アフリカ南西部の現代人から推測されるアフリカ大陸の現代人の深い遺伝的構造
アフリカ南西部の現代人のゲノム解析からアフリカ大陸の現代人の深い遺伝的構造を明らかにした研究(Oliveira et al., 2023)が公表されました。アフリカは現代人の遺伝的多様性が最も高い地域ですが、ヨーロッパなどと比較して現代人のゲノム研究が遅れているため、現代人の遺伝的多様性の把握が妨げられています。本論文は遺伝学的にこれまで知られていなかった祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を新たに特定しており、アフリカ人の大規模なゲノムデータを報告した最近の研究(関連記事1および関連記事2)とともに、アフリカ人の遺伝的多様性とその形成過程と起源の理解を深めるのに貢献するでしょう。
●要約
古代DNA研究はバントゥー諸語話者農耕民の拡大前のアフリカの遺伝的構造を明らかにしますが、現在のアフリカ人集団の遺伝的構成への今では絶滅した狩猟採集民および牧畜民社会の影響は理解しづらいままです。本論文は、アンゴラのナミブ砂漠のバントゥー諸語の前の人口集団の遺伝的遺産を解明します。アンゴラのナミブ砂漠には、謎めいた採食民の伝統と関連した小規模集団や、コエ・クワディ語族(Khoe-Kwadi family)のクワディ語(Kwadi)系統の最後の話者がいました。本論文は、これらおよび他のアフリカの人口集団から得られたゲノム規模データに祖先系統分解手法を適用することで、コエ・クワディ語族話者牧畜民の移住から生じた接触の微細な歴史を再構築し、アンゴラのナミブ砂漠とナミビアの近隣地域の集団間でのみ共有されている深く分岐した祖先系統を特定しました。ナミブ砂漠の人々のこの独特な遺伝的遺産は、高い民族言語的多様性の未調査地域を対象とする現代人のDNA研究が、アフリカ大陸の深い遺伝的構造の厳密な調査において古代DNA研究をいかに補完できるのか、示しています。
●研究史
アフリカ南部の先植民地期の遺伝的多様性は、対照的な遺伝と言語と生業の特性を有する人々の、少なくとも3つの異なる連続的な階層化から生じた、と一般的に認められています。それは、(1)現在クン・ホアン(Kx’a)語族とツウ(Tuu)語族の言語を話す採食民の祖先、(2)コエ・クワディ語族言語を話すアフリカ東部からの後期石器時代のより最近(2000年前頃)の拡散、(3)バントゥー諸語を話、農耕および牧畜生活様式にさまざまな程度で依拠する、アフリカ西部および中央部に起源がある初期農耕民集団のその後の到来(1800~1500年前頃)です。
先行研究では、在来のアフリカ南部採食民は最も深く分岐した人口集団の一つで、カラハリ砂漠の北部および中央部および南部と関連する主要な3遺伝的下位集団に大別できる、と示されてきました。言語学的には、カラハリ盆地北部はクン・ホアン語族の下位語族であるジュー(Ju)語族話者の故地ですが、カラハリ盆地中央部および南部はそれぞれおもに、ツウ語族のター(Taa)語分枝およびクイ(!Ui)語分枝と関連しています。カラハリ盆地を越えると、アフリカ南部採食民と関連する祖先系統が、8100~2500年前頃に現在のマラウイに暮らしていた個体群から回収された古代DNAや、ザンビアとアフリカ東部の現在の人口集団でも検出されてきました(関連記事1および関連記事2)。これらの調査結果から、現代の、クン・ホアン語族およびツウ語族話者と関連する遺伝的祖先系統を有する採食民人口集団は、侵入してきた食料生産者により吸収もしくは消滅させられる前には、過去にもっと広範に存在していた、と示唆されます。
バントゥー諸語話者の拡大はとくに、先行する採食民の居城の痕跡を示す地域に影響を及ぼしてきた、と知られており、採食民人口集団の分布が狭くなるのに役割を果たしてきたかもしれません。しかし、バントゥー諸語話者と採食民の混合のよく知られた事例にも関わらず、ほとんどのバントゥー諸語話者集団はその文化的独自性を保持しており、近隣の非バントゥー諸語話者人口集団とよりも他のバントゥー諸語話者の方と遺伝的には密接です。
バントゥー諸語の拡大とは対照的に、コエ・クワディ語族のコエ(Khoe)諸語分枝の言語の話者集団から得られた利用可能なデータでは、この語族と関連するアフリカ東部からの牧畜民拡散は地域的な接触と混合と拡散から生じる複雑さにより強く形成された、と示唆されます。アフリカ東部と関連する遺伝的祖先系統のさまざまな量の共有にも関わらず、コエ諸語話者集団には、在来のアフリカ南部人口集団およびバントゥー諸語話者人口集団からのかなりの遺伝的寄与を有する、牧畜および採食両方の共同体が含まれます。遺伝的および文化的構成のこの断片化された分布のため、アフリカ南部の人口景観は、さまざまな地域におけるコエ・クワディ語族話者を含む複数の接触シナリオの複雑さを考慮する、上昇型手法の採用によってのみ完全に理解できます。
これまでに最もよく研究された地域はカラハリコエ諸語話者の故地であるカラハリ盆地中央部で、それよりも程度は劣るものの、コエコエ(Khoekhoe)語話者により歴史的に居住されてきたカラハリ盆地南部および西部の周縁部です。対照的に、アンゴラ南西部についてはほとんど知られていません。アンゴラ南西部では、クワディ語分枝が20世紀半ばまで、クロカ川(Kuroka River)河口に近いアンゴラのナミブ砂漠に暮らしていたクウェペ人(Kwepe)として知られる集団により話されていました。
クワディ語およびクワディ語話者共同体は両方とも消滅したと考えられていましたが、まだクロカ川沿いに暮らしているクウェペ人と自己認識している1集団を、その元々もの報告されている場所の近くの地域で示すことができました。クウェペ人の最近のバントゥー諸語のクヴァレ(Kuvale)語への変化にも関わらず、言語学者のエルンスト・ウェストファル(Ernst Westphal)により1965年に記録されたクワディ語話者の子孫と確認され、今では消滅した言語の語彙と文法をかなりの量依然として覚えていた2人の女性が見つかりました。現在のクウェペ人は小規模な牧畜民で、クウィジー人(Kwisi)やトゥワ人(Twa)やツジンバ人(Tjimba)として知られている、クロカ川流域に暮らす一連の土地と家を奪われた集団に囲まれています。これらの3共同体は、クン・ホアン語族およびツウ語族話者とともにアフリカ南部に居住しており、その元々の言語と文化は失われた、バントゥー諸語話者以前の採食民の異なる層の子孫と考えられてきました。
その起源に関わらず、クウェペ人とクロカ川流域の他の人々は、周縁化された人口集団のクラスタ(まとまり)を形成し、アフリカ南西部のヘレロ人(Herero)の牧畜民伝統の一部を構成し、アンゴラのナミブ砂漠において社会的に支配的権力を表している、バントゥー諸語話者のクヴァレ人およびヒンバ人(Himba)の言語と分的習慣を共有しています。クウェペ人とクウィジー人とトゥワ人とツジンバ人は現在、支配的な牧畜民の隣人に強い文化的および社会経済的依存を示すので、周遊的な共同体として最良に説明されます。つまり、他者に商品と奉仕を提供する、小規模で低い社会的地位の高度に遊動的な集団です。
