う薄緑色の泥灰土と泥質砂と泥灰土砂で構成されています。区画QR1およびQR2の下部および中部では角張った砂利が見られ、湿地相への河川の痕跡が示唆されます(図2のQR1およびQR2)。区画QR1で得られた標本の年代は、71000±4000年前(QR1-OSL2)と45000±3000年前(QR1-OSL1)でした。区画QR2の底部における86000±7000年前という年代(QR2-OSL1)は、区画QR1の底部と同等でした。

 したがって、河川の痕跡の開始は、分類の不充分な河川の砂利の堆積により示されるように、86000±7000年前の前に起きたと解釈されますが、グレグラ湿地の形成はMIS5c~aの間にここで起きた、と判断されました。区画QR1の湿地堆積物は、MIS5~4移行期における河川堆積物と指交しました。71000±4000年前の河川堆積物は散発的な洪水現象を示唆しており、その後に浅い滞留した水環境が45000±3000年前まで再び発生しました。区画QR1およびQR2の長石年代の相関は45000年前頃以前の湿潤期を示唆しており、これは主渓谷における沼地堆積物の堆積を可能としました。


●考察

 レヴァントとアラビア半島の古水文学的条件は、人類の拡散期において重要な役割を果たしました(関連記事)。レヴァントとアラビア半島における降水量増加に起因する水資源の広範な利用可能性が、ヒトと草食動物と肉食動物とって、経時的な拡大と生存の機会を提供し、アラビア半島における湖形成がヒトの存在を支えたことは明らかです。

 発光年代から、後期第四紀の湿地堆積物は、ワディ・ガランダル(115000±8000~71000±5000年前、中部旧石器時代の人工遺物を伴う層では84000±5000年前頃)とワディ・ハサ(81500±5000~43000±3000年前)とグレグラ(86000±7000~45000±3000年前)に発生した、と示されます(図3B)。水の存在により、現生人類はアフリカから緑の回廊を経てアラビア半島およびその先への移住が可能になったのかもしれません。対照的に、アラビア半島の旧石器時代の発見のほとんどは、内部流域盆地内の古湖および湿地堆積物と関連しています。以下は本論文の図3です。
画像

 アフリカからの拡散は、かなり湿度が上昇し、利用可能な淡水資源のある期間に起きた、と考えられています。MIS5eにおける出アフリカ拡散シナリオは、この改善期における古環境および考古学的記録の多さのため、大きな注目を集めてきました(関連記事)。アフリカからのヒトの拡散は、失敗と成功の両方として理解されてきており(関連記事)、MIS5の拡散は人口統計学的失敗、55000年前頃以後の拡散は成功と考えられています。シナイ半島からレヴァントおよびアラビア半島への北方回廊経由での拡散(図1A)は、アフリカからの唯一の陸上拡散経路だったので、最適経路と考えられてきました。

 年代測定された化石および考古学的証拠は、この回廊の使用を強く裏づけました(図3)。レヴァントの現生人類化石はイスラエルのスフール(Skhul)洞窟では13万~10万年前頃、同じくイスラエルのカフゼー(Qafzeh)洞窟では10万~9万年前頃と年代測定されました。ヒトの化石と足跡は、サウジアラビアのネフド砂漠のアル・ウスタ(Al Wusta)およびアルアトハル(Alathar)古湖の堆積物で保存されており、年代はそれぞれ95000年前頃(関連記事)と115000年前頃(関連記事)で、レヴァント南部回廊はヒト拡散の経路だった可能性が高い(図3A)、と示唆されます。

 MIS5における北方経路から得られた古気候代理では、乾燥地域におけるかなりの降水量を伴うより湿潤な気候が示されました(図1および図3C~F)。エジプトの東部砂漠の洞窟二次生成物は、ワディ・サヌール(Wadi Sannur)における129000~127000年前頃、サキア(Saqia)洞窟における13万~83000年前頃の成長を示しました。ネゲブ砂漠南部の洞窟群とソレク(Soreq)洞窟は、地中海における腐泥形成の時期と一致する、MIS5e・c・aにおける降水量増加に伴う洞窟二次生成物の成長を示します。

 よく年代測定された古気候記録は、古代の人口集団の移動の促進における環境変化の役割の理解に不可欠です(図3B)。レヴァントにおける気候および考古学的証拠は、大型哺乳類の拡散について北方陸上経路を強く裏づけます。エジプト西部の砂漠にあるビル・ティルファイ(Bir Tirfawi)およびビル・サハラ(Bir Sahara)の年表は、MIS5における中期石器時代の石器と関連する古湖の形成を明らかにしました。ヨルダンの砂漠では、古湖と古湿地の年表が、カー(窪みを意味します)・アズラック(Qa'a Azraq)とエルジ湖(Lake Elji)とカー・ジャフル(Qa'a Jafr)とカー・ムダワラ(Qa'a Mudawwara)で示されており、MIS5および/もしくはMIS3におけるアラビア半島でのヒトの到来を促進した水資源の利用可能性が示唆されます。

 本論文の新たなデータは、死海の前身である、最終間氷期のサムラ湖(Lake Samra)および最終氷期の高地の時期と一致します。さらに南下すると、湖と湿地の堆積物の年代(MIS5とMIS3と完新世に相当します)は、ジェベル・フアヤ(Jebel Faya)遺跡における間に挟まった考古学的層位の年代と一致し、この地域におけるヒトの存在の複数時期を示唆しています。アラビア半島南部のホティ(Hoti)およびムカッラー(Mukalla)洞窟の二次生成物堆積の時期は古湖の形成と一致しており、つまりは、MIS5と完新世におけるサイワン(Saiwan)古湖とフジャユマー(Khujaymah)湖とムンダファン(Mundafan)湖です(図1および図3B)。レヴァントとアラビア半島の気候と年表と考古学のデータ間のつながりから、レヴァントはヒトの拡散を促進したMIS5における水の豊富な回廊として機能した、と示唆されます。


参考文献:
Abbas M. et al.(2023): Human dispersals out of Africa via the Levant. Science Advances, 9, 40, eadi6838.
https://doi.org/10.1126/sciadv.adi6838

この記事へのコメント