トルコ南東部の旧石器時代遺跡
トルコ南東部の旧石器時代遺跡の調査の予備的な報告(Kodaş., 2023)が公表されました。トルコというかアナトリア半島は、現生人類(Homo sapiens)がアフリカからレヴァントを経てヨーロッパへと拡散するさいの重要な経路だった、と考えられます。とくに、新石器時代における農耕を伴うヨーロッパへの人類集団の拡散では、アナトリア半島が大きな役割を担った、と考えられます(関連記事)。アナトリア半島は、現生人類以外のホモ属の存在でも注目されており、下部旧石器時代の遺跡も発見されていて(関連記事)、今後は旧石器時代における他地域とのつながりの点でも、研究の進展が期待されます。
●要約
旧石器時代の居住調査を計画した考古学的野外研究が、トルコ南東部のマルディン(Mardin)県で実施されています。シュケフタ・エロブラヒモ(Şıkefta Elobrahimo)洞窟を含めて、新たな遺跡が特定され、体系的に記録されてきました。まとめると、これらの研究は、中部旧石器時代以降のこの地域における人類の存在の充分な証拠を提供します。
●研究史
2022年以来、考古学的調査がトルコ南東部のマルディン県で行なわれており、更新世と初期完新世の遺骸のある洞窟や岩陰が探されています。この研究は、マルディン大学とアンカラ大学とオックスフォード大学の合同研究団により行なわれています。トルコにおける旧石器時代の研究は、おもに調査を通じて行なわれており、アナトリア半島東部では、ダム建設と関連して行なわれました。旧石器時代の遺跡はひじょうに稀で、年代測定が難しく、ともに更新世の遺跡である、イスタンブール県内に位置するヤリムブルガズ(Yarımburgaz)洞窟と、アンタルヤ(Antalya)県の北西部に位置するカライン(Karain)洞窟を除いて、開地状態でほぼ見つかっています。
これまで、アナトリア半島中央部のカレペテデレシ3(Kaletepe Deresi 3)遺跡の東側、およびシリア中央部のエル・コウン(El Kown)とイラクのクルディスタンのシャニダール(Shanidar)洞窟との間のメソポタミア北部では、旧石器時代の遺跡は厳密に年代測定されていませんでした。したがって、この地域における旧石器時代の文化的および年代的特徴、および周辺地域との相互作用の可能性は知られていません。したがって、調査の最初の時期におけるシュケフタ・エロブラヒモ洞窟の記録(図1の1・2)洞窟は、人類居住の明確な痕跡を示す保存された考古学的層序とともに、この地域の重要性を高めます。以下は本論文の図1です。
●シュケフタ・エロブラヒモ洞窟の位置と概要
シュケフタ・エロブラヒモ洞窟は、マルディン県のマルディン空港の東側約5kmとなる、ギュルス(Ğurs)渓谷のウルキョイ(Uluköy)村に位置しています。(図2)シュケフタ・エロブラヒモ洞窟は、クズテルペ(Kızıltepe)地区の高地の体系的調査を通じて発見されました。おもに、地図からの偵察、車両での通った後の体系的探索、石器の集中的な徒歩収集に基づいて、各洞窟と岩陰が記録されました。ギュルス渓谷は、600mの等降水量線で始まって、クズテルペの平原からマジ(Mazı)山脈まで走っており、シリア北部のジェベル・アル・アジズ(Djebel al-Aziz)山脈の北側のハブール(Khabur)川に合流する、ゼルガン(Zergan)川によって深く切り込まれています。ギュルス渓谷は、おもに白亜紀から暁新世の地層として記述されています。シュケフタ・エロブラヒモ洞窟の地質学的状況の詳細な研究は、考古学的発掘に先立って、この研究団の地質学者により、写真測量研究と組み合わせて行なわれます。以下は本論文の図2です。
シュケフタ・エロブラヒモ洞窟はギュルス川の西岸にあり、渓谷を見下ろしています。洞窟入口は北東を向いています。シュケフタ・エロブラヒモ洞窟は崩壊したようで、そのユカは現在、洞窟の外側の斜面に広がっています(図1の3・4)。これは、岩石形成の特徴と、打製石器や骨の断片の存在により示唆されます。その保存状態では、洞窟の入口は幅23.5m、高い10mです。洞窟には2つの別々の空間単位があり、それは東および西区画です(図3の5)。西側区画は深さが約23.5mで、その幅は7.5~2mの間です。そこでは発見物はほとんどありませんでした。東側区画は幅が16m~6mの間で、深さは15mです。以下は本論文の図3です。