アンゴラのナミブ砂漠の高度に多様な人口景観に促され、この地域の現存人口集団はクワディ語話者の祖先系統の一部や、バントゥー諸語の拡大前にはアフリカ南西部に居住していた消滅した採食民人口集団の遺伝的痕跡を保持しているかもしれない、と仮定されます。この研究は、アンゴラのナミブ砂漠とその近隣地域の9民族集団に属する208個体のゲノム規模データを生成しました。その生計は、採食(クン人)、周遊(クウェペ人とクウィジー人とトゥワ人とツジンバ人)、牧畜(ヒンバ人とクヴァレ人)、オヴィンブンド人(Ovimbundu)およびニャネカ人(Nyaneka)の農耕牧畜という生活様式です。
アフリカ南部のより広範な地域内およびそれを越えて、本論文の調査結果を説明するため、アンゴラのデータを同じ配列で以前に遺伝子型決定された他のアフリカ人とさらに組み合わされました(図1A)。本論文の結果から、以前にクワディ語を話していたクウェペ人の子孫とアンゴラのナミブ砂漠の他の周遊集団は独特なバントゥー諸語以前の遺伝的祖先系統を保存している、と示され、アフリカ南部への移住の理解にとって重要な地域としてのアンゴラ南西部の重要性を浮き彫りにします。以下は本論文の図1です。
●分析結果
主成分分析(principal component analysis、略してPCA)では、アンゴラのクン人採食民は、クン・ホアン語族のジュー語族分枝の言語を話すアフリカ南部集団と最も類似していますが、他の標本抽出されたアンゴラの集団はアフリカ西部人およびバントゥー諸語話者人口集団の方と密接です(図1B)。これらの集団のうち、アンゴラのナミブ砂漠の人口集団は顕著な下部構造を示しており、主成分3(PC3)により最適に把握される遺伝的分化の勾配を形成し、その勾配はクヴァレ人およびヒンバ人のウシを飼っている牧畜民から周遊的なクウィジー人およびトゥワ人へと伸びています(図1C)。
さらに、PC3で示される分化は、 ADMIXTURE で実装された教師なし人口集団クラスタ化によりK(系統構成要素数)=6で明らかにされる祖先系統構成要素量の増加と関連しています(図1Dの黄色)。この構成要素は、以前に特定された「北西サバンナ」祖先系統と重複しており、この祖先系統は南西部のバントゥー諸語話者のヒンバ人やヘレロ人やオヴァンボ人(Ovambo)ではとくにナミビア北西部で一般的に見つかります。この祖先系統はコエコエ語話者のダマラ人(Damara)でも支配的で、遺伝的にはヘレロ人やヒンバ人とひじょうに類似しており、恐らくはその言語はナマ人(Nama)牧畜民から取り入れ、ダマラ人はナマ人の牧畜民と周遊的な関連を歴史的に確立してきました。アンゴラ南西部とナミビア北西部におけるこの祖先系統の様々な割合は、生計戦略および社会経済的地位と広く関連しているようで、ニャネカ人とオヴァンボ人とオヴィンブンド人の農耕牧畜民では最低で(18~27%)、周遊的なツジンバ人とトゥワ人とクウィジー人では最高です(79~93%)。
これらの人口集団において共有されている同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)の分析からさらに、IBD断片の集団間共有は周遊的な共同体において最高である、と示唆されます。アンゴラ南西部の牧畜の状況は、高度に階層化されたカースト的な母系氏族組織なので、観察された遺伝的構造は周遊的な共同体の周縁化と関連する浮動および近親交配により引き起こされた、と考えられます。あるいは、これが標本抽出されていないか、もはや存在していない人口集団との混合のさまざまな水準を反映している可能性もあります。
遺伝的浮動の役割を調べるため、各集団について個体間で共有されるIBD断片の全長(センチモルガン)と個体ごとの同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してRoH)の全長(百万塩基対)計算により、アンゴラ南西部およびナミビア北西部のいくつかの人口集団で遺伝的多様性の水準が評価されました。その結果、アンゴラ南西部では、最低および最高のIBDおよびRoHの長さは農耕牧畜民と周遊民でそれぞれ見つかる、と分かりました(図2A)。さらに、周遊的集団は他のアフリカ南部人口集団よりも10cM(センチモルガン)超の共有IBD断片のより長い平均長を示します(図2B)。共有IBD断片から得られた情報を活用しての経時的な有効人口規模(Ne)の推定値はさらに、20世代前頃から始まる周遊的集団における強いボトルネック(瓶首効果)を明らかにします。まとめると、これらの結果から、浮動はより低い社会経済的地位のアンゴラの共同体の遺伝的分化において大きな役割を果たした、と示唆されます。以下は本論文の図2です。
次にCHROMOPAINTERを用いて、遺伝的浮動の影響を考慮しながら周遊的集団の遺伝的分化が調べられました。CHROMOPAINTERでは、受容者個体から得られた半数体のゲノムが大きな塊に分解され、提供者人口集団の要員において最適なハプロタイプからそれぞれがコピーされます。高水準の分化がおもに遺伝的浮動に起因する人口集団では、受容者はほとんどのDNAの塊を自身もしくは密接に関連する集団に属する提供者からコピーする傾向にあり、他集団と共有される祖先系統を覆い隠します。先行研究により概説されているように、受容者が自身の集団内で最適なハプロタイプを見つけられなかった場合、浮動の影響は弱まり、他集団との遺伝的関係はより適切に評価できます。この手法を模倣して、アンゴラ南西部とナミビア北西部の牧畜民と周遊民が、その遺伝的独自性が最近の孤立前の祖先系統組成における違いに起因し得るのかどうか評価するため、そのハプロタイプを相互からコピーすることはできませんでした。
これらの条件下で、クウェペ人とトゥワ人とクウィジー人はその牧畜民と牧畜農耕の隣人の特性と明らかに区別されるひじょうに類似した特性のコピーを示します(図3C・D)。ツジンバ人の特性は他の周遊民と近いものの同一ではありませんが、ダマラ人はバントゥー諸語話者牧畜民と完全に一致します。各集団と代表的な牧畜民(クヴァレ人)と農耕牧畜民(オヴィンブンド人)の集団との間の特性の違いの比較からさらに、周遊的集団はバントゥー諸語およびアフリカ西部関連祖先系統の量が減少するのに対して、アフリカ南部採食民祖先系統を有する集団と、それより程度は劣るもののムブティ人の熱帯雨林狩猟採集民といくつかのアフリカ東部集団のハプロタイプ数は、コピーが増加した、と示されます(図3A・B)。この調査結果は、先バントゥー諸語話者との人口集団異なる混合の影響を浮き彫りにし、浮動と近親交配がその遺伝的分化に影響を及ぼす唯一の要因ではなかったことを示唆します。以下は本論文の図3です。
