南アメリカ大陸東部沿岸の古代人のゲノムデータ

 南アメリカ大陸東部の沿岸の古代人のゲノムデータを報告した研究(Ferraz et al., 2023)が公表されました。近年の古代ゲノム研究の進展は目覚ましく、これまでに歴史学や考古学や人類学では充分に把握できていなかった完新世人口史の側面の解明にも大きく貢献しています(関連記事)。アメリカ大陸の古代ゲノム研究も近年大きく進展しているものの、南アメリカ大陸東部沿岸は比較的古代ゲノム研究が遅れており(関連記事)、本論文は南アメリカ大陸東部の人口史の解明に寄与する重要な成果と言えるでしょう。本論文では、南アメリカ大陸東部沿岸の初期完新世狩猟採集民がその後の人口集団に実質的には遺伝的に寄与しなかった可能性を示しており、世界各地の初期現生人類(Homo sapiens)集団が現在にはほとんど遺伝的影響を残していない事例は珍しくない(関連記事)、と改めて思います。


●要約

 サンバキ(Sambaqui、貝塚)は先植民地期南アメリカ大陸において最も興味深い考古学的現象の一つで、大西洋沿岸の3000kmにわたって8000~1000年前頃にかけて存在しました。しかし、初期完新世狩猟採集民とのつながりや、これがさまざまな歴史的経路にどのように寄与したかもしれないのか、および後期完新世の土器製作者がヨーロッパ人との接触の直前に支配するに至った過程について、ほとんど知られていません。南アメリカ大陸の東部沿岸における先住民社会の人口史理解に寄与するため、ブラジルの4ヶ所の異なる地域から得られた、早ければ1万年前頃となる古代人34個体からゲノム規模データが生成されました。

 初期完新世狩猟採集民は、自身や、南アメリカ大陸東部の後の人口集団とは、共有された遺伝的浮動を欠いている、と分かり、共通の放散に由来し、その後の沿岸集団に実質的に寄与しなかった、と示唆されます。本論文の分析は、考古学的記録に見える類似性とは逆に、ブラジルの南東部および南部沿岸の同時代のサンバキ集団における遺伝的異質性を示します。内陸園芸民と沿岸部人口集団との文化間接触の複雑な歴史は、2200年前頃以降となる、サンバキ社会の最終層準において遺伝学的に明らかになり、文化的変化の証拠を裏づけます。


●研究史

 沿海社会による大西洋沿岸の定住は、南アメリカ大陸考古学における中心的論題です。ブラジル沿岸の3000kmにわたって、一見すると大規模な人口動態の半定住人口集団が、地元ではトゥピ語(Tupian)で貝殻の山と呼ばれる、サンバキとしていられている何千もの貝塚や貝殻の堆積物を7000年以上にわたって生み出しました。生計は混合経済に依拠しており、水産資源と植物を組み合わせ、陸生動物の狩猟と園芸により補完されていました。サンバキは貝殻や魚の死骸や植物や人工遺物や燃焼堆積物や地元の堆積物の計画的で長期の堆積の産物で、領土の標識、居住、および/もしくは儀式の場として使用されていました。ブラジル南部沿岸では、葬儀用の貝塚が記念碑的高い(最大30m)に達することもあり、数百人の埋葬を含んでいることが多く、南アメリカ大陸低地では比類のない高い人口密度を示唆しています。

 サンパウロ州の南側の特異な飛び地である、沿岸からさらに内陸のリベイラ川沿岸流域(Vale do Ribeira de Iguape)では、サンバキ遺跡群は大西洋森林内にあります。10400年前頃直接的に年代測定された(分析された全個体は、平均較正年代の四捨五入により特定されます)男性1個体により明らかにされているように、ここにはカペリニャ(Capelinha)の川沿いのサンバキに初期完新世集落の証拠があります。この個体は、ブラドル東部中央のラゴア・サンタ(Lagoa Santa)で発見された更新世末の女性骨格である「ルジア(Luzia)」を参照して、「ルジオ(Luzio)」と命名されました。この両個体は、現在の先住民とは異なる、いわゆる古アメリカ人の頭蓋形態を示すとして、長きにわたる議論の中心です。大西洋沿岸におけるヒトの定住の最初の証拠は8700~7000年前頃に始まり、5500~2200年前頃にはサンバキ建設が強化していきます。川沿いと沿岸のサンバキ間の関係には依然として議論の余地がありますが、生物香味学的研究は生物学的関連を示しており、一部の研究者は、経時的に衰退した後期更新世/初期完新世の文化のつながりを示唆します。

 サンバキ社会の消滅は2000年前頃に始まり、その頃に埋葬魚塚が、貝塚が以前には存続していた地域で貝塚を置換しました。考古学的記録におけるこの急激な変化は、重要な資源の利用可能性に不可逆的な影響を及ぼした海岸後退および気候事象と関連している、環境および生態系変化と同時に起きています。1200~900年前頃には、薄壁の装飾のない土器であるタクアラ・イタラレ(Taquara-Itararé)伝統がブラジル南部沿岸に初めて出現しました。タクアラ・イタラレ土器の製作者は園芸民で、ブラジル南部の高地には3000年前頃に到達し、竪穴式住居に暮らし、埋葬塚で死者を火葬しました。タクアラ・イタラレ土器の製作者は、ブラジル南部の現在のジェ(Jê)語族話者先住民、つまりカインガング人(Kaingang)やソクレン人(Xonkleng)やラクリャーニョ人(Laklãnõ)や絶滅したキムダ人(Kimdá)およびインガイン人(Ingáin)の祖先と考えられており、ジェ語族は大ジェ語系に属します。ブラジル南部沿岸におけるタクアラ・イタラレ土器の拡散は、内陸部園芸民の人口拡大から生じた、と最初に解釈されました。しかし、証拠が示すのは内陸部と沿岸部の人口集団間の社会的相互作用の複雑なシナリオで、土器導入後の葬儀慣行と結婚後の居住パターンの変化、(地域差を伴う)移動パターンの生物学的連続性と維持、水産資源の利用と洗練された漁撈技術の発展が伴います。土器はブラジル南東部沿岸には2000年前頃に出現しますが、恐らくは大ジェ語系話者により製作されたウナ(Una)伝統と関連しています。