明確な成層のある密集して豊富な堆積物が、この区域や洞窟前の段丘で観察されました(図3の1~4)。少なくとも深さ1.6mに位置する考古学的堆積物への違法発掘のため、断面の一部が露出しています。それらは、高密度の動物の骨や炭化した有機物遺骸や打製石器を示します。さらに、最近の略奪工は、考古資料を含む燃焼および石化した堆積物の塊の破壊を引き起こしました。それらの塊は、洞窟の前に壁を築くために用いられました(図4の2)。以下は本論文の図4です。
●人工遺物
シュケフタ・エロブラヒモ洞窟遺跡では、高密度の発見物が得られました。調査された洞窟の全体区域で、1m²当たり50~100個の打製石器の破片が存在します。しかし、今後の発掘を前に考古学的文脈の攪乱を避けるため、限られた数の人工遺物の収集に調査は制約されました。309点の石器断片が収集され、そのうち223点は削片群(非目的製作物)で、86点が石器です(図4の1・3~6)。打製石器のうち、中部旧石器時代のムステリアン(Mousterian、ムスティエ文化)インダストリーが顕著です。カライン(Karain)洞窟の石器群との比較に基づくと、35点の石刃と7点の細石刃が上部旧石器時代かもしれません。
3点のルヴァロワ(Levallois)式優先剥片と22点のルヴァロワ式反復剥片も、アナトリア半島の中部旧石器時代もしくは下部旧石器時代と関連しているかもしれない2点の石核断片とともに、確認されました。2点の鋸歯縁早期と2点の削器も回収されましたが、年代測定できませんでした。全体の石器収集品は燧石で製作されており、この燧石は、灰色や薄茶色や茶色や赤みがかった色や白色までの色の差異に基づくと、さまざまな供給源に由来するかもしれません。洞窟の側面と床の散乱の両方で見える多数の動物の骨にも言及する価値があります(図5)。シュケフタ・エロブラヒモ洞窟には、動物相と植物相と恐らくは人類化石の遺骸に関して、重要なデータを明らかにする大きな可能性があります。以下は本論文の図5です。
●概要:展望
シュケフタ・エロブラヒモ洞窟における考古学的調査の第1期で回収された人工遺物は、更新世の居住を示します。石器の類型年代学的比較に基づいて、より正確にすることは困難です。研究団は、トルコ文化省によりすでに承認されており、2023年後期に実施予定の発掘調査で、シュケフタ・エロブラヒモ洞窟の研究を進める予定です。洞窟内のよく層状になった考古学的堆積物の存在は、確実に年代測定できるよく保存された資料と研究の機会を提供します。
シュケフタ・エロブラヒモ洞窟の地質学的研究とともに、古地磁気年代測定と生物年代学を用いて、得られたデータの理解が深まるでしょう。この研究の目的は、人類により用いられた拡散回廊の一つだったアナトリア半島南東部の人類集団、たとえばホモ・エレクトス(Homo erectus)やネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や現生人類などに関する新たな情報を収集することです。シュケフタ・エロブラヒモ洞窟で標本抽出された炭化した植物相と動物相の資料も、住民の食性と生計に関して貴重なデータを提供できるかもしれません。さらに、マルディン県の他の旧石器時代遺跡の位置が確証されました。
ハイダー(Haydar)の開地野営遺跡は、シュケフタ・エロブラヒモ洞窟の北西4.5kmに位置します。この開地遺跡には、30点の両面石器と47点の両面調整石器があり、強くアシューリアン(Acheulian、アシュール文化)インダストリーにより特徴づけられます。別の遺跡はシュケフタ・エロブラヒモ洞窟の北側4kmに位置するヒルベ・ヘラレ(Hırbe Helale)で、2000点以上の両面石器が発見されました。中部旧石器時代と恐らくはそれ以前に始まり、人類集団がこの地域を通過しただけではなく、かなり集中的に居住していた、と明らかになりつつあります。シュケフタ・エロブラヒモ洞窟の発掘とさらなる調査で、ハブール川上流の山地と低地との間の移動パターンをより深く理解し、上メソポタミア(メソポタミア北部)の文脈における人類拡大の知識を増やしていくことが期待されます。
参考文献:
Kodaş E.(2023): New evidence of Pleistocene hominin occupation in Mardin Province, south-east Turkey: Şıkefta Elobrahimo Cave. Antiquity, 97, 394, e19.