潜在的供給源として古代の個体群を含めながら、バントゥー諸語話者以前の混合の役割を評価するため、 qpAdmが用いられました。さまざまな混合モデルの適合の検証により、アフリカ南部採食民祖先系統(ここでは南アフリカ共和国で発見された2000年前頃の古代人のゲノムにより表されます)のより多い量と、タンザニアのルクマンダ(Luxmanda)遺跡の3100年前頃となる牧畜状況から回収された古代人1個体のゲノムに最適に合致する、アフリカ東部からの検出可能な寄与(4~5%)とを示すことで、周遊的な人々(クウェペ人とクウィジー人とツジンバ人とトゥワ人)はその隣人(ヒンバ人とクヴァレ人とニャネカ人)から分岐する、と確証されます(図4)。以下は本論文の図4です。
アンゴラ南西部とナミビア北西部の集団における、バントゥー諸語話者およびアフリカ南部在来およびアフリカ東部と関連する祖先系統の混合の相対的順序に関する本論文の推測は祖先系統共分散に基づいており、最初の混合事象はアフリカ南部およびアフリカ東部と関連する祖先系統の混合を含んでいる、と示唆しており、これは、牧畜がバントゥー諸語拡大前にアフリカ南部へともたらされた、と提案する考古学的データと一致します。この混合事象から信頼できる推定値を得ることはできませんでしたが、 WaveletsとGLOBETTROTERとALDERの使用により、バントゥー諸語話者と以前に混合したバントゥー諸語話者以前の祖先系統との間の、1100~600年前頃となる混合の兆候が検出されました。これらの推定値はアフリカ南部における最初のバントゥー諸語話者の到来(1800~1500年前頃)の後となるので、ナミブ砂漠内およびその周辺地域の遅れた植民か、在来人口集団と侵入人口集団との間の遅れた混合開始を示しているかもしれません。あるいは、混合の複数の波動が異なる時に起きたかもしれず、その場合には、推定された年代は最古と最新の混合事象の中間となるでしょう。
アンゴラのナミブ砂漠と同様に、現在コエ・クワディ語族の言語が話されている他地域は、接触により強く形成され、アフリカ南部とアフリカ東部とバントゥー諸語話者の関連祖先系統のひじょうに異なる量を示します(図4)。アフリカ南部到来後のコエ・クワディ語族の接触史を再構築するため、在来の祖先系統分解が実行され、アフリカ南部の主要な3植民層それぞれの内部における人口集団の関係が分析されました。
PCA投影に基づくと、コエ・クワディ語族話者および他のアフリカ南部人のゲノムで特定されたアフリカ東部祖先系統は、タンザニアで発見された古代の個体(3100年前頃)周辺でクラスタ化する(まとまる)牧畜民集団と関連している、と分かりました。一部のナマ人とコマニ人(ǂKhomani)の個体はさらに、植民地期におけるヨーロッパ人との混合に起因する可能性が高い、ユーラシア祖先系統を大量に有するアフリカ東部集団と関連しています。
祖先系統特異的PCAと平均的な対での違いに基づくクラスタ化ではさらに、コエ・クワディ語族話者集団のアフリカ南部およびバントゥー諸語話者関連祖先系統はひじょうに異質で、その隣人の遺伝的組成を反映している、と示されます。このパターンは、局所的な祖先系統情報が、アフリカ南部およびバントゥー諸語話者固有のIBD共有を得るためにIBD推定と組み合わされる場合、とくに明確になります。たとえば、カラハリ盆地北縁のコエ人(Khwe)は、同じ地域に暮らすクン人の採食民および南西バントゥー諸語農耕牧畜集団と類似している、アフリカ南部およびバントゥー諸語話者関連祖先系統を有しています。その南方では、カラハリ盆地中央部のコエ諸語話者が、近隣のター人およびホアン人(ǂHoan)とアフリカ南部関連祖先系統を、在来の東バントゥー諸語話者とバントゥー諸語話者関連祖先系統を共有しています(図5)。
コエコエ語話者であるナマ人のアフリカ南部およびバントゥー諸語話者関連祖先系統は、アフリカ南部の大西洋沿岸での移住史を反映しています。そのアフリカ南部関連祖先系統はカラハリ盆地の最南端地域に暮らすコマニ人と類似していますが、そのバントゥー諸語話者関連祖先系統は、ナミビア北西部の南西バントゥー諸語話者集団と類似しています(図5)。ナマ人は現在の南アフリカ共和国から北方に移動したコエコエ語話者集団の分枝と知られているので、ナマ人は最初に現在の南アフリカ共和国でアフリカ南部関連祖先系統を得て、ナミビアに到達後にやっとバントゥー諸語話者人口集団と混合した可能性が高そうです。以下は本論文の図5です。
アンゴラのナミブ砂漠では、以前にクワディ語を話していたクウェペ人と他の周遊的集団はすべて、その周囲の南西バントゥー諸語話者牧畜民とバントゥー諸語話者関連祖先系統を共有しています(図5)。しかし、そのアフリカ南部関連祖先系統はアフリカ南部で以前に報告されてきた主要な祖先系統構成要素のどれとも一致しません(図5)。自身で大量のアフリカ南部関連IBD断片を共有しているにも関わらず、周遊民は現在のアフリカ南部採食民集団とのIBD共有の欠如で際立っており、そのアフリカ南部関連祖先系統は深く分岐した標本抽出されていない集団との混合から生じた、と示唆されます。
同じ祖先系統はナミビアのダマラ人を含むアフリカ南西部の他集団でも見つかっていますが、検出された頻度はアンゴラの周遊民よりもずっと低くなっています(図5)。この以前には検出されていなかった遺伝的構成要素は以後、コイサン-ナミブ(Khoisan–Namib、略してKS-ナミブ)と呼ばれ、その独自性は超低網羅率配列決定データの予測最大化PCA(expectation-maximization PCA for Ultra-low Coverage Sequencing Data、略してEMU)手法でも裏づけられます。この手法は、高水準の欠失データがあっても人口構造の検出を可能とし、KS-ナミブは、マラウイの古代(8100~2500年前頃)の狩猟採集民で特定されたアフリカ南部関連構成要素を含めて、全ての既知の主要なアフリカ祖先系統と容易に分離できる、と示します(図6C・D)。以下は本論文の図6です。
系図的一致に基づいたアフリカ南部関連祖先系統の接続形態の再構築からさらに、KS-ナミブの分離は他のアフリカ南部祖先系統の分離に先行する、と示され、この構成要素の深い分岐が示唆されます。初期の分岐は人口集団の組み合わせ間の分岐時間推定値によりさらに示唆され、KS-ナミブの分離は、有効人口規模(Ne)を2万個体と仮定すると、クン・ホアン語族(ジュー人)やツウ語族(ター人)や同じくツウ語族(クイ人)の話者人口集団と関連するアフリカ南部関連祖先系統の分岐時間よりも13~44%古い、と示されます。まとめると、これらの結果から、アンゴラのナミブ砂漠とその周辺地域は、アフリカ南部の内外の現存人口集団において密接な合致のない、絶滅し深く分岐したヒト集団の遺産を保存している、と示唆されます。