 ブラジル南部の祖型ジェ土器の出現の直後に、別の大きな変化が大西洋沿岸で起きました。これは(トゥピ語系の)トゥピ・グアラニー語族(Tupi-Guarani language family)話者の到来により証明されており、このトゥピ・グアラニー語族話者は森林農耕文化を築き、南アメリカ大陸の先住民史における最大の拡大事象の一つにおいて、アマゾン地域南部から2500年以上前に移住してきました。まだ議論の余地がありますが、トゥピ・グアラニー語族はアマゾン地域南西部(トゥピ語系の故地)から南アメリカ大陸の中核を横断して南方へ拡散し、ラ・プラタ(La Plata)盆地と、ほぼ同時にブラジルの大西洋沿岸を横断してアマゾン地域南東部から南方へ拡散しました。

 ブラジルの南部沿岸では後期トゥピ・グアラニーの年代が明確に定義されていますが、ブラジル南東部沿岸では、リオデジャネイロ州のアラルアマ(Araruama)地域の考古学的記録に基づいて、ずっと早い到来(3000年前頃)が提案されてきました。ヨーロッパ人植民者は、ブラジル南部とアルゼンチン北東部、大西洋沿岸と主要な河川およびその支流沿い、つまりパラナ(Paraná)州とパラグアイとウルグアイの河川流域の両方で、何千人ものトゥピ・グアラニー語族話者と遭遇しました。トゥピ・グアラニー語族話者は彩色土器(城地に赤と黒の彩色)を製作し、多様な人口的装飾を塗り、地理的位置に応じて考古学的にトゥピグアラニー(Tupiguarani)やトゥピナンバ(Tupinambá)やグアラニー(Guarani)として定義される、複雑で複合的な輪郭の土器を作りました。

 ブラジルの古代DNAデータはひじょうに少なく、19個体のみが分析可能なゲノム網羅率で刊行されています。ラゴア・サンタ地域のラパ・ド・サント(Lapa Do Santo)遺跡の前期完新世個体群の年代は9800~9200年前頃で、クローヴィス(Clovis)文化複合と関連している北アメリカ大陸最古の個体、つまり12800年前頃となるアメリカ合衆国モンタナ州西部のアンジック(Anzick)遺跡で発見された(関連記事)男児(アンジック1号)との独特な類似性を有しています。

 Y集団の兆候として知られている、3~5%のオーストラレーシア人祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の遺伝的兆候が、アマゾン南西部とブラジル中央部と南アメリカ大陸南西部沿岸の現在の先住民個体群(関連記事1および関連記事2)と、ラパ・ド・スミドウロ(Lapa do Sumidouro)遺跡10400年前頃となる初期完新世1個体(スミドウロ5号)で見つかりました(関連記事)。しかし、この兆候は、ラパ・ド・スミドウロ遺跡からわずか400kmに位置するラパ・ド・サント遺跡の初期完新世被葬者では検出されませんでした。アマゾン地域とブラジル北東部の古代DNAデータの完全な欠如と、ブラジル南部/南東部沿岸の低網羅率のデータは、Y集団の兆候が経時的にそうした地域で存続したのかどうか、評価するのを妨げてきました。

 サンバキ社会に関しては、ともにブラジル南東部沿岸の河川沿いの貝塚であるラランジャル(Laranjal)およびモラエス(Moraes)遺跡で発見された、以前に刊行された中期完新世の3個体と、後期更新世となるブラジル南部の最大級の沿岸部貝塚の一つであるジャブティカベイラ2(Jabuticabeira II)遺跡の5個体が、現在の先住民人口集団との一定水準の遺伝的連続性を示しました。分析されたジャブティカベイラ2遺跡個体群は、現在のジェ語族話者であるカインガング人との顕著な類似性を有していました。低網羅率のゲノム規模データに基づいていますが、これは、サンバキ社会とジェ語族祖語話者との間で共有された祖先系統を裏づけます。

 サンバキ社会の長期の永続性と文化的類似性と急速な消滅に加えて、初期完新世狩猟採集民からの考古学的および一見すると遺伝学的な断絶は、その起源と人口統計学的歴史についての多くの問題を提起します。第一に、サンバキ社会の個体群は遺伝的に後背地(たとえば、ブラジルの東部~中央部や北東部)の狩猟採集民と異なっていましたか?第二に、河川沿いのサンバキ集団は遺伝的に沿岸部遺跡の集団と関連していましたか?第三に、ブラジルの南部および北東部沿岸のサンバキ集団全体に遺伝的均一性はありましたか?第四に、2000年前頃以後のサンバキ建設の終焉と土器の出現は、内陸部人口集団との接触強化と関連していましたか?最後に、サンバキ集団と、アマゾン地域やブラジル中央部および北東部の他の考古学的および現在の先住民人口集団との間に遺伝的つながりはありますか?


