LRJの担い手
ヒト進化研究ヨーロッパ協会第13回総会で、LRJ(Lincombian-Ranisian-Jerzmanowician)の担い手に関する研究(Hublin et al., 2023)が報告されました。この研究の要約はPDFファイルで読めます(P59)。LRJは中部旧石器時代と上部旧石器時代との間の移行期の技術複合で、イギリスからポーランドまでのヨーロッパ北部の平原を網羅しています。おもに技術類型論的議論に基づいて、LRJはネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)もしくは現生人類(Homo sapiens)のどちらかの所産とされてきました。欠けているのは、関連する人類化石のあるLRJ遺物群ですが、残念ながらほとんどのLRJ遺跡は20世紀半ば以前に発掘されており、完全な考古学的堆積物もしくは出所の確かな骨遺骸群がまだ残っているのはごく僅かです。
LRJの由来となった遺跡の一つである、ドイツのテューリンゲン州(Thuringia)のオーラ川(Orla River)流域に位置するラニス(Ranis)のイルゼン洞窟(Ilsenhöhle)遺跡は、1932~1938年におもにヒューレ(W.M. Hülle)により発掘されました。イルゼン洞窟には完全な堆積物が残っており、2016年に、テューリンゲン州歴史記念碑および考古学保存局とマックス・プランク進化人類学研究所がイルゼン洞窟の年表解明とLRJの製作者特定の計画を始めました。イルゼン洞窟遺跡にはほぼ8mの厚さの複雑な層序があり、この層序には、更新世の最終氷期に洞窟の屋根の崩壊により生じた巨大な石灰岩の塊が含まれます。この状況のため、遺跡の発掘には技術的にひじょうに問題があったものの、以前の発掘者が触れられなかった地層もそのままの状態で保存されていました。
放射性炭素年代と堆積学的分析と今回および以前の発掘両方の考古資料分析の広範な一式を用いて、今回の発掘中に観察された層序がヒューレにより記録された層序と相関させられました。イルゼン洞窟遺跡の底部の薄い層から得られたLRJの痕跡は、それぞれ較正年代で47490~45770年前および46830~43260年前と確実に年代測定できます(95.4%の確率でモデル化された範囲)。イルゼン洞窟遺跡の、2016~2012年および1932~1938年の発掘から得られた1322点の骨のプロテオーム(タンパク質の総体)選別、1932~1938年の発掘で発見されたLRJ関連の骨すべての選別、2016~2022年の発掘で発見された756点の骨の形態学的選別の組み合わせが実行されました。
LRJ関連資料では、13点の人類の骨を同定できました。2016~2022年の発掘で発見された4点の人類の骨は、直接的に年代測定できました。他の9点の人骨はヒューレの発掘に由来し、そのうち6点は直接的に年代測定できました。これらの人類の放射性炭素年代の全ては、上述のLRJの年代範囲内に収まります。これらの人類遺骸のうち11点からミトコンドリアDNA(mtDNA)が抽出され、その全ては現生人類と同定されました。同定された配列は mtDNAハプログループ(mtHg)Nの一部で、分子年代は直接的な放射性炭素年代と一致する44646年前頃(95%最高事後密度で55700~32200年前)です。この結果は、イルゼン洞窟遺跡において、現生人類のmtDNAを有する人類がLRJと直接的に関連している、という信頼できる証拠を提示します。これは、以前に考えられていたよりもずっと早い、ヨーロッパのより高緯度となる中緯度地域、おそらくはブリテン諸島までの、現生人類の先駆者集団のひじょうに急速な拡大を示唆します。それは、さらに南方でのネアンデルタール人のその後の存続とは対照的です。
以上、この研究の要約を見てきましたが、ヨーロッパにおいて中部旧石器時代から上部旧石器時代の「移行的」石器インダストリーと言われているLRJについて、現生人類の所産である可能性が高い、と示されたのはたいへん注目されます。一方で、この研究で指摘されているように、現在のドイツに45000年前頃に現生人類が拡散していたとしても、ヨーロッパ南部ではその後もネアンデルタール人が存続していました。さらに最近では、フランス地中海地域のマンドリン洞窟(Grotte Mandrin)で、56800~51700年前頃のネロニアン(Neronian、ネロン文化)層における現生人類遺骸(関連記事)と、それよりも新しい層での52900~48050年前頃となるネアンデルタール人遺骸が確認されています(関連記事)。
ヨーロッパへの現生人類の拡散とネアンデルタール人の絶滅(もっとも、ネアンデルタール人が絶滅したとはいっても、非アフリカ系現代人はわずかながらネアンデルタール人由来のゲノム領域を継承しているので、形態学的・遺伝学的にネアンデルタール人的な特徴を一括して有する集団は絶滅した、と言うのがより妥当でしょうか)については、現生人類が拡散してネアンデルタール人は(徐々にもしくは急速に追いやられて)絶滅した、というような単純な想定はもはやできないようです(関連記事)。