●考察
アンゴラのナミブ砂漠は、アフリカ南部のより広範な地域へのさまざまな移住の波の間の接触と混合の歴史と結果を調べるための、ひじょうに貴重な枠組みを提供します。南西バントゥー諸語話者のウシ牧畜民により文化的に支配されているにも関わらず、この地域は、周遊的な生活様式で、かなりの程度の民族誌的関心を惹きつけてきた、いくつかの貧しい集団の存在のため注目に値します。
本論文の結果は、大量のバントゥー諸語話者関連祖先系統(約80%)にも関わらず、全ての標本抽出された周遊的集団がアフリカ東部祖先系統の水準増加と以前には報告されていなかったアフリカ南部関連構成要素(KS-ナミブ)を見せる、と示すことにより、のアンゴラのナミブ砂漠の人口景観の不均一性を浮き彫りにします(図4~図6)。全ての周遊的集団でのバントゥー諸語以前の祖先系統の共発生は、複雑な接触と混合の歴史を示唆します。カラハリ盆地におけるコエ諸語話者集団ではアフリカ東部構成要素も検出されてきたので(図4)、アフリカ東部構成要素はアンゴラ南西部へと、コエ・クワディ語族の牧畜民の拡散のクワディ語分枝の一部として、現在のクウェペ人の祖先によりもたらされた可能性が高そうです。対照的に、KS-ナミブは分布がより限定されており、アンゴラのナミブ砂漠においてとくに一般的で、歴史的に周遊的生活様式と関連しているナミビアのダマラ人を含むアフリカ南西部の他集団では残余の量で現れます(図5)。この分布から、KS-ナミブは他地域からの移民とよりもアフリカ南西部の居住採食人口集団とより深く関連している可能性が高い、と示唆されます。
現在、クン・ホアン語族およびツウ語族話者集団と類似している狩猟採集民はアンゴラのナミブ砂漠には存在しませんが、16世紀の旅行家であるドゥアルテ・パシェコ・ペレイラ(Duarte Pacheco-Pereira)による初期の記述では、クロカ川河口周辺の地域では、当時遊牧民集団が暮らしており、漁撈で生計を立て、クジラの肋骨から海藻で覆った家を建てた、流域、とあります。この既述は、かつて現在のナミビアと南アフリカ共和国において沿岸近くで暮らしていたものの、19世紀に絶滅した「浜で物を拾う人(Strandloper)」とよく呼ばれる、沿岸部採食民を想起させます。歴史的記録をそうした人々をコエコエ語話者と記していますが、その文化はさらに内陸の牧畜集団とは異なっており、その起源は究極的には、アフリカ南部で海洋採食の長い歴史により示唆されるように、固有の狩猟採集民集団にたどれるかもしれません。
アフリカ南部の海洋採食民の古代の牧畜以前の起源は、南アフリカ共和国沿岸のセントヘレナ湾(St. Helena Bay)で発掘された2241~1965年前頃の骨格から得られたゲノム規模データにより、最近裏づけられました。しかし、この個体の遺伝的特性はアフリカ南部内陸地域の現在のツウ語族話者狩猟採集民と近く、KS-ナミブ構成要素と近いわけではありません(図6)。したがって、アンゴラの南西部沿岸の古代DNA研究のみが、KS-ナミブと絶滅した採食民人口集団との間の祖先関係を明確にできる可能性が高そうです。アンゴラのナミブ砂漠の考古学的記録は疎らで、この祖先系統と関連している先史時代のヒト遺骸は、クロカ川河口近くの地域で報告されてきた貝塚堆積物と沿岸部集落の痕跡から回収できるかもしれません。
ナミブ沿岸の古代の居住は、クワディ語話者のクウェペ人と、海岸で火を使わず生魚を食べていた在来の人々と遭遇を伝える口承によっても裏づけられます。一部の考古学者は、これら在来の漁撈民をクウィジー人およびトゥワ人の祖先と同等視しており、それは、その現在の社会経済的周縁化と、狩猟採集との歴史的に記録された関連のためで、それはクウェペ人の小規模な牧畜へのより強い依存とは対照的です。
しかし、本論文の結果から、現在のトゥワ人とクウィジー人はクウェペ人と遺伝的に分離できる、と示されるものの、この3集団は遺伝的浮動の影響が弱まると、事実上区別できません(図3)。このパターンから、全ての現存集団はさまざまな祖先系統と同等に関連している、と示唆されるので、民族誌的考察を超えて、特定の現代の人口集団と古代の採食民との間の連続性を確証する試みが促されます。したがって、アンゴラのナミブ砂漠の小宇宙は、高度に多層化された多民族体系とみなすことができ、そこではさまざまな遺伝的および民族言語学的背景の集団が混合したものの、その社会経済的地位に基づいて明確な区分が維持されました。
アンゴラ南西部のこの接触特性は、コエ・クワディ語族話者の移民がさまざまな言語および遺伝的遺産の在来人口集団と遭遇した、アフリカ南部の他地域と著しく類似しています。これら全地域の特徴の定義は混合史で、それはアフリカ東部祖先系統とさまざまなアフリカ南部採食民構成要素との間の融合で始まり、その後、バントゥー諸語話者移民の東西の流れから生じたバントゥー諸語話者とのさまざまな程度の混合が続きました。利用可能な遺伝学と言語学と考古学のデータを考慮すると、コエ・クワディ語族祖語話者は、ボツワナ北東部の中間的故地から南西への移動を想定する以前の提案とは対照的に、カラハリ盆地北西部で分岐した、と仮定されます。その分岐後、コエ・クワディ語族は特定の接触地域へと移住するさまざまな集団に分岐しました。コエコエ語話者は大西洋沿岸を南方へと移動し、クイ語話者集団と遭遇しました。カラハリ盆地のコエ諸語話者は東進経路を取り、カラハリ盆地北部でジュー語族話者と、カラハリ盆地中央部でター語およびホアン語話者と遭遇しました。クワディ語話者はアンゴラ南西部へと移動し、KS-ナミブ構成要素と関連する今では絶滅した採食民集団が暮らしていた地域に到来しました。より最近では、ほとんどのコエ・クワディ語族話者は東および西バントゥー諸語話者人口集団からさらに影響を受け、その多様な遺伝的構成に追加されました。
まとめると、本論文の結果から、さまざまな移住の波の合流と関連する接触地域は、アフリカの食料生産の到来に先行する消滅した集団の祖先系統を有している可能性がある、と示されます。これら初期採食民の完全な多様性と地理的拡大は、最終的には古代DNAにより明かされるかもしれませんが、高度に混合した小規模な共同体の詳細な研究は、アフリカ大陸の深い遺伝的構造の調査に独特な機会を依然として提供できます。
参考文献:
Oliveira S. et al.(2023): Genome-wide variation in the Angolan Namib Desert reveals unique pre-Bantu ancestry. Science Advances, 9, 38, eadh3822.