●データセットと古代DNAの信頼性

 先植民地期のブラジル集団の遺伝的構造を理解し、経時的な遺伝的変容の可能性を評価するため、4地域にまたがる24ヶ所の遺跡から82個体で古代DNA回収が試みられました。その4地域とは、大西洋南東部(図1の1a)および南部(図1の1b)沿岸、ラゴア・サンタ(図3の3)、アマゾン下流(図1の1)、ブラジル北東部(図1の2)です。古代DNAの信頼性についての確立された基準の適用後、過去1万年間にわたる11ヶ所の遺跡で発見された34個体からゲノム規模データの最終データセットが得られました(図1)。以下は本論文の図1です。
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 ヒトゲノム全体(124万SNP捕獲)で、124万SNP(single nucleotide polymorphism、一塩基多型)の標的一式の濃縮により、溶液内捕獲経由でゲノム規模データが生成されました。ミトコンドリアゲノム全体も捕獲され、ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)が分類されて、汚染水準が推定され、全事例で低い(2%未満)と分かりました。X染色体の不均一性水準に基づく男性20個体で推定された核DNAの汚染も、低いものでした(3.5%未満)。

 世界規模の人口集団を含む主成分分析(principal component analysi、略してPCA)とクラスタ(まとまり)分析からさらに、全個体はアメリカ大陸先住民の遺伝的多様性内に収まる、と確証されました。集団遺伝学的分析のため、新たに確証されたブラジルで発見された古代人のゲノム規模データセットが、以前に刊行されたゲノム規模データセット(関連記事)と組み合わされました。個体は、遺跡と放射性炭素年代と外群f₃統計を通じて確証された遺伝的類似性に基づいて分類されました。


●初期完新世狩猟採集民の放散

 ブラジル南東部における最古のヒトの存在は、直接的には「ルジオ」個体により証明され、この個体は、本論文で遺伝学的に分析された、カペリニャの河川沿いの貝塚に埋葬された骨格です(カペリニャ_10400年前)。ラゴア・サンタ地域の初期完新世集団で観察される古アメリカ人的特徴とのこの男性個体の形態学的類似性、および同じ遺跡の他の埋葬とのほぼ3000年間の年代的間隙は、河川沿いのサンバキ社会とのこの男性の関連に疑問を提起します。

 カペリニャ_10400年前と他のブラジル古代人の他個体との遺伝的類似性が、f₄形式(ムブティ人、カペリニャ_10400年前;ブラジル古代人左側、ブラジル古代人右側)のf₄統計を用いて調べられました。検証された古代の個体のどれも、時間的に近く、表現型で類似しているラゴア・サンタ地域の集団が検証された場合でさえ、カペリニャ_10400年前とのより高いアレル(対立遺伝子)共有を示しません。同じパターンは、カペリニャ_10400年前が、年代は9100年前頃で、ラゴア・サンタ地域の南西200kmに位置するロカ・ド・スイン(Loca do Suin)遺跡の初期完新世狩猟採集民(ロカ・ド・スイン_9100年前)と比較したさいに観察されました。

 逆に、ロカ・ド・スイン_9100年前およびスミドウロ_10100年前集団は、どのブラジルの集団他の古代人集団とよりも相互の方で高い遺伝的類似性を共有しています。これらの結果から、カペリニャ_10400年前は、と示唆されます。ラゴア・サンタ地域関連祖先系統を有する内陸部集団によるブラジル南東部沿岸の初期の居住を表しておらず、その人口集団は本論文で分析されたその後のブラジルの個体群に実質的な遺伝的寄与を残さなかった、と示唆されます。

 次にqpWaveを用いて、南アメリカ大陸全域の初期完新世狩猟採集民で観察された遺伝的差異の説明に必要な祖先系統の波の最小数が推定されました。その結果、カペリニャ_10400年前とロカ・ド・スイン_9100年前は、祖先系統の明確な波の一部として他の初期完新世人口集団と区別できない、と示されます。本論文の解像度の限界まで見ると、さまざまな南アメリカ大陸の遺跡の初期完新世個体における密接な類似性から、初期完新世個体群は1回の急速な放散に由来した、と示唆されます。

 先行研究でも南アメリカ大陸最古の個体のゲノム、つまりチリの11900年前頃となるロス・リーレス(Los Rieles)遺跡個体(ロス・リーレス_11900年前)やブラジルの9600年前頃となるラパ・ド・サント(Lapa do Santo)遺跡個体(ラパ・ド・サント_9600年前)は、ペルーの8600年前頃となるラウリコチャ(Lauricocha)遺跡個体(ラウリコチャ_8600年前)の場合よりも、北アメリカ大陸のクローヴィス文化関連のアンジック1号の方と高い類似性を有している、と明らかになりました。f₄統計では、カペリニャ_10400年前とスミドウロ_10100年前が、ロス・リーレス_11900年前やラパ・ド・サント_9600年前の場合よりも、アンジック1号とのより低い類似性を有さない一方で、ラウリコチャ_8600年前の場合よりも高い類似性を示さない、と示すことができます。

 古代の南アメリカ大陸集団におけるアンジック1号関連祖先系統の相対的な割合を測定するため、ロス・リーレス_11900年前とラウリコチャ_8600年前を、それぞれ初期完新世南アメリカ大陸におけるそうした祖先系統の最大量とC衣装量の参照個体の一部として、f₄比検定が実行されました。その結果、ラパ・ド・サント_9600年前がラウリコチャ_8600年前よりもアンジック1号関連祖先系統を有意に多くの量有しているのに対して、他の検証された集団は有意性に達せずにさまざまな割合を示す、と裏づけられます。この傾向は、アンジック1号関連祖先系統の有無という二つの孤立した移住のシナリオではなく、初期南アメリカ大陸狩猟採集民におけるアンジック1号関連の寄与の遺伝的勾配を示唆しています。


