ヨーロッパ最古級の現生人類のゲノムデータ

 ヒト進化研究ヨーロッパ協会第13回総会で、ヨーロッパ最古級の現生人類(Homo sapiens)のゲノムデータに関する研究(Sümer et al., 2023)が報告されました。この研究の要約はPDFファイルで読めます(P122)。これまで、ユーラシアにおける中部旧石器時代から上部旧石器時代への移行にまたがる現生人類を特徴づける利用可能な遺伝的データはほとんどなく、高網羅率で配列決定された唯一のゲノムは、ロシア領シベリア西部のウスチイシム(Ust’Ishim)近郊のイルティシ川(Irtysh River)の土手で発見された44000年前頃となる現生人類男性遺骸です(関連記事)。

 この研究は、約230km離れている、ヨーロッパ中央部の2ヶ所の遺跡で見つかった個体から得られた2点の高網羅率のゲノムを提示します。一方はドイツのテューリンゲン州(Thuringia)のオーラ川(Orla River)流域に位置するラニス(Ranis)のイルゼン洞窟(Ilsenhöhle)遺跡で発見された個体(以下、ラニスと呼ばれます)で、もう一方はチェコのコニェプルシ(Koněprusy)洞窟群で発見された、洞窟群の頂上の丘にちなんでズラティクン(Zlatý kůň)と呼ばれる成人女性1個体(関連記事)です。これらの個体はヨーロッパで発見された既知の最古級の現生人類であり、放射性炭素およびと分子年代測定に基づくと、ウスチイシム個体より古い可能性が高そうです。ラニスで発見された7個体から低網羅率のゲノムも配列決定され、その較正年代は49160~42200年前頃(95%の確率)となり、そのうち3個体で2親等の近縁性が検出されました。

 ラニスの全個体のゲノムは、あらゆる他の古代の個体もしくは現在の人口集団ではなく、ズラティクンのゲノムと最高の遺伝的類似性を示します。興味深いことに、2点の高網羅率のゲノムは長い同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)領域を有しており、この2個体が遠い親族で、相互にせいぜい15世代離れて生きていたことを示唆しています。ラニス個体群とのズラティクン個体の最高の遺伝的類似性およびIBD共有から、ズラティクン個体は LRJ(Lincombian-Ranisian-Jerzmanowician)技術複合(中部旧石器時代と上部旧石器時代との間の移行期の技術複合で地理的にはイギリスからポーランドまでのヨーロッパ北部の平原に分布しています)か、ラニスのLRJ人口集団と生物学的に類似していた異なる文化的集団に属していた、と示唆されます。

 現在のヨーロッパ人と類似しているゲノム規模の異型接合性水準にも関わらず、高網羅率の2点のゲノムでは長い同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)が検出され、人口規模の最近の減少および/もしくはその近い祖先における最近の近親交配があった、と示唆されます。高網羅率の両ゲノムには、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)からの遺伝子移入の単一の波動により最適に説明されるネアンデルタール人祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の長い領域も検出され、これは、全ての非アフリカ系人で共有される主要なネアンデルタール人からの遺伝子移入事象である可能性が高そうです。この遺伝子移入がいつ起きたのか推定するために、これらの断片の長さの分布が用いられました。


 以上、この研究の要約を見てきましたが、ラニス個体群のミトコンドリアDNA(mtDNA)データは同じくヒト進化研究ヨーロッパ協会第13回総会にて別の報告で示されており、そのmtDNAハプログループ(mtHg)は出アフリカ現生人類型のNだった、と明らかになっています(関連記事)。この研究では、ラニス個体群が既知の古代人個体および現代人集団と比較してズラティクン個体と遺伝的に最も近い、と示されました。ズラティクン個体は、関連する人工遺物が特定の文化的技術複合に確定的に分類できておらず、信頼性の高い直接的な年代値もありませんが、遺伝的には、出アフリカ現生人類集団のうち非アフリカ系現代人全員の共通祖先と初期に分岐した系統を表しており、現代人には遺伝的痕跡をほぼ全く残していない、と推測されており(関連記事)、それはその後の研究でも支持されています(関連記事)。