https://doi.org/10.1126/sciadv.adh3822
●要約
古代DNA研究はバントゥー諸語話者農耕民の拡大前のアフリカの遺伝的構造を明らかにしますが、現在のアフリカ人集団の遺伝的構成への今では絶滅した狩猟採集民および牧畜民社会の影響は理解しづらいままです。本論文は、アンゴラのナミブ砂漠のバントゥー諸語の前の人口集団の遺伝的遺産を解明します。アンゴラのナミブ砂漠には、謎めいた採食民の伝統と関連した小規模集団や、コエ・クワディ語族(Khoe-Kwadi family)のクワディ語(Kwadi)系統の最後の話者がいました。本論文は、これらおよび他のアフリカの人口集団から得られたゲノム規模データに祖先系統分解手法を適用することで、コエ・クワディ語族話者牧畜民の移住から生じた接触の微細な歴史を再構築し、アンゴラのナミブ砂漠とナミビアの近隣地域の集団間でのみ共有されている深く分岐した祖先系統を特定しました。ナミブ砂漠の人々のこの独特な遺伝的遺産は、高い民族言語的多様性の未調査地域を対象とする現代人のDNA研究が、アフリカ大陸の深い遺伝的構造の厳密な調査において古代DNA研究をいかに補完できるのか、示しています。
●研究史
アフリカ南部の先植民地期の遺伝的多様性は、対照的な遺伝と言語と生業の特性を有する人々の、少なくとも3つの異なる連続的な階層化から生じた、と一般的に認められています。それは、(1)現在クン・ホアン(Kx’a)語族とツウ(Tuu)語族の言語を話す採食民の祖先、(2)コエ・クワディ語族言語を話すアフリカ東部からの後期石器時代のより最近(2000年前頃)の拡散、(3)バントゥー諸語を話、農耕および牧畜生活様式にさまざまな程度で依拠する、アフリカ西部および中央部に起源がある初期農耕民集団のその後の到来(1800~1500年前頃)です。
先行研究では、在来のアフリカ南部採食民は最も深く分岐した人口集団の一つで、カラハリ砂漠の北部および中央部および南部と関連する主要な3遺伝的下位集団に大別できる、と示されてきました。言語学的には、カラハリ盆地北部はクン・ホアン語族の下位語族であるジュー(Ju)語族話者の故地ですが、カラハリ盆地中央部および南部はそれぞれおもに、ツウ語族のター(Taa)語分枝およびクイ(!Ui)語分枝と関連しています。カラハリ盆地を越えると、アフリカ南部採食民と関連する祖先系統が、8100~2500年前頃に現在のマラウイに暮らしていた個体群から回収された古代DNAや、ザンビアとアフリカ東部の現在の人口集団でも検出されてきました(関連記事1および関連記事2)。これらの調査結果から、現代の、クン・ホアン語族およびツウ語族話者と関連する遺伝的祖先系統を有する採食民人口集団は、侵入してきた食料生産者により吸収もしくは消滅させられる前には、過去にもっと広範に存在していた、と示唆されます。
バントゥー諸語話者の拡大はとくに、先行する採食民の居城の痕跡を示す地域に影響を及ぼしてきた、と知られており、採食民人口集団の分布が狭くなるのに役割を果たしてきたかもしれません。しかし、バントゥー諸語話者と採食民の混合のよく知られた事例にも関わらず、ほとんどのバントゥー諸語話者集団はその文化的独自性を保持しており、近隣の非バントゥー諸語話者人口集団とよりも他のバントゥー諸語話者の方と遺伝的には密接です。
バントゥー諸語の拡大とは対照的に、コエ・クワディ語族のコエ(Khoe)諸語分枝の言語の話者集団から得られた利用可能なデータでは、この語族と関連するアフリカ東部からの牧畜民拡散は地域的な接触と混合と拡散から生じる複雑さにより強く形成された、と示唆されます。アフリカ東部と関連する遺伝的祖先系統のさまざまな量の共有にも関わらず、コエ諸語話者集団には、在来のアフリカ南部人口集団およびバントゥー諸語話者人口集団からのかなりの遺伝的寄与を有する、牧畜および採食両方の共同体が含まれます。遺伝的および文化的構成のこの断片化された分布のため、アフリカ南部の人口景観は、さまざまな地域におけるコエ・クワディ語族話者を含む複数の接触シナリオの複雑さを考慮する、上昇型手法の採用によってのみ完全に理解できます。
これまでに最もよく研究された地域はカラハリコエ諸語話者の故地であるカラハリ盆地中央部で、それよりも程度は劣るものの、コエコエ(Khoekhoe)語話者により歴史的に居住されてきたカラハリ盆地南部および西部の周縁部です。対照的に、アンゴラ南西部についてはほとんど知られていません。アンゴラ南西部では、クワディ語分枝が20世紀半ばまで、クロカ川(Kuroka River)河口に近いアンゴラのナミブ砂漠に暮らしていたクウェペ人(Kwepe)として知られる集団により話されていました。
クワディ語およびクワディ語話者共同体は両方とも消滅したと考えられていましたが、まだクロカ川沿いに暮らしているクウェペ人と自己認識している1集団を、その元々もの報告されている場所の近くの地域で示すことができました。クウェペ人の最近のバントゥー諸語のクヴァレ(Kuvale)語への変化にも関わらず、言語学者のエルンスト・ウェストファル(Ernst Westphal)により1965年に記録されたクワディ語話者の子孫と確認され、今では消滅した言語の語彙と文法をかなりの量依然として覚えていた2人の女性が見つかりました。現在のクウェペ人は小規模な牧畜民で、クウィジー人(Kwisi)やトゥワ人(Twa)やツジンバ人(Tjimba)として知られている、クロカ川流域に暮らす一連の土地と家を奪われた集団に囲まれています。これらの3共同体は、クン・ホアン語族およびツウ語族話者とともにアフリカ南部に居住しており、その元々の言語と文化は失われた、バントゥー諸語話者以前の採食民の異なる層の子孫と考えられてきました。
その起源に関わらず、クウェペ人とクロカ川流域の他の人々は、周縁化された人口集団のクラスタ(まとまり)を形成し、アフリカ南西部のヘレロ人(Herero)の牧畜民伝統の一部を構成し、アンゴラのナミブ砂漠において社会的に支配的権力を表している、バントゥー諸語話者のクヴァレ人およびヒンバ人(Himba)の言語と分的習慣を共有しています。クウェペ人とクウィジー人とトゥワ人とツジンバ人は現在、支配的な牧畜民の隣人に強い文化的および社会経済的依存を示すので、周遊的な共同体として最良に説明されます。つまり、他者に商品と奉仕を提供する、小規模で低い社会的地位の高度に遊動的な集団です。