●中期~後期完新世の貝塚社会

 河川沿いと沿岸部のサンバキ社会集団間の類似性を調べるため、新たに生成されたデータが、河川沿いのサンバキのラランジャル遺跡(2個体、6700年前頃)およびモラエス遺跡(1個体、5800年前頃)の以前に刊行された個体とともに分析されました。ブラジル南東部沿岸の貝塚は、エスピリトサント(Espírito Santo)州に位置するリマオ(Limão)のサンバキ(6個体、2700~500年前頃)により表されます。ブラジル南部沿岸のサンバキは3ヶ所の貝塚の個体により表され、それは、ジャブティカベイラ2遺跡(17個体、2500~1300年前頃)、カベスーダ(Cabeçuda)遺跡(2個体、3200年前頃)、クバタン1(Cubatão I)遺跡(2個体、2700~2600年前頃)、サンバキ社会の最終層準を表す、ガルヘタ4(Galheta IV)遺跡(1個体、1200年前頃)により表されます。

 本論文の分析は、f₄形式(ムブティ人、ラランジャル_6700年前;ブラジル古代人集団、モラエス_5800年前)のf₄統計本論文のデータセットにおける他の全てのブラジル古代人集団と比較しての、河川沿いのサンバキ個体間の強い局所的な遺伝的類似性を確証します。河川沿いの遺跡の個体も、クバタン1遺跡(クバタン1_2700年前)やカベスー遺跡(カベスー_3200年前)やジャブティカベイラ2遺跡(ジャブティカベイラ2_2400年前)といったブラジル南部沿岸のサンバキの個体群との遺伝的類似性を示しており、河川沿いの貝塚被葬者とブラジル南部沿岸のサンバキ社会との間の一定水準の経時的な遺伝的連続性が示唆されます。興味深いことに、この遺伝的類似性は、河川沿いの貝塚とさらに北方に位置するリマオの貝塚の間では観察されません(図1)。

 サンバキ集団における遺伝的相互作用についての知識を向上させるため、ブラジル南東部および南部沿岸で最大1500km離れて位置する沿岸の5ヶ所の沿岸部遺跡(図1)の全個体が共分析されました。分析されゲノム規模データが最も多い遺跡は、ジャブティカベイラ2です。ジャブティカベイラ2遺跡の17個体は、f₃およびf₄検定を通じて明らかになるように、遺伝的に異なる3集団でクラスタ化します(まとまります)。全ての年代測定された個体について平均較正年代の四捨五入により特定された遺伝的な集団とは、(1)2500~2300年前頃の14個体で構成されるメインクラスタ(ジャブティカベイラ2_2400)で、そのうち12個体は1親等の親族ではなく、分析のためまとめられ、(2)2200~2100の1親等の2個体(ジャブティカベイラ2_111/112_2200年前、1個体のみが分析に用いられました)と、(3)1300年前頃となる最新の1個体(ジャブティカベイラ2_102_1300年前)です。この最新となる骨格は最上部の貝殻堆積物で発見され、屈曲した姿勢ではなく伸展した姿勢や副葬品の欠如など、それ以前の埋葬とは異なる葬儀パターンを示しています。f₄統計では、他の全てのブラジル古代人集団と比較して、ジャブティカベイラ2遺跡の3集団間でより高い遺伝的類似性が見つかりました。時間的に中間の個体は、f₄統計(ムブティ人、ジャブティカベイラ2_111/112_2200年前;ジャブティカベイラ2_2400年前、ジャブティカベイラ2_1300年前)のf₄統計により示唆されるように、その前後の個体とは遺伝的に中間のようです。

 遺跡間の比較は、他のブラジル古代人集団を除いて、ジャブティカベイラ2_2400年前集団とジャブティカベイラ2_111/112_2200年前とカベスー_3200年前とガルヘタ4_1200年前の間のより高いアレル共有を示しました。クバタン1_2700年前集団は、ジャブティカベイラ2_2400年前やカベスー_3200年前など、他のブラジル南部貝塚集団との遺伝的つながりを示します。したがって、これら4ヶ所の貝塚および魚塚の個体間の類似性は、ブラジル南部沿岸における後期完新世遺伝的クラスタの存在を明らかにします。以下は本論文の図2です。
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 ブラジル南東部沿岸では、f₃外群およびf₄統計を通じて確証された遺伝的類似性が、リマオの貝塚における異なる3集団を明らかにします。それは、(1)最古の個体(リマオ_2700年前)と、(2)時間的に中間の4個体のクラスタ(リマオ_1900年前)と、最新の1個体(リマオ_500年前)です。リマオ_1900年前集団はリマオ_2700年前、および恐らくはペドラ・ド・アレクサンドラ(Pedra do Alexandre)の北東部遺跡の初期~中期完新世狩猟採集民(ペドラ・ド・アレクサンドラ2_年代不明)と最高の遺伝的類似性を示します(図2)。この結果は、ブラジル南東部沿岸のサンバキ個体群とブラジル北東部の狩猟採集民集団との間の遺伝的つながりを論証します。ブラジル南部沿岸のサンバキから得られた結果と組み合わせると、本論文の分析から、ブラジル南部および南東部(つまり、それぞれサンタカタリーナ州とエスピリトサント州)の貝塚社会は、頭蓋と歯の形態の差異の分析により以前に示唆されたように、遺伝的に均質な人口集団を構成していない、と示唆されます。