 ラニスで発見された7個体の較正年代は49160~42200年前頃で、LRJの年代と重複します。LRJは中部旧石器時代から上部旧石器時代の「移行的」石器インダストリーと言われており、その担い手が現生人類である可能性はきわめて高い、と言えそうです。ラニス個体群は既知の個体もしくは人口集団ではズラティクン個体と遺伝的に最も類似していますが、LRJの担い手が全て遺伝的にズラティクン個体と類似しているのかどうか、断定するのは時期尚早でしょう。しかし、その可能性が低いわけではなく、そうだったとして不思議ではないと思うので、LRJの担い手が遺伝的にズラティクン個体と類似した集団だとしたら、中部旧石器時代から上部旧石器時代の移行期のヨーロッパには、現代人とは遺伝的につながらない現生人類集団が広範に存在したことになります。

 アジア東部でも、3万年前頃まで現代人には遺伝的痕跡を殆ど若しくは全く残していない現生人類集団の地理的に広範な存在の可能性が想定され(関連記事)、と推測されています。現生人類は後期更新世においてアフリカから世界中に拡散したものの、現代人に遺伝的痕跡を殆ど若しくは全く残していない現生人類集団は珍しくなかった、というか、現代人の主要な祖先集団が当時存在した現生人類集団のごく一部だった可能性を示唆しているように思います(関連記事)。

 ラニス個体群の存在した年代のヨーロッパには、まだネアンデルタール人が存在していましたが、ラニス個体群はズラティクン個体と同様に、非アフリカ系現代人全員との共通祖先の段階でのネアンデルタール人との主要な混合事象以外に、ネアンデルタール人からの大きな遺伝子流動はなかったようです。これは、ズラティクン個体やラニス個体群がいつどのようにヨーロッパに拡散してきたのか、推測する重要な手がかりとなるかもしれません。

 最近の研究(関連記事)に基づくと、ヨーロッパへの現生人類の拡散には3段階あり、LRJは年代的には第2段階を表していて、現在のフランス南西部からスペイン北東部にかけて分布していたシャテルペロニアン(Châtelperronian、シャテルペロン文化)や、ブルガリアのバチョキロ洞窟(Bacho Kiro Cave)の初期上部旧石器(Initial Upper Paleolithic、略してIUP)と同年代となります。シャテルペロニアンの担い手については、ネアンデルタール人か現生人類なのか議論が続いていますが、最近の研究(関連記事)に基づくと、状況証拠からは現生人類の所産である可能性が高そうです(一部がネアンデルタール人の所産だった可能性もあり、シャテルペロニアンより可能性はずっと低そうですが、LRJも一部はネアンデルタール人の所産だったかもしれません)。一方、バチョキロ洞窟のIUPの担い手は、現代人ではヨーロッパ集団よりもアジア東部集団の方と遺伝的に近縁です(関連記事)。

 バチョキロ洞窟のIUP集団的な祖先系統はその後、ヨーロッパの現生人類集団への遺伝的影響が大きく低下し(関連記事)、新石器時代と青銅器時代の大規模な移動(関連記事)を考えると現在ではその遺伝的痕跡がほぼ検出されない、と推測されます。一方、上述のようにラニス個体群と遺伝的に近いズラティクン個体関連の祖先系統は、現代人はもとより、4万年前頃以降の古代人でもまだ確認されていません。

 フランス地中海地域のマンドリン洞窟(Grotte Mandrin)で、56800~51700年前頃のネロニアン(Neronian、ネロン文化)層における現生人類遺骸(関連記事)と、それよりも新しい層での52900~48050年前頃となるネアンデルタール人遺骸が確認されていること(関連記事)からも、5万年前頃以降にヨーロッパに現生人類が拡散し、ネアンデルタール人を(徐々にもしくは急速に)置換した、というような単純な想定はもはやできないようです(関連記事)。中部旧石器時代から上部旧石器時代にかけてのヨーロッパの様相はかなり複雑だったと考えられ、現時点では安易に断定しないよう、注意すべきなのでしょう。


参考文献:
Sümer AP. et al.(2023): High coverage genomes of two of the earliest Homo sapiens in Europe. The 13th Annual ESHE Meeting.

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