アンゴラのナミブ砂漠の高度に多様な人口景観に促され、この地域の現存人口集団はクワディ語話者の祖先系統の一部や、バントゥー諸語の拡大前にはアフリカ南西部に居住していた消滅した採食民人口集団の遺伝的痕跡を保持しているかもしれない、と仮定されます。この研究は、アンゴラのナミブ砂漠とその近隣地域の9民族集団に属する208個体のゲノム規模データを生成しました。その生計は、採食(クン人)、周遊(クウェペ人とクウィジー人とトゥワ人とツジンバ人)、牧畜(ヒンバ人とクヴァレ人)、オヴィンブンド人(Ovimbundu)およびニャネカ人(Nyaneka)の農耕牧畜という生活様式です。
アフリカ南部のより広範な地域内およびそれを越えて、本論文の調査結果を説明するため、アンゴラのデータを同じ配列で以前に遺伝子型決定された他のアフリカ人とさらに組み合わされました(図1A)。本論文の結果から、以前にクワディ語を話していたクウェペ人の子孫とアンゴラのナミブ砂漠の他の周遊集団は独特なバントゥー諸語以前の遺伝的祖先系統を保存している、と示され、アフリカ南部への移住の理解にとって重要な地域としてのアンゴラ南西部の重要性を浮き彫りにします。以下は本論文の図1です。
●分析結果
主成分分析(principal component analysis、略してPCA)では、アンゴラのクン人採食民は、クン・ホアン語族のジュー語族分枝の言語を話すアフリカ南部集団と最も類似していますが、他の標本抽出されたアンゴラの集団はアフリカ西部人およびバントゥー諸語話者人口集団の方と密接です(図1B)。これらの集団のうち、アンゴラのナミブ砂漠の人口集団は顕著な下部構造を示しており、主成分3(PC3)により最適に把握される遺伝的分化の勾配を形成し、その勾配はクヴァレ人およびヒンバ人のウシを飼っている牧畜民から周遊的なクウィジー人およびトゥワ人へと伸びています(図1C)。
さらに、PC3で示される分化は、 ADMIXTURE で実装された教師なし人口集団クラスタ化によりK(系統構成要素数)=6で明らかにされる祖先系統構成要素量の増加と関連しています(図1Dの黄色)。この構成要素は、以前に特定された「北西サバンナ」祖先系統と重複しており、この祖先系統は南西部のバントゥー諸語話者のヒンバ人やヘレロ人やオヴァンボ人(Ovambo)ではとくにナミビア北西部で一般的に見つかります。この祖先系統はコエコエ語話者のダマラ人(Damara)でも支配的で、遺伝的にはヘレロ人やヒンバ人とひじょうに類似しており、恐らくはその言語はナマ人(Nama)牧畜民から取り入れ、ダマラ人はナマ人の牧畜民と周遊的な関連を歴史的に確立してきました。アンゴラ南西部とナミビア北西部におけるこの祖先系統の様々な割合は、生計戦略および社会経済的地位と広く関連しているようで、ニャネカ人とオヴァンボ人とオヴィンブンド人の農耕牧畜民では最低で(18~27%)、周遊的なツジンバ人とトゥワ人とクウィジー人では最高です(79~93%)。
これらの人口集団において共有されている同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)の分析からさらに、IBD断片の集団間共有は周遊的な共同体において最高である、と示唆されます。アンゴラ南西部の牧畜の状況は、高度に階層化されたカースト的な母系氏族組織なので、観察された遺伝的構造は周遊的な共同体の周縁化と関連する浮動および近親交配により引き起こされた、と考えられます。あるいは、これが標本抽出されていないか、もはや存在していない人口集団との混合のさまざまな水準を反映している可能性もあります。
遺伝的浮動の役割を調べるため、各集団について個体間で共有されるIBD断片の全長(センチモルガン)と個体ごとの同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してRoH)の全長(百万塩基対)計算により、アンゴラ南西部およびナミビア北西部のいくつかの人口集団で遺伝的多様性の水準が評価されました。その結果、アンゴラ南西部では、最低および最高のIBDおよびRoHの長さは農耕牧畜民と周遊民でそれぞれ見つかる、と分かりました(図2A)。さらに、周遊的集団は他のアフリカ南部人口集団よりも10cM(センチモルガン)超の共有IBD断片のより長い平均長を示します(図2B)。共有IBD断片から得られた情報を活用しての経時的な有効人口規模(Ne)の推定値はさらに、20世代前頃から始まる周遊的集団における強いボトルネック(瓶首効果)を明らかにします。まとめると、これらの結果から、浮動はより低い社会経済的地位のアンゴラの共同体の遺伝的分化において大きな役割を果たした、と示唆されます。以下は本論文の図2です。
次にCHROMOPAINTERを用いて、遺伝的浮動の影響を考慮しながら周遊的集団の遺伝的分化が調べられました。CHROMOPAINTERでは、受容者個体から得られた半数体のゲノムが大きな塊に分解され、提供者人口集団の要員において最適なハプロタイプからそれぞれがコピーされます。高水準の分化がおもに遺伝的浮動に起因する人口集団では、受容者はほとんどのDNAの塊を自身もしくは密接に関連する集団に属する提供者からコピーする傾向にあり、他集団と共有される祖先系統を覆い隠します。先行研究により概説されているように、受容者が自身の集団内で最適なハプロタイプを見つけられなかった場合、浮動の影響は弱まり、他集団との遺伝的関係はより適切に評価できます。この手法を模倣して、アンゴラ南西部とナミビア北西部の牧畜民と周遊民が、その遺伝的独自性が最近の孤立前の祖先系統組成における違いに起因し得るのかどうか評価するため、そのハプロタイプを相互からコピーすることはできませんでした。
これらの条件下で、クウェペ人とトゥワ人とクウィジー人はその牧畜民と牧畜農耕の隣人の特性と明らかに区別されるひじょうに類似した特性のコピーを示します(図3C・D)。ツジンバ人の特性は他の周遊民と近いものの同一ではありませんが、ダマラ人はバントゥー諸語話者牧畜民と完全に一致します。各集団と代表的な牧畜民(クヴァレ人)と農耕牧畜民(オヴィンブンド人)の集団との間の特性の違いの比較からさらに、周遊的集団はバントゥー諸語およびアフリカ西部関連祖先系統の量が減少するのに対して、アフリカ南部採食民祖先系統を有する集団と、それより程度は劣るもののムブティ人の熱帯雨林狩猟採集民といくつかのアフリカ東部集団のハプロタイプ数は、コピーが増加した、と示されます(図3A・B)。この調査結果は、先バントゥー諸語話者との人口集団異なる混合の影響を浮き彫りにし、浮動と近親交配がその遺伝的分化に影響を及ぼす唯一の要因ではなかったことを示唆します。以下は本論文の図3です。