LRJの担い手については、遺伝学と考古学を統合した近年の研究において、現生人類である可能性が指摘されていたので(関連記事)、この研究の結果は意外ではありませんでしたが、今後は核DNA解析により、さらに詳しい遺伝学的な位置づけの解明が進むよう、期待しています。LRJと同じ頃にヨーロッパでは、現在のフランス南西部からスペイン北東部にかけてシャテルペロニアン(Châtelperronian、シャテルペロン文化)が存在しており、その担い手について、LRJと同様にネアンデルタール人と現生人類のどちらなのか、議論されてきましたが、最近の研究(関連記事)に基づくと、状況証拠からは現生人類の所産である可能性が高そうです。
ただ、イルゼン洞窟遺跡のLRJと近い年代となりそうなヨーロッパの初期現生人類のうち、ブルガリアのバチョキロ洞窟(Bacho Kiro Cave)の現生人類集団(関連記事)は、その後のヨーロッパの現生人類集団への遺伝的影響が大きく低下し(関連記事)、新石器時代と青銅器時代の大規模な移動(関連記事)を考えると現在ではその遺伝的痕跡がほぼ検出されないと考えられ、チェコのコニェプルシ(Koněprusy)洞窟群で発見された、洞窟群の頂上の丘にちなんでズラティクン(Zlatý kůň)と呼ばれる成人女性1個体は出アフリカ現生人類のうち初期に分岐した系統を表しており、現代人の直接的祖先ではない、と推測されています(関連記事)。
このように、ヨーロッパに拡散してきた初期現生人類はおおむねヨーロッパの現代人集団の主要な祖先ではなかったようで、それは他地域でも当てはまるようです(関連記事)。その意味で、LRJやシャテルペロニアンの担い手が現生人類だったとしても、その現生人類集団がその後のヨーロッパで「繁栄」したとは限りませんし、上述のフランス地中海地域のマンドリン洞窟の事例からは、ある地域では、拡散してきた現生人類集団が絶滅するか撤退するかして、ネアンデルタール人に「置換」された可能性も考えられます。
さらに、マンドリン洞窟のネロニアン層では、ネアンデルタール人に対する現生人類の優位を支えた技術とされている飛び道具(弓矢)の痕跡が発見されている(関連記事)にも関わらず、その後はネアンデルタール人により置換されたようですから、飛び道具など特定の要素をネアンデルタール人が現生人類に「置換」された要因として安易に断定できないでしょう。現生人類とネアンデルタール人との関係はかなり複雑だったようで、ネアンデルタール人が現生人類に「置換」された要因は複合的で、その様相は地域と年代により異なっていたのではないか、と思います。
参考文献:
Hublin JJ. et al.(2023): Who were the makers of the Lincombian-Ranisian-Jerzmanowician? New evidence from the site of Ilsenhöhle in Ranis (Germany). The 13th Annual ESHE Meeting.
LRJの由来となった遺跡の一つである、ドイツのテューリンゲン州(Thuringia)のオーラ川(Orla River)流域に位置するラニス(Ranis)のイルゼン洞窟(Ilsenhöhle)遺跡は、1932~1938年におもにヒューレ(W.M. Hülle)により発掘されました。イルゼン洞窟には完全な堆積物が残っており、2016年に、テューリンゲン州歴史記念碑および考古学保存局とマックス・プランク進化人類学研究所がイルゼン洞窟の年表解明とLRJの製作者特定の計画を始めました。イルゼン洞窟遺跡にはほぼ8mの厚さの複雑な層序があり、この層序には、更新世の最終氷期に洞窟の屋根の崩壊により生じた巨大な石灰岩の塊が含まれます。この状況のため、遺跡の発掘には技術的にひじょうに問題があったものの、以前の発掘者が触れられなかった地層もそのままの状態で保存されていました。
放射性炭素年代と堆積学的分析と今回および以前の発掘両方の考古資料分析の広範な一式を用いて、今回の発掘中に観察された層序がヒューレにより記録された層序と相関させられました。イルゼン洞窟遺跡の底部の薄い層から得られたLRJの痕跡は、それぞれ較正年代で47490~45770年前および46830~43260年前と確実に年代測定できます(95.4%の確率でモデル化された範囲)。イルゼン洞窟遺跡の、2016~2012年および1932~1938年の発掘から得られた1322点の骨のプロテオーム(タンパク質の総体)選別、1932~1938年の発掘で発見されたLRJ関連の骨すべての選別、2016~2022年の発掘で発見された756点の骨の形態学的選別の組み合わせが実行されました。