https://doi.org/10.15184/aqy.2023.85
●要約
旧石器時代の居住調査を計画した考古学的野外研究が、トルコ南東部のマルディン(Mardin)県で実施されています。シュケフタ・エロブラヒモ(Şıkefta Elobrahimo)洞窟を含めて、新たな遺跡が特定され、体系的に記録されてきました。まとめると、これらの研究は、中部旧石器時代以降のこの地域における人類の存在の充分な証拠を提供します。
●研究史
2022年以来、考古学的調査がトルコ南東部のマルディン県で行なわれており、更新世と初期完新世の遺骸のある洞窟や岩陰が探されています。この研究は、マルディン大学とアンカラ大学とオックスフォード大学の合同研究団により行なわれています。トルコにおける旧石器時代の研究は、おもに調査を通じて行なわれており、アナトリア半島東部では、ダム建設と関連して行なわれました。旧石器時代の遺跡はひじょうに稀で、年代測定が難しく、ともに更新世の遺跡である、イスタンブール県内に位置するヤリムブルガズ(Yarımburgaz)洞窟と、アンタルヤ(Antalya)県の北西部に位置するカライン(Karain)洞窟を除いて、開地状態でほぼ見つかっています。
これまで、アナトリア半島中央部のカレペテデレシ3(Kaletepe Deresi 3)遺跡の東側、およびシリア中央部のエル・コウン(El Kown)とイラクのクルディスタンのシャニダール(Shanidar)洞窟との間のメソポタミア北部では、旧石器時代の遺跡は厳密に年代測定されていませんでした。したがって、この地域における旧石器時代の文化的および年代的特徴、および周辺地域との相互作用の可能性は知られていません。したがって、調査の最初の時期におけるシュケフタ・エロブラヒモ洞窟の記録(図1の1・2)洞窟は、人類居住の明確な痕跡を示す保存された考古学的層序とともに、この地域の重要性を高めます。以下は本論文の図1です。
●シュケフタ・エロブラヒモ洞窟の位置と概要
シュケフタ・エロブラヒモ洞窟は、マルディン県のマルディン空港の東側約5kmとなる、ギュルス(Ğurs)渓谷のウルキョイ(Uluköy)村に位置しています。(図2)シュケフタ・エロブラヒモ洞窟は、クズテルペ(Kızıltepe)地区の高地の体系的調査を通じて発見されました。おもに、地図からの偵察、車両での通った後の体系的探索、石器の集中的な徒歩収集に基づいて、各洞窟と岩陰が記録されました。ギュルス渓谷は、600mの等降水量線で始まって、クズテルペの平原からマジ(Mazı)山脈まで走っており、シリア北部のジェベル・アル・アジズ(Djebel al-Aziz)山脈の北側のハブール(Khabur)川に合流する、ゼルガン(Zergan)川によって深く切り込まれています。ギュルス渓谷は、おもに白亜紀から暁新世の地層として記述されています。シュケフタ・エロブラヒモ洞窟の地質学的状況の詳細な研究は、考古学的発掘に先立って、この研究団の地質学者により、写真測量研究と組み合わせて行なわれます。以下は本論文の図2です。
シュケフタ・エロブラヒモ洞窟はギュルス川の西岸にあり、渓谷を見下ろしています。洞窟入口は北東を向いています。シュケフタ・エロブラヒモ洞窟は崩壊したようで、そのユカは現在、洞窟の外側の斜面に広がっています(図1の3・4)。これは、岩石形成の特徴と、打製石器や骨の断片の存在により示唆されます。その保存状態では、洞窟の入口は幅23.5m、高い10mです。洞窟には2つの別々の空間単位があり、それは東および西区画です(図3の5)。西側区画は深さが約23.5mで、その幅は7.5~2mの間です。そこでは発見物はほとんどありませんでした。東側区画は幅が16m~6mの間で、深さは15mです。以下は本論文の図3です。
明確な成層のある密集して豊富な堆積物が、この区域や洞窟前の段丘で観察されました(図3の1~4)。少なくとも深さ1.6mに位置する考古学的堆積物への違法発掘のため、断面の一部が露出しています。それらは、高密度の動物の骨や炭化した有機物遺骸や打製石器を示します。さらに、最近の略奪工は、考古資料を含む燃焼および石化した堆積物の塊の破壊を引き起こしました。それらの塊は、洞窟の前に壁を築くために用いられました(図4の2)。以下は本論文の図4です。