●貝塚社会の最終層準

 サンバキ建築の最終層準後の沿岸部遺跡群における(ジェ語族祖語話者と関連している)タクアラ・イタラレ土器の重要性が、最近の学術的愚論の中心でした。一部の学者によると、2000年前頃以後、沿岸部における土器出現の前でさえ、ジェ語族祖語話者集団との接触強化はサンバキ社会の終焉につながったでしょう。本論文では、2000年前頃以後の層準は、貝殻堆積物の最上部に埋葬されたジャブティカベイラ2_102_1300年前と、タクアラ・イタラレ土器のある魚塚に埋葬されたガルヘタ4遺跡の1個体(ガルヘタ4_1200年前)により表されます(図2)。

 サンバキ集団と魚塚集団とジェ語族祖語話者集団の個体間の遺伝的つながりをさらに調べるため、本論文の古代人のゲノムデータが刊行されている現代人のゲノムデータセットと統合されました。それは、(1)イルミナ(Illumina)社のデータセットで、サンパウロ州の20世紀初頭の南東部カインガング人個体からこの研究で生成された124万SNP捕獲データで、現在の南部カインガング人との独特な類似性を示しており、(2)ヒト起源データセットです。

 イルミナ社のデータセットを用いて、一部のサンバキ集団と現在のカインガング人との間で共有された遺伝的浮動のパターンが観察されました(図3a)。この類似性を形式的に検証す狩るため、(1)f₄形式(ムブティ人、沿岸部古代人集団;カインガング人、他の現在の先住民集団)と、(2)f₄形式(ムブティ人、カインガング人;沿岸部古代人集団、沿岸部古代人集団B)でf₄検定が実行されました。f₄検定(1)の結果は、現在のカインガング人とジャブティカベイラ2_102_1300年前との間の遺伝的類似性の過剰を明らかにします。f₄検定(2)は、ジャブティカベイラ2_111/112_2200年前と、さらにはジャブティカベイラ2_102_1300年前が、ジャブティカベイラ2_2400年前集団だけではなく、タクアラ・イタラレ土器関連のガルヘタ4_1200年前とも比較すると、現在および20世紀のカインガング人と遺伝的により近い、と示すことにより、この調査結果を拡張します。カインガング人とより新しいジャブティカベイラ2遺跡の個体との間のこの遺伝的つながりは、遅くとも2200年前頃以降となる、ジェ語族祖語話者集団とブラジル南部沿岸のサンバキ社会との間の接触強化との仮説を裏づけます。以下は本論文の図3です。
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 歯のエナメル質のストロンチウム安定同位体87/86比(⁸⁷Sr/⁸⁶Sr)が、ジャブティカベイラ2_2400年前集団(0.7095±0.000096、7個体)と比較した場合に、ジャブティカベイラ2_102_1300年前では0.7111であることも、この女性個体の異なる起源を示しており、恐らくは別の沿岸地点です。これは食性変化を示唆しているかもしれず、それは、海洋資源とC3植物資源の混合食性が、より古い個体群の高い海洋性タンパク質摂取とは対照的に、ジャブティカベイラ2_102_1300年前で記載されてきたからです。かわりに、海岸の典型的なジェ語族話者遺跡と考えられている、ガルヘタ4遺跡のガルヘタ4_1200年前における独特なジェ語族話者関連兆候の欠如は、土器の到来と貝塚の建設終了の跡の、サンバキ集団とのとの一定水準の人口連続性を示します。したがって、先行研究により示唆されていたように、文化拡散もブラジルの大西洋沿岸全体にわたる土器の拡大における重要な機序だったかもしれない、と示唆されます。

 ヒト起源データセットでは、まずf₃外群統計を用いて、以前の調査結果が拡張されました(図3b)。さらに、f₄形式(ムブティ人、ブラジルの古代人集団;現在の先住民の左側、現在の先住民の右側)のf₄統計から、サンバキの全個体は、他の利用可能な先住民人口集団とは対照的に、ジェ語族話者のシャヴァンテ人(Xavánte)への有意な遺伝的誘引を示す、と明らかになりました(図4)。ブラジル南部沿岸のサンバキ個体群におけるジェ語族話者関連祖先系統の影響がカインガング人もしくはシャヴァンテ人のどちらかに具体的に寄与し得るのかどうか、調べるために、f₄統計(タンザニア_3000年前、サンバキ集団;シャヴァンテ人、カインガング人_埋葬_100年前)が実行されました。ここでは、古代DNA標本間の誘引に起因する偏りを軽減するため、古代アフリカの個体群が用いられました。その結果、ジャブティカベイラ2遺跡個体は、ジェ語族話者関連祖先系統の検証された供給源の両方(カインガング人とシャヴァンテ人)と等しく関連する、と示されます。これは、サンバキ南部集団に寄与した特定のジェ語族話者関連祖先系統が、本論文の古代および現在の遺伝的データセットでは欠如していることを示唆します。他のジェ語族話者集団からのより多くのゲノムデータが、特定の遺伝的寄与の正確な割り当てに必要です。以下は本論文の図4です。
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 リマオ_1900年前個体群も、アララ(Arara)語やアパライ(Aparai)語などのカリブ(Karib)語族や、モンデ(Mondé)語やアリケム(Arikém)語やトゥピ・グアラニー語族などのトゥピ語族のような他の語族の話者と比較すると、ブラジル中央部の現在のジェ語族話者集団(シャヴァンテ人)との遺伝的類似性を示します。興味深いことに、ニャンデヴァ人(Nãndeva)やガヴィアオ人(Gavião)やカリティアナ人(Karitiana)やパラカナ人(Parakanã)など他の現在のトゥピ語族話者のとの比較において、リマオ遺跡の最近の被葬者(リマオ_500年前)と、トゥピ・モンデ(Tupi-Mondé)語族と関連するゾロ人(Zoró)との間で遺伝的つながりが観察されました(図4)。この特有の類似性は、アマゾン地域なん東部に起源があると考えられている、トゥピ・グアラニー語族話者のブラジル南東部沿岸への到来の最初の直接的な遺伝学的証拠を表しているかもしれません。この祖先系統の正確な到来年代を決定できませんが、リマオのサンバキのより古い集団(リマオ_2700年前とリマオ_1900年前)におけるこの祖先系統の欠如から、その到来はサンバキ集団によるリマオ遺跡の最初の定住の後に起きた、と示唆されます。


