ドイツの初期現生人類の生活

 ヒト進化研究ヨーロッパ協会第13回総会で、ドイツにおいて発見された初期現生人類(Homo sapiens)の生活に関する研究(Smith et al., 2023)が報告されました。この研究の要約はPDFファイルで読めます(P118)。ヨーロッパへの現生人類の時期と拡大およびネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の消滅におけるその役割は、依然として多くの議論の話題となっています。新たなよく年代測定された現生人類化石の最近の発見は、ヨーロッパにおけるこれらの集団のより早期の到来を示唆します。

 さらに、遺伝学的証拠から、現生人類のこれら初期拡大の個体群は、遺伝的には後の上部旧石器時代人口集団には寄与しなかった(関連記事)、と示唆されています【ヨーロッパの最初期現生人類集団の一部は、ヨーロッパのその後の上部旧石器時代人口集団に遺伝的に寄与したようです】。最後に、 LRJ(Lincombian-Ranisian-Jerzmanowician)技術複合(中部旧石器時代と上部旧石器時代との間の移行期の技術複合で地理的にはイギリスからポーランドまでのヨーロッパ北部の平原に分布しています)などいくつかの移行的な技術複合の製作者の地位は依然として不明か、激しく議論されています。

 LRJの標準遺跡であるドイツのテューリンゲン州(Thuringia)のオーラ川(Orla River)流域に位置するラニス(Ranis)のイルゼン洞窟(Ilsenhöhle)における最近の発掘が提供した証拠(関連記事)は、LRJが45000年前頃の現生人類の初期集団により製作され、ヨーロッパ中央部への現生人類の最初の侵入の一つを表している、というものでした。これらの新たな発掘により、豊富な考古学および生体分子データセットが生成されました。この研究は、動物考古学とペプチド質量フィンガープリント法と古代堆積物のDNAを統合し、ラニスのヒト集団の生態と生計と食性を特徴づけます。

 全ての回収された骨遺骸(1764点)は形態(1229点)もしくは古プロテオミクス(タンパク質の総体であるプロテオームの解析手法)ZooMS(Zooarchaeology by Mass Spectrometry、質量分光測定による動物考古学)および SPIN(species by proteome investigation、プロテオーム調査による種同定、536点)を通じて評価されました。動物相は、トナカイやホラアナグマやケブカサイやウマが優占し、寒冷な気候条件が示唆されます。肉食動物の変形された骨の高い割合は、解体痕のある焼けた骨の低頻度とともに、イルゼン洞窟遺跡が大型肉食動物によりおもに使用されていたことを示唆します。このパターンは、動物相群への新たな洞察を提供する、26点の堆積物標本から回収された動物DNAにより確証されます。

 最後に、バルク炭素(C)および窒素(N)安定同位体(44点)の分析は、現生人類10個体と関連する動物相の直接的な食性の兆候を提供します。その結果は、ラニス個体群の高い栄養的地位が示唆されますが、その値は通常ネアンデルタール人で見られるものと類似しており、上部旧石器時代の現生人類よりも低くなっています。ヨーロッパにおける経時的な人類および関連する動物相のδ¹⁵Nとδ¹³Cを比較すると、気候変化と関連する基準効果で、現生人類が到来した時にネアンデルタール人と比較して類似の生計戦略を有していたかもしれないようです。

 全体的に、ラニスにおける動物相の蓄積とのヒトの一時的な関与は、ブルガリアのバチョキロ洞窟(Bacho Kiro Cave)など他の初期現生人類遺跡とは対照的で、小さな集団規模か短期間の課題固有の機能のいずれかを示唆しています。この研究は、考古学および生体分子のデータセットを組み合わせ、ヒトの遺跡使用と生計と食性のより詳細な理解を提供する可能性を論証します。


 以上、この研究の要約を見てきましたが、イルゼン洞窟のLRJ関連個体群の生態的地位が、上部旧石器時代の現生人類よりもネアンデルタール人の方と類似している、と示唆されたことはたいへん注目されます。ただ、この研究も指摘するように、イルゼン洞窟のLRJ関連個体群の洞窟利用は一時的と考えられ、これがLRJの現生人類集団の一般的な傾向ではないかもしれません。その意味で、この研究のデータも慎重に解釈しなければならないでしょうが、もちろん、イルゼン洞窟のLRJ関連個体群が生態的地位の観点で、LRJの現生人類集団の一般的な傾向を表している可能性は低くないでしょう。