●人工遺物
シュケフタ・エロブラヒモ洞窟遺跡では、高密度の発見物が得られました。調査された洞窟の全体区域で、1m²当たり50~100個の打製石器の破片が存在します。しかし、今後の発掘を前に考古学的文脈の攪乱を避けるため、限られた数の人工遺物の収集に調査は制約されました。309点の石器断片が収集され、そのうち223点は削片群(非目的製作物)で、86点が石器です(図4の1・3~6)。打製石器のうち、中部旧石器時代のムステリアン(Mousterian、ムスティエ文化)インダストリーが顕著です。カライン(Karain)洞窟の石器群との比較に基づくと、35点の石刃と7点の細石刃が上部旧石器時代かもしれません。
3点のルヴァロワ(Levallois)式優先剥片と22点のルヴァロワ式反復剥片も、アナトリア半島の中部旧石器時代もしくは下部旧石器時代と関連しているかもしれない2点の石核断片とともに、確認されました。2点の鋸歯縁早期と2点の削器も回収されましたが、年代測定できませんでした。全体の石器収集品は燧石で製作されており、この燧石は、灰色や薄茶色や茶色や赤みがかった色や白色までの色の差異に基づくと、さまざまな供給源に由来するかもしれません。洞窟の側面と床の散乱の両方で見える多数の動物の骨にも言及する価値があります(図5)。シュケフタ・エロブラヒモ洞窟には、動物相と植物相と恐らくは人類化石の遺骸に関して、重要なデータを明らかにする大きな可能性があります。以下は本論文の図5です。
●概要:展望
シュケフタ・エロブラヒモ洞窟における考古学的調査の第1期で回収された人工遺物は、更新世の居住を示します。石器の類型年代学的比較に基づいて、より正確にすることは困難です。研究団は、トルコ文化省によりすでに承認されており、2023年後期に実施予定の発掘調査で、シュケフタ・エロブラヒモ洞窟の研究を進める予定です。洞窟内のよく層状になった考古学的堆積物の存在は、確実に年代測定できるよく保存された資料と研究の機会を提供します。
シュケフタ・エロブラヒモ洞窟の地質学的研究とともに、古地磁気年代測定と生物年代学を用いて、得られたデータの理解が深まるでしょう。この研究の目的は、人類により用いられた拡散回廊の一つだったアナトリア半島南東部の人類集団、たとえばホモ・エレクトス(Homo erectus)やネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や現生人類などに関する新たな情報を収集することです。シュケフタ・エロブラヒモ洞窟で標本抽出された炭化した植物相と動物相の資料も、住民の食性と生計に関して貴重なデータを提供できるかもしれません。さらに、マルディン県の他の旧石器時代遺跡の位置が確証されました。
ハイダー(Haydar)の開地野営遺跡は、シュケフタ・エロブラヒモ洞窟の北西4.5kmに位置します。この開地遺跡には、30点の両面石器と47点の両面調整石器があり、強くアシューリアン(Acheulian、アシュール文化)インダストリーにより特徴づけられます。別の遺跡はシュケフタ・エロブラヒモ洞窟の北側4kmに位置するヒルベ・ヘラレ(Hırbe Helale)で、2000点以上の両面石器が発見されました。中部旧石器時代と恐らくはそれ以前に始まり、人類集団がこの地域を通過しただけではなく、かなり集中的に居住していた、と明らかになりつつあります。シュケフタ・エロブラヒモ洞窟の発掘とさらなる調査で、ハブール川上流の山地と低地との間の移動パターンをより深く理解し、上メソポタミア(メソポタミア北部)の文脈における人類拡大の知識を増やしていくことが期待されます。
参考文献:
Kodaş E.(2023): New evidence of Pleistocene hominin occupation in Mardin Province, south-east Turkey: Şıkefta Elobrahimo Cave. Antiquity, 97, 394, e19.
https://doi.org/10.15184/aqy.2023.85
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