癌の転帰の性差

 癌の転帰の性差に関する二つの研究が公表されました。一方の研究(Abdel-Hafiz et al., 2023)は、Y染色体を失った膀胱癌細胞が、免疫抑制性の高い腫瘍微小環境を生み出し、転帰の悪化の一因になったことを示します。Y染色体喪失(Loss of the Y chromosome、略してLOY)は、膀胱癌の10~40%を含む多様な種類の癌で観察されますが、LOYの臨床的および生物学的な重要性については明らかにされていません。本論文は、ゲノムおよびトランスクリプトームの研究結果を用いて、LOYが膀胱癌患者の予後不良と相関していることを明らかにします。本論文は、自然に生じたLOY変異膀胱癌細胞と、CRISPR–Cas9によりY染色体を標的として欠失させた膀胱癌細胞で詳細な解析を行ないました。その結果、Y染色体陽性(Y+)腫瘍とY染色体陰性(Y−)腫瘍は生体外(in vitro、試験管内)では同じように増殖するものの、免疫能が正常な宿主では、Y−腫瘍はY+腫瘍よりも悪性度が高く、これはT細胞に依存している、と分かりました。高次元フローサイトメトリー解析では、Y−腫瘍が腫瘍微小環境内のCD8+ T細胞の顕著な機能不全や疲弊を促進する、と明らかになりました。これらの知見は、ヒト膀胱癌の単一核RNA塩基配列解読と空間的プロテオミクス(タンパク質の総体であるプロテオームの解析手法)評価を用いて立証されました。注目すべきことに、Y−腫瘍は担癌マウスと癌患者の両方で、抗PD-1免疫チェックポイント阻害療法に対して、Y+腫瘍と比べてより高い応答を示します。まとめると、これらの結果は、LOY変異を持つ癌細胞はT細胞機能を変化させ、T細胞疲弊を促して、PD-1標的免疫療法への感受性を増強する、と明らかにしています。本論文は、LOY変異の持つ基礎生物学的意味と癌免疫療法を向上させるための生物標識についての考察を示しています。

 もう一方の研究(Li et al., 2023)は、大腸癌のマウスを用いて、Y染色体の遺伝子発現上昇により、雄で腫瘍の浸潤を促進し、免疫回避を助けている、と示します。性別は癌の発生率や種類や転帰に大きな影響を及ぼしますが、そうした性差の分子基盤や遺伝的基盤は充分に解明されておらず、X染色体の遺伝子と性ホルモンが原因だろう、と想定されています。こういった性差が特に顕著なのは大腸癌(colorectal cancer、略してCRC)で、男性の方が転移や死亡は多い、と示されています。本論文は、発癌性変異体KRASG12Dをコードする誘導性導入遺伝子と腫瘍抑制遺伝子ApcおよびTrp53の条件付きヌル対立遺伝子(iKAPと命名)を持つように遺伝子操作した、マウスCRCモデルを使って、発癌性変異体KRAS(KRAS*)CRCを持つ雄の方が特異的に転移が起こりやすく、予後も悪いことを明らかにします。異種間の分子解析とトランスクリプトーム解析を統合することにより、Y染色体のヒストンデメチラーゼ遺伝子KDM5Dが、KRAS*を介したSTAT4転写因子の活性化によって転写が促進される遺伝子である、と突き止められました。クロマチン標識とトランスクリプトームのKDM5Dに依存した変化によって、上皮細胞密着結合の調節因子と主要組織適合遺伝子複合体クラスI成分の調節因子の抑制が明らかになりました。iKAP癌細胞でKdm5dを欠失させると密着結合の完全性が高まり、細胞の侵襲性が低下し、CD8+ T細胞による癌細胞の殺傷が促進されました。逆に、Kdm5d遺伝子を導入してiAP癌細胞特異的にKdm5dを構成性に発現するように操作したiAPマウスは、生体外でより侵襲性の強い腫瘍が生じる傾向が強い、と示されました。したがって、KRAS* CRCに見られる性差には、KRAS*-STAT4を介したY染色体KDM5Dの発現増加が、癌細胞の接着性と腫瘍免疫の破壊を引き起こすことによって大きく関わっています。この知見は、KRAS* CRCに罹患した男性の転移危険性を低減するための実行可能な治療戦略につながるでしょう。有性生物であるヒトにおいて、医療のような「実用的観点」も含めて、やはり性差を無視するわけにはいかない、と改めて思います。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2および引用3)です。