潜在的供給源として古代の個体群を含めながら、バントゥー諸語話者以前の混合の役割を評価するため、 qpAdmが用いられました。さまざまな混合モデルの適合の検証により、アフリカ南部採食民祖先系統(ここでは南アフリカ共和国で発見された2000年前頃の古代人のゲノムにより表されます)のより多い量と、タンザニアのルクマンダ(Luxmanda)遺跡の3100年前頃となる牧畜状況から回収された古代人1個体のゲノムに最適に合致する、アフリカ東部からの検出可能な寄与(4~5%)とを示すことで、周遊的な人々(クウェペ人とクウィジー人とツジンバ人とトゥワ人)はその隣人(ヒンバ人とクヴァレ人とニャネカ人)から分岐する、と確証されます(図4)。以下は本論文の図4です。
アンゴラ南西部とナミビア北西部の集団における、バントゥー諸語話者およびアフリカ南部在来およびアフリカ東部と関連する祖先系統の混合の相対的順序に関する本論文の推測は祖先系統共分散に基づいており、最初の混合事象はアフリカ南部およびアフリカ東部と関連する祖先系統の混合を含んでいる、と示唆しており、これは、牧畜がバントゥー諸語拡大前にアフリカ南部へともたらされた、と提案する考古学的データと一致します。この混合事象から信頼できる推定値を得ることはできませんでしたが、 WaveletsとGLOBETTROTERとALDERの使用により、バントゥー諸語話者と以前に混合したバントゥー諸語話者以前の祖先系統との間の、1100~600年前頃となる混合の兆候が検出されました。これらの推定値はアフリカ南部における最初のバントゥー諸語話者の到来(1800~1500年前頃)の後となるので、ナミブ砂漠内およびその周辺地域の遅れた植民か、在来人口集団と侵入人口集団との間の遅れた混合開始を示しているかもしれません。あるいは、混合の複数の波動が異なる時に起きたかもしれず、その場合には、推定された年代は最古と最新の混合事象の中間となるでしょう。
アンゴラのナミブ砂漠と同様に、現在コエ・クワディ語族の言語が話されている他地域は、接触により強く形成され、アフリカ南部とアフリカ東部とバントゥー諸語話者の関連祖先系統のひじょうに異なる量を示します(図4)。アフリカ南部到来後のコエ・クワディ語族の接触史を再構築するため、在来の祖先系統分解が実行され、アフリカ南部の主要な3植民層それぞれの内部における人口集団の関係が分析されました。
PCA投影に基づくと、コエ・クワディ語族話者および他のアフリカ南部人のゲノムで特定されたアフリカ東部祖先系統は、タンザニアで発見された古代の個体(3100年前頃)周辺でクラスタ化する(まとまる)牧畜民集団と関連している、と分かりました。一部のナマ人とコマニ人(ǂKhomani)の個体はさらに、植民地期におけるヨーロッパ人との混合に起因する可能性が高い、ユーラシア祖先系統を大量に有するアフリカ東部集団と関連しています。
祖先系統特異的PCAと平均的な対での違いに基づくクラスタ化ではさらに、コエ・クワディ語族話者集団のアフリカ南部およびバントゥー諸語話者関連祖先系統はひじょうに異質で、その隣人の遺伝的組成を反映している、と示されます。このパターンは、局所的な祖先系統情報が、アフリカ南部およびバントゥー諸語話者固有のIBD共有を得るためにIBD推定と組み合わされる場合、とくに明確になります。たとえば、カラハリ盆地北縁のコエ人(Khwe)は、同じ地域に暮らすクン人の採食民および南西バントゥー諸語農耕牧畜集団と類似している、アフリカ南部およびバントゥー諸語話者関連祖先系統を有しています。その南方では、カラハリ盆地中央部のコエ諸語話者が、近隣のター人およびホアン人(ǂHoan)とアフリカ南部関連祖先系統を、在来の東バントゥー諸語話者とバントゥー諸語話者関連祖先系統を共有しています(図5)。
コエコエ語話者であるナマ人のアフリカ南部およびバントゥー諸語話者関連祖先系統は、アフリカ南部の大西洋沿岸での移住史を反映しています。そのアフリカ南部関連祖先系統はカラハリ盆地の最南端地域に暮らすコマニ人と類似していますが、そのバントゥー諸語話者関連祖先系統は、ナミビア北西部の南西バントゥー諸語話者集団と類似しています(図5)。ナマ人は現在の南アフリカ共和国から北方に移動したコエコエ語話者集団の分枝と知られているので、ナマ人は最初に現在の南アフリカ共和国でアフリカ南部関連祖先系統を得て、ナミビアに到達後にやっとバントゥー諸語話者人口集団と混合した可能性が高そうです。以下は本論文の図5です。
アンゴラのナミブ砂漠では、以前にクワディ語を話していたクウェペ人と他の周遊的集団はすべて、その周囲の南西バントゥー諸語話者牧畜民とバントゥー諸語話者関連祖先系統を共有しています(図5)。しかし、そのアフリカ南部関連祖先系統はアフリカ南部で以前に報告されてきた主要な祖先系統構成要素のどれとも一致しません(図5)。自身で大量のアフリカ南部関連IBD断片を共有しているにも関わらず、周遊民は現在のアフリカ南部採食民集団とのIBD共有の欠如で際立っており、そのアフリカ南部関連祖先系統は深く分岐した標本抽出されていない集団との混合から生じた、と示唆されます。
同じ祖先系統はナミビアのダマラ人を含むアフリカ南西部の他集団でも見つかっていますが、検出された頻度はアンゴラの周遊民よりもずっと低くなっています(図5)。この以前には検出されていなかった遺伝的構成要素は以後、コイサン-ナミブ(Khoisan–Namib、略してKS-ナミブ)と呼ばれ、その独自性は超低網羅率配列決定データの予測最大化PCA(expectation-maximization PCA for Ultra-low Coverage Sequencing Data、略してEMU)手法でも裏づけられます。この手法は、高水準の欠失データがあっても人口構造の検出を可能とし、KS-ナミブは、マラウイの古代(8100~2500年前頃)の狩猟採集民で特定されたアフリカ南部関連構成要素を含めて、全ての既知の主要なアフリカ祖先系統と容易に分離できる、と示します(図6C・D)。以下は本論文の図6です。
系図的一致に基づいたアフリカ南部関連祖先系統の接続形態の再構築からさらに、KS-ナミブの分離は他のアフリカ南部祖先系統の分離に先行する、と示され、この構成要素の深い分岐が示唆されます。初期の分岐は人口集団の組み合わせ間の分岐時間推定値によりさらに示唆され、KS-ナミブの分離は、有効人口規模(Ne)を2万個体と仮定すると、クン・ホアン語族(ジュー人)やツウ語族(ター人)や同じくツウ語族(クイ人)の話者人口集団と関連するアフリカ南部関連祖先系統の分岐時間よりも13~44%古い、と示されます。まとめると、これらの結果から、アンゴラのナミブ砂漠とその周辺地域は、アフリカ南部の内外の現存人口集団において密接な合致のない、絶滅し深く分岐したヒト集団の遺産を保存している、と示唆されます。
●考察