●アマゾン地域とブラジル北東部の土器とのつながり

 サンバキとジェ語族およびトゥピ語族およびカリブ語族の話者集団との間で共有された祖先系統の年代の深さを調べるため、ブラジル北東部のサバンナ地帯であるセラード(Cerrado)とアマゾン下流森林地帯の後期完新世遺跡の個体群が配列決定されました。前者は、ブラジル中央部および北東部の広大な領域を占拠した園芸民により作られた土器様式であるウナ伝統と関連しており(ヴァウ_ウナ_600年前)、後者は、南アメリカ大陸におけるカリブ語族の最南端の拡大を表しているかもしれない、先植民地期/初期植民地期(1200~1600年頃)文化である、コリアボ(Koriabo)伝統と関連しています(パルメリアス・シング_500年前)。

 ヴァウ(Vau)_ウナ_600年前とヒト起源データセットの現在のアメリカ大陸先住民人口集団でf₄検定の実行により得られた遺伝的パターンは、トゥピ語族(トゥピ・モンデ語族やアリケム語やトゥピ・グアラニー語族)話者およびカリブ語族話者人口集団と比較した場合に、ウナ文脈の個体とシャヴァンテ人との間の遺伝的類似性の強い証拠を示します(図4)。これは、ウナ伝統の土器製作者とのジェ語族話者人口集団の関連について証拠を提供します。イルミナ社のデータセットに含まれるブラジルの先住民人口集団で実行されたf₄検定の結果から、パルメリアス・シング(Palmeiras Xingu)_500年前はアララ人やアマゾン下流のカリブ語族話者集団やトゥピ語族話者のスルイ・ペイター人(Surui Paiter)と遺伝的類似性を共有している、と示されます。

 本論文で分析された全てのサンバキ個体との比較では、ヴァウ_ウナ_600年前とパルメリアス・シング_500年前は両方ともリマオ遺跡のサンバキの最新の被葬者(リマオ_500年前)への遺伝的誘引を示しており、直近の過去における共有された一定水準の遺伝的浮動を示唆しています。


●Y集団の兆候

 f₄形式(ムブティ人、パプア人/オンゲ人/オーストラリア先住民:メキシコ現代人、ブラジル古代人)のf₄統計で、新たに生成されたデータにおけるY集団の存在(関連記事)が調べられました。メキシコ現代人と比較して、オンゲ人との有意な類似性を示す唯一のブラジル古代人集団は、ジャブティカベイラ2_2400年前です。この兆候はおもに1個体(埋葬38号のJBT009)により駆動されますが、JBT009の除外後でさえ集団全体に残ります。同様に、オンゲ人とカベスー_3200年前の1個体(埋葬15号のCBE004)との間には有意な遺伝的誘引がありますが、他の全ての検定は有意性に近い値に達しません。しかし、この祖先系統がまず現在のアマゾン地域の人口集団、あるいは古アメリカ人の頭蓋形態との関連にも関わらずカペリニャ_10400年前において報告された、という事実にも関わらず、Y集団の兆候の証拠が最近のアマゾン地域の個体パルメリアス・シング_500年前で見つかった証拠はありません。

 f₄形式(ムブティ人、パプア人/オンゲ人/オーストラリア先住民/田園洞個体:ブラジル古代人A、ブラジル古代人B)のf₄統計を用いて、現在のパプア人とオンゲ人とオーストラリア先住民と北京の南西56km にある田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃の男性個体(関連記事)との、古代ブラジルの個体の類似性の差異の存在がさらに検証されました。ラパ・ド・サント_9600年前と比較した場合のみ、ジャブティカベイラ2_2400年前集団だけがオンゲ人とパプア人両方への有意な誘引に達しました、これが示唆するのは、Y集団の兆候がブラジルのほとんどの検証された古代の個体に等しく広がっているか、非アメリカ人祖先系統への以前に報告された誘引が、古代人集団との比較において現在のメキシコの人口集団の使用により悪化している、ということです。


