種子島の中世人骨のミトコンドリアDNA分析

 取り上げるのがたいへん遅れてしまいましたが、種子島の中世人骨のミトコンドリアDNA(mtDNA)分析結果を報告した論文(篠田他.,2021)が公表されました。日本列島の南西約1000 kmにわたって連なる琉球列島からは、日本列島では最古となる更新世にさかのぼる人類遺骸が発見されています。これは、現生人類(Homo sapiens)がアジア東部への初期拡散において、琉球列島にも到来したことを示しており、琉球列島は日本列島への南からの現生人類の拡散経路として注目されてきました。近年、考古学や歴史学の研究の進展により、琉球列島の歴史がこれまで考えられてきた以上に動的であることも分かってきました。

 これまでの日本人形成の定説である二重構造説(関連記事)では、琉球列島集団を「(本州・四国・九州とそのごく近隣の島々を中心とする)本土」日本の周辺集団として把握してきました。しかし、琉球列島独自の人類史が示唆されるようになった今では、この地域の集団形成史の解明は、日本人の形成を考える上でも重要な意味を持っています。貝塚時代前期から中世に至る人類遺骸のDNA解析の結果、九州本土と琉球列島の間には、縄文時代前期にさかのぼる母系の断絶がある、と明らかになっています。しかし、数千年にわたる人類史を明らかにするには、少数例の解析結果からその全体像を把握するとは難しく、今後も時空間的により広範囲の分析を続けていく必要があります。

 本論文は、種子島の東海岸の北側に位置する、西之表市伊関浜走の小浜遺跡から出土した中世人骨3体(小浜遺跡1号人骨、5号人骨、6号人骨)の分析結果を報告します。小浜遺跡は小さな海岸砂丘部に立地しており、付近の工事によって人類遺骸が発見されたことを契機に、1997 年に熊本大学を中心とする調査団(小浜遺跡発掘調査団)が発掘調査を実施し、3基の墓からそれぞれ1体ずつ、合計3体の埋葬人骨が出土しています。1997年の調査で出土した人骨は、小浜遺跡1 号人骨(性別不明、6~7歳の小児)、同2号人骨(壮年の女性)、同3 号人骨(壮年の男性)と呼称されています。採砂などの工事のさいに出土した人骨は、小浜遺跡4号人骨(壮年の男性)、同5号人骨(壮年の男性)、同6号人骨(熟年の男性)と呼称されています。1997年の調査では、副葬品などは出土しなかったものの、墓と層位的に時期が近いと考えられた層から古墳時代並行期の上能野式土器が出土したことから、出土人骨は古墳時代相当期のものとして報告されました。しかし、DNA 分析を行なう3体の人骨について、国立歴史民俗博物館による放射性炭素年代測定による再検査では、中世人骨と明らかになっています。

 種子島には、弥生時代から古墳時代にかけての大規模な埋葬遺跡である広田遺跡が存在します。広田遺跡の人骨形態は基本的には縄文人に似ていますが、「南九州弥生人」として括られる独特の形態をしている、と指摘されてきました。この広田遺跡から出土した古墳時代人骨については、すでにmtDNAの分析結果が報告されており(関連記事)、九州の縄文人や沖縄の貝塚前期人骨に特徴的なmtDNAハプログループ(mtHg)であるM7a1ではなく、B4fと明らかになっています。核ゲノム解析の結果を俟たねばなりませんが、この結果は、広田遺跡の人々を単純に縄文時代から続く系統に属する人々と結論づけることが難しい、と示しています。広田遺跡集団のその後の展開を考えるうえで、種子島における人類史の復元は重要で、小浜遺跡中世人骨の解析も重要な意味を持っています。

 APLP(Amplified Product-Length Polymorphism、増幅産物長多型)分析では、小浜遺跡の3個体のmtHgは、1号人骨がN9a、5号人骨がB5、6号人骨がM9aと示されました。次世代配列決定(next-generation sequencing、略してNGS)を用いてmtDNAの全塩基配列読み取りからは、、小浜遺跡の3個体のmtHgは、1号人骨がN9a2c、5号人骨がB5b2b、6号人骨がM9a1a1aと示され、APLP分析の結果と一致し、さらに細分されたmtHgの判定が可能でした。小浜遺跡の5号人骨と6号人骨では、これまでに知られていない変異が見つかり、同様の変異を有する人類遺骸が発見されれば、母系の血縁関係が予想されます。

 これまでの分析から、琉球列島の貝塚時代前期の遺跡や、九州の縄文時代の貝塚から出土した人類遺骸のほとんどがmtHg-M7a1aと分かっています。九州の縄文時代個体や、そうした縄文時代個体群の子孫と考えられている西北九州の弥生時代個体で、mtHg-M7a1aが確認されています。つまり、mtHg-M7a1aは、九州沖縄の縄文時代を代表するmtHgと言えます。しかし、今回の解析ではmtHg-M7a1a系統が蜜からず、弥生時代以降にユーラシア大陸からもたらされたと考えられるmtHgプのみが確認されました。

 一方、小浜遺跡1号人骨のmtHg-N9a系統が日本人に占める割合は4 .6%、小浜遺跡5号のmtHg-B5系統は4 .3%、小浜遺跡6号のmtHg-M9系統は3 .5%で、渡来集団が日本にもたらしたmtHgの主体であるD4系統は、今回の解析では1体も検出されませんでした。これが少数例による標本の偏りなのか、この地域の中世集団が特殊な遺伝的構成をしていたのか、判断するには核ゲノムの解析まで可能と考えられる小浜遺跡1号人骨の結果を参照する必要があり、今後の課題です。また、小浜遺跡5および6号についても、核ゲノム解析が可能かどうか、精査していく予定とのことです。

 南九州の古墳被葬者を分析した結果では、このmtHg-M7a1系統と弥生時代以降に日本列島に入ったと考えられる系統の双方が認められています(関連記事)。また上述のように、古墳時代の広田遺跡から検出されたmtHgも、縄文時代から連続するものではありませんでした。少なくとも古墳時代以降、中世に至る時期に南九州では種子島など島嶼部を含む地域において、集団の遺伝的な特徴が大きく変わったことは、今回の結果を見ても間違いありません。それは弥生時代以降における大陸から本土日本への集団の移住と、その後に続く日本列島内部での在来集団との混合という大きな変化の中で起きたと考えられますが、地理的な情況とそれまでの歴史的な経緯の中で一律に語ることはできないはずです。南九州における集団の変遷の解明は、日本列島における人類集団の変遷史の一端を明らかにすることにつながっています。


参考文献:
篠田謙一、神澤秀明、角田恒雄、安達登、竹中正巳(2021)「鹿児島県西之表市小浜遺跡出土中世人骨のミトコンドリアDNA分析」『国立歴史民俗博物館研究報告』第229集P175-181

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