アンゴラのナミブ砂漠は、アフリカ南部のより広範な地域へのさまざまな移住の波の間の接触と混合の歴史と結果を調べるための、ひじょうに貴重な枠組みを提供します。南西バントゥー諸語話者のウシ牧畜民により文化的に支配されているにも関わらず、この地域は、周遊的な生活様式で、かなりの程度の民族誌的関心を惹きつけてきた、いくつかの貧しい集団の存在のため注目に値します。
本論文の結果は、大量のバントゥー諸語話者関連祖先系統(約80%)にも関わらず、全ての標本抽出された周遊的集団がアフリカ東部祖先系統の水準増加と以前には報告されていなかったアフリカ南部関連構成要素(KS-ナミブ)を見せる、と示すことにより、のアンゴラのナミブ砂漠の人口景観の不均一性を浮き彫りにします(図4~図6)。全ての周遊的集団でのバントゥー諸語以前の祖先系統の共発生は、複雑な接触と混合の歴史を示唆します。カラハリ盆地におけるコエ諸語話者集団ではアフリカ東部構成要素も検出されてきたので(図4)、アフリカ東部構成要素はアンゴラ南西部へと、コエ・クワディ語族の牧畜民の拡散のクワディ語分枝の一部として、現在のクウェペ人の祖先によりもたらされた可能性が高そうです。対照的に、KS-ナミブは分布がより限定されており、アンゴラのナミブ砂漠においてとくに一般的で、歴史的に周遊的生活様式と関連しているナミビアのダマラ人を含むアフリカ南西部の他集団では残余の量で現れます(図5)。この分布から、KS-ナミブは他地域からの移民とよりもアフリカ南西部の居住採食人口集団とより深く関連している可能性が高い、と示唆されます。
現在、クン・ホアン語族およびツウ語族話者集団と類似している狩猟採集民はアンゴラのナミブ砂漠には存在しませんが、16世紀の旅行家であるドゥアルテ・パシェコ・ペレイラ(Duarte Pacheco-Pereira)による初期の記述では、クロカ川河口周辺の地域では、当時遊牧民集団が暮らしており、漁撈で生計を立て、クジラの肋骨から海藻で覆った家を建てた、流域、とあります。この既述は、かつて現在のナミビアと南アフリカ共和国において沿岸近くで暮らしていたものの、19世紀に絶滅した「浜で物を拾う人(Strandloper)」とよく呼ばれる、沿岸部採食民を想起させます。歴史的記録をそうした人々をコエコエ語話者と記していますが、その文化はさらに内陸の牧畜集団とは異なっており、その起源は究極的には、アフリカ南部で海洋採食の長い歴史により示唆されるように、固有の狩猟採集民集団にたどれるかもしれません。
アフリカ南部の海洋採食民の古代の牧畜以前の起源は、南アフリカ共和国沿岸のセントヘレナ湾(St. Helena Bay)で発掘された2241~1965年前頃の骨格から得られたゲノム規模データにより、最近裏づけられました。しかし、この個体の遺伝的特性はアフリカ南部内陸地域の現在のツウ語族話者狩猟採集民と近く、KS-ナミブ構成要素と近いわけではありません(図6)。したがって、アンゴラの南西部沿岸の古代DNA研究のみが、KS-ナミブと絶滅した採食民人口集団との間の祖先関係を明確にできる可能性が高そうです。アンゴラのナミブ砂漠の考古学的記録は疎らで、この祖先系統と関連している先史時代のヒト遺骸は、クロカ川河口近くの地域で報告されてきた貝塚堆積物と沿岸部集落の痕跡から回収できるかもしれません。
ナミブ沿岸の古代の居住は、クワディ語話者のクウェペ人と、海岸で火を使わず生魚を食べていた在来の人々と遭遇を伝える口承によっても裏づけられます。一部の考古学者は、これら在来の漁撈民をクウィジー人およびトゥワ人の祖先と同等視しており、それは、その現在の社会経済的周縁化と、狩猟採集との歴史的に記録された関連のためで、それはクウェペ人の小規模な牧畜へのより強い依存とは対照的です。
しかし、本論文の結果から、現在のトゥワ人とクウィジー人はクウェペ人と遺伝的に分離できる、と示されるものの、この3集団は遺伝的浮動の影響が弱まると、事実上区別できません(図3)。このパターンから、全ての現存集団はさまざまな祖先系統と同等に関連している、と示唆されるので、民族誌的考察を超えて、特定の現代の人口集団と古代の採食民との間の連続性を確証する試みが促されます。したがって、アンゴラのナミブ砂漠の小宇宙は、高度に多層化された多民族体系とみなすことができ、そこではさまざまな遺伝的および民族言語学的背景の集団が混合したものの、その社会経済的地位に基づいて明確な区分が維持されました。
アンゴラ南西部のこの接触特性は、コエ・クワディ語族話者の移民がさまざまな言語および遺伝的遺産の在来人口集団と遭遇した、アフリカ南部の他地域と著しく類似しています。これら全地域の特徴の定義は混合史で、それはアフリカ東部祖先系統とさまざまなアフリカ南部採食民構成要素との間の融合で始まり、その後、バントゥー諸語話者移民の東西の流れから生じたバントゥー諸語話者とのさまざまな程度の混合が続きました。利用可能な遺伝学と言語学と考古学のデータを考慮すると、コエ・クワディ語族祖語話者は、ボツワナ北東部の中間的故地から南西への移動を想定する以前の提案とは対照的に、カラハリ盆地北西部で分岐した、と仮定されます。その分岐後、コエ・クワディ語族は特定の接触地域へと移住するさまざまな集団に分岐しました。コエコエ語話者は大西洋沿岸を南方へと移動し、クイ語話者集団と遭遇しました。カラハリ盆地のコエ諸語話者は東進経路を取り、カラハリ盆地北部でジュー語族話者と、カラハリ盆地中央部でター語およびホアン語話者と遭遇しました。クワディ語話者はアンゴラ南西部へと移動し、KS-ナミブ構成要素と関連する今では絶滅した採食民集団が暮らしていた地域に到来しました。より最近では、ほとんどのコエ・クワディ語族話者は東および西バントゥー諸語話者人口集団からさらに影響を受け、その多様な遺伝的構成に追加されました。
まとめると、本論文の結果から、さまざまな移住の波の合流と関連する接触地域は、アフリカの食料生産の到来に先行する消滅した集団の祖先系統を有している可能性がある、と示されます。これら初期採食民の完全な多様性と地理的拡大は、最終的には古代DNAにより明かされるかもしれませんが、高度に混合した小規模な共同体の詳細な研究は、アフリカ大陸の深い遺伝的構造の調査に独特な機会を依然として提供できます。
参考文献:
Oliveira S. et al.(2023): Genome-wide variation in the Angolan Namib Desert reveals unique pre-Bantu ancestry. Science Advances, 9, 38, eadh3822.
https://doi.org/10.1126/sciadv.adh3822
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