●片親性遺伝標識と遺伝的多様性と同型接合連続領域

 本論文のデータセットにおける全男性は、南アメリカ大陸の現在の先住民において最高頻度となるY染色体ハプログループ(YHg)Q1bです。利用可能なSNP網羅率の限界まで、ジャブティカベイラ2遺跡の男性個体群は共通するYHg-Q1b1a1a(M3)か、現在では稀なQ1b1a21b(CTS1780)を有しており、南アメリカ大陸古代人におけるそのより高い頻度が確証されます。

 mtDNA分析から、新たに調べられた全個体はアメリカ大陸先住民に特有のmtHg(A2、B2、C1b、C1c、C1d1、D1)に分類される、と示されます。例外はロカ・ド・スイン_9100年前の1個体で、ひじょうに稀でおもに北アメリカ大陸先住民で見られるmtHg-C4cです。初期完新世のブラジルにおけるこのmtDNA系統の発見は、mtHg-C4cが初期の移住事象においてアメリカ大陸に入ってきた、という可能性への追加の裏づけを提供します。mtDNAの多様性に基づいて、サンバキ集団における下位構造の存在が検証されました。その結果、ブラジル南部沿岸とブラジル南東部沿岸のサンバキ個体群間の一定水準の区別が示されます。

 ジャブティカベイラ2遺跡では、16個体が同じmtHg-C1cを共有しており、全てのmtDNA配列で最大1ヌクレオチド距離があります。唯一の例外は、mtHg-B2を有するジャブティカベイラ2_102_1300年前により表されます。片親性遺伝標識(母系のmtDNAと父系のY染色体)のこのパターンは、一般的に低い対での不一致率とともに考慮すると、ジャブティカベイラ2遺跡個体群における近親婚のシナリオと一致するかもしれません。これを検証するため、同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)が計算されました(関連記事)。

 その結果、ジャブティカベイラ2_2400年前において4~8cM(センチモルガン)と短いROHが多数明らかになり、同じ遺跡のより新しい被葬者よりも小さな有効人口規模(次世代に寄与する400~1600個体)が示唆されます(図5a)。したがって、この遺伝的パターンは、最近の近親婚ではなく、ボトルネック(瓶首効果)を経た人口集団と一致し、サンバキ社会における大規模な人口動態との予測に疑問を呈します。クバタン1遺跡のデータを用いたヨーロッパとの接触前の生計である漁業の研究も、南部サンバキ集団における予測より小さな人口規模を示唆しました。リマオのサンバキの同時代の個体群は同様のROH特性を示しますが、リマオ_500年前個体はイトコ間の近親婚と一致するパターンを示します(図5a)。以下は本論文の図5です。
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 最後にブラジル南部沿岸サンバキ集団(ジャブティカベイラ2_2400年前、カベスー_3200年前、クバタン1_2700年前)は、ブラジル南東部沿岸遺跡(リマオのサンバキ)、さらにはブラジル南部沿岸の後期サンバキ個体群(ジャブティカベイラ2_111/112_2200年前、ジャブティカベイラ2_102_1300年前、ガルヘタ4_1200年前)より低水準の異型接合性を示します(図5b)。南部サンバキ集団における経時的な異型接合性の増加はおそらく、2200年前頃までにここで検出される内陸部のジェ語族話者関連祖先系統の遺伝子流動と一致します。


●考察

 本論文で新たに配列決定された最古の個体であるカペリニャ_10400年前は、初期完新世もしくはもっと新しい人口集団と異なる遺伝的類似性を有していませんが、ブラジルの古代人および南アメリカ大陸の現代人集団に対して一般化した類似性を示します。これが示唆するのは、カペリニャ_10400年前の供給源人口集団が南アメリカ大陸への最初の放散事象において基底部に位置する、ということです。さらに、カペリニャ_10400年前とスミドウロ_10100年前は両方とも、アンジック1号関連祖先系統との有意な類似性を欠いています。これらの個体は、この祖先系統の証拠なしでの南アメリカ大陸個体群の最初の発生、つまりクンカイチャ(Cuncaicha)遺跡の9000年前頃の個体(クンカイチャ_9000年前)とラウリコチャ_8600年前に千年以上先行しており、南アメリカ大陸への拡大のその後の二つの波、つまりアンジック1号関連祖先系統を有する最初の拡大と、それがない第二の拡大というシナリオに異議を唱えます。しかし、この結果は統計的能力の欠如に影響を受けるかもしれないことに要注意で、別のあり得るシナリオには、この遺伝的構成要素のさまざまな割合を有する初期の南アメリカ大陸の移住者が含まれるでしょう。南アメリカ大陸の他地域の追加のゲノムが、アンジック1号関連祖先系統を有する人口集団が他の初期完新世集団により置換されたのか、それとも混合したのか、評価するのに必要でしょう。

 ラゴア・サンタ地域内では、スミドウロ_10100年前集団とラパ・ド・サント_9600年前集団との間の高い遺伝的類似性により示されるように、初期完新世個体群は共通の祖先集団にほぼ由来しました。ラパ・ド・サント_9600年前と後期完新世集団との間の二つの明確な遺伝的誘引も検出されました。最初の兆候はサンバキのジャブティカベイラ2_2400年前集団とカベスー_3200年前で、第二の兆候はアマゾン地域の個体パルメリアス・シング_500年前で観察されました。何千kmおよび何千年も離れた個体間の遺伝的つながりは、経時的なこの祖先系統の孫ザクを示唆しているかもしれません。

 アンダマン諸島およびオーストラレーシアの人口集団と関連しているY集団の兆候は、初期完新世のカペリニャ_10400年前もしくはアマゾン地域のパルメリアス・シング_500年前では検出できませんでした。しかし本論文は、カベスー_3200年前とジャブティカベイラ2_2400年前の南部サンバキ遺跡の個体におけるこの兆候を報告します。ジャブティカベイラ2_2400年前は、他のブラジル古代人集団との直接的比較でさえ、非アメリカ大陸先住民祖先系統とのより高い類似性を示す、唯一の先植民地期集団です。これが確証されるならば、この兆候が最初に報告されたブラジル全域でのさまざまな祖先系統と位置と期間を有する古代の個体群におけるY集団の兆候は、それがアメリカ大陸への複数の別々の移住からよりも、創始者アメリカ大陸先住民人口集団における遺伝的構造に由来する、というより高い確率を示唆します。