がん:がんの転帰に性差が生じる機構を解明する

 がんの転帰には性差が認められ、男性の方が女性より転帰が悪くなる傾向が見られる。このほど行われた動物モデルを用いた研究とヒトのデータの一部を用いた研究で、このような性差へのY染色体の関与に関する知見が得られた。このことを報告する2報の論文が、今週、Natureに掲載される。1つ目の論文では、大腸がんのマウスモデルを使った研究で、Y染色体上の遺伝子が発現上昇していることが判明し、これが、雄で腫瘍の浸潤を促進し、免疫回避を助けたことが明らかにされている。2つ目の論文では、Y染色体を失った膀胱がん細胞が、免疫抑制性の高い腫瘍微小環境を生み出し、転帰の悪化の一因になったことが示されている。これらの知見は、性別に関連したがんの発症リスクを低減する方法を開発する取り組みの指針となる可能性がある。

 性別は、がん罹患率、がんの臨床転帰、腫瘍の生物学的機構に影響を及ぼすことが知られており、ほとんどのがんの転帰は女性よりも男性の方が悪い。こうした差異の根底にある性別特異的な機構は、十分に解明されていないが、一部の研究では、Y染色体の機能が関与している可能性が提示された。

 Ronald DePinhoらは、大腸がんのマウスモデルを用いて、大腸がんにおける性差を調べた。大腸がんは、がん関連死の原因の第2位であり、男性の方が発生頻度、悪性度、転移頻度が高い。このマウスモデルは、既知のがん遺伝子の1つであるKRASが重要な役割を果たす、特定の形態の大腸がんだ。今回の研究では、雄の方が雌よりも転移頻度が高く、生存率が低いことが観察された。これは、ヒトの大腸がんの転帰に酷似している。また、解析の結果、ヒストンデメチラーゼファミリーに属する酵素をコードする遺伝子の発現が上昇していることが分かった。この酵素は、腫瘍の浸潤と免疫回避に重要な役割を果たしている。この遺伝子は、Y染色体上の遺伝子であるため、KRAS変異型大腸がんのプログレッションの性差の基盤となっている可能性がある。

 一方、別の独立した研究で、Dan Theodorescuらは、Y染色体の喪失ががんの転帰にどのような影響を及ぼすかを調べた。Y染色体の喪失は、複数の種類のがんで観察されている特徴だが、その臨床的意義と生物学的意義は分かっていない。Theodorescuらは、まず、男性の膀胱がん患者300人の臨床データを調べ、Y染色体の喪失と予後不良が関連することを明らかにした。また、膀胱がん細胞株を調べて、Y染色体を喪失した腫瘍の方が、Y染色体を有する腫瘍よりも悪性度が高く、T細胞性免疫応答が低下したことを見いだした。Theodorescuらは、マウスとヒトの両方において、特定の種類の免疫療法(抗PD-1チェックポイント阻害剤)に対する応答が、Y染色体を喪失した腫瘍の方が高かったことを指摘し、この免疫療法が、Y染色体を喪失した膀胱がんの治療法となる可能性を示唆している。


がん:がんでのY染色体喪失は適応免疫の回避によりがん増殖を促進する

がん:がんでのY染色体喪失の意味

 Y染色体の喪失(LOY)はがんで頻繁に見られるが、その臨床的な意味については明らかでなかった。今回の研究で、LOYはより免疫抑制性の高い腫瘍微小環境を生じさせ、転帰を悪化させる一因となっていることが示された。


がん:ヒストンデメチラーゼKDM5Dの発現増加は大腸がんに見られる性差を促進する

がん:酵素が、大腸がんで見られる性別による違いの原因

 今回、マウスモデルを使った研究で、大腸がんに見られる性差は、Y染色体上のKDM5D遺伝子の発現亢進が、MHCクラスI複合体の成分を抑制して免疫監視を妨げることによって生じることが明らかになった。



参考文献:
Abdel-Hafiz HA. et al.(2023): Y chromosome loss in cancer drives growth by evasion of adaptive immunity. Nature, 619, 7970, 624–631.
https://doi.org/10.1038/s41586-023-06234-x

Li J. et al.(2023): Histone demethylase KDM5D upregulation drives sex differences in colon cancer. Nature, 619, 7970, 632–639.
https://doi.org/10.1038/s41586-023-06254-7

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