 イルゼン洞窟のLRJ関連個体群は遺伝的に、チェコのコニェプルシ(Koněprusy)洞窟群で発見された、洞窟群の頂上の丘にちなんでズラティクン(Zlatý kůň)と呼ばれる成人女性1個体と類似している、と示されています(関連記事)。ズラティクン個体は、関連する人工遺物が特定の文化的技術複合に確定的に分類できておらず、信頼性の高い直接的な年代値もありませんが、遺伝的には、出アフリカ現生人類集団のうち非アフリカ系現代人全員の共通祖先と初期に分岐した系統を表しており、現代人には遺伝的痕跡をほぼ全く残していない、と推測されており(関連記事)、それはその後の研究でも支持されています(関連記事)。

 つまり、イルゼン洞窟のLRJ関連個体群は絶滅した可能性が高いわけで、そうした個体群の生態的地位が、上部旧石器時代の現生人類よりもネアンデルタール人の方と類似していることは、上述のように留保も必要とはいえ、LRJ関連個体群がネアンデルタール人との競合で、後の上部旧石器時代の現生人類集団との比較で、ネアンデルタール人に対して決定的に有意に立っていなかったことを示唆します。ネアンデルタール人に対する現生人類の優位を決定した要因として技術がよく挙げられており、弓矢など飛び道具はとくに重視されているように思いますが、フランス地中海地域で54000年前頃のネロニアン(Neronian、ネロン文化)の担い手である現生人類集団が弓矢技術を有していながら、その後で撤退したか絶滅し、おそらくはネアンデルタールに置換されたこと(関連記事)を考えると、特定の技術を現生人類との競合によるネアンデルタール人絶滅の要因と単純に想定することは難しいように思います。

 では、何がネアンデルタール人を絶滅(もっとも、ネアンデルタール人が絶滅したとはいっても、非アフリカ系現代人はわずかながらネアンデルタール人由来のゲノム領域を継承しているので、形態学的・遺伝学的にネアンデルタール人的な特徴を一括して有する集団は絶滅した、と言うのがより妥当でしょうか)に追い込んだのか、詳細な解明は困難ですが、素朴な常識論となるものの、恐らくは複数の要因が関わっており、その組み合わせは時期と年代により異なるのだろう、と予測しています。もちろん、技術により現生人類がネアンデルタール人に対して優位に立つ局面も想定できますが、人口規模の差や分業など社会構造の違いも重要だったのかもしれません。LRJ個体群など45000年以上前の現生人類集団はそうした点でネアンデルタール人集団に対して決定的に有意に立っておらず、それ以降、とくに4万年前頃前後にヨーロッパに拡散してきた現生人類集団は、何らかの理由でネアンデルタール人に対して決定的に有意に立ったのかもしれません。

 最近の研究(関連記事)に基づくと、ヨーロッパへの現生人類の拡散は年代的に3段階あり、ネロニアンが第1段階、LRJが第2段階を表していて、現在のフランス南西部からスペイン北東部にかけて分布していたシャテルペロニアン(Châtelperronian、シャテルペロン文化)や、ブルガリアのバチョキロ洞窟(Bacho Kiro Cave)の初期上部旧石器(Initial Upper Paleolithic、略してIUP)と同年代となります。第3段階がプロトオーリナシアン(Proto-Aurignacian、先オーリニャック文化)で、これ以降、ヨーロッパからネアンデルタール人が消滅するだけではなく、第2段階の現生人類集団も、絶滅するか遺伝的影響を大きく低下させます(関連記事)。

 ヨーロッパにおける現生人類の拡散とネアンデルタール人の関係は、ネアンデルタール人に対して人口や技術で優位に立った現生人類が5万年前頃以降に拡散し、ネアンデルタール人と現生人類が数千年程度共存した後で、ネアンデルタール人が絶滅した、というように単純に把握できることは難しそうです(関連記事)。ヨーロッパにおけるネアンデルタール人と現生人類の関係は複雑で、現生人類の拡散によりネアンデルタール人が一方的に衰退したわけではなく、局所的には、現生人類が絶滅もしくは撤退し、ネアンデルタール人に置換されることもあったのかもしれません。


参考文献:
Smith GM. et al.(2023): The ecology, subsistence and diet of ca. 45,000-year-old Homo sapiens at Ilsenhöhle in Ranis, Germany. The 13th Annual ESHE Meeting.

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