LRJ関連資料では、13点の人類の骨を同定できました。2016~2022年の発掘で発見された4点の人類の骨は、直接的に年代測定できました。他の9点の人骨はヒューレの発掘に由来し、そのうち6点は直接的に年代測定できました。これらの人類の放射性炭素年代の全ては、上述のLRJの年代範囲内に収まります。これらの人類遺骸のうち11点からミトコンドリアDNA(mtDNA)が抽出され、その全ては現生人類と同定されました。同定された配列は mtDNAハプログループ(mtHg)Nの一部で、分子年代は直接的な放射性炭素年代と一致する44646年前頃(95%最高事後密度で55700~32200年前)です。この結果は、イルゼン洞窟遺跡において、現生人類のmtDNAを有する人類がLRJと直接的に関連している、という信頼できる証拠を提示します。これは、以前に考えられていたよりもずっと早い、ヨーロッパのより高緯度となる中緯度地域、おそらくはブリテン諸島までの、現生人類の先駆者集団のひじょうに急速な拡大を示唆します。それは、さらに南方でのネアンデルタール人のその後の存続とは対照的です。
以上、この研究の要約を見てきましたが、ヨーロッパにおいて中部旧石器時代から上部旧石器時代の「移行的」石器インダストリーと言われているLRJについて、現生人類の所産である可能性が高い、と示されたのはたいへん注目されます。一方で、この研究で指摘されているように、現在のドイツに45000年前頃に現生人類が拡散していたとしても、ヨーロッパ南部ではその後もネアンデルタール人が存続していました。さらに最近では、フランス地中海地域のマンドリン洞窟(Grotte Mandrin)で、56800~51700年前頃のネロニアン(Neronian、ネロン文化)層における現生人類遺骸(関連記事)と、それよりも新しい層での52900~48050年前頃となるネアンデルタール人遺骸が確認されています(関連記事)。
ヨーロッパへの現生人類の拡散とネアンデルタール人の絶滅(もっとも、ネアンデルタール人が絶滅したとはいっても、非アフリカ系現代人はわずかながらネアンデルタール人由来のゲノム領域を継承しているので、形態学的・遺伝学的にネアンデルタール人的な特徴を一括して有する集団は絶滅した、と言うのがより妥当でしょうか)については、現生人類が拡散してネアンデルタール人は(徐々にもしくは急速に追いやられて)絶滅した、というような単純な想定はもはやできないようです(関連記事)。
LRJの担い手については、遺伝学と考古学を統合した近年の研究において、現生人類である可能性が指摘されていたので(関連記事)、この研究の結果は意外ではありませんでしたが、今後は核DNA解析により、さらに詳しい遺伝学的な位置づけの解明が進むよう、期待しています。LRJと同じ頃にヨーロッパでは、現在のフランス南西部からスペイン北東部にかけてシャテルペロニアン(Châtelperronian、シャテルペロン文化)が存在しており、その担い手について、LRJと同様にネアンデルタール人と現生人類のどちらなのか、議論されてきましたが、最近の研究(関連記事)に基づくと、状況証拠からは現生人類の所産である可能性が高そうです。
ただ、イルゼン洞窟遺跡のLRJと近い年代となりそうなヨーロッパの初期現生人類のうち、ブルガリアのバチョキロ洞窟(Bacho Kiro Cave)の現生人類集団(関連記事)は、その後のヨーロッパの現生人類集団への遺伝的影響が大きく低下し(関連記事)、新石器時代と青銅器時代の大規模な移動(関連記事)を考えると現在ではその遺伝的痕跡がほぼ検出されないと考えられ、チェコのコニェプルシ(Koněprusy)洞窟群で発見された、洞窟群の頂上の丘にちなんでズラティクン(Zlatý kůň)と呼ばれる成人女性1個体は出アフリカ現生人類のうち初期に分岐した系統を表しており、現代人の直接的祖先ではない、と推測されています(関連記事)。
このように、ヨーロッパに拡散してきた初期現生人類はおおむねヨーロッパの現代人集団の主要な祖先ではなかったようで、それは他地域でも当てはまるようです(関連記事)。その意味で、LRJやシャテルペロニアンの担い手が現生人類だったとしても、その現生人類集団がその後のヨーロッパで「繁栄」したとは限りませんし、上述のフランス地中海地域のマンドリン洞窟の事例からは、ある地域では、拡散してきた現生人類集団が絶滅するか撤退するかして、ネアンデルタール人に「置換」された可能性も考えられます。
さらに、マンドリン洞窟のネロニアン層では、ネアンデルタール人に対する現生人類の優位を支えた技術とされている飛び道具(弓矢)の痕跡が発見されている(関連記事)にも関わらず、その後はネアンデルタール人により置換されたようですから、飛び道具など特定の要素をネアンデルタール人が現生人類に「置換」された要因として安易に断定できないでしょう。現生人類とネアンデルタール人との関係はかなり複雑だったようで、ネアンデルタール人が現生人類に「置換」された要因は複合的で、その様相は地域と年代により異なっていたのではないか、と思います。
参考文献:
Hublin JJ. et al.(2023): Who were the makers of the Lincombian-Ranisian-Jerzmanowician? New evidence from the site of Ilsenhöhle in Ranis (Germany). The 13th Annual ESHE Meeting.
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