 中期完新世の河川沿いのサンバキ個体群(ラランジャル_6700年前とモラエス_5800年前)は強く関連しており、局所的な遺伝的構造を確証し、それは沿岸部サンバキ人口集団と比較した場合の、独特な遺伝的集団と対応しているかもしれません。ラランジャルおよびモラエス遺跡の個体群も、ブラジル南東部沿岸サンバキ集団とよりも、ブラジ南部沿岸集団の方と高い類似性を示しており、地理的により近い人口集団間の遺伝的つながりの可能性を示唆しています。しかし、この2ヶ所の遺跡は河川沿いのサンバキのごく一部を表しており、このパターンの確証のためには追加の個体群が遺伝学的に分析されるべきです。

 沿岸部のサンバキ集団であるカベスー_3200年前とジャブティカベイラ2_2400年前は、相互と高い遺伝的類似性を示しました(図2)。相互にわずか20km離れている両遺跡は、さらに北方に約200km離れたクバタン1遺跡の同時代の個体群との遺伝的類似性を示します。ジャブティカベイラ2遺跡の後期(2200年前頃と1300年前頃)の被葬者は、最近および現在両方のカインガング人両方により表される、南部ジェ語族話者祖先系統への増加する遺伝的誘引を示します(図2bおよび図3a)。

 ジャブティカベイラ2_102_1300年前は、ジャブティカベイラ2遺跡のより古い個体群で観察された範囲以上の⁸⁷Sr/⁸⁶Sr同位体比を示しているので、大陸地域(つまり、サンタカタリーナ高地)もしくは沿岸部の異なる場所で若い頃を過ごした、非地元個体かもしれません。2000年前頃以後の非地元個体の存在は、結婚後居住パターンの変化および同位体分析により明らかになった食性変化と一致します。カインガング人とジャブティカベイラ2_102_1300年前との間の強い遺伝的類似性は、ブラジル南部高地のジェ語族祖語話者集団と2000年前頃以後の沿岸部集団との間の遺伝的関係を論証します。しかし、この証拠は沿岸部におけるタクアラ・イタラレ土器の到来に約百年先行します。

 ジャブティカベイラ2_111/112_2200年前により示唆されるように、カインガング人祖先系統が文化的変化の2000年前頃の層準の前にすでに検出されることを考えると、本論文の結果から、内陸部と沿岸部の人口集団間の接触強化は貝塚建築の急激な減少と同時に、および魚塚の出現の直前に起きた、と示されます。これは、空前の環境および生態系の変化の時期における遺伝的相互作用と関連した文化的接触が、貝塚建築の終焉に影響を及ぼしたかもしれない、と示唆しています。本論文の結果から、タクアラ・イタラレ土器で魚塚に埋葬されたガルヘタ4遺跡の1個体(ガルヘタ4_1200年前)が、ジャブティカベイラ2_2400年前集団およびカベスー_3200年前と遺伝的に類似しているとも示されます。これは、この地域における土器到来後の一定水準の人口連続性を示唆します(図2)。

 ブラジ南東部沿岸では、リマオのサンバキ個体群が少なくとも二つの異なる遺伝的祖先系統を有しています。リマオ_2700年前個体およびリマオ_1900年前集団は、ペドラ・ド・アレクサンドラ2_年代不明のブラジル北東部狩猟採集民およびアマゾン地域のパルメリアス・シング_500年前との有意な類似性を示します。文化的類似性にも関わらず、リマオのサンバキとブラジル南部沿岸のサンバキ遺跡群の個体間の余分な遺伝的類似性は観察されません(図2)。リマオのサンバキのより古い個体群とブラジル北東部の狩猟採集民およびブラジル中央部の現在のシャヴァンテ人との間の遺伝的つながりは、ブラジ南部沿岸の現在の集団との分離を説明するかもしれません。さらに、トゥピ語族話者のゾロ人とのリマオ_500年前の高い類似性は、ブラジル南東部沿岸へのトゥピ語族話者関連祖先系統の拡大の最初の古代ゲノム証拠を提供します。ブラジルの大西洋沿岸を横断してのアマゾン南東部地域からのトゥピ・グアラニー語族話者の拡大はよく知られた人口統計学的現象で、本論文の結果は、遅くとも500年前頃までとなるエスピリトサント州の海岸におけるトゥピ語族話者関連祖先系統の到来を明らかにします。

 まとめると、本論文の結果から、ブラジル南部および南東部沿岸のサンバキ社会は遺伝的に均質な人口集団ではなかった、と論証されます。ブラジル南部および南東部沿岸の両地域は異な根人口統計学的軌跡を有しており、それは恐らく、沿岸部集団の低い移動性に起因します。これは、考古学的記録で報告された文化的類似性と対称的で、南アメリカ大陸東部のゲノム史の理解を深めるには、より地域的で微小規模の研究の実行の必要性を浮き彫りにします。


参考文献:
Ferraz T. et al.(2023): Genomic history of coastal societies from eastern South America. Nature Ecology & Evolution, 7, 8, 1315–1330.
https://doi.org/10.1038/s41559-023-02114-9

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